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2020-04-19

宇野利泰訳を推す/『華氏451度』レイ・ブラッドベリ:伊藤典夫訳


『華氏451度』レイ・ブラッドベリ:宇野利泰訳

 ・宇野利泰訳を推す

 火を燃やすのは愉しかった。
 ものが火に食われ、黒ずんで、別のなにかに変わってゆくのを見るのは格別の快感だった。真鍮の筒さきを両のこぶしににぎりしめ、大いなる蛇が有毒のケロシンを世界に吐きかけるのをながめていると、血流は頭のなかで鳴りわたり、両手はたぐいまれな指揮者の両手となって、ありとあらゆる炎上と燃焼の交響曲をうたいあげ、歴史の燃えかすや焼け残りを引き倒す。

【『華氏451度』レイ・ブラッドベリ:伊藤典夫訳(ハヤカワ文庫、2014年)以下同】

 13ページで挫けた。ワンセンテンスが長く文章の行方がわかりにくい。平仮名表記も多すぎると思う。

『華氏四五一度』もその過程で出会った一冊である。ところが、この本は読めなかった。中学生といえば、翻訳の善し悪しなどおかまいなしにガシャガシャ読み終えていいところだが、この本に限ってはとても読み進むどころではなかった。ついには挿絵をながめて、あとのストーリーを想像するだけとなり、あとがきを読んで放りだした。元々社のシリーズで結末まで読めなかったのはこの『華氏四五一度』だけで、扉にある銘句が、巨大なクエスチョン・マークとしてぼくの記憶に刻まれた――
「もしも彼らが/杓子定規で固めた罫紙を/君によこしたなら/その逆に書いて行きたまえ」……なんのこっちゃ?
 その後、宇野利泰訳が早川書房から出版されるが、こちらも「もし罫紙をもらったら/逆の方向に書きたまえ」という、骨のない、ふやけた訳文になっている。意味がようやくつかめたのは、ダブル・ミーニングを見分ける目がすこし育ってからである。(訳者あとがき)

 私は宇野利泰訳を推す。間違いがあるならただ事実を指摘すればよい。他人を貶めることで自分を持ち上げようとする根性が気に食わない。

2015-03-18

新世界秩序とグローバリズムは単一国を目指す/『われら』ザミャーチン:川端香男里訳


『木曜の男』G・K・チェスタトン

 ・新世界秩序とグローバリゼーションは単一国を目指す
 ・ディストピア小説の元祖

『すばらしい新世界』オルダス・ハクスリー:黒原敏行訳
『国難の正体 世界最終戦争へのカウントダウン』馬渕睦夫
『一九八四年』ジョージ・オーウェル:高橋和久訳

必読書リスト その五

   覚え書 1

      要約――ある布告。最も懸命なる線。ポエム。

 今日の【国策新聞】にのっている記事を、一語一語そのまま書き写しておく。

「120日後に宇宙船《インテグラル》の建造が完成する予定である。最初の《インテグラル》が宇宙空間へ高高と飛翔(ひしょう)する偉大なる歴史的時間はせまっている。今を去る1000年前、諸君らの英雄的な先祖は全地球を征服して【単一国】の権力下においた。さらにより光栄ある偉業が諸君の眼前にある。ガラスと電気の、火を吐く《インテグラ》によって、宇宙の無限の方程式がすべて積分(インテグレート)されるのである。他の惑星に住んでいる未知の生物は、おそらくまだ【自由】という野蛮な状態にとどまっていようが、諸君は理性の恵み深い【くびき】に彼らを従わせねばならない。数学的に正確な幸福をわれらがもたらすことを彼らが理解できぬとしたら、われらの義務は彼らを強制的に幸福にすることである。しかしながら、武力に訴える前に、われらは言葉の威力をためしてみよう。
【恩人】の名において、【単一国】の全員数成員(ナンバー)に布告する――
 自ら能力ありと自負するものは、すべて、【単一国】の美と偉大さに関する論文、ポエム、宣言(マニフェスト)、頌詩(オード)、その他の作品を作成せねばならぬ。
 これは《インテグラル》が運搬する最初の積荷となる。
【単一国】万歳! 員数成員万歳! 【恩人】万歳!」

 これを書いていると頬がほてってくるのを感ずる。そうだ、全世界の壮大な方程式を積分(インテグレート)するのだ。野蛮な曲線を伸ばし、真っ直ぐにし、切線・漸近線・直線に近づけるのだ。なぜなら、【単一国】の線は直線だからである。偉大で神聖な、正確で賢明な直線は、最も賢明なる線なのである……

【『われら』ザミャーチン:川端香男里〈かわばた・かおり〉訳(講談社、1970年/講談社文庫、1975年/岩波文庫、1992年:小笠原豊樹訳 集英社、1977年/原書、1927年)】

 読書日記にも書いた通り、@taka0316y7氏のアドバイスに従い、川端訳を選んだのが正解であった。あまりにも素晴らしいので、冒頭部分をそっくり抜粋した次第である。

 ディストピアの代表作を原著刊行年代順に列挙しよう。

・『「絶対」の探求』バルザック、1834年
・『木曜の男』G・K・チェスタトン、1908年
・『絶対製造工場』カレル・チャペック、1922年
・『われら』ザミャーチン、1927年チェコ(ソ連で発表できず)
・『すばらしい新世界』オルダス・ハクスリー、1932年
・『動物農場』ジョージ・オーウェル、1945年
・『一九八四年』ジョージ・オーウェル、1949年
・『華氏451度』レイ・ブラッドベリ、1953年

