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2020-07-26

混乱が人材を育む/『響きあう脳と身体』甲野善紀、茂木健一郎


『古武術介護入門 古の身体技法をヒントに新しい身体介助法を提案する』岡田慎一郎
・『古武術で毎日がラクラク! 疲れない、ケガしない「体の使い方」』甲野善紀指導、荻野アンナ文
『体の知性を取り戻す』尹雄大

 ・混乱が人材を育む

『武術と医術 人を活かすメソッド』甲野善紀、小池弘人
・『日本人の身体』安田登

身体革命

茂木●一方、私たちは科学者として生きているわけではなくて、生活者として生きています。科学で説明できないからといって、存在しないというわけではありませんから、科学で説明できない部分を何らかの形で引き受け、生活者として実践していかなくてはならない。
 そうすると結局、科学で説明できないことについては、自分の経験や感覚、歴史性を通して引き受けていくしかないんですね。世の中にある現象のうち、易しいものは科学で説明できるけれど、難しいものは科学で説明できない。でも、生きていくためには、科学で説明できない難しさのものも、たくさん活用していかなくてはいけない。生活者である私たちは、科学がすべてを解明するのを待つことはできませんから、「これは今のところ科学的には説明できない現象なんだ」と受け入れ、それ以外の説明を活用していくしかないということです。

【『響きあう脳と身体』甲野善紀〈こうの・よしのり〉、茂木健一郎〈もぎ・けんいちろう〉(バジリコ、2008年/新潮文庫、2010年)】

 中々言えない言葉である。まして科学者であれば尚更だ。複雑系科学不確定性原理ラプラスの悪魔を葬った。宇宙に存在する全ての原子の位置と運動量を知ったとしても未来は予測できない。

 科学者が合理的かといえば決してそうではない。彼らは古い知識に束縛されて新しい知見をこれでもかと否定する。アイザック・ニュートンは錬金術師であった。ケプラーは魔女の存在を信じていた。アーサー・エディントンはブラックホールの存在を否定した。産褥熱は産科医の手洗いで防げるとイグナーツが指摘したが医学界は受け入れなかった。オーストラリアのロビン・ウォレンとバリー・マーシャルがピロリ菌を発見し、これが胃潰瘍の原因だと発表した際も若い二人を医学界は無視した。

 科学は説明である。何をどう説明されたところで不幸な人が幸福になることはない。恋の悩みすら解決できないことだろう。

甲野●結局のところ、社会制度が整備化されて、標準化されることによって、つまらない人間が増えてきたということではないですか。たとえば明治維新後すぐの日本は、すべての制度が不備だった。会社や官僚組織なんかでも、ほとんどが縁故採用だったわけですが、多様な、ほんとうにおもしろい人材が育っていった。コネで採用するというのも選ぶ側に人を見る眼があると、けっこういい人材がそろうんですよね。
 ところが、日露戦争に勝ち、「日本は強くなった。成功した」という意識が広がり、いろんなインフラを整備して、社会がシステム化された結果、そういうシステムの中で採用されて育った人間が、太平洋戦争で大失敗してしまったわけですよ。やっぱり混乱期の、いろいろなことが大雑把で混乱している時のほうが、おもしろい人間が育ちやすいのではないかと思います。

 これは一つの見識である。さすが古文書を読んでいるだけのことはある。鎌倉時代から既に700年近く続いた侍は官僚と化していたのだろう。侍の語源は「侍(さぶら)ふ」で「従う」という意味だ。もともと侍=官人(かんにん)であるがそこには命を懸けて主君を守るとの原則があった。責任を問われればいつでも腹を切る覚悟も必要だった。ところが詰め腹を切らされるようなことが増えてくれば武士の士気は下がる。結局切腹という作法すら形骸化していったのだ。

 明治維新で活躍したのは下級武士だった。エリートは失うものが多いところに弱点がある。身分の低い者にはそれがない。まして彼らは若かった。明治維新は綱渡りの連続だった。諸藩の動向も倒幕・佐幕とはっきりしていたわけではなかった。戦闘行為に巻き込まれるような格好で倒幕に傾いたのだ。しかも財政は幕府も藩も完全に行き詰まっていた。外国人からカネを借り、贋金(にせがね)を鋳造し、豪商からの借金を踏み倒して明治維新は成った。

 実に不思議な革命であった。幕府を倒したという意味では革命だが西洋の市民革命とは様相を異にした。それまで日本の身分制度の頂点にいた武士が自ら権益と武器を手放したのだ。気がつけばいつの間にか攘夷の風は止んで開国していた。この計画性のなさこそが日本らしさなのだろう。

 果たして次の日本を担う人材は今どこで眠っているのだろうか?

