・『天上の歌 岡潔の生涯』帯金充利
・『春宵十話』岡潔
・『風蘭』岡潔
・『紫の火花』岡潔
・人の音曲の中心はその人固有のメロディー
・『人間の建設』小林秀雄、岡潔
真珠湾攻撃は、私は北海道でラジオで聞いたのですが、全く寝耳に水でした。私は直ぐに、しまった、日本は亡びたと思いました。しかし今から思えばこのころはまだよかったのです。終戦になりますと、それまで死なばもろともといっていた同胞が、急に食料の奪いあいを始めました。私は生きるに生きられずに死なれぬ気持になって、最後の存在の地を仏道に求めたのでした。(はしがき、1965年6月1日)
【『春風夏雨』岡潔(毎日新聞社、1965年/角川ソフィア文庫、2014年)以下同】
タイトルは「しゅんぷうかう」と読む。はしがきの末尾には「このまま推移すれば、60年後の日本はどうなるだろうと思うと慄然とならざるを得ません」との有名な一言がある。我々は7年後にその60年後を迎える。多分新しい戦争が起こり、その戦争は終わっていることだろう。
先日、『人間の建設』を再読したのだが初めて読んだ時には気づかなかったことが次々と見えて、己(おの)が眼(まなこ)の節穴ぶりを恥じ入った。敗戦後、「僕は政治的には無智な一国民として事変に処した。黙って処した。それについて今は何の後悔もしていない。(中略)僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」(雑誌『近代文学』の座談会「コメディ・リテレール 小林秀雄を囲んで」1946年〈昭和21年〉1月12日)と啖呵を切ってみせた小林秀雄が「あなた、そんなに日本主義ですか」と問い、岡が「純粋の日本人です」と応じる件(くだり)がある。思わず吹き出した。小林は天才数学者の愛国心に驚いたのだろう。ただし岡はその辺にゴロゴロしている愛国者とは風貌を異にした。単なる政治・経済といったレベルから離れて、岡は日本人の情緒が破壊されることに我慢ならなかったのである。
ところで、心の琴線の鳴り方であるが、自覚するにせよしないにせよ、たたけばともかく鳴るようになっており、好きな音だけ鳴らしていやな音を避けることはほとんどできない。だから、タイプライターを打ち続けるというようなこと、つまり微弱な、きれぎれの意志を働かせ続けるのは、絶えず細かな振動を心の中心に与えていることになる。きれぎれの音は不調(ママ)和音であり雑音である。しかも小さい細菌ほど防ぎにくいように、微弱な意志の雑音ほど防ぎにくい。
人の音曲の中心はその人固有のメロディーで、これを保護するために周りをハーモニーで包んでいると思われる。そんなデリケートなものだから、たえず不調和音を受け取っていると、固有のメロディーはこわされてしまう。そうすれば人の生きようという意欲はなくなってしまうのであろう。
してみれば、人の生命というものもその人固有のメロディーであるといえるのではないか。(中略)
生命というのは、ひっきょうメロディーにほかならない。日本ふうにいえば“しらべ”なのである。そう思って車窓から外を見ていると、冬枯れの野のところどころに大根やネギの濃い緑がいきいきとしている。本当に生きているものとは、この大根やネギをいうのではないだろうか。
仕事で計算機やタイプライターを扱う人が自殺した話を聞いて、岡の直観は生命の真相にまで迫る。人間の機械化に対する警鐘である。合理化を推し進めるのは分業だ。一人ひとりの人間にミクロな部分が押しつけられ単調な作業が繰り返される。そこに生きる喜びはない。労働対価は時間と賃金のみで計算され喜怒哀楽は含まれない。マーケティングや会計などが高度に発達すると軍事的な様相すら帯びてくる。戦略が奏功すればライバル企業には死屍累々と失業者が横たわるわけだ。
頭がよくても尊敬できない人物は多い。私は長らく自分の嫌悪感が不思議でならなかった。元々幼い頃から好き嫌いが激しい性分なのだがそれにはきちんとした理由があった。言葉や表情、はたまた振る舞いや行動から人間性が透けて見えるのだ。私はネット上ですら人間関係を誤ったことがない。
私の疑問は岡の著作を読んでいっぺんに解けた。頭の良し悪しよりも情緒の濃淡にその人の正体があるのだ。かつて宮台真司〈みやだい・しんじ〉が「援助交際を研究テーマにしたことで様々な批判を受けたが、小室直樹先生だけがそれを認めてくれた」という趣旨の話をしていた。宮台の頭の強さは凡百の学者を軽々と凌駕していると思うが私は彼をどうしても好きになれない。確かに社会学的には女子高生や女子大生がさしたる自覚もないままに売春行為に至る経緯から社会を読み解くことに意味はあるのだろう。だがその前に「売春はダメだ。ダメなものはダメだ」と言い切るのが大人の役割ではないのか? 長ずるにつれて必ず後悔することは火を見るよりも明らかだ。妊娠や性病というリスクもある。行き過ぎた自由の観念が「他人に迷惑を掛けなければ何をしても構わない」との放縦を許してしまった。一昔前なら恋愛に関しても一定の慎重さがあった。親の反対を押し切って付き合うのであれば駆け落ちする覚悟が求められた。小遣い目当ての売春行為に覚悟や決断があるとは到底思えない。
気が合う友達や心の許せる友人は人生の宝である。しかしながらそれが自分を高めてくれる人間関係かどうかを吟味する必要があろう。尊敬できる人物の有無が人生の彩りを決定する。あの人に倣(なら)おうとする心が規範となって自分の弱さを克服する原動力となる。
「人の音曲の中心はその人固有のメロディー」であるならば曲そのものを変えることは難しい。要はきれいに響かせるかどうかである。
春風夏雨 (角川ソフィア文庫)
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