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2021-12-19

恩讐の彼方に/『木村政彦外伝』増田俊也


『北の海』井上靖
『七帝柔道記』増田俊也
『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』増田俊也
『VTJ前夜の中井祐樹』増田俊也

 ・恩讐の彼方に

増田●もしヒクソンさんが木村先生の立場だったら、どう思いますか。

ヒクソン●ありえない。

増田●ありえないとは?

ヒクソン●私をフェイク(※八百長)の舞台に上げることは誰もできない。どれほどの大金を積まれても私がフェイクのリングに上がることはありえない。

増田●木村先生はフェイクの舞台、プロレスのリングに上がった時点で間違っていたと?

ヒクソン●そうです。私がそのようなことをやっていたら、もちろん自分のことを許すことはできないし、そのリングへ出た時点で格闘家として負けだと思います。

【『木村政彦外伝』増田俊也〈ますだ・としなり〉(イースト・プレス、2018年)以下同】

 プロ柔道からプロレスラーに転向した木村政彦が力道山にノックアウトされた動画を見た後のヒクソン・グレイシーの言葉である。父親のエリオ・グレイシーはグレイシー柔術の創始者で木村に敗れている。この時決めた腕緘(うでがらみ)をグレイシー柔術では木村に敬意を表して「キムラ・ロック」と呼んだ。

 一流の心は一流の人にしかわからない。そんな思いで増田はヒクソンにインタビューしている。北大時代の増田の後輩である中井祐樹がヒクソンと対戦していることも縁を感じさせる。

 結局は経済の問題なのだ。いざ食えなくなれば体を売り物にするしかない。男も女も一緒だ。肉体労働と性産業の違いがあるだけだ。近代社会は労働を売り物に変えた。あらゆるものが値段をつけられ売り物にされるのが資本主義だ。そうした厳しい現実に木村は晒(さら)されたのだろう。ヒクソンの言葉は正論だが、正論だけでは喰ってゆけない。

青木●でも結局みんなまともじゃないんで。「中井祐樹」がまともかって言ったらまともじゃないし、僕もまともではないだろうし。でも逆に「普通」って何なの? という話にもなりますよね。

増田●まともだったら、ある世界でトップを取るような存在には絶対になれない。一流の人は、持ってる秤(はかり)が狂ってる人ばっかりですよ。どの世界の一流の人と会ってもそれは思います。その秤の狂いこそ、一流の魅力なんです。そういう人に会うと僕は嬉しくなりますけどね。

 青木真也は「跳関十段」(とびかんじゅうだん)との異名をもつ柔道選手で後にプロ格闘家へ転向した。廣田瑞人〈ひろた・みずと〉の腕を折って勝った後、侮辱したポーズをとった試合はよく覚えている。私は格闘技で骨折に至るシーンを初めて見たので衝撃を受けた。

 増田の「秤(はかり)が狂ってる」という言葉は巧みな表現だ。指導や常識を重んじれば、ある枠に自分をはめ込む結果となる。

狂者と獧者/『小村寿太郎とその時代』岡崎久彦
狂者と狷者/『中国古典名言事典』諸橋轍次

岩釣●(木村)先生のトレーニングってとにかく半端じゃないんだよ。俺が(大学)1年の夏に60kgのバーベルを100回×2セット上げて、先生の前で胸張って「できました」って言ったら、先生が「君、何回やったんだ?」って言うから「100回できました」って言ったら、「僕は1時間それを続けたよ」って言われてさ。真剣な顔で。60kgを1時間続けてみてよ。全然パワーが違う。40代始(ママ)めの頃でもまだまだ強かった。

 あまりの凄まじさに笑い声をあげてしまった。柔道やレスリングの練習が厳しいのはよく知っている。高校生ですら桁違いの練習量だった。

岡野●今、いい背負いを見ることはないでしょう? 大体が膝を畳に着く。膝を着くということは体全体のパワーが使えないということです。背負いでもつま先、足首、アキレス腱、そして最後は親指の力、これ全部使うわけですからね。片膝着けばパワーが半分減る、両膝着いてしまえば、そこから下のパワーを自ら殺してしまう。やっぱり全身の力、特に親指から腰まで繋がる下半身の力は非常に重要ですよ。

 こうした体に関する技法の話がてんこ盛りで非常に嬉しい。ホリスティック(全体)とはこういうことを意味するのだろう。体の部分部分を鍛える筋トレは全体性につながらない。単純な自重トレーニングにも同様の陥穽(かんせい)がある。

岡野●どんなに立派な理想でも、それを長く維持するためには経営が大切なわけですから、その経営と中身の充実がバランスを取れてなくてはいけない。

 岡野の正気塾も牛島道場も長く続かなかった。それに対する自戒の言葉である。あらゆる団体に通じる話である。

増田●毎日9時間も練習すると、あのルスカでも痩せちゃうんですね……。ルスカが「私の柔道生活の中で最も苦しく厳しいものだった」と振り返っていたのはこいうことだったんですね。そんな苦しい稽古のために何度も日本に来て、岡野先生についていくルスカもすごい。ルスカのほうが3歳年上ですよね。よほど岡野先生の正気塾が魅力的だったのでしょうね……。ミュンヘン五輪でルスカが2階級を制覇したとき正気塾のジャージーを着て表彰台に上りましたね。自分は岡野先生の弟子だからって。

岡野●気を遣って表彰台に上ってくれたわけですよね。その思いやりが非常にうれしかったですよ。私はそのことを知らなかったからね。

増田●岡野先生はミュンヘン五輪のときは日本にいらしたんですか。

岡野●で。後で人づてに聞いたんです。

増田●国家を代表する最高の栄誉の場所で、母国のユニフォームを脱いで、外国のいち私塾のジャージーに着替えるということは、通常ありえないことです。正気塾のネームの入ったジャージーを着て表彰台に上がる、そういう気遣いをするようになったこと自体、きっとルスカが正気塾での修行、共同生活を通して、日本人の静かな感謝の仕方、武道的な心を学んだのではないでしょうか。

岡野●そうだと思います。

 ウィレム・ルスカ(オランダ)はミュンヘンオリンピックの無差別級・重量級の金メダリスト。「オリンピック同一大会で2階級を制覇した唯一の柔道家」(Wikipedia)である。1976年、アントニオ猪木と異種格闘技戦を行いTKO負けを喫した。

 正気塾のジャージ姿は画像で紹介されている。岡野功は東京五輪(1964年)の80kg級金メダリスト。著書の『バイタル柔道 投技編』(1972年)、『バイタル柔道 寝技編』(1975年)は世界中の柔道家に愛読され、今日もロングセラーを続けている。引退後も数多くのメダリストを育てた名伯楽である。

 半分ほどがインタビューだが、どれも実に面白い。面白さだけなら星五つである。怨念で綴った前著に続き、恩讐(おんしゅう)の彼方に見える風景は決して暗いものではない。「木村 vs. 山下」にこだわるところは子供っぽくて好きになれないが、嘘のなさが読者に訴えるのだろう。

2021-11-22

拷問され、麻酔なしで切り刻まれるウイグル人/『命がけの証言』清水ともみ、楊海英


『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』ヴィクトール・E・フランクル:霜山徳爾訳
『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ
『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ
『私の身に起きたこと とあるウイグル人女性の証言』清水ともみ

 ・拷問され、麻酔なしで切り刻まれるウイグル人

『AI監獄ウイグル』ジェフリー・ケイジ

必読書リスト その一

【『命がけの証言』清水ともみ、楊海英〈よう・かいえい〉(ワック、2021年)以下同】










2021-10-31

農業の産業化ができない日本/『脱ニッポン型思考のすすめ』小室直樹、藤原肇


小室直樹
藤原肇

 ・農業の産業化ができない日本

『新しい資本主義 希望の大国・日本の可能性』原丈人

藤原●アメリカのCIAは、インテリジェンスをうたっているけど、内閣調査室を「日本のCIA」と呼ぶ場合には、あれは日本のセントラル・インフォメーション・エージェンシーの略だと思えばいい。どうせインテリジェンスのやれる人材なんかがいるわけないですから。

小室●インテリジェンスというのは数学的な発想が基礎になっています。ところがそれが日本人にはない。私は、かつて、役人相手に数学の基礎理論を手ほどきしたことがあるけど、その実情に驚いたことがある。

藤原●それは生態環境としての生活圏の問題が多いに関係しているせいです。それもインテリジェンスのレベルまで行かずに、インフォメーションのレベルで決定的な役割を演じています。くわしいことは『情報戦争』や『日本が斬られる』という本で論じたが、情報に対しての理解の仕方と構えで見ると、農耕民族と遊牧民は本質的に異なっているんです。農耕民の情報は蓄積し発酵して知恵にしている。それに対して、遊牧民の情報はオンタイムでとらえ、的確に選択し行動に移すことで、そのグループの生存に結びつける。そうなると、リーダーシップが関係してきて、遊牧民はリーダー中心の社会で、いうならば、男の世界です。

小室●たしかに、農耕社会は大地と結びついているから女性的です。日本も天照大神が一番偉いし、かつ女性上位だし……。

藤原●トップの性別はあまり関係なくて、たとえ男であっても女性型支配をするのです。それが長老であり、農耕民族は蓄積だから長老が一番偉い。情報も新しさよりも知恵と結びついた古さのほうが重要視される。その辺にリーダー型の西欧や中東と、長老型のアジアの違いがあります。

小室●一般にヨーロッパ的、アジア的と区分する人が多いが、中国やインドのほうが日本よりはるかにヨーロッパに近い。実は、世界中で日本だけが例外中の例外です。たとえば、牧畜を例にとってみても、牧畜をまったくやらないのは日本ぐらいで、中国もインドも農業と牧畜の二本建(ママ)てです。それに日本の驚くべき特徴として指摘していいのは、どんなに見かけ上近代化したように観察されても、日本では農業が絶対に産業化されない点です。こういうことはアジアでもめずらしい。

藤原●日本語では術語が十分にないので、議論がむずかしいから英語を借りて話すと、日本にはファーミングもアグリカルチャーもなくて、あるのはガーデニングだけです。ガーデニングは技術集約化がむずかしいから産業化するところまでは行かない。

小室●日本軍がフィリピン作戦をしたときに、フィリピンは農業しかないから、農村地帯では食糧が自給できるはずだと思い込んでいたら、それはとんでもないことだった。タバコ地帯ではタバコだけしかないし、麻を作るところには麻しかなかった。いわゆるモノカルチャーです。農村地帯は食糧があるはずだと期待したいのに、食糧はない。だがタバコや麻を食べるわけにいかないので、作戦は大混乱してしまったそうです。

藤原●ベトナムだってブラジルだって同じです。農業が労働力集約型から技術集約型への進化の系列の中で動いているので、産業が可能になる。それを植民地主義がプランテーション化を通じてやったわけです。

小室●フィリピンは遅れている、と日本人は頭から決めつけてかかる癖があるが、農業でみる限りでは、産業の組織化という点で、返っらのほうがはるかに進んでいる。日本の農業なんて何でも作るし、それも主な目的は家族が食べるところにある。

藤原●インダストリアライズして剰余価値を生み出すところまで行っていない。

小室●農業に見る限り、日本は世界で最も遅れた状態を維持している。しかも、この農業地帯を地盤にした政党が農本的な政治をやってきたのだし、これからも続けようとしているので救いがありません。

藤原●そこに日本の政治が近代以前のパターンでしか機能しない理由もあるし、日本人が情報一般に関して非常にニブイ原因もあると思います。その当然の帰結として、インテリジェンスの問題がいかに重要であるかについて誰も気がつかないし、また、それを論じようともしないのです。(中略)

藤原●とてもじゃないが、日本の農業社会を見る限りでは、近代資本制などの水準には達していないといえます。

小室●とてもキャピタリズムじゃない。

藤原●じゃあ、前に話したように原始(グラスルーツ)共産制ですね。

小室●農業だけでなく企業や産業界までが同じであり、労働力は労働と分化しないまま、労働者は会社という一種の共同体の所属物になってしまっている。古典的な資本主義では労働市場が存在して、そこでは完全な自由競争が行なわれるのに、日本ではそれさえなくて、賃金でさえ、生きる上で必要な給与を分配してもらう形をとっている。

