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2021-10-18

後藤健二氏殺害の真相/『日本人が知らない地政学が教えるこの国の進路』菅沼光弘


『この世界でいま本当に起きていること』中丸薫、菅沼光弘 2013年
『日本を貶めた戦後重大事件の裏側』菅沼光弘 2013年
『この国を呪縛する歴史問題』菅沼光弘 2014年

 ・アメリカの軍事予算削減を補う目的で平和安全法制が制定された
 ・戦死の法律的定義
 ・後藤健二氏殺害の真相

 今度の後藤(健二)さんの殺害をめぐって最大の謎はそこなのです。なぜ、ヨルダン政府は、1月27日に、すでに1月3日に殺されていたパイロットの釈放を取り引きの条件にしたのか。
 それを弁明して、「我々も誰かが殺されていたことは把握していたが、それがパイロットであるという確証は得ていなかった」とヨルダン政府は言ったのですが、この弁明はあまり説得力がない。いまの偵察衛星の精度から言えば、顔かたちまでみんなわかるはずです。
 それから、もうひとつ。このパイロットの父親は、昔からヨルダン王国と関係が深かったある遊牧民族の族長なのです。遊牧民というのは、昔から聴覚とか視覚とかがものすごく発達しています。肉眼では見えないような砂漠の遥か彼方にわずかな砂煙がちょっと立っただけで、敵が来るとわかる。そうでないと生きていけないのです。それと部族間の情報は、ものすごく早く回る。ヨルダンとイラクの距離はそんなにない。当然、この父親は部族の情報網を通じて、息子は殺されたことを知っていたはずです。この父親の元へ何度もヨルダン政府の人間が行っている。ヨルダン政府もすべて知っていたはずです。にもかかわらず、なぜすでに死んだ者の釈放を条件に挙げたのか。
 無理難題を出して交換できないようにしたわけです。後藤さんを釈放させないようにさせたのです。そこに英国の情報機関の介在が疑われる。かねて、英国は、第2次世界大戦のとき、1941年の12月8日に真珠湾攻撃があり、その二日後に、マレー沖海戦があった。この海戦で、日本海軍の航空隊によって、英国のロイヤル・ネーヴィーが誇る作戦行動中の戦艦プリンス・オブ・ウェールズ、重巡洋艦レパルスが撃沈された。真珠湾は泊まっている艦めがけての攻撃です。こちらは反撃もする作戦行動中の戦艦です。それを日本の海軍の、ベトナムから飛んで行った航空隊が、撃沈したのです。
 このニュースは日本でも大きく取り上げられたのですが、ヨーロッパ、とくに中東にものすごいショックを与えたのです。これが、英国の歴史家も書いていますが、中東の歴史を替えた。このことに刺激されて、当時英国の信託統治下にあったイスラエルのエルサレムで、いまでも現存している最高級のホテル、キング・デイヴィッド・ホテルに、当時の英国政府の代表部と、パレスチナ駐在の英国軍の司令部があったのですが、そこへ、イスラエルの秘密機関の命令で、そこのコックがホテルの地下に爆弾を仕掛けて、爆破させてしまった。それで、英国はほうほうの体でイスラエルから逃げることになった。それがイスラエルの独立につながっていったのです。
 当時、英国は世界最強の国だった。英国の海軍は七つの海を支配していた。こんな強い英国に抵抗するなどということは、当時ユダヤ人にも、もちろんアラブ人にも考えられなかったことなのです。
 ところが、イエロー・モンキーと呼ばれた日本人がやってしまった。だから、これは世界史的に見ても大変なことだったのです。
 先ほどから何度も言っているように、アラブ人を2級市民として扱い、くそみそに言っている英国を、同じアジア人がやっつけてくれた。本当にみんな喜んじゃったのです。
 以後、アラブの人たちは親日派になった。特に知識人がそうです。
 しかし、逆に、英国にとっては頭に来ることだった。当然ですね。結果的に、日本によって、英国は中東から放り出されたということになるわけですから。
 したがって、英国にとっては、もう二度と再び、中東に日本の進出させるのは御免蒙(こうむ)るということです。

 ところが、昨年12月に安倍さんがイスラエルに行って演説しました。「イスラム国」に抵抗する中東の国々に日本は援助を惜しまない、と演説したのです。そして、後藤さん救出のための本部をヨルダンのアンマンに置いた。本来、これは民間人の問題だったのだから、外務省の領事部あたりでこそこそやればいいものを、わざわざ副大臣を本部長としてアンマンに駐在させて、救出活動を大々的に宣伝した。
 しかし、そのときに英国は、これを逆用して、日本人の中に「反イスラム」の空気を醸成しようと考えたはずです。要するに、イスラムを日本人の敵にさせよう。世界の情報機関というのはこういうことを考えるのです。日本が「親イスラム」では困るのです。(中略)

 それはその後の展開を見ればわかる。後藤さん、湯川遥菜さんが殺されてしまって、日本人はみんな「『イスラム国』はなんということをしてくれたんだ」となった。
 そして、日本の国民が「反アラブ」「反イスラム」なんてことになってくると、向こうもますますもって「反日」となっていく。そして、その流れの中で、2020年の東京オリンピックが行われることになると、日本を標的にしたテロが怖い。
 後藤さん殺害のときに「イスラム国」は「これから、日本および日本人をテロの標的にする」と宣言しました。だから、東京オリンピックでの「イスラム国」によるテロの可能性も排除できない。本来、その可能性は限りなくゼロに近かったのに、です。
 そういうことをイギリスの情報機関はやった可能性があるのです。
 しかし、あの人たちはものすごく巧い。この事件の直前に、初めてロンドンで、日本の防衛大臣、外務大臣、英国の国防大臣、外務大臣の「2+2」の会談を行ったのです。
 そして、そのときに、お互いに安全保障の問題について意見を交換したのです。まさにこの時期だから、「イスラム国」の問題について、ロンドンのほうが情報が多いというので、情報の共有をもちかけたはずです。そのとき、英国側は日本は何も知らないということを確信したのですね。だからできたのです。いま言ったような形で騙(だま)せた。日本の人はそんなことは夢にも思わない。
 また、その後、追い打ちをかけるように、イギリスのプリンス、ウィリアムが日本の東北に来ました。イギリスはそんなに悪い国だと、私みたいな人間が言っても、いやいやそんなことはない、わざわざプリンスが来日して、東北のお見舞いをしてくれた、ああイギリスはいい国だ、ということになるでしょう。こんな私みたいな見立てをする人間は、誰もないですよ。
 しかし、インテリジェンスの世界というのはそんなものなのです。よその国のことなんか考えてくれません。みんな自分の国の国益だけを考えて行動する。それが情報機関というものです。
 そして、後藤さんの首を斬ったジハーディスト・ジョン。あの英語はロンドン訛(なま)りの英語だという。あの男、しばらくしてから、自分がなぜ「イスラム国」に参加しているか、手記を出したのです。それによると、イギリスでMI5につかまってしまって、MI5がいろいろなことを要求するから頭に来て「イスラム国」に来たと書いてある。そういう話を聞くと、プロは、あのMI5が逃がすようなことはしない。「我々に協力するか、それとも死ぬか、二つに一つ」、どちらかしかない。あそこへ行ったということは、MI5の手先として行っているのです。MI5の手先が「イスラム国」の中に浸透しているということです。(中略)
 MI5の連中はもっと狡猾(こうかつ)です。命令されて、あるいは自ら進んでかもしれないけど、ナイフで捕虜の首を斬る。そういう映像をぱーんと出す。「そうか、お前信用できるな」となる。MI5のやり方はそれなんです。(中略)
 ただ、後藤さんが殺されたひとつの理由は、彼がキリスト教徒だったからだろうと思います。彼がもし仏教徒だったら、あるいは殺されなかったかもしれません。イスラムの人にとってはキリスト教徒は敵なのですから。

【『日本人が知らない地政学が教えるこの国の進路』菅沼光弘〈すがぬま・みつひろ〉(KKベストセラーズ、2015年)】

『ダイヤモンドより平和がほしい 子ども兵士・ムリアの告白』後藤健二

 省略したのだが、日本赤軍は中東で英雄視されているとも書かれている。テルアビブ空港乱射事件(1972年)が自爆テロの呼び水になったとのこと。

 歴史の恩讐(おんしゅう)はかくも根深い。特に植民地を失ったイギリス・フランス・オランダは帝国の位置から叩き落されたわけだから恨み骨髄である。

 プリンス・オブ・ウェールズの撃沈の報告を聞いたイギリスのチャーチル首相は絶句し「戦争全体でその報告以上に私に直接的な衝撃を与えたことはなかった」と著書の『第二次世界大戦回顧録』で語っている。

Wikipedia

 日本人捕虜の犠牲をお膳立てし、その価値を最大限にまで高める。所謂「最適化」だ。バイブルを台本とする彼らであればこそ、かような演出が可能なのだ。シェイクスピアも墓場で目を白黒させているに違いない。

 日本人はあまりにも恵まれている。まず水や食料に困ることがない。気候も温暖で雪国を除けば雨露さえ凌ぐことができれば死ぬこともない。何にも増して異民族から支配されたことが一度もない。ヨーロッパのように権謀術数が必要な場面も少なく、腹を切ってしまえば後は水に流してもらえる。「水に流せる」のは水が豊富だからだ。砂漠の民族の苛烈さは水の乏しさに依るものか。

 陰謀は欧米の伝家の宝刀である。「陰謀論」という言葉は、もちろん陰謀を隠すために編み出されたキーワードである。王朝がくるくると変遷するチャイナもまた謀(はかりごと)の国である。孫子の兵法はナポレオンも愛読していた。そんな世界にあって我々日本人はまるで中学生のように陰謀を「卑怯」と憎む性質から脱却できていない。それどころか「敵を知る」努力すら敗戦後怠ってきた。

 中国を肥え太らせたのは日本である。小さかった座敷犬は既に猛獣と変貌した。彼らは日清戦争の恨みを忘れなかった。習近平は中華思想に息を吹き込み、かつての朝貢国を再び従えようと目論んでいる。

 いざ戦争となれば日本人は強い。グルカ兵ですら恐れた日本人である。戦闘状態に入ればDNAが目覚めることだろう。だが、起つの遅くなれば被害が大きくなってしまう。犠牲になるのは老人と婦女子である。それを最小限に抑えるためには「備え」が欠かせないのだ。憲法改正が急務である。

戦死の法律的定義/『日本人が知らない地政学が教えるこの国の進路』菅沼光弘


『この世界でいま本当に起きていること』中丸薫、菅沼光弘 2013年
『日本を貶めた戦後重大事件の裏側』菅沼光弘 2013年
『この国を呪縛する歴史問題』菅沼光弘 2014年

