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2021-12-13

ナポレオン率いるフランスは人口で勝った/『世界史で読み解く「天皇ブランド」』宇山卓栄


『三島由紀夫と「天皇」』小室直樹
『ゴーマニズム宣言SPECIAL 天皇論』小林よしのり
『愛国左派宣言』森口朗
茂木誠:皇統の危機を打開する方法

 ・ナポレオン率いるフランスは人口で勝った

『〔復刻版〕初等科國史』文部省

世界史の教科書
必読書リスト その四

 一方、フランスでは、上流階級とブルジョワの妥協が成立しませんでした。ブルジョワは上流階級よりも、下層階級と協調する道を選んだのです。フランス王室が残らなかった最大の理由がここにあります。
 フランスでは、イギリスと異なり、下層階級の勢力が革命後も大きな役割を果たしました。フランス革命でルイ16世が処刑されると、周辺の王国は、革命が自国に波及することを恐れて、フランスに軍事介入しようとします。イギリスのような島国には、革命後、他国の介入がありませんでしたあ、大陸国のフランスは違います。
 フランスは、自国に介入しようとするプロイセン王やオーストリア帝国の軍を排斥するために強力な陸軍を必要としました。この陸軍兵士を構成していたのが下層階級の民衆でした。戦場で命を懸けて戦う彼らは強い政治的発言を持ち、誰も彼らを軽視できませんでした。クロムウェルは革命後、容赦なく、下層階級を弾圧しましたが、こんなことはフランスでは、絶対にできないことでした。
 他国の侵攻という危機に晒されていたフランスでは、下層階級の兵士たちこそが革命国家の第一の守護者であり、その権利や主張は絶対的なものでした。こうした兵士たちに担ぎ出され、のし上がったのが軍人のナポレオンなのです。ナポレオンは下層階級の代表者です。
 ブルジョワ勢力もナポレオンら下層階級の勢力を支援しました。フランスのブルジョワにとって、下層階級と手を組むことは必然であり、その意味において、王制が存続できる余地はありませんでした。
 ナポレオン時代の19世紀初頭において、陸軍の兵士の数が戦争の勝ち負けを左右しました。19世紀後半からは兵士の数よりも、装備や兵器の質が勝ち負けの主な要因になります。ナポレオンの強さの源泉は、ヨーロッパ随一を誇るフランスの人口でした。徴兵できる兵力数が他国を圧倒していたのです。そして、フランスの強大な軍事力を支えたのが下層階級の民衆だったのです。

【『世界史で読み解く「天皇ブランド」』宇山卓栄〈うやま・たくえい〉(悟空出版、2019年)】

 日本が今後、他国から攻められた場合を想定すると、「兵士の数よりも、装備や兵器の質」を格段に上げておく必要があろう。とはいうものの、人口減少時代に戦争となるリスクを思わざるを得ない。

 高度経済成長からバブル景気に至るまで、「今さえよければいい」との姿勢が政府と国民の間に蔓延していた。「今さえよければいい」から国防の備えを怠った。「今さえよければいい」から超高齢社会や少子化社会の手を打ってこなかった。そして今尚、現状維持・現状肯定の罠から抜け出すことができない。

 次の戦争で目を醒まさなければ日本の未来はない。

2021-11-09

茂木誠:皇統の危機を打開する方法


 ・茂木誠:皇統の危機を打開する方法

『世界史で読み解く「天皇ブランド」』宇山卓栄
『〔復刻版〕初等科國史』文部省

 茂木誠が具体的な提案を行っている。なぜ皇室典範を改正して、直ちに1あるいは2を実行しないのかという主張には強い説得力がある。

2021-09-01

皇室制度を潰す「女系天皇」/『愛国左派宣言』森口朗


『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』稲垣武
『こんな日本に誰がした 戦後民主主義の代表者・大江健三郎への告発状』谷沢永一
『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人』谷沢永一
『誰が国賊か 今、「エリートの罪」を裁くとき』谷沢永一、渡部昇一
『いま沖縄で起きている大変なこと 中国による「沖縄のクリミア化」が始まる』惠隆之介
『北海道が危ない!』砂澤陣
『これでも公共放送かNHK! 君たちに受信料徴収の資格などない』小山和伸
『ちょっと待て!!自治基本条例 まだまだ危険、よく考えよう』村田春樹
『自治労の正体』森口朗
『戦後教育で失われたもの』森口朗
『日教組』森口朗
『左翼老人』森口朗
・『売国保守』森口朗

 ・社会主義国の宣伝要員となった進歩的文化人
 ・陰謀説と陰謀論の違い
 ・満州事変を「関東軍による陰謀」と洗脳する歴史教育
 ・関東軍「陰謀論」こそウソ
 ・新型コロナウイルス陰謀説
 ・皇室制度を潰す「女系天皇」

『世界史で読み解く「天皇ブランド」』宇山卓栄
『〔復刻版〕初等科國史』文部省
『知ってはいけない 金持ち悪の法則』大村大次郎

必読書リスト その四

(2)女系天皇を認めようとする政治家は皇室制度を潰す「陰謀」を企んでいる

 ご存知のように日本の皇室制度は世界に冠たる制度です。18世紀にヨーロッパで王室を守ろうとした人々が「右」、潰そうとした人々を「左」と言い出したのが、政治的「右」「左」の最初だと第1章で説明しましたが、これを21世紀の皇室制度にスライドさせると、建前では共産党以外、全て「右」ですが、「女系天皇」なるものを造ろうとしている政治家の本当の思想は全員「左」です。何故なら、皇室制度は、ヨーロッパ王室制度と異なり延々と続く男系であり、それが途絶えた時は皇室制度の終わる時だからです。
「女系天皇」なるものを造ろうとする人達は「陰謀」を企んでいると考える根拠は、次のとおりです。

・世界一長い伝統のある日本の皇室制度を妬(ねた)む外国人は多い。とりわけウソの歴史教育によって国民に反日感情をもたせ、それを権力の正当化に利用している中国共産党や北朝鮮の金一族、韓国にとって、日本の皇室制度はいち早く潰したい制度である。
・しかし、間接デモクラシーを採用する日本において、親中派や、親北朝鮮派、親韓国派が「皇室制度を潰す」と主張して国会議員に当選するのは共産党を除きほとんど不可能である。社会主義が妄想だとバレる以前には、立憲民主党の辻元清美議員は憲法を改正して皇室制度を潰せと大声で主張していたが、今ではその姿勢を隠している。
・皇室を潰す「陰謀」は、憲法改正よりも「女系天皇」なるものを創る手法の方が、成功しやすい。
・「女系天皇」に良いイメージを抱かせるために、まだお若くて今のところ彼氏がいない愛子内親王の人格を利用し「女系天皇」の現実に目を向けないように国民を騙している。
・「女系天皇」なるものができた時、最もそれに近いのは婚姻問題が生じている真子内親王と小室圭氏の子が天皇になることだ。お二人に子供ができて、天皇が「今上天皇陛下」⇒「秋篠宮」⇒「(女性天皇としての)真子内親王」⇒「(女系天皇なる)小室圭氏の子」と続く可能性が一番高い。
・小室圭氏の子供が天皇になりかねないのが「女系天皇」制度だと、多くの国民が気付けば、それだけで目が覚めて「陰謀」を見抜くが、これを推進する人達は「ヨーロッパの王室が見本だ」と言って国民を騙している。
・ヨーロッパを見本とする「女系天皇」なるものが実現すると、「小室圭氏の子」の比ではない「国民が嫌がりそうな人物」が「天皇」になれる。具体的には、内親王を口説くことに成功した中国人や韓国人、北朝鮮人、在日コリアンなど、外国人の子供である。ヨーロッパの王室では、父の国籍は問題にならず、英語を話せない人が英国王になった歴史まである。それゆえ「女系天皇」に成功すれば、皇室廃止は容易に実現できるだろう。
・男系が続いているので日本の皇室制度は、外国人から見ると「同じ王朝が続いている」と見えるが、「女系天皇」なるものが誕生すると、外国人、特に欧米人からは「王朝が変わった」と映る(戦争もしないのにヨーロッパで王朝が代わるのは女系に移る時です)。
・それゆえ、「女系天皇」に成功したら、皇室制度を廃止できなくても「世界一長い伝統のある王朝の国=日本」という外国人からの羨ましさは消える。
・日本に「女系天皇」なるモノが誕生したら、メンタル面で「巨万の富」を獲得できる国や人は世界中に存在する。