藤原●原始共産制における分け前だから、交通費や厚生費の現物支給があったり、年功序列の手当てが給料の形をとるのです。

小室●それに〈生産者と生産手段が分離する〉という、資本主義にとって最も基本的なこの性格が欠けている日本の経済システムは、中世的な共同体のままといえます。

藤原●中世じゃなくて古代以前だと思いますね。政治を見ればわかるけれど、どう考えても呪術的ですよ。だから、情報以前なのは当たり前かもしれない。

【『脱ニッポン型思考のすすめ』小室直樹〈こむろ・なおき〉、藤原肇〈ふじわら・はじめ〉(ダイヤモンド社、1982年)】

大東亜戦争はアメリカのオペレーションズ・リサーチに敗れた/『藤原肇対談集 賢く生きる』藤原肇

「オペレーションズ・リサーチ」が本書に書かれていたと思い込んでいて、三度も画像を確認する羽目となってしまった。これ、と思った情報はメモ書き程度で構わないから残しておく必要がある。はてなブログを使うか。

「インテリジェンス」という言葉は佐藤優〈さとう・まさる〉が嚆矢(こうし)と思いきや、本書の方がずっと早かった。藤原、小室、そして倉前盛通〈くらまえ・もりみち〉あたりを嚆矢とすべきか。

 農業の産業化ができない日本という指摘は納得できる。近頃、農業本を数冊読んできたのだが「工夫次第では儲かる」というレベルで、大規模化を農地法が妨げている現状だ。安倍政権が何とか改革したが、まだまだ道半ばである。

 日本の政治は食料安全保障の意識が欠如している。食とエネルギーこそ国家の生命線である。自民党にとって農家は票に過ぎない。農業のグランドデザインを描く政治家を私は見たことがない。日本の食料自給率はカロリーベースで37%まで低下した(令和2年/日本の食料自給率:農林水産省)。国防もさることながら食料においても有事を想定していないことがわかる。

 小室と藤原は合理性をそのまま人間にしたような人物である。ただし、今読むとどこか新自由主義の臭いがして、すっきりと頷けないところがある。

2021-10-28

大東亜戦争はアメリカのオペレーションズ・リサーチに敗れた/『藤原肇対談集 賢く生きる』藤原肇


『脱ニッポン型思考のすすめ』小室直樹、藤原肇

 ・大東亜戦争はアメリカのオペレーションズ・リサーチに敗れた

『ジャパン・レボリューション 「日本再生」への処方箋』正慶孝、藤原肇

藤原●日本人は太平洋戦争の敗因を米国の物量作戦だと考えがちです。だが、アメリカが英国から導入して完成させたオペレーションズ・リサーチによって、日本流その場しのぎの大福帳のやり方が破綻させられて、徹底的に打ち負かされた事実をいまだに気づいていない。
 要するに、数理発想に基づく計算されたリスク管理によって、太平洋戦争は頭脳戦で日本が完敗したということです。

【『藤原肇対談集 賢く生きる』藤原肇〈ふじわら・はじめ〉(清流出版、2006年)以下同】

「オペレーションは作戦、リサーチは検証、という意味です。互いに干渉しあう複数の作戦が最適な方法で、効率的に実行可能かどうか、リサーチ、つまり検証する、そういう目的で使われ始めた科学でした。様々な環境、次々に変化する状況において、 数学や統計学を用いた数理的なモデルに落とし込み、分析することで最適なアプローチを導きます」(オペレーションズ・リサーチとは? | ‐株式会社 構造計画研究所‐ オペレーションズ・リサーチ部)。

「オペレーションズリサーチ(OR)は、意思決定にかかわる科学的なアプローチと言われている。ある組織の運用問題に対して、さまざまな方法を用いて分析し、適切な解決法を見つけることである。そのため、しばしば経営学とも言われる。分析方法としては、数理モデル、統計的な手法、アルゴリズムなどがある」(オペレーションズリサーチ(OR):Operations Research:研究開発:日立)。

 マーケティング分野では「ランチェスター戦略」(ランチェスターの法則)と呼ばれる。それではと手始めに『まんが新ランチェスター戦略 1 新ランチェスター戦略とは』(矢野新一、まんが:佐藤けんいち、ワコー、1995年)を開いたが、敢えなく挫折した。

 本書で初めてオペレーションズ・リサーチという言葉を知った。日本の近代史及び大東亜戦争に関してはそこそこ読んできたつもりであったが、ORを敗因と指摘したのは藤原肇が嚆矢(こうし)ではあるまいか。藤原は石油コンサルタントで石油開発会社をアメリカで経営してきた人物である。彼にとってORは常識であったのだろう。石油精製には様々なプロセスがあり、不安定な国情や戦争、あるいは経済・金融など複合的なリスクが伴う。ORを欠けば金鉱を掘り当てるような博奕(ばくち)と化す。莫大な初期投資を可能にするのは精確なリスク・マネジメントである。

藤原●日本人はハード志向だから飛行機や軍艦を量として数え、主として戦闘の問題に全力を傾けてしまうから、システムとしての戦争を見忘れがちになる。

 これまた重要な指摘で、大東亜戦争では兵站(へいたん/ロジスティクス)を無視して南進したことが多くの餓死者を生んでしまった。日本には伝統的に輜重(しちょう)を軽んじる文化がある。どこか国土の感覚が関東平野の域を超えていないようなところがある。水が豊富なことも危機意識を鈍らせていることだろう。

 特に目に見えるものの増減に一喜一憂して、目に見えないものの変化に注目しないから、システム発想をしないという欠陥に支配されてしまうのです。
 そういった民族的な欠陥への反省を含めて、動態変化の重要性とサイバネティックスを結びつけ、それを資本と情報の流れとしてフローチャートにして、決算の機構を体系化したのが会計工学だと思います。

 システム思考ができない現実は今も変わらない。藩閥を打開したと思いきや、今度は陸軍と海軍が仲違いをし、戦局の正確な情報が首相にまで上がってこなくなっていた。東条英機首相はミッドウェー海戦の敗北を知らされていなかった。張作霖爆殺事件(1928年/昭和3年)で田中義一首相は天皇陛下に嘘をつき満州事変(1931年/昭和6年)では侍従武官長と若槻礼次郎首相が事実を伏せた(兼原信克)。昭和天皇は関東軍の暴走を「下剋上」と断じて厳罰に処さなかったことを悔やまれた(繰り返し戦争を回顧 後悔語る|昭和天皇「拝謁記」 戦争への悔恨|NHK NEWS WEB)。

 日本人の行動様式(エトス)が戦前も戦後も変わらないことを指摘したのが小室直樹の初著『危機の構造 日本社会崩壊のモデル』(ダイヤモンド現代選書、1976年)であった。藤原肇と小室直樹の対談は自然な流れであった(『脱ニッポン型思考のすすめ』ダイヤモンド社、1982年)。



オペレーションズ・リサーチの破壊力/『あなたを支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠』キャシー・オニール

2021-04-05

クルマの触感/『営業バンが高速道路をぶっ飛ばせる理由』國政久郎、森慶太


・『軽トラの本』沢村慎太朗

 ・クルマの触感

・『営業バンが高速道路をぶっ飛ばせる理由2 逆説自動車進化論』國政久郎
・『別冊モータージャーナル 四輪の書』國政久郎、森慶太
『博士のエンジン手帖3』(モーターファン別冊)畑村耕一

「自分の意志に関係なく出現した、あるいは変化した状況への対応。必要な操作。いまを逃したら危ない、というときが、簡単にいってしまえば常にありうるわけです。たとえば包丁だったら、なにかを切っていてマズいと思ったら、その切る操作をやめることもできます。でも、走っているクルマでそれと同じようなことが常に同じようにできるかというと……」

――たとえば1.5トンある物体が、60km/hとか100km/hで動いているわけですね。もしなにかマズいことがあったら、指先に切り傷ができるぐらいでは済みません。

「ということは、そのいま、ここでやらないといけない操作が適切にできるだけの仕込みが、クルマという道具の側にはされていないと絶対にいけないわけです。人間の感覚と上手く繋がったかたちで。そこはきわめて重要なところです」

――いわゆる緊急回避とか、そういう……。

「そうではなくて、速度がゼロではなくなった瞬間からすでに始まっているわけです。もっというと、止まっているときからすでに」
――んー……。

「包丁でいうと、いまどんなものを切っているか手応えでわからない包丁は、あまりないですよね。あるいは、切るものに刃が当たっているそのところでなにが起きているかがわからない包丁は」

――はい。

「では、それと同じぐらい、クルマというのは人間にとって扱いやすい道具になっているでしょうか。たとえば、いまの速度がどれぐらいか、メーターを見なくてもちゃんと把握できるか。あるいは、いま走っている路面がどのぐらい滑りやすいのかが、滑る前にわかるかどうか。そういう、ほしい情報が感覚で得られるかどうか。それだけの、いわば触感がちゃんと備わっているか」

【『営業バンが高速道路をぶっ飛ばせる理由』國政久郎〈くにまさ・ひさお〉、森慶太〈もり・けいた〉(三栄書房、2015年)】

 國政久郎はサスペンションの専門家で、相模原市でオリジナルボックスという会社を経営している(※本書では厚木市になっている)。見識に支えられた言葉がどこかオシムやイチローを思わせる。

 本書で國政が推し、実際に試乗しているのはトヨタのプロボックスである。ただし次作の『営業バンが高速道路をぶっ飛ばせる理由2 逆説自動車進化論』では新型を否定している。年式によっても評価が異なるので注意が必要だ。

 数年前のことだが4t車の助手席で乗り心地のよさを感じたことがあった。すかさず運転手に告げたところ、「そうなんだよね。長距離を走っても疲れないよ」と答えた。もちろん足回りが固いので乗用車と比べると路面の衝撃が伝わりやすく上下動は多い。不思議な気がした。本書を読んで即座に私は理解した。「クルマの触感」が確かだったのだ。視覚情報と体感の一致といってもいいだろう。しかも人体の根幹をなす骨は横揺れよりも上下動に耐性がある。

 乗用車の大半はモノコック構造となっている。これに対してトラックや一部のオフロード車はラダーフレーム構造を踏襲している。シャシー(車台)の上にボディが載っているのがフレーム構造で、車軸周りとボディが一体化しているのがモノコック構造だ。住宅に例えればモノコックが2×4(ツーバイフォー)でフレームは在来工法だ(【車の構造】ボディ構造について | 車の大辞典cacaca)。

 こちらのクルマのサスペンション構成がどのようなものなのか調べておりませんが、CTの方ではサスペンション・ロワーアームとアッパーアームの長さが極端に違うことから、サスの伸び縮みに伴ってトーが変化するので、車体の上下動により絶えずリヤが揺すぶられる症状が出るとのことです。これは、モーターファン・イラストレイテッドという本のサスペンション特集号である今月号での、国政久郎氏というサスのスペシャリストと呼ばれる方の解説です。

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 國政久郎が「気持ちの悪いクルマ」とはこういう状態を指すのだろう。揺れの消し方を間違えているのだ。クルマの触感とは「ドライバーに必要な揺れ」なのだろう。サスペンションは人体であれば関節や腱に該当する。國政の視点は関節という立ち位置から筋肉と骨格の両方に目配りが行き届いている。

2020-07-26

混乱が人材を育む/『響きあう脳と身体』甲野善紀、茂木健一郎


『古武術介護入門 古の身体技法をヒントに新しい身体介助法を提案する』岡田慎一郎
・『古武術で毎日がラクラク! 疲れない、ケガしない「体の使い方」』甲野善紀指導、荻野アンナ文
『体の知性を取り戻す』尹雄大