 ・アメリカの軍事予算削減を補う目的で平和安全法制が制定された
 ・戦死の法律的定義
 ・後藤健二氏殺害の真相

 安倍内閣のやったことは、集団的自衛権の行使は憲法違反ではないとしたことですが、その集団的自衛柄件というのを具体化した場合、どうなるでしょうか。
 例えばいまの自衛隊員が、仮に中国が尖閣に攻めて来たときに、国を守るというようなことになれば、後顧の憂いなく立ち上がって中国に立ち向かっていく。これはまさに個別的自衛権の発動ということになります。だから、それについては何の問題もありません。
 しかし、ではアメリカの艦船がミサイル攻撃を受けるかもしれないという段階のときに、日本の自衛隊が、中国のミサイル艦を攻撃する。そして、中国の反撃を受けて、自衛隊員が戦死することもある。こういう事態を、日本の自衛隊の人たちは受け入れることができるだろうか。現に、その形で戦死したときに、これまでそれについての具体的な法律は何もできていなかった。その戦死した自衛官は靖国神社に祀(まつ)られるのか。いま、防衛省の中に慰霊碑があって、毎年慰霊祭をやっています。それは災害出動で亡くなった方とか、演習中に命を落とした方とか、そういう人たちがみな祀られている。それらの方々は靖国神社とは関係ない。戦争ではないのだから。これは「戦死」ではないのだから。
 自衛隊員が国のために戦って撃たれる。これは本望だ。だから、国のためにお亡くなりになったのだから、国がその慰霊をやる。遺族に補償をする。これは当然です。
 しかし、アメリカのために戦ってやられたという場合、どのように遺族に説明をして、どのように処理をしていくか。例えば遺族への補償はどうするか。遺族年金があるのか。いままでそういう事態をまったく想定していないから、それに備えた法律は何もできていないのです。
 そして、さらにもっと言えば、自衛隊は憲法上では軍隊ではないので、 軍隊ならば、当然の権利・義務みたいなものも揃っていないのです。
 それから、個別的自衛権の場合は、正当防衛という論理を使う。例えば自衛艦が砲撃されるという場合、攻めて来た中国の軍艦に向かって自衛隊が発砲する。この場合、これは正当防衛の論理で考える。
 しかし、アメリカの軍艦のために、中国の兵員を自衛隊員が撃ち殺した場合、これは日本の法制の中にどう位置づけられるのか。一番細かいことから言うと、違法性は阻却されるのか。そんなことから始まって何も決められていないのです。
 だから、集団的自衛権の行使だけ認めても、さまざまな以前の法律が矛盾したまままだ生きている。自衛隊が発砲する法的根拠というのは、警察何職務執行法ですよ。それに準じているのです。だから、警察官がピストルを撃ったとき、過剰防衛ではない、正当防衛であった、という弁明をしますね。正当防衛というのは、急迫不正の侵害に対し、やむをえないやり方でやらないと、違法性が阻却されない。阻却されない場合、警察官は逮捕されることになります。
 法整備なしに集団的自衛権を行使したら、苦労するのは自衛隊員だということは目に見えている。だから、そういう自衛隊の人たちのための法整備をやらないことにはどうしようもない。これが「安保法制」ということの本当の問題点です。

【『日本人が知らない地政学が教えるこの国の進路』菅沼光弘〈すがぬま・みつひろ〉(KKベストセラーズ、2015年)】

 新聞やテレビはこうしたことを報じたのだろうか? 政治的なテーマを国民が理解しているようには思えないし、政治家自らがきちんと伝えているとも思えない。自衛隊もしっかりと発信するべきだろう。

 日本国民は日米安保というサンタクロースを信じて国防意識を眠らせている。中国が尖閣諸島の上陸すれば米軍が攻撃するだろうか? 異国の無人島のために彼らは自らの生命を犠牲にするだろうか? しかも当事者は指をくわえて眺めているだけにも関わらず。あり得ない。米軍の軍事行動には議会の採決が必要なのだ。アメリカ国民がそれを支持することは断じてないだろう。

 戦後の日本は致命的な過ちを二度犯した。一つは北朝鮮拉致問題(1988年、梶山答弁)で、国民の生命と財産を守る国家の義務を思えば、戦争をしてでも取り返すべきだった。もう一つは地下鉄サリン事件(1995年)に対して破防法適用しなかったことである。バブル景気が日本人を狂わせてしまったのだろう。

 既に法律のテクニカルな問題を論じても徒労感につきまとわれる。日本国民の意思で憲法改正を行っておかなければ、軍事行動が先んじてなし崩し的に突入した満州事変と同じ轍を踏む羽目となることだろう。

 政治に期待できなければ、石原莞爾〈いしわら・かんじ〉か海江田四郎の登場を待つ他ない。

2021-10-17

アメリカの軍事予算削減を補う目的で平和安全法制が制定された/『日本人が知らない地政学が教えるこの国の進路』菅沼光弘


『この世界でいま本当に起きていること』中丸薫、菅沼光弘 2013年
『日本を貶めた戦後重大事件の裏側』菅沼光弘 2013年
『この国を呪縛する歴史問題』菅沼光弘 2014年

 ・アメリカの軍事予算削減を補う目的で平和安全法制が制定された
 ・戦死の法律的定義
 ・後藤健二氏殺害の真相

 対米関係で一番大事なことは何か。いま、アメリカの現状をつらつら考えるに、アメリカはイラク戦争をやったり、あるいはアフガニスタンに兵を出したりして、膨大な軍事費を使ってしまった。その結果、アメリカの財政が逼迫(ひっぱく)したことです。アメリカはドルさえ刷ればお金はつくれるのだけけれども、それにも限界があるわけです。あまりやり過ぎると、強烈なインフレが起きてにっちもさっちもいかなくなる。したがって、そこで締めなければいけない。軍事予算も緊縮しなければいけない。オバマ大統領は3年前から、今後10年間、国防予算を毎年10%、機械的に削減していくことにした。それは国際情勢いかんにかかわらず、そうするという方針を出したのです。アメリカの国防予算の10%というのは、日本の自衛隊の予算よりも多いのです。それだけの額を目標に毎年カットしていくというわけです。これはたいへんなことです。
 そのために、その削減分を、日本に、特に太平洋においては自衛隊に肩代わりしてほしいというのが、アメリカの最大の要望なのです。
 それに応え、アメリカに協力できるような法制をつくる。それが、2015年7月18日に衆議院を通った安保法制なのです。その中核は何かというと、集団的自衛権の行使を現憲法の下でも認めるということです。そこで、内閣法制局長官の首を切ってまで(2013年8月8日山本庸幸小松一郎)、安倍さんは、「解釈」を変更することで、集団的自衛権の行使を認めることにしたのです。
 そして、その法的根拠は、昭和32、33年の砂川闘争というのがあったわけですが、そのときの裁判で、最高裁は初めて「日本には自衛権がある」ことを認めた。その砂川判決に依ったのです。最高裁が自衛権を認めたことは、個別的自衛権の他に集団的自衛権もあると認めたことだ、という解釈で、歴代の内閣が慎重に「憲法違反」としてきた集団的自衛権を、内閣の一存で認めさせたのです。
 そのことによって、アメリカの軍事予算削減に起因する、軍事力の弱体化を日本の自衛隊が具体的に補えるようにしたのです。
 こういうことで「もう安倍内閣は大丈夫だ」というところまで見届けて、岡崎(久彦)さんは安心してお亡くなりになったと言われています。
 安保法制を、そんな具合にして政府はここまで押し通してきたわけです。ところが、国会が始まって、参考人として呼んだ憲法学者がみんな「集団的自衛権は憲法9条違反だ」と言った。与党が呼んだ参考人までが憲法違反だと言いました。それで国会審議の雰囲気はまたおかしくなったけれども、その流れの中で、しかし衆院を通したわけですから、これから安倍内閣自体が国内的にどうなるかはわかいませんが、アメリカは満足したでしょう。
 アメリカにしてみれば、これで中国に対してかなり大きな抑止力を構築できたということになります。

【『日本人が知らない地政学が教えるこの国の進路』菅沼光弘〈すがぬま・みつひろ〉(KKベストセラーズ、2015年)】

 久方振りの菅沼本である。語り下ろしであるが、やはり老いた感が否めない。

砂川裁判が日本の法体系を変えた/『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』矢部宏治

 上記リンクは狡猾(こうかつ)な左翼本であるが一読の価値はある。

 平和安全法制制定の事情と背景はわかった。それにしても、なぜ日本政府はいつも受けばかりに回って、攻めに転じないのか? 吉田茂が経済を優先して軍事を後回しにしたのはそれなりの見識に基づいた政策であった。しかし吉田はその後変節する。

日米安保条約と吉田茂の思惑/『重要事件で振り返る戦後日本史 日本を揺るがしたあの事件の真相』佐々淳行
憲法9条に対する吉田茂の変節/『平和の敵 偽りの立憲主義』岩田温
マッカーサーの深慮遠謀~天皇制維持のために作られた平和憲法/『吉田茂とその時代 敗戦とは』岡崎久彦

 岸信介が行った日米安保条約改定も極めて正当なものだった。とすれば池田勇人以降の首相責任が重いと考えざるを得ない。

 アメリカが日本に何かを肩代わりさせようと近づいてきた時に、なぜこれを梃子(てこ)にして攻勢に打って出ないのか。本書によればEUはドイツを封じ込める目的で結成されたとあるが、そのEUでドイツは見事に経済的な主導権を確立したのである。日本政府はアメリカを利用して自主憲法を制定するのが当然ではなかったか。

 あまりにも馬鹿馬鹿しい戦後の歴史を思えば、日本の官僚制度がアメリカに牛耳られているような錯覚すら覚える。

 規制緩和も遅々として進まない現状を鑑みれば、一定程度の独裁政権が誕生しない限り、この国が変わることはなさそうだ。

2021-08-23

国立大学の反自衛隊イデオロギー/『正論』2021年6月号


『ビッグデータの正体 情報の産業革命が世界のすべてを変える』ビクター・マイヤー=ショーンベルガー、ケネス・クキエ

 ・経済安全保障 日本の惨状
 ・日本はサイバー後進国
 ・国立大学の反自衛隊イデオロギー

『愛国左派宣言』森口朗

兼原●日本には人材のエコシステムがない。この点、日本の学界の反自衛隊イデオロギーは深刻です。絶対に防衛省と協力しないという強烈なアレルギーがあります。未だに東大とか阪大とか名大とかは研究室に就職するときに「私は軍事研究を絶対やりません」という念書を書くんですよ。

手塚●国立大学はそうだと聞いてます。

兼原●本当にすごい嫌がらせがあるそうです。民間の会社の事業を手伝っていたある国立大学の教授は、その会社が防衛省の協力基金助成をもらいに行った瞬間に、大学を辞めるか、研究を止めるかどっちかにしてくれと言われたとか。こんな話が山ほどあるんです。そういう状況の中で、最先端の一番優秀なIT学者に政府と一緒に国家安全保障のためにデジタルコミュニティーを作りましょうと議論しようとしても、その土壌がない。

【「特集 経済安全保障 日本の惨状」/『正論』2021年6月号】

 2020年10月、防衛省からの資金提供を受けていた北海道大学の奈良林直〈ならばやし・ただし〉名誉教授の研究(船の燃費向上および高速度化)に対して、日本学術会議が圧力をかけたニュースが報じられた。

日本学術会議の闇 北海道大教授の研究めぐり大学に「事実上の圧力」 安全保障技術研究推進制度の応募を辞退させていた(1/3ページ) - イザ!
「学問の自由、侵害は学術会議」北大・奈良林名誉教授 声明…錦の御旗に - 産経ニュース

 日本の戦後史は自民党の不作為の歴史といっても過言ではない。学校現場や文科省を左翼の巣窟にした責任は大きい。左翼が戦時中の憲兵みたいな役割を担っているのだから開いた口が塞がらない。

 スパイ防止法を求める国民の声が高まらない限り、この国が変わることはない。中国との戦争に敗れるようなことがあれば、大東亜戦争敗北の比ではあるまい。

2021-08-22

日本はサイバー後進国/『正論』2021年6月号


『ビッグデータの正体 情報の産業革命が世界のすべてを変える』ビクター・マイヤー=ショーンベルガー、ケネス・クキエ

 ・経済安全保障 日本の惨状
 ・日本はサイバー後進国
 ・国立大学の反自衛隊イデオロギー

兼原●20年前のことですが、小泉純一郎首相がアフガニスタンでの米軍による「不朽の自由作戦」に対して海上自衛隊の護衛艦などを出しました。首脳間では、人の戦争に自国の軍隊を出すというのはすごい貸しになるんです。喜んだブッシュ大統領は「ジュンは盟友だ!」となった。そこで、日米で情報協力を進めようという話になったんですが、CIA(中央情報局)は反対したらしいんですよ。「そもそも日本政府はデジタル情報の統合が極端に遅れており、サイバーインテリジェンスも知らないし、サイバーセキュリティも恐ろしく甘い」と。この状況は今でも変わりません。

