・『やがて消えゆく我が身なら』池田清彦
・『ほんとうの環境問題』池田清彦、養老孟司
・金儲けのための策略
・『生物にとって時間とは何か』池田清彦
あるタイプの前立腺がんは手術も何もしないで、様子を見るのが最善だそうだが、これでは医者は儲からない。儲けたい医者は手術を勧めるだろう。京都議定書を守って、CO2削減に莫大な税金を注ぎ込んでも、温暖化を止めるための貢献度はほぼゼロに等しい。しかし、税金は誰かのふところに入るわけだから、特定の人だけは儲かる。そう考えれば、CO2の削減キャンペーンは誰かの金儲けのための策略に決まっている。誰かとは、排出権取引で儲けたいトレーダー、脱炭素利権に群がる官僚、学者、起業家などである。
ほんとうの危機が来れば、偽問題の化けの皮がはがれてしまう。洞爺湖サミットでCO2の削減が実質的にどうでもよくなったのは、石油と食糧の価格高騰により、CO2の削減などという瑣末(さまつ)な問題にかまけているヒマはないことが、自明になったからである。(池田清彦)
【『正義で地球は救えない』池田清彦、養老孟司〈ようろう・たけし〉(新潮社、2008年)】
計上された予算は分配される。一部の人々に。特定の利権は国民にとって損失を意味する。ところがそこに政治家が口を挟むと襲撃されることがある(『襲われて 産廃の闇、自治の光』柳川喜郎/石井紘基刺殺事件:動画)。
国や自治体が「分別せよ」と命じるとゴミの分別が新たな常識となる。唯々諾々(いいだくだく)と従う国民は指定された有料のゴミ袋を購入し、ペットボトルやプラスチック容器を洗浄する。つまり自治体はゴミ袋という新たな税金と余分な水道料金をまんまと手に入れることができたわけだ。
私は当初上手く行くはずがないと楽観していた。至る所ににゴミが散乱し結局元通りになると踏んでいた。ところがそうはならなかった。
環境問題は大衆の善意につけ込んだ悪行を許す大義名分となってしまった。しかも行き場を失った左翼勢力が新たな飯の種にした経緯がある(『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男)。
医療や介護が保険報酬で動くように学問の世界もまた予算で動く。その結果多くの科学者は京都議定書に沿った研究を行う。初めに地球温暖化というドグマ(教条)が設定されているわけだから後は都合のよいデータを集めるだけだ。
国際的には気候変動と言われるのだが、なぜか日本では地球温暖化という言葉が大手を振って歩いている。京都議定書は現代のワシントン海軍軍縮条約であるというのが私の見立てだ。目覚ましい日本の近代化に恐れをなしたアングロ・サクソンは米・英・日の主力艦の総トン数比率を5:5:3にすることを決めた。この数字には何の根拠もない。何の根拠もなくルールを変えるのがアングロ・サクソン流の手口である。そして散々口を挟んだアメリカが京都議定書を批准しなかったのは国際連盟の設立を思わせる。いずれにせよ21世紀を睨んだ米英の戦略であることは間違いない。
武田邦彦は「ヨーロッパ諸国はアジア諸国にエネルギーの使用制限をかけることによって経済発展を抑制しようとした」と指摘する(武田教授が暴く、「地球温暖化」が大ウソである13の根拠 - まぐまぐニュース!)。EUの厳しい排ガス規制はトヨタのハイブリッド潰しを目的にしているのではないか?
日本では一方的な情報しかメディアは伝えないが、イギリスでは国営放送のBBCが「地球温暖化詐欺」なる番組を放映した。