 ・混乱が人材を育む

『武術と医術 人を活かすメソッド』甲野善紀、小池弘人
・『日本人の身体』安田登

身体革命

茂木●一方、私たちは科学者として生きているわけではなくて、生活者として生きています。科学で説明できないからといって、存在しないというわけではありませんから、科学で説明できない部分を何らかの形で引き受け、生活者として実践していかなくてはならない。
 そうすると結局、科学で説明できないことについては、自分の経験や感覚、歴史性を通して引き受けていくしかないんですね。世の中にある現象のうち、易しいものは科学で説明できるけれど、難しいものは科学で説明できない。でも、生きていくためには、科学で説明できない難しさのものも、たくさん活用していかなくてはいけない。生活者である私たちは、科学がすべてを解明するのを待つことはできませんから、「これは今のところ科学的には説明できない現象なんだ」と受け入れ、それ以外の説明を活用していくしかないということです。

【『響きあう脳と身体』甲野善紀〈こうの・よしのり〉、茂木健一郎〈もぎ・けんいちろう〉(バジリコ、2008年/新潮文庫、2010年)】

 中々言えない言葉である。まして科学者であれば尚更だ。複雑系科学不確定性原理ラプラスの悪魔を葬った。宇宙に存在する全ての原子の位置と運動量を知ったとしても未来は予測できない。

 科学者が合理的かといえば決してそうではない。彼らは古い知識に束縛されて新しい知見をこれでもかと否定する。アイザック・ニュートンは錬金術師であった。ケプラーは魔女の存在を信じていた。アーサー・エディントンはブラックホールの存在を否定した。産褥熱は産科医の手洗いで防げるとイグナーツが指摘したが医学界は受け入れなかった。オーストラリアのロビン・ウォレンとバリー・マーシャルがピロリ菌を発見し、これが胃潰瘍の原因だと発表した際も若い二人を医学界は無視した。

 科学は説明である。何をどう説明されたところで不幸な人が幸福になることはない。恋の悩みすら解決できないことだろう。

甲野●結局のところ、社会制度が整備化されて、標準化されることによって、つまらない人間が増えてきたということではないですか。たとえば明治維新後すぐの日本は、すべての制度が不備だった。会社や官僚組織なんかでも、ほとんどが縁故採用だったわけですが、多様な、ほんとうにおもしろい人材が育っていった。コネで採用するというのも選ぶ側に人を見る眼があると、けっこういい人材がそろうんですよね。
 ところが、日露戦争に勝ち、「日本は強くなった。成功した」という意識が広がり、いろんなインフラを整備して、社会がシステム化された結果、そういうシステムの中で採用されて育った人間が、太平洋戦争で大失敗してしまったわけですよ。やっぱり混乱期の、いろいろなことが大雑把で混乱している時のほうが、おもしろい人間が育ちやすいのではないかと思います。

 これは一つの見識である。さすが古文書を読んでいるだけのことはある。鎌倉時代から既に700年近く続いた侍は官僚と化していたのだろう。侍の語源は「侍(さぶら)ふ」で「従う」という意味だ。もともと侍=官人(かんにん)であるがそこには命を懸けて主君を守るとの原則があった。責任を問われればいつでも腹を切る覚悟も必要だった。ところが詰め腹を切らされるようなことが増えてくれば武士の士気は下がる。結局切腹という作法すら形骸化していったのだ。

 明治維新で活躍したのは下級武士だった。エリートは失うものが多いところに弱点がある。身分の低い者にはそれがない。まして彼らは若かった。明治維新は綱渡りの連続だった。諸藩の動向も倒幕・佐幕とはっきりしていたわけではなかった。戦闘行為に巻き込まれるような格好で倒幕に傾いたのだ。しかも財政は幕府も藩も完全に行き詰まっていた。外国人からカネを借り、贋金(にせがね)を鋳造し、豪商からの借金を踏み倒して明治維新は成った。

 実に不思議な革命であった。幕府を倒したという意味では革命だが西洋の市民革命とは様相を異にした。それまで日本の身分制度の頂点にいた武士が自ら権益と武器を手放したのだ。気がつけばいつの間にか攘夷の風は止んで開国していた。この計画性のなさこそが日本らしさなのだろう。

 果たして次の日本を担う人材は今どこで眠っているのだろうか?

2020-06-27

キリスト教の教えでは「動物に魂はない」/『人類の起源、宗教の誕生 ホモ・サピエンスの「信じる心」が生まれたとき』山極寿一、小原克博


『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ
『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ
『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン
『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ
『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース:茂木健一郎訳
『なぜ、脳は神を創ったのか?』苫米地英人
『解明される宗教 進化論的アプローチ』 ダニエル・C・デネット
『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド
『神はなぜいるのか?』パスカル・ボイヤー
『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男
『道徳性の起源 ボノボが教えてくれること』フランス・ドゥ・ヴァール
『ママ、最後の抱擁 わたしたちに動物の情動がわかるのか』フランス・ドゥ・ヴァール

 ・経済が宗教を追い越していった
 ・キリスト教の教えでは「動物に魂はない」

『一神教の闇 アニミズムの復権』安田喜憲

キリスト教を知るための書籍
宗教とは何か?
必読書リスト その五

山極●聖書によれば、動物には魂はないのですか。

小原●そうです。

山極●なるほど。だからね、それは農耕牧畜とともに生まれたんだと思うんですよ。狩猟採集民の世界というのは、動物に魂があるか、人間に魂があるかという話ではなくて、動物と人間は対等ですから、動物と会話ができていたわけですね。

小原●そうですね。狩猟採集の時代にあった動物と会話できるという感覚は、その後、形を変えながらも、様々な神話や物語の中に引き継がれてきたと思います。日本の昔話では、動物と人間が会話を交わす物語がたくさんありますし、さらに言えば、動物にだまされたり、助けられたり、「鶴の恩返し」のように動物と結婚したり、いろいろなバリエーションがありますね。動物が人間をどう見ていたかはともかくとして、少なくとも人間の側からは、長きにわたって、動物は会話できる対象と見られてきたのではないでしょうか。

【『人類の起源、宗教の誕生 ホモ・サピエンスの「信じる心」が生まれたとき』山極寿一〈やまぎわ・じゅいち〉、小原克博〈こはら・かつひろ〉(平凡社新書、2019年)】

 日本人ならすかさず「一寸の虫にも五分の魂がある」と反論するだろう。一神教は神の絶対性を強調する。その神に似せて造ったのが人間だ。人間は神に最も近い動物であるが神には絶対になれない。この断絶性が「動物に魂はない」とする根拠になっているのだろう。

 具体的には南極観測隊の犬の扱い方が好例だ。日本は15頭の犬を南極に置き去りにした(1958年)。イギリスでは「日本人はなんと残酷な民族か!」と糾弾され、「イギリス犬の日本輸出を中止せよ!」という声まで上がった。翌年、奇蹟的に2頭の生存が確認された。これがタロとジロである。一方、イギリス隊は1975年、帰還を余儀なくされた時、100頭の犬を薬物で殺害した。「犬を殺すのが一番経済的だ」という理由で。こうした二面性は神の愛を説きながら殺戮(さつりく)を繰り返してきた彼らの歴史に基づく性質だ。彼らは一方で戦争を行いながら、もう一方で慈善活動を行うことができる。

 かつての捕鯨もそうだ。欧米は鯨油だけを採ってクジラの遺体は捨てた。黒船ペリーが開国を迫ったのは捕鯨船の補給地を確保するためだった(『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男)。日本の場合、食用で尚且つ骨からヒゲに至るまでを活用する。そんな連中が「クジラは知能が高い」という理由で日本を始めとする捕鯨国を口汚く罵っているのだ(『動物保護運動の虚像 その源流と真の狙い』梅崎義人)。日本は「動物に魂はあるのか?」と反論すべきであった。

   日本人がキツネに騙されなくなったのは高度経済成長の真っ只中で昭和40年(1965年)のことだ(『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』内山節)。暮らしが豊かになり我々は自然との交感を失ったのだろう。

2020-01-17

国を賊(そこな)う官僚/『誰が国賊か 今、「エリートの罪」を裁くとき』谷沢永一、渡部昇一


・『書斎のポ・ト・フ』開高健、谷沢永一、向井敏
・『紙つぶて(全) 谷沢永一書評コラム』谷沢永一
『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』稲垣武
『こんな日本に誰がした 戦後民主主義の代表者・大江健三郎への告発状』谷沢永一
『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人』谷沢永一

 ・国を賊(そこな)う官僚

『いま沖縄で起きている大変なこと 中国による「沖縄のクリミア化」が始まる』惠隆之介
『北海道が危ない!』砂澤陣
『これでも公共放送かNHK! 君たちに受信料徴収の資格などない』小山和伸
『ちょっと待て!!自治基本条例 まだまだ危険、よく考えよう』村田春樹
『自治労の正体』森口朗
『戦後教育で失われたもの』森口朗
『日教組』森口朗
『左翼老人』森口朗
・『売国保守』森口朗
『愛国左派宣言』森口朗

必読書リスト その四

谷沢●都会の人は「そんなカネ、銀行に預ければいいじゃないか」と思うでしょうが、農民に対する農協の圧力はすごいんです。
 田んぼを売ったカネは農協に預けなくてもいいわけです。本来なら、普通の都市銀行でいいんです。ところが、農協に預けなければいかんような無言の圧力があるんです。
 それは農機具だって、肥料だって、みんな農協が独占販売しているでしょう。もう農村を完全に抑え込んでいます。農協以外に預けるなんて、考えられない。
 中世のころに荘園(しょうえん)の領主が農民を囲い込んだわけですが、それと同じことを農協はやっているんです。だから、日本の農村は農協の「荘園」なんです。一種の搾取(さくしゅ)ですね。農協を通じなければ事実上、コメを売ることもできないし、肥料や種籾(たねもみ)を買うこともできない。しかも、儲けたカネは農協に預けろ。農村は農協の「城下町」です。日本中のどこの農村に行っても、そのど真ん中には農協城の天守閣が聳(そび)え立っている。

渡部●だから、農協は農民の味方だなんて、真っ赤なウソなんです。

谷沢●農協はそもそも、農民を守るということから出発していたわけです。一種の社会運動が背景にあった。
 そもそも社会運動というものには、かならず二律背反の宿命が付きまとうんです。
 昔の日本農民組合の最高責任者であった杉山元治郎〈すぎやま・もとじろう〉は、「われわれ日農の運動家は、日農という存在がこの世からなくなることを最高目標として頑張らなければならない」という趣旨のことを言いましたが、日本の社会運動家で、これだけ明晰(めいせき)に社会運動の持っている根本的矛盾を喝破(かっぱ)した人はいないと思います。
 同じ社会運動が何十年も続くというのは、おかしいんです。あってはならないことなんです。続いているとしたら、二つの可能性しか考えられない。
 一つは、その活動でやっていることが、まったく何の実も結んでいないということです。つまり、そもそもの運動方針が間違っていたということです。
 あとのもう一つは、途中でその活動が変質してしまったということです。すなわち、自分らの運動を続けるために、解決すべき社会問題が解決されないよう、社会問題そのものを再生産しているということ。
 どちらにしても、社会改良運動が長く続いているということは、何の自慢にもならないことなんです。
 農協の場合はまさに後者の例です。本当なら農協は、自分自身が消滅することを至上(しじょう)目的として活動しなければいけなかった。ところがいったん組織が作られてしまうと、どんどん肥大化していって中味が変わってしまった。