手塚●欧州連合(EU)が始めた「EU一般データ保護規制(GDPR)」の運用は、EUを含む欧州経済領域内で取得した個人データの海外移転を原則禁止しています。それに比べて日本は対応がすごく甘い。データセンターは海外の方が人件費などのコストが安いから、そっちを利用してしまうわけです。

兼原●スパコンは、例えばこの瞬間の日本の全ての電信通話を入れても量的に平気なんですよね。スパコンというのは大体1台回すのに数万世帯分ぐらいの電気を消費しますが、当然日本の電気料金は高いし、日本のスパコンもクラウドも高いわけですよ。

手塚●土地も高い。建物を置いてサーバーとか置かなきゃいけませんから。ある国がどこかの会社にサーバー管理をやらせて、政府から補助金をもらって「安いですよ」と世界中で売って回って簡単に引っかかるのは多分日本人だけです。

【「特集 経済安全保障 日本の惨状」/『正論』2021年6月号】

 サイバー特区を作る他あるまい。地震の少ない富山自然災害の少ない栃木災害に強い滋賀、佐賀、香川あたりが候補地だろう。個人的には瀬戸内海に面している県が望ましいと思う。

 頭のよいエリートは理論に走り過ぎて現実を見失う傾向がある。すなわち計画経済的な発想では国民が苦しむ結果となる。それゆえ国家のグランドデザインを描くためには様々なタイプの人材を活用することが不可欠だ。特に過去の戦争研究が必要で、なぜ失敗したのか、どこをどうすれば変わったのかを具体的にしなければ、またぞろ同じ轍(てつ)を踏むことになろう。就中(なかんづく)、戦前から引き継がれてきた官僚システムを一新するのが急務である。

 日本の安全保障についてはもはや自民党では無理だろう。新党結成の動きを待つしかない。現在の自民党が親中派に蝕まれているとすれば、袂(たもと)を分かつ政治家が出てきて当然だ。むしろ出ない方がおかしい。

 国防予算はGDPの3%程度、軍需産業を復活させれば景気対策にもなる。その手始めとしてサイバー特区を進めるべきだ。

2021-08-21

経済安全保障 日本の惨状/『正論』2021年6月号


『ビッグデータの正体 情報の産業革命が世界のすべてを変える』ビクター・マイヤー=ショーンベルガー、ケネス・クキエ

 ・経済安全保障 日本の惨状
 ・日本はサイバー後進国
 ・国立大学の反自衛隊イデオロギー

兼原●トランプ政権の時、アメリカは中国系動画投稿アプリ「TikTok(ティックトック)」の使用を一時止めましたが、なぜTikTokがだめなのか。入力している色んな情報、例えば生年月日、クレジットカードとか、おそらく全部中国のサーバーに抜かれるんです。彼らはそれをスパコンを使ってAIをかけて高度なインテリジェンス情報に加工できる。塵(ちり)の山からダイヤモンドが生まれるんです。
 人工知能は、人間がペーパーで情報分析すれば数年かかる作業を一瞬でやってしまう。例えばミスター何某が著名なテロリストと接触している可能性のある場所と時間、泊まったホテル、乗った飛行機、借りた車、そのときの写真や電話通信の音声記録などを一瞬で割り出してしまう。一見どうでもよい大量のデータ自身が、人工知能のお蔭で非常に価値の高いインテリジェンスを生むのです。宝の山なんです。中国、ロシアには、そもそも「個人情報だから」なんて言う遠慮はないんですよ。
 これが現代のサイバーインテリジェンスです。これが怖い。日本人は抜かれた情報がどうなるのかを誰も考えていない。LINE問題も同じです。

【「特集 経済安全保障 日本の惨状」/『正論』2021年6月号】

 兼原信克〈かねはら・のぶかつ〉(元内閣官房副長官補、同志社大学特別客員教授)と手塚悟〈てづか・さとる〉(慶應義塾大学教授)の対談。聞き手は田北真樹子〈たきた・まきこ〉(月刊正論編集長)。

 こうした鮮度の高い情報はブックレット形式でどんどん出版すべきだろう。インターネットによって読書量が減ったと言われるが、読んでいる活字の量は同程度か、むしろ増えたと考えてよい。読む対象が紙の文字からデジタルのフォントに変わっただけだ。もしもジェネレーションZ(デジタルネイティブ)と呼ばれる世代が本を読まなくなったとすれば、出版社は書籍の体裁を変えるのが当然だろう。版型を小さくしたブックレット形式が望ましいと私は考える。

 私はかつてフェイスブックを使っていたが直ぐにやめた。個人情報の流用を指摘する声が少なからずあったからだ。仕事で使っていたLINEもパソコンで使えなくなったタイミングでやめた。ちょうど女性の延々と続く雑談トークに辟易していたところだった。私の個人情報はとっくにバレバレなのだが、それでも相応の慎重さが求められる。ツイッターの投稿ですらプライバシーに関わる不用意な発言は控えている。

 もちろん私の個人情報にさほど価値があるわけではない。だがあらゆる情報にはデータとしての価値があるのだ。風が吹けば桶屋が儲かるという構図は因果関係を辿ったものだが、ビッグデータは風以外の情報から相関関係をピックアップして桶屋の儲けを導き出す。因果関係だけでは未来予測ができない。

 かつて「歯車」と称された人間は、より卑小な存在に格下げされてアトム化に至る。人々は平均値を目指して平準化せざるを得ない。やがてはビッグデータを支えるべく率先して個人情報を公にし、あるいは自分や他人の個人情報を売買することになるのは時間の問題だろう。

2021-03-16

致命的な誤字/『革命のインテリジェンス ソ連の対外政治工作としての「影響力」工作』佐々木太郎


『大東亜戦争とスターリンの謀略 戦争と共産主義』三田村武夫
『ヴェノナ』ジョン・アール・ヘインズ、ハーヴェイ・クレア
・『ミトロヒン文書 KGB(ソ連)・工作の近現代史』江崎道朗監修:山内智恵子

 ・致命的な誤字

・『目に見えぬ侵略 中国のオーストラリア支配計画』クライブ・ハミルトン
・『見えない手 中国共産党は世界をどう作り変えるか』クライブ・ハミルトン、マレイケ・オールバーグ
・『「目に見えぬ侵略」 見えない手」副読本』奥山真司監修:『月刊Hanada』編集部

 国家による非軍事的で政治的な対外活動はさまざまな形態が存在する。その中には、たとえば、公然の手法を持(ママ)ってして自らの国益に沿った行動を他国にとらせようとするものがある。具体的に言えば、外交や通商において他国と折衝をおこなうことであったり、公式の声明を発表したり、あるいは政府高官がメディアのインタビューに答えるなどの行為がこれに該当する。
 一方で、自らの国益に沿った行動を他国にとらせるために用いられる非公然の手法としては、偽文書など情報の発信元を隠蔽したプロパガンダや、あるいは表向きは関係がないように装った組織を使って示威運動をおこなったりすることなどがある。これらは、いわゆる「欺瞞」(deception)と呼ばれる工作形態に属するものである。
 本書は、こうした非公然の手法のうち、自らの影響力を持(ママ)ってして他国の国民や政策決定者の知覚を誘導する個人を利用した工作――本書では「影響力」工作と呼ぶ――を、ソ連が当該時期に世界各地で展開していたことを示す。

【『革命のインテリジェンス ソ連の対外政治工作としての「影響力」工作』佐々木太郎(勁草書房、2016年)】

 一応、著者の経歴を調べてみたが、大学院を出ていながら「持ってして」と一度ならず何度も出てくるとあっては読むに堪(た)えない。更に「――を以てしても」と使うのが普通で、「以てして」は間違いではないが「以て」とするべきだろう。上記テキストでも気取ったつもりなのか、「他国の国民や政策決定者の知覚を誘導する個人を利用した工作」という意味不明な文章が出てきて辟易(へきえき)させられる。

 他方、日本においても、摘発されたソ連の「影響力行使者」はひとりもいない。だが、日本を舞台にしたソ連の「影響力」工作の実態は、ある事件によって世界的な注目を集めることになった。その事件とは、1975年から1979年まで東京のKGB駐在部に勤務して対日工作に当たり、その後アメリカに亡命したスタニスラフ・レフチェンコが、1982年7月14日に開催されたアメリカ連邦議会下院情報特別委員会聴聞会において、宣誓のうえ、日本における自身の活動内容について証言したことである。このときのレフチェンコの証言には、次のような一節がある。

KGBは1970年代において、日本社会党の政治方針を効果的にコントロールできていました。同党の幹部のうち10人以上を影響力行使者(エージェント・オブ・インフルエンス)としてリクルートしていたのです。

 さらにレフチェンコは議会での証言後、アメリカや日本のメディアからの取材の中で、自ら管理した協力者らのカバーネーム(コードネームとも言う)や実名を一部公表し、日本社会党関係者以外にも「影響力行使者」がおり、また日本政府の機密情報をソ連側に漏洩する者たちなどもいたことを明らかにした。

 もったいぶった文章が鼻につく。しかも今となっては広く知られた事実である。私は菅沼本で知った。やはり先程指摘したのは「致命的な誤字」であった。確かにパソコン辞書だと「持ってして」と出てくるが、これだけ多用する言葉を誤っているのだから、かような人物が発信する情報を信用できるわけがない。更に勁草書房編集者・校正の責任を見過ごすわけにはいかない。私が社長なら首にしているところだ。勁草書房の未来は暗い。

2020-09-24

異能の軍人/『昭和陸軍謀略秘史』岩畔豪雄


『F機関 アジア解放を夢みた特務機関長の手記』藤原岩市
『自衛隊「影の部隊」 三島由紀夫を殺した真実の告白』山本舜勝
『大本営参謀の情報戦記 情報なき国家の悲劇』堀栄三
『消えたヤルタ密約緊急電 情報士官・小野寺信の孤独な戦い』岡部伸
『日本のいちばん長い日 決定版』半藤一利
『機関銃下の首相官邸 二・二六事件から終戦まで』迫水久恒
『石原莞爾 マッカーサーが一番恐れた日本人』早瀬利之
『歴史と私 史料と歩んだ歴史家の回想』伊藤隆

 ・異能の軍人

『田中清玄自伝』田中清玄、大須賀瑞夫
『陸軍80年 明治建軍から解体まで(皇軍の崩壊 改題)』大谷敬二郎
『軍閥 二・二六事件から敗戦まで』大谷敬二郎
『徳富蘇峰終戦後日記 『頑蘇夢物語』』徳富蘇峰

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 本書には、岩畔豪雄(1897~1970年)に対して木戸日記研究会・日本近代史料研究会が1967年に3回にわたり行った聴き取り調査の記録、および岩畔自身が記した41年の日米交渉の顛末に関する文書が収められている。
 岩畔豪雄は、昭和戦前期に軍事官僚として陸軍省と参謀本部(いわゆる省部)の要職を歴任、満州国の経営に参画し、さらには謀略工作も担当した。アジア・太平洋戦争勃発直前には日米交渉に関与し、そして開戦後はマラヤ作戦ビルマ作戦および対インド政治工作に従事する。この他にも中野学校機甲本部大東亜共栄圏戦陣訓登戸研究所偽造紙幣工作、など岩畔が関与した事案は枚挙にいとまなく、「異能の軍人」の面目躍如であった。(等松春夫〈とうまつ・はるお〉)

【『昭和陸軍謀略秘史』岩畔豪雄〈いわくろ・ひでお〉(日本経済新聞出版、2015年/日本近代史料研究会、1977年『岩畔豪雄氏談話速記録』を改題)以下同】

 古書店主の仕事は目録作りである。要は本の並べ方に工夫を凝らし、鎬(しのぎ)を削るのが古本屋の仕事だ。上記リンクの並びは思わずニンマリした出来映えである。岩畔豪雄と田中清玄〈たなか・きよはる〉には妙に重なる部分がある。裏方に徹して少なからず国家の動向に影響を及ぼした点もさることながら、二人の人物評が目を引く。何気ない一言が本質を浮かび上がらせ、偶像に亀裂を入れる破壊力がある。