 いかがでしょう。「女系天皇」なるモノは、中国共産党、北朝鮮、韓国はもちろん、世界一長い伝統のある王朝という地位を狙っているヨーロッパ諸国の「陰謀」であり、それを推進する者達のバックにそれらの国がいる可能性も高いと思いませんか。
 新型コロナの「陰謀」が成功した2020年に、それまで愛国者ぶっていた河野太郎氏が急に「女系天皇」の話をしだしたのも、有力な状況証拠だと考えます。

【『愛国左派宣言』森口朗〈もりぐち・あきら〉(青林堂、2021年)】

 万世一系を苦々しく思っている連中は予想以上に多い。女性週刊誌の皇室スキャンダルネタはCIAが流しているという噂があるほどだ。

 先程、真子内親王の年内結婚が報じられた。皇統は日本の魂であり、アイデンティティの根幹を成すものだ。歴史的経緯からいえば天皇が先にあり、日本国の成立は後のことである。民族は血と文化から成る。例外は宗教で結びつくユダヤ人だけだ。もちろん意図的に差異を強調する必要はない。もともと我々の先祖は猿なのだから、それを思えば遺伝子の違いなどあってないようなものだ。

 問題は反日を標榜しない反日勢力が多いことで、中・韓・朝の浸透工作は政官報に及び、学術・法曹・教育は完全に牛耳られた感がある。

 現在の日本において左翼と目されるのは親中・親韓・新北朝鮮派である。その意味において与党である公明党は完全な左翼といってよい。また自民党に巣食う仮面保守を一掃する必要がある。小沢一郎を始めとする旧田中派は小泉政権で自民党を追われたが、中韓の利権を貪る自民党代議士は健在だ。

 天皇陛下の存在が世界の重石(おもし)となっている事実を日本人は知らねばならない。ローマ教皇とイギリス王室が頭を下げるのは天皇陛下だけだろう。皇統が正しく維持される限り、日本は不滅だ。

2020-12-07

明治、大正、昭和を駆け抜けたジャーナリストの悔悟/『徳富蘇峰終戦後日記 『頑蘇夢物語』』徳富蘇峰


『大本営参謀の情報戦記 情報なき国家の悲劇』堀栄三
『消えたヤルタ密約緊急電 情報士官・小野寺信の孤独な戦い』岡部伸
『日本のいちばん長い日 決定版』半藤一利
『機関銃下の首相官邸 二・二六事件から終戦まで』迫水久恒
『昭和陸軍謀略秘史』岩畔豪雄
『田中清玄自伝』田中清玄、大須賀瑞夫
『陸軍80年 明治建軍から解体まで(皇軍の崩壊 改題)』大谷敬二郎

 ・明治、大正、昭和を駆け抜けたジャーナリストの悔悟

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 ただし、日記と申しても本書は世間一般の概念による日記と異なり、昭和の大戦を中心に、わが生涯の信条と行動に関し、百年の後の人々に訴えんとして、中島司(つかさ)秘書に口述筆記させ、さらに和紙に墨書清書せしめ、百年以上の保存に堪える配慮まで行った原稿である。終戦後3日目より約2年間、毎日襲い来る三叉神経痛の痛みに堪えながら口述したことから考えれば、広い意味において終戦日記と称しても差支(さしつか)えないと思う。(「刊行にあたって」徳富敬太郎

【『徳富蘇峰終戦後日記 『頑蘇夢物語』』徳富蘇峰〈とくとみ・そほう〉(講談社、2006年/講談社学術文庫、2015年)】

 記事タイトルは迷った挙げ句に悔恨よりも悔悟を選んだ。『頑蘇夢物語』は全4冊だがIだけが文庫化されている。徳富蘇峰は時流に迎合したジャーナリストと受け止められているが、自分で著作に当たって判断するのがよろしい。私は人物と見た。好き嫌いは別にして。

 本書は、徳富蘇峰が終戦後の昭和20年8月より22年7月まで口述筆記させた日記『頑蘇夢物語』(全14巻)の1巻から5巻まで(昭和21年1月まで)の内容を小社編集部で選択、収録したものである。(凡例)

 以下は昭和20年8月18日に綴り始めた第1日目の日記である。

 率直に言えば、恐れながら至尊(しそん)に対し奉りて、御諫争(かんそう)申上げたい事も山々あった。よって一死を以(もっ)てこれを試みんと考えたことも数回あった。彼(か)れや是(こ)れやで、自殺の念は、昨年来往々往来し、実行の方法についても、彼れや是れやと考えて見た。老人のこと(ママ)だから、間違って死損なっては、大恥を掻(か)く事となる。さりとて首を縊(くく)るとか、毒を嚥(の)むとか、鉄道往生とか、海へ飛込むとかいう事は、物笑いの種である。せめて立派な介錯の漢(おとこ)が欲しいと思って、物色したが、遂に心当りの者も見当らず、彼れ是れ思案しているうちに、また考え直した。それは命が惜しい事でもなければ、死が恐わい事でもない。この際死んだとて、それを諫争の為めと受け取る者もなければ、抗議と受け取る者もなく、勿論(もちろん)反省を促すと受け取る者はあるまい。ある者は徳富老人が前非を悔悟して、その罪を謝せんが為めに、自殺したのであろう、あるいはその必勝論が必敗の事実に対し申訳なく、慚愧(ざんき)の余り、自殺したのであろう。あるいはアメリカに、戦争犯罪人として引っ張らるることを憂慮の余り、気が狂うて自殺したのであろう。その他【ろく】でもない、思いもよらぬ沙語(さご)流言の材料を、世の軽薄子に向かって、提供するの外はあるまいと考え、今ではこの際は恥を忍び恥を裏(つつ)み、自分の意見を書き遺(のこ)して、天下後世の公論を俟(ま)つこととしようと考え、ここに自殺の念を翻えしたのは、沖縄陥落後余り久しき後ではなかった。

 蘇峰は1863年3月14日(文久3年1月25日)生まれだから私とちょうど100歳違いだ。終戦時は82歳である。今日読み終えた『海舟語録』にも3~4箇所で徳富の名が出てくる(Kindle版で『私の出会った勝海舟 「食えない親爺」の肖像 現代語訳徳富蘇峰の明治』徳富猪一郎:幕末明治研究会訳がある)。

 読みながら「三島由紀夫に読ませたかった」との思いが沸々(ふつふつ)とわいた。徳富蘇峰は真正面から天皇を批判し、輔弼(ほひつ)を断罪している。これを後出しジャンケンと速断することは難しい。なぜなら、いつ敗戦するかがわからないためだ。蘇峰は最後の最後まで本土決戦を支持した。

 彼の人脈を思えば一介のジャーナリストと同列に論じることはできない。政治家や将校からも様々な情報は入っていたことだろう。ただしそれで戦争全体を見渡せたとは到底思えぬ日本の現状ではあったが。

