1999-10-29

祭り上げられた聖者/『通りすぎた奴』眉村卓


 ・祭り上げられた聖者

必読書リスト その一

 水の上へ右足を一歩踏み出す。その足が沈む前に左足を前に出す。更に、左足が沈まない内に右足を繰り出す。こうすれば水の上も歩けるだろう。観念論を嗤(わら)う喩(たと)えとしてよく用いられる話である。

 そう考えると人生とは、何を目指したかよりも、何を成し遂げたかに価値があるのかも知れない。だが、寝転がってお菓子を食べながら痩せる本を読んでいる、そんな生き方が実際には多くはないだろうか。願望は人一倍ありながら、はたまた、そのための知識を蓄えながらも全く進歩がない。そんな人をよく見かけはしないだろうか。あっ、いたいた、今、ディスプレイに向かってキーボードを叩いてるお前さんだよ。そう! 何を隠そうこの私がそうなんです。幼少の頃から、「歩く有言不実行」と母から罵られながらも今日(こんにち)までスクスクと育ったのでした。小学校高学年になると「ほら吹き童子」と言われ、中学になると「大風呂敷」と豊富な語彙(ごい)を巧みに使い回して、母は私をいたぶったのでした。その甲斐あってこんなに打たれ強い強靭な精神が涵養(かんよう)されるに至ったわけです(話を面白くするため、一部フィクションが含まれております。お願いだから信じちゃイヤよ!)。

『通りすぎた奴』と題した眉村卓の短篇がある。タイトルになっている作品は30ページあまりの掌編だが、実に味わい深いSFに仕上がっている。

 未来社会の都市、それは超高層の巨大な建物の内部に存在した。ここでの主要な乗り物はエレベーターで、現代の鉄道と変わりはない。全階停止の無料エレベーターや有料特別シート、特急などがある。

 この都市を登りつめようとする「旅人」が現れる。最頂部は25130階。その男はゆっくりと自分のペースで、金がなくなると賃仕事をしては、また登る。疲れると階段でスケッチを描き、悠々と登り続ける。建物の中で生きる都市の人々は何の疑問も持たず、外部への憧憬を抱くこともなく平々凡々と暮らしていた。「旅人」は明らかに異質な存在だった。数年を経て「旅人」は最頂階に辿り着く。そこでは「旅人」は「聖者」と呼ばれていた。

「みんなが“聖者”と呼ぶ人を拝んで、おかしいかな? たしかにあの人は“聖者”じゃよ。歩いて最頂部へ行くなんて、ふつうの人間にはとてもできん。それとも何かね? あんた、できるかね?」
「いいや。しかし、その気になれば誰だって最頂部へ登るくらい──」
「無責任なことをいっちゃいけないよ。考えついたり真似ごとをしたるするのと、ほんとうにやり通すのとは全然違う。あの人はそれをやったのじゃ。あんたはやっとらん。わしもしとらん。そこがだいじじゃ」

【『通りすぎた奴』眉村卓〈まゆむら・たく〉(立風書房、1977年角川文庫、1981年/日下三蔵編、出版芸術社、2009年『日本SF全集 1 1957~1971』/筒井康隆編、ちくま文庫、2015年『70年代日本SFベスト集成 3 1973年度版』)】

 エレ弁(エレベーター弁当)売りのオヤジと主人公のこんなやりとりがある。若き心に鮮明に焼きつけられたシーンだ。

 物語は都市に住む無知な民衆の狂気によって、恐るべき展開を遂げる。最頂部で彼を待ち受けていた暗い深淵に読者は戦慄を憶えるだろう。

1999-08-03

“考える葦”となるために/『「自分で考える」ということ』澤瀉久敬


 ・“考える葦”となるために

『壊れた脳 生存する知』山田規畝子
『「わかる」とはどういうことか 認識の脳科学』山鳥重

必読書リスト その五

「馬鹿だった。全くもって俺は馬鹿だった。小倉智昭に『バカヤロー!』と言われても仕方がないほどの馬鹿だった」と一読後思い知る。

 わかりやすい比喩をもって思考回路を解きほぐしてくれる。考えるという行為の道筋が見えて来る。「ああ、考えるとはこういうことなんだ」と諭(さと)すように教えられる。だが、易しい表現の底には自己と相向かう厳しさが剛音を立てて流れている。

 私が生まれた昭和38年に角川文庫版として出版された本である。干支(えと)が三周りした後に読むことと相成り、不思議な巡り合わせを感じる。

 情報化社会はスピードが要求される。古い情報の価値は直ちに色褪せ、新しい情報にとって替わる。政治・経済から流行に至るまでありとあらゆる情報が氾濫している昨今、自分の意見を持つ人が何人いるであろう。あなたが今抱いている政治的意見は、田原総一郎がこの間テレビで話していたものではないか? そのギャグはビートたけしの最新のものではないか? その商品を奨めるのはCMを見て印象に残っていたからではないか? 自分で考えることを放棄した瞬間から“ビッグ・ブラザー”に支配される。

