2012-04-30
蒙古族ホーミー
・Music of Mongolia : winter session
これほどの番組はそうそうお目にかかれるものではない。異なる世界が音楽を通してコミュニケイトし、同じ人間の顔が浮かび上がってくる。理解という英知が悟りに通じる。
・ニーナ・シモン / Nina Simone
2012-04-29
クリストファー・チャブリス、ダニエル・シモンズ、ジョン・ガイガー、J・クリシュナムルティ
2冊挫折、1冊読了。
『錯覚の科学』クリストファー・チャブリス、ダニエル・シモンズ:木村博江訳(文藝春秋、2011年)/二人の著者は「見えないゴリラ」の実験を考案した心理学者だ。認知科学入門といっていいだろう。値段も良心的だ。文章の構成が悪く、もったいぶった論調となっているのが難点。成毛眞〈なるけ・まこと〉の解説も余計だ。各所に後味の悪さを覚えた。
『奇跡の生還へ導く人 極限状況の「サードマン現象」』ジョン・ガイガー:伊豆原弓〈いずはら・ゆみ〉訳(新潮社、2010年)/絶体絶命の極限状況で正体不明の味方が現れ、困難を打開する力を与えてくれる現象があるという。これが「サードマン現象」だ。あまり興味が湧かなかった。いてもいいし、いなくてもよい。ただ、「いる」と信じた場合、サードマンを求める気持ちが生じるところに問題があると思う。幼い頃から守護天使を刷り込まれた影響もあるに違いない。とてもじゃないがクリシュナムルティと併読でき得ず。
25冊目『真理の種子 クリシュナムルティ対話集』J・クリシュナムルティ:五十嵐美克〈いがらし・よしかつ〉、武田威一郎〈たけだ・いいちろう〉、大野純一訳(めるくまーる、1984年)/原題は「Truth and Actuality」。デヴィッド・ボームとの対談、講話、質疑応答の三部構成。『自我の終焉』か『恐怖なしに生きる』あたりと内容が重複しているような気がした。調べてはいないが。読みやすく、しかもわかりやすい内容であった。大野純一による40ページ近い「あとがき」は読む必要なし。クリシュナムルティ本はこれで51冊読了。
フランスのサルコジ大統領がリビアのカダフィ大統領から政治資金5千万ユーロ〔約53億円〕を受け取っていた
爆弾ニュース。仏のサルコジ大統領がリビアのカダフィ大統領から政治資金5千万ユーロ〔約53億円〕を2007年の大統領選挙資金を受け取るという証拠書類が暴露された。これは現在地下に潜る旧リビア情報部員が公にしたもの。やはり本当の話だった。j.mp/JCbWxI
— TertuliaJapónさん (@TertuliaJapon) 4月 28, 2012
フランスでは2007の大統領選挙資金としてサルコジがこの53億円をカダフィから貰っていて、政治資金法に抵触し、今までの5年間の大統領は無効ではなかったか、などという議論も起きている。一体どう処理するつもりなんだろ?もう大統領やっちゃった訳だし。そりゃ、腹が立つだろうね。
— TertuliaJapónさん (@TertuliaJapon) 4月 28, 2012
◎サルコジ
2012-04-28
9.11テロ以降、アメリカ人は航空機事故を恐れて自動車事故で死んだ/『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー
・『最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか』ジェームズ・R・チャイルズ
・災害に直面すると人々の動きは緩慢になる
・避難を拒む人々
・9.11テロ以降、アメリカ人は飛行機事故を恐れて自動車事故で死んだ
・英雄的人物の共通点
・『失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織』マシュー・サイド
・『集合知の力、衆愚の罠 人と組織にとって最もすばらしいことは何か』 アラン・ブリスキン、シェリル・エリクソン、ジョン・オット、トム・キャラナン
・『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム
人間の認知回路は常に歪(ゆが)んでいる。そして強い印象を受けるとバイアス(歪み)は強化される。
1980年代から1990年代にかけて少年犯罪がメディアを賑わした。繰り返される報道が不要な詳細にまで迫り、加害者や被害者のプライバシーをも晒(さら)す。コメンテーターは一様に少年犯罪の増加を憂(うれ)えた。ところが実際は少年による凶悪犯罪は減少していた。
・少年犯罪-少年犯罪は増加しているのか
・病む社会と少年犯罪を考える
9.11テロの目的は航空機の乗客を殺害することが目的ではなかった。アメリカの繁栄を象徴するツインタワーに衝突させることで強烈な物語を構成した。アメリカの世論は一気に戦争へと傾き、26日後の10月7日に「対テロ戦争」の御旗(みはた)を掲げてアフガニスタンを攻撃した。
9.11のあと、アメリカ人の多くは、飛行機の代わりに車で移動しようと決心した。車のほうが安全だと感じられたのだ。さらに空港での、突発的に設定された新しいセキュリティチェックのわずらわしさを考えれば、車のほうが楽なことは確かだった。9.11以後の数ヵ月間に、攻撃以前の同じ時期に比べると、飛行機の乗客数は約17パーセント減少した。一方、政府の概算によると、車の走行距離は約5パーセント増えた。
だが常識を覆(くつがえ)す恐ろしいことが起こった。9.11以降の2年間に、飛行機の代わりに車で移動していたために、2302人によけいに亡くなったと考えられるのだ。これはコーネル大学の3人の教授が2006年に行なったアメリカの自動車事故についての調査結果である。
【『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー:岡真知子訳(光文社、2009年/ちくま文庫2019年)以下同】
日航ジャンボ機墜落事故(1985年)の時もそうだった。1984年の国内線旅客の対前年度比は9%増であったが、事故が起こった1985年は2.1%減となり、新幹線を利用する人々が増加した(Wikipedia)。
それにしても何という運命のいたずらであろうか。安全を求めて車を選んだにもかかわらず、死亡リスクが高まるとは。認知-判断という脳のメカニズムは生死にかかわることが理解できよう。
「アメリカン・サイエンティスト」誌に掲載された2003年の分析によると、1992年から2001年にかけて主要な民間の国内線飛行機で死ぬ可能性は、おおよそ1億分の8だった。それに比べて車で平均的なフライト区間で同じ距離を走れば、約65倍もの危険を伴うのである。
65倍と聞けば危険の度合いはわかりやすい。しかし1億分の8と1億分の520を比較すると、我々の認知はどうしても分母(1億)に集中する。数値の表現法ひとつで受け止め方は180度異なる。
「狼が出た!」と羊飼いの少年が叫び、大人たちは武器を持って集まってきた。面白がった少年は何度となく嘘をつく。本当に狼が現れた時、大人たちは耳を貸さなかった。そして村の羊をすべて食べられてしまうのだ。
憲法を守らない国家、労基法を守らない世間、道交法を守らないお父さん、「本当の事を言えば許すわよ」と言ってるのに本当の事を言うとお尻を叩くお母さん、「大丈夫、痛くないよ」と約束して強引に歯を抜く歯医者さん、こんな嘘つきばかりの世の中で子供がまともに育つはずがないじゃないですかー
— リナ・フィード@>ヮ<さん (@iTerwtt) 4月 27, 2012
現代において「狼が出た!」と叫んでいるのは国家であり、メディアであり、専門家であり、大人たちである。原発安全神話はその最たるものだ。嘘や偽りの情報が認知を歪め、誤った判断へと導く。人間は感情の動物である。だからこそ理性を働かせ、正しく「勘定する」ことが重要だ。
2012-04-27
震災後の過酷な生活を示す震災関連死数は福島県がトップ
復興庁、先ほど、震災関連死者数発表しました。なんと、地震・津波の直接の死者・行方不明者では圧倒的に宮城県なんですが、震災後の過酷な生活を示す震災関連死数では、福島県がトップです。これほどはっきりでるのですよね。胸がひりひりしますね。 reconstruction.go.jp/topics/120427s…
— möbius-rebelliusさん (@MobiusRebellius) 4月 27, 2012
平安から近世にかけては火葬が主流だった
大化2年の薄葬令の影響もあってか、702年に崩御した女帝・持統が火葬に付されたのを嚆矢に、平安から近世にかけては仏教的な火葬が主流だった。巨大な陵墓に土葬する復古主義が始まったのは孝明天皇以来。このように幕末・明治以降、新政府の権威付けのための宮中儀礼の「捏造」が多くみられた。
— tetsuya kawamoto さん (@xxcalmo) 4月 26, 2012
わが国最初の火葬例は、公式記録によれば、文武4年(700)に死んだ元興寺(がんこうじ)の僧道昭(どうしょう)である。
【『隠された十字架 法隆寺論』梅原猛(新潮社、1972年/新潮文庫、1981年)】
2012-04-26
岸田秀、山本七平
24冊目『日本人と「日本病」について』岸田秀〈きしだ・しゅう〉、山本七平〈やまもと・しちへい〉(文藝春秋、1980年/青土社、1992年/文春文庫、1996年)/一度読んでいる。しかし全く理解できていなかったようだ。繰り広げられる知の饗宴。間髪を入れぬ応酬。解体される日本人の姿。骨太の知性は30年を経ても色褪せることがない。日本文化の伝統として、徳川時代の町人学者から連綿と続く断章取義を挙げている。そして日本社会を構成する原理は「擬制の血縁」である、と。唸(うなり)り続けているうちに読み終えていた。
2012-04-25
映画『スライブ いったい何が必要になるのか』
◎生々流転
ミステリー・サークルを持ち出した時点で「ユニークなドラマ」と認識すべきだろう。もちろん宇宙人も。
◎地球外文明(ETC)は存在しない/『広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由 フェルミのパラドックス』スティーヴン・ウェッブ
飯嶋和一
1冊読了。
23冊目『神無き月十番目の夜』飯嶋和一〈いいじま・かずいち〉(河出書房新社、1997年/河出文庫、1999年/小学館文庫、2005年)/昨夜読み終えた。今朝、吐き気を催しながら目が覚めた。アルコール以外の二日酔いは『ダンサー・イン・ザ・ダーク』以来のことだ。15年前に新刊を購入。本はきれいなままだった。飯嶋和一は寡作なので、アスリートがオリンピックに照準を合わせるように読むタイミングを測る必要がある。常陸国(現在の茨城県)小生瀬(こなませ)村で三百数十人の村民全員が虐殺された。徳川家康の時代のこと。物語は死屍が累々と連なる場面から始まる。果たしてこの村で何が起こったのか? 小生瀬(こなませ)を含む保内(ほだい)は特殊な地域であった。伊達政宗の脅威にさらされる要衝の地ゆえに、半農半士の土豪による自治が長らく認められていた。彼らは月居騎馬衆(つきおれきばしゅ)と呼ばれた。そこは「日本のアフガニスタン」であった。年貢を納めるために打ちひしがれた人生を選んだ百姓とは趣を異にしていた。水戸藩の正史には一行も記されていないという。飯嶋は聖地「火(か)の畑(はた)」に横たわる遺体を指さし、人々の人生に光を当てた。ルビが少なくて読むのが難儀であるが得るものは大きい。
