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2020-05-16

ルワンダ大虐殺の重要指名手配犯、フランスで逮捕


 ・ルワンダ大虐殺の重要指名手配犯、フランスで逮捕

『ホテル・ルワンダ』テリー・ジョージ監督

2020年5月16日 21:38 発信地:パリ/フランス [ フランス ヨーロッパ ルワンダ アフリカ ]

【5月16日 AFP】(更新、写真追加)フランスの警察当局は16日、ルワンダ大虐殺をめぐる残り少ない重要指名手配犯であるフェリシアン・カブガ(Felicien Kabuga)容疑者を逮捕した。当局者が明らかにした。

 検察および警察当局は共同で声明を発表し、かつてルワンダ有数の富豪であり、大虐殺において資金を工面した84歳の同容疑者が、パリ郊外で偽名を使って暮らしていたと明かした。

 この声明によると、夜明けごろに実施された作戦により、「司法当局が25年間行方を追っていた」逃亡者が逮捕されたという。

 フツ(Hutu)人の過激派によってツチ(Tutsi)人だけでなく穏健派のフツ人も虐殺された1994年のジェノサイド(大量虐殺)では、80万人前後が犠牲となった。

 先の声明は、カブガ容疑者はパリ北方のアニエールシュルセーヌ(Asnieres-sur-Seine)で、共犯者である自身の子どもたちとともに身を隠して暮らしていたとし、「フェリシアン・カブガはルワンダにおけるジェノサイドの資金担当者として知られる」と説明している。

 同容疑者は、虐殺を実行した悪名高い民兵組織インテラハムウェ(Interahamwe)を創設したとされる。

 また人々に殺人の実行を放送で呼びかけたことで、同じく悪名高いミルコリンヌ自由ラジオ・テレビジョン(Radio-Television Libre des Mille Collines)の創設を援助した。(c)AFP

2018-09-29

玉に瑕ある傑作/『ジェノサイド』高野和明


『13階段』高野和明
『グレイヴディッガー』高野和明

 ・自虐史観のリトマス試験紙
 ・玉に瑕ある傑作

『実際のところ、約600万年前にチンパンジーとの共通祖先から枝分かれした生物は、猿人、原人、旧人、新人と姿を変える過程で、進化の速度を明らかに加速させている。人類の進化は、明日にでも起こり得るのである。
 現生人類から進化を遂げた次世代のヒトは、大脳新皮質をより増大させ、我々をはるかに凌駕(りょうが)する圧倒的な知性を有するはずである。その知的能力を、オリヴィエはこのように想像する。「第四次元の理解、複雑な全体をとっさに把握すること、第六感の獲得、無限に発展した道徳意識の保有、特に我々の悟性には不可解な精神的特質の所有」
 このような次世代の人類が出現し得る場所は、文明国ではなく、周囲との交通が遮断された未開の地である可能性が高い。こうした地域に住む少数の集団では、個体レベルの遺伝子変異が集団間に定着しやすいためである。
 では、新たに誕生したヒトは、どのように行動するだろうか。間違いなく言えることは、我々を滅ぼしにかかるだろうということである。現生人類と次世代の人類、この二つの生物種は生態的地位(エコロジカル・ニッチ)が完全に一致するため、我々を排除しない限り、彼らの生息場所は確保されない。その上、彼らから見た現生人類とは、同種間の殺し合いに明け暮れ、地球環境そのものを破壊するだけの科学技術を持つに至った。危険極まりない下等動物なのだ。知的にも道徳的にも劣った生物種は、より高度な知性によって抹殺される。
 人類の進化が起これば、ほどなくして我々は地球上から姿を消す。北京原人やネアンデルタール人と同じ運命を辿るのである――』

【『ジェノサイド』高野和明(角川書店、2011年/角川文庫、2013年)】

 私が初めて読んだ高野作品である。文章といい筋書きといい文句なしなのだが、如何せん自虐史観を披露してしまっている。20年前に出版されていたなら大ベストセラーとなっていたことだろう。「たまたま」とか「迂闊」(うかつ)で済ませるわけにはいかない。たぶん高野和明は真性の左翼だろう。

 それでも読む価値はある。ルワンダ大虐殺にも触れていてジェノサイドのメカニズムが巧みに説明されている。歴史認識のリトマス試験紙と考えれば有意な一冊といってよい。

 高野は満を持して本書を執筆したに違いない。自虐史観に対する批判も承知の上で書いたのだろう。そもそも大衆は近代史などに興味がない上、義務教育もマスコミも自虐史観を踏襲しているのだ。一定のファン層を拡大してしまえば、小さな嘘は見過ごされる可能性が高い。そんな思惑があったのではないか。

 無知な人々は嘘を見抜けない。そして人は漫然と見過ごす情報にマインドをコントロールされてゆく。「知は力」(フランシス・ベーコン)なのだがその力はプラスにもマイナスにも働く。

 ソ連が崩壊し冷戦構造に終焉を告げたわけだが左翼は死んでいなかった。驚くべき事実である。特に「新しい歴史教科書をつくる会」(1996年設立)や第一次安倍内閣(2006年)、第二次安倍内閣(2012年)に対して新聞・テレビを巻き込んで尖鋭的な動きが出てきた。

 就中、2017年5月3日、第19回公開憲法フォーラムに寄せたビデオメッセージで安倍首相が憲法改正に向けて踏み込んだ発言をするや否や、野党と新聞・テレビは森友学園問題~加計学園問題を執拗(しつよう)に取り上げ始めた。政権バッシングのキャンペーンともいうべき現象で国会は1年間にわたって空転を余儀なくされた。北朝鮮が核開発を行い、中国が領空・領海侵犯を繰り返す状況にありながら、国会では学校の許認可を巡る議論が継続されてきたのは異常事態といってよい。

 国を貶める行動や言論を放置し続けてきたツケが回ってきたのだ。スパイを取り締まる法律すら作ることなく、海外マネーが政党に流れるような国である。戦争でも起こらない限り目を覚ますことは難しいだろう。

ジェノサイド 上 (角川文庫)
高野 和明
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ジェノサイド 下 (角川文庫)
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2016-05-15

Stromae - Papaoutai (PV) 歌詞・和訳付


 ・Stromae - Papaoutai (PV) 歌詞・和訳付
 ・アフリカの才能 ケイナーン、テテ、ストロマエ

 中野信子の好きな曲。ストロマエはベルギー生まれのヒップホップミュージシャンだ。父がルワンダ人で母がベルギー人という家庭に生まれ、幼い頃に父がルワンダへ去ってしまう。そして父はルワンダ大虐殺の犠牲となった。こうした実体験を踏まえると、歌詞が示すものはあまりにも複雑で重い。

 ニコ動が表示できないので、リンクを貼り付けておく。

【ニコニコ動画】【HD】 Stromae - Papaoutai (PV) 歌詞・和訳付




(1:29:00から。観客の大合唱。バックメンバーに Yoshi Masusda という日本人がいる。1:37:30)

Racine Carree

stromaeのpapaoutaiが衝撃的!!

2014-04-07

大虐殺を見守るしかなかったPKO司令官/『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか PKO司令官の手記』ロメオ・ダレール


 以下は、1994年ルワンダで起こったことをめぐる私の物語である。それは裏切り、失敗、愚直、無関心、憎悪、ジェノサイド、戦争、非人間性、そして悪に関する物語だ。強い人間関係が作られ、道徳的で倫理的かつ勇敢な行動がしばしば描かれるものの、それらは近年の歴史の中で最も迅速におこなわれ、最も効率的で、最も明白なジェノサイドには太刀打ちできない。80万人以上の罪のないルワンダの男たち、女たち、子供たちが情け容赦なく殺されるのにちょうど100日が費やされたが、その間、先進世界は平然と、また明らかに落ち着き払って、黙示録が繰り広げられているのを傍観するか、そうでなければただテレビのチャンネルを変えただけのことだった。私の父や妻の父はヨーロッパの解放に手を貸した――その時、絶滅収容所の存在が暴き出され、声を一つにして人類は「二度とこんなことはさせない」と叫んだ。それからほぼ50年たって、私たちは、この言葉にできない惨事が起こるのをふたたび手をこまねいて見ていたのだ。私たちはこれをやめさせる政治的意志もリソースも見出せなかった。以来、ルワンダを主題にして多くのことが書かれ、つい最近に起こったこのカタストロフはすでに忘れられつつあり、その教訓は無知と無関心に埋もれている、そのように私は感じている。ルワンダのジェノサイドは人類の失敗であり、それはまた疑いなく繰り返される可能性があるのだ。

