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2020-02-14

小部は苦行者文学で結集仏典に非ず/『初期仏教 ブッダの思想をたどる』馬場紀寿


『原始仏典』中村元
『上座部仏教の思想形成 ブッダからブッダゴーサへ』馬場紀寿

 ・小部は苦行者文学で結集仏典に非ず
 ・初期仏教の主旋律
 ・初期仏教は宗教の枠に収まらず

ブッダの教えを学ぶ

 このように五部派で一致して、結集仏典の「法」に位置づけられる四阿含(四部)が成立した後に、「小蔵」(または「小部」「小阿含」)という集成が「法」に追加されたということは、「小蔵」に収録されている仏典がもともと結集仏典に位置づけられていなかったことを示している。実際、この集成に収録されているのは、基本的に韻文仏典であり、経蔵の「四阿含」の諸経典が用いる定型表現を用いていない。まったく異なる様式のものなのである。
 以下に説明するように、韻文仏典のなかには紀元前に成立したものが含まれているが、元来、結集仏典としての権威をもたず、その外部で伝承されていたのである。
 このことは、かつて中村元らの仏教学者が想定していた、韻文仏典から散文仏典(三蔵)へ発展したという単線的な図式が成り立たないことを意味する。韻文仏典に三蔵の起源を見出すことには、方法論的な誤りがあるのである。

【『初期仏教 ブッダの思想をたどる』馬場紀寿〈ばば・のりひさ〉(岩波新書、2018年)以下同】

犀の角のようにただ独り歩め
ただ独り歩め/『日常語訳 新編 スッタニパータ ブッダの〈智恵の言葉〉』今枝由郎訳
『スッタニパータ[釈尊のことば]全現代語訳』荒牧典俊、本庄良文、榎本文雄訳

 馬場紀寿が「初期仏教」としたのは「原始仏教」に対する批判が込められている。更に小部(しょうぶ/パーリ五部のうち半分以上の量がある)は苦行者文学で結集(けつじゅう)仏典に非ずとの指摘は『ブッダのことば スッタニパータ』が「ブッダの言葉ではない」と断言したもので、少なからず中村元〈なかむら・はじめ〉に学んだ者であれば大地が揺らぐような衝撃を覚えるだろう。

 『犀角』も、『経集』と同様に「小部」に収録されている『義釈』において『到彼岸』とともに注釈されており、『経集』のなかでも成立の古い偈である。おそらく紀元後1世紀頃に書写されたと考えられるガンダーラ写本が見つかっているから、その成立は紀元前に遡ると考えてよい。
 しかし、これらの仏典には、仏教特有の語句がほとんどなく、むしろジャイナ教聖典や『マハーバーラタ』などの叙事詩と共通の詩や表現を多く含む。仏教の出家教団に言及することもなく、たとえば『犀角』は「犀の角のようにただ一人歩め」と繰り返す。多くの研究者が指摘してきたように、これらの仏典は、仏教外の苦行者文学を取り入れて成立したものである。

 古いから正しいわけではない。これは「小乗非仏説」といってよい。小部には「スッタニパータ」以外にも「ダンマパダ」「テーラガーター」「テーリーガーター」を含む。

「いやあ参ったなー」と思うのは私だけではないだろう。困惑のあまり不可知論に陥りそうだ。

 ま、言われてみれば「犀の角のようにただ一人歩め」というのは単なる姿勢であって教理ではない。「自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば、千万人(せんまんにん)と雖(いえど)も吾(われ)往(ゆ)かん」(『孟子』公孫丑篇)と同工異曲だ。クリシュナムルティの仏教批判は正当なものであった(『ブッダとクリシュナムルティ 人間は変われるか?』J・クリシュナムルティ)。

毀誉褒貶に動かされるな/『原始仏典』中村元


『ブッダの 真理のことば 感興のことば』中村元訳
『ブッダのことば スッタニパータ』中村元訳
『人生と仏教 11 未来をひらく思想 〈仏教の文明観〉』中村元
『ブッダ入門』中村元
『世界の名著1 バラモン教典 原始仏典』長尾雅人責任編集