 バルザックとチャペックは敢えて加えておいた。

 ディストピア(ユートピア〈理想郷〉の反意語)の特徴は完全な管理社会にあると一般的には考えられているが、合理性を突き詰めた世界と捉えるのが正しいと思う。

 自由を主体性と置き換えてみよう。個人の意志や情念は理不尽なものだ。その理不尽が信仰に辿り着く。信仰は情念を満たすが人を蒙昧(もうまい)にする。一方、人々が完全に合理的な行動をとるようになれば、全ての人々は置き換え可能となる。いずれにしても主体性は喪失する(※と宮台真司が話していた)。

 合理性を極めると人間は「全員数成員(ナンバー)」となる。単なる数字(員数〈いんずう〉)だ。これは決して別世界の話ではない。例えば兵士・得票数・視聴率・交通事故の死者数、世論調査などの平均値・数値・比率は我々一人ひとりをナンバー(数字)として扱っているではないか。


「【恩人】」とは絶対的権力者である。浦沢直樹作『20世紀少年』の「ともだち」(世界大統領)だ。オーウェルの『一九八四年』は社会主義国家を風刺した作品と紹介されるが、システムへの絶対的信頼という点において宗教的でもある。「【恩人】」(本書)、「ビッグ・ブラザー」(『一九八四年』)、「ナポレオン」(『動物農場』)、「ムスタファ・モンド」(『すばらしい新世界』)は政治的には独裁者であり、宗教的には教祖である。

 私は数年前から組織宗教と社会主義国家の類似性に気づいた。熱烈な信者と熱烈な中国共産党員は同じ表情をしている。彼らは情熱的であり、ファナティックでもある。スターリン統治下のソ連でも、魔女狩りが行われていたヨーロッパでも、密告が奨励されていた。異端や裏切りに対する苛烈さも完全に一致する。

 新世界秩序(ニューワールドオーダー)という言葉はグローバリズムに置き換えられた。諸外国で大使を務めた馬渕睦夫〈まぶち・むつお〉が国際主義というキーワードで、アメリカの政府首脳が左翼であったと驚くべき指摘をしている。しかもその根底にはユダヤ人の価値観が見て取れるという(『国難の正体 世界最終戦争へのカウントダウン』ビジネス社、2014年/総和社、2012年『国難の正体 日本が生き残るための「世界史」』改題/『世界を操る支配者の正体』講談社、2014年)。彼らが憎み、唾棄し、嫌悪するのはナショナリズムである。その筆頭がプーチン大統領と安倍首相だ。

 TPPもこうした流れで捉えるとよく理解できる。今後の流れとしては今年あたりからドルが下がり始め、数年でドル崩壊のレベルにまで下がり続け、そのタイミングで世界単一通貨(通貨統合)のテーマが出てくるはずだ。詳細については宋鴻兵〈ソン・ホンビン〉の書籍を参照せよ。

 これからもイスラム国のような過激派およびテロを誘引しながら世界の危機を演出し、世界統一政府すなわち「単一国」を目指す動きが止まることはないだろう。そのエポックメイキングとなるのはたぶん日中戦争である。

「ポエム」は芸術を象徴しており、人々の感情を礼賛で覆い尽くし、その反動で憎悪を駆り立てる。現代社会でいえば映像と音楽だ。「ポエム」を恐れよ。そこに「ポイズン」(毒)が隠されている。

われら (岩波文庫)[新装版]国難の正体 ~世界最終戦争へのカウントダウン世界を操る支配者の正体

2015-02-09

比類なき言葉のセンス/『すばらしい新世界』オルダス・ハクスリー:黒原敏行訳


『われら』ザミャーチン:川端香男里訳

 ・比類なき言葉のセンス
 ・恐るべき諧謔と風刺

『一九八四年』ジョージ・オーウェル:高橋和久訳
『華氏451度』レイ・ブラッドベリ
SNSと心理戦争 今さら聞けない“世論操作”
『マインド・ハッキング あなたの感情を支配し行動を操るソーシャルメディア』クリストファー・ワイリー

必読書リスト その五

 わずか34階のずんぐりした灰色のビル。正面玄関の上には、〈中央ロンドン孵化・条件づけセンター〉の文字と、盾形紋章に記した世界国家のモットー、“共同性(コミュニティ)、同一性(アイデンティティ)、安定性(スタビリティ)”。

【『すばらしい新世界』オルダス・ハクスリー:黒原敏行訳(光文社古典新訳文庫、2013年/『みごとな新世界』渡邉二三郎訳、改造社、1933年/「すばらしい新世界」松村達雄訳、『世界SF全集』第10巻、早川書房、1968年/『すばらしい新世界』 高畠文夫訳、角川文庫、1971年)】

 一昨年初めて読んで、昨年再読。二度目の方が堪能できた。回数を経るごとに新しい発見がある。本物の作品とはそういうものだ。

 原著が刊行されたのは1932年。つまり第一次世界大戦(1914-18年)と第二次世界大戦(1939-45年)の間に生まれたわけだ。佐藤優が「二つの世界大戦を区別せずに『20世紀の31年戦争』と呼んだ方が正確かもしれない」(『サバイバル宗教論』)と指摘しているが、そう考えると「大戦の中で生まれた」とすることもできよう。

 人類は群れることで環境に適応した。思いやりも本能であり(『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』フランス・ドゥ・ヴァール)、利他的行動は種の保存を目的にしていると考えてよい(「なわばりから群れへ」を参照せよ)。