【『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか PKO司令官の手記』ロメオ・ダレール:金田耕一〈かなだ・こういち〉訳(風行社、2012年)】

武装解除 紛争屋が見た世界』で伊勢崎賢治を知った。伊勢崎の著作を数冊読み、ロメオ・ダレールを知った。

「私たちは大量虐殺を未然に防ぐ努力を怠ってきた」/『NHK未来への提言 ロメオ・ダレール 戦禍なき時代を築く』ロメオ・ダレール、伊勢崎賢治

 何と、映画『ホテル・ルワンダ』に登場した国際連合ルワンダ支援団(UNAMIR)の司令官であった。



 それから直ぐに以下の動画を見つけた。

ロメオ・ダレール、ルワンダ虐殺を振り返る

 ロメオ・ダレールは元カナダ軍中将であった。その彼が帰国後、自殺未遂をした。ダレールはルワンダという地獄に身を置きながら、国連の政治に翻弄された。彼は虐殺を見守るしかなかった。真の地獄は目撃者をも間接的に殺するのだろう。ダレールは生還した。ルワンダからも、自殺からも。タフという言葉はこの男のためにある。


 当時、第8代国連難民高等弁務官を務めたのは緒方貞子であった。

ルワンダ: Strings Of Life
特別対談 | 池上彰と考える!ビジネスパーソンの「国際貢献」入門 - JICA

 緒方に反省と悔恨が見えないのはどうしたことか。緒方もダレールを見捨てた一人ではなかったか?

 信じられるのは見捨てられ、傷ついた人間である。安全な位置や快適な空間にいる連中は信用ならない。戦争決定者が戦地へ赴くことはないのだ。紛争を支えるのは大国の無関心だ。彼らは原油やゴールドが埋蔵されていない地域には目もくれない。有色人種がいくら殺し合おうと知ったことではないのだ。

 この世界を肯定することは虐殺に加担する可能性がある。

なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか―PKO司令官の手記
ロメオ ダレール
風行社
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2014-04-06

今日、ルワンダの悲劇から20年/『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ


『ホテル・ルワンダ』監督:テリー・ジョージ
『生かされて。』イマキュレー・イリバギザ、スティーヴ・アーウィン

 ・眼の前で起こった虐殺
 ・ジェノサイドが始まり白人聖職者は真っ先に逃げた
 ・今日、ルワンダの悲劇から20年

『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか PKO司令官の手記』ロメオ・ダレール
『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』写真、インタビュー=ジョナサン・トーゴヴニク
『戦場から生きのびて ぼくは少年兵士だった』イシメール・ベア
『それでも生きる子供たちへ』監督:メディ・カレフ、エミール・クストリッツァ、スパイク・リー、カティア・ルンド、ジョーダン・スコット&リドリー・スコット、ステファノ・ヴィネルッソ、ジョン・ウー
『メンデ 奴隷にされた少女』メンデ・ナーゼル、ダミアン・ルイス
『私の身に起きたこと とあるウイグル人女性の証言』清水ともみ
『命がけの証言』清水ともみ

必読書リスト その二

 そのとき私は、悪魔がこの世に存在することを知った。たった今、その瞳と視線を交わしたところだった。
 シボマナはまず、私に寄りかかっていたヴァランスに切りかかった。従弟の血が降りかかる。シボマナが再び鉈(なた)を振り上げる。私は反射的に左手で、頭の前、額の辺りを守った。まるで父親に平手打ちを食らわされる時のように。敵が襲いかかってくる。刃が振り下ろされ、私の手首をぱっさり切り落とす。左手が後ろに落ちた。温かい濃厚な液体がほとばしる。私はその場にくずおれた。

【『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ:山田美明〈やまだ・よしあき〉訳(晋遊舎、2006年)以下同】

 20年前の今日、それは起こった。大虐殺に手を染めたのは警察でも軍人でもなかった。同じ町に住む隣人であった。ここにルワンダ大虐殺の恐ろしさがある。教会による断罪でもなければ、異人種による侵略でもなかった。迫害ですらなかった。かつて宗主国であったベルギーが分割統治するべく、身長や鼻の高さなどで二つの民族を創作した。それがツチ族とフツ族だった。ベルギーに続いてイギリスとフランスが手を突っ込む。80万人の大虐殺にはミッテラン大統領の子息も関与したとされる(『山刀で切り裂かれて ルワンダ大虐殺で地獄を見た少女の告白』アニック・カイテジ)。

 本書を読んだ時、私は45歳だった。「私を変えた本」は数あれど、この一書の衝撃に比するものはない。しばらくの間、精神的に立ち上がれなくなったほどだ。そして1年後にクリシュナムルティと邂逅(かいこう)する(クリシュナムルティとの出会いは衝撃というよりも事故そのもの/『私は何も信じない クリシュナムルティ対談集』J・クリシュナムルティ)。


 レヴェリアン・ルラングァは既に鼻を削がれ、左目を抉(えぐ)り取られていた。眼の前で家族を含む43人が殺された。シボマナは顔見知りの男だった。

 本書後半で地獄を見た男の内省は神への疑問と否定に向かう。同じように私は大衆部(大乗仏教)の因果応報思想と向き合わざるを得なくなった。ルラングァは養父と暮らすことになる。この養父の言葉がいぶし銀さながらの光を放っている。

「それは勇敢だな」
 ある晩、雪の小道で養父リュックにばったり出くわした。私が、この冷え切った暗闇を歩きながら幽霊を追い払おうとしていたのだと打ち明けると、リュックはこう言った。
「そうさ、怖がらないことが勇気なんかじゃない。恐怖に耐え、苦しみを受け入れることが勇気なんだよ」

 私にとってはパウル・ティリッヒ著『生きる勇気』1冊分以上の価値がある言葉だ。セネカ(『怒りについて 他一篇』)と同じ響きが感じ取れる。理解と寛容こそが本物の優しさなのだ。だがルラングァの懊悩(おうのう)は続いた。


 二人の間には敬意のこもった愛情が織り成された。私たちの間には、随分押し付けがましい物言いもあれば、歯に衣着せぬ言い争いもあったが、言葉と沈黙を通して私たちは一緒に歩んでいった。
 例えば今日の午後も、二人の対話は随分白熱した。彼には既に話したことがあるが、私は母が腹を切り裂かれるのを見た時から信仰を失っていた。だから、模範的な説教なんかして、あまり私をうんざりさせない方がいい。私たちに生を与えておきながら私たちを死に置き去りにした、わが少年時代の司祭たち。彼らの説教を思い出すと吐き気がする。

 白人の司祭(カトリックの指導者。プロテスタントは牧師)は真っ先に国外へ逃亡した。フツ族の司祭は教会の中でツチ族の少女たちを次から次へ強姦していた。神よ……。あんたはいつまで黙っているつもりなんだ?


「ある文化の中で、服従することが神聖なことだと考えられるようになれば、人は良心の呵責なく罪なき人を殺すことができる」
 精神科医ボリス・シリュルニックはこう答える。大戦当時子供だった彼は、両親が捕まった時見事に逃げ出すことに成功した(両親はアウシュヴィッツに送られて殺された)という経験の持ち主だ。
「服従によって、殺戮者は責任を免れる。彼らはある社会システムの一員であるに過ぎないからだ。そのシステムに服従して行う行為は全て許される」

 スタンレー・ミルグラムはアイヒマン実験を通してそれを証明してみせた(『服従の心理』スタンレー・ミルグラム/『服従実験とは何だったのか スタンレー・ミルグラムの生涯と遺産』トーマス・ブラス)。権威者に判断を委ねた無責任が罪の意識を軽くする。集団は人間を手段として扱い、矮小化する。アイヒマンは裁判で「命令に従っただけ」と答えた(Wikipedia)。

 いじめも組織犯罪も大量虐殺も根っこは皆同じだ。「命令されたから」「皆がやってたから」という安易な姿勢が80万人を殺すに至ったのだ。たぶん人間には「社会の標準に位置すれば生存率が高まる」という本能があるのだろう。だが、そのまま何も考えずに進めば、やがて欲望に翻弄されて人類は滅びてしまう。現実に資本主義や新自由主義が発展途上国の貧困や餓死を支えているではないか。