 例えば徳富蘇峰が堀栄三や小野寺信〈おのでら・まこと〉とつながっていれば日本の事態が変わった可能性はある。大事な人と人とがつながらないところにこの国の不幸があった。

2020-11-26

天皇機関説の排撃は天皇をロボット化する目的で行われた/『機関銃下の首相官邸 二・二六事件から終戦まで』迫水久恒


『大本営参謀の情報戦記 情報なき国家の悲劇』堀栄三
『消えたヤルタ密約緊急電 情報士官・小野寺信の孤独な戦い』岡部伸
『二・二六帝都兵乱 軍事的視点から全面的に見直す』藤井非三四
『日本のいちばん長い日 決定版』半藤一利

 ・天皇機関説の排撃は天皇をロボット化する目的で行われた

『昭和陸軍謀略秘史』岩畔豪雄
『田中清玄自伝』田中清玄、大須賀瑞夫
『陸軍80年 明治建軍から解体まで(皇軍の崩壊 改題)』大谷敬二郎
『軍閥 二・二六事件から敗戦まで』大谷敬二郎
『徳富蘇峰終戦後日記 『頑蘇夢物語』』徳富蘇峰
『絢爛たる醜聞 岸信介伝』工藤美代子

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 永田町の首相官邸は、できてから今日まで二度、日本軍の機関銃によって撃たれている。二・二六事件のときと終戦のときとである。そしてまた今上陛下の御代になってから、陛下の積極的なご意思の表明によって、国の方針がきまったことも二度しかない。それがまた、二・二六事件のときと終戦のときとである。前のときは、蜂起した部隊をどう扱うか、軍首脳部がきめかねていたとき、陛下が叛乱軍として鎮圧すべき旨をお示しになり、あとのときは、終戦の御聖断をお下しになったのである。どちらの場合も軍のあやまりを最後の段階で陛下がお正しになった事蹟である。運命はこの両度とも私を首相官邸の中におき、前のときは、内閣総理大臣の秘書官として岳父岡田首相の救出に骨身をけずり、あとのときは、内閣書記官長として、鈴木総理をお助けすることに心魂をこめた。

【『機関銃下の首相官邸 二・二六事件から終戦まで』迫水久恒〈さこみず・ひさつね〉(恒文社、1964年新版、1986年/ちくま学芸文庫、2011年)以下同】

 かような本を読み落としているのは、まだまだ読書量が足りない証拠だろう。まず文章がいい。革新官僚の優れたバランス感覚が窺える。事件の渦中にあった人物が描く生々しさや迫力は劇的ですらある。私は文庫版の表紙を映画化された俳優の写真だと思い込んでいたのだが迫水本人の横顔だ。

 迫水久常(1902-77年)は大蔵官僚から戦後に政治家となった人物で、昭和天皇による終戦の詔書(玉音放送の原稿)を起草したことで知られる。「大まかな内容は内閣書記官長・迫水久常が作成し、8月9日以降に漢学者・川田瑞穂(内閣嘱託)が起草、さらに14日に安岡正篤(大東亜省顧問)が刪修して完成し、同日の内に天皇の裁可があった」(Wikipedia)。

 本書に安岡正篤〈やすおか・まさひろ〉の名前が出てきて驚いた。政財界に強い影響力を持った人物で、細木数子と結婚トラブルがあった男ぐらいの知識しかなかったためだ。

 人生にとっても民族にとっても、結局毎日毎日の積み重ねであって、今日は昨日の影響下にあり、明日は今日の影響なしには考えられない。いまの日本国民は、父祖時代の日本国民をはなれては考えられない。父祖がどんな道を歩んできたかを知ることは、すなわち、自分が現在いる位置をはっきりさせる所以である。ある人は終戦によって日本に革命がおきたのだ、古い日本はそこで終り、古い日本とは無縁の新しい日本が始まったのだという。しかし、私は、そうは思わない。

 革新官僚といえば企画院事件(1939-41年)でも明らかなように左翼の浸透が進んでいたが、迫水は古き伝統を否定する唯物史観の持ち主ではないことがわかる。

 天皇機関説の排撃とは、美濃部達吉博士等憲法学者の通説たる「天皇は国家の最高の機関なり」とする学説が、我が国の国体に反するから、これを学界から一掃すべしという主張である。要するに、民主主義的な政治を排して、天皇を表面に立てて独裁の政治体制を実現せんとする意図の下に、国体という当時なんぴとも抵抗しえない観念を利用して主張されたものである。この議論に対して、天皇陛下ご自身が、自分は帝国憲法にしたがって国を統治する者であって、自分自身が国家であるとは考えていない、天皇が国家最高の機関だという説は決してまちがっていないと何回も岡田首相に仰せられたことは、私は直接首相からきいたことである。しかし、当時の軍部は、表面は国体を看板にして、実質は天皇をロボット化して、軍部独裁の政治を実現しようとするものであるから、この運動に対しては積極的に支援した。しかも驚くべきことには、政友会の首脳部も政争の具としてこれをとり上げ、帝国議会において執拗に内閣を追求した。内閣もついに、天皇機関説を否認するような声明を発して妥協したのであった。

 正論である。明治大帝の血を引く竹田恒泰も天皇機関説を支持している。「これを日本に当てはめると日本国家は法律上ひとつの法人であり、天皇は国家の機関のひとつとなる」(2018.2.22 虎ノ門ニュース)。

 だが迫水の記述は部分観であって、大正デモクラシーにおける行き過ぎた政党政治の混乱を無視している。一冊の書物は限られた情報であることを弁え、検証を怠れば木を見て森を見ずに陥る危険を常に自覚する必要があろう。



「革新官僚」とは/『絢爛たる醜聞 岸信介伝』工藤美代子

2020-09-19

二・二六事件を貫く空の論理/『三島由紀夫と「天皇」』小室直樹


『二・二六帝都兵乱 軍事的視点から全面的に見直す』藤井非三四
『自衛隊「影の部隊」 三島由紀夫を殺した真実の告白』山本舜勝
『昭和45年11月25日 三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃』中川右介
『あなたも息子に殺される 教育荒廃の真因を初めて究明』小室直樹

 ・日本人の致命的な曖昧さ
 ・二・二六事件の矛盾
 ・二・二六事件を貫く空の論理

『世界史で読み解く「天皇ブランド」』宇山卓栄
『〔復刻版〕初等科國史』文部省

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

  二・二六事件を貫いているのは、ギリシア以来の論理ではなく、まさしく、この空(くう)の論理である。
 決起軍は反乱軍である。ゆえに、政府の転覆を図った。それと同時に、決起軍は反乱軍ではない。ゆえに、政府軍の指揮下に入った。
 決起軍は反乱軍であると同時に反乱軍ではない。ゆえに討伐軍に対峙しつつ正式に討伐軍から糧食などの支給をうける。
 決起軍は反乱軍でもなく、反乱軍でないのでもない。ゆえに、天皇の為に尽くせば尽くすほど天皇の怒りを買うというパラドックスのために自壊した。
 二・二六事件における何とも説明不可能なことは、すべて右の空(くう)の「論理」であますところなく説明される。

【『三島由紀夫と「天皇」』小室直樹(天山文庫、1990年/毎日コミュニケーションズ、1985年『三島由紀夫が復活する』に加筆し、改題・文庫化/毎日ワンズ、2019年)以下同】

 面白い結論だが衒学的に過ぎる。三島の遺作となった『豊饒の海』から逆算すればかような結果が導かれるのだろう。だが仏教の「空」を持ち出してしまえば、それこそ全てが「空」となってしまう。