 群れ=社会には秩序と管理が不可欠だ。では、人類がひとつにまとまり、完全に管理された社会が出現したらどうなるか? それを描いたのが本書である。出産、教育から個人の快楽までもが完璧に管理された社会だ。

 21世紀に入り、パックス・アメリカーナに基づくグローバリズムが叫ばれるようになった。世界国家が実現した「すばらしい新世界」は文化や民族性を排除した無機質な世界であった。その対比として「悪しき野蛮人世界」が描かれる。インディアンを野蛮人としたのは差別主義からではなく、ハクスリーのスピリチュアリズムによるものであろう。

 骨太のストーリーを比類なき言葉のセンスが支える。そしてコピーやフレーズに深い知性の裏づけがある。

 クリシュナムルティに書くことを促したのはハクスリーその人であった(1942年)。ハクスリー本人はその後、神秘主義に傾くが、「条件づけセンター」という名称にはクリシュナムルティの影響があったのかもしれない。

 何度か挫けている松村達雄訳も読んでみようと思う。



邪悪な秘密結社/『休戦』プリーモ・レーヴィ
自律型兵器の特徴は知能ではなく自由であること/『無人の兵団 AI、ロボット、自律型兵器と未来の戦争』ポール・シャーレ

2011-12-17

修正し、改竄を施し、捏造を加え、書き換えられた歴史が「風化」してゆく/『一九八四年』ジョージ・オーウェル:高橋和久訳


『われら』ザミャーチン
『すばらしい新世界』オルダス・ハクスリー:黒原敏行訳

 ・現在をコントロールするものは過去をコントロールする
 ・修正し、改竄を施し、捏造を加え、書き換えられた歴史が「風化」してゆく
 ・ビッグブラザーと思考警察

『華氏451度』レイ・ブラッドベリ
SNSと心理戦争 今さら聞けない“世論操作”
『マインド・ハッキング あなたの感情を支配し行動を操るソーシャルメディア』クリストファー・ワイリー
『AI監獄ウイグル』ジェフリー・ケイジ
ドキュメンタリー映画『プランデミック 3 ザ・グレート・アウェイクニング』〜PLANDEMIC 3: THE GREAT AWAKENING〜

必読書リスト その五

 凄いニュースだ。

 野田佳彦首相は16日、政府の原子力災害対策本部の会合で、東京電力福島第一原発で原子炉を安定して冷却する「冷温停止状態」を達成し、事故収束に向けた工程表「ステップ2」が完了できたとして「事故そのものは収束に至った」と宣言した。

TOKYO Web 2011-12-17

 どうして誰も喜ばないのだろう? なぜ胸を撫で下ろす人がいないのだろう? それは「収束」が嘘であることを知っているからだ。ゴムひもじゃあるまいし、放射能がそう簡単に収束してたまるかってえんだ。

 福島原発の現場で働く人々の反応はどうか?

「冷温停止状態」を通り越し「事故収束」にまで踏み込んだ首相発言に、福島第一原発の現場で働く作業員たちからは、「言っている意味が理解できない」「ろくに建屋にも入れず、どう核燃料を取り出すかも分からないのに」などと、あきれと憤りの入り交じった声が上がった。
 作業を終え、首相会見をテレビで見た男性作業員は「俺は日本語の意味がわからなくなったのか。言っていることがわからない。毎日見ている原発の状態からみてあり得ない。これから何十年もかかるのに、何を焦って年内にこだわったのか」とあきれ返った。
 汚染水の浄化システムを担当してきた作業員は「本当かよ、と思った。収束のわけがない。今は大量の汚染水を生みだしながら、核燃料を冷やしているから温度が保たれているだけ。安定状態とは程遠い」と話した。
 ベテラン作業員も「どう理解していいのか分からない。収束作業はこれから。今も被ばくと闘いながら作業をしている」。
 原子炉が冷えたとはいえ、そのシステムは応急処置的なもの。このベテランは「また地震が起きたり、冷やせなくなったら終わり。核燃料が取り出せる状況でもない。大量のゴミはどうするのか。状況を軽く見ているとしか思えない」と憤った。
 別の作業員も「政府はウソばっかりだ。誰が核燃料を取り出しに行くのか。被害は甚大なのに、たいしたことないように言って。本当の状況をなぜ言わないのか」と話した。

TOKYO Web 2011-12-17

 やはり現場の声は重い。野田首相の言葉の軽さとは対照的だ。政府、東電、保安院は今まで散々嘘に嘘を重ねてきた。巨大な力を持つ連中は少々叩かれたところでビクともしない。「どうせ正確な情報を流したところで文句を言う奴はいるわけだから、これくらいは構わんだろう」という思惑があって当然だ。詐欺国家ニッポン。

 我が国が法治国家であるならば、政策ミスによる犯罪性を司法が裁くべきであると考えるがどうだろう? 鈴木傾城〈すずき・けいせい〉氏が「せめて、東京電力の責任者くらいは、しっかり死刑にすべき」と書いている。私は原子力行政に絡んで利権に預かってきた連中は、最低でも禁固刑にすべきだと思う。菅直人前首相は死罪に値すると考える。民主党内から切腹を求める声が上がってしかるべきであった。