 ルワンダも同様である。ジェノサイドの犯人はベルギーであり、イギリスであり、フランスだ。かの国の人々はルワンダを始めとするアフリカ諸国から奪うことで豊かな生活を享受した。このように考えると先進国の犯罪性を自覚せざるを得ない。日本の経済発展はそのすべてがアメリカの戦争に加担することで成し遂げられた。ま、戦争のおこぼれ経済といってよかろう。ツチ族を切り刻んだマチェーテ(大鉈〈おおなた〉)の大半は中国製であった。私の生活が実は何らかの形でルワンダにつながっているかもしれないのだ。


 35歳になったレヴェリアン・ルラングァの心には今どんな風が吹いているのだろうか。

 先ほどツイッターでルワンダの画層を紹介した。Bloggerには暴力表現の規制があるため貼りつけることができない。リンク先を参照せよ。

小野不一(@fuitsuono)/2014年04月06日 - Twilog



強姦から生まれた子供たち/『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』写真、インタビュー=ジョナサン・トーゴヴニク
ルワンダ大虐殺を扇動したラジオ放送
虐殺の光景
ルワンダ大虐殺の爪痕 - ジェームズ・ナクトウェイ
ルワンダの子供たち 1994年
ロメオ・ダレール、ルワンダ虐殺を振り返る

2013-05-18

虐殺の光景


 どう見てもルワンダである。だが虐殺の光景は一様に酷似している。なぜなら虐殺は人間をモノとして扱うことで成立するからだ。その意味で人形には二重のメッセージが込められている。ルワンダでは80万人もの人々が虫けらのように殺され、ボロ雑巾のような骸(むくろ)とされた。白骨化した遺体の数々は今もなお叫び声を上げている。「殺すのが正義」と信ずることができれば、人は何人でも殺せるのだ。その事実が胸から離れない。

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『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ
『生かされて。』イマキュレー・イリバギザ、スティーヴ・アーウィン
強姦から生まれた子供たち/『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』写真、インタビュー=ジョナサン・トーゴヴニク

2012-09-12

『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか PKO司令官の手記』ロメオ・ダレール:金田耕一訳(風行社、2012年)

なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか―PKO司令官の手記

 100日間で80万人が虐殺された。それも多くはマチェーテと呼ばれる山刀で。なんと数ヶ月前から、そこには国連PKO部隊がいて、危険を察知していた。しかし、彼らは手を拱(こまね)いて傍観するしかなかった。PKO部隊の司令官自身が痛恨の思いで綴る惨劇の顛末(てんまつ)。

ロメオ・ダレール、ルワンダ虐殺を振り返る
「私たちは大量虐殺を未然に防ぐ努力を怠ってきた」/『NHK未来への提言 ロメオ・ダレール 戦禍なき時代を築く』ロメオ・ダレール、伊勢崎賢治
『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ

ロメオ・ダレール、ルワンダ虐殺を振り返る










なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか―PKO司令官の手記

大虐殺を見守るしかなかったPKO司令官/『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか PKO司令官の手記』ロメオ・ダレール
『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか PKO司令官の手記』ロメオ・ダレール:金田耕一訳(風行社、2012年)

2012-02-05

強姦から生まれた子供たち/『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』写真、インタビュー=ジョナサン・トーゴヴニク


『ホテル・ルワンダ』監督:テリー・ジョージ
『生かされて。』イマキュレー・イリバギザ、スティーヴ・アーウィン
『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ
『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか PKO司令官の手記』ロメオ・ダレール

 ・強姦から生まれた子供たち

『戦場から生きのびて ぼくは少年兵士だった』イシメール・ベア
『それでも生きる子供たちへ』監督:メディ・カレフ、エミール・クストリッツァ、スパイク・リー、カティア・ルンド、ジョーダン・スコット&リドリー・スコット、ステファノ・ヴィネルッソ、ジョン・ウー
『メンデ 奴隷にされた少女』メンデ・ナーゼル、ダミアン・ルイス

 ちょっと油断をしていたら、もう品切れになってしまった。2010年刊だぞ。そりゃ、ねーだろーよ、赤々舎(あかあかしゃ)さんよ。版元になければ、是非とも図書館から借りて読んでもらいたい。特に女の子を持つお母さんは必読のこと。(※その後、増刷された)

 ルワンダ大虐殺は私の人生を変えた。

 当時は3ヶ月で100万人が殺害されたと報じられたが、現在は80万人という記述が多い。本書は母と子の写真集である。しかしながら普通の親子ではない。強姦された女性と強姦から生まれた子供だ。

 ジョナサン・トーゴヴニクは声を掛けずにはいられなかったのだろう。静かにインタビューをすることで、彼女たちの苦悶(くもん)の声を拾い上げた。神に見捨てられた女性の叫びは、いかなる神の声よりも重い。決して解決し得ない不幸がルワンダのあちこちでとぐろを巻いている。トーゴヴニクは性的暴力から生まれた子供たちの中等教育を支援するために「ルワンダ財団」を立ち上げた。

 私は奥歯を噛み締めることさえできなかった。ただ、わなわなと震えながら、血管という血管を駆け巡る怒りに翻弄された。もし許されるのであれば、どんな残虐なことでもやってのける自信はある。

 ルワンダで殺人や性的暴力や傷害を犯したフツの民兵の多くは、コンゴ民主共和国や近隣諸国へ逃げた。彼らはいまもなお現地で大規模な暴力行為を繰り広げ、多くの少女や女性たちを暴行しているのである。驚くべきことに、世界はこの地域に対して何も新たな行動を起こそうとしていない。

【『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』写真、インタビュー=ジョナサン・トーゴヴニク:竹内万里子訳(赤々舎、2010年)以下同】

 元々ルワンダの宗主国はベルギーであった。その後、フランスとイギリスが首を突っ込む。アフリカ諸国の殆どは英語圏とフランス語圏が入り乱れている。欧米諸国の複雑に絡んだ利権が暴力の温床となっている。兵器売買の流れを詳細に検討しなければ、アフリカの現状を知ることはできまい。

 ルワンダの国立人口局は、強制的な妊娠によって生まれた子供の数を、2000人から5000人と推定している。しかし被害者団体の情報によれば、その数は実際1万人からおよそ2万5000人に及ぶという。ルワンダはきわめて父権制的な社会であるため、子供は父親の一族と見なされる。つまり、内戦時の性的暴力によって生まれた子供は、その地域に暮らす大半の人々にとっては敵側の存在として受け止められるのである。彼らはしばしば「悪しき記憶の子供」とか「憎しみの子供」と呼ばれ、母親や地域の人々から「小さな殺人者」と言われることもある。それゆえ、母親が性的暴力の事実を明らかにした途端、家族から拒絶され、地域社会から何の支援も得られなくなってしまう。そこには、ジェノサイドが人々の心に残した深い傷がある。大多数の女性は当時まだ少女だったので、公的にも私的にも性的暴力の事実を認めてしまえば、結婚という将来の希望は打ち砕かれてしまう。(マリー・コンソレ・ムカゲンド)

 被害女性が今度は身内からの暴力にされされるのだ。ここに政治の本質が浮かび上がってくる。我々は常に「敵か味方か」を問わずにはいられない。敵の子を生んだ者は敵だ。たとえそれが強姦であったとしても。利益共同体は残酷さを発揮する。

 ユニセフによれば、ジェノサイドの際に性的暴力を受けた女性の70パーセントはHIVに感染している。ヒューマン・ライツ・ウォッチは、ルワンダで性的暴力によって生まれた子供たちの大半は、15歳になるまでに母親をHIV/エイズで失うことになるだろうと予測している。エイズは、女性たちの最大の死因のひとつであり続けている。(マリー・コンソレ・ムカゲンド)

 強姦された挙げ句に子供を生まされ、身内からは見放され、そしてHIVに感染する。この世界に神様なんていないことが証明されたといえよう。いるんだったら連れて来い。俺がぶん殴ってやるから。

 私は正直でなければいけません。私は、この子を決して愛してはいません。この子の父親が私にした行為を思い出すたびに、それに対する唯一の復讐は、その息子を殺すことだと感じてきました。でも、私は決してそれを実行に移しませんでした。この子を好きになろうと努力してきましたが、それでもまた好きになれずにいます。(ジョゼット)