2012-04-24
シリア ディルエルゾル(プロパガンダ創作チャンネル)の撮影現場
◎シリア危機 アルジャジーラ情報捏造の現場
レオポルド・ストコフスキーとの対談/『私は何も信じない クリシュナムルティ対談集』J・クリシュナムルティ
・クリシュナムルティとの出会いは衝撃というよりも事故そのもの
・あなたは「過去のコピー」にすぎない
・レオポルド・ストコフスキーとの対談
・ジドゥ・クリシュナムルティ(Jiddu Krishnamurti)著作リスト
真の対話は化学反応を起こす。著名人による対談は互いに太鼓を抱えて予定調和の音頭を奏でるものが多い。対話の中身よりも、むしろ名前が重要なのだろう。あるいは肩書き。ま、形を変えて引き伸ばした営業や挨拶みたいな代物だ。
私はクラッシクをほとんど聴かないのでレオポルド・ストコフスキーの名前を知らなかった。フィラデルフィア・オーケストラの著名な指揮者だそうだ(当時)。クリシュナムルティ33歳、レオポルド・ストコフスキー46歳の時の対談が収められている。
まずはレオポルド・ストコフスキーの指揮を紹介しよう。
レオポルド・ストコフスキーの戸惑う様子が各ページから伝わってくる。クリシュナムルティ特有の文脈を異次元のもののように感じたはずだ。ストコフスキーは戸惑うたびに注意を払い、問いを深めている。
クリシュナムルティ●直観は、英知の極致、頂点、精髄なのです。
【『私は何も信じない クリシュナムルティ対談集』J・クリシュナムルティ:大野純一訳(コスモス・ライブラリー、2000年)以下同】
直感、ではない。直感は「感じる」ことで、直観は「捉える」ことだ。第六感のような感覚的なものではなく、英知の閃(ひらめ)きによって物事をありのままに見通す所作(しょさ)である。
直観という瞬間性に時間的感覚はない。主体と客体の差異も消失する。そこに存在するのは閃光(せんこう)の如き視線のみだ。
我々は普段見ているようで見ていない。ただ漫然と眺めているだけだ。あるいは概念やイメージというフィルター越しに見てしまう。つまり、ありのままを見るのではなくして、過去を見ているのだ。これはクリシュナムルティが一貫して指摘していることだ。
ストコフスキー●私はかねがね、芸術作品は無名であるべきだと思ってきました。私が気にかけていた問いはこうです。詩、ドラマ、絵あるいは交響曲は、その創造者の表現だろうか、それとも彼は、想像力の流れの通路となる媒介だろうか?
本物の芸術は作り手の意図を超えて、天から降ってくるように現れる。意思を超越した領域に真理や法則性が垣間見えることがある。ストコフスキーが只者でないことがわかる。
無名性は永遠性に通じる。作者の名前を付与したものは自我の延長にすぎないからだ。何であれ世に残すことを意図したものは死を忌避していると考えてよい。
私は大乗仏教の政治性に激しい嫌悪感を抱いているが、その無名性には注目せざるを得ない。
クリシュナムルティは次のように応じた。
「創造的なものを解放するためには、正しく考えることが重要です。正しく考えるには、自分自身のことを知らなければなりません。自分自身を知るためには、無執着であること、絶対的に正直で、判断から自由でなければなりません。それは、自分自身の映画を見守るように、日中、受け入れも拒みもせずに、自分の思考と感情に連続的に気づくことを意味するのです」
「無執着≒判断から自由」という指摘が鋭い。我々は何をもって判断しているのか? 本能レベルでは敵か味方かを判断し、コミュニティレベル(社会レベル)では損得で判断している。判断を基底部で支えているのは所属や帰属と考えてよさそうだ。
社会人として、大人として、親として、日本人として、「それはおかしい、間違っている」と我々は言う。相手を断罪する時、私は「社会を代表する人物」みたいな顔つきをしているはずだ。集団には必ず不文律があるものだが、結局のところ「村の掟」と同質だ。
「判断から自由」――これこそが真のリベラリズムといえよう。せめて判断を留保する勇気を持ちたい。
「いったんはじめられ、正しい環境を与えられると、気づきは炎のようなものです」 クリシュナムルティの顔は生気と精神的活力で輝いた。「それは果てしなく育っていくことでしょう。困難は、その機能を活性化させることです」
「正しい環境」とは脳の環境のことであろう。すなわち思考を脇へ置くことを意味する。思考から離れ、判断から離れることが、自我から離れる=自我からの自由を示す。
「自由な思考」という言葉は罠だ。思考は過去への鎖であり、自我への束縛であり、最終的に牢獄と化すからだ。哲学の限界がここにある。
2012-04-23
ヴェルナー・ゾンバルト、村松恒平
1冊挫折、1冊読了。
『戦争と資本主義』ヴェルナー・ゾンバルト:金森誠也〈かなもり・しげなり〉訳(論創社、1996年/講談社学術文庫、2010年)/原著刊行は1913年。第一次世界大戦が翌年のこと。「戦争がなければ、そもそも資本主義は存在しなかった」との指摘が重い。詳細を極める内容についてゆけなかった。
22冊目『達磨 dharma』村松恒平(メタ・ブレーン、2009年)/やられた。文章道場は本書の販促が目的だったのだろう。巧みなマーケティングといえる。つまり村松はメールマガジンをソーシャル・ネットワーキングとして活用したのだ。B5判の薄い本で、本文は左ページのみ。短篇というよりは掌編である。ページの余白部分に言葉の響きが広がる。小説自体は「フーン」といった程度ではあるが、味わい深いのは確かだ。
2012-04-22
「知性とは何か」茂木健一郎
G1サミット2012 第10部分科会 知性とは何か
知性とは何か。太古から人は言語を生み、火を使い、森羅万象の中に法則性を見出すことによって進歩を遂げてきた。闇の深淵に何があるのかという畏怖と探求心は、宗教を生み
スピーカー:
茂木健一郎 脳科学者
聴き手:
國領二郎 慶應義塾大学 教授
2012年2月12日 於:青森
【みどころ】
・才能とは「非典型的な知性」であり、これこそがグローバル社会で求められている
・知性のあり方、学力観を問い直さないと、日本はあぶない
・自然科学者が英語、文系学者が日本語で研究することが相互交流を分断している
・TOEICという検定試験のようなもので英語力を図るのはおかしい
・英語を学ぶ真の意味は、世界の知のバトルや現場の息吹を知るため
・圧倒的な知性の持ち主は、ペーパーテストなしでも話して、書いたものを見ればわかる
・遺伝の相関係数は平均50-60%、あとは環境によって決まる
・スティーブ・ジョブズのように「欠落」が非典型的な知性をはぐくむこともある
・美人は収束進化、皆の顔を平均的にしたものが美人。一方天才は収束的でなく、脳の特定部位の部分最適による
・大事なのはソーシャル・センシティビティ、グループで互いに能力を補い合うことで素晴らしいものを生み出せる
・面倒くさいことを粘り強くすると、脳の回路が活動しジェネラル・インテリジェンスは上がる
・非典型的な知性の育み方はケース・バイ・ケースで脳科学的にも不明
・パッション(受難が語源)、苦しんだ人、欠落した人が持つもの
・天才は、意識が押さえている無意識をうまく「脱抑制」できる人
・何が起こるかわからない状況にも適応できる知性を、いかにはぐくむか
◎茂木健一郎
2012-04-21
避難を拒む人々/『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー
・『最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか』ジェームズ・R・チャイルズ
・災害に直面すると人々の動きは緩慢になる
・避難を拒む人々
・9.11テロ以降、アメリカ人は飛行機事故を恐れて自動車事故で死んだ
・英雄的人物の共通点
・『失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織』マシュー・サイド
・『集合知の力、衆愚の罠 人と組織にとって最もすばらしいことは何か』 アラン・ブリスキン、シェリル・エリクソン、ジョン・オット、トム・キャラナン
・『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム
災害は被災者だけではなくメディアをも混乱に陥れる。報道陣が「より悲惨な情報」を探し回ることにも起因するのだろう。
ハリケーン「カトリーナ」の犠牲者たちは、人口の割合からいって、貧しい人たちではなく高齢者だったことが後に判明した。「ナイト・リッダー・ニュースペーパーズ」紙の分析によると、死者の4分の3は60歳以上で、半数は75歳を越えていた。
【『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー:岡真知子訳(光文社、2009年/ちくま文庫2019年)以下同】
これは知らなかった。念のためWikipediaを参照したところ、案の定「避難命令があったものの、移動手段をもたない低所得者が取り残され」と書かれている。つまり誤った情報が7年を経た今でもまだ生きているのだ。
更に驚くべき事実が判明する。多くの高齢者が「避難することを拒んだ」のだ。家族の懸命な説得も彼らの心を動かすことはなかった。
つまり、重要なのは移動手段よりも動機づけだったのだ。
ここに落とし穴があった。通常の認知レベルでは「被災~避難」という連続性に我々は疑問を抱くことがない。ところが実際は客観的な被災状況がわからず、避難を迷う人々もいれば、避難を思いつかない人々もいるし、更には避難を拒む人々も存在するのだ。
すなわち巨大ハリケーンは一人ひとりに対して「別な顔」で現れたと考えるべきなのだ。
今日では、意思決定を研究しているほとんどの人々が、人間は理性的ではないということに同意している。
そりゃそうだ。だいたい理性を司る大脳新皮質なんてえのあ、脳味噌の上っ面にすぎない。深部にあるのは情動を司る大脳辺縁系だ。実際に上司を殺害するサラリーマンは少ないが、密かに殺意を抱いている連中は山ほどいることだろう(笑)。
生きるとは反応することだ。快不快を判断するのは理性ではない。極めて本能的な領域だ。つまり我々はまず本能で判断した後で「考える」のだ。理性は感情に基づいていると考えてよかろう。
コーヒーとドーナツは合計で1ドル10セントである。コーヒーはドーナツより1ドル高い。ドーナツの値段はいくらか?
