2001-08-13

死して尚登り続ける遺体の崇高さ/『そして謎は残った 伝説の登山家マロリー発見記』ヨッヘン・ヘムレブ、エリック・R・サイモンスン、ラリー・A・ジョンソン


・『星と嵐』ガストン・レビュファ
『神々の山嶺』夢枕獏
・『狼は帰らず アルピニスト・森田勝の生と死』佐瀬稔
『ビヨンド・リスク 世界のクライマー17人が語る冒険の思想』ニコラス・オコネル

 ・死して尚登り続ける遺体の崇高さ

【動画】ジョージ・マロリーの遺体発見
『ビヨンド・ザ・エッジ 歴史を変えたエベレスト初登頂』リアン・プーリー監督
・『ソロ 単独登攀者 山野井泰史』丸山直樹
『凍(とう)』沢木耕太郎
『アート・オブ・フリーダム 稀代のクライマー、ヴォイテク・クルティカの登攀と人生』ベルナデット・マクドナルド


【亡くなる4年前の写真。34歳】

 このあどけない風貌の男の内側で、修羅の炎が燃え盛っていた。

 副題は「伝説の登山家マロリー発見記」。著者に名を連ねるのはヨッヘン・ヘムレブ、ラリー・A・ジョンソン、エリック・R・サイモンスン。この3人がエヴェレストに登り、マロリーを発見したチームの主要人物。

 ニュース性が高い内容だけに、やや面白みに欠けるのは仕方がないだろう。夢枕獏の『神々の山嶺』(集英社)を読んだ方であれば、手に取らざるを得なくなるはずだ。表紙に配された2枚の写真。マロリーの肖像とエヴェレストにしがみつくような姿勢で真っ白な彫像を思わせる遺体。巻頭の写真をよくよく見ると、地面の傾斜角度は、ほぼ45度。右足首があらぬ方向を向き、完全に折れてしまっている。

 各章の頭にマロリーの言葉が掲げられている――

 打ち負かされて降りてくる自分の姿など、とても想像できない……

【『そして謎は残った 伝説の登山家マロリー発見記』ヨッヘン・ヘムレブ、エリック・R・サイモンスン、ラリー・A・ジョンソン:海津正彦〈かいつ・まさひこ〉、高津幸枝〈たかつ・ゆきえ〉訳(文藝春秋、1999年)以下同】

 それがどんなに私の心をとらえているか、とうてい説明しきれない……

 大胆な想像力で夢に描いたものより遥か高みの空に、エヴェレストの山頂が現われた

 もう一度、そしてこれが最後――そういう覚悟で、私たちはロンブク氷河を上へ上へ前進していく。待っているものは勝利か、それとも決定的敗北か

 マロリーの人とナリが窺えて興味深い。

 エヴェレストの山頂がエドマンド・ヒラリーとシェルパのテンジン・ノルゲイによって制覇されたのは1953年5月。これに先立つこと約30年、1924年にジョージ・マロリーは山頂近くでその姿を確認されたまま行方不明となった。当時の写真を見て驚かされるのはその服装である。ツイード・ジャケットにゲートルを巻いた程度の軽装で、現在であれば、富士山にも登れないような格好をしているのだ。世界で最も天に近い地を踏んでみせる!――男達の顔はそんな不敵な匂いを放っている。

「マロリーは登頂に成功したのか否か?」という最大の関心事には、遺体があった位置などから、かなり真実性を帯びた推測がなされている。これは読んでのお楽しみ。

「なぜ、山に登るのか?」
「そこに山があるからだ」

 実はこれ、意訳。正確にはこうだ。

「なぜ、エヴェレストに登るのか?」(記者からのしつこい質問)
「そこに、それ(人類未踏の最高峰)があるからだ」

 この名言を吐いた男の亡き骸は、発見されるまでの75年間にわたって、山頂を目指していた姿だ。最後の最後まで戦い続けた男の執念は、死にゆくその瞬間まで絶対にあきらめようとしなかった。エヴェレスト北面8160mで彼は死後も戦い続けていたのだ。滑落姿勢を保ち、エヴェレストの大地に指の爪を立てたままで――。「生きるとはこういうことだ! 私を見よ!」。マロリーの死に様は、生ある全ての人の背筋を正さずにはおかない。この姿を一度(ひとたび)見れば、誰もが生き方を変えざるを得なくなるはずだ。

 それは単なる遺体ではなく、不屈の魂そのものだった。マロリーの精神は、エヴェレストの山頂よりも遥かな高みから山男たちを見守っていることだろう。