・『科学と宗教との闘争』ホワイト
・『思想の自由の歴史』J・B・ビュァリ
・『聖書vs.世界史 キリスト教的歴史観とは何か』岡崎勝世
・『世界史とヨーロッパ』岡崎勝世
・『4日間集中講座 世界史を動かした思想家たちの格闘 ソクラテスからニーチェまで』茂木誠
・世俗化とは現実への適応
・ガッテラー『世界史』(1785) 普遍史から世界史へ
・キリスト教を知るための書籍
・世界史の教科書
ガッテラーは、次の『世界史』では、先に多大な労苦を重ねて練り上げた『普遍史的序説』の叙述様式を一変させた。それまでの「普遍史」というタイトルを棄てて「世界史」とし、構成も記述内容も、さらには、エジプト史で見たような涙ぐましいほどの努力をして死守した年号体系までも、変えてしまうのである。
【『科学vs.キリスト教 世界史の転換』岡崎勝世〈おかざき・かつよ〉(講談社現代新書、2013年)以下同】
史料批判はレオポルト・フォン・ランケ(1795-1886年)に始まるが、ヨハン・クリストフ・ガッテラー(1727-1799年)に曙光を見ることができよう。それは聖書に向けられた「疑いの眼差し」であった。
「ガッテラーの苦渋」は宗教的感情と科学的理性のせめぎ合いを示しており、キリスト教普遍史を脱却したところに科学が成した革命の軌跡が見出せる。
上記テキストの前にはこうある。
近世に入ると、一方で普遍史は「科学革命」をはじめ様々な要因から危機を迎え、普遍史の背景となってきた聖書年代学自体が動揺し、「年代学論争」が発生した。さらに18世紀後半になると、歴史学に「コペルニクス的転回」をもたらしたヴォルテールらによって歴史学の「科学化」が推進され、進歩史観と、まだ荒削りであったにしても、新たな文化史的世界史とが提案された。しかもビュフォンによって、それは自然史と結びついた形で記述されるに至った。普遍史に対抗し得る内実を持った歴史観と世界史像が提出されるというかつてない新事態を受け、新旧二つの歴史観のせめぎ合いを正面から受け止めて新たな道を切り開いていったのが、ガッテラーであった。
これには、彼が奉職したゲッティンゲン大学の性格も関与している。ハノーバー選帝侯ゲオルク・アウグスト(英王としてはジョージ2世)が1737年に創建したこの大学は、イギリスとの同君連合の関係が幸いして、他のドイツ大学と違い神学部の大学支配を排除した、ドイツで最も自由な大学であった。またそこから、啓蒙主義や自然諸科学はじめ、イギリスやヨーロッパで生まれた新潮流に対するドイツの窓口となっていたのである。
こうして見ると大学が学問と知識を教会から解放した様子がよくわかる。
本書は一度挫折している(今回はあと1/4で読了)。面白く読むためにはある程度の知識が必要で、素人が興味本位で手を出すと痛い目に遭う。「大体どうしてキリスト教の錯誤に付き合わないといけないんだ?」と100万回くらい思う羽目になる。人類は過ちを正すために長大な時間をかけてきた。フン、合理性なんぞは所詮絵に描いた餅だ。ヒトの脳を過信しないことが大切だ。我々の脳は物語に支配されて事実をありのままに見つめることができないのだから。
日本にルネサンスと宗教改革があったのは確かだ(『情報社会のテロと祭祀 その悪の解析』倉前盛通)。しかし啓蒙思想が興ったようには見えない。明治維新における攘夷から開国への転換は飽くまでも外圧によるものだ。ただ、歴史的にキリスト教のような蒙(くら)さに覆われることがなかったのもまた確かである。