 子供に罪はない。だがその子は罪から生まれた。これほどの矛盾があるだろうか? 愛せない子供を育てる彼女たちを思えば、イエスが背負った十字架なんぞ軽いものだ。

 ページを繰るためには勇気を必要とする。そんな本だ。

Joseline with daughter Leah

 ルワンダでジェノサイドが起こり、誰も経験したことのないような苦悩を私たちが経験したということを、あなたに世界へ伝えてほしいのです。ジェノサイドが残したものだけでも、それと共に生きてゆくのは非常に大変なことです。国際社会は私たちを助けなかったのですから、それを償うべきです。いまジェノサイドの後を生きている私たちを、助けにやって来るべきです。(ステラ)

 これは、あなたや私に突きつけられた言葉だ。我々は同じ世界にいながら、彼女たちを無視してきたのだから。

 私はいつも勝気だったので、その男は他の民兵たちに、私の身長を低くするように命じました。そこで民兵たちは私の脚を棍棒で殴りました。脚を切り落とすのではなく、粉々になるまで打ち砕いたのです。(バーナデット)

hm
(※本書とは別の写真でウガンダの女性、Heather McClintock撮影

 せめて男たちを同じ目に遭わせるべきだ。それをしておかなければモラルが成立しない。彼らには凌遅刑(りょうちけい)か石打ち刑が相応(ふさわ)しい。

 息子の未来について考えるたびに、私は何の確信ももてなくなります。それが一番の問題です。私がペンを買ってやれないので、一学期じゅう家にいることもあります。私をひどく苦しめるものがあるとすれば、それは息子の明日です。(バーナデット)

 嗚呼――言葉が出てこない。底知れぬ闇の如き沈黙に沈むのみ。

 いまでも、人々がセックスを楽しむと聞いても、セックスを楽しむということがどういう意味なのかわからないのです。私にとってセックスは拷問であり、苦しみと結びついています。(バレリー)

 暴力はここまで人間を破壊し得るのだ。

 私は家族というものに興味はありません。愛というものにも興味はありません。私の身に訪れるのは不意打ちであり、あらかじめ計画されたものではないのです。私には自分の将来が見えません。私はときどき、家族をもつ人たちと自分を比べます。そしてジェノサイドで死ななかったことを後悔します。ジェノサイドはなぜ私の命を奪わなかったのだろうかと。(イザベル)

 生きること自体が彼女にとっては業苦であった。ジェノサイドで死ななかったことを後悔します、ジェノサイドで死ななかったことを後悔します、ジェノサイドで死ななかったことを後悔します……。

 彼は大勢の男たちを連れて来て、私が脚を閉じることができなくなるまで次々と暴行させました。(ウィニー)

 その場を想像してみよ。

 私は、自分の子供たち全員が見ているところで暴行されました。最初の5人までは覚えています。その後、私はわけがわからなくなりました。私が意識を失った後もなお、彼らは私を暴行し続けました。正直に言えば、あのとき、あの教会にいた女性は、全員暴行されました。(オリビア)

 更に想像を巡らせよ。

Intended Consequences: Rwandan Children Born of Rape @ Aperture Gallery

 結局、私の心が、長男を連れて行けと命じたので、その子を抱えて教会のドアへ向かって走りました。たくさんの人たちが走っていたので、私は転んでしまいました。息子をかばおうと、その子に覆いかぶさりました。人々は次々と倒れ、4段ほどに重なりました。民兵たちはその一番上から人々を切り刻んでゆきました。1段目、2段目、そして3段目となりました。自分は次だ、とわかりました。
 民兵たちが人々を殺していくにつれて、血が滴り落ちてきました。正直に告白しますが、私の口に血が落ちてきたとき、とても喉が渇いていたので、私はそれを飲みました。塩と血の混じったような味でした。そしてついに私の段に到達すると、民兵たちは言いました。「こいつはすでに死んでいると思う」。(オリビア)

 小説家が想像力を駆使しても、これほどの地獄は描けないことだろう。多くの死が彼女を救った。

 ジェノサイドが始まったとき、私は婚約していました。私の婚約者は、最初の3日間で殺された大勢のうちのひとりでした。私は、鉈(なた)で殺された彼の死体を見ました。その後、私は愛していないたくさんの男たちに暴行されました。その結果が、この子供たちです。私はもう二度と恋に落ちません。決してセックスを楽しみません。自分が母親であることや、子供をもつことに喜びを覚えることも決してありません。私はただ、それを引き受けたのです。(ブリジット)

 最後の一言があまりにも重い。苦しみ悶える彼女たちに「新しい物語」を吹き込む宗教は存在するのだろうか? それとも物語性から離れるべきなのだろうか? 人生に意味を求める思考回路が不幸を拭えぬものとしている。

 それは理解を超えているのです。動物でさえ、あの民兵たちのように振る舞うことはできないでしょう。(アネット)

 鬼畜と化した男どもは間違いなく動物以下の生き物であった。彼らが生きることを赦(ゆる)してはなるまい。

 娘は生き延びました。後になって、この子が私を暴行した民兵の子供であることを知ると、夫は娘の世話は決してできないと言いました。そして私たちがよい関係であり続けるために、この子を殺そうと言い出しました。私にはとても受け入れられませんでした。あるとき、彼は地面に赤ん坊が横たわっているのを見つけて、その上に自転車で乗りました。幸い、この子は生き延びました。またあるときには、夜酔っ払って帰って来た夫が、赤ん坊を壁に叩きつけました。娘の鼻から血がにじみ出ました。そのとき、私は娘の命を救うためにあと一歩で家出をするところでした。(ベアタ)

 二重三重の悲劇。被害者は何度も犠牲を強いられる。その運命に抗しようとすれば、プーラン・デヴィになるしかない。

両親の目の前で強姦される少女/『女盗賊プーラン』プーラン・デヴィ

 男たちは10人以上いて、私を暴行しました。ひとりがやって来て、その男が去るとまた別の男がやって来て、そして去っていきました。いったい何人だったのか、数えられません。ある男に暴行された後、私は喉が渇いているので水をもらえないかと頼みました。男はうなずき、一杯のグラスを持って来ました。口にすると、それが血だと気づきました。その男は言いました。「おまえの兄弟の血を飲んで、行け」。それが最後でした。(マリー)

 以下のブログでは「弟の血」となっている。

KazaLogue "写真のかざろぐ"

Rwanda, photographer unknown
(※本書とは別の写真)

 中にはこのような女性も存在した。

 そして自分にこう言い聞かせたのです。「この子を殺せない。愛そう」(イベット)

 生きることとは愛することであった。

 私たちを無視した世界には、あの悪事を働いた者たちを法の下で裁くのを助けてほしいと思います。(キャサリン)

 真っ当な要求だ。しかし世界はいまだに代価を支払おうとしていない。相変わらず無視したままだ。

 出産から2年間、私には自分と子供を養うすべがありませんでした。そこで売春をしたのですが、ひどいことにまた妊娠して子供を産みました。今度は性的暴力の結果ではなく、子供を育てるために行なった売春の結果として。(キャサリン)

 売春をしなければ生きてゆけない世界。これが我々の生きる世界なのだ。怒り、ではなく狂気が私の内側で吹き荒れる。

「ここでこいつを殺すな。俺が必ず苦痛で死なせてみせる」。男はコップを持って来て、そこに放尿すると、私に飲ませました。翌日食べるものを持って来ましたが、そこには石と尿が混ぜられていました。そういうことを、男は何日間にもわたって続けました。「おまえは俺のトイレだ」と言い、放尿したいときはには私の脚を開いて、私の性器にしました。コンゴの難民キャンプへ行ってからも、男は私を離さず、したいときにはいつでも拷問や暴行を繰り返したのです。(アリン)

 願わくは私に男を処刑する権限を与えて欲しい。

Isabelle with son, Jean-Paul

 私はHIVと、この息子を負っています。しかし正直に言うなら、HIVは息子の人生ほど私を悩ませはしません。息子は私の人生そのものですから。あるとき、私は医療カードを受け取りに政府のジェノサイド生存者基金へ行きました。そこで息子の分のカードも尋ねると、私はこう言われてほとんど殺されかけました。「民兵の息子が政府のお金をもらうだなんて、いったいどうやったらそんなことが言えるんだ?」しかし私にとっては、息子は他の子供と同じ子供なのです――この子はどこに属しているのでしょうか?(エスペランス)