 巻頭に「なお、本記録の編集は竹山護夫会員が担当した」とある。護夫〈もりお〉は竹山道雄の長男である。惜しくも44歳で没した。そのほか、伊藤隆、佐藤誠三郎、松沢哲成、丸山真男の名前がある。

「異能の軍人」とは言い得て妙だ。岩畔豪雄は軍人という枠に収まる人物ではなかった。戦時にあっても平時にあっても遺憾なく才能を発揮できる男であったのだろう。真の才能は韜晦(とうかい)を拒む。水のように溢れ出て周囲を潤すのだ。

 二・二六事件に関しても当時を知っているだけあって指摘が具体的で思弁に傾いていない。

―― それが、二・二六というものが将校だけの画策であれば、ああいう裁判はなされなかったのでしょうか。

岩畔●やっぱりやったでしょうね。
 二・二六というのは非常に遺憾なことだったのですが、大体が陸軍の首脳部の初めからこういう問題に対する態度が悪いですよ。一番最初の三月事件の時あたりに橋本欣五郎をパッとやるというようなことをやっておればけじめがついたのですが、その時なにもなかったから、あとからまた10月事件をやった。その時も処罰を20日か30日食って終り。これではいかんですよ。パッとやればそうすればその後にあんなことなど起こらないのですよ。
 一番態度が悪いのが首脳部ですよ。これはみなさんもよく注意して下さいよ、「その精神は諒とするも行動が悪い」と言っているのです。行動が悪いものは精神も悪いので、これが日本人の一つの欠点だと思うのです。だから、「お前行動も悪い、したがって精神も悪い」、こういかなければならないところを、みんなが「精神は可なるも行為が悪い」と言う。こんなバカな話があろうかというのですよ。これが三月事件、10月事件が二・二六事件に至った大きな原因であったわけですよ。だからなんでも同じなので、初めにスパッと手の中を見せんようにやっておけばあとはサッといったものを、そこがコツだと思うのですが。

 実務家の面目躍如である。三島由紀夫は反対方向へ行ってしまった。大東亜戦争における軍の暴走を解く鍵は二・二六事件にある。是非や善悪が極めてつかみにくく、責任の所在すら曖昧になりやすい。日本の談合文化が最も悪い方向へ露呈した歴史と言ってよい。司馬遼太郎が否定した気持ちも何となく理解できよう。

 調べれば調べるほどわからなくなる大東亜戦争や二・二六事件であるが、岩畔の指摘はスッキリしていてストンと腑に落ちる。二・二六事件は社会主義という流感のようなものだったのではあるまいか。そんな気がしてならない。

―― 石原莞爾はどうだったんですか。

岩畔●この人は私もよくわからないのですが、大谷はそれを非常にはっきり書いておるようですが、大体ああいう態度を取ったと思うのだが、石原なんという人は、「よし、これは治める、しかし、これを利用してなにかやる」というそういう政治的な見透しはあったでしょうね。そういう感じがあの人については非常にするのです。

「某(なにがし)」ではなく「なん」というのが岩畔の口癖である。「なん」呼ばわりした人物は大抵評価が低い(笑)。自分たちで勝手に次期首相を決めようとしたわけだから(『三島由紀夫と「天皇」』小室直樹)、岩畔の指摘は正鵠(せいこく)を射ている。

 それで石原莞爾〈いしわら・かんじ〉の軍事的才能が翳(かげ)りを帯びることはないが、満州事変が後進に与えた悪影響は計り知れない。



【赤字のお仕事】「インスタバエ」ってどんな「ハエ」? 「…映え」「…栄え」の書き分け原則とは(1/3ページ) - 産経ニュース
インターネット特別展 公文書に見る日米交渉
三月事件、十月事件の甘い処分が二・二六事件を招いた/『二・二六帝都兵乱 軍事的視点から全面的に見直す』藤井非三四
二・二六事件前夜の正確な情況/『重光・東郷とその時代』岡崎久彦

2020-09-17

大本営の情報遮断/『大本営参謀の情報戦記 情報なき国家の悲劇』堀栄三


 ・陸軍中将の見識
 ・大本営の情報遮断

『消えたヤルタ密約緊急電 情報士官・小野寺信の孤独な戦い』岡部伸
『日本のいちばん長い日 決定版』半藤一利
『機関銃下の首相官邸 二・二六事件から終戦まで』迫水久恒
『昭和陸軍謀略秘史』岩畔豪雄
『田中清玄自伝』田中清玄、大須賀瑞夫
『陸軍80年 明治建軍から解体まで(皇軍の崩壊 改題)』大谷敬二郎
『徳富蘇峰終戦後日記 『頑蘇夢物語』』徳富蘇峰

日本の近代史を学ぶ

 また『戦史叢書』レイテ決戦の311頁には、

「既述のように大本営海軍部と連合艦隊は、16日から台湾沖航空戦の戦果に疑問を生ずるや、鹿屋航空部隊と共に調査して19日結論を出した。大本営陸軍部第二部は、台湾沖航空戦の戦果を【客観的に正確に】見ているのは堀参謀のみであるとしていた」

 と記述している(この既述から、堀が新田原〈にゅうたばる〉から打った電報は、大本営陸軍部は承知していたと想像されるが、これが握り潰されたと判明するのは戦後の昭和33年夏だから、不思議この上ないことである。しかし大本営陸軍部の中のある一部に、今もって誰も覗いていない密室のような奥の院があったやに想像される)。

【『大本営参謀の情報戦記 情報なき国家の悲劇』堀栄三〈ほり・えいぞう〉(文藝春秋、1989年/文春文庫、1996年)以下同】

「奥の院」(※大本営作戦部作戦課)はブラックボックスである。誰がどう判断したかがわからないのだから責任を取らずに済む。ここで采配を振るい、情報の吟味をしたとされるのが瀬島龍三中佐である。軍の頭脳ともいうべき超エリート集団は目や耳から入ってくる情報を遮断し、実現不可能な計画をひたすら妄想していた。

 当時レイテ島への米軍の上陸可能正面は、実に40キロ以上もあって、いかに精鋭とはいえ、一個師団では一列に並べても、至るところ穴だらけであることは、机の上で計算してもわかる。大本営作戦課の捷一号作戦を計画した瀬島龍三参謀が、8月13日にレイテを視察しているが、本当にこれで大丈夫だと思ったのだろうか。

 机上の計画は8万人の死者を生んだ。その多くが餓死であった。堀栄三の報告が容れられれば彼らは死なずに済んだ。瀬島が戦後官僚のテンプレートとなったような気がする。彼は11年のシベリア抑留を経て、帰国後伊藤忠商事へ入社。4年で取締役にまで昇進した。その後会長となり中曽根政権のブレーンを務めた。

 第二は、ソ連の参戦であった。2月11日のヤルタ会談で、スターリンは「ドイツ降伏後3ヶ月で対日攻勢に出る」と明言したことは、スウェーデン駐在の小野寺武官の「ブ情報」の電報にもあったが、実際にはこの電報は、どうも大本営作戦課で握り潰されたようだ。しかし情報部ソ連課でも、スターリンの各種の演説の分析、20年4月15日の日ソ中立条約破棄の通告、クリエールにいった朝枝参謀の報告、浅井勇武官補佐官のシベリヤ鉄道視察報告などで、極東に輸送されるソ連の物資の中に防寒具の用意が少いという観察などから、ソ連は8、9月に参戦すると判断していたくらいだから、当然米国でもソ連の参戦のことを日本本土上陸時期の選定に噛み合せて考えていたであろう。

 ここを確認するために再読せざるを得なくなった。堀の筆致は淡々としていて通り一遍で読むだけでは情報の軽重が測りにくい。「ブ情報」とはポーランドのブジェスクフィンスキ少佐を指す。ポーランドは連合国であったが小野寺信〈おのでら・まこと〉というキーパーソンを軸に諜報活動では協力関係にあった。戦争は人間同様複雑なものである。

 再読してわかったが三読、四読にも耐える教科書本である。

2020-08-31

瀬島龍三と堀栄三/『消えたヤルタ密約緊急電 情報士官・小野寺信の孤独な戦い』岡部伸


『情報なき国家の悲劇 大本営参謀の情報戦記』堀栄三
『インテリジェンスのない国家は亡びる 国家中央情報局を設置せよ!』佐々淳行
『シベリア抑留 日本人はどんな目に遭ったのか』長勢了治

 ・瀬島龍三と堀栄三

・『「諜報の神様」と呼ばれた男 連合国が恐れた情報士官・小野寺信の流儀』岡部伸
・『バルト海のほとりにて 武官の妻の大東亜戦争』小野寺百合子
・『杉原千畝 情報に賭けた外交官』白石仁章
『日本のいちばん長い日 決定版』半藤一利
『機関銃下の首相官邸 二・二六事件から終戦まで』迫水久恒
『昭和陸軍謀略秘史』岩畔豪雄
『田中清玄自伝』田中清玄、大須賀瑞夫
『陸軍80年 明治建軍から解体まで(皇軍の崩壊 改題)』大谷敬二郎
『徳富蘇峰終戦後日記 『頑蘇夢物語』』徳富蘇峰

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 クリミアのヤルタで密約が交わされる4ヶ月前の1944年10月10日、ハルゼー提督率いるアメリカ海軍の太平洋艦隊第三艦隊の艦載機が、沖縄、奄美諸島、宮古島などを爆撃した。12日からは台湾にある飛行場が集中的に攻撃された。しかし、これは、レイテ島上陸作戦を敢行するためのアメリカ側の陽動作戦だった。当時の大本営はそれに気づかず、連合艦隊司令部は、この爆撃に対して、傘下の空母の航空部隊や南九州に控えていた第二航空艦隊の爆撃機にハルゼー艦隊を攻撃するように命じたのだった。
 そこで12日からの4日間で、総数約900機の航空機が空母や各航空基地から飛び立ち、ハルゼー艦隊への攻撃を行った。
 攻撃から帰還したパイロットの報告を受けて日本海軍は多大な戦果を挙げたとして、大本営発表は5回にわたり続けられ、19日の6回目の発表では、「5日間にわたる猛爆。空母19、戦艦4など撃沈破45隻、敵兵力の過半を壊滅、輝く陸空一体の偉業」という大戦果とされた。戦況が悪化の一途を辿っているなかで、日本軍が久々の大戦果と言うことで大本営にも国民にも異様な興奮があった。そこで戦局の行方にも期待が高まった。
 台湾沖航空戦の大戦果に基づいて、捷(しょう)一号作戦として準備されていたルソン決戦は急遽レイテ決戦に変更された。
 しかし、作戦は失敗する。陸軍は第十四方面軍の精鋭部隊や内地からも部隊を送ったが、大本営発表とは逆にほとんど無傷だったアメリカ艦隊に補給路を断たれ、結果としてレイテ島も玉砕、10万人近くの日本兵が戦死する莫大な人的損害を出した。連合艦隊は事実上壊滅した。
 台湾沖航空戦の戦況認識に誤りがあったからだ。正確な戦果が判明するのは戦後になってからだが、実際には重巡洋艦2隻が大破にしたにすぎなかった。大戦果というのはまったくの虚報であった。その虚報をやみくもに信じた参謀本部の参謀たちの誤りによって、レイテ決戦の悲劇は引き起こされたのだった。
 ところが、この「台湾沖航空戦の大戦果」に疑問を持ち、「点検の要あり」という電報を出張先から大本営に打って報告していた人物がいたのである。これが大本営情報参謀だった堀栄三である。レイテ決戦から42年を経た1986(昭和61)年、大本営の元参謀だった朝枝繁春が明らかにしたのだった。
 第十六師団があるフィリピンに出張を命じられ、陸路で九州に向かった堀は、44年10月13日、フィリピンへの出発地である新田原(にゅうたばる)飛行場(陸軍航空機基地)に到着するや、同航空戦の影響と、悪天候のため離陸不可能と知らされた。そこで偶然にも台湾沖航空戦の本拠地となっていた鹿屋(かのや)飛行場に転進すると、事情の違いに驚かされた。帰還したばかりのパイロットから話を聞いてまわると、華々しい戦果の根拠が薄弱であることを突き止め、その場で参謀本部情報部長あてに、「戦果はおかしい。よく点検して作戦行動に移す必要あり」との暗号電報を打った。
 惜しむらくは堀の情報は参謀本部首脳に届かず、作戦行動に生かされることはなかった。打った電報は戦後も行方不明のままとなっていた。
 しかし、堀は、1958(昭和33)年になって、その電報の顚末について意外な人物から告白を受ける。その人物がシベリアから帰国した2年後のことであった。戦後、自衛隊に入っていた堀は第十四方面軍の元同僚から連絡を受け、虎ノ門にあった共済会館の地下食堂に向かい、その人物と対面した。

