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『反社会学講座』パオロ・マッツァリーノ
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『ピーターの法則 創造的無能のすすめ』ローレンス・J・ピーター、レイモンド・ハル
・官僚は増殖する
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『新版 人生を変える80対20の法則』リチャード・コッチ
そこで技術的な点を省略し(実は非常に数多いが)、まず次の二つの動因を特に考えてみることにしよう。それらはさしあたり、次の二つの公理的ステートメントでいいあらわされる。すなわち、(1)役人は部下を増やすことを望む。しかしながら、ライヴァルは望まない。(2)役人は互いのために仕事をつくり合う。
第一の素因を理解するために、自分の仕事が過重であると感じている一人の公務員について考えてみよう。この人物をAとする。仕事の過重の真疑(ママ)は問題ではないのだが、一応このAの感じは自分の精力の減退、つまりいわゆる更年期障害からくるものとしよう。この場合の処方は大ざっぱにいって三つある。すなわち、辞めるか、同僚Bと仕事を分ち合うか、あるいは二人の部下CおよびDの助力を求めるかである。しかし、実はAがこの第三以外の方法を選ぶ例は、歴史的にみても、ほとんどない。辞めれば恩給がもらえなくなるし、Bを自分と同列に入れれば、いずれW氏が引退するときにそのあとをつぐライヴァルをつくることになる。したがって、AがCおよびDなる後輩を自分の部下にしたいと考えるのはむしろ当然である。二人の部下は自分の重要さを増し、仕事を二つに分けてCとDとに分担させれば、自分だけ両方のパートに精通しているただ一人の男になりうるのである。CとDと、どうしても二人必要だということは重要な点である。Cだけを入れることはできない。何となれば、C一人を入れ、仕事の一部をさせれば、Cは、さきにBの場合にみたように、自分をAと同列の地位にあるように考えだす。もしCがAのたった一人の後継者だとしたら、問題はさらに深刻である。したがって部下の数は常に二人以上で、互いに他の昇格をおそれさせるようにそておかねばならない。そのうちやがてCがその仕事の過重を訴えてくるようになったら(必ずそうなるであろう)、Cとの協力で、さらに彼を助ける二人の助手、EおよびFを入れるべく意見具申をし、かつまた内部摩擦をさけるため、Dにも二人の助手、GおよびHをつけるよう意見具申をする。こうして、E、F、G、Hの採用に成功すれば、Aの昇進はもはや疑いの余地はない。
【『パーキンソンの法則 部下には読ませられぬ本』C・N・パーキンソン:森永晴彦訳(至誠堂、1965年)以下同】
シリル・ノースコート・パーキンソンはイギリスの政治学者・経済学者である。
パーキンソンの法則を端的に表現すると次のようになる。
第一法則:仕事は、その遂行のために利用できる時間をすべて埋めるように拡大する。
第二法則:支出の額は収入の額に達するまで膨張する。
第三法則:拡大は複雑化を意味し、組織を腐敗させる。
【情報システム用語事典:パーキンソンの法則】
1955年(英国『
エコノミスト』誌 11月19日号)に発表した風刺コラムが税金に寄生する官僚の実態を見事に暴く。そしてステレオタイプ化された様相が笑いを誘う。巨大組織は官僚を必要とするが、官僚はどこの官僚も同じ表情をしている。
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「裸の王様上司」は「ヒラメ部下」によってつくられる
事なかれ主義と不作為(『
国家の自縛』佐藤優)が官僚の自律神経として働く。引き続き著者は官僚が増殖する様をコミカルに描く。
こうして、前に一人でやっていた仕事を、7人の人間がやることになった。ここで、第二の要因が働きだす。すなわち、7人の人間は互いに仕事をつくり合い、Aは事実上、前にも増して忙しくなる。1通の受入書類は、彼等のあいだを次々にまわって行くこととなる。まずEがその書類はFの管轄に属することを定め、Fはその回答の下書きをCに提出し、CはDに相談する以前にそれを大幅に修正し、Dはこの問題についてはGに取扱いを命ずる。ところが、Gはこれから出張なので、Hにファイルをわたす。Hは覚え書きをつくり、Dがそれにサインをし、Cにわたす。Cはそれを見て、前の下書きを改訂し、その改訂版をAにもって行く。
さて、Aは何をするか。いまこそ彼にはメクラ判を押す口実がヤマとある。つまり一人であまりにも多くのことを考えなければならないからだ。来年Wのあとをつぐことになっているので、CかDのいずれかを自分の後任にきめなければならない。またAはGの出向に、必ずしもというわけではないが、同意せねばならない。もしかしたら、健康上の理由からはHをやった方がよいのかもしれない。彼はこのごろ顔色がすぐれない。家庭的な事情もあるらしいが、必ずしも、それだけでも(ママ)ないらしい。それからFの給料を会議の期間中にましてやらねばならない。Eは恩給局に転勤希望を申しこんできている。Dが夫のあるタイピストと恋愛しているということをきいていたし、GとHが絶交中だという話もある。(しかも理由を知ったものは誰もいないというのだ)。こういうわけだから、AはいまCのよこした文書にただサインだけして片付けてしまいたいところである。だが、Aには良心がある。彼は、彼の仕事仲間が、みんなや自分のために作り出してくれたさまざまの問題、つまり、これらの役人がいるということだけのために生じてきた問題に悩まされながらも、その義務を怠るような男ではないのである。彼は注意ぶかくその文書を読み、CおよびHによってつけ加えられた気に入らぬ部分をけずり、結局、少々喧嘩早いが有能なFによって最初にきめられた形にもどしてしまう。彼は英語を直し――近ごろの若いものときたら、英語もろくすっぽ書けない――そして、公務員C、D、E、F、G、Hはまったく不必要な存在であったかのように、回答を作成する。だが、もっとずっと多くの人びとが、これよりもはるかに多くの時間をかけて同じものを作っていることもある。ここでは誰一人として怠けた者はいなかった。全員がベストをつくした。そしてAが退庁し、イーリングの自宅に向って帰途につくときには、もう日は暮れかかっている。オフィスの最後の灯は、また今日も長い労働の一日の最後をマークする薄明の中に消されて行く。最後に退庁する人群れにまじって、Aは肩を丸め、ゆがんだ微笑をうかべながら思う。頭が白くなるのと同じように、時間がおそくなるのも、成功の代償のひとつなんだな、と。
失礼。面白いあまり引用が止まらなくなってしまった。だが笑ってばかりもいられない。ブラックユーモアを真面目に実行する彼らが複雑怪奇な法制度や経済システムを構築し、国民の資産を税金という形で天下り先に流しているのだから。
日本の場合、事実の上で官僚が三権を支配している。ここに大鉈(おおなた)を振るわない限り、民主主義が実現することはあり得ない。各省庁に
稲盛和夫のような人物を社外取締役に任命し、国民が直接監査する制度が必要だと思う。
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国を賊(そこな)う官僚/『誰が国賊か 今、「エリートの罪」を裁くとき』谷沢永一、渡部昇一