渡部●そして、今や専業農家よりも、農協職員のほうが多くなった。
 これはまさにパーキンソンがイギリス海軍について語ったのと同じことですよ。

【『誰が国賊か 今、「エリートの罪」を裁くとき』谷沢永一、渡部昇一(クレスト選書、1996年/文春文庫、2000年)】

 なぜバブル崩壊に至ったのか。日本経済の舵取りはどこで誤ったのか。土田正顕〈つちだ・まさあき〉を始めとする大蔵官僚の罪に迫る。私は住専問題について数百人の前でレクチャーしたこともあって当時のことはよく憶えている。総量規制の通達が出てから、わずか1~2ヶ月で日本の不動産価値は660兆円(※億円ではない)下がり、15年後には1200兆円も下落(櫻川昌哉、櫻川幸恵)した。ロッキード事件で田中角栄首相に渡ったとされる賄賂が5億円である。土田正顕は何の責任も取ることなくその後「国税庁長官で退官後、国民金融公庫(現 株式会社日本政策金融公庫)副総裁を経て2000年5月に東京証券取引所理事長に就任。2001年11月には東証の株式会社化を実現し初代社長となった」(Wikipedia)。大東亜戦争末期における軍部と同じ無責任の構造が国家に深刻なダメージを与えた。昨今少しばかり景気は上向いてきたが、官僚や政治家そして国民が1990年代の過ちをしっかり反省したとは思えない。またいつの日か同じ失敗を繰り返すことだろう。

 農協の実態については全く知らなかった。尊い初志が薄汚れた商売になるところが宗教と似ている。

噴水のように噴き上がる怒り/『北の大地に燃ゆ 農村ユートピアに賭けた太田寛一』島一春

 太田寛一〈おおた・かんいち〉はホクレンや農協の会長を務めた人物で、よつ葉乳業の創業者でもある。

 谷沢の最後の指摘が重い。特に左翼系の社会運動や組合運動は社会問題を再生産して寄生虫のような存在となっている。

2020-01-08

貨幣やモノの流通が宗教を追い越していった/『人類の起源、宗教の誕生 ホモ・サピエンスの「信じる心」がうまれたとき』山極寿一、小原克博


『カミとヒトの解剖学』養老孟司
『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男
『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』フランス・ドゥ・ヴァール
『道徳性の起源 ボノボが教えてくれること』フランス・ドゥ・ヴァール
『ママ、最後の抱擁 わたしたちに動物の情動がわかるのか』フランス・ドゥ・ヴァール
『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』テンプル・グランディン、キャサリン・ジョンソン
『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ

 ・貨幣やモノの流通が宗教を追い越していった
 ・キリスト教の教えでは「動物に魂はない」

宗教とは何か?

山極●世界宗教と呼ばれる宗教は、最初は価値の一元化、倫理の一元化を目指して文化を取り込んでいき、それぞれが交じり合うこともあったと思いますが、いずれも大きな壁にぶつかってしまった。それを追い越していったのは経済のグローバル化だと思うんですよ。

小原●経済活動の拡大が宗教に及ぼした影響は、間違いなく大きいです。

山極●貨幣が、モノの流通が宗教を追い越していった。宗教の境界があるにもかかわらず、モノはどんどん交換され、貨幣は流通していった。だから、貨幣はユーロという統一を果たしましたが、言語までは変えられなかった。つまり、言語の一元化はできなかった。同様に、文化の一元化もなかなか起こりえない。なぜならば、言語や文化というものは身体化されたものだからです。一方、貨幣というのは、いうなれば幻想の価値観を一定のルールのもとに共有しているに過ぎない。ですからそれは普及しやすい。それによって、宗教の力がどんどん圧縮されて、経済の方が実は宗教としての力を持つようになってきている。

【『人類の起源、宗教の誕生 ホモ・サピエンスの「信じる心」がうまれたとき』山極寿一〈やまぎわ・じゅいち〉、小原克博〈こはら・かつひろ〉(平凡社新書、2019年)】

 思いつくままに関連書を挙げたが一冊の本が脈絡を変える。何をどの順番で読むかで読書体験は新たな扉を開く。それは一種の「編集」と言ってよい。実は細胞の世界でもコピー、校正、編集が繰り返し行われている(『生命とはなにか 細胞の驚異の世界』ボイス・レンズバーガー)。ミクロからマクロに至るあらゆる世界で実行されているのは「情報のやり取り」だ。

「貨幣やモノの流通が宗教を追い越していった」理由は情報の速度にあったのだろう。人々が「信じる」ことによって価値は創出される。神は存在があやふやだし、祝福には時間を要する。その点キャッシュ(貨幣)はわかりやすい。誰もがその価値を信用しているから即断即決だ。祈り(労働対価)と救済(消費)が数秒で交換される。

 日本で貨幣が流通するようになったのは鎌倉時代である。つまり宗教改革と金融革命が同時に起こった。更に国家意識が高まった事実も見逃せない。元寇によってそれまでは地方でバラバラになっていた武士集団が日本を守るために一つとなった。

 敗戦後に新宗教ブームが興ったが、これも高度経済成長で熱が冷めた。宗教は経済に駆逐される。

 貨幣は万人が信ずるという点において最強の宗教と化した。今となっては疑う者は一人もあるまい(笑)。果たしてマネーの速度を超える情報は今後生れるのだろうか? 経済を超える交換の仕様は成立するのだろうか? 現段階では全く思いつかない。

2019-07-28

チャーチルを冷やかした辻政信はラオスで殺害された/『小室直樹vs倉前盛通 世界戦略を語る』世界戦略研究所編


 ・チャーチルを冷やかした辻政信はラオスで殺害された

『悪の論理 ゲオポリティク(地政学)とは何か』倉前盛通
『新・悪の論理』倉前盛通
『情報社会のテロと祭祀 その悪の解析』倉前盛通
『自然観と科学思想 文明の根底を成すもの』倉前盛通
『悪の超心理学(マインド・コントロール) 米ソが開発した恐怖の“秘密兵器”』倉前盛通
『悪の運命学 ひとを動かし、自分を律する強者のシナリオ』倉前盛通
『悪の戦争学 国際政治のもう一つの読み方』倉前盛通
『悪の宗教パワー 日本と世界を動かす悪の論理』倉前盛通

小室●だから、イギリス軍というのは、日本軍だけに関しては口惜しがって怒るわけね、そうでしょう。

倉前●シンガポールで、英国軍10万人、日本軍3万人で、3万の軍隊に10万の軍隊が降伏したんだから。今までの英国の歴史ではそういうことはあり得ないですよね。それで、それをチャーチルは『第二次大戦回顧録』に、10万の英国軍が3万の日本軍に降伏したと書いていないですよ。それを辻政信が言わんでもいいのに、おまえさんの回顧録には、10万のイギリス軍が3万の日本軍に降伏したことが書いていないじゃないか、とひやかしの手紙を出したんです。それでチャーチルが怒ったそうです、ものすごく。
 そのときに辻政信と同期生の特務機関長だった人が、おまえ、いらんことをするな、イギリスはこわいんだぞ、何されるかわからんぞ、イギリスは何十年後でも仕返しするんだからと忠告したそうですが、辻政信は、そんなこと大丈夫だと言っていましたら、案の定、ラオスで行方不明になったでしょう。あれはそういうことからすると、イギリスの特務機関に殺されたんだとその筋の人は言っている。イギリスという国は必ず仕返しをする。その辻政信と同期だった人も、わしはイギリスがやったと思っとる、それはチャーチルをひやかしたからだ、と言っています。

小室●イギリスは普通、相手が何百倍だって勝つんだから。ところが、日本軍に関しては何分の一かの日本軍に……。

倉前●負けて降参しちゃった(笑)。

【『小室直樹vs倉前盛通 世界戦略を語る』世界戦略研究所編(世界戦略研究所、1985年)】

 ハイレベルな床屋談義といった内容である。大東亜戦争の戦略ミスに関しては驚くほど見解が一致している。

 多分読み返すことはないと思うが、本書によって倉前盛通を知ったのは大きな収穫であった。あの小室直樹が「先生」と呼ぶのだからその学識に間違いはなかろう。

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2019-07-10

レッドからグリーンへ/『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男


『人類史のなかの定住革命』西田正規
『砂糖の世界史』川北稔
『砂の文明・石の文明・泥の文明』松本健一

 ・動物文明と植物文明という世界史の構図
 ・黒船ペリーが開国を迫ったのは捕鯨船の補給地を確保するためだった
 ・中東が砂漠になった理由
 ・レッドからグリーンへ

『文化がヒトを進化させた 人類の繁栄と〈文化-遺伝子革命〉』ジョセフ・ヘンリック
『家畜化という進化 人間はいかに動物を変えたか』リチャード・C・フランシス
『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』ジェームズ・C・スコット
『文明が不幸をもたらす 病んだ社会の起源』クリストファー・ライアン
『人類の起源、宗教の誕生 ホモ・サピエンスの「信じる心」が生まれたとき』山極寿一、小原克博
『一神教の闇 アニミズムの復権』安田喜憲
『石田英一郎対談集 文化とヒューマニズム』石田英一郎
『人類の起源、宗教の誕生 ホモ・サピエンスの「信じる心」がうまれたとき』山極寿一、小原克博
『人類と感染症の歴史 未知なる恐怖を超えて』加藤茂孝
『感染症の世界史』石弘之

必読書リスト その四

石●「レッドからグリーンへ」というのが、最近の皮肉をこめたスローガンとなっているぐらいです。つまりマルキシズムの居城を失った思想家たちの一部が、環境に生きる道を見出したわけです。

【『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之〈いし・ひろゆき〉、安田喜憲〈やすだ・よしのり〉、湯浅赳男〈ゆあさ・たけお〉(洋泉社新書y、2001年/新版、2013年)】

 第二次世界大戦中におけるマルキストの浸透については以下の書評に書いた。

大衆運動という接点/『折伏 創価学会の思想と行動』鶴見俊輔、森秀人、柳田邦夫、しまねきよし

 ソビエトスパイの暗号解読文書「ヴェノナ」(Wikipedia/『ヴェノナ』ジョン・アール・ヘインズ、ハーヴェイ・クレア)は公開されたものの歴史を修正するところにまでは至っていないのが現状だ。

 学生運動や安保闘争が高まる昭和30年代、左翼は公害病にもコミットしていた。石牟礼道子〈いしむれ・みちこ〉の言葉はあまりにも有名だ。「極端な言い方かもしれませんが、水俣を体験することによって、私たちがいままで知っていた宗教はすべて滅びたという感じを受けました」(水俣病事件と「もうひとつのこの世」:萩原修子)。

 左翼勢力は更に空港(三里塚闘争)やダム建設の反対運動にも関わる。

 公害問題は環境意識への芽生えではあったが、企業vs.被害者というレベルの意識に留(とど)まっていた。1962年(昭和37年)にレイチェル・カーソンの『沈黙の春』が、そして1972年(昭和47年)にドネラ・H・メドウズの『成長の限界 ローマ・クラブ「人類の危機」レポート』が刊行された。日本では1974年(昭和49年)から有吉佐和子が朝日新聞に『複合汚染』の連載を開始した。

 人々の概念が少しずつ変化する中でオゾン層破壊が明らかとなる(1974年)。1985年にオゾン層の保護のためのウィーン条約が採択され、日本も1988年に加わった。これが環境問題のハシリだろう。その後1990年代から家庭ゴミの分別が始まる(「環境問題の歴史」を参照した)。

 環境問題は左翼にとっては渡りに舟であった。「地球に優しい」という標語には誰一人逆らえない。「レッドからグリーンへ」運動表現を変えた赤組はその後、人権~性差解消~ポリティカル・コレクトネスと看板を掛け替える。

 この間、進歩的文化人は良心的勢力・リベラルと仮面を付け替えた(進歩的文化人については谷沢永一著『こんな日本に誰がした 戦後民主主義の代表者・大江健三郎への告発状』『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人』『誰が国賊か 今、「エリートの罪」を裁くとき』が詳しい)。