「そのとき【かれ】が言うんです。『ソ連抑留中もずっと悩みに悩み続けた問題の一つは、日本中が勝った勝ったといっていたとき、ただ一人それに反対した人がいた。あの時に自分が、きみの電報を握り潰した。これが捷一号作戦の根本的に誤らせた。日本に帰ったら、何よりも君に会いたいとずっと思っていた』と。握り潰したという言葉は、このとき初めて私が耳にした言葉でした。これが事実です」(保阪正康『瀬島龍三 参謀の昭和史』)

「握り潰した」という言葉を聞いて堀は言葉を失った。この意外な人物に、死活的な情報が大本営上層部に届けられる前に抹殺されていた。誤った過大な戦果情報を訂正することなく、その情報をもとにルソン決戦をレイテ決戦に作戦変更し、日本軍は玉砕し、幾万の命が散って行ったのであった。
 この人物こそ大本営作戦参謀だった瀬島龍三であった。開戦時から参謀本部作戦課に所属していた瀬島は、いうまでもなく堀が書簡で指摘した「奥の院」の実力者であった。
 堀は、この瀬島の告白を長い間、胸に収めて伏せていた。瀬島と同じ大本営作戦参謀だった朝枝には伝えたが、公表することはなかった。その朝枝が1986年になって初めて公にしたのだった。
 ところが、瀬島は後に、この告白を覆している。
「堀君の誤解じゃないかなあ」「記憶がない」
 多くのインタビューでは、否定を貫いた。自伝『幾山河』では、「この時期、自宅療養中」のため参謀本部にいなかったことにして、やはり、「堀君の思い違いではないないか」と告白したことを否定している。
「瀬島さんが父に告白したことは間違いありません。実は、その場(虎ノ門の共済会館地下食堂)に私も同席して聞いていましたから」
「賀名生(あのう)皇居」の屋敷で筆者を向かえてくれた堀の長男、元夫は柔和な笑顔で断言した。堀の電報を握り潰したことへの贖罪意識があったのだろうか、瀬島は、元夫に就職の斡旋を持ちかけた。大手商社マンだった元夫は断わり、その代わりに夫人が、瀬島が会長まで上り詰めた伊藤忠商事に勤務することになったという。瀬島が“手打ち”をしたのかもしれない。(中略)

 証言の確認は取れていないが、大本営参謀の間で密かに語られている次のような事実がある。

「堀の暗号電報は解読されたうえで、作戦課にも回ってきた。この電報を受けとった瀬島参謀は顔色をかえて手をふるわせ、『いまになってこんなことを言ってきても仕方がないんだ』といって、この電報を丸めるやくず箱に捨ててしまったという。そのときの瀬島の異様な表情を作戦課にいた参謀たちは目撃しているというのである」(『瀬島龍三』)

 瀬島が属していた超エリート集団である大本営作戦部作戦課は、堀が「奥の院」と指摘するように、どうにもならないほどに硬直化していた。自分たちが立てた作戦に合致する情報だけを選択し、それ以外は不都合なものとして抹殺していたのである。あくまで作戦上位、そのため主観的願望に溺れるということだ。この許し難い官僚主義こそ情報軽視の本質であった。それは日本型官僚機構が持つ倨傲(きょごう)であった。堀の電報握り潰し事件は、瀬島ひとりの責任ではなく、官僚化した作戦課という「奥の院」が生んだ悲劇であったのかもしれない。

【『消えたヤルタ密約緊急電 情報士官・小野寺信の孤独な戦い』岡部伸〈おかべ・のぶる〉(新潮選書、2012年)】

 戦後日本を振り返ると瀬島龍三はキーマンの一人であると考える。瀬島は戦前の超エリートで陸軍中枢にいた。大東亜戦争はエリートが判断を誤ったところに大きな敗因があった。終戦後はシベリアに抑留されソ連に洗脳を施された。帰国後、堀栄三に謝罪したのはまだ良心の炎が辛うじて消えていなかったのだろう。彼の転向・二枚舌・無責任・経済的成功が日本の姿とピッタリと重なる。

 田中清玄入江相政侍従長から直接聞いた話として、「先の大戦において私の命令だというので、戦線の第一線に立って戦った将兵達を咎めるわけにはいかない。しかし許しがたいのは、この戦争を計画し、開戦を促し、全部に渡ってそれを行い、なおかつ敗戦の後も引き続き日本の国家権力の有力な立場にあって、指導的役割を果たし戦争責任の回避を行っている者である。瀬島のような者がそれだ」という昭和天皇の発言を自著に記している(Wikipedia)。

【『田中清玄自伝』大須賀瑞夫〈おおすが・みずお〉インタビュー(文藝春秋、1993年/ちくま文庫、2008年)】

 この無責任こそが新生日本の方向を決定づけた。善悪を不問に付して政策は経済一辺倒に傾き、国防はアメリカに委ねた。高度経済成長を経てバブル景気に至る中で国民が憲法改正を望むことはなかった。占領期間に日本から牙を抜くことが戦後レジームだとすればそれは見事に成功した。

 小野寺信〈おのでら・まこと〉はバルト三国の公使館附武官を兼務した後、スウェーデン公使館附武官となりヤルタ会談の密約を入手し日本に打電したが、これを揉み消された。ここにも瀬島龍三が関与していると考えられる。その後、スウェーデン国王の仲介による和平を推し進めたが岡本季正〈おかもと・すえまさ〉駐スウェーデン公使の妨害で頓挫する。外務省の罪を検証する必要があるだろう。

 戦後レジームから脱却できない理由はただ一つだ。それは我々日本国民が自分たちの手で敗戦の責任を問うていないためだ。その意味から申せば、国民による「新東京裁判」が必要であると考える。

2020-08-29

陸軍中将の見識/『大本営参謀の情報戦記 情報なき国家の悲劇』堀栄三


 ・陸軍中将の見識
 ・大本営の情報遮断

『消えたヤルタ密約緊急電 情報士官・小野寺信の孤独な戦い』岡部伸
『日本のいちばん長い日 決定版』半藤一利
『機関銃下の首相官邸 二・二六事件から終戦まで』迫水久恒
『昭和陸軍謀略秘史』岩畔豪雄
『田中清玄自伝』田中清玄、大須賀瑞夫
『陸軍80年 明治建軍から解体まで(皇軍の崩壊 改題)』大谷敬二郎
『徳富蘇峰終戦後日記 『頑蘇夢物語』』徳富蘇峰

日本の近代史を学ぶ

 堀はここで生れて初めて情報電報に目を通す身となった。大多数の電報は、枢軸国といわれた独、伊、ルーマニヤや中立国の武官、大公使からの電報で、右肩に親展、極秘という朱肉の大きな角印が目にしみた。その他は内外の通信社の速報ニュース、外国系ラジオ放送、新聞などが机の上に並べられていた。
 家に帰った堀はその晩、父堀丈夫〈たけお〉に情報をやることになった旨を話した。父は晩酌の盃を置いて、一瞬考えてから、
「俺も40年近く軍人生活をしてきたが、情報だけはやったことがない。強いて言えば大佐時代に2年間フランスに航空の勉強にいったのが、情報といえばいえるだけ。情報は結局相手が何を考えているかを探る仕事だ。だが、そう簡単にお前たちの前に心の中を見せてはくれない。しかし心は見せないが、仕草は見せる。その仕草にも本物と偽物とがある。それらを十分に集めたり、点検したりして、これが相手の意中だと判断を下す。相手といっても、第一線の指揮官には自分の正面の敵の指揮官になるし、大本営だったら国家の主権の中枢が相手ということになろう。主権の中枢から直接聞くことが出来たら一番良いが、それは至難であって、時には嘘もつかれる。そうなるといろいろ各場面で現われる仕草を集めて、それを通して判断する以外にはないようだな」
 父は何度も「仕草」という言葉を使った。仕草とは軍隊用語でいう徴候のことである。情報のことは知らないという父から受けた初めての情報教育であった。

【『大本営参謀の情報戦記 情報なき国家の悲劇』堀栄三〈ほり・えいぞう〉(文藝春秋、1989年/文春文庫、1996年)】

 堀栄三は「正確な情報の収集とその分析という過程を軽視する大本営にあって、情報分析によって米軍の侵攻パターンを的確に予測したため、『マッカーサー参謀』とあだ名された」(Wikipedia)。上念司〈じょうねん・つかさ〉が毎年8月15日に繰り返し読む書籍と知って興味を抱いた。

 俚諺(りげん)に「一葉落ちて天下の秋を知る」とある。孔子は「一を聞いて十を知る」(『論語』)と説き、日蓮も「一をもつて万を察せよ。庭戸(ていこ)を出でずして天下をしるとはこれなり」(「報恩抄」)と述べる。わずかな予兆から変化を見抜くことは生存率を高める。堀栄三の養父はそれを「仕草」と表現した。陸軍中将の高い見識に驚かされる。法華経方便品(ほうべんぽん)に「諸法実相十如是」とある。仕草という言葉が十如是に通じる。

 私は上念ほどの感動を覚えなかったのだが、小野寺信〈おのでら・まこと〉を知り再読せざるを得なくなった。

2020-02-20

国民の血税を中国に貢ぐ沖縄/『いま沖縄で起きている大変なこと 中国による「沖縄のクリミア化」が始まる』惠隆之介


『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』稲垣武
『こんな日本に誰がした 戦後民主主義の代表者・大江健三郎への告発状』谷沢永一
『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人』谷沢永一
『誰が国賊か 今、「エリートの罪」を裁くとき』谷沢永一、渡部昇一

 ・中国帰化人の子孫たちが沖縄の親中政策を推進
 ・国民の血税を中国に貢ぐ沖縄

『北海道が危ない!』砂澤陣
・『なぜ彼らは北朝鮮の「チュチェ思想」に従うのか』篠原常一郎、岩田温
『これでも公共放送かNHK! 君たちに受信料徴収の資格などない』小山和伸
『ちょっと待て!!自治基本条例 まだまだ危険、よく考えよう』村田春樹
『実子誘拐ビジネスの闇』池田良子
『自治労の正体』森口朗
『戦後教育で失われたもの』森口朗
『日教組』森口朗
『愛国左派宣言』森口朗
『敵兵を救助せよ! 英国兵422名を救助した駆逐艦「雷」工藤艦長』惠隆之介

必読書リスト その四

 沖縄県と福建省との関係も深化していく。1997年(平成9)9月、沖縄福建友好県省が締結された。
 大田昌秀知事時代の94年(平成6)10月には、沖縄県と福建省政府が福州市内に建設する共同ビル「福建・沖縄友好会館」の起工式が行われた。この計画を推進したのが吉元政矩〈よしもと・まさのり〉副知事(当時)である。吉元氏は日頃、「私のルーツは福建省」と自慢げに語っていた。
 同会館建設計画書の冒頭に、こういう文言がある。
〈福建省と沖縄は過去600年にわたる長い歴史がある。かつて琉球王朝時代、我々は福建省を始め中国から幾多の恩恵を受けてきた。(中略)歴史的に得てきた恩恵、昨今の福建省の沖縄に対する特別な配慮に対する県民の感謝の気持を表す施設として建設する〉