 青年将校の蹶起(けっき)に対して上官は理解を示した。4年前に起きた五・一五事件では国民が喝采をあげた。ここに感情の共有を見て取れる。例えるならば腹を空かせた子供が泣きながら親に抗議をするような姿ではなかったか。その子供が天皇の赤子(せきし)であり、親が天皇であるところに問題の複雑さがあった。当時の閣僚は言ってみれば天皇が任命した家宰(かさい)である。怒りの矛先が天皇に向かえば革命となってしまう。それゆえ青年将校の凶刃は閣僚に振り下ろされた。

 唯識論によれば、すべては識のあらわれであり、その根底にあるのが阿頼耶(アーラヤ)識
 しかし、もし、識(しき)などという実体が存在するなどと考えたら、これは仏教ではない。
 識(しき)もまた空(くう)であり、相依(そうい/相互関係)のなかにあり、刹那(せつな)に生じ、刹那に滅する。確固不動の識などありえないのだ。ゆえに、識のあらわれたる外界(肉体、社会、自然)もまた諸行無常なのだ。
 二・二六事件の経過もまた、諸行無常そのものであった。
 決行部隊のリーダーたる青年将校たちの運命たるやまるで、平家物語の現代版である。
 名もなき青年将校が、一夜あければ日本の運命をにぎり、将軍たちはおびえて彼らの頤使(いし)にあまんずる。昭和維新も目前かと思いきや、あえなく没落。法廷闘争も空しく銃殺されてゆく。この間の世の動き、心の悩み、何生(なんしょう)も数日で生きた感がしたはずだ。
 将軍たちの無定見、うろたえぶり、変わり身の早さ、海の波にもよく似たり。
 この間、巨巌のごとく不動であったのは天皇だけであった。
 天皇という巨巌にくだけて散った波。これが三島理論による二・二六事件の分析である。

 小室の正確な仏教知識に舌を巻く。天台・日蓮系では九識を立て、真言系では十識を設けるが実存にとらわれた過ちである。識とは鏡に映る像と考えればよい。鏡の向きは自分の興味や関心でクルクルと動く。何をどう見るかは欲望や業(ごう)で決まる。しかも自分では鏡と思い込んでいるのだが実体は水面(みなも)で、死をもって水は雲のように散り霧の如く消え去る。像や鏡の存在が確かなものであることを追求したのが西洋哲学だ。神が存在すると考える彼らは実存の罠に陥ってしまう。

 一神教(アブラハムの宗教)が死後の天国を信じるのと、バラモン教が輪廻する主体(アートマン)を設定するのは同じ発想に基づいている。ブッダは輪廻そのものを苦と捉えて解脱の道を開いた。諸法無我とは存在の解体である。「ある」という錯覚が妄想を生んで物語を形成する。人類は認知革命によって虚構を語り信じる能力を身につけた(『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ)。

 人は物語を生きる動物である(物語の本質~青木勇気『「物語」とは何であるか』への応答)。合理性も感情も物語を彩る要素でしかない。我々が人生に求めるものは納得と感動である。異なる物語がぶつかると争いが起こる。国家や文化の違いが戦争へ向かい、敵を殺害することが正義となる。

 昭和維新は国家の物語と国民の物語が衝突した結果であったのだろう。しかし日本国にあって天皇という重石(おもし)が動くことはなかった。終戦の決断をしたのも天皇であり、戦後の日本人に希望を与えたのも天皇であった。戦争とは無縁な時代が長く続き、天皇陛下の存在は淡い霧のように見えなくなった。明治維新によって尊皇の精神から生まれた新生日本は、いつしか「無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国」(「果たし得てゐいない約束――私の中の二十五年」三島由紀夫)となっていた。

 畏(おそ)れ多いことではあるが日本の天皇は極めて優れた統治システムである。西洋の王や教皇は権力をほしいままにして戦争を繰り返した。天皇に権威はあるが権力はない。王政や共和政だと国家が亡ぶことも珍しくない。日本が世界最古の国家であるのは天皇が御座(おわ)しますゆえである。日本の左翼が誤ったのは天皇制打倒を掲げたことに尽きる。尊皇社会民主主義に舵を切ればそれ相応の支持を集めることができるだろう。

 最後に一言。天皇陛下が靖国参拝を控えた理由は「A旧戦犯の合祀に不快感を示された」ためと2006年に報じられたが(天皇の親拝問題)、二・二六事件での御聖断を思えばそれはあり得ないだろう。



誰のための靖国参拝

2020-09-16

二・二六事件の矛盾/『三島由紀夫と「天皇」』小室直樹


『二・二六帝都兵乱 軍事的視点から全面的に見直す』藤井非三四
『自衛隊「影の部隊」 三島由紀夫を殺した真実の告白』山本舜勝
『昭和45年11月25日 三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃』中川右介
『あなたも息子に殺される 教育荒廃の真因を初めて究明』小室直樹

 ・日本人の致命的な曖昧さ
 ・二・二六事件の矛盾
 ・二・二六事件を貫く空の論理

『世界史で読み解く「天皇ブランド」』宇山卓栄
『〔復刻版〕初等科國史』文部省

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 決行部隊の主張(Cause)は、かくのごとくもおそろしい矛盾(ジレンマ)を内包している。
 あるいは、このジレンマには、はじから目をつぶって、天皇を傀儡(かいらい/あやつり人形)化し、ただ唯々諾々(いいだくだく)、彼らの違憲に盲従させるとでも考えていたのか。
 彼らの旗印(はたじるし)のひとつは、天下も知るごとく、天皇親政である。
 では質問す。彼らが主張する「天皇親政」とは天皇を彼らのロボットとして自由にあやつって勝手気ままなことをなすことであったのか。
 これこそまさに、彼らが攻撃してやまない奸臣の所為ではないか。いや、それ以上だ。二・二六事件、五・一五事件の青年将校たちが、軍官のトップや財閥を奸臣ときめつけ殺そうとする理由は、これらの「奸臣」が天皇と国民のあいだに立ちはだかって国政を壟断(ろうだん)しているとみたからである。
 しかるに、決行部隊のリーダーたる青年将校の思想と行動は、右にみたごとく、畢竟(ひっきょう)、天皇のロボット化にゆきつかざるをえないことになる。
 この根本問題について、誰も本気になって考えてみない。いや、意識にすらのぼらなかったと言ったほうがいいだろう。
 かれ(ママ)ら青年将校の「尊皇」は、結局、「大逆」にゆきつき、「天皇親政」は、「天皇のロボット化」にゆきつく。
 青年将校たちは、こんなこと、夢にも思ってはいなかっただろう。
 しかし、気の毒千万ながら、かれら青年将校たちが、生命をすてて、ただ誠心誠意行動すればするほど、そのゆきつく果ては、こういうことになってしまうのである。
 では、なぜ、そんなことになってしまうのか。
 これを説明しうるのは、三島哲学をおいてほかにない。

【『三島由紀夫と「天皇」』小室直樹(天山文庫、1990年/毎日コミュニケーションズ、1985年『三島由紀夫が復活する』に加筆し、改題・文庫化/毎日ワンズ、2019年)】

 二・二六事件で気を吐いた将校は石原莞爾〈いしわら・かんじ〉ただ一人であった。現場に駆けつけるや否や誰何(すいか)してきた兵士を怒鳴りつけている。そして蹶起(けっき)将校に同調していた荒木貞夫大将と真崎甚三郎大将を「こんなバカ大将がおって、勝手なまねをするもんだから、こんなことになるんです」罵倒した。

 事件後、帝国ホテルのロビーで三者会談が行われた。橋本欣五郎大佐、石原莞爾大佐、満井佐吉中佐の顔ぶれで、彼らは次の首相を誰にするかを相談した。橋本は建川美次〈たてかわ・よしつぐ〉中将、石原は東久邇宮、満井は真崎甚三郎大将を推した。利害絡みの思惑が一致することはなかった。