 ジョージ・オーウェルが描いた『一九八四年』的世界が現実となりつつある。以下の記事を熟読されよ。

現在をコントロールするものは過去をコントロールする/『一九八四年』ジョージ・オーウェル

 ダブルシンク(二重思考)という概念(オーウェルの造語)が歴史の本質を炙(あぶ)り出す。歴史とは事実を意味しない。記録されたもののみが歴史なのだ。

 例えば原発労働者の声は歴史として残らない。大体、数百年後の日本史年表であれば「収束宣言」すら記録されない可能性が大きい。よほどのことがない限り、カッコの中や脚注に書かれることもないのだ。我々は当事者だから日々のニュースを極太ゴシック体で受け止めるが、100年前の事件は名称でしか認識していない。つまり100年後には「東日本大震災時における福島原発事故」で全部片づけられてしまうのだ。1000年立てば「日本昔ばなし」レベルだ。

 この恐ろしさが理解できるだろうか? 権力者が修正し、改竄(かいざん)を施し、捏造(ねつぞう)を加え、書き換えられた歴史が「風化」してゆくのだ。

 権力とは、暦(こよみ)、文字、度量衡(どりょうこう)を決定するものだ。そして歴史とは政治史を中心に綴られる(※岡田英弘を参照のこと)。

歴史とは何か/『世界史の誕生 モンゴルの発展と伝統』岡田英弘
歴史の本質と国民国家/『歴史とはなにか』岡田英弘

 彼は彼女に理解させようとした。「これはまずめったにないことなんだ。単に誰かが殺されるという問題じゃない。分かるだろう、昨日を起点としてはるか続く過去が現に抹消されているんだ。過去がどこかで生き延びるとしたら、それは何のことばもついていない数少ない確固たる物体のなかでしかない。例えば、そこにあるガラスの塊のようなもののなかとかね。すでにぼくたちは、革命について、そして革命前の時代について、文字通り何の手がかりもなくなっていると言っていい。記録は一つ残らず廃棄されたか捏造され、書物も全部書き換えられ、絵も全部描き直され、銅像も街も建物もすべて新しい名前を付けられ、日付まですっかり変えられてしまった。しかもその作業は毎日、分刻みで進行している。歴史は止まってしまったんだ。果てしなく続く現在の他には何も存在しない。そしてその現在のなかでは党が常に正しいんだ。もちろん分かっているさ、過去が捏造されているって。でもぼくがそれを証明するなんて、とうてい無理な話、たとえ自分がその捏造に直接関わっていてもね。作業が終われば証拠は何も残らないのだから。唯一の証拠はぼくの頭のなかにあるだけ。そしてぼくの記憶を共有してくれる人間がはたして他にいるものやら、とても自信がないね」

【『一九八四年』ジョージ・オーウェル:高橋和久訳(ハヤカワepi文庫、2009年/吉田健一・龍口直太郎訳、文藝春秋新社、1950年/『世界SF全集 10 ハックスリイ オーウェル』村松達雄・新庄哲夫訳、早川書房、1968年新庄哲夫訳、ハヤカワ文庫、1972年)以下同】

 そしてオーウェルの時代には判明していなかったことと思われるが、人間の記憶自体も日常的に書き換えられていることが科学的に証明されている。つまり人の数だけ事実があるってわけだよ。歴史修正主義は社会主義国家の専売特許に非ず。

 ウィンストン・スミスとジュリアは恋に陥る。恋愛そのものが自由であり反逆行為であった。しかし二人の自由は長く続かなかった。管理社会はありとあらゆるところに罠を張り巡らせていた。二人は逮捕される。

「しかし、いいかねウィンストン、現実は外部に存在しているのではない。現実は人間の精神のなかにだけ存在していて、それ以外の場所にはないのだよ」

 オブライエンの指摘が読む者の背筋を凍らせる。そして記憶と精神を改造すべく、一片の容赦もない拷問が加えられる。

「他人を支配する権力はどのように行使されるかね、ウィンストン?」
 ウィンストンは考えた。「相手を苦しめることによって、です」と答えた。
「その通りだ。苦しめることによってはじめて行使される。服従だけでは十分でない。相手が苦しんでいなければ、はたして本当に自分の意志ではなくこちらの意思に従っているのかどうか、はっきりと分からないだろう。権力は相手に苦痛と屈辱を与えることのうちにある。権力とは人間の精神をずたずたにし、その後で改めて、こちらの思うがままの形に作り直すことなのだ」

 原書の脱稿は1948年12月4日(1949年刊行)。下二桁の数字を入れ替えてタイトルにしたとされている。イスラエル建国と同年であることが不気味だ。

 スタンレー・ミルグラムがアイヒマン実験を通して服従心理のメカニズムを解明したのは1963年のことである。

服従の本質/『服従の心理』スタンレー・ミルグラム

 オーウェルはミルグラムより15年も先んじてディストピアを描いてみせたのだ。当初は『ヨーロッパ最後の人間』(The Last Man in Europe)と題されていた。単純なソビエト批判でないことは明らかだ。中世において人間はヨーロッパにしか存在しなかった。これが西洋史観である(※化物世界誌)。

コロンブスによる「人間」の発見/『聖書vs.世界史 キリスト教的歴史観とは何か』岡崎勝世

 すなわちオーウェルが描いた世界は、集団化が行き着く極北を示したものと考えられる。組織における人間は機能や役割に貶(おとし)められる。社員はいつだって交換可能な部品のようなものだ。そして大衆は会社や国家に依存せざるを得ない情況へと追い込まれる。