 同会館建設の協定書によれば、「総工費2億円、全額を沖縄が負担する」、地下2階地上12階建てのビルのうち「沖縄県は1階の一部分と、4階から7階までの永久使用権を有する」となっていた。
 吉元副知事は、総工費2億円のうち5000万円は県内企業が完成時に支払い、1億5000万円を県が着工前に支払うと県議会に説明し、94年10月の県議会に突然、補正予算としてこれを計上した。
 予算審議中、野党の自民党議員から追求された県執行部は、「(もし否決されれば)」国際信義上きわめて重大な問題が惹起される」と答え、この資金の監査要求に対しても、「外国には及ばない」と否定している。この問題を追求した議員が、現在の那覇市長・翁長雄志その人である。
 県議会はこうして補正予算をやむなく可決、同会館は着工した。
 ところが福建省側は完成予定直前の96年(平成8)2月頃より、突然、インフレによる建設コストの上昇、付帯設備の増設などを理由に追加出費を迫り、6月には「沖縄が応じなければ工事を中断する」として、一方的に工事中断を宣言してきた。そして97年(平成9)8月には、総工費が当初の2億円から9億円に跳ね上がった。県庁は交渉の末、合計4億円の追加出費を余儀なくされた。
 その間、県内で2紙合計90%のシェアを占める『琉球新報』と『沖縄タイムス』は中国礼賛ムードを醸成するとともに、社説で同会館建設推進を主張した。「福建との友好県に期待」(『沖縄タイムス』97年7月9日付)、「時には理屈抜きの友好」(『琉球新報』同年7月5日付)といった具合である。
 こうして98年(平成10)7月28日、「福建・沖縄友好会館」は完成した。しかし、当初、所有権を折半すると公言していた福建省政府は、完成直後、沖縄県庁にFAXを送り、沖縄側の所有権を全面否定したのだ。この直前、中国側はビルメンテナンス会社共同設立の誘いも行っていたが、沖縄県庁が拒否したことから、両者の関係は急速に冷却化していたのである。
 高率補助に慣れた沖縄県民は、県予算の執行状況をチェックする気概を持っていない。国の沖縄振興予算は97年度から基地対策もあって、右肩上がりで急上昇しており、98年度はピークの4713億円を記録していた(平成26年度は3460億円)。
 結局、沖縄県は国民の血税、5億5000万円を中国に貢いだのだ。

【『いま沖縄で起きている大変なこと 中国による「沖縄のクリミア化」が始まる』惠隆之介〈めぐみ・りゅうのすけ〉(PHP研究所、2014年)】

 洗脳とマインドコントロールの違いは強制性にある。洗脳は閉ざされた環境、体力や睡眠を奪うといった身体操作、何度も繰り返す質問などに特徴がある。朝鮮戦争の際に中国共産党が米兵に対して行ったのが嚆矢(こうし)とされる。洗脳のハードパワーに対してマインドコントロールはソフトパワーである。自主的に従わせるのがマインドコントロールで最新技術を広告業界が積極的に採り入れている。

 中国や韓国で行われている反日教育が洗脳かマインドコントロールかは意外と難しい問題だ。学校を閉ざされた環境と見ることも可能だし、中国の場合は国家ですら閉ざされている。教育現場で嘘を教え込まれた時に児童は反証できる材料を持たない。まして韓国は最高裁が嘘の歴史に基づく判決を下した(徴用工訴訟問題)のだから社会全体が嘘を基底にして成り立っている。そもそも中国と韓国は日本と戦争をしていないのだ。戦争をしたのは中華民国で現在の台湾である(戦時中の台湾は日本領土であった)。

 人間の脳は物語に支配される。人は合理性があるから納得するのではない。納得した論理に対して合理性を感じるのである。それゆえ納得してしまえば心から正しいと信じて魔女狩りを行い、黒人を奴隷にし、インディアンを虐殺するのだ。ま、白人の合理性なんぞその程度の代物だ。

哲学は神学の婢(はしため)」であり、その婢の子がマルクス主義といってよい。もちろんルーツはユダヤ教にあるわけだが一神教由来の絶対性が吹かせた風は知識人をなぎ倒し、今も尚やむことがない。リベラルとは仮面をつけた左翼を表す言葉と心得るのが正しい。

 振り返れば第二次世界大戦でソ連に手を貸し、1970年代に入ると中国に歩み寄ったアメリカの罪は決して軽くない。21世紀前後の世界的混乱はアメリカの脇の甘さが招いたものだ。オバマ政権が一時的にせよG2構想に乗ったとすれば多極化の一翼を担うのは中国と認めたも同然だ。つまり日本は切って捨てられる運命にある。中韓による史実を捻じ曲げた歴史攻勢や、北朝鮮チュチェ思想が沖縄と北海道に浸透している実態がその証拠である。

2019-12-16

中国帰化人の子孫たちが沖縄の親中政策を推進/『いま沖縄で起きている大変なこと 中国による「沖縄のクリミア化」が始まる』惠隆之介


『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』稲垣武
『こんな日本に誰がした 戦後民主主義の代表者・大江健三郎への告発状』谷沢永一
『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人』谷沢永一
『誰が国賊か 今、「エリートの罪」を裁くとき』谷沢永一、渡部昇一

 ・中国帰化人の子孫たちが沖縄の親中政策を推進
 ・国民の血税を中国に貢ぐ沖縄

『北海道が危ない!』砂澤陣
・『なぜ彼らは北朝鮮の「チュチェ思想」に従うのか』篠原常一郎、岩田温
『これでも公共放送かNHK! 君たちに受信料徴収の資格などない』小山和伸
『ちょっと待て!!自治基本条例 まだまだ危険、よく考えよう』村田春樹
『実子誘拐ビジネスの闇』池田良子
『自治労の正体』森口朗
『戦後教育で失われたもの』森口朗
『日教組』森口朗
『左翼老人』森口朗
『愛国左派宣言』森口朗
『敵兵を救助せよ! 英国兵422名を救助した駆逐艦「雷」工藤艦長』惠隆之介

必読書リスト その四

 琉球が中国の冊封体制下に入ったのは、明の皇帝が琉球に朝貢を求めてきた1372年のこととされている。明は冊封国に中国人を在留させ、朝貢貿易の政務を担当させる朱明府を置いた。これは冊封国の動静を監視し、間接支配するための施設である。琉球は薩摩藩が侵攻する1609年まで、その監督下に置かれていた。
 那覇市内に「久米」(クニンダー)と呼ばれる地域がある。いまでこそ那覇と陸続きになっているが、18世紀ごろまでは「浮島」と呼ばれる島であった。
 その久米は、「三十六姓」と呼ばれる中国帰化人の子孫たちの居住区として、一種の租界を形成していたといえる。そして琉球は、この久米の中国帰化人子孫たちによって、間接支配されてきたのである。
 ここでは19世紀になっても中国語が話されており、彼らは日清戦争の終了まで、沖縄を中国圏に留めようと画策していた。そして現在も県民の3000人以上が彼らの子孫を自認しており、約10億円の共有預金と会館を有し、いまなお団結は強い。
 仲井眞知事稲嶺惠一知事はいずれも、この久米三十六姓の子孫である。知事選に当たっては、稲嶺氏は中国帰化人「毛家」の子孫であることを、仲井眞氏は「蔡家」の子孫であることを、リーフレットで誇っていた。(中略)
 現代においてもなお、こうした中国帰化人の子孫たちが中心となって、沖縄の親中政策が推進されている。

【『いま沖縄で起きている大変なこと 中国による「沖縄のクリミア化」が始まる』惠隆之介〈めぐみ・りゅうのすけ〉(PHP研究所、2014年)】

 沖縄は歴史を利用され、北海道は歴史の空白が利用されている。実に巧妙な手口だ。沖縄の振興予算から数億円単位のカネが中国に渡っている実態には驚かされた。

 沖縄は更にチュチェ思想の総本山と化している。チュチェ思想研究会連絡会の会長は佐久川政一〈さくがわ・せいいち〉沖縄大学名誉教授。米軍基地の一坪反戦地主を主導している人物でもある。こんなのが護憲を叫ぶのだからお里が知れるというものだ。


 こうした背景を踏まえた上で沖縄県民の民意と日本国民の意志とを擦り合わせる必要がある。数年以内に米軍は沖縄から撤退することだろう。

もはや左傾化ではなく亡国の道を進む北海道と沖縄/『北海道が危ない!』砂澤陣


『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』稲垣武
『こんな日本に誰がした 戦後民主主義の代表者・大江健三郎への告発状』谷沢永一
『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人』谷沢永一
『誰が国賊か 今、「エリートの罪」を裁くとき』谷沢永一、渡部昇一
『いま沖縄で起きている大変なこと』惠隆之介

 ・もはや左傾化ではなく亡国の道を進む北海道と沖縄
 ・「アイヌ」民族は学術的に定義されていない

小野寺まさる:北海道が日本で無くなる日~中国の土地爆買いとアイヌ新法の罠[R2/5/4]
茂木誠:アイヌは樺太から避難してきた渡来人
・『なぜ彼らは北朝鮮の「チュチェ思想」に従うのか』篠原常一郎、岩田温
『これでも公共放送かNHK! 君たちに受信料徴収の資格などない』小山和伸
『ちょっと待て!!自治基本条例 まだまだ危険、よく考えよう』村田春樹
『実子誘拐ビジネスの闇』池田良子
『自治労の正体』森口朗
『戦後教育で失われたもの』森口朗
『日教組』森口朗
『左翼老人』森口朗
『愛国左派宣言』森口朗

 冒頭から北海道と沖縄の共通点の悪いところばかりを並べ立てて少し心苦しいのだが、もう一つ最悪な共通点が存在する。
 それは、「迅速、正確に報道し、公正な社論によって健全な世論を育てる」(北海道新聞編集綱領)べきマスメディアであるにもかかあらず、正論、公正とは思えない報道で、時には事実を歪曲し、一方的な主義・主張に基づいて書き立てている地元新聞社の存在である。
 最近はインターネットでも「沖縄タイムス」や「琉球新報」の記事を読むことができるので、目を通すようにしているのだが、この2紙の一面的な報道姿勢には呆れるばかりだ。地域や新聞社によって、記事に特色が出るのは当然だが、基地問題やいわゆる琉球独立論などの記事を読むたびに、「沖縄の人たちはこの新聞を読んで、どう思い、考えているのだろう?」と心配になってしまう。
 私の地元、北海道にも、朝刊約100万部、夕刊約45万部、北海道の新聞購入世帯の約4割という圧倒的なシェアを持つ北海道新聞(通称・道新)がある。その報道ぶりも沖縄に負けてはいない。詳しくは本書で述べるが、道新のアイヌを擁護する論調は果たして公正な報道と呼べるだろうか。(中略)
 時折、朝日新聞を読むが、「吉田調書」(誤報問題)と「吉田証言」(慰安婦報道問題)で、偏向報道の代名詞となった朝日新聞ですら「まとも」と感じてしまう。
 ちなみに、その道新がことのほか熱心に行っていることといえば、世界中のジャーナリストや人権団体が「報道の自由の敵」と非難している中国共産党との交流である。驚くことに、道新と中国共産党の機関紙である「人民日報」との間には人事交流もあるという。

【『北海道が危ない!』砂澤陣〈すなざわ・じん〉(育鵬社、2016年/扶桑社オンデマンド、2019年)】

 全北海道民必読の一書である。道産子の私は衝撃を受けた。

 冒頭では小中学校の学力の低さ、離婚率の高さ、地下が安いにもかかわらず持ち家率が低い、非正規雇用の割合も高く、国からの補助金が多い、にもかかわらず地域経済が上向かないなどの共通点が挙げられている。北海道は更に日教組の牙城でもある。私は義務教育の過程で「君が代」を歌ったことは一度しかない。それも音楽の授業でである。国旗に敬意を示すことも教わらなかったし、まして天皇に対する感情などこれっぽっちもなかった。東京と比べるとまず神社が少なく寺の規模も小さい。「北海道に入植した人々は受け継ぐべき畑のなかった次男、三男が多かったことだろうし、土地に対する執着が少なく、地域住民のつながりも弱い」と私は考えてきたのだが浅はかだった。