 ・毀誉褒貶(きよほうへん)に動かされるな

『初期仏教 ブッダの思想をたどる』馬場紀寿

「比丘たちよ、他の人たちがわたしを誹謗しようとも、あるいは法を誹謗しようとも、あるいは僧団を誹謗しようとも、それに対してあなたたちは怒ったり、不機嫌になったり、心を不快にしてはいけあい。比丘たちよ、他の人たちがわたしを誹謗し、あるいは法を誹謗し、あるいは僧団を誹謗して、あなたたちがそれに対して怒り、あるいは快く思わないなら、それはあなたたちの障害となるであろう。(中略)
 比丘たちよ、他の人たちがわたしを賞賛しようとも、あるいは法を賞賛しようとも、あるいは僧団を賞賛しようとも、それに対してあなたたちは喜んだり、うれしく思ったり、心に得意に思ったりしてはならない。比丘たちよ、他の人たちがわたしを賞賛し、あるいは法を賞賛し、あるいは僧団を賞賛して、あなたたちがそれに対して歓び、うれしく思い、得意に思うなら、それはあなたたちの障害となるであろう。

【『原始仏典』中村元〈なかむら・はじめ〉(ちくま学芸文庫、2011年)】

 感情の相対性理論である。ブッダが示すのは中道の生き方だ。瞑想とは怒りや喜びを見る行為である。見るためには離れる必要が生じる。毀誉褒貶(きよほうへん)に動かされるなとの指針は心理的テクニックを教えるものではなく、自身の反応を静かに見つめる内省的な次元でそのメカニズムを解体するとことに目的がある。

 ブッダはかつて存在した。しかしブッダの教えは変遷に変遷を重ねて仏教各種を生んだ。そこにブッダの面影を偲ぶことは可能だろうか? 私が想うブッダはインドを闊歩したブッダと同じであろうか? ひょっとすると脚色を施されたブッダという名のキャラクターを勝手に妄想しているのかもしれない。

 中村元が編んだ仏典シリーズは『ジャータカ全集』(全10巻、春秋社)~『原始仏典』(全7巻、春秋社)~『原始仏典Ⅱ』(全6巻、春秋社)と続く。

2017-05-11

ブッダの遺言「自らをよりどころとし、法をよりどころとせよ」~自灯明・法灯明は誤訳/『ブッダ入門』中村元


『ブッダの 真理のことば 感興のことば』中村元訳
『ブッダのことば スッタニパータ』中村元訳
『人生と仏教 11 未来をひらく思想 〈仏教の文明観〉』中村元
自らを島とし、杭とせよ(自帰依・法帰依)

 ・ブッダの遺言「自らをよりどころとし、法をよりどころとせよ」~自灯明・法灯明は誤訳
 ・村上専精と宇井伯寿

『上座部仏教の思想形成 ブッダからブッダゴーサへ』馬場紀寿
『初期仏教 ブッダの思想をたどる』馬場紀寿

「〈私は修行僧の仲間を導くであろう〉とか、〈修行僧の仲間は私に頼っている〉とか、このように思う者こそ、修行者の集いに関して何ごとかを語るであろう。しかし、向上につとめた人は、〈私は修行僧の仲間を導くであろう〉とか、あるいは〈修行僧の仲間は私に頼っている〉とか思うことがない。向上につとめた人は修行僧の集いに関して何を語るであろうか」
「向上」という言葉、これは禅の言葉にもなっています。修養、修行につとめるという意味です。釈尊には「おれがこの仲間を導くのだ」という意識はなかった。では何が導くのか。それはダルマ(法)である。人間の真実、それが人を導くのである。
「アーナンダよ。私はもう八十となった。たとえば古ぼけた車が革紐の助けによってやっと動いていくように、私の身体も革紐の助けによって長らえているのだ。……。
 この世で自らを島とし、自らをよりどころとし、他人をよりどころとせず、法を島とし、法をよりどころとし、他のものをよりどころとせずにあれ」
 自分に頼れ。他のものに頼るな。「自分に頼れ」というのはどういうことか。それは、自分を自分たらしめる理法、ダルマに頼るということである。
 この強い確信は、ダルマに基づいているという自覚から現われます。「百万人といえども、われ行かん」という言葉がありますね。百万の人がぜんぶ自分に反対しても、自分はこの道を行く。なぜ「この道を行く」とあえて言い切れるのか。自分の行こうとしているこの道が、人間のあるべき道、あるべきすがたにしたがっているからです。だから他の人がどんなに反対しても、自分はこの道を行くのだといえる。すると、「自分に頼る」ということと「法に頼る」ということは、実は同じことなのです。釈尊の説法に、この点が明快に示されています。
 そして「自らを島とせよ」と説かれました。「島」というよりは「洲(す)」といったほうがいいように思います。漢訳にも「洲」という字が出ています。原語はディーパです。
「自らを洲とする」というのはどうもわかりにくいかもしれません。これはインド人の生活環境を念頭において考えれば、理解しやすいと思います。
 インドの洪水は、日本とはずいぶん様子が違うのです。日本は山国で、川もだいたいが急流でしょう。だから洪水が起こると水がどっと流れてきて、何でもかんでも押し流してしまう。ところがインドの洪水は、押し流すというよりも、いたるところで水が氾濫するのです。だだっぴろいところに水がずうっと及んできて、一面が水浸しになる。ものが押し流されることもあるにはありますが、押し流されないでただ水浸しになってしまうという場合が、非常に多いのです。
 インドでは、土地が平らだから、地面に立って向こうを見渡しても、山なんか見えないところが多いのです。日本で山が見えないところというと、たとえば関東平野ですが、それでもお天気のいい日で空気が澄んでいると、秩父の山が見えますね。ところによっては富士山も見えますね。ところがインドだと、ウッタルプラデーシュ州、ビハール州、オリッサ州などでは、山が見えないのです。ただ一面にずうっと地面が広がっている。
 そういうところが水浸しになると、一面の海のようになる。その中で人間はどうするかというと、土地が平らとはいっても多少の高低はあるから、ちょっと高くなっていて水浸しにならない場所で難を避けるのです。それが「洲」です。
 日本で「洲」というと川中島みたいな場所を考えますが、そうではないのです。あたり一面が水浸しになって、ちょっと高いところだけが水につかっていない。そこへみんな逃げていくのです。だから「洲」というのは、頼りになるところという意味になるのです。
 ときにはそこに木がそびえていたりする。退屈すると彼らは木の上に上(ママ)ったり、親しい友だち同士でチェスなんかして遊んでいる。それがインド人にとっての洪水です。釈尊の言葉も、そういうところから来ているのです。
 ところがこれはやはりシナ人には理解しにくかったのでしょう。「ディーパ」には「洲」という意味の他に、もう一つ「灯明」という意味があります。語源は全然違います。同音異義語ですね。ところが、シナ人が漢訳するときには、「ディーパ」をこの意味に解釈して、「自己を灯明とせよ、法を灯明とせよ」とした。この方がシナ人、日本人にはわかりやすい。とくに日本人は圧倒的にわかりやすいですね。