 青年将校を衝き動かしたのは止むに止まれぬ感情であった。論理は後付で北一輝が補強した。貧困は悲惨だ。人々から人間性を剥(は)ぎ取り獣性に追いやる。義侠心は暴力の温床となりやすい。不幸を目の当たりにすればムラムラと怒りが湧いてくるのは人間性の発露といってよい。

 小室は論理の陥穽(かんせい)を突く。義憤は視野を狭(せば)める。目的が暴力を正当化し、怒りはテロ行為へと飛躍する。天皇親政を目指した彼らの行為は共産革命そのものだった。

 そしてまた石原らの密謀は憲法に謳われた天皇の任免権を犯すものだった。小室の筆は矛盾を刺し貫く。昭和初期は天皇陛下を仰ぎながらも一方で神輿(みこし)のように上げ下げしようとした時代であった。

2020-09-11

日本人の致命的な曖昧さ/『三島由紀夫と「天皇」』小室直樹


『二・二六帝都兵乱 軍事的視点から全面的に見直す』藤井非三四
『自衛隊「影の部隊」 三島由紀夫を殺した真実の告白』山本舜勝
『昭和45年11月25日 三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃』中川右介
『あなたも息子に殺される 教育荒廃の真因を初めて究明』小室直樹

 ・日本人の致命的な曖昧さ
 ・二・二六事件の矛盾
 ・二・二六事件を貫く空の論理

『世界史で読み解く「天皇ブランド」』宇山卓栄
『〔復刻版〕初等科國史』文部省

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 そもそも(※二・二六事件の)決行部隊と正規軍との関係はいかなるものであったろうか。
 名前こそ“決行部隊”などとはいっても、勝手に軍隊を動かして、政府高官を殺し、首都の要衝を占領しているのである。いま仮に正当性の問題をしばらく措(お)いても、決行部隊は、反乱軍か、さもなくんば、革命軍(「維新軍」といってもよい)である。正規軍(政府軍)とは敵味方の関係である。生命がけで戦って、決行部隊が負ければ反乱軍として討伐され、勝てば、革命軍として新しい政府をつくる。
 これ以外の論理は、全くありえない。
 日本でも外国でも、これ以外の論理は、あったためしがない。その、ありうるはずのないことが、昭和11年2月26日の夜に起きた。(中略)
 決行部隊は、正規軍たる歩兵第三連隊長たる渋谷大佐の指揮下に入って、なんと、警備隊にくみこまれたのであった。
 想像を絶する出来ごとである。
 クロムウェルの鉄騎兵が、チャールズ二世の麾下(きか)に加わり、ロンドンを警備するようなものではないか。政府を潰滅(かいめつ)させ、東京を占領した決行部隊が、【政府】軍の指揮下に入って、自分たちが軍事占領している東京の警備にあたるというのである。

【『三島由紀夫と「天皇」』小室直樹(天山文庫、1990年/毎日コミュニケーションズ、1985年『三島由紀夫が復活する』に加筆し、改題・文庫化/毎日ワンズ、2019年)以下同】

 二・二六事件を三島理論で読み解くという意欲的な試みである。宗教に造詣の深い小室ならではの着眼で、唯識を通した現象論を展開している。

 世界恐慌(1929年/昭和4年)は既に関東大震災(1923年/大正12年)、昭和金融恐慌(1927年/昭和2年)で弱体化していた日本経済に深刻な打撃を与えた。東北地方は1931-35年(昭和6-10年)にかけて冷害で大凶作となった。1933年(昭和8年)には昭和三陸地震で岩手県を中心に30メートル近い津波に襲われた。

 そのため恐慌時に打撃を受けていた農家経済はさらに悪化し、木の実や草の根を食糧とせざるをえない家庭や、身売りする娘、欠食児童の数が急増した。芸妓(げいぎ)、娼妓(しょうぎ)、酌婦、女給になった娘たちの数は、33年末から1か年の間に、東北六県で1万6000余名に達している。

小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)

二・二六事件と共産主義の親和性/『大東亜戦争とスターリンの謀略 戦争と共産主義』三田村武夫
『親なるもの 断崖』曽根富美子

 東北出身の兵士はじっとしていることができなかった。自分の姉や妹が芸者として売られているのである。戦時中の慰安婦は職業であったが、当時の性産業は奴隷のような扱いをしていたと考えて差し支えない。避妊すらまともに行われていなかった。

 格差が革命の導火線となることは必定である。そもそも動物の群れを支えているのは平等原則なのだ(チンパンジーの利益分配/『共感の時代へ 動物行動学が教えてくれること』フランス・ドゥ・ヴァール)。第一次世界大戦に敗れたドイツをいじめ過ぎてヒトラーが登場したのは歴史の必然と言ってよい。

 渦中の1932年(昭和7年)に血盟団事件五・一五事件が起こる。昭和維新の激流は二・二六事件へと至るが、天皇という巌(いわお)の前に水しぶきとなって弾けた。

「警備」が必要になったというのも、もともと、決起部隊が、政府を消滅させ、東京を占領したからではないのか。かかる事態に対処するために警備が必要になったというのに、ことを起こしたご当人が、その警備役を買って出るというのだから、放火魔に火の用心をさせるようなものだ。
 もっと重大なことはこれだ。
 かくまで、ありうべからざる事態に直面して、軍首脳が、これは不思議だとは思わないことである。
 軍首脳のほとんどは、「反乱軍」をそのまま正規軍にくみ入れるなんて、そんなベラボーな、と思うかわりに、これは名案だとばかりにとびついた。いきりたっている決行部隊を正規軍の指揮下に入れれば、気もやすまって、もうあばれないだろう、というのである。
 いずれにせよ、なんでこんなベラボーといっても足りないことが起きたのか。その合法的根拠は、いったい、どこにあるのか。
 それは、戦時警備令による。
「戦時警備令」によって、決行部隊は、「合法的」に警備隊の一部に編入された。
 歩兵第三連隊長の渋谷大佐もこれを許可し、決行部隊の側でも、ヤレヤレこれで官軍になれたワイとよろこんだ。
 ここに、われわれは、「日本人の法意識」を、端的にみる思いがする。
 決行部隊は、日本政府を潰滅させ、東京を軍事力で占領した。
 これが合法的であるはずはない。決行部隊は、大日本帝国の法律を蹂躙(じゅうりん)した。これは、たいへんな日本帝国にたいする挑戦である。しかし、彼らのイデオロギーからすれば、国家の法律なんかよりも、「尊王」「討奸」の大義のほうがずっと重いのである。
 でも彼らの行為は非合法である。
 だれだってわかる。
 まして、陛下の軍隊を勝手に動かした。
 これは軍人的センスからいえば、非合法のなかでも、最大の非合法である。ほかのどんな非合法が許せても、この非合法だけは、断じて許すことはできない。大逆罪以上の大罪なのである。
 決行部隊は、すでにこの大罪をおかしている。
 これは、大日本帝国の法に対する真っ向からの挑戦である。
 欧米的センスからすると、彼らの行為は、大日本帝国そのものの否定ということにほかならない。
 いや、天皇の地位の否定とも解釈されかねない。いや、ほとんど確実に、このように解釈されることであろう。

 彼らは尊皇・討奸を掲げながら天皇に弓を引いた。二・二六事件を知った天皇は激怒した。自ら賊を討ちにゆこうとされた。青年将校らに同情的だった軍首脳は慌てふためいた。

 当時の政党政治の腐敗に対する反感から犯人の将校たちに対する助命嘆願運動が巻き起こり、将校たちへの判決は軽いものとなった。このことが二・二六事件の陸軍将校の反乱を後押ししたと言われ、二・二六事件の反乱将校たちは投降後も量刑について非常に楽観視していたことが二・二六将校の一人磯部浅一の獄中日記によって伺える。