 砂澤陣はアイヌである。その砂澤が言うには「そもそもアイヌ民族の定義すら定かでない」とのこと。古くは北海道を蝦夷(えぞ/えみし、えびす、とも)と称した。蝦夷=アイヌである。彼らはアイヌ語を母語とする人々であるが、これを人種概念に結びつけると飛躍しすぎる。文化が異なるのは確かだが、縄文人の末裔(まつえい)でバラバラの部族がたまたま北海道に暮らしていたというのが真相に近い。私の幼馴染にもアイヌの兄妹がいたが特に差別意識を抱いたことはなかった。

 中国の経済的侵略と北朝鮮による思想侵略(チュチェ思想)の実態を知れば、もはや左傾化ではなく亡国の道を進む北海道と沖縄の姿が浮かび上がってくる。北海道人は鷹揚(おうよう)で、のんびりまったりしているのが常であるが、直ちに本書を読んで目を覚ませと申し上げたい。


2018-10-17

日米安保条約と吉田茂の思惑/『重要事件で振り返る戦後日本史 日本を揺るがしたあの事件の真相』佐々淳行


『彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行
『ほんとに、彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行
『インテリジェンスのない国家は亡びる 国家中央情報局を設置せよ!』佐々淳行
『私を通りすぎた政治家たち』佐々淳行
『私を通りすぎたマドンナたち』佐々淳行
『私を通りすぎたスパイたち』佐々淳行

 ・日米安保条約と吉田茂の思惑

 思わず語気を強めて詰め寄った。
「憲法改正して再軍備をするのだと、そうおっしゃっていたじゃないですか。今後自衛隊をどうなさるおつもりですか」
「今は経済再建が第一である。経済力が復活しなくて再軍備などあり得ない。経済力がつくまで、日米安保条約によってアメリカに守ってもらうのだ」
 明確な返答には説得力があった。
 たしかに現在の経済力では、実効性のある自衛軍などとても持てない。経済は平和が確保できてこそ発展することは論を俟(ま)たない。冷静に国際情勢を考慮し、経済力に思いを至らせながら判断すると、平和の確保にはアメリカの力を借りるほかはないと理解できた。
 安保条約には反対していたわれわれは、「経済力がついたら憲法改正して自衛軍にするのだ。それまでの間は身を潜めていなくてはいかん」という吉田氏の言葉に納得して、安保条約支持派になったのだった。

【『重要事件で振り返る戦後日本史 日本を揺るがしたあの事件の真相』佐々淳行〈さっさ・あつゆき〉(SB新書、2016年)】

 伊藤隆に請われて佐々が90冊の手帳を国会図書館の憲政資料室に寄贈した。その佐々メモが元になっている。上記テキストは確か大学生の佐々が吉田茂と面会した時のやり取りである。

 吉田茂は二枚腰ともいえる粘り強い外交でマッカーサーを翻弄した。外部要因としては朝鮮特需(1950-55年)があったわけだが高度経済成長への先鞭(せんべん)をつけたのは吉田茂である。ところが自主憲法制定を党の綱領に謳った自民党は経済成長を遂げても憲法に手をつけようとはしなかった。タイミングとしては「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」(1953年/昭和28年)あたりでもよかったように思うが経済的にはまだまだ脆弱だった。日米安保が結ばれたのが1951年(昭和26年)のこと(発効は翌年)。そうすると学生運動の嵐が過ぎた頃からバブル景気の前くらいの時期で憲法改正するのが筋だろう。

 本来であれば憲法改正をする時に自民党は不祥事で揺れ続けた。その結果対米依存を強める羽目となり、大蔵省や郵便局の解体をアメリカの言いなりで行った。憲法改正を掲げて安倍晋三が登場したものの、敗戦から70年以上を経て国民の平和ボケは行き着くところまで行き着いた感がある。

 たとえ憲法が改正されなくとも戦争は起こる。既に中国が仕掛けてきているのだから時間の問題だ。その時に国民が目を覚ますのか、あるいは寝たフリをするのかが見ものである。



憲法9条に対する吉田茂の変節/『平和の敵 偽りの立憲主義』岩田温

二・二六事件で牧野伸顕を救った麻生和子/『私を通りすぎたマドンナたち』佐々淳行


『彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行
『ほんとに、彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行
『インテリジェンスのない国家は亡びる 国家中央情報局を設置せよ!』佐々淳行
『私を通りすぎた政治家たち』佐々淳行

 ・二・二六事件で牧野伸顕を救った麻生和子

『私を通りすぎたスパイたち』佐々淳行
『重要事件で振り返る戦後日本史 日本を揺るがしたあの事件の真相』佐々淳行

 有名なエピソードがある。1936年(昭和11年)の二・二六事件のときだ。神奈川県湯河原町の別荘として借りていた伊藤旅館の別棟にいた牧野伸顕のところに、早朝、反乱軍がなだれ込んできた。反乱軍から逃れ、庭続きの裏山に脱出しようとした彼が、銃殺されそうになったとき、和子さんは祖父を救うためにハンカチを広げて銃口の前に立ちはだかったという。
 彼女は聖心女子学院の出身だが、在学中に週刊誌主催のミス日本に選ばれたくらいの美人である。反乱軍兵士は、銃口の前に飛び出して祖父をかばった美女にさぞ驚いたに違いない。孫娘の気迫に気圧(けお)されて、牧野伸顕は命拾いしたといわれている。

【『私を通りすぎたマドンナたち』佐々淳行〈さっさ・あつゆき〉(文藝春秋、2015年/文春文庫、2018年)】

 麻生和子吉田茂の娘で、麻生太郎の母。武家の育ちであるとはいえ、いざという時に行動できるかどうかは日常の覚悟の賜(たまもの)といってよい。「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」(『葉隠』)との寸言は、命の捨て時に迷わぬ精神を示す。ここにおいて「捨てる」とは「最大限に燃焼し尽くす」ことと同義である。日常の中で死を意識することが生の深き自覚となる。武士が望むのは長寿や安穏ではない。名を上げることこそ彼らの望みであり、名を惜しむためには死をも辞さない。

 江戸時代において武家の子女は必ず懐剣(かいけん)を持っていた。用途は二つ。護身と自決である。自決する場合は喉内部や心臓を突いた。

 残念なことに立派な女性が立派な母親になるとは限らない。野中広務〈のなか・ひろむ〉(魚住昭『野中広務 差別と権力』、角岡伸彦『はじめての部落問題』)が引退してから麻生太郎はタガが外れたように態度がでかくなった。公私を弁えぬ言葉遣いは肥大した自我の為せる業でみっともないことこの上ない。

私を通りすぎたマドンナたち (文春文庫 さ 22-20)
佐々 淳行
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2018-10-16

細川護煕の殿様ぶり/『私を通りすぎた政治家たち』佐々淳行


『彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行
『ほんとに、彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行
『インテリジェンスのない国家は亡びる 国家中央情報局を設置せよ!』佐々淳行

 ・細川護煕の殿様ぶり

『私を通りすぎたマドンナたち』佐々淳行
『私を通りすぎたスパイたち』佐々淳行
『重要事件で振り返る戦後日本史 日本を揺るがしたあの事件の真相』佐々淳行

(※細川護煕〈もりひろ〉氏は)日本新党のとき、政治的知名度も新鮮さもあったが、殿様だからお金はなかった。政治資金がなくて日本新党は大変苦しんだ。私が冗談半分で「細川家代々の文化財をお売りになれば1億ぐらすぐ出来るでしょう」と言うと、「いや、戦災で消失してしまって」と言われる。「京都は戦災を免れたではないですか」と問うと、「いや、応仁の乱で」とのお答え。どうも浮世離れしていて、やはりお殿様だと思ったものだ。

【『私を通りすぎた政治家たち』佐々淳行〈さっさ・あつゆき〉(文藝春秋、2014年/文春文庫、2017年)】

 応仁の乱は500年以上前の歴史である。「京都は戦災を免れた」という歴史を知っていればこそ生まれた諧謔(かいぎゃく)に富むエピソードだろう。抱腹絶倒ではなくジワリと来るだけに余韻が長い。

 洒落っ気はあるものの佐々はやはり新党ブームに業を煮やしていたのだろう。自民党は長期政権で腐敗し、その上中道左派的な政策を推進してきた。日本の安全や安定を思えば少々政治が腐敗しているくらいが国民にとっては丁度いいのかもしれない。

私を通りすぎた政治家たち (文春文庫)
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2018-10-13

東日本大震災~「自衛隊への御嘉賞」は戦後初めて/『ほんとに、彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行


『彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行

 ・東日本大震災~「自衛隊への御嘉賞」は戦後初めて

『インテリジェンスのない国家は亡びる 国家中央情報局を設置せよ!』佐々淳行
『私を通りすぎた政治家たち』佐々淳行
『私を通りすぎたマドンナたち』佐々淳行
『私を通りすぎたスパイたち』佐々淳行
『重要事件で振り返る戦後日本史 日本を揺るがしたあの事件の真相』佐々淳行

 平成23年3月16日、天皇はすすんで東日本大震災に戦(おのの)く日本国民に向けて、御自分の言葉で、異例の呼びかけをビデオメッセージという形で行われた。
 しかも【「自分のメッセージの間に臨時ニュースが入ったら、メッセージを中断してニュースを優先するように」と指示】しておられたのだ。(中略)
 知る人ぞ知る、知らない人は知らない、民主党の人々、菅内閣の人々は多分誰も知らないだろうが、【戦後67年間、天皇の口から「自衛隊への御嘉賞」が出されたのはこれが初めて】である。
 しかも、順序が大きな問題なのだ。
 ふつう、総理や政府高官は、「警察、消防、自衛隊」と言う。長い間の自衛隊への複雑な感情を反映して、自衛隊は後回しにされる。
 警察と防衛庁で30余年を過ごした私は、真っ先に「自衛隊」とよびかけた天皇のお気持ちを忖度(そんたく)すると、日夜泥にまみれ、死臭、簡素な給食、風呂もシャワーもままならない中で汚れ仕事に愚痴ひとつ言わず国民に奉仕している自衛隊の姿をテレビでご覧になり、これは推測だが、菅内閣の仙谷前官房長官が昨年「暴力装置」などと貶(おとし)めたことに心を痛められ、その名誉回復のために意図的に「自衛隊」と真っ先によびかけられたものと拝察する。

【『ほんとに、彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行〈さっさ・あつゆき〉(幻冬舎、2011年)】

「嗚呼(ああ)――」と頭(こうべ)を垂れた。大御心(おおみごころ)という言葉の意味がやっとわかったような気がする。直ぐ下の弟が航空自衛隊にいることもあって陛下の御心が一入(ひとしお)身にしみる。

 私の中で尊皇の精神が芽生えたのは、メッセージの内容によるものではなかった。何の気負いもなく淡々と国民に呼びかけるあのお姿であった。「ああ、ありがたいな」と心の底から思った。「日本人でよかったな」とも思った。まったく新しい感情であった。

 天皇陛下には基本的人権がない。苗字もなければ一片の自由もない。常人ではないという意味において「神」と考えてよかろう。「ただ国民のために生きる人生」を強いられるのだ。様々な祭祀(さいし)を司っていることももっと広く知られるべきだ。

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敵前逃亡した東大全共闘/『彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行


 ・敵前逃亡した東大全共闘

『ほんとに、彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行
『インテリジェンスのない国家は亡びる 国家中央情報局を設置せよ!』佐々淳行
『私を通りすぎた政治家たち』佐々淳行
『私を通りすぎたマドンナたち』佐々淳行
『私を通りすぎたスパイたち』佐々淳行
『重要事件で振り返る戦後日本史 日本を揺るがしたあの事件の真相』佐々淳行

