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2015-01-05

人類は進歩することがない/『人生の短さについて 他二篇』セネカ:茂手木元蔵訳


 ・我々自身が人生を短くしている
 ・諸君は永久に生きられるかのように生きている
 ・賢者は恐れず
 ・他人に奪われた時間
 ・皆が他人のために利用され合っている
 ・長く生きたのではなく、長く翻弄されたのである
 ・多忙の人は惨めである
 ・人類は進歩することがない

『怒りについて 他一篇』セネカ:茂手木元蔵訳
『怒りについて 他二篇』セネカ:兼利琢也訳

必読書リスト その五

 三十代の半ばを過ぎて「そろそろ人生も折り返し地点か」と気づいてはいたのだが、あっと言う間に五十の坂を越えてしまった。「あと何冊の本を読めるだろうか?」と計算すると余生の短さに愕然とする。1年に100冊読んだとしても2000冊か3000冊しか読めないのだ。本の冊数で計算するところが古本屋の悲しい性(さが)である。

 まあそんなわけで、今年からしっかり勉強するべくノートを取ることにした。先ほど1ページ余り書いた。書きながら既にうんざりしている自分がいた。書く文字も少しずついい加減になってきて先が思いやられる。

 今年はセネカから読み始めることにした。自由意志を「心の平静さ」に求めるセネカの姿勢はブッダの教えと相通ずる。何にも増して私はその文体に心酔する。彼こそは男の中の男だ。

 しかし、われわれは短い時間をもっているのではなく、実はその多くを浪費しているのである。(9頁)

【『人生の短さについて 他二篇』セネカ:茂手木元蔵〈もてぎ・もとぞう〉訳(岩波文庫、1980年//ワイド版岩波文庫、1991年)以下同】

 われわれは短い人生を受けているのではなく、われわれがそれを短くしているのである。われわれは人生に不足しているのではなく濫費しているのである。(10頁)

 諸君は永久に生きられるかのように生きている。諸君の弱さが諸君の念頭に浮ぶことは決してない。すでにどれほどの時間が過ぎ去っているかに諸君は注意しない。充ち溢れる湯水でも使うように諸君は時間を浪費している。ところがその間に、諸君が誰かか何かに与えている1日は、諸君の最後の日になるかもしれないのだ。諸君は今にも死ぬかのようにすべてを恐怖するが、いつまでも死なないかのようにすべてを熱望する。(15頁)

 2000年という時を経てセネカの言葉が私の胸を打つ。文明は進歩しても人類は進歩することがない。なぜならば知識を与えることはできても、徳や豊かな感情を与えることはできないためである。やはりどう考えても人生は短い(笑)。

 今日は満月である。冬の月は軌道が高い。人間が寝静まる世界を冴え冴えとした光で照らす。明日になれば月はほんの少し欠ける。やがて新月となる。過ぎ去った時間や残された時間を意に介することなく月は昇り、そして沈む。

 宇宙における森羅万象が引力と斥力(せきりょく)の影響を受けながら回転している。その回転が螺旋(らせん)状に上がってゆくのか下がってゆくのが問われる。学べ。死ぬまで学べ。内なる精神の新しい地平を開くために。

2014-03-21

多忙の人は惨めである/『人生の短さについて』セネカ


 ・我々自身が人生を短くしている
 ・諸君は永久に生きられるかのように生きている
 ・賢者は恐れず
 ・他人に奪われた時間
 ・皆が他人のために利用され合っている
 ・長く生きたのではなく、長く翻弄されたのである
 ・多忙の人は惨めである
 ・人類は進歩することがない

『怒りについて 他一篇』セネカ:茂手木元蔵訳
『怒りについて 他二篇』セネカ:兼利琢也訳

必読書リスト その五

 誰彼を問わず、およそ多忙の人の状態は惨めであるが、なかんずく最も惨めな者といえば、自分自身の用事でもないことに苦労したり、他人の眠りに合わせて眠ったり、他人の歩調に合わせて歩き回ったり、何よりもいちばん自由であるべき愛と憎とを命令されて行なう者たちである。彼らが自分自身の人生のいかに短いかを知ろうと思うならば、自分だけの生活がいかに小さな部分でしかないかを考えさせるがよい。

【『人生の短さについて』セネカ:茂手木元蔵〈もてぎ・もとぞう〉訳(岩波文庫、1980年/ワイド版岩波文庫、1991年)】

 大西英文による新訳が出ているが私は茂手木訳を推す。音楽にはリズムとメロディーがあるが文章には文体しかない。それゆえ文体こそが文章の魂なのだ。翻訳と通訳は異なる。文体の調子が低いと読み手の思考にノイズが混入する。

 ルキウス・アンナエウス・セネカ(紀元前1年頃-65年)は2000年前の人物である。軸の時代の一人といってよい。

 鮮やかな描写が資本主義に鞭を振るう。現代人は多忙である。生産性を追求するために。セネカの指摘を避けることができる人は一人もいないだろう。我々は自分の人生を歩むことがない。社会に敷かれたレールの上で他人が決めた価値観に基いてひたすら成功を目指しているだけだ。


