2015-03-07
2015-03-06
2015-03-05
2015-03-04
2015-03-03
クリシュナムルティ:心の本質 第4部「健全な心とは?」
・クリシュナムルティ:心の本質 第1部「心理的無秩序の根源」
・クリシュナムルティ:心の本質 第2部「心理的苦痛」
・クリシュナムルティ:心の本質 第3部「安心の必要性」
・クリシュナムルティ:心の本質 第4部「健全な心とは?」
神経が冴えて眠ることができない。注意深く聴くとわかるが、クリシュナムルティは対談においても講話においても全く同じ話しぶりである。彼にとっては講話もまた対話なのだろう。時折、自分の内側を見つめるかのように目を閉じるのも同じである。講話の際、クリシュナムルティは自らのことを常々「スピーカー」(話し手)と称した。彼の存在を一言でいえば、「そこに清らかで情熱的な振動がある」としか言いようがない。彼は波動である。
(※字幕表示と字幕の日本語への自動翻訳)
今現在の私の認識では、クリシュナムルティの教えは戒律とサンガを否定した仏教ということになる。この二つは「学校」と考えていいかもしれない。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2015, 3月 3
・断片化の要因/『生の全体性』J・クリシュナムルティ、デヴィッド・ボーム、デヴィッド・シャインバーグ
2015-03-02
クリシュナムルティ:心の本質 第3部「安心の必要性」
・クリシュナムルティ:心の本質 第1部「心理的無秩序の根源」
・クリシュナムルティ:心の本質 第2部「心理的苦痛」
・クリシュナムルティ:心の本質 第3部「安心の必要性」
・クリシュナムルティ:心の本質 第4部「健全な心とは?」
ここで繰り広げられているのは「語る瞑想」であり「聴く瞑想」である。傾聴とは完全なコミュニケーションを意味するのだろう。クリシュナムルティは専門用語や難解な言葉を一つも使わずに「生の全体性」を解き明かす。
クリシュナムルティ:心の本質 第2部「心理的苦痛」
・クリシュナムルティ:心の本質 第1部「心理的無秩序の根源」
・クリシュナムルティ:心の本質 第2部「心理的苦痛」
・クリシュナムルティ:心の本質 第3部「安心の必要性」
・クリシュナムルティ:心の本質 第4部「健全な心とは?」
鮮烈な「問い」が放たれる。クリシュナムルティの前では超一流の科学者であるデヴィッド・ボームやルパート・シェルドレイクでさえ、我々と同じ凡人に見えてしまう。ブッダもまた「問う人」であった。クリシュナムルティが説く「イメージ」は、トール・ノーレットランダーシュが解明した「利用者の錯覚」(ユーザーイリュージョン)と一致する。
2015-03-01
クリシュナムルティ:心の本質 第1部「心理的無秩序の根源」
・クリシュナムルティ:心の本質 第1部「心理的無秩序の根源」
・クリシュナムルティ:心の本質 第2部「心理的苦痛」
・クリシュナムルティ:心の本質 第3部「安心の必要性」
・クリシュナムルティ:心の本質 第4部「健全な心とは?」
デヴィッド・ボーム(理論物理学者)、ルパート・シェルドレイク(生物学者)、ジョン・ヒドレー(精神科医)との座談会。いやあ凄い時代になったものだ。自動翻訳がここまで正確になるとは(公式サイトの動画らしい)。会話が慎重に行われるため、ややもたついた印象を受けるが決してそうではない。真のコミュニケーションはスピードを嫌う。傾聴には一定の速度があるのだ。クリシュナムルティは対談で熱が入ると額にうっすらと汗をかき、神々しいほどの光を発する。「私は伝承を拒絶する」「宗教的信念は束縛である」との言葉が雷のように轟く。「安全への欲求」に対する考察が深められ、そして最後の一言で聴く者は木っ端微塵となる。
・自分が変わると世界も変わる/『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳
2014-12-28
2014-12-19
クリシュナムルティ、瞑想を語る
・『ブッダが説いたこと』ワールポラ・ラーフラ
・『ブッダとクリシュナムルティ 人間は変われるか?』J・クリシュナムルティ
・クリシュナムルティ、瞑想を語る
仏教者との対談である。相手は仏教論に持ち込もうと頑張っているが、クリシュナムルティは取り合わない。瞑目しながら、自己の内部を凝視しながら、言葉の選択からも離れて、クリシュナムルティという存在は振動する。
この仏教者とは何度か対談しているようだ。
日本語訳を切望。仏教者のようだがビビリまくって演説。/Krishnamurti - Can Humanity Change - 1. We Are All Caught In The Idea Of Progres. sub esp http://t.co/DN6PfBOhqS
— 小野不一 (@fuitsuono) 2013, 12月 5
クリシュナムルティは「イエッサー」と敬語を使い、静かに語る。勝負あり。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2013, 12月 5
これがブッダの弟子だとすれば情けない限りだ。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2013, 12月 5
ブッダに寄りかかっているだけの愚か者だ。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2013, 12月 5
クリシュナムルティはあらゆる宗教を否定しながらも、ブッダに最大の親近感を抱いていた。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2013, 12月 5
卑屈な男だ。自分の眼前にいるのはブッダとも気づかずに。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2013, 12月 5
目は口ほどにものを言う。たぶん本当は違う。言語を獲得する以前は目でコミュニケーションを図っていたのだろう。だから「口は目ほどにものを言う」が正しい。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2013, 12月 5
それが証拠に優れた映画やドラマは必ず「目にものを言わせる」。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2013, 12月 5
2014-11-26
5分で知るクリシュナムルティの教え(「変化への挑戦」より)
クリシュナムルティは講話をしながら瞳を閉じることが多い。だが実は違う。彼は内側を見つめているのだ。つまり聴き手と同時に自分自身とも対話をしているのである。
・日本語初のDVDブック/『変化への挑戦 クリシュナムルティの生涯と教え』J・クリシュナムルティ
2014-07-16
2014-06-30
2014-06-06
2014-05-20
2014-05-06
2014-04-30
2014-04-01
2014-03-24
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