 自衛隊を「暴力装置」と呼んだ仙谷前官房長官は、東大時代に「フロント」と呼ばれる社会主義学生運動組織のシンパとして活動していたことが知られている。
 彼ら、全共闘世代は「破壊の世代」と呼ばれる。
 かつて極左過激派の長期にわたる暴力革命闘争、世界・同時・急進・武装革命を目指し、「目的は手段を正当化する」というレーニン思想や、「革命は銃から」と説く毛沢東主義に影響された「造反有理」のトロツキズムの武力闘争は、日本共産党の平和革命論よりもっと左で、もっと過激だった。
 武装の上、大学をバリケード封鎖して主張を通そうとして、全国の大学が激しい紛争状態となった。全共闘に煽動(せんどう)された学生たちは、投石や火炎瓶、角材などを武器にした「ゲバ闘争」によって、少なくとも1万5000人が逮捕され、まともな就職ができず、その人生を大きく狂わせてしまった。
 殉職者十余名を含む1万2000人の機動隊員が重軽傷を負い、なかには失明、四肢喪失、顔面火傷のケロイドなど、癒しがたい公傷を負い、今でも辛(つら)い後遺症に苦しんでいる者もいる。
 人生を狂わされた多くの“同志”や後遺症に苦しむ警察官がいるというのに、仙谷由人氏は、うまく転向して官房長官の栄職まで出世した。
 その上で国のために命がけで働く自衛隊を「暴力装置」と呼んだ。かつて機動隊を「公的暴力装置」と呼んだという証拠こそがないが、彼らの思想・思考の中ではそういう用語で呼ばれていた。今、仙谷氏が反体制イスラム武装勢力を見るかのような目で、自衛隊や警察官、海上保安官を見ているといわれても仕方があるまい。

【『彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行〈さっさ・あつゆき〉(幻冬舎、2011年)】

 民主党政権批判の書である。佐々らしからぬ徹底した猛々しさを感じるのは、彼が大学生時代から闘ってきた左翼の政権誕生に業を煮やしたせいだろう。民主党政権では旧社会党勢力が大臣ポスト3分の1ほどを占めていた。

 既に書いたことだが私は当時、佐藤優のラジオ番組をよく聴いていたせいで民主党政権にさほど違和感を覚えなかった。ラジオには「耳を傾ける」必要がある。視覚情報がないだけにマインドコントロールされやすいのだろう。更に佐藤はその後自民党が政権を取り戻すと、さり気なく沖縄二紙の論調を紹介するようになった。沖縄独立論の動きがあることも「馬鹿馬鹿しいエピソード」として取り上げているのかと思ったが実はそうではなかった。突飛な事実を紹介している風を装いながら、その後彼は独立論へと沖縄を誘導したのだ。

 仙谷由人の「暴力装置発言」は今尚記憶に新しい。自分たちのかつての暴力行為を振り返ることなく左翼用語を振りかざす態度が浅ましい。樺美智子〈かんば・みちこ〉の死は語り継がれるが機動隊員の犠牲は誰も覚えていない。彼女のために中国から1000万円のカンパが寄せられたが、「前衛政党に送られたもの」と主張した共産党が全額をせしめた。

60年安保闘争~樺美智子と右翼とヤクザ/『日本を貶めた戦後重大事件の裏側』菅沼光弘

 東大安田講堂封鎖解除警備が行われた1969(昭和44)年1月18日の前夜、真っ先に東大から逃げ出したのは、代々木(共産党)系の民青だった。(中略)
 これに次いで脱出したのが、法文系1号館と2号館に籠城していた革マル派だった。今でも続く中核派と革マルの陰惨な内ゲバは、この東大紛争の裏切りから始まった。(中略)
 念のため、東大安田講堂事件における逮捕学生の内訳を詳しく記すと、
 安田講堂に籠城していた極左過激派 377名
 この逮捕者のうち、東大生はたったの 20名
 東大構内、工学部列品館、医学部など22カ所に籠城していた全共闘 256名
 うち東大生はわずか 18名
【合計逮捕者 633名中 東大生 38名】
 であった。
 東大生はわずか6%で、あとの94%は東大全共闘を助けようと全国からはせ参じた“外人部隊”だった。外人部隊は最後まで愚直に戦い、逮捕され、前述のごとく人生を大きく狂わせてしまった。東大全共闘はその外人部隊を尻目に、前夜“敵前逃亡”していたのである。

 驚くべき事実である。旧制高校を廃止したGHQの策略はまんまと成功した。日本のエリートの体たらくがこれである。しかも日本にとっては格段に改正された日米安保に反対していたのだから馬鹿丸出しといってよい。

 日本の経済は高度成長を遂げていたが政治は迷走を続けた。自民党はアメリカから、社会党・共産党はソ連から資金提供を受けていた。

 樺美智子の死によって辞意を表明した岸信介首相が右翼暴漢に臀部(でんぶ)を三度刺されて瀕死の重症を負った(1960年、砂川裁判が日本の法体系を変えた/『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』矢部宏治)。

 東大安田講堂事件(1969年)の後にあさま山荘事件(1972年)が起こる。そして東大に乗り込み全共闘学生と対話をした三島由紀夫が1970年に自決した。

 私はこうした一連の出来事を「敗戦のジレンマ」で片づけたくない。明治開国に始まる東亜百年戦争(『大東亜戦争肯定論』林房雄)が終結に至る混乱であったと見る。三島の死がピリオドを打ったのだ。

 にもかかわらず、学生運動の風が止んでも日本の政治は落ち着くことがなかった。1989年の参院選ではマドンナブームが起こり何と社会党が自民党を上回る議席を獲得した。リクルート事件が社会党への追い風となったわけだが、今考えると実に不思議な事件で未公開株の譲渡は普通に行われていることだった。ロッキード事件と同じ臭いがする。

1993年に非自民・非共産の8党連立で細川内閣が誕生した。新党ブームで戦後長らく続いた55年体制が崩壊し、新しい時代の幕開けを国民は確かに感じた。社会党からは6人と江田五月(社民連)が入閣している。非自民政権は細川内閣8ヶ月、羽田内閣2ヶ月で終わった。各党の理念が一致してない上、意思の疎通を欠いており、何にも増して小沢一郎の豪腕が嫌われた。

 1994年に自社さ連立政権が発足し村山内閣が誕生した。自民党は禁じ手を使ったといってよい。バブルが崩壊しデフレが進行する中で政治は野合の季節を迎えた。95年には阪神淡路大震災とオウム事件が起こる。「社会党ではダメだ」と誰もが痛感した2年間だった。

 その後橋本内閣(1996年)から小泉内閣(2001~2006年)にかけて次々と規制改革が行われ、日本の伝統的な価値観(終身雇用制、護送船団方式株式持ち合いなど)が崩壊した。

 バブル景気の中からオバタリアンが生まれ、デフレになると若き乙女が援助交際に走った。

 こうした流れを振り返ると、長く左翼と闘ってきた佐々が民主党政権(2009~12年)に対してどれほどの危機感を抱いていたかがわかるような気がする。国民はいつだって無責任だ。何かを買い換えるように新しいものに飛びつくだけである。世論を重視する政治的風潮が強いが世論などは一日にして変わり得る性質のもので、政治家たる者は進むべき方向をきちんと指し示す覚悟を持つべきだ。

 東日本大震災(2011年)と福島原発事故は「日本が滅びるか」というほどの衝撃を与えた。民主党政権は何らリーダーシップを発揮することができなかった。日本に新生の息吹きを吹き込んだのは天皇陛下のメッセージであった。そして安倍晋三が「日本を取り戻す!」と叫んで立ち上がった。この四半世紀は一旦死んだはずの社会党勢力が内閣に巣食い続けた期間であった。現在彼らは立憲民主党となって蠢(うごめ)いている。団塊の世代を中心とする「懐かしサヨク」は憲法改正を阻止すべく、なりふり構わぬ闘争を展開することだろう。

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2018-10-11

佐々弘雄の遺言/『私を通りすぎたスパイたち』佐々淳行


『彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行
『ほんとに、彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行
『インテリジェンスのない国家は亡びる 国家中央情報局を設置せよ!』佐々淳行
『私を通りすぎた政治家たち』佐々淳行
『私を通りすぎたマドンナたち』佐々淳行

 ・佐々弘雄の遺言

『重要事件で振り返る戦後日本史 日本を揺るがしたあの事件の真相』佐々淳行

 父は、そのあとも、我々の知らない人名を挙げては、くどくどと説明していく。泥酔し、自宅でもさらに飲んで酒杯を離さず、母が止めても大声をあげて怒鳴る。
「大事なことを話しているんだ」と、
「尾崎がソビエト(ゾルゲ)のスパイだった、という情報がある。そんなばかげたことがあるはずがない。でっちあげもはなはだしい」「しかし、万一そうであるならば、よしんば、それがでっちあげであっても、国防保安法とか治安維持法、軍機保護法と、いろいろな法律があって、これは重大な犯罪になる。もう、近衛は退陣した。当局がひっかけようと思えば、近衛公でさえもあぶない」「そこでもし、お父さんの身におよぶようなことがあれば、ほかの理由ならば取調べに応ずるが、スパイ容疑ということの場合には、身の潔白を証明するため、腹を切る。いいな」と。
 父の目はすで「すわっていた」。尾崎が「ソビエトのスパイ」、つまりゾルゲと共にソ連のために日本を裏切った。もし、自分がその仲間であったとでっちあげられたりしたら、父は本気で切腹するかもしれない。
 そう思ったのか、母は、こっそりと台所に行くようなふりをして、家宝でもあったいくつかの日本刀をいつものところからどこかへ隠しにいった。
 そのあと、さとすような口調で、「(あなたが)腹を切ったりしたら、かえって潔白を証明する機会がなくなってしまうのではありませんか」と父をたしなめる。
 すると父は、武士のように「黙れ、男の気持ちがわからんのか」と母を一喝し「検挙されるまえに自害すれば、おまえたちが、スパイの家族とうしろ指をさされずにすむ。みんなの名誉を守るためなんだぞ」と。
 武士の末裔(まつえい)である佐々家の主としては、「家名を汚してはならない」という思いにかられての、跡継ぎである兄と、私への「遺言」 のつもりだったのかもしれない。

【『私を通りすぎたスパイたち』佐々淳行〈さっさ・あつゆき〉(文藝春秋、2016年)】

 著者は佐々弘雄〈さっさ・ひろお:1897-1948年〉の次男である。弘雄は美濃部達吉吉野作造の薫陶を受けた法学者・政治学者で、後に朝日新聞編集委員、参議院議員を務めた人物。何よりも近衛文麿の私的ブレーン「昭和研究会」の一人として知られる。尾崎秀実〈おざき・ほつみ〉とは朝日新聞社の同僚であり、尾崎を昭和研究会に招じ入れたのも弘雄であった。

 佐々淳行はインテリジェンス・オフィサーである(初代内閣安全保障室長)。上記テキストは「スパイというものがどれほど卑劣な存在であるかを思い知らされた」との文脈で書かれているのだが、額面通りに受け止めるかどうかは読み手次第だろう。その後、尾崎秀実がソ連のスパイであったことが判明する(『大東亜戦争とスターリンの謀略 戦争と共産主義』三田村武夫)が、父親の不明に関する考察はなかったように記憶している。また親中派の後藤田正晴に長く仕えたことも私の中では燻(くすぶ)り続ける疑問の一つである。

 それでも「危機管理」という意識を日本社会に定着させた佐々淳行の功績は大きい。日本のインテリジェンスはいまだに黎明期すら迎えていないが、佐々と菅沼光弘が一条の光を放ったことは歴史に刻印されるだろう。

 あの柔らかな口調、ダンディな物腰、そして険しい眼差しを見ることはもうできない。昨日、日本の情報機関創設を見ることなく逝去した。

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