最初に出した答えが10セントなら、答えているのはあなたの直観システムだ。それから考え直して正しい答え(5セント)に到達したら、それはあなたの分析システムが直観を支配下に置いたのである。
個人的に直観という言葉は英知を意味するものと考えているので、ここは「直感」とすべきだろう。経験則に基づく直感的判断をヒューリスティクスという。
五感による認知機能は膨大な外部世界の情報を網羅することよりも、むしろ大半を切り捨て特定の情報をピックアップしている。我々は「見える」「聞こえる」と実感しているが、実際は「見たいもの」しか見ていないことが認知科学によって判明している。
固い信念や強い確信を抱く人物ほど世界を固定的に捉える傾向が強い。他人の意見に耳を傾けることができない人物は「死ぬ確率」が高いことを弁える必要がある。
女性は年をとると夫への関心が薄れる、携帯電話記録で立証
女性は年を重ねるにつれ夫や恋人との会話が減り、わが子や孫に関心を向ける傾向があることが携帯電話の通話・メール記録から立証されたとする研究論文が19日、英オンライン科学誌サイエンティフィック・リポーツ(Scientific Reports)に掲載された。利己的遺伝子の観点からすれば当然である。女性は妊娠の可能性がなくなった時点でコピー済みの遺伝子を保護するということなのだろう。一方男性はといえば、死ぬまで子をつくれる可能性がある。男は終生にわたってコピー機で、女は途中からファイルキャビネットに変わる。
この研究は英国、フィンランド、米国、ハンガリーの国際研究チームが約320万人を対象に、携帯電話での通話やメール20億件余りを7か月にわたって追 跡調査したもの。データは欧州のある携帯電話事業会社が提供し、研究チームには対象者の年齢、性別、通話時間、送信メール数、郵便番号だけが明かされた。
その結果は、女性の遺伝子には子孫を残そうとする役割が備わっているとする進化論上の説を裏付けるものだった。
携帯電話の記録からは、男女それぞれの対人関係が時と共にどのように変化していくかが示された。研究に参加した英オックスフォード大学(University of Oxford)のロビン・ダンバー(Robin Dunbar)教授によれば、親密な人間関係は男性よりも、女性側の都合に左右される場合が多いという。
「男性にとっての社交とは気楽な付き合いだが、女性は自分の目的をはっきり把握しており、そのためなら迷わず真っすぐ進む」(ダンバー教授)
論文によれば、出産適齢期の女性は異性と交流する時間が長く、45歳を過ぎると女性の関心は娘や孫など若い世代に向く傾向がある。
一方、男性が携帯電話で最もコミュニケーションを取る相手は、生涯を通じて妻や恋人だった。ちなみに、電話やメールの回数は女性より少なかったという。
論文共著者のフィンランド・アアルト大学(Aalto University)のキモ・カスキ(Kimmo Kaski)教授はAFPの取材に、こうした結果は分かりきったことかもしれないが、実際にデータを用いて証明されたのは初めてだと説明した。
【AFP 2012-04-20】
ロビン・ダンバー教授は「ダンバー数」で知られる人物。人間にとって、平均約150人(100-230人)が「それぞれと安定した関係を維持できる個体数の認知的上限」とする説だ。
2012-04-20
村松恒平、ブレット・N・スティーンバーガー
『[プロ編集者による]文章上達〈秘伝〉スクール(壱) 秘伝』村松恒平(メタブレーン、2002年/増補改訂新装版、2005年)/メールマガジンを編んだ作品。実は私も一度文章を見てもらったことがある。目から鱗が落ちる卓見が随所に光る。それでも読むに堪(た)えなかった。まず質問の内容が薄気味悪い。「一発ビンタを張ってやった方がいいのでは?」と思ってしまう。当然ではあるが質問者は村松に教えを乞うわけだから、へりくだった態度となる。メールマガジンという閉鎖性の内側で醸し出される「サロン的な雰囲気」についてゆけなかったというのが本音だ。ただし、半分しか読まなかったとしても十分勉強になる。
『[プロ編集者による]文章上達〈秘伝〉スクール(弐) 文章王』村松恒平(メタブレーン、2003年)/というわけで、こちらも挫折した。ウェブ上の文章のせいもあるのだろうが、一行置きに改行するのも疑問に感じた。改行が多いと文章が安っぽくなるというのが私の持論だ。
21冊目『悩めるトレーダーのためのメンタルコーチ術』ブレット・N・スティーンバーガー:塩野未佳〈しおの・みか〉訳(パンローリング、2010年)/良書。744ページで4000円。これは勉強になった。ただ、8~10章はあまりピンとこなかったので飛ばし読み。「経営多角化」の例えはよくない。トレードスタイルを確立した人には有益な一冊。
2012-04-19
牢獄産業とセキュリティ産業、軍事産業は三位一体
刑務所には投獄者ひとりにつき連邦政府から1日122ドル支払われます。食事は色のついた砂糖水と硬くて食べられない古パンと熟していないオレンジ一個がプラスチック袋に詰められて渡される。多分一人につき原価1ドル以下@xxcalmo 「マーケティング」の対象が移民なのだということになれば
— 宮前ゆかりさん (@MiyamaeYukari) 4月 18, 2012
私営の牢獄がものすごい勢いで米国各地にこれでもか、という勢いで増設されています。牢獄産業とセキュリティ産業、軍事産業は三位一体。@xxcalmo 刑務所とて民間経営ともなれば市場原理にもとづく利潤追求の意識
— 宮前ゆかりさん (@MiyamaeYukari) 4月 18, 2012
私営の牢獄は「プライベート・プリズン」とでも言うのだろうか? プライベート・バンクを持っているような連中が経営しているような気がするよ。米ドラマ『プリズン・ブレイク』はガス抜きを目論んだのかもね。
米兵、上半身吹き飛んだ遺体と笑顔で記念撮影(アフガニスタン)
米ロサンゼルス・タイムズ紙(18日付)は、アフガニスタンで自爆テロで死亡したアフガン人の遺体と記念撮影する米軍兵士の写真を掲載した。
アフガンでは、国際治安支援部隊(ISAF)要員によるコーラン焼却問題などで米軍などへの反発が強まっており、新たな火種になる可能性がある。
同紙は、一人の米兵から匿名を条件に写真18枚の提供を受けたという。掲載したのはそのうち2枚で、米兵が、上半身の吹き飛んだ遺体を逆さに持ち上げている地元警察官と一緒に笑顔で写真に収まっている様子などが写っている。
この米兵は、第82空挺(くうてい)師団の兵士といい、自爆テロの現場を調査した後に撮影されたという。撮影されたのは2010年とみられる。
【YOMIURI ONLINE 2012-04-19】
アフガン駐留米兵、笑顔で遺体と記念撮影 米紙が写真掲載
米紙ロサンゼルス・タイムズは18日、アフガニスタンに駐留する米兵が爆弾テロ容疑者とみられる遺体とともに笑顔で記念撮影した写真を紙面に掲載した。パネッタ米国防長官は同日、写真の行為は米国の法や価値観に反するとして強く非難。米軍も関係者の処罰に向けて調査に乗り出した。
ロサンゼルス・タイムズによると、ある米兵が「指揮系統と規律の乱れによる安全上のリスクに注目してもらいたい」との理由で同紙に18枚の写真を提供。そのうちの2枚を紙面に掲載した。
このうちの1枚は、テロ容疑者のものとみられる男性の遺体の前で、遺体の手を自分の肩に乗せて笑みを浮かべる米兵と、後ろで遺体に手を伸ばす別の米兵が写っていた写真には「米陸軍第82空挺(くうてい)師団の兵士と、路上爆弾を仕掛けようとして殺されたアフガンのテロ容疑者の遺体」との説明書きが付いている。
もう1枚では数人の米兵やアフガンの警察官とみられる男たちが遺体の足を持ち上げて笑顔で記念写真に納まり、うち1人は両手で得意げに親指を立てていた。
同紙はこの写真について、2010年に同師団が南部ザブール州の警察署を訪れて遺体を検分した際に撮影されたものだと伝えている。同紙の広報によれば、写真の信ぴょう性は提供者や国防総省、部隊の指揮官に取材して確認したという。
武力紛争による傷病者や捕虜の扱いを定めたジュネーブ条約では、遺体は尊厳を持って接するよう定めており、国際治安支援部隊(ISAF)のアレン司令官も写真の行為を強く非難。米国防総省報道官は、懲戒措置を含めて、事実関係を調べ、軍の制度に従って関係者の処分を行うと表明した。
パネッタ長官は同紙に対し、敵に攻撃を仕掛ける口実を与えかねないとして写真の掲載を見合わせるよう申し入れたことも明らかにした。これに対してロサンゼルス・タイムズの編集者は「米国がアフガニスタンで行っている任務のすべての局面を読者に伝える義務があると判断した」と説明している。
アフガニスタンでは今年に入り、米兵による問題行動が相次いで発覚している。1月には遺体に放尿する海兵隊員の動画がインターネットに投稿され、その1カ月後には米空軍基地でイスラム教の聖典コーランなどが燃やされた。3月には陸軍兵が南部カンダハル州の町で民家を襲って銃を乱射、17人を殺害した罪に問われている。
【CNN 2012年4月19日】
・画像
・流出時代。南アや中国の精神障害女性レイプ、米兵の死体撮影
