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2021-05-05

貝印の旬シリーズ/『ゴースト・スナイパー』ジェフリー・ディーヴァー


『ボーン・コレクター』ジェフリー・ディーヴァー
・『コフィン・ダンサー』 ジェフリー・ディーヴァー
『エンプティー・チェア』ジェフリー・ディーヴァー
・『石の猿』ジェフリー・ディーヴァー
・『魔術師(イリュージョニスト)』ジェフリー・ディーヴァー
・『12番目のカード』ジェフリー・ディーヴァー
『ウォッチメイカー』ジェフリー・ディーヴァー
『ソウル・コレクター』ジェフリー・ディーヴァー
『バーニング・ワイヤー』ジェフリー・ディーヴァー

 ・貝印の旬シリーズ

・『スキン・コレクター』ジェフリー・ディーヴァー
・『スティール・キス』ジェフリー・ディーヴァー
・『ブラック・スクリーム』ジェフリー・ディーヴァー
・『カッティング・エッジ』ジェフリー・ディーヴァー

 後部座席に置いていたスーツケースから宝物の一つを取り出した。愛用の料理用ナイフ――貝印“旬”(しゅん)シリーズのスライスナイフ。刃渡り22センチ、日本の関(せき)市で鍛冶職人によって一つひとつ作られたもので、刃の部分にこのブランドの特徴的な槌目(つちめ)模様が入っている。刃の芯材はV金10号、そこにダマスカス鋼を32層重ねて作られたものだ。柄の材質はクルミ、価格は250ドル。同じ会社のさまざまな形状やサイズのナイフを何本も持っているが、なかでも気に入っているのはこのスライスナイフだ。我が子のように愛している。魚を下ろすのにも使うし、牛肉をカルパッチョ用に透けるほど薄く切るのにも、また人間にモチベーションを与える道具としても使う。

【『ゴースト・スナイパー』ジェフリー・ディーヴァー:池田真紀子訳(文藝春秋、2014年/文春文庫、2017年)】

 夢は断片的な情報がストップモーションで次々に現れるのだが目覚める直前に脳が物語化する。細切れの情報が脈絡のあるストーリーとして再構成されるのだ。記憶もまた同様で当てにはならない。『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』の後で本書を読んだと思い込んでいたのだが実は逆だった。

 いずれにせよ大した料理もできない私が庖丁を強く意識したのはこれら二つのテキストによるところが大きい。脳に刻印されたのは鋼(はがね)と貝印だ。そして最近、庖丁研ぎに目覚め、次に購入すべき庖丁を探していた時に、月寅次郎氏のサイトと出くわした(家庭用のおすすめ庖丁)。強く望めば歩むべき道を見出すことができる。

 では犯人が愛用している庖丁をご覧いただこう。


 月寅氏の旬シリーズ(貝印の海外向けブランド)に対する評価は「ロゴもダサい上、コストが悪い」と辛辣だ(関孫六・旬(貝印)- 包丁ブランドの解説(1))。

 驚くべきはジェフリー・ディーヴァーの見識だろう。ひょっとすると実際に使っているのかもしれない。最後の「人間にモチベーションを与える」という言葉が庖丁の切っ先のように突き刺さる。「痛めつける」でもなく、「従わせる」でもない。やる気を出させるのだ。

 最後に最近見つけた外国人掲示板の翻訳ページをいくつか紹介しよう。

外国人「日本の刀匠はこうやって包丁を削っていくらしいぞ」 : 海外の万国反応記@海外の反応
海外「日本製の包丁が好きな外国人、ちょっと集合してくれ」 : 海外の万国反応記@海外の反応
「間違いなく世界最高峰の職人芸」 岐阜県の刃物まつりに参加した外国人がクオリティに感嘆 : 海外の万国反応記@海外の反応

2016-10-15

電気を知る/『バーニング・ワイヤー』ジェフリー・ディーヴァー


『ボーン・コレクター』ジェフリー・ディーヴァー
・『コフィン・ダンサー』 ジェフリー・ディーヴァー
『エンプティー・チェア』ジェフリー・ディーヴァー
・『石の猿』ジェフリー・ディーヴァー
・『魔術師(イリュージョニスト)』ジェフリー・ディーヴァー
・『12番目のカード』ジェフリー・ディーヴァー
『ウォッチメイカー』ジェフリー・ディーヴァー
『ソウル・コレクター』ジェフリー・ディーヴァー