Wikipedia

 国民の人気ほど当てにならないものはない。民草はいともたやすく風になびく。助命嘆願運動に責任があったとは思えない。時代の暗がりの中でヒーローと錯覚しただけの話だろう。

 日本人の致命的な曖昧さは今日に至っても変わることがない。例えば朝日新聞の慰安婦捏造記事だ。日本人の信頼を地に落とし、どれほど国益を毀損したか測り知れない。木村伊量〈きむら・ただかず〉社長の辞任などで到底収まる話ではない。しかも英語版では執拗に「従軍慰安婦」の記事を配信し続けたのだ。発行停止処分にするべきだった。

 また慰安婦に関して言えば、外務省の誰が「comfort woman」と訳したのか? この語訳が国際理解を得られるはずもない。翻訳した者を投獄するのが当然だろう。

 尖閣諸島問題も同様で日中国交回復(1972年)の際、田中角栄首相は日本の領土であることをはっきりと言わなかったことに端を発している。自民党の首相は内弁慶ばかりで外国へゆくと相手の顔色を窺うの常だ。

 官僚は江戸時代であれば侍である。国益を損なうようなことがあれば切腹するのが当然だという意識を持つべきだ。

 昭和維新の余韻は宮城事件(1945年終戦前日)にまでつながった。



二・二六事件前夜の正確な情況/『重光・東郷とその時代』岡崎久彦

2020-08-31

天皇陛下が歴史上初めて全国民に向けて発したメッセージが「終戦の詔勅」


「玉音」とは天皇陛下のお声のこと。我が国の歴史の中で天皇陛下が全国民に向けて玉音を発せられたのは歴史上3回しかない。(中略)一つが終戦の時の玉音放送、二度目が東北地方太平洋沖地震に関するビデオメッセージ、三度目はご譲位を表明されたメッセージ。


【玉音放送】わかりやすく解説 日本人なら知っておくべき昭和天皇による『終戦の詔勅』の意味|小名木善行(ねずさん)

2020-03-30

一神教と天皇の違い/『日本語の年輪』大野晋


・『日本語の起源』大野晋

 ・一神教と天皇の違い

『一神教の闇 アニミズムの復権』安田喜憲
・『日本語練習帳』大野晋
・『日本語で一番大事なもの』大野晋、丸谷才一

 自然のあらゆる物事が、生物と無生物とを問わず、すべて精霊を持つと思い、その精霊の働きを崇拝する。これがアニミズムであり、古代日本人の意識を特色づける一つの代表的なものである。人々は、海や、波や、沖や、山や、奥山や、坂や、道や、大きな岩や、つむじ風、雷などに霊力があると思い、その精霊や威力を恐れ、それらの前にかしこまった。その気持が「かしこし」という気持である。これが拡張されて、神に対する畏敬の念についても「かしこし」と表現したのである。
 日本人が、「自然」を人間の利用すべき一つの物としては考えず、「自然」の中のさまざまのものが持つ多くの霊力を認めて、それに対して「かしこ」まる心持を持っていたことは、「古事記」や「万葉集」の歌に、はっきり示されている。
 現代の日本人にとって最もわかりにくいのは、ヨーロッパのような、唯一の神が支配し給う世界ということであり、神々という言葉ほどわかりやすいものはない。お稲荷さんも神様で、八幡さまも神さま(ママ)で伊勢神宮も神さまである。しかも、その神たるや何の実体もなく、ただ何となく威力があり、霊力があり、人間に【たたり】をすることがあり、力を振う存在と考えられる。日本人はその不思議な霊力の前に、ただ「かしこまる」だけである。
 この「かしこし」に似た言葉に「ゆゆし」がある。これはポリネシアで使われるタブーという言葉と同じ意味を表わすものと思われる。タブーとは二つのことを指している。一つは神聖で、清められたものであり、供えられたものであり、献身されたものであるゆえに、特別なところに置かれ、人々から隔離され、そして、人間が触れないようににされたもの、つまり、触れるべからざるほどの神聖で素晴らしいものである。もう一つは、けがらわしい、あるいは汚いと考えられたがために、別の所に置かれたものを指している。例えば死骸とか、ある場合には妊娠した女、あるいは特別の時期の女など、これらは触れてはならないものという意味において、ともにタブーされる。つまり、「タブー」とは、神聖なという意味と、呪われたという意味との二つの意味を持つ、ラテン語、 sacer に対応する言葉で、フランス語の sacré もそれを受け継いでいる。だから、「ゆゆし」も、神聖だから触れてはならないとする場合と、汚れていて不吉だ、縁起が悪いから触れてはならないとする場合の二つがあった。
 例えば、「懸けまくもゆゆしきかも、言はまくもあやにかしこき」と歌った柿本人麻呂の歌がある。これは「口にかけていうのも神聖で恐れ多い、口に出していうのも慎むべきわが天皇の」という意味で、この場合、「ゆゆし」は、神聖だから触れてはならないという意味である。

【『日本語の年輪』大野晋〈おおの・すすむ〉(有紀書房、1961年/新潮文庫、1966年)】

「カミの語源が『隠れ身』であるように、ほんとうに大切な崇(あが)めるべき存在は、隠されたものの中にある(『性愛術の本 房中術と秘密のヨーガ』)。その隠れ身が「ゆゆ-・し」と結びついて「上」(かみ)と変化したのだろう。

 日本語の神は唯一神のゴッドと異なる。天皇陛下は神であるがゴッドではない。仏の旧字は佛で「人に非ず」の意である。印象としてはこちらに近い。畏れ多くも天皇陛下(※後続にも)は基本的人権を有さないのでその意味でも人(国民・市民)ではない。ラレインが語った「部族長」という表現が一番ピンとくる(『国のために死ねるか 自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動』伊藤祐靖)。

「ただ何となく威力があり、霊力があり」との一言が目から鱗(うろこ)を落とす。日本人の多くが天皇陛下を信じ仰ぐがそれは信仰ではない。赤子(せきし)である国民のために祈り(天皇は祭祀王)、私(わたくし)なき生活に対する敬意であろう。そうでありながらもいざ戦争となると日本人の紐帯(ちゅうたい)として存在をいや増し、輝きは絶頂に達した。

 日本人はそれを国体と呼んだ。天皇に対する素朴な敬意は八紘一宇(はっこういちう)の精神に押し広げられ、アジアの同胞を帝国主義の軛(くびき)から解放することを目指した。青年将校の蹶起(けっき)や陸軍の暴走は大正デモクラシーの徒花(あだばな)であったのだろう。歴史は大きくうねりながらゆっくりと進む。

「天皇制打倒」を掲げて歴史を直線的に進歩させようと試みるのが左翼である。ソ連が崩壊したことで社会主義システムの欺瞞が明らかになったわけだが、今尚コミュニズムの毒が抜けない人々が存在する。彼らはリベラルの仮面をかぶり、人権を説き、地球環境に優しい生き方を標榜する。破壊という目的を隠しながら。

2019-01-29

天皇は祭祀王/『ゴーマニズム宣言SPECIAL 天皇論』小林よしのり


『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』小林よしのり
・『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論 2』小林よしのり
・『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論 3』小林よしのり

 ・少国民世代(昭和一桁生まれ)の反動
 ・天皇は祭祀王

『戦争論争戦』小林よしのり、田原総一朗
・『ゴーマニズム宣言SPECIAL パール真論』小林よしのり
『世界史で読み解く「天皇ブランド」』宇山卓栄
『〔復刻版〕初等科國史』文部省