2014-10-02

土俗性と普遍性/『涙の理由』重松清、茂木健一郎


【茂木】普遍性が、ある種の土俗性を切り捨てたところに成り立っている。そこに、忸怩(じくじ)たるものを感じるのかもしれない。

【『涙の理由』重松清、茂木健一郎(宝島社、2009年/宝島SUGOI文庫、2014年)】

 茂木健一郎が精力的に対談本を出し、佐藤優がそれに続いたような印象がある。「どれどれ」と思いながら開いたところ、そのまま読み終えてしまった。初対面の中年男二人がちょっとぎこちない挨拶を交わし、茂木がリードしながら会話が進む。この二人、実は少年時代から抱えている影の部分が似ている。

 茂木の指摘は小説に対するものだが、そのまま宗教にも当てはまる。民俗信仰(民俗宗教)が世界宗教に飛躍する時、儀式性よりも理論が優先される。ここで民俗的文化が切り捨てられる。それを個性と言い換えてもよかろう。つまり味を薄めることで人々が受け入れやすい素地ができるのだろう。これが妥協かといえば、そう簡単な話でもない。

 唐突ではあるが結論を述べよう。私はインディアンのスピリチュアリズムは好きなのだが、ニューエイジのスピリチュアリズムは否定する。両者の違いは奈辺にあるのだろうか? それが土俗性であり、もっと踏み込めばアニミズムということになろう。

 一神教や大衆部(大乗仏教)は神仏を設定することで土俗性を破壊する。そして必ず政治的支配(権力)と結びつく。日本が仏教を輸入したのも国家戦略に基づくものであった。

 そう考えるとよくわかるのだが、ブッダやクリシュナムルティの教えは最小公約数的な原理を示しているだけで、特定の神仏への帰依を強要するものではない。手垢まみれになった宗教という言葉よりも、根本の道というイメージに近い。

2012-08-12

「哲学:切り開くために」茂木健一郎(第1回応用哲学会、京都大学)


 質疑応答で茂木が激昂する場面がある。茂木は質問に込められたプロ市民的な意図を撃った。また、それ以前の質問がとにかく冗長で、一様に「自分」を語っている。茂木の怒りは「コミュニケーションの欠落」に向けられたものだと思う。司会者に「会を司る」緊張感がなく、登壇者に甘えた姿勢が会全体を台無しにしている。

2012-04-22

「知性とは何か」茂木健一郎



G1サミット2012 第10部分科会 知性とは何か

知性とは何か。太古から人は言語を生み、火を使い、森羅万象の中に法則性を見出すことによって進歩を遂げてきた。闇の深淵に何があるのかという畏怖と探求心は、宗教を生み
­出し、天文学をつくり、ロケットを発明した。見えないものを見ようとする知性は、新たな世界観を育み、世界を変革する力となって、人類をいまだ知らざる土地へと連れて行く­。宇宙を回遊し、インターネットでつながれた情報の海を泳ぎながら、現代における知性は、どのような世界を夢想するのだろうか。脳科学者の茂木健一郎氏が語る知性とは。(­文中敬称略。肩書は2012年2月12日登壇当時のもの)。

スピーカー:
茂木健一郎 脳科学者

聴き手:
國領二郎 慶應義塾大学 教授

2012年2月12日 於:青森

【みどころ】
・才能とは「非典型的な知性」であり、これこそがグローバル社会で求められている
・知性のあり方、学力観を問い直さないと、日本はあぶない
・自然科学者が英語、文系学者が日本語で研究することが相互交流を分断している
・TOEICという検定試験のようなもので英語力を図るのはおかしい
・英語を学ぶ真の意味は、世界の知のバトルや現場の息吹を知るため
・圧倒的な知性の持ち主は、ペーパーテストなしでも話して、書いたものを見ればわかる
・遺伝の相関係数は平均50-60%、あとは環境によって決まる
・スティーブ・ジョブズのように「欠落」が非典型的な知性をはぐくむこともある
・美人は収束進化、皆の顔を平均的にしたものが美人。一方天才は収束的でなく、脳の特定部位の部分最適による
・大事なのはソーシャル・センシティビティ、グループで互いに能力を補い合うことで素晴らしいものを生み出せる
・面倒くさいことを粘り強くすると、脳の回路が活動しジェネラル・インテリジェンスは上がる
・非典型的な知性の育み方はケース・バイ・ケースで脳科学的にも不明
・パッション(受難が語源)、苦しんだ人、欠落した人が持つもの
・天才は、意識が押さえている無意識をうまく「脱抑制」できる人
・何が起こるかわからない状況にも適応できる知性を、いかにはぐくむか

◎茂木健一郎

感動する脳 (PHP文庫) 生命と偶有性 生きて死ぬ私 (ちくま文庫) 空の智慧、科学のこころ (集英社新書)