 ・電気を知る

『ゴースト・スナイパー』ジェフリー・ディーヴァー

 人は5000年以上前に電気というものを知って以来、畏怖と恐怖を抱いてきた。電気(electricity)の語源はギリシャ語の“琥珀”(こはく)だ。古代人は、樹脂の化石である琥珀をこすって静電気を起こしていたからだ。エジプトやギリシャ、ローマの川や沿岸地域に生息するうなぎや魚が発する電気に触れると体が痺れる現象は、西暦紀元のはるか以前に著された科学文献にもすでに詳しく説明されている。

【『バーニング・ワイヤー』ジェフリー・ディーヴァー:池田真紀子訳(文藝春秋、2012年/文春文庫、2015年)以下同】

 リンカーン・ライム・シリースの第9作で、『ウォッチ・メイカー』(第7作)の変則的な続篇である。系統としては『青い虚空』と同じくライフラインをコントロールするテロだ。犯人は送電システムを自由自在に操り、ニューヨーク市への送電を予告なしに50%削減することを要求する。

 ジェフリー・ディーヴァーの作品は謎解きに目を奪われると、どんでん返しというパターンが食傷気味になってしまう。ゆえに蘊蓄(うんちく)本として読むのが正しい。「電気を知る」と思えばこれに優る良書はない。

「人を死なせるには、何アンペア必要だと思いますか。交流電流で100ミリアンペア。それだけであなたの心臓は細動を起こす。あなたは死んでしまうんです。100ミリアンペアは、1アンペアのたった10分の1ですよ。電気店で売ってるごく一般的なヘアドライヤーは10アンペア消費する」
「10アンペア?」サックスはかすれた声で訊き返した。
「そうです。ヘアドライヤーの一つで。10アンペア。ちなみに、電気椅子も10アンペアで職務を果たします」

 その微量に驚かざるを得ない。尚、原文はどうあれ「一つで」の後は読点にすべきだろう。校正が甘い。

 人体は電気信号で動いている。脳波や心電図は電気活動を記録したものだ。神経とは「神気の経脈」の謂(いい)で日本語初の翻訳書『解体新書』(オランダ語『ターヘル・アナトミア』前野良沢〈翻訳係〉と杉田玄白〈清書係〉)の訳語である。

「気」が精神と物質との双方を包摂した概念であり、「気」は純度に応じ「精」「気」「神」に細分され「精」においては物質的、「神」においては精神作用も行うとされる。

Wikipedia - 精神

 気功の気も電気に通じているように私は思う(『気功革命 癒す力を呼び覚ます』盛鶴延)。

 都市機能を維持するライフラインは人体における神経や血管同様、密接につながり、滞ることがない。ライフラインの破壊を企てるテロは刺傷行為そのものだ。冒頭で犯人は「シビレエイのように」身を潜(ひそ)ませる。この一語に込められた諷意はソクラテスの賢さだ。被害者の動きは突然止まり、体が反り返り、ジュウジュウと音を立てながら黒焦げの死体と化す。西洋人であれば「神の怒り」を思わずにはいられないだろう。

 去る10月12日、東京で58万6000戸に及ぶ大規模停電があった。古くなった地下送電ケーブルの燃焼が原因で、35年前に設置された同型のケーブルは首都圏で1000kmもあるという。都市という名の巨人を支えているのは脆弱(ぜいじゃく)なインフラであった。東京オリンピック(1964年)前後に整備されたインフラが綻び始めたのは1990年代からで、広島新交通システム橋桁落下事故(1991年)、豊浜トンネル岩盤崩落事故(1996年)を皮切りに橋とトンネルが老朽に耐えられなくなった。「1930年代からインフラ建設が盛んになったアメリカでは、1960年代後半から、橋の事故が続発」(「橋の安全を考える」藤野陽三)した経緯を思えば、この国は「学ぶ力」を欠いていたと言わざるを得ない。介護の問題と全く同じである(『恍惚の人』有吉佐和子)。

「成熟しない社会」と言えばそれまでだが根はもっと深い。近代化の過程で克服し得なかったエートスが脈々と受け継がれているのだ(『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹)。我が国では合理性が小集団の利益を意味する。明治維新以降、藩閥政治が始まり現在に至るまで村意識を脱却することがない。規制緩和は新たな利権を生むだけで古い構造はびくともしない有り様だ。戦前は武士道のエートスがあったが個人の領域にとどまっていた。そして歴史は既に改竄(かいざん)されている。