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 日本人はほとんど無自覚に天皇と繋がっている。

 自覚なき天皇尊崇だからこそ、日本の歴史の中でこの長きに亘って存続してきたのかもしれない。

【『ゴーマニズム宣言SPECIAL 天皇論』小林よしのり(小学館、2009年/平成29年 増補改訂版、2017年)】

「天皇陛下はエンペラーに非ず」(『国のために死ねるか 自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動』伊藤祐靖)の続きである。

 小林のペンが冴えている。ゴー宣シリーズは、まず『ゴーマニズム宣言』(全9巻)があり、『新・ゴーマニズム宣言』(全15巻)に続き、『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL』(27巻)へと続く。その他にも10冊ほど刊行されているようだ(Wikipedia)。

 天皇陛下に対する小林の変化、なかんずく自然発生的に湧いた親愛の情が共感を誘う。私自身、日本人の血のようなものを自覚したのは数年前のことだ。「自覚なき天皇尊崇」が伝統や風習の各所に通い、流れているのだろう。

 古今東西に「国王」などの世俗的君主はあまた存在する。

 そして民を虐げ私利私欲に走った王の話もまた枚挙にいとまない(ママ)。

 そのような歴史の中で滅びた王制も数多い。

 しかし日本においては、「民」が「天皇」の存在を滅ぼそうとしたことは歴史上いまだかつてない。

 それは天皇が世俗的君主と異なり、祭祀を司る存在だからである。

 公のため、民のために祈る存在であり、私利私欲とは全く無縁だからである。

 世俗の行き着くところが経済と軍事である。世俗的君主は軍事力を背景にして酷税(こくぜい)を強いる。近代までは生殺与奪も好き勝手に行われていた。こうした人間の本能を思えば天皇という存在を継続し得た歴史はある種の奇蹟といってよい。

「公」よりも「私」。

 行き着く先は、米国・中国のようなウルトラ格差社会しかない。

「公」の心が失われたところには、安定した国家は築けない。

 国の中心に、公のために祈る無私の存在、「天皇」を置くというのは、国を安定させるために人類が考えうる最も賢明な策であり、他に類を見ない偉大な英知なのである。

 しかも天皇という存在の不思議は日本建国に先駆けている事実である。日本を日本たらしめている固有性がここに極まる。国家があって天皇がいるのではなく、初めに天皇ありきで後に国家が形成されるのだ。

 天皇はエンペラー(皇帝)ではない。

 祭祀王だ!(中略)

 天皇とは「祭祀王」であり、祭祀を行なうことこそが天皇の本質である。

 エンペラーは命令権者(司令)である。天皇陛下は祭祀を司る存在であり、その祈りは風のように国民を包む。不敬を恐れず申し上げれば天皇陛下は風呂敷のように柔らかく国民をくるむ。鎖の硬さはどこにもない。こうした「妙(たえ)なる関係性」こそ日本の伝統なのだろう。

「伝統」とは、歴史の積み重ねの中から醸成される「国民の安寧のための智慧(ちえ)・バランス感覚」のことであり、時代と共に柔軟に表現を変えながらも受け継がれていく「魂・エートス」こそが肝要なのだ。

 新嘗祭(にいなめさい)や大嘗祭(だいじょうさい)は古代から行なわれてきた祭祀であり、戦国時代以来、中断していたが、江戸時代、それぞれ復興し18世紀末の光格(こうかく)天皇が本格的に再興させた。

 その皇室祭祀の伝統を「明治に創られた」と言うのは完全に誤りであり、デマである。

 進歩史観の影響は絶大で払拭することが難しい。古代~中世~近代という区分けが脳に染み込んで離れない。人類の進歩や歴史の必然といった概念を我々は無意識のうちに前提としている。マルクス史観に基づけば大東亜戦争以前の日本の歴史は暗黒でなければならない。進歩の果てに社会主義が位置するわけだから闇が深ければ深いほど好都合となる。江戸300年の歴史は長らく貶(おとし)められ、封建時代は前近代を悪し様に表現する言葉となってしまった。

 明治期に天皇を神格化したのは、憲法の基軸にキリスト教の代わりとなる絶対性を据(す)えるためだった(『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は滅亡する』小室直樹)。この基軸を欠くゆえにアジア諸国の民主政は機能しないのである。

 進歩主義の根幹にはキリスト者以外は蒙昧(もうまい)とする思想が横たわっているように思う。明治日本は文明化を欧米にアピールすべく鹿鳴館(ろうめいかん)で夜を徹して踊りまくり、伊藤を初めとする政治家たちはキリスト教に改宗までした。

 天皇陛下がおわしますればこそ日本の存在がある。これを知悉(ちしつ)するがゆえに左翼は天皇制を破壊しようと試みるのである。

2019-01-28

天皇陛下はエンペラーに非ず/『国のために死ねるか 自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動』伊藤祐靖


・『自衛隊失格 私が「特殊部隊」を去った理由』伊藤祐靖

 ・天皇陛下はエンペラーに非ず
 ・日本国憲法の異常さ

『とっさのときにすぐ護れる 女性のための護身術』伊藤祐靖
・『自衛隊最高幹部が語る令和の国防』岩田清文、武居智久、尾上定正、兼原信克 2021年
『歴史の教訓 「失敗の本質」と国家戦略』兼原信克

日本の近代史を学ぶ

「何て書いてあるの? 訳してよ」
「本気で訳すから、一日待て」
 翌日、その詔書を英語に翻訳したものを印刷し、仰々しく額に入れて渡した。読み終えた彼女は、「この時の日本の人口は、何人?」と訊いてきた。
「6000万弱かな」
「これ、本当にエンペラーが書いたものなの?」
「そうだよ。エンペラーというか、TENNOU・HEIKA」
「あぁ、HIROHITOね」
「違う。先代だ」
「すごいね、本当にすごい」
「何がすごいんだ?」
「あなたの国は、すごい」
「だから何が、すごいんだ?」
「あなたは、これは、エンペラーが書いた命令文書だと言った。でも、違うわよ」
「何を言ってんだ。これは確かにエンペラーが書いたものだ」
「でも、命令なんかしてないじゃない。願ってるだけじゃない。“こいねがう”としか言ってないわよ」
「そういう言葉を使う習慣があるんだよ」
「エンペラーは、願うんじゃなくて、命令するのよ。エンペラーが願っても、何も変わらないでしょ。願うだけで変えられるのは、部族長だけよ」
「部族長? 天皇陛下は部族長だって言うのか?」
「“こいねがう”と言ってるんだから、これを書いた人は部族長なの。これは、部族長が書いた、リクエストなのよ」
「部族長か……、願うだけで変えられるか……」
「6000万人全部が一つの部族で、それに部族長がリクエストを出すっていうのがすごい。私のところとは、規模が違う」
 あまりのショックで、私はしばらくしゃべれなかった。
 6000万人全部が一つの部族――。エンペラーではなくて部族長――。エンペラーが願っても何も変わらない――。“こいねがう”と言っているから部族長――。
 すべてが腑に落ちた。
 同時に激しい自己嫌悪を感じた。
 なぜ、ミンダナオ島の二十歳そこそこの奴から、詔書の真意と日本という国の本質を教えられてしまうんだ。日本に生まれて、日本語を母語としていて、40年以上日本で生きていたのに、なぜ、それが見えなかったのだろう。どうして、こいつは一瞬で見抜いたのだろう。“こいねがう”というたった一つの単語で、彼女は断言した。部族長であってエンペラーではないし、命令文書でもない、と。
 だが、自己嫌悪の裏側には、喜びと高ぶりもあった。この島にいることで、自分の祖国の実相が見えてくるかもしれないという予感が、正しかったのだ。(中略)
 つい最近まで国家元首が“こいねがう”ことによって、国家が動いていた。ここに私の祖国日本の本質があるように思えた。