 国民国家が目指すのは「国家依存主義」であり「国家万能主義」であろう。ゆえに無謬性(むびゅうせい)が重んじられるのだ。

「つまづいたって いいじゃないか にんげんだもの」と、みつをは言った。人間はつまづくが国家はつまづくことがない。決して。



物語る行為の意味/『物語の哲学』野家啓一

2011-06-11

宗教的ユートピアを科学的ディストピアとして描く/『絶対製造工場』カレル・チャペック


『「絶対」の探求』バルザック

 ・宗教的ユートピアを科学的ディストピアとして描く

『木曜の男』G・K・チェスタトン

 カレル・チャペックを初めて読んだ。私は長らく「庭仕事をやっているオヤジだろ?」くらいに思っていた。20代で刻印された先入観はそう簡単に消えるものではない。その後、「ロボット」という言葉をつくったのがチャペックであることを知った。

 本書はバルザック著『「絶対」の探求』に対するオマージュである。

 物語の後半が失速していて文学性や作品の完成度はバルザックに及ばないが、「絶対」というテーマを別角度から照らしていて一読に値する。脳機能を司る理性と感情は、外へこぼれ落ちて科学と宗教となる。人間が絶対や真理を求めずにいられないのは脳が二つに割れているためだ、というのが私の持論である。

 カレル・チャペックの柔軟さにベルトルト・ブレヒトと相通ずるものを感じた。

人間を照らす言葉の数々/『ブレヒトの写針詩』岩淵達治編訳

 チェコスロバキアと東独が隣り合っていたことと関係しているのだろうか? ただし文化的な共通点は少ないようだ。

チェコとドイツは人々も建物もなんとなく似ているように見えるのですが、具体的にどの辺が違うのでしょうか?

 硬い性質はわかりやすいものの反発力に変化がない。柔軟さの奥深いところは、ぶつかった力を受け入れた後に反動を加えて投げ返すところだ。チャペックやブレヒトには弓や鞭のような精神のしなやかさがある。この弾力性がユーモアの源だ。

 発明
 収益性の非常に高い、どの工場にも好適のもの 個人的理由により即時売却――問い合わせ先ブジェヴノフ 1651 R・マレク技師

【『絶対製造工場』カレル・チャペック:飯島周〈いいじま・いたる〉訳(平凡社ライブラリー、2010年)以下同】

 新聞広告にボンディの目が留まる。マレクは青年時代の親友であった。

「(※現代技術の問題が)ビジネスだなんて全然ちがうよ、わかるか? 燃焼だ! 物質の中に存在する熱エネルギーの完全な燃焼だ! 考えてみろよ、石炭からは燃焼可能なエネルギーの、ほんの10万分の1しか燃やしていないんだよ! ちゃんとわかってるか?」(マレク)

 戯曲『ロボット(R.U.R.)』が1920年、その次に発表されたのが本書で1922年(大正11年)のこと。オットー・ハーンが原子核分裂を発見したのは1938年である。カレル・チャペックは明らかに原子力発電の可能性を見越していた。正真正銘のサイエンス・フィクションといってよい。しかもハードSF。

「聞いてるかい、ボンディ? あれは何十億も何千億もの金をもたらすぞ。でもその代わり、良心に対する恐ろしい害毒を引き受けなきゃならない。覚悟しろよ!」

「ぼくの完全カルブラートルは、完全に物質を分解することで、副産物を作り出す――純粋な、束縛されぬ【絶対】を。化学的に純粋な形の神を。言ってみれば、一方の端から機械的なエネルギーを、反対の端から神の本質を吐き出すのだ。水を水素と酸素に分解するのとまったく同じさ。ただ、それよりおそろしく大規模なだけだ」

 原子力発電の着想もさることながら、有害物質ではなく有益物質としたところにチャペックの卓抜したアイディアが光る。厳密にいえば有益というよりは、多幸症(ユーフォリア)を惹き起こす物質であった。

「ぼくは信じているが、科学は神を一歩一歩閉め出している、あるいは少なくとも、神の顕現を制限している。そしてそれが、科学の最大の使命だとぼくは信じる」

 マレクは自ら製造したカルブラートルに対して否定的だった。幸福が「状態」を意味するのであれば、棚ぼた式の啓示や悟りでも一向に構わないはずだ。しかしマレクは飽くまでも科学的真理を求めた。

「でも想像してみろよ、たとえば、本当にどんな物質の中にも神が存在すること、物質の中になんらかのやり方で閉じ込められていることを。そしてその物質を完全に破壊すれば、神はぱりっとした格好で飛び出すのだ。神は完全に解放されたようになる。物質の中から、まるで石炭から石炭ガスが蒸発するように蒸発する。原子を一つ燃焼させれば、地下室いっぱいの【絶対】が一気に得られる。【絶対】があっと言う間に広がるのには、びっくりするぜ」

 目に見えぬ放射能のように絶対は拡散する。信仰者が目指す理想を状況として描くことで、チャペックは宗教の安易さを暴き立てている。つまり宗教的ユートピアを科学的ディストピアとして描画(びょうが)したのだ。まさに天才的手法。