2014-03-01

超高度化されたデータ社会/『ソウル・コレクター』ジェフリー・ディーヴァー


『ボーン・コレクター』ジェフリー・ディーヴァー
・『コフィン・ダンサー』 ジェフリー・ディーヴァー
『エンプティー・チェア』ジェフリー・ディーヴァー
・『石の猿』ジェフリー・ディーヴァー
・『魔術師(イリュージョニスト)』ジェフリー・ディーヴァー
・『12番目のカード』ジェフリー・ディーヴァー
『ウォッチメイカー』ジェフリー・ディーヴァー

 ・超高度化されたデータ社会

『バーニング・ワイヤー』ジェフリー・ディーヴァー
『ゴースト・スナイパー』ジェフリー・ディーヴァー

 2年前に読んだ時は「やがてそんな時代がくるのか」と思った。そして今実現しつつある。ビッグデータを始め、広告や検索結果のパーソナライズド化など。更にフェイスブックの登場がウェブ空間に実名主義をもたらし、プライバシーを本人が垂れ流すという奇妙な事態が現れた。ツイッターでは現在進行形のいたずらや悪事を紹介し、飲食店が閉鎖に追い込まれるケースが続いた。

 あらゆる情報はデータとなり管理される時代となったのだ。ディストピアの現実化だ。

 しかし、ほかのすべてのものと同じように、まもなく紙幣にもタグ――RFIDが付くようになるに違いない。すでに導入している国もある。銀行は、どの20ドル札がどのATMや銀行から誰の手に渡ったか、追跡することができる。その札が〈コカ・コーラ〉や愛人に贈るブラジャーを買うのに使われたのか、殺し屋を雇うのに使われたのかだって当然わかるわけだ。ときどきこう思うことがある。黄金を通貨代わりにしていた時代に戻ったほうが幸せなのではないかと。
 網の目につかまらぬように。

【『ソウル・コレクター』ジェフリー・ディーヴァー:池田真紀子訳(文藝春秋、2009年/文春文庫、2012年)以下同】

 一昔前まで監視カメラはプライバシー侵害の象徴として人々から忌み嫌われていた。それが特異な猟奇的犯罪が起こるたびに設置箇所が増え、現在では防犯カメラと呼ばれて安心の代名詞となった。アメリカではITバブルの後にセキュリティ・バブルが興ったという指摘もある(『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン)。

 Nシステム(自動車ナンバー自動読取装置)も政治的議論を経ずに設置されている。

 紙幣にタグを付ければ人々の欲望の流れが丸見えとなる。細かな流れがわかれば、そこから支流へ導いて大河を形成することも可能になる。

「(データマイナーとは)名前のとおりのものです。情報サービス会社ですよ。顧客の個人情報や購入履歴、住居、車、クレジットカードの利用履歴……とにかく、ありとあらゆるデータを採掘(マイン)するんです。集めた情報を分析して、販売する。で、企業はそれを利用して市場の動向を把握したり、新しい顧客を獲得したり、ダイレクトメールを送る顧客を絞りこんだり、広告戦略を練ったりするわけです」

 本書に登場する殺人鬼はデータマイニングに通じ、まったく関係のない第三者を犯人に仕立て上げる。それどころか物証まで用意するのだ。従兄弟が被害者となったことでリンカーン・ライムは捜査に乗り出す。

「いや、何一つ。どこを掘り返しても、出てくるのは一人だけ――私だ。そいつは私から私を奪った……奴らは、万が一に備えた予防策は用意されている、データは守られてると言う。笑止千万だ。たしかに、クレジットカードを紛失したくらいなら、ある程度までは守ってもらえるかもしれないな。だが、誰かが本気できみの人生を破滅させようとしたら、きみにできることは何一つない。人はコンピューターが言うことを鵜呑(うの)みにする。コンピューターが、きみには借金があると言えば、きみには借金があるんだ。きみと保険契約を結ぶのは危険だと言えば、きみと保険契約を結ぶのは危険なんだよ。きみには支払い能力がないと言えば、たとえ現実には億万長者だとしても、きみには支払い能力がない。人はデータを信じる。真実なんか意味を持たないのだよ」

 これが超高度情報社会の実態だ。データとは歴史でもある。「書かれたもの」だけが歴史なのだ(『歴史とはなにか』岡田英弘)。ここにおいて存在は「記録されたもの」へと矮小化される。

 私を証明するのは私自身ではない。免許証や保険証・パスポートである。パスワードを失念すれば自分の預金すらおろすことができない社会だ。個人は限りなくID化されてゆくことだろう。アイデンティティはアイデンティフィケイション(identification=ID)に置き換えられる。

 私のデータを書き換えるのは私自身ではない。そしてデータは常に上書き更新される。どこにもログインできなくなったとしたら、それは社会的抹殺を意味する。「ソウル」(魂)はデータ化される。