 一昔前に「感性の時代」という言葉がもてはやされた。感性とは感覚によって支えられるが故、享楽に傾きやすくなることは必定である。時代の空気に最も敏感な女子高生を見るがいい。プリクラ、ルーズ・ソックス、茶髪、ミニ・スカート、ブランド品、小汚い色に焼いた肌から、果ては喋り方に至るまで皆一様ではないか。全く何も考えていないに違いない。脳味噌の量が半減しているとしか思えない。例えば若い者がよく読む漫画で何かしらの情報操作を試み、ある感情に訴える主張をさり気なく盛り込めば、一気に広まりゆくと私は思う。感覚的に同じものを指向する有様にファシズムの芽が見える。澤瀉が説く持論は今こそ必要とされるものである。全国のコギャルどもよ、この本を手にせよ! と言いたい。

 澤瀉は静かに、しかし、断固たる態度で「考えよ、自分で考えよ!」と言う。丁寧な語り口が、如何なる人にも分かるように、どんな人でもそうしたくなるように、との配慮に満ちている。

 澤瀉は言う――

 正しく考えるよりも前に、正しく見ることが必要なのであります(19p)

【『「自分で考える」ということ』澤瀉久敬〈おもだか・ひさゆき〉(文藝春秋新社、1961年『「自分で考える」ということ 理性の窓をあけよう』/角川文庫、1963年/増補版、角川文庫、1981年/レグルス文庫、1991年)】

 続いて、目的地への交通手段が様々あることを例に挙げ、

 考えるとは可能性を考えるということであります。しかもその可能性というものは、はじめから可能性としてあるのではありません。はじめから可能性としてあってただそれを選べばよいというものではなく、それら多くの可能性は、考え出されてはじめて可能性となるのです。(25p)

 と“何を”考えるのかをハッキリさせてくれる。更に、

 元来、わたくしたちは身体的栄養を摂る場合には、食物を自分で口に入れ、自分で咀嚼し、自分で消化する。これと同じように、あるいはそれ以上に、精神が知識を獲得するためには、自分で精神を働かせ、自分で考えなければなりません。そこには、当然、強い精神、強靱な思索が要求されてまいります。それは決して容易なことではありません。考えるということはなかなかむずかしいことであり、また苦しいことでもあります。(27p)

 と考えるという作業に伴う実感を示す。そして、そこからもう一歩考え続けるよう促し、

 なお、この考えるという行為は、それをたえず行うことによってその力を強めるものであります。からだが訓練によって強化されるのと同じように、精神というのも、それを鍛錬することによって、次第に強力となるものであることを申し上げたいと思います。それに反して怠惰な、怠けた精神は、怠惰なからだにもまして、ますます貧弱なものとなることは申すまでもありません。ともかく考えるためには、〈自分で考える〉ことが絶対に必要であります。(27p)

 とその本質は戦いであることを教えてくれる。

 精神が新しいアイディアを生む場合には全く無からの創造なのであります。いままでそれを考え出す本人にも思いつかなかったものが、精神によって考え出されるのであります。ここに生命の創造にもまさる精神の創造の歓喜があると考えたいのであります。(46p)

 考える醍醐味がここに極まる。

 丁寧に丁寧に聞き手への尊敬を込めて語られる考えるという行為は、単なる机上の思索ではなく、人生を切り開いてゆく智慧そのものと言ってよい。

 ひとは、あるいは思索の無力を説くかもしれません。大切なことは考えることではなく実践することであると主張されるかもしれません。それはそのとおりであります。しかし、実践はそれがただ実践であることによって尊いのではありません。実践は、それが〈より〉よいものへの実践であることによってのみ尊いのであります。そしてその『〈より〉よいもの』とは何かということは、それこそ精神の思索によってのみ明らかとなるのであります。そうして、そのおり大切なことは、〈より〉よいものがはじめからあって、それを精神がただ暗やみから明るみに引き出すのではないということであります。精神そのものが常にみずから〈より〉よきものを創造するのであります。考えるということの尊さ、考えるということの喜び、まさにそのようにしてよりよいもの、〈より〉正しいもの、〈より〉美しいものを創造するというところにあると思うのであります。そして、それこそまさに人間として生きる歓びではないかと私は考えるのであります。(49p)

 考えることが生きることであり、生きることとは考えることなのだと思い至る。妙な飛躍を望むのではなくして、水滴が石を穿(うが)つように徹底して考え抜く行為が、人生の価値を高らしむるのである。それは、弓をキリキリと引き絞る行為に例えられるかも知れない。あらん限りの精神の力をどれだけ込められるかで、放たれた矢の勢いが決まる。慎重を極めた角度でのみ的を射ることが可能になる。