金儲けのための策略/『正義で地球は救えない』池田清彦、養老孟司

中東が砂漠になった理由/『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男


『人類史のなかの定住革命』西田正規
『砂糖の世界史』川北稔
『砂の文明・石の文明・泥の文明』松本健一

 ・動物文明と植物文明という世界史の構図
 ・黒船ペリーが開国を迫ったのは捕鯨船の補給地を確保するためだった
 ・中東が砂漠になった理由
 ・レッドからグリーンへ

『文化がヒトを進化させた 人類の繁栄と〈文化-遺伝子革命〉』ジョセフ・ヘンリック
『家畜化という進化 人間はいかに動物を変えたか』リチャード・C・フランシス
『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』ジェームズ・C・スコット
『文明が不幸をもたらす 病んだ社会の起源』クリストファー・ライアン
『人類の起源、宗教の誕生 ホモ・サピエンスの「信じる心」が生まれたとき』山極寿一、小原克博
『一神教の闇 アニミズムの復権』安田喜憲
『石田英一郎対談集 文化とヒューマニズム』石田英一郎
『人類の起源、宗教の誕生 ホモ・サピエンスの「信じる心」がうまれたとき』山極寿一、小原克博
『人類と感染症の歴史 未知なる恐怖を超えて』加藤茂孝
『感染症の世界史』石弘之

必読書リスト その四

石●結局イスラムは、ブタを捨ててヤギとヒツジに頼ったわけです。ヤギとヒツジは、ある意味でいちばん自然を破壊する家畜ですよ。イスラム文化の支配したところが砂漠化していったのは理解できます。アラビア半島から始まってインド亜大陸、中央アジア、北アフリカ、スペイン南部まで、イスラムの支配した地域はほとんど砂漠です。ヤギとヒツジのせいだといってもいい。

湯浅●根まで食べちゃうわけですからね。

安田●インドがなぜ肉食をやめたのかということは、いずれにしても21世紀の大きなテーマになる。いずれ人類はそんなに肉を食えない時代を迎えるはずです。インドの紀元前5世紀における肉食の放棄は、結局、放棄するしかなかったということかもしれません。

【『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之〈いし・ひろゆき〉、安田喜憲〈やすだ・よしのり〉、湯浅赳男〈ゆあさ・たけお〉(洋泉社新書y、2001年)/新版、2013年)以下同】

 するってえとヤギとヒツジこそは一神教の父というわけだな。ユダヤ教からキリスト教が生まれ、キリスト教からイスラム教が生まれた。この三つを総称してアブラハムの宗教という。

 一神教は砂漠の宗教(『離散するユダヤ人 イスラエルへの旅から』小岸昭)で、多神教は森の宗教と考えられている。砂漠に存在するのは砂と風だけだ。呆気(あっけ)なく死んでしまうことも多かったことだろう。人々は救いを求めて天を仰ぐ。これが「信仰」の謂(いわ)れだ(東洋は信心)。

「砂漠では、心を動かされる何もないので、人の思考は自然に天に向かう。そして唯一の神を崇拝する宗教が誕生したわけだ」(長谷川良、2015年)。

「砂漠の中では砂か風しかない。そういうものでは人間の無力さを克服できない。だからこそ、もう「絶対的なもの」を求めないと、砂漠風土ではやっていけないと。こうなると、もう強大な力を持った一つの神様しか選択できない。こういう心理状況が働いたと考えたほうが理解し易いんじゃないでしょうか。だから砂漠の神が一神教。自然の豊かなものがあるところでは多神教が普通になる。そんな風土が生み出したものでもあるんです」(安岡譽)。

 新約聖書ではイエスを「善き羊飼い」に、そして信徒を「迷える羊」に喩(たと)える。ま、どっちにしてもあんたたちは中東を砂漠化したわけだよ。

 彼らが希(こいねが)った天国は水が豊富で滴り落ちるような緑に溢れていたことだろう。そう。我々にとっては見慣れた風景だ。砂漠と比べれば日本はまさに天国といってよい。

 奴隷は家畜文化から生まれた。日本に奴隷制度はなかった(『日本人と「日本病」について』岸田秀、山本七平)。現代においても先進国が発展途上国の資源を搾取し、労働や兵役を国民に押しつける形でソフトな奴隷制は温存されている。

2019-07-08

黒船ペリーが開国を迫ったのは捕鯨船の補給地を確保するためだった/『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男


『人類史のなかの定住革命』西田正規
『砂糖の世界史』川北稔
『砂の文明・石の文明・泥の文明』松本健一

 ・動物文明と植物文明という世界史の構図
 ・黒船ペリーが開国を迫ったのは捕鯨船の補給地を確保するためだった
 ・中東が砂漠になった理由
 ・レッドからグリーンへ

『文化がヒトを進化させた 人類の繁栄と〈文化-遺伝子革命〉』ジョセフ・ヘンリック
『家畜化という進化 人間はいかに動物を変えたか』リチャード・C・フランシス
『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』ジェームズ・C・スコット
『文明が不幸をもたらす 病んだ社会の起源』クリストファー・ライアン
『人類の起源、宗教の誕生 ホモ・サピエンスの「信じる心」が生まれたとき』山極寿一、小原克博
『一神教の闇 アニミズムの復権』安田喜憲
『石田英一郎対談集 文化とヒューマニズム』石田英一郎
『人類の起源、宗教の誕生 ホモ・サピエンスの「信じる心」がうまれたとき』山極寿一、小原克博
『人類と感染症の歴史 未知なる恐怖を超えて』加藤茂孝
『感染症の世界史』石弘之

必読書リスト その四

石●石炭ガスが登場する以前、大都市の街頭の燃料にクジラの油を使っていて、1740年代のロンドンでは5000もの街灯が鯨油でともされていたそうです。これでは、いくら捕鯨をやっても足りないですよ。欧米で捕鯨の圧力が少し下がるのは、19世紀に入って石炭ガスが普及してきてからです。

(中略)

石●アメリカの捕鯨産業は1650年頃東海岸で始まり、1700年頃にはそこも捕り尽くして北極海に出ていく。それも、湯浅さんがいわれたとおり、1830年頃には資源は枯渇して太平洋に進出を余儀なくされる。19世紀半ばには、もう太平洋の東ではクジラが壊滅し、さらに西へ西へと進出したわけです。しかし、捕鯨船への燃料や水の補給ができなくなり、そこで強面のペリー提督を日本に送り込んで、捕鯨船への補給のために開国の圧力をかけることになる。

【『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之〈いし・ひろゆき〉、安田喜憲〈やすだ・よしのり〉、湯浅赳男〈ゆあさ・たけお〉(洋泉社新書y、2001年)/新版、2013年

 しかも欧米人は鯨肉を食さなかった。油を絞った後は巨大な遺骸を捨てていたのだ。黒船来航は1853年(嘉永6年)。それから100年余りを経て、今度は日本の捕鯨が欧米から問題視される(『動物保護運動の虚像 その源流と真の狙い』梅崎義人)。

 誰が何を食べようと文句を言われる筋合いはないはずだが、白人は「知性の高い動物を食べるべきではない」と宣(のたま)う。同じ人間であるはずの黒人や黄色人を散々差別してきた白人の動物に対する憐憫(れんびん)の情はどこか歪んだものを感じさせる。

 要は「ルールを決めるのは俺たちだ」と言いたいのだろう。もちろんその裏側には「お前らは黙ってルールに従えばよい」という人種差別感情がべったりと貼り付いている。

 日米和親条約(1854年)を始めとする不平等条約は「黒船レジーム」といってよい。これを解消するために日本は日清戦争日露戦争を戦い、やっとの思いで半世紀後の1911年に関税自主権を回復した。国際社会で対等な国家として認められるのに我々の父祖がどれほどの苦労をしてきたことか。

 鯨のために開国を強いられ、開国すると鯨のために弾劾される。日本にとっては忌まわしい動物と言えなくもない。

2019-02-17

「あげる」と「やる」/『日本人の矜持 九人との対話』藤原正彦


『妻として母としての幸せ』藤原てい
『天才の栄光と挫折 数学者列伝』藤原正彦
『祖国とは国語』藤原正彦
『国家の品格』藤原正彦

 ・「あげる」と「やる」

『夫の悪夢』藤原美子
『日本人の誇り』藤原正彦

藤原●彼らも一種のエリートなのですから、日本の期待を背負っているんだという気概を少しは持ってくれないと困りますね。

曽野綾子●私もそう思います。彼らを送り出すために、税金も含めて、さまざまな人がさまざまなバックアップをしてきた。それを自覚した人間になってほしい。
「自分を褒めてあげたい」(※筆者註:有森裕子の発言が誤って伝わったもの)なんて、誰が最初に言い出したのか。気持ちが悪い言葉ですね。ああ言われたら、こちらは「ああ、そうですか」と言い返すしかない。自分自身への評価は沈黙のうちにするべきことです。そもそも「褒めてあげたい」という日本語が間違っている。正しくは「褒めてやりたい」ですよ。「子供にお菓子をやる」のであって、「子供にお菓子をあげる」のではない。

藤原●いい齢した大人の使う言葉ではありませんね。

曽野●それと、いまの日本の教育で欠けていると思うのは、「人を疑え」ということですね。それは他人を拒絶せよ、ということではない。むしろ、人間を信じ、人間とかかわりを持つためには、まず疑わなくてはならないのです。たとえば、子供が知人に誘拐されたり、殺されたりする事件が起きると、必ず「人を信じられないとはなんと悲しいことでしょう」というコメントが登場しますが、人はもともと信じられないものなんです。

【『日本人の矜持 九人との対話』藤原正彦(新潮社、2007年/新潮文庫、2009年)】

 齋藤孝、中西輝政、曽野綾子、山田太一、佐藤優、五木寛之、ビートたけし、佐藤愛子、阿川弘之らとの対談集。どれも滅法面白い。佐藤優に冴えがないのは保守派の藤原を警戒したためだろう(笑)。五木寛之なんぞは自虐史観の持ち主だが、古い歌謡曲を巡るやり取りには阿吽(あうん)の呼吸すら感じた。

 記憶があやふやなのだが冒頭の「彼ら」とは多分オリンピック選手のことだろう。私が曽野綾子と接するのは実に『誰のために愛するか』(青春出版社、1970年)以来のことである。クリスチャンと左翼の親和性が高いのはつとに指摘されるところだが、曽野綾子は珍しく保守論客である。しかも多くの物議を醸(かも)してきた。あまり好きな人物ではないが藤原が選ぶのだからそれなりの理由があるのだろう。

 先程「誰々に物をあげる」という場合の「あげる」が「上げる」でいいのかどうかを調べていた。

人に物をあげるの、「あげる」にはどの漢字を使うのが正しいですか??上げる... - Yahoo!知恵袋

 で、ふと曽野の指摘を思い出したというわけ。読んだ時、ハッとした。意外と気づかないものである。その気づかないところに不明の不明たる所以(ゆえん)があるのだろう。

 私が長らく曽野綾子を敬遠してきたのは、まだ保守が右翼と思われていた時代背景の影響が強い。ま、注目を集めるために極論を述べることは決して珍しいことではない。また保守系女性論客は明らかに叩かれやすい傾向があり、普段は言論の自由を声高に主張する左翼どもが平然と言論を抑圧している。

「あげる」と「やる」という言葉遣いの狂いにも、戦後の悪しき平等主義が影を落としている。

日本人の矜持―九人との対話 (新潮文庫)
藤原 正彦
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2018-10-31

「書く」行為に救われる/『往復書簡 いのちへの対話 露の身ながら』多田富雄、柳澤桂子


『免疫の意味論』多田富雄
『こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち』渡辺一史
『寡黙なる巨人』多田富雄
『わたしのリハビリ闘争 最弱者の生存権は守られたか』多田富雄

