元日の各紙を購入するのは今年でやめようと思う。買うだけの価値がもうない。
昨年は日本経済新聞を購読していた。経団連の機関紙といわれるだけあって提灯記事がずらりと並ぶ。株価が上がると一段と威勢がいい。一般的には経済紙と思われているがテクニカル分析がデタラメでファンダメンタルに関しても鋭さを欠く。これは日経に限ったことではないが専門性の高い記事ほどいい加減になるのが新聞の弱点と言い切ってよい。
契約期間の途中であったが、一面コラム「春秋」が放つ腐臭に耐え切れず毎日新聞に替えてもらった。新聞記者の奢り高ぶりが行間にぎっしりと詰まっている。あれを毎日読んで平気な人は自分の感覚を疑うべきだ。それほど酷い。
一方、読売の一面コラム「編集手帳」はここのところ文学づいている。やたらと俳句・和歌・川柳などを引用しては一人ほくそ笑む姿がありありと目に浮かぶ。1月8日付では見事に馬脚を露(あら)わした。
コラムの執筆に得意科目や不得意科目はないが、この十余年でとくに稽古を積んだのは「ボヤき」である。景気や賃金を取り上げては、いろいろな言葉を借りてボヤいてきた。
【読売新聞 2014年1月8日付】
コラム子(し)の本音は「原発事故をボヤく」ことにあるのではないか?
不振に陥っていた読売新聞の経営権を買収して立て直したのは
正力松太郎であった。準A級戦犯であり、戦後は
CIAの手先として「原子力発電の父」となった人物だ。
関東大震災(1923年)の折には警察官僚の身でありながら「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れた」とのデマを流した人物でもある。
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正力松太郎というリトマス試験紙
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原発導入のシナリオ 冷戦下の対日原子力戦略
全国紙はしばらくの間、反原発デモすら意図的に報じてこなかった。それも当然だ。彼らは原子力発電を推進してきたのだから。
原発事故の悲惨さは裁かれる人がいないことにある。そして東京電力は従来通り原発を稼働させるべく着々と前へ進んでいる。
家族を喪った人々の悲しみは行き場をなくし、引っ越したくても引っ越せない事情を抱えた人々が放射線物質に汚染された大地に伏す。株価が上がっているとはいえ、派遣社員は苦しい生活を余儀なくされていることだろう。沖縄の米軍基地問題も揺れたままだ。
敗戦後に抱え込んだ矛盾がありとあらゆる場所で噴火の炎を上げている。
編集手帳はかような時にコラムとは名ばかりの文学趣味を披露し、挙げ句の果てにはボヤきに磨きをかけているのだ。私には「亡国の兆し」としか思えない。
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読売新聞東京本社の新本社ビル完成