 家族の次は政府からも見放される。「死ね」と言われたに等しい。

 ジェノサイドについて語ろうとしても、十分な言葉が見つからないのです。(ウェラ)

 正真正銘の不幸は言葉にできない。それは「表現されること」を望まない。説明不可能な「状態」なのだ。

 司祭が私に、司祭長の家に隠れるようにと言いました。私がそうすると、司祭は自分の友人を呼び、「ツチの少女を楽しむ」機会だと言いました。こうして彼らは私を暴行しました。2人は司祭長の家で、それぞれ3回私を暴行しました。(クレア)

 聖職者という名のクズどもだ。キリスト教は人間を抑圧するゆえ、タガが外れると欲望まみれとなる。世界史の中で最も残虐ぶりを発揮してきたのがクリスチャンであることは間違いない。それは今も進行中だ。

 今日、私は大きな問題を抱えています。私は母親ですが、母親でありたくないのです。私はこの子を愛していません。この子を見るたびに、暴行の記憶がよみがえります。この子を見るたびに、あの男たちが私の両脚を広げるイメージが浮かびます。娘が無実だということはわかっていますし、娘を愛そうとしました。でも、できませんでした。普通の母親が子供を愛するようには、私には娘を愛せないのです。(中略)ときどき、自分はなぜ中絶しなかったのだろうかと後悔します。(フィロメナ)

 暴力から生まれた子供たちは愛されることなく育てられ、再び暴力の渦へと引き寄せられるのだろうか?

 最初の6年間、私は男性に近づくことすら耐えられませんでした。人々に通りすがりに、「ほら、あの娘をごらん。暴行されたんだよ」などと言われると、私の心はずたずたに傷つけられます。自分に何の価値もないような気持ちになります。だからそのことは考えないようにしてきました。人々は私たちを、民兵の性欲の食べ残しなのだと言います。そのことを考えるたびに、私は自己嫌悪に陥ります。それについては話したくありません。(デルフィン)

 噂話というセカンドレイプ。結局、フツ族もツチ族も一緒なのだろう。人間ってのは、下劣な生き物なのだ。さっさと滅んでしまった方がいいのかもしれない。

「マミー、どの子にもお父さんがいるよ。なぜ私にはお父さんがいないの?」(シャンタルの娘ルーシー)

jt

 読んでいて途中で気づかされるのだが、子供たちの瞳に撮影者のジョナサン・トーゴヴニクが映っている。だが実は彼ではない。それは「私」なのだ。通り一遍の同情を寄せるだけで、実際は何もしない私の姿が立ち現れる。彼らの目に映る世界を構成しているのは私である。その事実に打ちひしがれる。だが、絶対に暴行した男たちを私が許すことはない。

 私は君たちと共に生きよう。





「写真の学校」第二回 写真から人を考える~『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』/竹内万里子&カンベンガ・マリールイズ
ジョナサン・トーゴヴニク公式サイト(英語)
リレーエッセイ『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』に寄せて
紛争が生んだ母子の肖像 写真展「ルワンダ ジェノサイドから生まれて」
ジョナサン・トーゴヴニク写真展「ルワンダ ジェノサイドから生まれて」
ルワンダの子供たち 1994年
ルワンダ大虐殺の爪痕
レイプという戦争兵器「絶対に許すな」ムクウェジ医師、DRコンゴ
1日に1100人以上の女性がレイプされる国 コンゴ
少女監禁事件に思う/『父、坂井三郎 「大空のサムライ」が娘に遺した生き方』坂井スマート道子

2011-12-23

ルワンダの大量虐殺で2被告に終身刑 国際犯罪法廷


 アフリカ中部ルワンダで80万人あまりが殺害された大量虐殺事件の首謀者らを裁く国連のルワンダ国際犯罪法廷は21日、ジェノサイド(集団虐殺)や人道に対する罪に問われた同国の元閣僚2人に終身刑を言い渡した。

 当時のルワンダ与党幹部だったカレメラ元内相ら被告人2人は、ジェノサイドを扇動し、強姦や暴行、殺人などに関与したとして有罪判決を言い渡された。国際犯罪法廷は、両被告が犯罪集団を組織して民兵や殺人部隊を雇い、武器などを供給したと認定した。

 ルワンダの大量虐殺事件では、1990年代にフツ人の一部政治エリートが少数派のツチ人に対する憎しみをあおるプロパガンダを展開、94年4月6日にフツ人の大統領を乗せた航空機が撃墜された事件が引き金となって、フツ人によるツチ人の大量虐殺が始まった。

 国連の推計では20万人がこの虐殺に加担し、ツチ人を中心に女性と子どもを含む80万人あまりが殺害された。穏健派のフツ人も犠牲になった。

CNN 2011-12-23

Rwanda: 15 years on - photostory 3

『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ
『生かされて。』イマキュレー・イリバギザ、スティーヴ・アーウィン
ルワンダ大虐殺の始まり/『ジェノサイドの丘』フィリップ・ゴーレイヴィッチ

2011-10-05

私を変えた本


 個人的な覚え書き。人間は人間と出会うことで変わる。触発という言葉は手垢まみれで好きではない。ここはやはり脳内のネットワークが変わるとすべきだろう。本を読むこともまた人との出会いを意味する。

 感動には2種類ある。今までの自分の反応を強化する感動と、それまでにない全く新しい感動である。例えば私は人がバタバタと死ぬ映画を好むが、そのような映画を何本見たところで私が変わることはない。

 面白い本は多い。ためになる本も山ほどある。だが自分の価値観を揺さぶり、思考を木っ端微塵にし、概念を破壊する本は少ない。

 私を変えた本たちを紹介しよう。

『女盗賊プーラン』プーラン・デヴィ

文庫 女盗賊プーラン 上 (草思社文庫)文庫 女盗賊プーラン 下 (草思社文庫)

 34歳の時に読んだ。私はどちらかというと積極的――あるいは攻撃的――な平和論者であった。しかし暴力が支配する世界では暴力でしか立ち向かうことができない事実を知った。しかも本書に書かれていることは大昔のことではなかった。プーラン・デヴィは私と同い年だった。世界平和など戯言(たわごと)であることを思い知らされた。

両親の目の前で強姦される少女/『女盗賊プーラン』プーラン・デヴィ

『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ

ルワンダ大虐殺 〜世界で一番悲しい光景を見た青年の手記〜

 私はキリスト教の運命論を否定して仏教の宿命論を信奉していた。それなりに勉強もしてきたつもりだった。ところがルワンダ大虐殺には全く通用しなかった。わずか100日間で100万人近い人々が殺戮された。もしも殺された原因が過去世にあるとするならば、全ての犯罪は容認されてしまう。レヴェリアン・ルラングァは本書の後半で神との対話を試みて、完膚なきまでに神の欺瞞を暴いている。だがそれで彼が救われるわけではない。私には彼に掛ける言葉がなかった。「生きていてよかったね」ということすらはばかられた。45歳にして迷いは深まり、懊悩(おうのう)する日々が続いた。

『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ

『石原吉郎詩文集』石原吉郎

石原吉郎詩文集 (講談社文芸文庫)

 読書にはタイミングがある。『女盗賊プーラン』以外はいずれも45歳で読んだ作品である。石原はシベリア抑留者であった。それは国家から見捨てられた経験であった。クリスチャンとしての信仰スタイルも変わらざるを得なかった。石原は平凡な人物であった。しかし彼の目は鹿野武一〈かの・ぶいち〉をしかと捉えた。本書を読んで国家、組織、集団に対する考え方が一変した。

究極のペシミスト・鹿野武一/『石原吉郎詩文集』~「ペシミストの勇気について」

『一九八四年』ジョージ・オーウェル

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

 20代で新庄哲夫訳を読んでいたが、これほど面白いとは思わなかった。管理社会と自由をテーマにした作品であるが、より本質的には集団と権力(≒暴力)の実相を描いている。つまり集団そのものが暴力であると考えることも可能だ。メディア社会(≒高度情報化社会)は人間のつながりをコントロールする関係に変えてしまった。

現在をコントロールするものは過去をコントロールする/『一九八四年』ジョージ・オーウェル

『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ

子供たちとの対話―考えてごらん (mind books)

 クリシュナムルティを知り、私が抱いてきた数々の疑問は完全に氷解した。初期仏典の意味もわかるようになった。クリシュナムルティとの出会いは人生最大の衝撃といってよい。自由とは離れることであった。