 ・「書く」行為に救われる

『逝かない身体 ALS的日常を生きる』川口有美子
『ウィリアム・フォーサイス、武道家・日野晃に出会う』日野晃、押切伸一

必読書リスト その二

 先生は一晩にして、声が出ないためにお話ができない(構音障害)という状態になられました。これはどんなにかお辛いことだったと存じますが、失語症(言葉が理解できなくなる)になられなくてほんとうに良かったと存じます。言葉を失うということは、人格を否定されるのと同じくらい辛いことではないかと思います。
 それに致しましても、たおられてから半年も経たないうちに、この「文藝春秋」の原稿を書き上げられるというのは、何というエネルギーでしょう。
 私は思わず字数を数えてしまいました。6000字余り、原稿用紙にして15枚。先生は右半身麻痺になられ、左手しかお使いになれないはずです。左手でワープロを打つと書いておられますが、6000字全部を左指で打ち込まれるご苦労はどんなだったでしょうか。それに締め切りのある原稿は、健康な人にとってもきついものですのに。
 何かに憑かれたように、左手でワープロを打っておられる先生のお姿が目に浮かびます。お座りになることはできるのでしょうか。先生も書くということの不思議を強く感じられたと存じます。
 私も次第に動けなくなり、たいせつにしてきたマウスの研究もやめなければならなかったときに、書くということがどれだけ私を救ってくれたかしれません。私は先生のように有名ではなかったので、書いた原稿が本として出版されるかどうかはまったくわかりませんでした。それでも、書いて書いて、書くことが生きることだったのです。(柳澤桂子)

【『往復書簡 いのちへの対話 露の身ながら』多田富雄〈ただ・とみお〉、柳澤桂子〈やなぎさわ・けいこ〉(集英社、2004年/集英社文庫、2008年)】

 幾度となく読むことを躊躇(ためら)った本である。高齢・病気・障碍(しょうがい)というだけで気が重くなる。ブッダは生老病死という人生の移り変わりそのものを苦と断じた(四苦八苦の四苦)。まして功成り名を遂げた二人である。落魄(らくはく)の思いがあって当然だろう。「露の身」というタイトルが露命の儚(はかな)さを象徴している。

 恐る恐るページを繰った。指の動きがどんどん速度を増して気がついたら読み終えていた。私の懸念は完全な杞憂であった。むしろ自分の浅はかさを暴露したようなものだ。人間の奥深さを知れば知るほど謙虚にならざるを得ない。人の偉大さとは何かを圧倒することではなく、真摯な姿を通して内省を促すところにある。

 私はまず老境のお二方が男と女という性の違いを豊かなまでに体現している事実に驚いた。男の優しさと女の気遣いが際立っている。しかも尊敬と信頼の情に溢れながらも慎ましい静謐(せいひつ)さが漂う。エロスではない。プラトニックラブでもない。これはもう「日本の男と女」としか形容のしようがない。

 老いとは衰えの季節である。老いとは弱くなることで、今までできたことができなくなることでもある。そして「死んだ方がましだ」という病状にあっても尚生きることなのだ。

 多田富雄は脳梗塞で一夜にして構音障害失語症とは別)、嚥下障害、右麻痺の体となった。臨死体験から生還した彼は雄々しく「新しい生」を生き始める。過去の自分と現在の自分を比較するのではなく、ただ現在の自分をひたと見据えた。

「書く」行為に救われたと柳澤桂子が書いているが、我々が普段当たり前にできることの中に実は本当の幸せがあるのだろう。話すこと、聞くこと、書くこと、読むこと……。ひょっとすると生そのものが幸福なのかも知れない。私は生きることをどれほど味わっているだろうか? 美酒を舐め、ご馳走に舌鼓を打つように瞬間瞬間を生きているだろうか? 渇きを癒やすように生の水を飲んでいるだろうか? そんな疑問が次々と湧いて止まない。

「詩は、『書くまい』とする衝動なのだ」と石原吉郎〈いしはら・よしろう〉は書いた(『石原吉郎詩文集』)。多田富雄と柳澤桂子は「動くまい」とする体の衝動と戦うために書いたのだ。

2018-10-18

朝日新聞に抹殺された竹山道雄/『変見自在 スーチー女史は善人か』高山正之:『渡部昇一の世界史最終講義 朝日新聞が教えない歴史の真実』渡部昇一、髙山正之


 ・朝日新聞に抹殺された竹山道雄

『竹山道雄と昭和の時代』平川祐弘
竹山道雄

 朝日新聞の権威に逆らう者に朝日は容赦しない。紙面を使って糾弾し、世間もそれにひれ伏させ、朝日を怒らせた者の処罰を強いる。朝日は神の如(ごと)く無謬(むびゅう)というわけだ。
『ビルマの竪琴(たてごと)』を書いた竹山道雄氏がある時点で消えた。原子力空母エンタープライズが寄港するとき、朝日新聞の取材に氏は別に寄港反対を言わなかった。これも常識人のもつ常識だが、それが気に食わなかった。
 朝日は紙面で執拗に因縁をつけ続けてとうとう社会的に抹殺したと身内の平川祐弘(すけひろ)・東大教授が書いていた。
 南京大虐殺(なんきんだいぎゃくさつ)も従軍慰安婦も沖縄集団自決も同じ。朝日が決め、毎日新聞や中日新聞が追随し、それを否定するものには耳も貸さないどころか、封殺する。

【『変見自在 スーチー女史は善人か』高山正之(新潮社、2008年/新潮文庫、2011年)】



 渡部先生がなぜ狙われたかと言えば、朝日新聞の望まないことを主張したからだ。似たようなケースは、それ以前にもあった。例えば『ビルマの竪琴』で知られる竹山道雄は1968年、米空母エンタープライズの佐世保寄港について、朝日社会面で5名の識者の意見を紹介した中、ただ一人だけ賛成した。これに対して、朝日の煽りに乗せられた感情的非難の投書が殺到し、「声」欄に続々と掲載された。東京本社だけで250通を越す批判の投書が寄せられる中、朝日は竹山の再反論をボツにして、対話を断った形で論争を終結させた。朝日「声」欄の編集長は当時の『諸君!』に、担当者の判断で投書の採用を選択するのはどこでも行われていることと強弁した。
 竹山道雄をやっつけて、「朝日の言うことを聞かないとどうなるか、思い知らせてやる」という尊大さをにじませた。朝日に逆らう者は許さないという思考が朝日新聞にはある。その特性は、そのまま現在まで続いている。

【『渡部昇一の世界史最終講義 朝日新聞が教えない歴史の真実』渡部昇一、髙山正之(飛鳥新社、2018年)】

 渡部昇一は40年にも渡って朝日新聞と戦い続けたという。渡部の寄稿を改竄(かいざん)し、あたかも作家の大西巨人と対談したかのように見せかけ、あろうことか「劣悪遺伝の子生むな 渡部氏、名指しで随筆 まるでヒトラー礼賛 大西氏激怒」との見出しを打った。今時のポリコレ左翼と全く同じ手口である。インターネットがなかった時代を思えば、竹山道雄は社会的に葬られたといっても過言ではあるまい。

『変見自在』はかなり前に読んだのだが、私が竹山の名前を心に留めたのは百田尚樹が虎ノ門ニュースでこのエピソードを語った時であった。人のアンテナは季節に応じて感度が変わる。かつてはキャッチできなかったものが歳月を経て心を振動させることがあるのだ。ニュース番組の何気ない一言が私を竹山道雄へと導いた。

『世界史最終講義』で高山は朝日新聞にまつわる数々の罪状をあげつらう。朝日新聞の誤報を正す記事を産経新聞で大々的に報じたところ、朝日の幹部社員が産経に怒鳴り込んできたエピソードを紹介している。「なぜ殴らなかったのか?」というのが私の疑問である。朝日の横暴もさることながら、その横暴を許す環境があったことも見逃すわけにいかない。

 新聞の読者は所詮大衆である。事実を吟味する精神性もなければ、おかしな理窟に気づくほどの知性も持ち合わせていない。メディアが垂れ流す情報を鵜呑みにし、扇情されることに快感を覚えるようなタイプの人間である。まともな大人であれば芸能人に憧れることはないし、お笑いタレントのギャグで笑うこともなければ、わけのわからない選挙のためにCDを買うこともない。

 1968年といえば私が5歳の頃だ。東京オリンピックを終えて、大阪万博に向かう日本は高度経済成長の坂をまっしぐらに走っていたが、学生運動の炎はいまだ消えるに至っていなかった。マスコミはこぞって学生に甘い顔をした。ものわかりのいい大人を演じたのだろう。進歩的文化人は挙(こぞ)って学生運動を支持し、アメリカのベトナム戦争反対運動と結びついてローカルとグローバルがつながる心地よさも確かにあった。

 景気がいい時に過去を振り返る人はいない。財布に十分なカネがあれば未来しか見えない。さあ、買い物にゆこう。

 日本は軍事的な責任を放棄したままアメリカにくっついてゆくだけで金儲けができた。二度のオイルショックも技術革新で乗り切った。飽食の時代はバブル景気で極まった。一億総中流意識という手垢のついた言葉が不安なき日本社会を象徴していた。レールの方向性が正しければ人々はただ走るだけである。

 発展する社会はやがて行き詰まり、停滞の中から新しい時代が産声を上げる。社会が変化し時代が揺れ動き時こそ知性は必要とされる。1968年であれば確かに竹山道雄を死なすことはできただろう。だがそれからちょうど半世紀を経て私が竹山を必要としている。本物の人物は埋もれることが決してない。死後であろうとも必ず輝き始める。金(きん)は地中にあっても尚金なのだ。

 そしてかつて竹山を葬った朝日新聞が凋落の憂き目を見ている。既に常識のある社会人からすれば、赤旗や聖教新聞と同じ類(たぐい)のプロパガンダ紙と化した。そろそろ朝日新聞の墓を作っておいてもいいだろう。

2018-10-06

「空気」と「事実」/『日本教の社会学』小室直樹、山本七平


『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹

 ・「空気」と「事実」

『消費税は民意を問うべし 自主課税なき処にデモクラシーなし』小室直樹
『小室直樹の資本主義原論』小室直樹
『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は滅亡する』小室直樹
『日本の敗因 歴史は勝つために学ぶ』小室直樹
『悪の民主主義 民主主義原論』小室直樹
『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹
『数学嫌いな人のための数学 数学原論』小室直樹
『日本人のための憲法原論』小室直樹

必読書リスト その四

山本●つまり、「空気」をつぶす方法というのは一つしかないんです。事実を事実としていうことです。重要なことは、「空気」が規範化されればドグマになるというような前提のもとでいえば、ある場合には事実をいうことが日本教の背教になる。

小室●そこに「空気」の恐ろしさがある。また「事実」と「実情」との連関でいえば、実情というのは「空気」を通してみた事実でなければならないのであって、生(なま)の事実をいったら背教です。

(中略)

小室●ですから、日本人の嘘つきの定義と、欧米人の嘘つきの定義は全然違う。欧米では事実と違うことをいう人が嘘つき。日本でなら「実情」が「事実」と異なる場合には、事実と違うことをいっても嘘つきとはいわれない。これが、日本人が欧米人に誤解される大きなポイント。

【『日本教の社会学』小室直樹〈こむろ・なおき〉、山本七平〈やまもと・しちへい〉(講談社、1981年学研、1985年/ビジネス社、2016年)】

「日本教」は山本七平の造語で、「空気」もまた山本が息を吹き込んだキーワードである(『「空気」の研究』1997年)。

 私は長らく山本七平を嫌悪していた。10代後半で本多勝一を読んだためだ。1980年代といえばまだまだ左翼が猛威を振るっていた頃である。『貧困なる精神』で「菊池寛賞を返す」(『潮』1982年1月号)を読んだ時は「これぞ男の生き方だ」と友人のシンマチにも無理矢理読ませたほどだ。その後、私は『週刊金曜日』を創刊号から購読し、首までどっぷりと戦後教育の毒に浸かりながらいつしか50歳となっていた。四十で惑いの中にいた私が五十で天命を知る由(よし)もない。

 少しばかり変わったのは3.11の震災後、天皇陛下に対する敬愛の念が深まったことである。道産子で皇室に関心を抱く人は少ない。日教組が強いこともあって国歌を歌う機会もほぼ無い。不敬を恐れず申し上げれば、かつての私にとっては先進国の国家元首よりも影の薄い存在だった。それがどうだ。国民へのメッセージを読み上げる陛下のお姿を拝見した途端、心の底から日本人の魂が噴き出した。それは噴火といってもよい激情だった。

