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・『日日平安』山本周五郎
・壮烈な心と凄絶な生き方
・すべてのミュージシャンが必読すべき珠玉の短篇
・必読書リスト その一
……そしていつでも話の結びには斯(こ)う云った。
「そうです、わたくしはずいぶん世間を見て来ました。なかには万人に一人も経験することのないような、恐しいことも味わいました。そして世の中に起る多くの苦しみや悲しみは人と人とが憎みあったり、嫉(ねた)みあったり、自分の欲に負かされたりするところから来るのだということを知りました。……わたくしにはいま、色々なことがはっきりと分ります。命はそう長いものではございません。すべてが瞬(またた)くうちに過ぎ去ってしまいます。人はもっともっと譲り合わなくてはいけません。もっともっと慈悲を持ち合わなくてはいけないのです」
老人の言葉は静かで、少しも押しつけがましい響を持っていなかった。それで斯ういう風な話を聞いたあとでは、ふしぎにもお留伊は心が温かく和やかになるのを感じた。(「鼓くらべ」/「少女の友」昭和16年1月号)
【『松風の門』山本周五郎(新潮文庫、1973年)以下同】
「松風の門」と「鼓くらべ」のニ篇が与える衝撃の度合いは桁外れだ。「必読書」には『日日平安』を入れてあるが甲乙をつける必要はないだろう。
新年の催しとして領主が金沢の城中で観能をし、その後で民間から鼓の上手な者が御前で腕比べを行う。お宇多というライバルとお留伊の二人も選ばれていた。旅の老人はお留伊に「友割り鼓」の話をする。
十余年まえに、観世市之■(※極のツクリ部分/かんぜ・いちのじょう)と六郎兵衛という二人の囃子方があって、小鼓を打たせては竜虎(りゅうこ)と呼ばれていたが、ふたりとも負け嫌(ぎら)いな烈(はげ)しい性質で、常づね互に相手を凌(しの)ごうとせり合っていた。……それが或る年の正月、領主前田侯の御前で鼓くらべをした。どちらにとっても一代の名を争う勝負だったが、殊(こと)に市之■の意気は凄じく、曲なかばに到(いた)るや、精根を尽くして打込む気合で、遂に相手の六郎兵衛の鼓を割らせてしまった。
打込む気合だけで、相手の打っている鼓の皮を割ったのである。一座はその神技に驚嘆して、「友割りの鼓」といまに語り伝えている。
鼓打ちの間では広く知られた出来事であったが、老人はその後のエピソードを語った。
老人は息を休めてから云った。「……市之■〈いちのじょう〉はある夜自分で、鼓を持つ方の腕を折り、生きている限り鼓は持たぬと誓って、何処ともなく去ったと申します。……わたくしはその話を聞いたときに斯(こ)う思いました。すべて芸術は人の心をたのしませ、清くし、高めるために役立つべきもので、そのために誰かを負かそうとしたり、人を押し退(の)けて自分だけの欲を満足させたりする道具にすべきではない。鼓を打つにも、絵を描くにも、清浄(しょうじょう)な温かい心がない限りなんの値打ちもない。……お嬢さま、あなたはすぐれた鼓の打ち手だと存じます。お城の鼓くらべなどにお上りなさらずとも、そのお手並は立派なものでございます。おやめなさいまし、人と優劣を争うことなどはおやめなさいまし、音楽はもっと美しいものでございます。人の世で最も美しいものでございます」
これから世に出てゆこうとする少女の胸に老人の言葉が響いたとは思えない。浅い経験は深い言葉に思いが届かない。老人が黙っていられなかったのは、お留伊が打つ鼓の音に何かを感じたためだろう。
鼓くらべに臨んだお留伊は雷に打たれたように悟る。老人の悟りがお留伊の悟りとして花開く。私が知るどの仏典の譬(たと)え話よりもストレートに心を打った。小説を作り話だと侮ってはならない。現実社会も小説も脳が生み出すのだから。我々に求められるのは本書を読んだ後でどのような言葉を紡(つむ)ぎ出すのかということに尽きる。