・罪もない少年を殺害し、笑顔で記念撮影をする米兵(アフガニスタン)
・民間人虐殺の米兵に有罪 「戦争記念品」として指切り取る
・本当の戦争の話をしよう
2012-04-18
2012-04-17
フランス人弁護士ジャック・ヴェルジェス「反ユダヤ主義を用いた脅迫を許さない」
ジャック・ヴェルジェス氏はフランスの弁護士。父はレユニオン人、母はベトナム人。ナチスのクラウス・バルビーを弁護したことで有名。
既にフランスではユダヤ主義がナチス化しつつある。
◎ジャック・ヴェルジェス
三人の敬虔なる利己主義者/『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー 1 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ
・ただひとりあること~単独性と孤独性
・三人の敬虔なる利己主義者
・僧侶、学者、運動家
・本覚思想とは時間論
・本覚思想とは時間的有限性の打破
・一体化への願望
・音楽を聴く行為は逃避である
・『生と覚醒のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 2』J・クリシュナムルティ
・『生と覚醒のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 3』J・クリシュナムルティ
・『生と覚醒のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 4』J・クリシュナムルティ
先日、三人の敬虔な利己主義者が私のところにやってきた。一人は、〈サンニャーシ〉、世俗を断念した人物であった。二番目は、東洋学者(オリエンタリスト)であり、同朋愛の熱烈な支持者であった。三番目は、すばらしいユートピアの実現を確信している活動家であった。三者はそれぞれ、各自の仕事を熱心に務めていたが、他の二人の心的傾向や行動を見下(くだ)しており、各自の確信によって身を固めていた。いずれもその特定の信念形態に激しく執着しており、三人とも奇妙な具合に他人に対する思いやりが欠けていた。
【『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー 1 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ:大野純一訳(春秋社、1984年)以下同】
サンニャーシとは出家者のことである。今時の日本人の感覚からすれば、剃髪(ていはつ)=出家と考えられがちだがそうではない。「家」の字が意味するのは相続権と財産権の放棄なのだ。それゆえ江戸時代までの「勘当」(かんどう)は文字通り社会的抹殺と同義であった。
辛辣(しんらつ)、ではない。クリシュナムルティは三人の「ありのままの」姿を見つめているのだ。そして彼らは、聖人、学者、運動家といったモデルを示す。人格者、理論派、行動派と置き換えることも可能だ。また一人の人間の中にも知情意がバランスしている。
確信を抱く人物は確信に執着し、成功を収めた人物は成功に固執する。彼らにとって確信や成功は自我そのものと化している。彼らは「自分がリーダーである」ことを疑わない。
「三人とも奇妙な具合に他人に対する思いやりが欠けていた」――この実相が重い。たまたま親切な人と出会い、色々と話を聞いているうちに「あれ?」と思ったら、健康食品や宗教の話になっていた、なんてことがあるものだ。彼らは販売や勢力拡張のために「人間を利用する」輩(やから)だ。
かれら三人は――ユートピア主義者は殊にそうであったが――自分の信ずることのためであれば、自分自身だけでなく友愛をも犠牲にする覚悟がある、と私に言った。かれら三人は――同朋愛の士はとりわけそうであったが――温厚な様子であったが、そこには心の硬さと、優秀な人間特有の奇妙な偏狭さがあった。自分たちは選ばれた人間であり、他人に説明して聞かせる人間であった。かれらは知っており、確信を持っているのであった。
知識は事物を分断する。「分かる」という言葉が示す通りだ。
・「わかる」とは/『「分ける」こと「わかる」こと』坂本賢三
更に知識は人間の関係を「教える人」と「教えられる人」とに分断するのだ。社会におけるヒエラルキーは「持てる者」と「持たざる者」の上下関係で構成されているが、「持てる者」は重要な情報にアクセスできる権限を付与されている。これも知識と考えてよかろう。
ブッダは二乗(にじょう)を嫌った。声聞乗(しょうもんじょう/学者)と縁覚乗(えんがくじょう/部分的な悟りを得た人)は自分のものの見方に執着し、離れることがないためだ。彼らは自分の悟りを追求するあまり、不幸な人々を救うことを忘れ去った。
ただし、これは大乗仏教の立場による小乗批判がベースになっていることを踏まえる必要がある。
「心の硬さ」と「奇妙な偏狭さ」が対話を阻む。一定の地位にある者は、心のどこかで他人をコントロールしようとする。真の思いやりは「善きサマリア人」のように道で擦れ違う場面で発揮される。そこには一片の利害も存在しないからだ。
偉くなることよりも、単独であることが正しい生き方だ。
・ただひとりあること~単独性と孤独性/『生と覚醒のコメンタリー 1 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ
2012-04-16
学者が提供するのは「考える」材料であって、「信じる」対象ではない
学者は「信じることを頑なに拒否する人」だから、「信じてる人」や「信じたい人」とは、必然的に対立する。
— 沼崎一郎さん (@Ichy_Numa) 4月 15, 2012
学者が提供するのは、「考える」材料であって、「信じる」対象ではない。
— 沼崎一郎さん (@Ichy_Numa) 4月 15, 2012
あなたが「確かだ」と思ってること全て。 RT @h_iitsu:その「信じる」とは具体的になにを指すでしょう?
— 沼崎一郎さん (@Ichy_Numa) 4月 15, 2012
災害に直面すると人々の動きは緩慢になる/『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー
・『最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか』ジェームズ・R・チャイルズ
・災害に直面すると人々の動きは緩慢になる
・避難を拒む人々
・9.11テロ以降、アメリカ人は飛行機事故を恐れて自動車事故で死んだ
・英雄的人物の共通点
・『失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織』マシュー・サイド
・『アナタはなぜチェックリストを使わないのか? 重大な局面で“正しい決断”をする方法』アトゥール・ガワンデ
・『集合知の力、衆愚の罠 人と組織にとって最もすばらしいことは何か』 アラン・ブリスキン、シェリル・エリクソン、ジョン・オット、トム・キャラナン
・『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム
いわゆる「サバイバーもの」である。9.11テロ以降に確立されたジャンルと考えていいだろう。「生死を分かった」情況や判断についての考究だ。優れた内容であるにもかかわらず、結論部分で九仞(きゅうじん)の功を一簣(いっき)に虧(か)くような真似をしている。これについては後日触れる。
1983年から2000年の間に起こった重大な事故に巻き込まれた乗客のうち、56パーセントが生き残った(「重大な」というのは、国家運輸安全委員会の定義によると、火災、重症、【そして】かなりの航空機の損傷を含む事故である)。
【『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー:岡真知子訳(光文社、2009年/ちくま文庫2019年)以下同】
この文を読んで乗り物としての飛行機に不安を抱く人は、危機に際して冷静な判断をすることが難しい。航空機に乗って死亡事故に遭遇する確率は0.0009%である(アメリカの国家運輸安全委員会の調査による)。
・いろんな確率
ヒューリスティクスは認知バイアスを避けることができない。
・ひらめき=適応性無意識/『第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい』マルコム・グラッドウェル
「技術者が自分の設計しているもののことを知りたければ、それに強いストレスを与えてみればいい」と、米軍で20年あまり人間行動を研究してきたピーター・ハンコックは述べている。「それは人間についても同じである。普通の状況下で物事がどのように機能するのかを知りたいと思えば、わたしたちがストレス下でどう機能するのかをつまびらかにしてみると、興味深い結果が得られるだろう」。
災害時における人々の研究は結構なスピードで進んでいる。現実問題と密接に関わっているのだから人々の関心も高い。では、災害に直面した人々の心理や行動にはどのような共通性があるのか?