 自虐史観に気づいたのはつい4年前のことだ。菅沼光弘の著作が私の迷妄を打ち破った。それから山本七平も読むようになったのだが文章が馴染めず読了できない。文体が粘ついていて虫唾が走る。その点、対談なら読みやすい。

「空気を読めよ」という言葉は漫才ブーム(1980年)の頃に出てきたと記憶する。その後2000年代になって「KY」として復活した時、吃驚仰天した覚えがある。「その場の空気」には脈絡があり、共有される感情が流れている。日本人にとってはそこに「合わせる」のが一種の礼儀と見なされる。

「事実を事実としていうこと」を山本は「水を差す」との一言で表す。確かに「それを言っちゃあおしまいよ」という発言を我々は極度に恐れる。やはり日本人は論理よりも情緒を重んじるためなのか。

 会社の会議であればまだしも、戦争の決定すら空気が支配していたという。日本は外交において「信義を貫けば相手も応える」と思い込んでいて、特にヨーロッパ諸国の権謀術数に振り回された。平沼騏一郎首相は「今回帰結せられたる独ソ不侵略条約に依り、欧州の天地は複雑怪奇なる新情勢を生じた」との談話を発表し内閣は総辞職した(1939年)。

 戦前の日本はヒトラーを礼賛する声が多かった。極東という地理的要因も疎外感を生んだのかもしれない。日本の宿敵ソ連と手を組むとは何事かという思いは理解できる。今となってはあまりにもウブな外交認識が嘲笑の的となっているがあながち的外れでもなかった。内閣総辞職からひと月も経たぬうちにドイツとソ連はポーランドを侵攻した。ソ連はポーランドの将校・官僚・聖職者・大学教授を収容所へ送り、半年後に4000人以上を殺戮した。カティンの森事件(1940年)である。ソ連を攻めたドイツが遺体を発見したが、あろうことかソ連は「ドイツによる虐殺だ」として戦後のニュルンベルク裁判でもこれを告発した。戦争に敗れたドイツは強く抗弁することができなかった。ナチスの暗号を解読していたイギリスは真実を知りながらも沈黙を保った。戦勝国としてソ連の嘘に加担したわけである。ソ連が自らの蛮行を認めたのは何と1990年になってからのことである。

 話を戻そう。日本人の言論空間が「空気」に支配されているのであれば、「空気」を薄める努力をするべきだ。「空気」は抑圧として働くので自由な発言が損なわれる。地域活性の鍵を握るのは「若者、馬鹿者、よそ者」と言われるが、固定観念に囚われない人、既成の枠に収まらない人、今までのやり方を知らない人を巧く配置することが望ましい。

 要はリーダーが何でも話し合える雰囲気を作れるかどうかに掛かっている。「場を弁えろ」などという居丈高な姿勢であれば決まりきった結論しか出ない。

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2018-09-10

わかりやすいニュース解説を求める「池上彰」化/『ジャーナリズムの現場から』大鹿靖明


 ・わかりやすいニュース解説を求める「池上彰」化

『創価学会秘史』高橋篤史
『週刊東洋経済 2018年9/1号 宗教 カネと権力』

 ――そういう気概が報道機関全体で失われてきていませんか? 訴訟はもとより抗議や苦情に恐ろしくナーバスになってしまい、安全運転しかなくなっています。

高橋篤史●そういう業界全体の空気は感じます。とりわけ雑誌ジャーナリズムの衰退を感じますね。「FACTA」ぐらいですよ。がんばっているのは。

【『ジャーナリズムの現場から』大鹿靖明〈おおしか・やすあき〉(講談社現代新書、2014年)以下同】

 勘違いしていた。沖縄の米軍基地反対運動で山城博治が沖縄防衛局職員を暴行した動画を撮影したのは「THE FACT」で幸福の科学が運営している。一方、「FACTA」は元日経新聞論説委員の阿部重夫が立ち上げた情報誌で企業批判や宗教批判に特徴がある。すっかり混同していた。高橋が持ち上げる「FACTA」だが、実は楽天の三木谷浩史が影のスポンサーで捏造記事によって株価を操作しているとの噂もある(地に堕ちた出版社「ファクタ」の裏の顔 : 真相の扉)。

高橋●いまのジャーナリズムを覆っているのは、わかりやすいニュース解説を求める「池上彰」化ですよ。
 池上さん自身の功績は大いにあるとは思いますが、あまりにそればっかりだと読者のリテラシーが一向にあがってこない。それどころか今の読み手は、書き手に対して「もっとわかりやすく解説してくれ」とか「どうすればいいのか答えを教えてほしい」と求めてばかりいるようになってしまう。かつての読み手はもっと向上心、向学心をもって書物に触れていたと思います。

「池上彰」化だってさ(笑)。言い得て妙だ。テレビ番組で何も考えていない若い女性タレントや頭の悪そうな若手芸人を起用するのは、視聴者のレベルに合わせているためか。これをツイッター化と言い換えてもよい。140字以内で説明せよ、と。

 池上彰は馬脚を露(あら)わし始めており、ツイッターでも批判する向きが増えつつある。メディアリテラシーを磨くためには格好の人物で、「何を言ったか」よりも「何を言っていないか」に注目する必要がある。池上彰は意図的に情報を隠蔽(いんぺい)し、ありきたりの見方で一般化し、ひっそりと誤った結論に導く。私は池上を「ソフト左翼」と呼んできたが、実態としては「ソフトな語り口の左翼」に傾いている。

 ただし池上を軽んじるのは危険で、田原総一朗に辟易した視聴者を取り込んでいると思われるが、テレビ局において一定の権力を握りつつあるようだ。

八幡和郎氏「池上彰の番組から取材があってさんざん時間を取らされたあと『池上の番組の方針で、番組では八幡さんの意見ではなく池上の意見として紹介しますがご了解いただけるでしょうか』といわれた」~ネット「そうか!そうだったのか!」 | アノニマスポスト ネット

 高橋篤史の発言は一見するともっともなのだが、その言葉がジャーナリストにも跳ね返ってくることを自覚すべきだろう。取材情報を盛り込みすぎて結論の抽象度が低すぎる記事やノンフィクションが、読者の向上心を奪っているケースも少なくない。「わかりやすい解説」「安易な答え」に需要があるのならばそれを書けばよい。一定数の読者を獲得しながら自分の好きなように書いても遅くはあるまい。やろうと思えば有料メールマガジンの配信やオンデマンド出版は誰にでもできるのだから、書き手にとっては追い風が吹いていると考えてよい。

 大鹿靖明は朝日新聞の記者である。それだけで信用ならない。従軍慰安婦捏造記事によって日本の国威を失墜させたり、中国共産党によるチベット侵略を擁護してきた新聞社(『チベット大虐殺と朝日新聞』岩田温〈いわた・あつし〉)の人間にジャーナリズムを語る資格があるのだろうか? 講談社ノンフィクション賞を受賞した程度で増長するのは早すぎる。本書に安田浩一が入っているのも人選に政治色があり過ぎる。

 特定の政治信条や宗教思想に被(かぶ)れた人々は嘘に目をつぶることができる。理想や目的を目指す彼らの言動・言論はプロパガンダとならざるを得ない。大衆の操作・誘導を旨とする姿勢はやがてファシズムに向かうことを避けられない。自分たちを高みに置いた途端、見えなくなるものが増えてくる。「見える」ことには「見えない」ことを含んでいる。その自覚を忘れてしまえば、彼の言葉の結論は「私に従え」というメッセージとなってしまうだろう。

2018-08-10

辺境文化とバイタリティ/『石田英一郎対談集 文化とヒューマニズム』石田英一郎


『昭和の精神史』竹山道雄
『竹山道雄と昭和の時代』平川祐弘
『見て,感じて,考える』竹山道雄
『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクションII』竹山道雄:平川祐弘編
『ビルマの竪琴』竹山道雄
『歴史的意識について』竹山道雄
『主役としての近代 竹山道雄セレクションIV』竹山道雄
『みじかい命』竹山道雄

 ・辺境文化とバイタリティ

『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男

辺境文化とバイタリティ

竹山道雄●元に戻しまして、石田さんは、日本人は軽佻であってバイタリティがあるということを書いていますが、軽佻浮薄というと、これはネガティブな価値観をふくんだ言葉ですね。それと関係づけると共に、もっと別な、ポジティブなものを考えたいと思うんですよ。軽佻でバイタリティなものと裏腹をなすものというと、感受性の鋭さとダイナミックであるということではないでしょうか。

石田英一郎●ええ、そうですね。

竹山●だからそう考えるとそのセンシビリティは、『古事記』以来やはり日本人に独特なものです。ダイナミズムのほうが出てきたのは、どうも応仁の乱あたりからで、それまでは、特に激しいバイタリティを示さなかった。人口が少なかったせいもあるでしょうが……。それで、応仁の乱あたりから進取的になって、結局一番実力のある者が天下を統一し、自分の思うままの社会をつくった。つまり「人工作品としての国家」という絶対制をつくったのは信長以来で、それまでは、日本は西洋の昔と同じように多元的であった。それからあとは一元的になったわけです。信長、秀吉のころなどは、おそろしく拡張して、外へ出ていく。ちょうどイギリス人みたいなもので、海賊になって出ていった。それが鎖国のためにふさがれた。その鎖国も、結局実力のある者が天下を治めるためだったので、一種の歴史の流れに沿った絶対制というものをつくったものかと思うんです。
 そこのこまかいところはともかくとして、日本にだけセンシビリティとダイナミズムがあって近代化ができた。日本は東洋での例外であるように思えますが、一体例外なのか、もしそうだとしたらなぜ例外なのかということは大きな問題ですけど、わからないのです。そこのところをひとつやってくださいませんか。

石田●いや、また難しい問題を……。

竹山●むずかしいですね。それに日本じゃ文化の発展が絶えずあったでしょう。イタリアにはローマとルネッサンスだけで、あとはない。16世紀、17世紀と、あとはないといったふうに、よそではポツンとできて、あとはだめになるのが多い。シナなんかも、ぐらいまでは文化的創造力があったけれども、次に来るものがない。日本も、徳川の後半期とか、それからわれわれが学生だった大正、昭和の初めとか、あんな気分が続けば滅びていたと思うんですよ。しかし、いつも新しいものが興って、新しい状態になって生まれかわってきているところは、東洋で日本だけが例外と違いますか。

石田●まあ現実的にそうでしょうね。

竹山●なぜですか。

石田●なぜということを完全に解釈しつくすことは不可能だと思うんです。ぼくの一つの観点としては、いわゆる辺境文化というもの、日本がユーラシア大陸文明のさいはての辺境に位置して、しかも大陸から適当に隔離されていたというその条件は、やっぱり無視できない。イギリスも辺境だったけれども、ドーバーにくらべると、対馬海峡は5倍も広い。そして大陸から外敵の侵入や征服を受けるという危険なしに、今度の大戦まで、とにかく千数百年――まあ建国の事情はどうだったか知らないけれども――適当に隔離された大陸から、自分の好きな文明だけを一方的に吸収していくことが可能であった点ですね。陸続きにいろんなまわりの民族と、侵入したり侵入されたりの、あの対立相剋を繰り返し、異民族にいじめ抜かれたという経験なしに、大陸のおもしろいと思ったものをどんどん取り入れてきた。
 それから辺境文化というものは、一番おくれて何でも進んだ文明を取り入れ取り入れていく。そのうちに今度は文明の中心が、元の発生の地から辺境へと移動していく。どうも世界史の一般的な形式としてそういう傾向が認められます。その意味ではアメリカもソ連も辺境だったし、日本も辺境だった。古代オリエントの文明から見れば辺境にすぎなかった西ヨーロッパに文明のピークが移ったときは、オリエント文明はもとより、これにつづくエーゲ海ギリシア、ローマの文明も衰亡してますし、西ヨーロッパもすでに文化の生命力の衰えを示しはじめているのかもしれません。ところが最後に日本は、まだ生命の焔が下火になる条件が熟さないままに、西ヨーロッパよりももっと長い歴史を経てきたんじゃないか。それで説明の全部にはならないけれども、この世界の一般形式は無視できないだろうと思うんです。
 それで、さっき応仁の乱以後とおっしゃったんですが、その前でも、たとえば大化改新前後は、やはり非常なエネルギーの爆発したものがあったのではないか。船がどれだけ沈んでも、次から次へとこりずに遣唐使を、大陸に送り出す。そして大唐の文明を貪るように吸収しようとした。聖徳太子から大化改新、壬申の乱あたりまでの民族的エネルギーには、応仁の乱以後に似たものが見られないでしょうか。