自由の問題 1/『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ

 不惑(40歳)と知命(50歳)のちょうど真ん中になる45歳で私は変貌した。自分でも驚いているほどだ。なお適当なカテゴリーがないため「併読」にしておく。

どう生きたらいいかを考えさせる本

2011-09-01

ルワンダ大虐殺を扇動したラジオ放送


 ハビャリマナにとってアルーシャ協定が政治的な自殺に等しい、というのは事実だった。フツ至上主義党の指導者たちは裏切りだと叫び、大統領その人が同調者になったと告発した。アルーシャ協定の署名から4日後、アカズのメンバーと友人から出費を受けた千の丘の自由ラジオ(ラジオ・テレヴィジョン・リブル・デ・ミル・コリン/RTLM)がジェノサイドのプロパガンダ専門局としてキガリから放送をはじめた。



 そうした(※ラジオからの)メッセージ、そして社会のあらゆる階層の指導者たちからの命令によって、ツチ族の虐殺とフツ族反体制派の暗殺は各地に広がっていった。民兵たちの手本にならい、フツ族は老いも若きも仕事にとりかかった。隣人が隣人を自宅で切り刻み、同僚が同僚を職場で切り刻んだ。医師が患者を殺し、教師が生徒を殺した。多くの村ではわずか数日でツチ族の人口がほぼゼロになった。キガリでは、囚人たちが釈放されて労働班を編成され、道路沿いにならぶ死体を片づけた。虐殺にともなうレイプと略奪がルワンダじゅうに広がった。酔っぱらった民兵集団は薬品店から略奪したドラッグで景気をつけ、虐殺から虐殺へと駆けまわった。

【『ジェノサイドの丘』フィリップ・ゴーレイヴィッチ:柳下毅一郎〈やなした・きいちろう〉訳(WAVE出版、2003年)】

ジェノサイドの丘〈新装版〉―ルワンダ虐殺の隠された真実


ルワンダ大虐殺の爪痕
強姦から生まれた子供たち/『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』写真、インタビュー=ジョナサン・トーゴヴニク

2011-07-08

我々は自分が想像したもの、そして相手から想像されたものとして存在している


 我々はみな、ひとりひとりが、自分が自分のあり方として想像したもの、そして相手から想像されたものとして存在している。回想の中で記憶はふたつの異なる道筋をたどる。ひとつは他者が想像したものに合わせて人生がかたちづくられるとき、もうひとつは自由に自分の姿を決められるはるかに個人的な時間だ。

【『ジェノサイドの丘』フィリップ・ゴーレイヴィッチ:柳下毅一郎〈やなした・きいちろう〉訳(WAVE出版、2003年)】

ジェノサイドの丘〈新装版〉―ルワンダ虐殺の隠された真実

2011-06-09

ジョナサン・トーゴヴニク


 1冊読了。

 35冊目『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』写真、インタビュー=ジョナサン・トーゴヴニク:竹内万里子訳(赤々舎、2010年)/奥歯を噛み締めながら何とか読了した。30人の母親がルワンダ大虐殺を語る。母と子の写真、子供のポートレート、談話がそれぞれ1ページずつ。100日の間に80万人が切り刻まれる中で、彼女らは繰り返し繰り返し強姦された。ここに写っている子供たちは性的暴力から生まれた子だ。およそ2万人もいるという。30代であれば、私は本書を読むことができなかったことだろう。自分の内部で荒れ狂う暴力性を抑えることが困難なためだ。「子供を愛せない」と語る母親がいる。敵の子を生んだことで家族から見放される女性もいる。そして皆がHIVに感染していた。この世界は暴力にまみれている。「人類は滅んだ方がいい」と本気で思った。強姦をした男は凌遅刑(りょうちけい)にすべきだ。子供たちの瞳に撮影者が写っている。いや、それは私なのだ。ルワンダを知り得なかったことでジェノサイドに加担した私なのだ。

2008-10-31

ジェノサイドが始まり白人聖職者は真っ先に逃げた/『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ


『ホテル・ルワンダ』監督:テリー・ジョージ
『生かされて。』イマキュレー・イリバギザ、スティーヴ・アーウィン

 ・眼の前で起こった虐殺
 ・ジェノサイドが始まり白人聖職者は真っ先に逃げた
 ・今日、ルワンダの悲劇から20年

『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか PKO司令官の手記』ロメオ・ダレール
『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』写真、インタビュー=ジョナサン・トーゴヴニク
『戦場から生きのびて ぼくは少年兵士だった』イシメール・ベア
『それでも生きる子供たちへ』監督:メディ・カレフ、エミール・クストリッツァ、スパイク・リー、カティア・ルンド、ジョーダン・スコット&リドリー・スコット、ステファノ・ヴィネルッソ、ジョン・ウー
『メンデ 奴隷にされた少女』メンデ・ナーゼル、ダミアン・ルイス
『私の身に起きたこと とあるウイグル人女性の証言』清水ともみ
『命がけの証言』清水ともみ

必読書リスト その二

 ルワンダは、ベルギーの植民地だった1930年代にカソリック国となっていた(『ジェノサイドの丘』フィリップ・ゴーレイヴィッチ)。映画『ホテル・ルワンダ』にも、白人男女の聖職者が登場していた。神の僕(しもべ)は、大虐殺を前にして戦おうとすらしなかった。そうだ。全ては神の思し召しなのだ。いかなる悲惨な結末が待っていようとも、キリスト教思想ではそれが「神の意志」とされる。神様のジャンケンはいつも後出しなのだ。

 では実際に、ルワンダの聖職者はどのように振る舞ったのか。こうだ――

(※ジェノサイドが始まった直後)私たちの羊飼いは子羊を見捨てた。さっさと逃げてしまった。子供を連れて行くことさえしないで、私には、両司祭が私たちを見捨てた事実を理解することも受け入れることできなかった。二人は小型バスに乗る前に、誰にともなくこう言った。
「お互いに愛し合いなさい」
「自分の敵を赦(ゆる)してあげなさい」
 自らの隣人に殺されようとしているその時の状況にふさわしい言葉ではあったが、それは私たちを取り囲んでいるフツ族に言うべきだろう。
 司祭の一人はベルギーに避難した後、こうもらしたという。「地獄にはもう悪魔はいない。悪魔は今、全員ルワンダにいる」と。神に仕える者が、迷える子羊たちを荒れ狂うサタンの手に引き渡すとは、感心なことだ!
 ある修道女もトラックに乗る前に、周りに殺到してきた人々に向かって「幸運を祈ります!」と言っていた。ありがとう、修道女様。確かに幸運が来れば言うことなしなのだが。

【『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ:山田美明〈やまだ・よしあき〉訳(晋遊舎、2006年)】

 大鉈(おおなた)でこれから殺される人々に向かって放たれた言葉である。何たる偽善か。草葉の陰でイエス様も泣いていたことだろう。彼等がことあるごとに説いてきた「愛」の真実がここに現われている。結局は「自分の命が惜しい」だけに過ぎない。ツチ族を殺戮したフツ族よりも、こいつらの方が悪魔に見える。で、彼等は安全な場所へ移動してから、ルワンダを心配してみせたに違いない。

 思想や信条というのは、口で語るためのものではない。いざという時に、その人の生き方を問うような形で試されるものだ。生きざま以外に思想など存在しない。聖職者の説く神様はルワンダにはいなかったようだ。多分、アフリカ大陸のどこを探してもいないだろうし、世界を歩き回っても見つけることはできないことだろう。一体全体どこにいるのだろう? エ、「天」? ケッ、ふざけんじゃないよ。それじゃあ、屋根の上で日向ぼっこをしている猫と変わりがない。本当に神がいるのであれば、飢餓で死ぬ人々がこれほど存在するわけがない。

 修道女は自らが幸運という名のトラックに乗りながら、間もなく殺される人々の幸運を祈った。もし、殺されたツチ族のために彼女が涙を流したとすれば、そんな涙にいかほどの意味があるというのだろうか?

