2021-04-09
自閉症の子どもは「低脂血症」 福井大学などの研究チームが発見
発達障害の一つ、自閉症の子どもは血液中の脂質の濃度が低い「低脂血症」であることを福井大学などの研究チームが発見した。福井大子どものこころの発達研究センターの松崎秀夫教授(54)が8月7日、福井県永平寺町の同大松岡キャンパスで記者会見し発表した。研究論文は7月末、英医学誌イーバイオメディシン電子版に掲載された。
松崎教授は、脂質の濃度だけで幼少時に自閉症かどうか見分けることはできないとしながらも「治療に貢献できる要因になる可能性がある」と強調した。
自閉症は発症のメカニズムが分かっておらず、治療薬もないのが現状。乳幼児の自閉症かどうかの診断は難しいという。
松崎教授は2005年から、診断指標を見つけようと研究を始めた。世界の研究結果などを踏まえ、血液中の脂質に着目。2~19歳の自閉症児と健常児計280人の脂質濃度などを調べた。
その結果、健常児は脂質を包んでいる粒子の濃度が、血液1デシリットル当たり約45ミリグラムなのに対し、自閉症児は約32ミリグラムと3分の2程度しかなかった。また、粒子が壊れることで低脂血症になることが分かった。
粒子がなぜ壊れるのかは今後解明が必要だが、松崎教授は「仕組みが分かれば、客観的な診断指標のほか、治療薬開発など治療法の確立が期待できる」と話した。
【自閉症の子どもは「低脂血症」 福井大学などの研究チームが発見 | 医療 | 福井のニュース | 福井新聞ONLINE 2020年8月8日 午前7時10分】
2019-02-17
腸内細菌で自閉症の症状を緩和することができる/『できない脳ほど自信過剰 パテカトルの万脳薬』池谷裕二
・『進化しすぎた脳 中高生と語る〔大脳生理学〕の最前線』池谷裕二
・『脳はなにかと言い訳する 人は幸せになるようにできていた!?』池谷裕二
・『脳はなにげに不公平 パテカトルの万脳薬』池谷裕二
・腸内細菌で自閉症の症状を緩和することができる
・『脳はバカ、腸はかしこい』藤田紘一郎
腸内細菌で自閉症の症状を緩和することができる――。そんなネズミの実験データが発表されました。カリフォルニア工科大学のマツマニアン博士らが先々月の「セル」誌に発表した論文です。
腸と脳は密接に関係しています。腸内細菌も精神状態に影響を与えることはすでに知られています。しかし、自閉スペクトラム症(ASD)はいわゆる発達障害の一種です。つまり生まれつきの症状です。これが腸内細菌で治療できるとはどういうことでしょうか。今回の発見を私なりに消化するまでに時間を要しました。
発見の端緒は「合併症」の丹念な調査にあります。2年前にハーバード大学のコハネ博士らは1万4000人のASDの方を集め、彼らが他にどんな病気を患っているかを調べたのです。すると炎症性腸疾患という慢性の腸炎を併発している率が高いことがわかりました。腸炎の原因は十分にはわかっていませんが、一因は腸内細菌であろうと考えられています。
この発見に、近年のミクロビオーム研究が加担します。最新の検査技術を用いると、大量の腸内細菌を一斉に調べ上げることができます。腸内にどんな細菌が住んでいるか(ミクロビオーム)が一網打尽にわかります。その結果、ASDの方のミクロビオームは健常者のものとは異なっていました。
もちろん、これだけでは、ミクロビオームが原因でASDになったのか、あるいは逆に、ASDの方に偏食があるからミクロビオームが変化しているのかはわかりません。ヒトでこれを確かめるわけにはゆきません。そこでマツマニアン博士らは、ネズミの実験に切り替えることにしました。その結果、ミクロビオームこそがASDの症状の一因だという結論を得たのです。もう少し詳しく説明しましょう。
ASDの原因の一つは感染です。生まれる前、まだ母親の胎内にいるときに感染すると、ASDの危険率がぐんと上昇します。その証拠に、妊娠中の母ネズミに感染炎症を生じさせると、生まれてきた仔はヒトのASDにそっくりな症状を示します。社交的な行動が減っているだけでなく、なんとミクロビオームまで変化しているのです。