竹山●応仁の乱ちょっと前、足利時代なんかにも、貿易や海賊なんかずいぶん出ているわけですね。

石田●吉野朝から和冦の話題が見られますし、それからずっと八幡船(ばはんせん)とか御朱印船とか、安土桃山から徳川初期にかかての日本人のヴァイタリティー(ママ)は相当なものだった。

竹山●その辺境にあって、あとからあとからと新しい文明のチャレンジを受ける。その常にチャレンジを受けてリスポンドするアティテュード――心がまえが日本人の中に定着していると、そういうこともいえるでしょうね。

石田●ええ、それはもう主体の側にチャレンジを受けて立つだけの条件が具わっていたということがもちろん前提になるでしょう。しかも侵入や征服のような形式でないチャレンジをほどよく、何度も繰り返して受けてきた。これは大陸の民族とは違った大きな特徴ではないでしょうか。したがって非常にホモジーニアスな、等質的な民族がこの島の上ででき上がった。陸続きにヘテロジーニアスな民族と民族とがひしめき合ったような、ユーラシア大陸と比べて、適度の隔離が、日本の島の中で同質的な文化を持った単一民族を形成せしめた。この単一民族の間では、ことばや、論理を媒介しないでも、いわゆるハラとハラとがツーカーで通じ合えるコミュニケーションの世界が特に形成されやすかったのではないか。それがまた日本人の情緒性の発達とも関係があるだろう、とこんなふうにぼくは考えるわけです。

竹山●異質の文化はあとからあとから入ってきて、日本独特のベールを上へかけて、結局同質に近いようなものにしてしまいますね。

石田●してしまうんですね。それは、ほかから力で押しつけられないからそれができるのではないか。主体性をもって、その点を歴史家は見落としてはならないと思うんです。模倣模倣というけれども、単なる模倣でもないんですね。(『自由』昭和43年8月号)

【『石田英一郎対談集 文化とヒューマニズム』石田英一郎〈いしだ・えいいちろう〉(筑摩叢書、1970年)】

「チャレンジ・アンド・レスポンス」とはアーノルド・J・トインビーの史観で「文明発生の原因は、自然環境や社会環境からの挑戦(チャレンジ)に対する人間の応戦(レスポンス)にある。創造的少数者が大衆を導きながら文明を成長させてゆくが、やがて創造性を失い、支配的少数者になり、文明は挫折する。--------(そこから、宗教的文化を内包した新しい文明が生まれる)」(歴史観(3) 文化史観 | ”現在・過去・未来” 歴史の日暦)というもの。

 親しみが漂う阿吽(あうん)の呼吸で対談が進むのは長年の友情によるものだろう。実はこの二人、同い年で旧制中学(東京府立第四中学校〈現東京都立戸山高等学校〉)~旧制一高以来の友人なのだ。本書に収められている九つの対談のうち三つが竹山との対談である。内容は『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』に先んじるもので、文明史を通して日本の文化や特性を浮かび上がらせる稀有(けう)な視点となっている。

 竹山としては当然、左翼の進歩史観に対する忸怩(じくじ)たる思いがあり、就中(なかんづく)ナチス・ドイツと日本を同列に裁いた東京裁判に対する拭い難い嫌悪感があったに違いない。そこから正視眼に基づく日本文明の再検証を行うところに対談の眼目を置いたのであろう。

 石田が答えた「辺境の地の利」も絶妙な視点である。論理(ロゴス)は神学によって精錬されたが、所詮相手を言い負かす類いの代物だ。異なる民族をまとめ上げるために必要とされたのだろう。ところが日本の場合、侵略-非侵略という関係性の異民族は存在しなかった。パトス(情念)ではなく情緒に向かったところに日本文化の特徴がある(情緒については岡潔を参照せよ)。

 結局、大陸文化の波は日本の岸辺を洗ったが、押し流すまでには至らなかったということなのだろう。変化を好む性格も各時代の波に応じる中で身につけたのだろう。

 個人的には縦に長い国土が同質性の中にも多様性を育む要因になっていると考える。言葉を文化の尺度とすれば方言の豊かさが多様性を示している。

石田英一郎対談集―文化とヒューマニズム (1970年) (筑摩叢書)
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2018-06-09

鋸の復原を通して古代人と対話/『森浩一対談集 古代技術の復権 技術から見た古代人の生活と知恵』森浩一


『怒りの無条件降伏 中部教典『ノコギリのたとえ』を読む』アルボムッレ・スマナサーラ
『仕事の話 日本のスペシャリスト32人が語る「やり直し、繰り返し」』木村俊介

 ・鋸の復原を通して古代人と対話

『人はどのように鉄を作ってきたか 4000年の歴史と製鉄の原理』永田和宏
『手業(てわざ)に学べ 天の巻』塩野米松
『日本鍛冶紀行 鉄の匠を訪ね歩く』文:かくまつとむ、写真:大𣘺弘

吉川金次●そんななかで、いまから30年ほど前、いやもっと以前かな、古社寺展というのが盛んにおこなわれ、私もかならず見にいきました。そしたらね、おもしろいものを発見しちゃったんですよ。描かれている絵の鋸が、私たちがつくるような鋸とは違う。これは丹念に調べてみたら、鋸の進化が分かるにちがいない。よし、調べてやろう、という気になったんです。43歳の暮れでした。
 鋸を調べるには、まず、日本鋼(はがね)で鋸をつくる技術を正しく記録しておく必要があると気づいたわけです。それで家内に話したら、やってみたらというんです。乞食(こじき)になってもいいから、やってみようじゃないか、ノートに書いておけば、みなさんが読んで使ってくださる。それだけでもいいからやってみよう、とはじめたんです。

【『森浩一対談集 古代技術の復権 技術から見た古代人の生活と知恵』森浩一〈もり・こういち〉(小学館、1987年/小学館ライブラリー、1994年)以下同】


 言葉には責任が伴う。というわけで責任を果たしておこう。「鋸喩経」(こゆきょう)を調べて辿り着いた一冊。鋸(のこぎり)以外は飛ばし読み。サンケイ新聞大阪版に昭和58年(1983年)9月~60年(1985年)12月まで連載された「対談シリーズ 古代は語る」28回分のうち14回分を増補・加筆したもの。ネット上に書誌情報が少ないので対談者を挙げておく。永留久恵、松岡史、日下雅義、森博達、江守五夫、嶋倉巳三郎、布目順郎、久野雄一郎、清水欣吾、安田博幸、後藤和民、中尾佐助、吉川金次、三輪茂雄。

 吉川は絵巻物に描(か)かれていた鋸(のこぎり)を「見た」。何をどのように見るかで人生は変わる。我々には「見えていないもの」が多すぎるのだろう。奥方の反応はいかにも東京の下町らしい味わいがある。背中の押し方が絶妙だ。吉川は栃木県氏家(うじいえ/現在のさくら市)で鍛冶職人の家に生まれ、幼い頃から鋸鍛冶を手伝っていた。21歳で上京し、鋸の歯を直す目立て屋を始める。後に収集した鋸や製作した鋸をさくら市ミュージアムに寄贈し、「のこぎり館」として展示されている。また彼は俳人でもあった

 職人だから思い立ったら行動するのが早い。兄と弟に手伝ってくれと頼むと二人は協力すると応じる。

吉川●古代の鋸をつくるのは、その構造を理解するためです。(中略)
 古代の鋸を、いまの鋸みたいに解釈している人が多いんですが、いまの鋸のように使える道具じゃぜったいない。どうやってつくったかということを調べていくと、どういうところに使ったかも、はっきり分かってくるんです。

 構造に概念がある。

森●黄金塚古墳のころの鋸は、何を切っていたんですか。

吉川●いまの鋸のように使える道具じゃありませんね。歯を見ると、アセリもナゲシもない。

森●アセリですか。

吉川●ええ、アセリがない。アセリというのは、歯を互い違いに曲げることです。アセリがないと木質は切れません。

森●歯を互い違いに曲げるのをアセリというんですか。

吉川●齟齬(そご)という人もいるんですが、齟齬という言葉を使うのはやめてもらいたいですね。齟齬というと、くいちがいでしょう。ところが、鋸の歯はくいちがいじゃないんですよ。間に釘1本を通すとスーッと通るくらい整然としているんです。齟齬なんてことを言ったら、大工に頭を張り倒されちゃいますよ。齟齬だったら、家が建てられるはずがない。材木というのは、断面が非常に重要なんです。断面がきれいでなかったら、日本の木材建築なんてできない。その断面をきれいにするために、日本の鋸は工夫されているんです。

 思わず大笑いした箇所だ。「同志社大学の顔」と呼ばれた名物教授の森が職人の吉川に教えを請う姿も実に清々(すがすが)しい。

吉川●それから、鋸の歯はヤスリで立てたと思うでしょう。ぜんぜん違いますね。4世紀や5世紀の鋸はヤスリで歯を立てていません。タガネで立てたんです。その証拠もちゃんとつくってあります。実験してみましたから。そうすると、ヤスリと鋸は、タガネを母とし、槌(つち)を父とする同じ兄弟だったということになってくるんですよ。使い方も非常に近縁なんです。さっきも言ったように、黄金塚古墳の鋸なんか、使い方がヤスリとそっくりでした。

 頭ではなく体でわかった知識には理論をこねくり回すような無駄がない。まったく鋸みたいな人だよ、あんたは(笑)。

吉川●まあ、こうやって復原してみると、古代人たちがどんなに苦労したかということが、よく分かりますね。いまの人ならすぐにでもできるようなものでも、古代人にとっては、とんでもないことだったんでしょうね。でも、それはやっぱり、おもしろかったんでしょうね。古代人と話しているような気になるのも、そのためなんです。苦しいばっかりじゃない。ものをつくるのは、なんでもそうでしょう。そうそう、いま鍬(くわ)をつくっているんですよ。鍬なんか、考古学者は軽蔑しているみたでね。しかし、鍬は大切ですぜ。

「でも、それはやっぱり、おもしろかったんでしょうね」の一言に千鈞の重みがある。興味を追求するところに人生は開け、技術も花開く。吉川の生き様は孔子の言葉を髣髴(ほうふつ)とさせる。「これを知る者はこれを好む者に如(し)かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如(し)かず」(『論語』)。

 森浩一は吉川との対談を振り返ってこう締め括る。

「復原をして、すっかり貧乏になりました」
 と、屈託なく笑われる吉川さんの研究を、私は、文部省の研究費を受けて“研究”している大学人や研究所などのいわゆる専門家の研究なるものと、どうしても比較せざるをえなかった。研究費をもらうどころか、生活費をさいてまでつぎこんで、学問に役立つ研究が、下町の職人の家から生まれたのである。
 対談が終わって、帰りぎわ、1回分の土量を知るために鍬をつくっていると、吉川さんが述べたとき、横から奥さんが、つぎのように言ったものである。
「いやだね、また実験だとかいって、土掘りをやらされるね。前は木こりをやらされたけど」
 どうもこれは、吉川ご夫妻の研究とでもいうべきものである。(1983年10月18日)

 人と人との出会いが誠実さに彩られていると必ず何らかのスパークを放つ。互いの脳内でシナプスが発火する様が見えるようだ。