2008-07-27

トイレの中に8人の女性が3ヶ月間も隠れ続けた/『生かされて。』イマキュレー・イリバギザ、スティーヴ・アーウィン


『ホテル・ルワンダ』監督:テリー・ジョージ

 ・トイレの中に8人の女性が3ヶ月間も隠れ続けた

『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ
『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか PKO司令官の手記』ロメオ・ダレール
『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』写真、インタビュー=ジョナサン・トーゴヴニク
『戦場から生きのびて ぼくは少年兵士だった』イシメール・ベア

必読書リスト その二

 ルワンダもの、2冊目。レヴェリアン・ルラングァが怒りにのた打ち回り、神をも裁いたのに対し、イマキュレー・イリバギザは大虐殺を通して信仰をより深めている。圧倒的な暴力にさらされても、人によって反応はこれほど異なる。どちらが正しくて、どちらが間違っているという類いの違いではなく、人間の奥深さを示すものだ。

 冒頭に掲げられたこの言葉が、イマキュレーの立場を鮮明にしている。

 もはや何一つ変えることが出来ないときには、
 自分たち自身が変わるしかない
   ――ビクトール・E・フランクル

【『生かされて。』イマキュレー・イリバギザ、スティーヴ・アーウィン:堤江実〈つつみ・えみ〉訳(PHP研究所、2006年/PHP文庫、2009年)以下同】

 幼い頃、彼女はフツ族とツチ族の違いすら知らなかったという。

 フツとツチは同じキニヤルワンダ語を話し、同じ歴史を共有し、同じ文化なのです。同じ歌を歌い、同じ土地を耕し、同じ教会に属し、同じ神様を信じ、同じ村の同じ通りに住み、時には同じ家に住んでいるのです。

 だが、植民地宗主国が既に“人種”という太い線を引いていた。

 ドイツの植民地になった時、また、ベルギーがその後を継いだ時、彼らがルワンダの社会構造をすっかり変えてしまったということも知りませんでした。  それまで、ツチの王が統治していたルワンダは、何世紀ものあいだ平和に仲良く暮らしていたのですが、人種を基礎とした差別的な階級制度に変えられてしまったのです。
 ベルギーは、少数派のツチの貴族たちを重用し、支配階級にしたので、ツチは支配に必要なより良い教育を受けることが出来、ベルギーの要求にこたえてより大きな利益を生み出すようになりました。
 ベルギー人たちが人種証明カードを取り入れたために、二つの部族を差別するのがより簡単になり、フツとツチのあいだの溝はいっそう深くなっていきました。これが、フツの人たちのあいだに絶え間ない恨みとして積み重なり、大虐殺の基盤になったのです。

 大きな出来事が起こる前には必ず予兆があるものだ。しかし、よりよい社会を築く努力をした者ほど、努めて楽観主義であろうとする。イマキュレーの父親もそうだった。

「いいや、お前は大げさすぎるよ。みんな大丈夫さ。前より事態は良くなっているんだ。それにこれは、単に政治のことだからね。子どもたち、心配はいらない。みんなうまくいくさ。大丈夫」と、父は私たちをなだめました。

 この一言が家族を地獄へと導いた。留学中の兄とイマキュレーを除いて全員が殺される羽目になる。

 彼女は教会の狭いトイレの中で、7人の女性たちと共に3ヶ月間も隠れ続けた。凄惨な現場を見てないとはいえ、密閉された空間で同胞の殺戮を知ることは、極度のストレスにさらされる。それでも、彼女はあきらめなかった。満足な食べ物もなく、風呂にも入れない状況下で、彼女は英語を学ぶ。

 私はただちにそれ(2冊の分厚い英語の本と辞書)を開きました。見慣れない言葉にワクワクしながら、まるで金で出来ているかのように扱いました。アメリカの大学から奨学金をもらったような気分でした。
 祈りの時間は少なくなりましたが、でも、勉強しているあいだ、神様は一緒にいて下さるとわかっていました。

 私は、他の女性たちが、眠っているか、ぼんやりしている時に、新しい宇宙を探検し、一日じゅう、祈りを唱え、真夜中過ぎまで窓から漏れるかすかな明かりで、もうこれ以上目を開けていられないというまで本を読み続けました。一瞬一瞬、神様に感謝しながら。

 イマキュレーは希望を捨てなかった。だが、建物を一歩出れば、ツチ族は虫けらよりも酷い殺され方をしていた。

 6月中旬、隠れてから2カ月以上が過ぎた時です。
 私は、牧師の息子のセンベバが窓の下で友達と話しているのを聞きました。
 その近所で最近あった殺戮について、目撃したり、あるいは誰かから聞いたりしたもので、その恐ろしさは今までに聞いた中でも最悪でした。
 私は、少年の一人が、まるでサッカーゲームのことでも話しているような調子で身の毛のよだつような恐ろしい出来事を話すのを聞いて、吐いてしまいそうになりました。
「一人の母親が捕まえられたんだ。彼らは次々にレイプをした。その女は、どうぞ子どもたちを向こうにやって下さいと必死で頼んだ。でも、彼らは、その夫と3人の小さい子どもののどもとに大鉈を突きつけて、8人から9人がレイプするあいだ、彼らに見させたんだと。それで、終わった時に全部殺したんだ」  子どもたちは、より苦しんで死ぬように、足を叩き切った後、生きたままその場に放置され、赤ん坊は、岩にうちつけられ、エイズにかかっている兵士は、病気がうつるように10代の少女をレイプするように命令されたのでした。

 この件(くだり)を読んだ時、私は「フツ族は全員死刑にすべきだ」と思わざるを得なかった。誤った歴史を吹聴され、誤った教育を受け、誤った情報に踊らされた民族は、これほど酷(むご)いことができるのだ。フツ族は隣人のツチ族を笑いながら大鉈で切り刻んだ。

 フツ族の中には、親しいツチ族を匿(かくま)う者もいることはいた。だが、その実態はこうだった――

 僕は、彼を藪に隠れながら引きずって、誰も僕たちを知らない場所の病院に運んだ。そうして、ローレンが僕たちをフランス軍が来るまでかくまってくれたんだ。
 それは恐ろしいことだった。彼は我々をかくまって命を助けてくれた。でも、僕たちは生きていることが苦痛だった。ローレンは、毎朝、我々を起こしてお早うって言うんだ。それから出かける。何時間もツチ狩りをするためにね。僕の家族を殺した奴らと一緒にだ。
 彼が夕方返ってきて夕食を作る時、洗い落とせなかった血が飛び散った跡が、手にも服にもついているのが見えるんだ。僕たちの命は、彼の手の中にあったから、何も言えなかったけれど。どうして、そんなことが同時に出来るのか、僕にはわからないよ」

 こうなると、ツチ族を殺すことはスポーツであり、遊興と変わりがなかったことだろう。人間がここまで残酷になれる事実が恐ろしい。いかなる理由であろうとも、それが正当化されてしまうと、人は人を躊躇(ためら)うことなく殺せるのだ。

 イマキュレーは、無事保護された後、トイレで学んだ英語を武器に国連職員となった。彼女が発する「許す」という言葉には、私の想像も及ばぬ呻吟(しんぎん)が込められているのだろう。だが、私のマチズモが彼女への共感を拒否しているのも確かだ。

 それでも人は生きてゆかねばならない――これほど厳しい現実があるだろうか?

2008-07-24

眼の前で起こった虐殺/『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ


『ホテル・ルワンダ』監督:テリー・ジョージ
『生かされて。』イマキュレー・イリバギザ、スティーヴ・アーウィン

 ・眼の前で起こった虐殺
 ・ジェノサイドが始まり白人聖職者は真っ先に逃げた
 ・今日、ルワンダの悲劇から20年

『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか PKO司令官の手記』ロメオ・ダレール
『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』写真、インタビュー=ジョナサン・トーゴヴニク
『戦場から生きのびて ぼくは少年兵士だった』イシメール・ベア
『それでも生きる子供たちへ』監督:メディ・カレフ、エミール・クストリッツァ、スパイク・リー、カティア・ルンド、ジョーダン・スコット&リドリー・スコット、ステファノ・ヴィネルッソ、ジョン・ウー
『メンデ 奴隷にされた少女』メンデ・ナーゼル、ダミアン・ルイス
『私の身に起きたこと とあるウイグル人女性の証言』清水ともみ
『命がけの証言』清水ともみ

必読書リスト その二

 ルワンダものを読むのは初めてのこと。私の知識は『ホテル・ルワンダ』で得たものしかなかった。『ホテル・ルワンダ』は国連平和維持軍に守られているエリアからの視点であった。一方、レヴェリアン・ルラングァは塀の外の大虐殺を目の前で目撃した。だが、目撃しただけではない。体験させられたのだ。2分とかからぬ間に43人の身内を殺され、彼自身も身体をマチューテ(大鉈)で切り刻まれ、左手を切り落とされ、虐殺を目撃した左眼をえぐり取られた。これが、15歳の少年の身に振りかかった現実であった。