そこで博士らは、大腸炎を改善することが知られている「バクテロイデスフラジリス」という細菌を、生まれてきたばかりの仔マウスに与えました。するとマクロビオームが改善され、驚くべきことに、成長してもASDの症状を示さなかったのです。
炎症性腸疾患は、ASDだけでなく、うつ病やある種の知的障害などにも見られる症状です。今回のデータは、これまで対処が難しかった精神疾患や発達障害への治療の糸口になるかもしれません。
【『できない脳ほど自信過剰 パテカトルの万脳薬』池谷裕二〈いけがや・ゆうじ〉(朝日新聞出版、2017年)】
『週刊朝日』に連載された科学コラム「パテカトルの万脳薬」の2013年9月6日号~2014年12月26日号掲載分で、『脳はなにげに不公平 パテカトルの万脳薬』の続篇。
「瓢箪から駒が出る」とはこのことか。「ランプから魔神」でもよい。
我々の思考はどうしても特定の部位に目を向けてしまう。脳、血管、神経、臓器など。腸内細菌は口から入ったもので作られる。お腹の中の赤ちゃんは無菌状態である。帝王切開の出産が問題なのは産道を通る時に口から入る母体の菌を取り入れることができないためだ。
私が子供の時分は菌といえばバイ菌を意味したが、ヨーグルトでお馴染みのビフィズス菌が善玉菌として菌のイメージを書き換えた。人体の細胞は60兆個といわれる(最新の説では37兆個→気になる数字をチェック! 第9回 『37,000,000,000,000(37兆)個』|北キャンレポート|R&BPマガジン|北大リサーチ&ビジネスパーク推進協議会/同数説もあり→「体内細菌は細胞数の10倍」はウソだった | ナショナルジオグラフィック日本版サイト)。しかし実はそれを上回る数の細菌が人体を構成している。
「私」という存在を固定化し確定したものと考えるところに思考の過ちがあるのだろう。もっと淡くて曖昧な状態・現象が統合されて「私」という仮想が現実の姿に見えているだけなのだ。これを諸法無我という。
精神疾患や知的障碍は人体のみならず家族や社会との関係にも大きな影響を及ぼす。悩みや苦しみが関係性から生じ、喜びや楽しみもまた関係性から生じる。今ここにあるのは関係性だけなのかもしれない。
できない脳ほど自信過剰
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池谷 裕二
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2018-09-27
身体感覚の喪失体験/『自閉症の子どもたち 心は本当に閉ざされているのか』酒木保
・自閉症児を「わかる」努力
・自閉症は「間(あいだ)の病」
・人の批判は自己紹介だ
・身体感覚の喪失体験
・『生命の大陸 生と死の文学的考察』小林勝
・『心からのごめんなさいへ 一人ひとりの個性に合わせた教育を導入した少年院の挑戦』品川裕香
・『夜中に犬に起こった奇妙な事件』マーク・ハッドン
・『くらやみの速さはどれくらい』エリザベス・ムーン
・『累犯障害者 獄の中の不条理』山本譲司
・『自閉症裁判 レッサーパンダ帽男の「罪と罰」』佐藤幹夫
・『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳
・『生ける屍の結末 「黒子のバスケ」脅迫事件の全真相』渡邊博史
・虐待と知的障害&発達障害に関する書籍
「私は混沌とした融合しそうな世界から、私を私自身として浮かび上がらそうとした。しかし、それは徒労であった。一瞬気力が失せた時、私は世界に融合した。あたかも流れてとけ込むようであった。世界にとけ込みながら私は発病したと思った。私はどうなるのだろうか。私と密な関係にあるみんなに、何も残せないままで消える。私はうつろいでいて、やがて、無になった。そして無であることすらも消えてしまった。
無限なのか瞬時なのか、時の流れが感じられない。そこに消えていた私が、私というものになって点のように生まれてきた。私というものが流れに添(ママ)ってモコモコと肥大化してきた。私というものができ上がったようである。私があるのは分かるのだが、私がいるのが分からない。私は私の所在を突き止めようと、必死にもがいた。