いったん否認段階の最初のショックを通り抜けたら、生存への第2段階である「思考」に移ってゆく。何か異常事態が発生しているとわかっているのだが、それをどうしたらいいのかわからない。どのように決断を下すべきだろう? 最初に理解しておくべきことは、何一つとして正常ではないということだ。わたしたちは平時とは異なった考え方や受け取り方をする。
我々は信じ難い場面に遭遇すると「現実から逃避」するのだ。見て見ぬ振りをし「何かの間違いであって欲しい」と願う。ただ、これ自体は健全な心理メカニズムであって本質的な問題ではない。
(※世界貿易センター爆破事件、1993年)人々は異常なほどのろのろと動いた。爆発から10時間たっても、まだオフィスから避難していない人たちを消防士は発見していた。
「動きが緩慢になる」という事実は重要な指摘で、しっかりと頭に叩き込んでおくべきだ。茫然自失の態(てい)で客観的な判断ができなくなる。「何が起こったのか」が把握できないから、「どうすればよいか」もわからない。
そして過去の経験も役に立たない。同じような災害を経験した人物が、同じ行動を繰り返した様子が描かれている。
カナダの国立研究協議会のギレーヌ・プルーは、1993年と2001年の両年に、世界貿易センターでの行動を広範囲にわたって分析した数少ない研究者の一人だ。彼女が目撃したものは、ゼデーニョの記憶と合致する。「火災時における実際の人間の行動は、“パニック”になるという筋書きとは、いくぶん異なっている。一様に見られるのは、のろい反応である」と、雑誌「火災予防工学」に掲載された2002年の論文に彼女は書いた。「人々は火事の間、よく無関心な態度をとり、知らないふりをしたり、なかなか反応しなかったりした」
たぶん思考回路がセーフモードとなるのだろう。「触(さわ)らぬ神に祟(たた)りなし」的な心理が働くのだ。脳の情動機能には「わからないものは危険なもの」という古代からの刷り込みがあるはずだ。
笑い――あるいは沈黙――は、立ち遅れと同様に、典型的な否認の徴候である。
否認兆候としての笑いは意外と多く見受けられる。フジテレビで菊間アナウンサーの転落事故があったが、これをスタジオから見ていた同僚の女子アナは笑っていた。
・動画検索
なぜわたしたちは避難を先延ばしするのだろうか? 否認の段階では、現実を認めようとせず不信の念を抱いている。我が身の不運を受け入れるのにしばらく時間がかかる。ローリーはそれをこう表現している。「火事に遭うのは他人だけ」と。わたしたちはすべてが平穏無事だと信じがちなのだ。なぜなら、これまでほとんどいつもそうだったからである。心理学者はこの傾向を「正常性バイアス」と読んでいる。
「正常性バイアス」とは認知バイスのことである。「火事に遭うのは他人だけ」というのは名言だ。「振り込め詐欺に引っ掛かるのも他人だけ」と思っている人々がどれほど多いことか。いまだに被害者が後を絶たない。
想像力を欠いてしまえば具体的な訓練に取りかかることは不可能だ。
(※9.11テロの)攻撃後の1444人の生存者に調査したところ、40パーセントが脱出する前に私物をまとめたと答えている。
死が迫りゆく中で普段通りの行動をするのだ。何と恐ろしいことだろう。知覚の恒常性ならぬ、「世界の恒常性」が作用しているのだろう。
実際に災害に直面すると群集は概してとても物静かで従順になる。
それゆえ大声で明確な指示を与える人物が必要となる。羊の群れをけしかける犬のような人物が。
次の文は、災難は自分のすぐそばでしか起きていないという強い思い込みについて、ゼデーニョが述べているものである。このような思い込みを、心理学者は「求心性の錯覚」と呼んでいる。
それがこの文章だ。
以下は人間の心がとてつもない危機をいかに処理するかについて述べたものである。
わたしの足は動きが鈍くなっていた。というのも、自分が目にしているのは瓦礫だけではないことに気づきはじめたからだ。わたしの頭はこう言っている。「おかしな色だ」。それが最初に思ったことだった。それから口に出して言いはじめる。「おかしな形だ」。何度も何度も頭のなかで言う。「おかしな形だ」。まるでその情報を閉め出そうとしているかのようだった。わたしの目は理解することを拒んだ。そんな余裕はなかった。だからわたしは、「いや、そんなはずはない」と思うような状態だった。やがて、おかしな色やおかしな形を目にしたことの意味するところがついにわかったとき、そのとき、わたしが目にしているのは死体だと気づいたのだ。凍りついたのは、そのときだった。
思考が減速し、知覚が歪んでいる状態がわかる。つまり「走馬灯状態」と正反対の動きだ。
そのとき、ゼデーニョはまったく何も見えなくなった。「煙のせいだったの?」とわたしはゼデーニョに尋ねる。「いえ、いえ、そうじゃないわ。あそこには煙はなかった。でも、まったく何も見えなかったの」
極度の緊張感が視覚をも狂わせる。初めて大勢の人の前で話す時、聴衆の顔を認識することは難しい。「何も見えない」という人が大半であろう。
緩慢な動作、機能不全を起こした判断力、そして歪んだ知覚。それでも人々は「誤った希望」にしがみつく。死を経験した人物は存在しない。それゆえ「自分の死」は常に想定外だ。「諸君は永久に生きられるかのように生きている」というセネカの言葉が頭の中で反響する。
・『最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか』ジェームズ・R・チャイルズ
・被虐少女の自殺未遂/『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳
2012-04-15
「写真の学校」第二回 写真から人を考える~『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』/竹内万里子&カンベンガ・マリールイズ
「写真の学校」第二回 写真から人を考える 平成24年2月5日開催記録
主催:Child Pictures Bank
一冊の写真集『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』をもとにルワンダの人々に想いをはせ人を共に生きることを語り合います。
・竹内万里子 (京都造形芸術大学准教授)
・カンベンガ・マリールイズ(「ルワンダの教育を考える会」理事長)
・村松英俊 (Child Pictures Bank代表)
第一部「写真と言葉がおりなす力」
第二部「写真を通して伝えたいこと」
会 場:大社文化プレイス・うらら館
後 援:BSS山陰放送、山陰中央新報社、島根日日新聞、FMいづも、出雲ケーブルビジョン
出雲市教育委員会、島根県人権推進センター、山陰中央テレビ
協 力:赤々舎、日本ルワンダ学生会議、宿禰餅本舗 坂根屋、大社門前いづも屋、(有)テレビジョンワークス
・強姦から生まれた子供たち/『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』写真、インタビュー=ジョナサン・トーゴヴニク
BRICS、世界銀行の資本基盤拡大を支持=インド首相
インドのシン首相は29日、BRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカの主要新興5カ国)が世界銀行の資本基盤拡大を支持し、「南南」開発銀行設立案の詳細を詰めることで合意したと述べた。
首相はBRICS首脳による会議後、記者団に対し、BRICSが世界的なエネルギー市場に激しい変動を引き起こしている政治的な混乱を回避する必要性で合意したことを明らかにした。
国連安全保障理事会などの国際機関の改革をめぐり、政治的行動が欠けているとの考えも示した。
【ロイター 2012-03-29】
◎覇権体制になるBRICS
◎BRICsが「世界銀行変革」の用意あり。ユダ金金融詐欺体制崩壊は進みつつあるか。
◎BRICS銀行設立、新金融システム始動へ-先進国(白人クラブ)の支配が終わり、日本が世界を平和に導くだろう
道は二つに分かれると思う。世界統一通貨を目指すのか、それとも世界大戦規模の戦争となるか。
北朝鮮ミサイル費用 全国民1年分の食糧費に相当
韓国のデイリーNKによると、北朝鮮当局は徴兵の身長基準を145cmから142cmに引き下げた。成長期に栄養失調だったため、多くの男子の身長が145cmにも満たない。一方、韓国の16歳から17歳の青少年の平均身長は172cm。
距離と方向
2012-04-14
言葉を紡ぐ力/『石原吉郎詩文集』石原吉郎
・『「疑惑」は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私』河野義行
・『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子
・『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子
・『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たち』ジュリアス・シーガル
・『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』ヴィクトール・E・フランクル:霜山徳爾訳
・『それでも人生にイエスと言う』ヴィクトール・E・フランクル
・『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ
・『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編
・究極のペシミスト・鹿野武一
・詩は、「書くまい」とする衝動なのだ
・ことばを回復して行く過程のなかに失語の体験がある
・「棒をのんだ話 Vot tak!(そんなことだと思った)」
・ナット・ターナーと鹿野武一の共通点
・言葉を紡ぐ力
・「もしもあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない」
・『望郷と海』石原吉郎
・『海を流れる河』石原吉郎
・『シベリア抑留とは何だったのか 詩人・石原吉郎のみちのり』畑谷史代
・『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』多田茂治
・『シベリア抑留 日本人はどんな目に遭ったのか』長勢了治
・『失語と断念 石原吉郎論』内村剛介
・必読書リスト その二
以前から読んでいるブログが中断を経て再開された。
・詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)
名前は〈やち・しゅうそ〉と読む。息の長いブログである。読むたびに「言葉のマッサージ」を受けているような気分になる。あるいは「言葉のリハビリテーション」と言ってもよい。ヒラリヒラリと舞う言葉が、直情径行型の私に変化を及ぼす。
ふと詩を読みたくなった。そうだ、石原吉郎に会いにゆこう。
しずかな肩には
声だけがならぶのでない
声よりも近く
敵がならぶのだ
勇敢な男たちが目指す位置は
その右でも おそらく
そのひだりでもない
無防備の空がついに撓(たわ)み
正午の弓となる位置で
君は呼吸し
かつ挨拶せよ
君の位置からの それが
最もすぐれた姿勢である(「位置」)
【詩集〈サンチョ・パンサの帰郷〉より/『石原吉郎詩文集』石原吉郎〈いしはら・よしろう〉(講談社文芸文庫、2005年)以下同】
はっきり言ってしまえば意味はよくわからない。それでも構わないだろう。人間は外国語の歌にも感動することができる動物なのだから。
空間の歪みと時間の頂点というコントラストが既成概念を揺さぶる。石原にとってシベリア抑留は歪んだ空間であったことだろう。しかし「歪んだ時間」ではなかったはずだ。なぜなら彼はシベリアで鹿野武一〈かの・ぶいち〉と出会ったからだ。
石原自身は真面目で平凡な人物であったと思われる。その彼に「言葉を紡(つむ)ぐ力」を与えたのが鹿野であった。
石原は言葉を失いかけた。否、失ったのかもしれない。
人は大なり小なり国家に依存している。それは考えるまでもない事実である。国家のために命を賭して戦地へ赴き、挙げ句の果てに国家から見捨てられる。シベリアで抑留された人々はかような状態に置かれた。自分の生死をも不問に付された時、存在は透明化し抹消されたに等しい。
人間は相手(=観測者)がいなければ言葉を発することすらできないのだ。
さびしいと いま
いったろう ひげだらけの
その土塀にぴったり
おしつけたその背の
その すぐうしろで
さびしいと いま
いったろう
そこだけが けものの
腹のようにあたたかく
手ばなしの影ばかりが
せつなくおりかさなって
いるあたりで
背なかあわせの 奇妙な
にくしみのあいだで
たしかに さびしいと
いったやつがいて
たしかに それを
聞いたやつがいあるのだ
いった口と
聞いた耳とのあいだで
おもいもかけぬ
蓋がもちあがり
冗談のように あつい湯が
ふきこぼれる
あわててとびのくのは
土塀や おれの勝手だが
たしかに さびしいと
いったやつがいて
たしかに それを
聞いたやつがいる以上
あのしいの木も
とちの木も
日ぐれもみずうみも
そっくりおれのものだ(「さびしいと いま」)
慎ましい言葉の端々(はしばし)から、存在への憧憬(どうけい)が狂おしいまでに溢(あふ)れ出る。強制された孤独が完膚なきまでに自我を打ちのめす。変わらぬ自然の光景を「おれのものだ」と言わずにはいられない、その「さびしさ」を思う。
憎むとは 待つことだ
きりきりと音のするまで
待ちつくすことだ
いちにちの霧と
いちにちの雨ののち
おれはわらい出す
たおれる壁のように
億千のなかの
ひとつの車輪をひき据えて
おれはわらい出す
たおれる馬のように
ひとつの生涯のように
ひとりの証人を待ちつくして
憎むとは
ついに怒りに到らぬことだ(「待つ」)
腐敗でも発酵でもない。憎悪の純化だ。石原は憎しみを保ち続けることで、鹿野の死や時の経過と戦ったのだろう。忘却を拒む者の覚悟が屹立(きつりつ)している。
世界がほろびる日に
かぜをひくな
ビールスに気をつけろ
ベランダに
ふとんを干しておけ
ガスの元栓を忘れるな
電気釜は
八時に仕掛けておけ(「世界がほろびる日に」)
ゲオルギウの言葉と一緒だ。
・自分は今日リンゴの木を植える
いつものように、そして今までどおりに生きる。淡々と平凡を貫ける人は偉大だ。
生の意味を探し回ることは空虚だ。人生を改造するような真似も見苦しい。ただ生きる。川の水が流れるように。そんな生き方を私は望む。
・私を変えた本
2012-04-13
宗教には啓典宗教とそれ以外の宗教がある/『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹
・『青い空』海老沢泰久
・キリスト教の「愛(アガペー)」と仏教の「空(くう)」
・「異民族は皆殺しにせよ」と神は命じた
・宗教には啓典宗教とそれ以外の宗教がある
・『イエス』ルドルフ・カール・ブルトマン
・『世界史の新常識』文藝春秋編
・『日本人のためのイスラム原論』小室直樹
・目指せ“明るい教祖ライフ”!/『完全教祖マニュアル』架神恭介、辰巳一世
・キリスト教を知るための書籍
・宗教とは何か?