「その間に、地下室にあの大きなカルブラートルを設置して、稼働させた。きみに話したように、もう6週間、昼も夜も動いている。そこではじめて、【こと】の全容を認識した。その日のうちに地下室には【絶対】が満ちあふれて裂けんばかりになり、家の中全体を徘徊しはじめた。いいかい、純粋な【絶対】はどんな物質にも浸透してくるんだ。固い物質の場合は少しゆっくりだがね。大気の中では光と同じくらい速く拡散する。ぼくが地下室へ入って行った時は、きみ、まるで発作のように襲ってきた。ぼくは大声でわめいた。逃げ出すだけの力が、どこから湧いたのかわからない。それからここ、上の部屋で、全部のことをよく考えた。最初の考えでは、それは新しい、気分を高揚させるさせるガスかなにかで、物質の完全燃焼から生じたのだ、ということだった。そこで、外からあの空調機を取り付けさせた。3人の工事人のうち2人が作業中に啓示を受け、幻影を見た。3人目はアル中だったから、たぶんそのせいでいくらか免疫があったのだろう。それはただのガスだ、と信じていた間は、それについていろいろ実験をした。興味深いことに、【絶対】の中では、どの光もずっと明るく燃える。【絶対】を梨の形のガラス器に密封できれば、電球にしたいところだがね。だが彼は、この上なく厳重に閉じられたどんな容器からでも蒸発してしまう。だからぼくは、彼は一種の超放射能物質だろうと考えた。しかし、電気の軌跡は一切ないし、感光板にもなんの痕跡もない。3日目には、家の管理人をサナトリウムに送らなきゃならなかった。管理人は地下室のうえに住んでたんだよ、それにその妻も」
「どうしたんだい?」ボンディ氏は尋ねた。
「人が変わってしまったんだ。霊感を受けて。宗教的な説教し、奇跡を行なった。その妻は預言者になった」

 大笑い。失礼。私が読んだのは福島の原発事故が起こる前だったのだ。許せ。

 スピリチュアル系の連中を嘲り笑うような場面である。現実離れした平和主義者も同じ俎(まないた)の上に載っている。

 マレクが逃げ出した姿が、映画『トゥルーマン・ショー』のラストシーンと重なり合う。自由が一切の束縛を拒絶するものであるならば、麻薬的な幸福感は隷属を意味する。

 チャペックは更に宗教を絡める。

「それはまちがってますよ、あなた」祝聖司教は快活に叫んだ。「まちがってますよ。教義(ドグマ)の欠けた学問はただの懐疑の集積です。もっと悪いのは、あなた方の【絶対】が教会の法律に反することです。真正さについての教えに対する抵抗です。教会の伝統を無為にするものです。三位一体の教えに対する乱暴な侵犯です。聖職者たちの使徒的な服従の無視です。教会の悪魔払い(エクソシズム)にさえも従わない、その他もろもろ。要するに、われわれが断固として拒否せねばならない振る舞いをしているのです」

 それまでは教会の専売特許であった啓示が工場で大量生産されるようになったのだから大変だ(笑)。ただし教会には神学という武器があるから理屈をこねくり回すのには事欠かない。彼らは現実よりもバイブル(聖書)を重んじるのだ。

 そしてほんのわずかな記述ではあるのだが、フリーメイソン神智学協会まで出てくる。恐るべき見識である。

 悪のない世界を描いたものとしては、福永武彦の「未来都市」(『廃市・飛ぶ男』所収)という作品があるが、両者に通い合うのは破壊の調べだ。

 カレル・チャペックは「絶対」という価値観に巣食うファシズム性をものの見事に暴いてみせた。



『カレル・チャペックの世界』
カレル・チャペック『絶対製造工場』
フリーメイソン

2009-10-04

現在をコントロールするものは過去をコントロールする/『一九八四年』ジョージ・オーウェル:高橋和久訳


『われら』ザミャーチン
『すばらしい新世界』オルダス・ハクスリー:黒原敏行訳

 ・現在をコントロールするものは過去をコントロールする
 ・修正し、改竄を施し、捏造を加え、書き換えられた歴史が「風化」してゆく
 ・ビッグブラザーと思考警察

『華氏451度』レイ・ブラッドベリ
SNSと心理戦争 今さら聞けない“世論操作”
『マインド・ハッキング あなたの感情を支配し行動を操るソーシャルメディア』クリストファー・ワイリー
『AI監獄ウイグル』ジェフリー・ケイジ
ドキュメンタリー映画『プランデミック 3 ザ・グレート・アウェイクニング』〜PLANDEMIC 3: THE GREAT AWAKENING〜

必読書リスト その五

 ディストピア小説の傑作が新訳で蘇った。信じ難いほど読みやすくなっている。高橋和久が救世主に思えるほどだ。世界を読み解く上で不可欠の一書である。舞台設定を未来にすることで、権力の本質が管理・監視・暴力にあることを描き切っている。一見、戯画化しているように思われるが、むしろ細密なデフォルメというべき作品だ。

 それにしてもこんなに面白かったとは! 私は舌なめずりしながらページをめくった。権力は、それを受け容れる人々を無気力にし、自由を求める者には容赦なく暴力を振るう。暴力を振るわなければ維持できない性質が権力にはある。

 優れた小説は人間精神の深奥に迫る。そして精神の力は、肉体に加えられる暴力によって試される。アラブ小説が凄いのは、「想像力としての暴力」ではなく、「現実の暴力」に立脚しているためだ。

 もう一つの太いテーマは、「歴史と記憶」である。権力者は歴史を修正し改竄(かいざん)する。なぜなら、権力の正当性は常に過去に存在するからだ。過去は現在という一点に凝縮され、その現在は未来をも包摂している。つまり、過去と未来は現在を通してつながっているのだ。このため、過去に異なる情報が上書きされると、現在の意味が変質し、未来までもが権力者にとって都合のいいように書き換えることが可能となる――