 恐るべきは「愛と憎とを命令されて行なう者たち」との一語である。国粋主義者、信者、党員、ファンを見よ。彼らは自我の空白を埋めるために主義主張を展開し、敵と味方を峻別する。商人や営業マンも同様だ。彼らにとっては商品を買ってくれる客だけがよい客なのだ。そして資本主義は万人を商売人に変えた。

 自由にメッセージを発信できるインターネットの世界においても、アクセス・ブックマーク・被リンク・フォロワー・リツイート・いいね!の数を我々は競う。メッセージはやがてアフィリエイトや広告に寄り添い、取るに足らないマーケティングが進行する。テキストはカネに換算され、人物もまた収入で判断される。

 人生は短い。年を重ねるごとにその思いは深まる。ならばやはり自分の好きなことをするのが一番正しいあり方だ。好きなことは継続できる。何にも増して自由を味わえる。私が曲がりなりにも十数年にわたってブログを続けることができたのは、本を読むのが好きな上、紹介することも好きだからだ。アクセス数や本の売り上げなんぞを気にしていれば長く続けることは難しい。それ自体を楽しむことが人生の秘訣だ。

 競争から離れた位置に身を置くことが大切だ。元々仏教の出家にはそういう目的があったに違いない。たった独りになる時間、好きなことをする時間、何ものにもとらわれない自由な時間。私はこれを「出家的時間」と呼ぶ。世俗の塵埃(じんあい)から離れるところに自分だけの聖なる瞬間が開ける。

2014-01-08

怒りは害を生む/『怒りについて 他一篇』セネカ:茂手木元蔵訳


『人生の短さについて』セネカ:茂手木元蔵訳

 ・怒りは害を生む

『怒りについて 他二篇』セネカ:兼利琢也訳

必読書リスト その五

 ノバトゥスの兄上、あなたは私を動かして、一体どうすれば怒りは静められるかについて書くように求めたが、あらゆる感情のうちで取りわけ疎(うと)ましく気狂いじみたこの感情を、特にあなたが恐れているのは無理からぬことと思う。なぜかと言えば、これ以外の感情には何らかの安らかさ・静かさも含まれているが、この感情だけは全く激烈であって、憎しみの衝動に駆(か)られて、武器や流血や拷問(ごうもん)という最も非人間的な欲望に猛り狂い、他人に害を加えている間に自分を見失い、相手の剣にさえも飛びかかり、復讐者(ふくしゅうしゃ)を引きずり回して、是が非でも復讐を遂げさせようとするからである。それゆえ或る賢者たちは、怒りを短期の気狂いだと言っている。

【「怒りについて」/『怒りについて 他一篇』セネカ:茂手木元蔵〈もてぎ・もとぞう〉訳(岩波文庫、1980年)】

 昨年暮れに兼利琢也〈かねとし・たくや〉訳(岩波文庫、2008年)を中ほどまで読んだ。セネカの崇高な精神が降りしきる雨のように私を打った。本を閉じて目をつぶった。「襟を正して最初から読み直すべきだ」と思わざるを得なかった。ブッダとクリシュナムルティを除けば、これほど心を揺さぶられたことはない。セネカは生きる姿勢や態度を教えてくれる。

 勢いあまった私は茂手木元蔵訳から取り組むことにした。正解であった。実は内容が異なるのだ。茂手木訳の他一篇は「神慮について」で、兼利訳の他二篇は「摂理について」と「賢者の恒心について」となっている。もちろん2冊とも「必読書」に入れた。

 翻訳比較も行う予定なので冒頭のテキストから紹介する。尚、まだ読了していないことを付記しておく。

「気狂い」はルビを振っていないが「きちがい」と読んで差し支えないだろう。怒りは害を生む。怒りはすべてを忘れさせ、相手を傷つけ、自分を損なう。セネカはあらゆる角度から怒りを論じ、数多くの絶妙な比喩を示して怒りを解明する。賢明さが理性とセットであれば、怒りは愚かとセットなのだろう。

 直情径行で怒りやすい性格の私であるがゆえにわかるのだが、怒りは常に殺意を伴っている。人を殺すことは簡単だ。「殺すことが正しい」と思えば。あるいはそう「思い込ませれば」よいのだ。その瞬間、理性はどこかへ去っている。相手の家族や友人を思うほどの余裕もない。怒りは崩壊の音色を奏でる。あらゆる暴力は怒りに支えられていることを知るべきだろう。

 セネカの前では三木清の言葉も色褪せる。

蛇の毒/『ブッダのことば スッタニパータ』中村元訳

 三木は弱い人間であったのだろう。だからこそ怒りにしがみついたのだ。

 おお、ルキウス・アンナエウス・セネカ(紀元前1年頃-65年)よ、私はブッダとクリシュナムルティを父と恃(たの)み、あなたを兄と慕う。

 もうひとつ付言しておくと、『人生の短さについて 他二篇』茂手木元蔵訳(岩波文庫、1980年)と『生の短さについて 他二篇』大西英文訳(岩波文庫、2010年)は茂手木訳の方が断然よい。



今日、ルワンダの悲劇から20年/『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