 ジェノサイド(大量虐殺)といえば、ヒトラーによる600万人のユダヤ人殺戮が代名詞となっているが、ルワンダで起こったこととは決定的な違いがある。ルワンダでは、近隣の友人や知人が大鉈を振り回し、赤ん坊を壁に叩きつけたのだ。何と100日間という短期間の間に、100万人のツチ族が殺された。1日1万人、1時間で417人、1分間で7人……。ルワンダの大地は文字通り血まみれになったことだろう。

 錠が飛んだ。扉が半開きになる。小さな弟たちや従兄弟たちが泣き、従姉妹たちが悲鳴を上げる。最初に扉の隙間から顔をのぞかせた男は、私の知っている男だった。シモン・シボマナという、繁華街でキャバレーを経営している無口な男。(中略)
 シボマナは怒鳴った。
「伏せろ、さあ、早く。地面に伏せるんだ!」
 ふと側にいる伯父ジャンの存在に気が付く。伯父は少しだけ左向きに身体を起こし、頭をのけぞらせて彼を見つめている。シボナマは素早い動作で伯父の首を切り落とす。ホースから水が噴き出すように、血しぶきが笛の音のような音を立てて鉄板屋根までほとばしった。
 伯父ががっくりとくずおれた時、一人の子供がとりわけ大きな叫び声を上げた。9歳になる伯父の末子ジャン・ボスコだ。シボマナはマチューテの一撃で子供を黙らせる。キャベツを割るような音と共に、子供の頭蓋骨が割れる。続いて彼は4歳のイグナス・ンセンギマナを襲い、何故だか分からないがマチューテで切り付けた後で死体を外に放り投げた。(中略)
 血が血を呼ぶ。荒れ狂う暴力。シボマナは地面に横になっている祖母を踏んだ。暗くてよく見えなかったのだが、彼が祖母を殺そうとすると、祖母は断固とした口調で言った。
「せめてお祈りだけでもさせておくれ」
「そんなことしても無駄だ! 神様もお前を見捨てたんだ!」
 そして祖母を一蹴りしてから切り裂いた。
 私はその時何も感じていなかった。恐怖、恐怖、恐怖しかなかった。恐怖にとらわれて私の感覚は麻痺し、身動きすることさえできなかった。クモの毒が急に体温を奪うように。心臓がどきどきし、汗が至るところから噴き出す。冷え切った汗。
 シボマナは切って切って切りまくった。他の男たちも同じだ。規則的なリズムで、確かな手つきで。マチューテが振り上げられ、襲いかかり、振り上げられ、振り下ろされる。よく油を差した機械のようだった。農夫の作業みたいに、連接棒の動きのように規則的なのだ。そしていつも、野菜を切るような湿った音がした。

【『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ:山田美明〈やまだ・よしあき〉訳(晋遊舎、2006年)以下同】

 シボマナが大笑いして、私に近付いてきた。
「おやおや、そこで外に鼻を突き出しているのは、ツチの家族の長男じゃないか!」
 そう言うと非常に機敏な動作で、私の顔から鼻を削いだ。
 別の男が鋲(びょう)のついた棍棒で殴りかかってくる。頭をそれた棍棒が私の肩を砕き、私は地面に倒れ伏した。シボマナはマチューテを取替え、私たちが普段バナナの葉を落とすのに使っている、鉤竿(かぎざお)のような形をした刃物をつかんだ。そして再び私の顔めがけて襲いかかり、曲がった刃物で私の左目をえぐり出した。そしてもう一度頭に。別の男がうなじ目掛けて切りかかる。彼らは私を取り囲み、代わる代わる襲ってきた。槍が、胸やももの付け根の辺りを貫く。彼らの顔が私の上で揺れている。大きなアカシアの枝がぐるぐる回る。私は無の中へ沈んでいった……。

 元々、ツチ族とフツ族は遊牧民族と農耕民族の違いしかなかった。そこに勝手な線引きをしたのは植民地宗主国のベルギーだった。1994年の大虐殺もイギリスとフランスがそれぞれの部族にテコ入れしている。挙げ句の果てにはアメリカ(クリントン大統領)が、ルワンダ救援を阻止した。シエラレオネと全く同じ構図で、アメリカ人にとっては、アフリカで行われている殺し合いなど、昆虫の世界と変わりがないのだろう。

 ラジオでは毎日、「ツチ族を殺せ! ゴキブリどもを殺せ!」とディスクジョッキーが扇動する。フツ族の子供はラジオ番組に電話をし、「僕は8歳になったんですが、ツチ族を殺してもいいんですか?」と質問をした。実際にあったエピソードである。そして、フツ族の少女は笑いながら略奪に加わった。

ルワンダ大虐殺を扇動したラジオ放送

 果たして何が人間をここまで変えるのか? 善悪という概念は木っ端微塵となって、フツ族はあたかも狩りやスポーツを楽しむように、ツチ族の身体を切り刻む。しかも、フツ族はただ殺すだけでは飽き足らず、ツチ族が苦しむように一撃では殺さなかった。幼い子供達は足を切断して放置された。

 人は物語に生きる動物である。物語は情報によって変わる。嘘やデマと、誤信・迷信がマッチした瞬間から、憎悪の焔(ほのお)が燃え始める。結局、白人がでっち上げた歴史を鵜呑みにしたフツ族が、殺戮に駆り立てられた側面が強かったと思わざるを得ない。

 本書の後半からレヴェリアン・ルラングァの葛藤が描かれる。深い自省は静かな怒りとなって青白く燃え上がり、神に鉄槌を下す。その烈しさは、ニーチェをも圧倒している。

 母は最期まであなたのことを信じていました。それはよくご存知でしょう。母がいくら祈っても、私がお願いしても、全能の神であるはずのあなたは指一本たりとも動かすことなく、母を守ろうとしませんでした。私はその乳とあなたの言葉で育ててくれた母は、喉の渇きに苦しみながら死んでいきましたが、あなたは自分のしもべの苦痛さえ和らげようとせず、干からびた母の唇に清水の一滴も注ごうとはしませんでした。その唇は最後の最後まであなたの名を唱え、あなたを褒め称えていたというのに。

 伯父ジャンの喉元から血がほとばしり出た瞬間、私の信仰も抜け出ていきました。
 祖母ニィラファリのお腹から生命が逃げ去った瞬間、私の信仰も逃げていきました。
 叔父エマニュエルが串刺しにされた瞬間、私の信仰も串刺しにされました。
 殺戮の場と化した教会の壁にあの子供たちが打ち付けられて、その頭蓋骨が砕かれた姿を見た瞬間、私の信仰も砕かれました。
 私が愛した人々の命が燃え尽きた瞬間、私の信仰は燃え尽きました。
 鋲つきの棍棒で肩を粉々に砕かれた瞬間、私の信仰も粉々に飛び散りました。

 あなたには、無垢な人々を救う手さえないのですか?
 自分の子供の不幸も見えないほど目が悪いのですか?
 彼らの叫び声も、助けを求める声も、悲嘆の声も聞こえないほど耳が悪いのですか?
 彼らをずたずたに切り裂こうと襲ってくる汚らしいやつらを踏み潰す足さえないのですか?
 涙を流す人々と共に、涙を流す心さえ持っていないのですか?
 か弱き者や小さき者を守るはずなのに、ゴキブリたちさえ守ることができないほど無力なのですか?
 つまりあなたは、闇の中にいて盲目の眼差しで私を見つめるだけの無力な神なのですね?
 しかしそんなことはどうでもいいのです。私の心の中では、あなたはもう死んでいるのですから。

 テレビを消して、この本と向き合おう。我々がメディア情報に振り回されている内は、いつでもフツ族になる可能性があるからだ。善と悪との間に一線を画すためには、「嘘を見抜き、嘘を否定する」ことである。



暴力と欲望に安住する世界/『既知からの自由』J・クリシュナムルティ
縁起と人間関係についての考察/『子供たちとの対話 考えてごらん』 J・クリシュナムルティ
ルワンダ大虐殺の爪痕
ラス・カサスの立ち位置/『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス
集団行動と個人行動/『瞑想と自然』J・クリシュナムルティ
会津戦争の悲劇/『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人