 党は、オセアニアは過去一度としてユーラシアと同盟を結んでいないと言っている。しかし彼、ウィンストン・スミスは知っている、オセアニアはわずか4年前にはユーラシアと同盟関係にあったのだ。だが、その知識はどこに存在するというのか。彼の意識の中にだけ存在するのであって、それもじきに抹消されてしまうに違いない。そして他の誰もが党の押し付ける嘘を受け入れることになれば――すべての記録が同じ作り話を記すことになれば――その嘘は歴史へと移行し、真実になってしまう。党のスローガンは言う、“過去をコントロールするものは未来をコントロールし、現在をコントロールするものは過去をコントロールする”と。それなのに、過去は、変更可能な性質を帯びているにもかかわらず、これまで変更されたことなどない、というわけだ。現在真実であるものは永遠の昔から真実である、というわけだ。実に単純なこと。必要なのは自分の記憶を打ち負かし、その勝利を際限(さいげん)なく続けることだ。それが〈現実コントロール〉と呼ばれているものであり、ニュースピークで言う〈二重思考〉なのだ。

【『一九八四年』ジョージ・オーウェル:高橋和久訳(ハヤカワepi文庫、2009年/吉田健一・龍口直太郎訳、文藝春秋新社、1950年/『世界SF全集10 ハックスリイ オーウェル』村松達雄・新庄哲夫訳、早川書房、1968年新庄哲夫訳、ハヤカワ文庫、1972年)】

 恐ろしいことに記憶よりも記録が歴史を司る。そして、記録が抹消されれば過去の改竄はたやすく行われる。移ろいやすく変質しやすい記憶は、記録によって塗り替えられる。

「過去をコントロールするものは未来をコントロールし、現在をコントロールするものは過去をコントロールする」という党のスローガンはこの上なく正しい。民衆をコントロールできる権力者は、歴史をもコントロールできるのだ。

 仏教では権力者の本質を「他化自在天」(たけじざいてん)と説いた。「他を化(け)すること自在」というのだ。しかも、人界の上の天界が住処となっているから、上層で君臨している。本書に照らせば、「他」というのは「他人の記憶」までもが含まれることになる。

 二重思考(ダブルシンク)は人間の業(ごう)ともいうべき性質である。例えば理性と感情、分析と直観、意識と無意識など我々はいつでもどこでも二重性に取り憑かれている。なぜなら、人間の脳が二つ(右脳と左脳)に分かれているからだ。そう考えると、人間は元々分裂した状態にあると考えることも可能だ。

 そして権力者は人々を分断する。自他の間に懸隔をつくり出す。悪の本質はデバイド(割り→分断)にある。

 オーウェルが象徴的に描き出したビッグ・ブラザーは社会のそこここに存在する。それにしてもオーウェルはとんでもない宿題を残してくれたもんだ。

【問い】ビッグ・ブラザーのような権力者とあなたはどのように戦えるかを答えなさい。制限時間は死ぬまで。



岡田英弘
岡崎勝世
野家啓一
『死生観を問いなおす』広井良典
寿命は違っても心臓の鼓動数は同じ/『ゾウの時間ネズミの時間 サイズの生物学』本川達雄
将来は過去の繰り返しにすぎない/『先物市場のテクニカル分析』ジョン・J・マーフィー
読書の昂奮極まれり/『歴史とは何か』E・H・カー
ナット・ターナーと鹿野武一の共通点/『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン
物語の本質〜青木勇気『「物語」とは何であるか』への応答
物語る行為の意味/『物語の哲学』野家啓一
人間と経済の漂白/『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン
集団行動と個人行動/『瞑想と自然』J・クリシュナムルティ
忠誠心がもたらす宗教の暗い側面/『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド
情報理論の父クロード・シャノン/『インフォメーション 情報技術の人類史』ジェイムズ・グリック
新世界秩序とグローバリゼーションは単一国を目指す/『われら』ザミャーチン:川端香男里訳
邪悪な秘密結社/『休戦』プリーモ・レーヴィ
過去の歴史を支配する者は、未来を支配することもできる/『大東亜戦争で日本はいかに世界を変えたか』加瀬英明
コミンテルンの物語/『幽霊人命救助隊』高野和明
『創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史』輪島裕介
パーソナルデータは新しい石油である/『パーソナルデータの衝撃 一生を丸裸にされる「情報経済」が始まった』城田真琴
アルゴリズムという名の数学破壊兵器/『あなたを支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠』キャシー・オニール
1948年、『共産党宣言』と『一九八四年』/『世界史講師が語る 教科書が教えてくれない 「保守」って何?』茂木誠

2002-02-19

本のない未来社会を描いて、現代を炙り出す見事な風刺/『華氏451度』レイ・ブラッドベリ


『すばらしい新世界』オルダス・ハクスリー:黒原敏行訳
『一九八四年』ジョージ・オーウェル:高橋和久訳

 ・本のない未来社会を描いて、現代を炙(あぶ)り出す見事な風刺

『われら』ザミャーチン:川端香男里訳
『とうに夜半を過ぎて』レイ・ブラッドベリ
SFの巨匠レイ・ブラッドベリ氏が死去、91歳
『アメリカン・ブッダ』柴田勝家

必読書 その五

 十数年振りの再読にも堪(た)える好編である。有名な作品だけに読まれた方も多いだろう。ブラッドベリの長編の中では一番好きな作品である。

 未来社会のある国。ここでは本を読むことが禁じられていた。文明の発達によって、建築材は完璧な防火処理がなされていて火災が起こることはない。消防士を意味した「ファイアーマン」の仕事は焚書(ふんしょ/本を焼くこと)であった。