【『ブッダ入門』中村元〈なかむら・はじめ〉(春秋社、1991年)/新装版、2011年】

 後期仏教(大乗)に法四依(ほうしえ)との教えがある。「法に依りて人に依らざれ。義に依りて語に依らざれ。智に依りて識に依らざれ。了義経に依りて不了義経に依らざれ」(『国訳一切経涅槃経部』)と。

 依法不依人(えほうふえにん):真理(法性)に依拠して、人間の見解に依拠しない
 依義不依語(えぎふえご):意味に依拠して、文辞に依拠しない
 依智不依識(えちふえしき):智慧に依拠して、知識に依拠しない
 依了義経不依不了義経(えりょうぎきょうふえふりょうぎきょう):仏の教えが完全に説かれた経典に依拠して、意味のはっきりしない教説に依拠しない

Wikipedia

「依て」は「よりて」とも「よって」とも読むようだ。問題はこれを思想的発展と受け止めるか、あるいは盛り過ぎた脚色と捉えるかである。ブッダの言葉として残っているのは「法に依りて」だけだ。

「依法不依人」は一般的には「経文によって人師(にんし)の解釈によるべきではない」との意である。にもかかわらず「義に依りて語に依らざれ」と続き見過ごせない矛盾をはらんでいる。了義経に至っては初期仏教軽視の言い掛かりとしか思えない。

 極めて巧妙に後期仏教(大乗)を持ち上げようとするプロパガンダであると私は考える。それが証拠に「智慧に依拠して、知識に依拠しない」と言いながら教義論争に明け暮れてきたのが仏教3000年の歴史ではなかったか。

 長い人生を歩む途上で津波に押し流されるような場面は誰にでもあることだろう。我々はある時は医学を頼み、またある時は軍事力をよりどころとし、更にある時はお金や他人を当てにする。人間最後は必ず死ぬ。この人生で確かなことは死ぬことだけである。その最重要の場面でよりどころとなるのは自分だけだ。残念ながら神はいない。

 悟りとは智慧の異名である。そして智慧は自らの内から湧き出るものだ。誰かから授かるものではない。極論すれば智慧とは「ありのままの現実を悟る」ことだろう。自分が当てにならないのは「自我」というフィルターが邪魔をしているためだ。

 ブッダは最初の説法で正見(しょうけん/八正道の一つ)を説いた。天台智ギは『摩訶止観』を講義し、日蓮は『観心本尊抄』(かんじんのほんぞんしょう)を著した。そしてクリシュナムルティは「虚偽を虚偽と見、虚偽の中に真実を見、そして真実を真実と見よ」と教えた。

