・『二・二六帝都兵乱 軍事的視点から全面的に見直す』藤井非三四
・『自衛隊「影の部隊」 三島由紀夫を殺した真実の告白』山本舜勝
・『昭和45年11月25日 三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃』中川右介
・『あなたも息子に殺される 教育荒廃の真因を初めて究明』小室直樹
・日本人の致命的な曖昧さ
・二・二六事件の矛盾
・二・二六事件を貫く空の論理
・『世界史で読み解く「天皇ブランド」』宇山卓栄
・『〔復刻版〕初等科國史』文部省
・日本の近代史を学ぶ
・必読書リスト その四
二・二六事件を貫いているのは、ギリシア以来の論理ではなく、まさしく、この空(くう)の論理である。
決起軍は反乱軍である。ゆえに、政府の転覆を図った。それと同時に、決起軍は反乱軍ではない。ゆえに、政府軍の指揮下に入った。
決起軍は反乱軍であると同時に反乱軍ではない。ゆえに討伐軍に対峙しつつ正式に討伐軍から糧食などの支給をうける。
決起軍は反乱軍でもなく、反乱軍でないのでもない。ゆえに、天皇の為に尽くせば尽くすほど天皇の怒りを買うというパラドックスのために自壊した。
二・二六事件における何とも説明不可能なことは、すべて右の空(くう)の「論理」であますところなく説明される。
【『三島由紀夫と「天皇」』小室直樹(天山文庫、1990年/毎日コミュニケーションズ、1985年『三島由紀夫が復活する』に加筆し、改題・文庫化/毎日ワンズ、2019年)以下同】
面白い結論だが衒学的に過ぎる。三島の遺作となった『豊饒の海』から逆算すればかような結果が導かれるのだろう。だが仏教の「空」を持ち出してしまえば、それこそ全てが「空」となってしまう。
青年将校の蹶起(けっき)に対して上官は理解を示した。4年前に起きた五・一五事件では国民が喝采をあげた。ここに感情の共有を見て取れる。例えるならば腹を空かせた子供が泣きながら親に抗議をするような姿ではなかったか。その子供が天皇の赤子(せきし)であり、親が天皇であるところに問題の複雑さがあった。当時の閣僚は言ってみれば天皇が任命した家宰(かさい)である。怒りの矛先が天皇に向かえば革命となってしまう。それゆえ青年将校の凶刃は閣僚に振り下ろされた。
唯識論によれば、すべては識のあらわれであり、その根底にあるのが阿頼耶(アーラヤ)識。
しかし、もし、識(しき)などという実体が存在するなどと考えたら、これは仏教ではない。
識(しき)もまた空(くう)であり、相依(そうい/相互関係)のなかにあり、刹那(せつな)に生じ、刹那に滅する。確固不動の識などありえないのだ。ゆえに、識のあらわれたる外界(肉体、社会、自然)もまた諸行無常なのだ。
二・二六事件の経過もまた、諸行無常そのものであった。
決行部隊のリーダーたる青年将校たちの運命たるやまるで、平家物語の現代版である。
名もなき青年将校が、一夜あければ日本の運命をにぎり、将軍たちはおびえて彼らの頤使(いし)にあまんずる。昭和維新も目前かと思いきや、あえなく没落。法廷闘争も空しく銃殺されてゆく。この間の世の動き、心の悩み、何生(なんしょう)も数日で生きた感がしたはずだ。
将軍たちの無定見、うろたえぶり、変わり身の早さ、海の波にもよく似たり。
この間、巨巌のごとく不動であったのは天皇だけであった。
天皇という巨巌にくだけて散った波。これが三島理論による二・二六事件の分析である。
小室の正確な仏教知識に舌を巻く。天台・日蓮系では九識を立て、真言系では十識を設けるが実存にとらわれた過ちである。識とは鏡に映る像と考えればよい。鏡の向きは自分の興味や関心でクルクルと動く。何をどう見るかは欲望や業(ごう)で決まる。しかも自分では鏡と思い込んでいるのだが実体は水面(みなも)で、死をもって水は雲のように散り霧の如く消え去る。像や鏡の存在が確かなものであることを追求したのが西洋哲学だ。神が存在すると考える彼らは実存の罠に陥ってしまう。
一神教(アブラハムの宗教)が死後の天国を信じるのと、バラモン教が輪廻する主体(アートマン)を設定するのは同じ発想に基づいている。ブッダは輪廻そのものを苦と捉えて解脱の道を開いた。諸法無我とは存在の解体である。「ある」という錯覚が妄想を生んで物語を形成する。人類は認知革命によって虚構を語り信じる能力を身につけた(『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ)。
人は物語を生きる動物である(物語の本質~青木勇気『「物語」とは何であるか』への応答)。合理性も感情も物語を彩る要素でしかない。我々が人生に求めるものは納得と感動である。異なる物語がぶつかると争いが起こる。国家や文化の違いが戦争へ向かい、敵を殺害することが正義となる。
昭和維新は国家の物語と国民の物語が衝突した結果であったのだろう。しかし日本国にあって天皇という重石(おもし)が動くことはなかった。終戦の決断をしたのも天皇であり、戦後の日本人に希望を与えたのも天皇であった。戦争とは無縁な時代が長く続き、天皇陛下の存在は淡い霧のように見えなくなった。明治維新によって尊皇の精神から生まれた新生日本は、いつしか「無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国」(「果たし得てゐいない約束――私の中の二十五年」三島由紀夫)となっていた。
畏(おそ)れ多いことではあるが日本の天皇は極めて優れた統治システムである。西洋の王や教皇は権力をほしいままにして戦争を繰り返した。天皇に権威はあるが権力はない。王政や共和政だと国家が亡ぶことも珍しくない。日本が世界最古の国家であるのは天皇が御座(おわ)しますゆえである。日本の左翼が誤ったのは天皇制打倒を掲げたことに尽きる。尊皇社会民主主義に舵を切ればそれ相応の支持を集めることができるだろう。
最後に一言。天皇陛下が靖国参拝を控えた理由は「A旧戦犯の合祀に不快感を示された」ためと2006年に報じられたが(天皇の親拝問題)、二・二六事件での御聖断を思えばそれはあり得ないだろう。
・誰のための靖国参拝
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