 ジョージ・オーウェルの『一九八四年』(ハヤカワ文庫)と同様、人間が徹底的に管理されているという社会背景になっている。本書の主役は本である。書物が持つ意味をSFという物語を借りて堂々と謳い上げている。タイトルとなっている「華氏四五一度」とは紙が燃え出す温度を示している。

 火の色は愉しかった。
 ものが燃えつき、黒い色にかわっていくのを見るのは、格別の愉しみだった。真鍮の筒先をにぎり、大蛇のように巨大なホースで、石油と呼ぶ毒液を撒きちらすあいだ、かれの頭のうちには、血管が音を立て、その両手は、交響楽団のすばらしい指揮者のそれのように、よろこびに打ちふるえ、あらゆるものを燃えあがらせ、やがては石炭ガラに似た、歴史の廃墟にかえさせるのだった。

【『華氏451度』レイ・ブラッドベリ:宇野利泰〈うの・としやす〉訳(早川書房、1964年/ハヤカワ文庫、1975年/ 南井慶二〈みない・けいじ〉訳、元々社、1956年『華氏四五一度』/伊藤典夫訳、ハヤカワ文庫、2014年)以下同】

 これが冒頭の書き出し。火は破壊の象徴であり、ホースから放出される「毒液」は権力の象徴に他ならない。破壊を「愉しむ」姿にぞっとするような人間の黒い心が垣間見える。

 ファイアーマンのガイ・モンターグは、近所に住むクラリスという少女と出会う。クラリスは「水のようにきれいに澄んでいる」瞳を持った不思議な少女だった。クラリスの知的な質問にモンターグは徐々にイライラを募らせてゆく。

「たしかにあたし、あんたの知らないことを知っているわね。夜あけになると、そこら一面、草の葉に露がたまるのを知っていて?」
 いきなりそういわれても、かれにはそれが、知識のうちにあるかどうかさえ思い出せなかった。

 別れ際にクラリスは「あんた幸福なの?」と問いただす。その一言が彼を動揺させた。

「人間とは、たいまつみたいなものだ。燃えあがり、光輝をはなつが、燃えつきりまでの存在なんだ。他人のくせに、おれを捕らえ、おれにおれ自身の考えを投げつけてよこす! それも、ひとに知られず、内心のいちばんおくふかくでふるえている考えを」

 未来社会の快適な生活は幸福を保証するものではなかった。

「あかるい場所でのかれは、幸福の仮面をかぶっているにすぎない。それをあの少女が、ひきはがしてしまったのだ」

 モンターグはクラリスとの出会いによって変化の軌道を歩み出す。今まで考えようともしなかったことを考え始め、常識を疑い、自分の人生を自分の手に引き寄せようとする。

 深く自分自身を見つめ直したモンターグは少しずつ変わってゆく。

「あんたの笑い声、まえよりは、ずっとあかるくなったわよ」

 ある焚書現場でモンターグは好奇心に逆らうことができずに1冊の本を隠し持つ。本を発見された家の老婆は本と共に自ら炎の中に留まった。

 家に持ち込んだ本の存在を知ったモンターグの妻は狂乱状態となる。妻は快適な生活に毒されて、自分の頭でものを考えることができなくなっていた。

「本のなかには、なにかあるんだ。ぼくたちには想像もできないなにかが――女ひとりを、燃えあがる家のなかにひきとめておくものが――それだけのなにかがあるにちがいない」

「あの女は、きみやぼくたちと同様に、まともな人間だった。いや、ぼくたち以上に、ちゃんとした人間だったかもしれない。それなのに、ぼくたちは彼女を焼き殺した」

 モンターグは遂に目覚めた。

 ファイアーマンという立場を捨てたモンターグは、本を知るフェイバー教授と知り合う。自分を導いてくれる知遇を得てモンターグは走り出す。

 フェイバーは言う――

「すぐれた著者は、生命の深奥を探りあてる。凡庸な著者は、表面を撫でるにすぎん。劣悪な著者となると、ただむやみに手をつけて、かきまわすだけのこと、であとはどうなれと、捨て去ってしまうんです」

 人間とは思想に生きる動物であろう。感覚的な快楽を追い求めるようになると、人間は自分でものを考えなくなる。本書に書かれた世界が遠い先のことだなどと誰が言えるだろう? 本を読むという行為は他人の思想に触れることに他ならない。コミュニケーション・ツールはどんどん発達しているものの、そこで交わされるのは意味のない会話であり、他愛のないデジタル文章である。映像文化は圧倒的な情報量を洪水のように溢れさせ思考を停止させる。燃やさずして本は消え去ろうとしているように思うのは私の錯覚であろうか?

 モンターグが快適な生活を捨て、安定した職業を捨て、何も疑おうとすらしなかった自分を捨て、そうしてまで見つけようとしたものは何か。それは本当の自分であり、本来の自分の姿であろう。これこそ真の自由であり、そこにモンターグが戦う理由があったのだ。

「建設に従事しない男は、破壊を仕事にすることになる。(中略)それが古い真理ですからな」

 破壊は一瞬、建設は死闘だった。モンターグの生き方に魅力を覚えるのは、自由であろうとすることが人間の幸福に直結していることを示しているからであろう。自分が何かに束縛されているのではと考えさせずにおかない本書を、生きている間にあと数回は読んでおきたい。