・映画『子宮に沈める』
・『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳
・『生ける屍の結末 「黒子のバスケ」脅迫事件の全真相』渡邊博史
これは、誰もが目にすることがなかった光景だ。大阪二児遺棄事件の母親も、その周囲にいる人も、誰も。
その密室の中にいたのは、餓死した2人の子供だけだった。その中で何があったのかを知ることは、もはや誰もできない。科学捜査で一部、推測できることはあるのかもしれないが、我々が知りたいことの多くには、たどり着けない。
緒方監督は、フィクションという想像力でそれを「見よう」とした。生き残った母親や、その周囲の証言をどれだけ探っても、明らかにできるのはその密室の外部にあったものだけだ。取材報道という、記者である私が置かれた立場からはどうやっても提供できない情報を、緒方監督は社会に届けようとした。
【『ニッポンの貧困 必要なのは「慈善」より「投資」』中川雅之(日経BP社、2015年)】
気骨を感じさせるルポルタージュだ。書く姿勢と書かれた文章に清々(すがすが)しさがある。人としての正しい資質は、両手に抱えた荷物の重みに耐えるバランス感覚に現れる、というのが私の持論だ。中川は自ら重いテーマを掴んだ。
早速DVDを借りた。1週間ほど見て見ぬ振りを決め込んだ。やはり気が重い。意を決してDVDプレイヤーのボタンを押した。平凡な親子の日常が描かれていた。だが私は最初から二人の幼子が餓死することを知っている。カットに工夫があった。意図的に顔を映さない。夫婦が諍(いさか)うシーンでは下半身しか見えない。その後間延びしたカットが延々と続く。母親の子供の抱き方が不自然だ。子育て経験のない女優を起用したのか? そもそもこの母子関係から育児放棄(ネグレクト)に至る必然性がまったく見えてこない。
というわけで見るのをやめた。そう。本当は怖くなっただけだ。3歳の女児が包丁で缶詰を開けようと試みるシーンなど見たくない。実際の事件で発見された子供の遺体は腐敗・白骨化が進み、一部はミイラ化していた。母親(当時23歳)には懲役30年の実刑判決が下った。
私の所感を述べよう。「こういう人間もいるのだな」以上、である。何も付け加えることはない。心理学的なアプローチをする必要もないだろう。それは「殺す物語」の正当化につながりかねないからだ。いかなる理由があろうとも許すべきではない。世界中の人々が許しても私は許さない。
昔、社会への復讐を目的に罪なき4人を射殺した男が「無知の涙」(合同出版、1971年)を流した。10代で読んだ時は感動したが、今になって考えると無知が無恥に思える。恥知らずにも程がある。そもそも「人生はやり直し可能」という大いなる誤解に基いているのだろう。人生は引き返すことができない以上、やり直せるわけがないのだ。
経済的な貧困も怖ろしいが精神の貧困はもっと恐ろしい。貧困は確実に社会を侵食する。そして親子の絆すらあっさりと断ち切ってみせるのだ。