【『国のために死ねるか 自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動』伊藤祐靖〈いとう・すけやす〉(文春新書、2016年)】

 弟子のラレインが海底60メートルで拾ったのは額入りの「国民精神作興ニ関スル詔書」であった。「関東大震災などによる社会的な混乱を鎮(しず)めるために大正天皇が発したもの」と書かれているが、社会的な混乱とは「民本主義や社会主義などの思想」を指す(小学館 日本大百科全書〈ニッポニカ〉)。

 エンペラーの語源はインペラトルで「インペリウム(命令権)を保持する者」(Wikipedia)との意。司令との訳語が実際的であるが「司」だと少し弱い。我々日本人にとって命令権者という概念を理解するのは難しい。

 ラレインは詔勅から「日本の呪術性」を見抜いた。私がいう呪術性とは合理性の埒外(らちがい)にあるものを指す。呪術性と聞いて直ちに否定する輩は合理性の奴隷で人の感情(情動)を理解していない。何歳であろうと人が人生を振り返った時に心の中を流れるのは感情だ。合理性ではない。ここに人間理解の鍵がある。

 天皇は祭祀王(さいしおう)である(『ゴーマニズム宣言SPECIAL 天皇論』小林よしのり)。神と人の間に立って祭祀を司(つかさど)り、ひたすら祈りを捧げる存在が天皇なのだ。その天皇の「願い」に国民が身を寄せるところに日本の民族性がある。もちろん明治維新が天皇を神格化した歴史的経緯は見逃せないが、代々続いてきた天皇システムを軽んじるのも誤っている。

 呪術性とは以心伝心であり阿吽(あうん)の呼吸である。民族特有の「気」といってもよい。理窟よりも意気や気魄(きはく)を重んじるのが日本のエートス(気風)であろう。

 当時は既に詔勅で世の中が動く時代ではなかった。いつの時代も自由とは過去の否定を意味する。大正デモクラシーも例外ではなかった。政党政治という大輪の花は咲いたがかつての王政復古を支えた志や武士道は廃(すた)れた。昭和に入るとその空隙(くうげき)を軍政が衝(つ)くのである。

 東日本大震災を通して天皇は再び日本の中心に据(す)わった感がある。この事態に逸(いち)早く反応したのが左翼勢力で団塊の世代を中心に日本を貶(おとし)める工作活動が激化して今日に至る。

「兵隊は国家の意思を具現化するために命を捨ててもいいと自ら志願してきた人です」(小林よしのり×伊藤祐靖 新・国防論 日本人は国のために死ねるのか 2)と伊藤は言い切る。憲法9条が自衛隊の軍事性を否定する以上、命を捨てる覚悟が強ければ強いほど不毛な結果が見えてくる。日本が普通の軍隊を持つことができないのは「守るに値する国民」がいないためだ。

2017-12-11

少国民世代(昭和一桁生まれ)の反動/『ゴーマニズム宣言SPECIAL 天皇論』小林よしのり


『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』小林よしのり
・『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論 2』小林よしのり
・『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論 3』小林よしのり

 ・少国民世代(昭和一桁生まれ)の反動
 ・天皇は祭祀王

『戦争論争戦』小林よしのり、田原総一朗
・『ゴーマニズム宣言SPECIAL パール真論』小林よしのり
『世界史で読み解く「天皇ブランド」』宇山卓栄
『〔復刻版〕初等科國史』文部省

日本の近代史を学ぶ

 ところが本土においても、戦後のマスコミや左派知識人はこう言ってきた。

 戦前の天皇は「神」として君臨していた。国民は誰もが「現人神」(あらひとがみ)と教えられ、絶対神だと思っていて、「天皇陛下」の名前が出たら直立不動だった。

 天皇の名において戦争したのだから、天皇に戦争責任がある。
 だから戦後はGHQによって「人間宣言」をさせられた。

 天皇は戦後、人間になった。(中略)

 しかしどうやら上のように言う左派知識人たちは「少国民世代」の人たちなのだと、気づいた。

「少国民」(しょうこくみん)とは、昭和16年(大東亜戦争開戦の年)に「小学校」を「国民学校」に改称したのと同時に、「学童」を改称した名称である。
 ヒトラーユーゲントで用いられた「Jungvolk」の訳語らしい。

「少国民世代」を厳密にいうならば、「国民学校に行っていた世代」つまり「大東亜戦争中に小学生だった世代」ということになる。

 田原総一朗(終戦時11歳)
 筑紫哲也(当時10歳)大江健三郎(当時10歳)
 本多勝一(当時13歳前後)
 大島渚(当時13歳)井上ひさし(当時10歳)
 石原慎太郎(当時12歳)西尾幹二(当時10歳)
 この辺が「少国民世代」である。わしの母もこの世代に入る。

 少国民世代は、戦時中は大人たちから「日本は神国だ! いざとなれば神風が吹く!」…と教えられ軍人に憧れた者が多かった。

 戦後、その同じ大人たちが豹変して、「これからは民主主義の時代です。天皇は人間です。象徴に過ぎないんです!」…と教え始めた。
 その大人たちの露骨な態度の変化を見て、国家や天皇というものに懐疑的になった者が少国民世代には多いようだ。(中略)

 実を言うと、天皇を心底「神」と思い込んでいたのは「少国民世代」だけなのだ。

【『ゴーマニズム宣言SPECIAL 天皇論』小林よしのり(小学館、2009年/平成29年 増補改訂版、2017年)】

「ゴーマニズム宣言SPECIAL」シリーズは『戦争論』で花火のように舞い上がり、『昭和天皇論』に至るまで鮮やかな色彩を空に描き、そして『新天皇論』で跡形もなく消えた。女系天皇容認を表明した『新天皇論』で小林から離れていったファンが多い。

 私が小林の漫画や著作を読んだのは最近のことで、よもやこれほどのスピードで転落するとは予想だにしなかった。元々自分自身を美化する小林の画風が好きになれなかった。甲高い声も耳障りだ。公の場で「わし」という言葉遣いも大人とは言い難い。それでも一定の敬意を抱いたのは早くから慰安婦捏造問題に取り組むなど、期せずしてオピニオンリーダーの役割を果たしてきたように思えたからだ。その姿は文字通り孤軍奮闘であった。

 一時期小林と親(ちか)しかった有本香は「先生」と小林を呼んでいた。かつてはそれほどの見識を持っていた。そして有本も小林の元から去っていった。

「昭和一桁生まれが戦争を知っていると語るのは誤りだ」という指摘は少なからず他にもある。だが「少国民世代」と名づけたのは卓抜なセンスだ。

 終戦後、「神も仏もあるものか」という言葉が人口に膾炙(かいしゃ)した。その一方で精神の空隙(くうげき)を埋めるべく雨後の筍(たけのこ)みたいに現れた新興宗教に日本人は飛びついた。これまた「反動」と言ってよい。大半の知識人が左傾化したのも同じ現象であろう。

 日本は戦争に敗れたもののまだ亡んではいなかった。だが国体を見失って経済一辺倒に走り出した時、この国は国家であることをやめたのだろう。敗戦から半世紀以上に渡って「愛国心」という言葉はタブーとされた。

 昭和一桁世代には不破哲三(昭和5年生まれ)や池田大作(昭和3年生まれ)もいる。戦後、大衆を糾合し得た共産党と創価学会のリーダーがこの世代であるのも興味深い。