「読書について」に至っては私のアキレス腱を絶たれた感を抱いた。

 本を読むとは、そこに何が書いてあるかを簡単に要約することができるということです。それが言えぬようでは、本を読んだとは申せません。そして、それができるためには、まず、書物全体の構造が整然と分析され、かつてその部分はどのような道すじを通って展開されているかを把むことでなければなりません。(185p)

 これは私の最も不得手とすることで「お前さんのは本を読んだとは言わない」と断言されたようなものだ。思わず膝を正して「申しわけありません!」と声に出してしまった次第。

 更に追い打ちをかけるように、

 お寺の鐘は鐘をつく者の力と心に応じて鳴るのであります。(202p)

 と書かれた暁には、「オレの場合、力は漲(みなぎ)っているのだが、爪楊枝で叩いているようなものだな」と全てを見透かされているような気がした。しかしながら、

 ともかく、文字という固い、不動なものをつき貫(ぬ)いて、その奥にある動的な、というよりも燃えていると言ったほうがいいと思われる思想そのものをとらえねばならないのです。もしここでさらに別の比喩をもってまいりますなら、書物を読むとは、火山の上に噴き出しているエネルギーそのものを知ることであります。(189p)

 との一文には震えたね。「そう、それなんだよ、読書の醍醐味は」と。

 考え抜く厳しさが言葉の端々に光っている。

「自分で考える」ことによって人生は深みを増し、個性は輝き、真の人間として限りなく向上しゆくのであろう。

他人によってつくられた「私」/『西田幾多郎の生命哲学 ベルクソン、ドゥルーズと響き合う思考』檜垣立哉、『現代版 魔女の鉄槌』苫米地英人

1999-02-09

生死を超えた母子の絆/『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子、東晋平


『がんばれば、幸せになれるよ 小児ガンと闘った9歳の息子が遺した言葉』山崎敏子
『いのちの作文 難病の少女からのメッセージ』綾野まさる、猿渡瞳
『「疑惑」は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私』河野義行
『淳』土師守
『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子

 ・生死を超えた母子の絆

加害男性、山下さんへ5通目の手紙 神戸連続児童殺傷事件
神戸・小学生連続殺傷事件:彩花さんの母・京子さん手記全文「どんな困難に遭っても、心の財だけは絶対に壊されない」
元少年A(酒鬼薔薇聖斗)著『絶歌』を巡って
『心にナイフをしのばせて』奥野修司
『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たち』ジュリアス・シーガル
『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』ヴィクトール・E・フランクル:霜山徳爾訳
『それでも人生にイエスと言う』ヴィクトール・E・フランクル
『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ
『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編
『石原吉郎詩文集』石原吉郎

必読書リスト その一

 いまだ闘い続ける女性から再びのメッセージである。

 平成9年暮れに『彩花へ 「生きる力」をありがとう』を出版。年が明け、読者から続々と手紙が寄せられ、あっという間にその数1000通に及んだという。

 あなたがいてくれるから──。亡くなった娘が、見ず知らずの多くの人々の心の中で生き続けていることほど、今の私にとってうれしいことはありません。

【『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子、東晋平〈ひがし・しんぺい〉(河出書房新社、1998年/河出文庫、2002年)以下同】

 この本は読者への感謝を込めて綴られた母からの返事である。

 第1章が前作の出版の経緯とその後、次に『私たちこそ「生きる力」をありがとう』と題して読者からの手紙を紹介。そして、最後に構成を手掛けてきたジャーナリスト・東晋平による解説、の3章で構成されている。

 感動がまざまざと蘇る。山下彩花という少女が私の中で息づく。私は既に彼女を知っている。10年という歳月を流れる星の如く駆け抜けるように生き、死して尚、幾十万の人々に希望の光を降り注ぐ、鮮烈なる魂の持ち主。犯人とされる少年が振るったハンマーも、彼女の魂にかすり傷ひとつ負わせることはできなかったに違いない。

 山下さんは言う、「私は決して強くなんかない」と。「悲しみを乗り越えたわけでもない」と。反響の大きさに驚きながらも、自分への過大な評価を斥(しりぞ)ける。「たしかに、立ち直る努力はしています。でも、そんなに簡単なものではないのです。1年半を過ぎた今でも、泣かない日は1日たりともありません。大事な大事な子供を他人の手で奪われて、立ち直れるような母親はいないでしょう」。

 彼女を特別視して得られるのは「自分には無理だ」との諦観に他ならない。それでは、いくら感動しても、たちどころに冷めてしまうだろう。そうした行為自体が底の浅い己自身となって跳ね返ってくるのだ。挙げ句の果てには、泣いたり笑ったりということがテレビの前でしかできないようになるだろう。

