2018-08-15

数学は論理ではなく情緒である/『春宵十話』岡潔


『天上の歌 岡潔の生涯』帯金充利

 ・数学は論理ではなく情緒である

『風蘭』岡潔
『紫の火花』岡潔
『春風夏雨』岡潔
『人間の建設』小林秀雄、岡潔

必読書リスト その四

 人の中心は情緒である。情緒には民族の違いによっていろいろな色調のものがある。たとえば春の野にさまざまな色どりの草花があるようなものである。
 私は数学の研究をつとめとしている者であって、大学を出てから今日まで39年間、それのみにいそしんできた。今後もそうするだろう。数学とはどういうものかというと、自らの情緒を外に表現することによって作り出す学問芸術の一つであって、知性の文字版に、欧米人が数学と呼んでいる形式に表現するものである。
 私は、人には表現法が一つあればよいと思っている。それで、もし何事もなかったならば、私は私の日本的情緒を黙々とフランス語で論文に書き続ける以外、何もしなかったであろう。私は数学なんかをして人類にどういう利益があるのだと問う人に対しては、スミレはただスミレのように咲けばよいのであって、そのことが春の野にどのような影響があろうとなかろうと、スミレのあずかり知らないことだと答えて来た。(「はしがき」1963年1月30日)

【『春宵十話』岡潔(毎日新聞社、1963年光文社文庫、2006年/角川ソフィア文庫、2014年)】

 カテゴリーを「エッセイ」にしたが岡潔の口述を毎日新聞社の松村洋が筆記したものらしい。

 この噂を聞きつけた当時毎日新聞奈良支局にいた松村洋が、何度かにわたって岡にエッセイのようなものを書かないかとくどいたのである。
 ところが岡は、自分は世間とは没交渉しているので、またそれで研究時間がおかしくなるのも困るからと、何度も固辞した。そこを粘っているうちに、そこまでおっしゃるなら口述ならかまいませんということになって、陽の目をみたのが「春宵十話」の新聞連載だった。

947夜『春宵十話』岡潔|松岡正剛の千夜千冊

 昭和38年2月10日、岡先生の第一エッセイ集
 『春宵十話』(毎日新聞社)
が出版されました。定価380円。すでに公表された三つのエッセイ「春宵十話」「中谷宇吉郎さんを思う」「新春放談」に、新たに19篇のエッセイ(すべて口述筆記。口述は前年3月から9月にかけて行われました。記録者は松村記者)と一篇の講演記録を合わせて編集されました。「春宵十話」の採録にあたり、若干の加筆訂正が行われました。「はしがき」の日付は「一九六三・一・三○」。「あとがき」の日付は「一九六三年一月」で、執筆者は「毎日新聞大阪本社社会部松村洋」と明記されています。昭和38年を代表する話題作になり、この年、「第17回毎日出版文化賞」を受賞しました。

日々のつれづれ (岡潔先生を語る85)エッセイ集の刊行のはじまり

日々のつれづれ 岡先生の回想

 ダイヤモンドは磨かなければ光を発しない。松村記者の筆記・編集という行為が研磨作業となったのだ。いい仕事である。タイトルは「しゅんしょうじゅうわ」と読む。

 岡潔は「世界中の数学者が挑んでも、1問解くのに100年はかかる、といわれた3大難問を1人で解いた天才で、文化勲章受章者」(佐藤さん講演 | 高野山麓 橋本新聞)。更に「その強烈な異彩を放つ業績から、西欧の数学界ではそれがたった一人の数学者によるものとは当初信じられず、『岡潔』というのはニコラ・ブルバキのような数学者集団によるペンネームであろうと思われていたこともある」(Wikipedia)。つまり天才を二乗したような人物なのだ。

 私が生まれたのは1963年の7月である。『春宵十話』がある世界に生まれて本当によかったと思う。

 岡は戦後の日本に警鐘を鳴らし続けた。編まれた文章のどれもが「黙っておらるか」という気魄(きはく)に貫かれている。

春宵十話 (角川ソフィア文庫)
岡 潔
KADOKAWA/角川学芸出版 (2014-05-24)
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