・必読書リスト その五
「宗教」という言葉は、明治時代になって「religion」の訳語として作られた新しい言葉で、もともとのレリジョンの意味は、「繰り返し読む」ということ。
欧米人のほとんどはキリスト教こそが本当の宗教だと想っているから、宗教といえばキリスト教、そして文字で表された最高教典、すなわち啓典(正典ともいう)のある啓典宗教と考える。
【『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹(徳間書店、2000年)以下同】
キケロはレリゲーレ[relegere](「とり集める」ないしは「再読する」を意味する)に由来すると考えていた。
・宗教の語源/『精神の自由ということ 神なき時代の哲学』アンドレ・コント=スポンヴィル
教団は文献を取り集め、信者に再読を促す。再読は「考える力」を奪う。そして教団は迷える人々を取り集め、金銭を取り集めるのだ。
マックス・ヴェーバーはかくいった。宗教とは何か、それは「エトス(Ethos)」のことであると。エトスというのは簡単に訳すと「行動様式」。つまり、行動のパターンである。人間の行動を意識的及び無意識的に突き動かしているもの、それを行動様式と呼び、ドイツ語でエトスという。英語では、エシック(ethic)となる。
ここで注意を一つ。英語の場合、どこに注意するかというと、語尾にsがないこと。sがあったらエシックス(ethics)となり「倫理」という意味になる。
倫理というのは、ああしろこうしろという命令もしくは禁止を指すが、その上位(一般)概念であるエシックはもっと意味が広い。禁止や命令も含むが、さらに正しいだとか正しくないだとかいうことも含む。そればかりか、さらに意味は広く、思わずやってしまうことまでも含むのである。
・エトス 通信し合えないぼくらの時代
・最狭義と最広義の宗教/日本教的宗教観
簡単にいってしまえば、エシックス(倫理)は思考に訴え、エトスは情動を支配するのだ。倫理は社会の機能で、エトスは個人を規定するものと考えてもよさそうだ。「内なる良心の声」がエトスの正体だ。我々はこれを疑うことを知らない。
なぜヴェーバーの定義がいいのかというと、宗教だけでなくイデオロギーもまた宗教の一種であると解釈できるところにある。どういうことなのかというと、マルキシズムも宗教である。資本主義も宗教である。そして、武士道などというのも一種の宗教だといえる。
つまり宗教とは「行動様式原理」を意味する。悪くいえば洗脳だ。
これから本格的に宗教の議論に入る前にコメントを一つ挙げておく。それは、宗教には啓典宗教とそれ以外の宗教がある、ということだ。
これは、イスラム教徒による宗教分類であるが、比較宗教学のために便利な分類でもあるので、この本においても採用したい。
「啓典宗教(revealed religion)」とは啓典(正典=canon, Kanon, cannon)を持つ宗教である。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は啓典宗教である。仏教、儒教、ヒンドゥー教、道教、法教(中国における法家〈ほうか〉の思想)などは啓典宗教ではない。
啓典という言葉は日本人にあまり馴染みがない。それゆえ「教典(経典)宗教」と言い換えてもよかろう。神の言葉を絶対視することで、信徒は「言葉の奴隷」とならざるを得ない。「言葉に従わせる」という操作性に宗教の本質があるとすれば、ここに絶対的権力が立ち現れる。
啓典宗教は、存在論、すなわちオントロジー(ontology)に貫かれている。啓典宗教であるキリスト教、イスラム教、ユダヤ教においては、神の存在が最大の問題なのである。
西洋哲学は存在を巡る議論である。「天にまします我らが父」を目指して形而上学へ傾くことは必然であった。そう考えると西洋と東洋では「生きる」という意味合いすら異なっている可能性が高い。我々日本人は存在に無頓着だ。生きるの語源は「息をする」こと。だから死ぬことを「息を引き取った」と表現する。また人生は川に喩(たと)えられるが、存在性よりも「流れ」と考える人が多い。六道輪廻(ろくどうりんね)を意味する生死流転(しょうじるてん)という言葉も、輪ではなく川をイメージする。
このままでは言葉が通じない。その深き溝を翻訳する作業が必要だ。日本の外交音痴も「言葉の問題」が本質的な原因と考えられる。
「啓典宗教」というキーワードが閃(ひらめ)きを与えてくれる。大乗仏教は仏教の啓典宗教化を目指したのだろう。つまりコミュニティの人数が多くなれば、「言葉の支配」を避けられないのが人類の宿命なのだ。
啓典宗教が誤っていることは簡単に証明できる。言葉は絶対のものではない。それは所詮、「解釈される」性質のものだ。ゆえに同じ言葉であったとしても受け止め方は千差万別だ。こうして教義論争が始まる。「religion」の意味が「結びつける」ではないことが明らかだ。
・エートスの語源/『ソクラテスはネットの「無料」に抗議する』ルディー和子
・自由を達成するためには、どんな組織にも、どんな宗教にも加入する必要はない/『自由と反逆 クリシュナムルティ・トーク集』J・クリシュナムルティ
・教条主義こそロジックの本質/『イエス』R・ブルトマン
・歴史的真実・宗教的真実に対する違和感/『仏教は本当に意味があるのか』竹村牧男
・宗教と言語/『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド
・宗教の社会的側面/『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド
・アブラハムの宗教入門/『まんが パレスチナ問題』山井教雄
・電気を知る/『バーニング・ワイヤー』ジェフリー・ディーヴァー
・信じることと騙されること/『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』内山節
2012-04-12
広河隆一、ロブ・ブッカー&ブラッドリー・フリード
『チェルノブイリ報告』広河隆一〈ひろかわ・りゅういち〉(岩波新書、1991年)/良書。ただ、今の私が必要とする内容ではない。
20冊目『超カンタン アメリカ最強のFX理論』ロブ・ブッカー&ブラッドリー・フリード(扶桑社、2009年)/惜しげも無く投資手法を公開している。これを良心と受け止めるかどうかは読者次第だろう。素人は直ぐに飛びつくだろうが、実践するとなると意外と難しいことに気づくと思う。ロブ・ブッカーはカリスマFXコーチという肩書きの人物。
「イランの原爆」の実体 新世界秩序への最後の挑戦
仏作家アラン・ソラル。グロ-バル主義帝国の宗教とも言える「ホロコースト」(ガス室を用いたユダヤ人殲滅)の歴史見直しを主張するアフマディネジャド大統領はユダヤロビーから第二のヒトラーと呼ばれイスラエルの脅威と見なされる。帝国の中心地イスラエルの存在理由を与えるショアーの現実について世界で初めて疑問を呈した国家イランはグローバル主義世界統治計画者にとって邪魔な存在であり、かつてのヒトラーと同様の運命を辿る可能性がある。
2012-04-10
手の表情
手を拱(こまね)いているのではない。酷使に耐えてきた手を少し休めているだけだ。それにしても神々(こうごう)しいまでの穏やかさを湛(たた)えている。彼はホームレスだ。
◎美しき合掌
◎M・C・エッシャー「描く手」
2012-04-09
原発は明治政府が朝敵(天皇の敵)とした地域に立てられている
野田正彰さんも、震災前から指摘されていたけど、日本の原発のうち、42が、明治政府が朝敵(天皇の敵)とした地域に立てられている。中央政府に刃向かった場所に課せられた貧困。なぜ、日本社会は、抗議や異議申し立てに対し、これほど執念深く、陰湿に、いじめ続けるのかなぁ。
— möbius-rebelliusさん (@MobiusRebellius) 4月 7, 2012
「異民族は皆殺しにせよ」と神は命じた/『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹
・『青い空』海老沢泰久
・キリスト教の「愛(アガペー)」と仏教の「空(くう)」
・「異民族は皆殺しにせよ」と神は命じた
・宗教には啓典宗教とそれ以外の宗教がある
・『イエス』ルドルフ・カール・ブルトマン
・『世界史の新常識』文藝春秋編
・『日本人のためのイスラム原論』小室直樹
・目指せ“明るい教祖ライフ”!/『完全教祖マニュアル』架神恭介、辰巳一世
・キリスト教を知るための書籍
・宗教とは何か?