 だが、私は敢えて言おう「彼女は強い」と。強がるような素振りを見せないのがその証拠だ。ありのままの自分をさらけ出し、自分の弱さをも否定しようとはしない。そこに強靱なしなやかさが秘められている。「疾風に勁草を知る」(疾風が吹いて強い草がわかる)との俚諺(りげん)があるが、そうした「心の勁(つよ)さ」を感じてならない。バネのような弾力をはらんだ瑞々しい人間性。それは「汝自身を知る」者の強さなのだ。

 一周忌を終え、5月に納骨。その際、錯乱に近い悲しみに襲われた事実が書かれている。悲しみにのたうちまわる中で、山下さんは一つの哲学を見出す。

 人間として生きていくうえには、深く悲しむこともまた必要なのだ。

 そして、「悲しむということは、自分とその人との関係を深く考えること」であり「深く悲しむことができる人のみが、深い喜びと深い怒りを知ることができるのだ」と。

 実際に地獄を経験した者のみが知り得る言葉は、悟性の輝きに包まれている。

 第3章で東晋平が、

 あの戦時中、中国大陸で生体実験や虐殺に手を染めた医師や兵士の大半が、わずかな罪の意識をを抱きつつも、あれは戦争の狂気だったのだと割り切って、罪の意識に苛まれることもなく戦後を生きているのです。
 殺された者が自分と同じ人間であるということすら想像できず、その悲しみに共感する能力が欠落していたがゆえに、自分の行為への悲しみも感じない。自分が背負うべき重圧と悲しみを、軍隊という集団に預けて、自分が傷つかないように生きてきたのでしょう。

 と敷衍(ふえん)している。

 悲しみを心に深く抱き続けながら、それを価値へと変えていく生き方を知ることができました。(中略)そういう生き方を見いだしていくことができれば、私たちは人生のどんな苦悩や失敗も、未来のための財産に変えていかれるような気がします。

 涙の海の涯(はて)から金色の太陽が昇る。

 第2章の圧巻は東京都世田谷区の大野孔靖くん(小学校4年生)。

 すごい本ですね。この文は、人間に本当のことをおしえてくれるすごい文です。はじめは、この事けんで悲しかったのに本当にこんなすごい文ですごいと思いました。ぼくは「自分で自分とたたかい、自分をすこしでもよくしていくのです」というところがよかったです。ぼくは、自分で自分とたたかってよくしていきたいです。

 偉いっ! と私は膝を打った。さすが諸葛孔明と井上靖を併せたような名前を持つだけのことはある。子供の直観が見事に本質を捉えている。たどたどしい文章がかえって感動を鮮やかに表現している。

 言葉を紡ごうとするよりも静かに内省するがいい、そんな気分に浸される。軽佻浮薄で小賢しい評論、世俗の垢(あか)にまみれた貪欲な宗教、問題の全てを子供に押しつける教育、そうした暗雲を遙か下方に見下ろし、山下さんの言葉は無窮を遍(あまね)く照らす。

 我が娘を喪い、生命の尊厳さを思い知った母は、多くの青少年の自殺に心を痛め、次のように語る。

 けれども私は今、思うのです。死にたくなるほど苦しい思いをしたときが、人間が本当に幸福になっていくチャンスなのだと。自分の人生を、大きく変えていくときなのだと。
 苦しいとき、辛いとき、虚しいときには、目をつぶらないで、その悲しみと徹底的につきあうことです。ハラを決めて、水底まで沈んでみることです。深く深く悲しめば、必ず新しい力が湧いてきます。
 自分が変われば、必ず何かが動き始めます。死ぬ勇気を、自分の変革に向けていくのです。他人に苦しめられているように思えることでも、全部、自分の人生なのです。そうであれば、自分で新しい道を切り開くしかありません。
 その、人間の生命の深い方程式が見えてくると、身に起こるあらゆる不幸も、悲しみも、苦しみも、自分の人生を飾る意味のあるものに見えてくるはずです。
 この世に必要のない人間なんて1人もいませんし、価値のない人間も1人もいないはずです。自分には価値がないように思えるときがあっても、決めつけないで、自分で価値ある自分をつくっていけばいいのだと思います。(中略)
 人間には、価値を創り出していくすごい力があります。
 生きている人間に、何ができないといえるでしょうか。

 この言葉を聞けば自殺せずにすんだ子供も山ほどいただろう。なんと優しく、力強い言葉だろう。悲母観音さながらではないか。

 市井にこうした人物がいるという事実に、まだまだ日本も捨てたものではない、と心を強くした。河野義行さん(『「疑惑」は晴れようとも』文藝春秋、『妻よ! わが愛と希望と闘いの日々』潮出版社)にしてもそうだが、平凡にして偉大な人物はいるものだ。

 生死(しょうじ)を超えた母子の絆に永遠を感じた。