私がどこにも位置しないで、暗黒の中で浮遊し漂っていた。意識だけがあり、その意識が不安定というものでつくられていた。不安定であるというその意識は鮮明であった。鮮明であるがゆえに、とどまることのできる位置を必要としていた。
私は遊離していた。暗黒に浮かんでいるようであった。不安とか恐怖とは異なる、ネガティブな感情が生まれてきた。やがて私とネガティブな感情とが分離した。分離してもそれはいずれもが私であった。私は細分化していくのであった……。
私の体が椅子のようなものに座っていた。座っているというよりも置かれているようであった。重いという感じだけが何とか伝わってきた。体がまったく力の入らない状態で、椅子にボッテリとへばりついていた。そこでは再び考えることができた。私はどうなったのだろう。私は死ぬのだろうか。そうだ、私は死につつあるのだ……これは確信であった。ここで少し記憶を辿ることができた。時間を意識することがわずかだができたのだ。私には妻も子どももいるのだ。いいのだろうか、私、30歳、そう私は30歳なのだ、これからなのに、これからなのに、これからなのに……。
私は私の全体の輪郭を感じとることができた。それは感覚の輪郭であった。薄ぼんやりと外の世界が、私に伝わってきた。そこでは世界が断片化されていた。断片のひとつひとつが、見え隠れしていた。やがてすべての断片が寄り集まって、それが一枚の大きな世界になった。紙をクシャクシャにしたようなものが動いた。そいつが私に覆いかぶさってくるようだ。そいつは人らしかった。平面的ではるが、2カ所が大きくへこんでいた。
何かが私の中に入ってきた。それは声だった。私はうつろであった。世界にものがぽつぽつ浮かんできた。それらは平坦な世界から、浮かび上がってきて、三次元の形状を持つのであった。人の顔の輪郭がはっきりしてきた。左手に強い痛みを感じた。点滴の針があらぬところに刺さっていた。私ははっきりと背中を感じた。それはまぎれもない私の背中であった。
私に覆いかぶさっていたのは私の友人だった。大きくへこんでいた2カ所は彼の目と口であった。〈気がつきましたか〉と友人が声をかけてくれた。ようやく麻酔からさめることができたのだ。とてつもなく長い苦痛であった。夢なのか、思考なのか、幻覚なのか、幻想なのか区別がまったくつかなかった」
これは、手術を受けた患者が、麻酔から醒めた時の様子を語ってくれたものです。
【『自閉症の子どもたち 心は本当に閉ざされているのか』酒木保〈さかき・たもつ〉(PHP新書、2001年)】
リツイートされて思い出した一冊。こうした抜き書きが数千もあり、画像保存したページは数万にも及ぶ。増え続ける情報がもはや自分の処理能力をはるかに超えている。縁に触れて時に応じて引き出してゆく他ない。
存在とは空間と時間における目方であることがよくわかる。患者の言葉は期せずして生誕と死滅の様相を描き出す。それがまるで宇宙創生のようにすら思える。ヒンドゥー教では創造神ブラフマーの眠りと覚醒の周期が宇宙の生成と消滅を示していると考えられた。
発想を少し変えてみよう。認知症や狂気を我々が恐れるのは「自我の部分的な死」を意味するためだ。渡辺哲夫は狂気から生と死を浮かび上がらせた(『死と狂気 死者の発見』1991年)。
ルールや常識が生の躍動を抑制する。阻害といってもよい。現代人は獣性を抑えることで野性をも失ったのだろう。スポーツに魅了されるのはそこに野性の輝きが横溢(おういつ)しているからだ。狂気は解き放たれた右脳の野性である。特に統合失調症の言動は二分心(『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ、2005年)時代の人間を髣髴(ほうふつ)とさせる。
探し続けた関連テキストを今やっと見つけた。小一時間ほどを要した。疲れ切ったので次回紹介する。
自閉症の子どもたち―心は本当に閉ざされているのか (PHP新書)
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酒木 保
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