・必読書リスト その五
「歴史は勝者によって書かれる」と陳舜臣〈ちん・しゅんしん〉は喝破した(『中国五千年』1989年)。蓋(けだ)し名言である。
中世までは文明においても学問においてもアラブ世界がリードをしていた。
歴史をさかのぼってみよう。まず十字軍(1096-1272年)によって西洋の暴力性は噴出した。
セルジューク朝の圧迫に苦しんだ東ローマ帝国皇帝アレクシオス1世コムネノスの依頼により、1095年にローマ教皇ウルバヌス2世がキリスト教徒に対し、イスラム教徒に対する軍事行動を呼びかけ、参加者には免償(罪の償いの免除)が与えられると宣言した。この呼びかけにこたえた騎士たちは途上、イスラム教徒支配下の都市を攻略し虐殺、レイプ、略奪を行いながらエルサレムを目指した。(第1回十字軍)
【Wikipedia】
彼らは神からの免罪を勝ち取るために、別の罪を犯しながら進軍したのだ。この病根は今もなお西洋を支配している。根っこにあるのは「神という被害妄想」であろう。
ところが十字軍は9回に渡って遠征が繰り返されているが、明らかな勝利を収めたのは第1回だけであった。ざまあみやがれってえんだ。
当時、アジアからは大モンゴル帝国の蹄(ひづめ)が高らかに鳴り響いていた。圧倒的な武力を誇るモンゴルはヨーロッパ世界にまで辿りつく。(Wikipediaのgif画像を参照せよ)
西洋は八方塞(ふさ)がりであった。これを打開したのが大航海時代(15-17世紀)である。以下に三つのテキストを紹介する。
しかも、毎年毎年同水準の生活や産業を維持してゆくだけなら、同じ規模の土地を「エンクロージャー(囲いこみ)」して守っていけばいいが、その水準をあげてゆくためには、土地の規模を拡大していかなければならない。かくして、北フランスやイギリスなどの石の風土に成立した牧畜業は、不断に新しい土地(テリトリー)を外に拡大する動きを生む。これが、いわゆるフロンティア運動を生み、アメリカやアフリカやアジアでの植民地獲得競争(テリトリー・ゲーム)を激化させるのである。
つまり、西欧に成立し、ひいてはアメリカにおいて加速されるフロンティア・スピリットは、本来、牧畜を主産業とするヨーロッパ近代文明の本質を「外に進出する力」としたわけである。これは、ヨーロッパ文明に先立つ、15~16世紀のスペイン、ポルトガルが主導したキリスト教文明、いわゆる大航海時代の外への進出と若干その本質を異にする。
いわゆる大航海時代の外への進出は、17世紀からのイギリスやオランダやフランスが主導した、国民国家(ネーション・ステイト)によるテリトリー・ゲームとは若干違う。大航海時代というのは、キリスト教文明の拡大、つまり各国の国王が王朝の富を拡大するとともに、その富を神に献ずる、つまり「富を天国に積む」ことを企てるものであった。
【『砂の文明・石の文明・泥の文明』松本健一(PHP新書、2003年)】
ベルは、近代の終焉についても述べている。彼によると、近代の特徴は「超越(beyound)」にある。しかし、ポスト・モダーンは「限度(limit)」である。確かに、近代がルネサンス、宗教改革、大航海時代から始まるとすると、その特徴は「超越すること」にあった。近代の原理は「無限への衝動」であり、「ファウスト的衝動」とも呼ばれる「もっと、もっと」の精神によって営まれてきたのである。言い換えれば、「無制限の無条件の顧みるところなき」衝動によって駆動されてきたのが、近代の特徴であった。(訳者解説)
【『二十世紀文化の散歩道』ダニエル・ベル:正慶孝〈しょうけい・たかし〉訳(ダイヤモンド社、1990年)】
モンゴル帝国の弱点は、それが大陸帝国であることにあった。陸上輸送のコストは、水上輸送に比べてはるかに大きく、その差は遠距離になればなるほど大きくなる。その点、海洋帝国は、港を要所要所に確保するだけで、陸軍に比べて小さな海軍力で航路の制海権を維持し、大量の物資を低いコストで短時間に輸送して、貿易を営んで大きな利益を上げることが出来る。これがモンゴル帝国の外側に残った諸国によって、いわゆる大航海時代が始まる原因であった。
【『世界史の誕生 モンゴルの発展と伝統』岡田英弘(ちくまライブラリー、1992年/ちくま文庫、1998年)】
すなわち陸路を阻まれた西洋世界は行き場を失った格好で海へ飛び出したわけだ。船を出すからには金がかかる。また航海で命を失うリスクもある。一方、新天地に辿りつけば香辛料などを獲得できる可能性がある。こうした利益とリスクをバランスすることで共同資本という概念が生まれた。ここに株式会社の起源がある。
・資本主義経済の最初の担い手は投機家だった/『投機学入門 市場経済の「偶然」と「必然」を計算する』山崎和邦
ヨーロッパ人は新天地で何を行ったのか?
15世紀から17世紀後半にかけての大航海時代、コロンブス(イタリアの航海者。1451頃~1506)やマゼラン(ポルトガルの探検家。1480頃~1521)が未知の国へ向けて航海した。そこで新大陸に上陸した彼らは一体何をしたか。
正解は、罪もない現地人の鏖(みなごろし)! 大虐殺である。別に住民たちがこぞってこの侵入者たちを襲ったわけでもないのに。何と酷いことをするのだ、と怒ってみても詮(せん)はない。侵入者たちのほうからすれば、キリスト教の教義(おしえ)に従って異教徒を殺したまでなので、後ろめたさなどあろうはずもないのだ。
【『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹(徳間書店、2000年)以下同】
彼らは貴重な食料や資源の獲得とともに、キリスト教を宣教することを目的としていた。思想的侵略といってよい。神の僕(しもべ)は神の代理人でもあった。
小室直樹はヨーロッパ人の暴力性を一文で解き明かす。
その答えは『旧約聖書』の「ヨシュア記」を読むとわかる。(中略)
「ヨシュア記」にこそ〈宗教の秘密〉は隠されているのだ。
神はイスラエルの民にカナンの地を約束した。ところが、イスラエルの民がしばらくエジプトにいるうちに、カナンの地は異民族に占領されていた。そこで、「主(神)はせっかく地を約束してくださいましたけれども、そこには異民族がおります」といった。すると神はどう答えたか。「異民族は皆殺しにせよ」と、こういったのだ。
神の命令は絶対である。絶対に正しい。
となれば、異民族は鏖(みなごろし)にしなくてはならない。殺し残したら、それは神の命令に背いたことになる。それは罪だ。
したがって、「ヨシュア記」を読むと、大人も子供も、女も男も、一人残さず殺したという件(くだり)がやたらと出てくる。(中略)
異教徒の虐殺に次ぐ大虐殺、それは神の命令なのである。
長らく抱えてきた西洋世界への疑問が氷解した。モンゴルと中東からの圧力から解放されたヨーロッパ人は、アメリカでインディアンを虐殺し、国内では魔女狩りを行っていた。
・侵略者コロンブスの悪意/『わが魂を聖地に埋めよ アメリカ・インディアン闘争史』ディー・ブラウン
・「コロンブスの新大陸発見は先住民虐殺の始まり」、チリ先住民が抗議デモ
・魔女は生木でゆっくりと焼かれた/『魔女狩り』森島恒雄
・「欧米人が仕掛ける罠」武田邦彦、高山正之
更に小室は驚くべき指摘をする。
「隣人にかぎりなき奉仕をする人」が、同時に大虐殺を行っても矛盾ではない。両方とも神の命令であるからである。
つまりヨーロッパ人が虐殺と慈善活動を同時に行うことには合理性があるのだ。「理」とは東洋の道理とは異なり、この世界を創造した神の摂理を意味する。
信仰とはただ神を仰いで神の言葉に従うことだ。厳密にいえば仏教の信心とは異なる。まず西洋と東洋の言葉の溝を理解することが重要だ。それゆえ西洋世界の信仰とは教条主義(ドグマティズム)となる。
日本語の「絶対」は副詞として使われることが多く、「どうしても、なにがなんでも、必ず、決して」(Weblio 辞書)との意味合いである。だが西洋の絶対は違う。絶対とは動かし得ない座標軸である神を意味するのだ。
であるからして天動説が地動説にとって変わろうとも、神だけは不動の位置を占めている――などと説明を試みる私の文章もまだまだ甘い。「神が絶対」なのではなく「絶対とは神のこと」なのだ。
神という絶対の前に自分が存在する。これが「個人」である。「個人」とは翻訳語であって明治以前の日本に「個人」という概念は存在しなかったと考えてよい。柳父章〈やなぶ・あきら〉は「個人ではなく身分としての存在」であったと指摘している。
そして神という絶対性に対置するところに自我が立ち現れるのだ。キリスト教の自我と仏教の我も異なる。自我は存在性で、我は当体・主体を意味する。自己実現病に取りつかれている人々が増えているのは、キリスト教文明による害毒であると思えてならない。
絶対の前では自我が揺らぐ。自我は絶対ではないからだ。それゆえ確実な存在性を示すためにデカルトは考え続けた――「我思う、ゆえに我あり」。あいつが思っていたのは神様のことだ。生きている間の存在証明はできたとしても、死を前にしては無力な哲学だ。やつらの死後は神に祝福されることが約束されているから、死と取り組む必要もなかったのだろう。
神という絶対性が人間を言葉の奴隷にした。そしてヨーロッパ人は殺戮(さつりく)の限りを尽くした。一方ブッダは存在=我を打ち破り、諸法無我と悟った。時間軸においては諸行無常である。これが「空」(くう)の思想だ。神は点であるが、空はあらゆる次元へと広がっている。
・川はどこにあるのか?
世界を平和にするためには神に死んでもらう他ない。本気でそう思う。
・虐殺者コロンブス/『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史』ハワード ジン、レベッカ・ステフォフ編
・エンリケ航海王子
・ナット・ターナーと鹿野武一の共通点/『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン
・戦争まみれのヨーロッパ史/『戦争と資本主義』ヴェルナー・ゾンバルト
・ポルトガル人の奴隷売買に激怒した豊臣秀吉/『人種差別から読み解く大東亜戦争』岩田温
2012-04-08
シリア情勢 記者の戦闘参加・情報捏造 フランス人諜報員逮捕
2012年3月6日独立記者ティエリ・メサン。フランス兵逮捕、ババアムルからの仏記者の逃避の状況、ホムスハリウッド、CNN・アルジャジーラの記者による情報捏造の証拠、フランスでの検閲、大統領選への影響など。
◎シリア危機 アルジャジーラ情報捏造の現場
2012-04-06
「Money As Debt」(負債としてのお金)
・「腐敗した銀行制度」カナダ12歳の少女による講演
・30分で判る 経済の仕組み
・「Money As Debt」(負債としてのお金)
・武田邦彦『現代のコペルニクス』 日本の重大問題(2)国の借金
・『サヨナラ!操作された「お金と民主主義」 なるほど!「マネーの構造」がよーく分かった』天野統康
・『マネーの正体 金融資産を守るためにわれわれが知っておくべきこと』吉田繁治
・『〈借金人間〉製造工場 “負債"の政治経済学』マウリツィオ・ラッツァラート
直訳すれば「負債としてのマネー」。お金ができる仕組み。銀行の詐欺システム。
・学校の先生が絶対に教えてくれないゴールドスミス物語
・信用創造のカラクリ
・ある中学校のクラスでシャーペンの芯が通貨になった話
・『モノポリー・マン 連邦準備銀行の手口』
・『アメリカ:自由からファシズムへ』アーロン・ルッソ監督
・モンサント社が開発するターミネーター技術]/『自殺する種子 アグロバイオ企業が食を支配する』安田節子
・ネイサン・ロスチャイルドの逆売りとワーテルローの戦い/『ロスチャイルド、通貨強奪の歴史とそのシナリオ 影の支配者たちがアジアを狙う』宋鴻兵
2012-04-05
キリスト教の「愛(アガペー)」と仏教の「空(くう)」/『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹
・『青い空』海老沢泰久
・キリスト教の「愛(アガペー)」と仏教の「空(くう)」
・「異民族は皆殺しにせよ」と神は命じた
・宗教には啓典宗教とそれ以外の宗教がある
・『イエス』ルドルフ・カール・ブルトマン
・『世界史の新常識』文藝春秋編
・『日本人のためのイスラム原論』小室直樹
・目指せ“明るい教祖ライフ”!/『完全教祖マニュアル』架神恭介、辰巳一世
・キリスト教を知るための書籍
・宗教とは何か?
・必読書リスト その五
キリスト教の「愛(アガペー)」は、真(まこと)に驚くべき教義である。それは、何千年ものイスラエルの宗教がのぼりつめた「苦難の僕(しもべ)」の教説から発生した。そして、全世界を包み込むほどのエクスタシーを発散し、資本主義とデモクラシーと近代法を生んだ。
仏教の「空(くう)」は、人類が到達した最深、最高の哲理であろう。それは、形式論理学、記号論理学をも超越している論理を駆使していることが、最近明らかにされてきた。「空」は、最近の社会科学、自然科学を比喩として用いるとき、初めて鮮明に理解されるであろう。
【『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹(徳間書店、2000年)】
ずっと奇人だと思い込んでいた。数年前にカッパ・ビジネスを3冊ほど読んで、ただの奇人ではないことがわかった。
小沢遼子足蹴り事件
1983年1月26日、ロッキード事件被告田中角栄への求刑公判の日、テレビ朝日の番組「こんにちは2時」の生放送に出演した。番組のテーマはもちろん角栄の裁判であり、小沢遼子ら反角栄側2人と小室による討論を行った。ところが冒頭、突然立ち上がってこぶしをふり上げ、「田中がこんなになったのは検察が悪いからだ。検事をぶっ殺してやりたい。検察官は死刑だ」とわめき出し、田中批判を繰り広げた小沢遼子を足蹴にして退場させられた。
ところが、翌日朝、同局は小室を「モーニングショー」に生出演させた。その際さらにパワーアップしてカメラの面前で「政治家は賄賂を取ってもよいし、汚職をしてもよい。それで国民が豊かになればよい。政治家の道義と小市民的な道義はちがう。政治家に小市民的な道義を求めることは間違いだ。政治家は人を殺したってよい。黒田清隆は自分の奥さんを殺したって何でもなかった」などと叫び、そのまま放送された。
これをもってテレビ出演はほとんどなくなり、以後、奇人と評された。
【Wikipedia】
谷沢永一〈たにざわ・えいいち〉も同じような主張をしているが、よくよく吟味をすれば一定の合理性はある。小沢事件に端を発する「政治とカネの問題」などは、確かに政治家を小市民に貶(おとし)めるような同調圧力が働いている。
清廉潔白で無能な政治家が一番困る。
小室は社会科学的アプローチで五大宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教、儒教)を読み解く。その合理性が曖昧さを退ける。「日本人のための宗教原論」というタイトルに偽りはない。
信者の瞳は崇拝感情によって曇っている。客観的な評価は困難であろう。小室は冷徹な眼でバッサバッサと斬り捨てる。
2000年を経てもなお人々の胸に鮮やかな影を落とす人物が存在する。その事実が重い。彼らは神仏などではなく人間であった。否、彼らこそが真の人間を示したのだ。
ヤスパースは「軸の時代」(枢軸時代)と名づけた。人類は精神的な存在へと飛翔した。
振る舞いとしての「愛」と、哲理としての「空」が一致するところに真の宗教性がある。イエスとブッダが直接出会うことがあったならば、決して争うような真似はしなかったはずだ。
文明や科学の発達は部分的な幸福を支えてはいるが、人生の苦悩を解決するものではない。量子力学が恋の悩みを軽くすることもなければ、ゲーデルの不完全性定理が職場の人間関係を改善してくれるわけでもない。
だとすれば、やはり宗教性が大切なのだ。特定の信仰を持つ必要はない。制度宗教、組織宗教に額づくよりも、自分の目と手で直接触れて学んでゆくことが正しい。
「誰が」説いたかよりも、「説かれた教え」が重要だ。これを依法不依人(えほうふえにん/法四依の一つ)という。
・神智学協会というコネクター/『仏教と西洋の出会い』フレデリック・ルノワール
・ウイルスとしての宗教/『解明される宗教 進化論的アプローチ』 ダニエル・C・デネット
・欽定訳聖書の歴史的意味/『現代版 魔女の鉄槌』苫米地英人
2012-04-04
宋鴻兵
1冊読了。
19冊目『ロスチャイルド、通貨強奪の歴史とそのシナリオ 影の支配者たちがアジアを狙う』宋鴻兵〈ソン・ホンビン〉:橋本碩也〈はしもと・せきや〉監訳、河本佳世〈かわもと・かよ〉訳(ランダムハウス講談社、2009年)/やはり中国は侮れない。私は知った。1968年生まれの恐るべき知性を。その名、宋鴻兵〈ソン・ホンビン〉。タイトルが仰々しくて陰謀モノの匂いを放っているが、ロスチャイルド家を巡る金融の歴史と手口が描かれている。この手の本の中では決定版といってよい。結局のところ、資本主義の命運が決まったのは産業革命などではなく、ナポレオンの敗退(ワーテルローの戦い)であった。本書を読むと中野剛志〈なかの・たけし〉ですら子供じみて見えてくる。
2012-04-03
Roger Ridley - I've Got Dreams to Remember
リドリーの歌う「Stand By Me」をサンタモニカで聴いたことが世界のミュージシャンを結ぶPlaying for Changeのコンセプトにつながっていったと制作者が回顧している/ロジャー・リドリー: sound frontiers frontiers.seesaa.net/article/134799…
— 小野不一さん (@fuitsuono) 4月 3, 2012
それがこの曲だ。
・「Playing for Change」Songs Around the World
twitterで紹介したところ、「I've Got Dreams to Remember」を発見。オーティス・レディングやエタ・ジェイムズよりも素晴らしい。どこか浪曲を思わせる雰囲気が漂う。声ではなく喉で歌い上げている。路上に轟く力強い声が、海を渡って私の胸を激しく打つ。
第七番目の方角/『それでもあなたの道を行け インディアンが語るナチュラル・ウィズダム』ジョセフ・ブルチャック
私の大好きな話に「第七番目の方角」というのがある。私はこれを、現代ラコタ族のすぐれた伝承の語り手である、ケヴィン・ロックから教えてもらった。それはこういう話だ。
「グレート・スピリットであるワカンタンカ(※スー族の崇める大精霊「ワカンタンカ〈ワカン=神秘、タンカ=大いなる〉」)は、六つの方角を決めた。すなわち、東、南、西、北、上、下である。しかし、まだひとつだけ、決められていない方角が残されていた。この七番目の方角は、すべてのなかでもっとも力にあふれ、もっとも偉大な知恵と強さを秘めている方角だったので、グレート・スピリットであるワカンタンカは、それをどこか簡単には見つからない場所に置こうと考えた。そしてとうとうそれは、人間がものを探すときにいちばん最後になって気がつく場所に隠されることになった。それがどこであったかというと、ひとりひとりの心のなかだったという話だ」(はじめに)
【『それでもあなたの道を行け インディアンが語るナチュラル・ウィズダム』ジョセフ・ブルチャック:中沢新一、石川雄午訳〈いしかわ・ゆうご〉(めるくまーる、1998年)】
表紙の顔に眼が釘付けとなった。インディアンの若者は真っ直ぐに私を見つめていた。世に直線が存在するのであれば、彼の視線こそは正しく直線であった。双眸(そうぼう)は清らかな光を発し、顎(あご)のラインが力強い意志を感じさせる。気高き香りが濃厚さを伴って漂ってくるようだ。
インディアンの風貌はそれ自体が詩であり音楽でもある。彼らは「人間の顔」を持っている。我々の弛緩(しかん)し、のっぺりした顔とは大違いだ。真っ当な生活、そして正しい感情が表情を彫琢(ちょうたく)するのだろう。
「第七番目の方角」は「内なる方向」であった。座標軸ではなく方向という指摘が重い。つまり特異点ではなく、その向こう側の領域なのだ。インディアン仏法における生死不二(しょうじふに)といってよい。
人々を覚醒させる真理を私は仏法と呼ぶ。特定の教団へ誘(いざな)い、他勢力と競い争う言説は、商用レベルのプロパガンダであって仏法ではない。むしろ政治的言説といってよかろう。彼らは真理ではなく集団力学に支配されている。
第七の道を行く人は、澄み切った湖面のような厳粛なる静けさを湛(たた)えている。彼らは言葉で語らない。目で語るがゆえに。これを白毫相(びゃくごうそう)という。
2012-04-02
魚津郁夫、こうの史代
『プラグマティズムの思想』魚津郁夫〈うおづ・いくお〉(ちくま学芸文庫、2006年/財団法人放送大学教育振興会、2001年『現代アメリカ思想』加筆、改題)/良書。20代、30代で読んでおくべきだった。今となっては不要。
18冊目『夕凪の街 桜の国』こうの史代〈ふみよ〉(双葉社、2004年)/微妙だ。「夕凪の街」は読んでよかった。ただ、漫画作品としてはあまり評価できない。物語が寸断されており、出来損ないのモザイク画みたいになってしまっている。こうのは、取材した情報の重みに耐えられなかったのではあるまいか。広角で描かれた淡い景色の絵は実に味わい深い。