 すなわち真実の智慧とは「ありのままに見る」ことなのだ。私が見ているのは「世界」ではない。たぶん鱗(うろこ)の裏側なのだろう(笑)。

ブッダ入門

新しい表現/『二十一世紀の諸法無我 断片と統合 新しき超人たちへの福音』那智タケシ

2013-11-26

釈迦の生誕年が早まる可能性も、ネパールの遺跡で新発見


 インドとの国境に近いネパール南部のルンビニ(Lumbini)で、仏教の開祖である釈迦(しゃか)が生まれたとされる場所で木造建築物の痕跡が新たに見つかった。これは紀元前6世紀頃のものとみられ、考えられていたより2世紀も早く釈迦が生きていたことを示す証拠であるかもしれないという。考古学者らが25日に発表した。

 古代の宗教的な木造建築物と考えられたこの遺構は、仏教徒にとって非常に重要な寺院であるマヤデビ(Maya Devi)寺院の敷地内で発見された。

Maya Devi Temple

 レンガ造りのマヤデビ寺院とデザインの面では似ているものの、この遺構には何もないスペースが配置されており、そこからかつては木が生えていたとみられている。おそらくここに釈迦が生まれた場所に生えていたとされる木があったとみられる。

 考古学者のロビン・コニンガム(Robin Coningham)氏は、「これは、いつ釈迦は生まれたのか、また彼の教えが発展し、信仰として根付いたのがいつなのかという、長い長い間交わされてきた議論の手がかりになるかもしれない」と語った。

AFP 2013年11月26日

Lumbini



 インドでは、歴史や地理を記録するということがなかったので、釈尊の生存年代を決定するのは極めて困難なことである。
 セイロン、ビルマ、タイなどの国は釈尊の生涯を、
  紀元前624~前544年
 として、1956年に仏滅2500年の記念行事を行なった。西洋の大半の学者は、マガダ諸王の年代論と一致しないことと、11世紀中頃より先に遡ることができないことを理由にこの説を拒絶している。その代わりに、セイロンの『島史』『大史』に基づいた算定を行ない、いずれも仏滅を紀元前480年前後としている。その中でも有力なものは、J.Fleet(1906、1909)、W.Geiger(1912)、T.W.Rhys Davids(1922)らによって採用されている
  紀元前563~前483年
である。類似のものとして、H.Jacobiの「前564~前484年」説もある。
 このほかMax Mullerの「前557~前477年」説、Filliozatの「前558~前478年」説もあるが、これは、異説の多いプラーナ(古伝書)やジャイナ教の伝説に依るものであり、最近では支持されていない。
『歴代三宝紀』に説かれる「衆聖点記」(大正新修大蔵経、巻49、95頁以下)、すなわち仏弟子のウパーリが結集して後、毎年、夏安居(げあんご)が終わった時に代々の長老が伝持した律典に点を記したという記録に従って算定すると、「前565~前485年」になる。けれども、律蔵が成文化されたのは仏滅後数百年後のことなので、その間は点を記すことができなかったはずであるという難点がある。ウパーリもそのころまで生きてはずがない。
 これに対して、宇井伯寿博士は、仏滅からアショーカ王即位までを218年とするセイロンの伝説の信頼性を批判し、北伝の資料に基づいてアショーカ王と仏滅の間隔を116年として、
  紀元前466~前386年
 と結論された。
 中村元博士は、宇井博士の説を踏まえつつも、アショーカ王と同時代のギリシア諸王の在位期間について西洋の学者が新たに研究した成果によって、アショーカ王の即位灌頂の年を修正して、
  紀元前463~前383年
 と改められた。この説の立脚点は、仏滅後100年にしてアショーカが出現したということだが、これは(1)マガダを中心とする地域に古くから伝えられたものであること、(2)セイロン上座部を除く各部派に共通であること、(3)セイロン諸王の空位期間を説明しうること、(4)5人の師による伝承としては妥当な期間であり、セイロンの伝説は218年と長きに失するということ、(5)セイロンの伝記が4~5世紀に作られたものであるのに比べ、北伝は仏滅後400年ごろに作製されたもので記録が古いこと――などの理由により確実性がより高い。平川彰博士も、中村博士の見解を「妥当」と評価されている。

【『仏教のなかの男女観 原始仏教から法華経に至るジェンダー平等の思想』植木雅俊(岩波書店、2004年)】

仏教のなかの男女観―原始仏教から法華経に至るジェンダー平等の思想


 詳細は不明だが「木造建築物の痕跡」だけで生誕年を推測するのは困難だろう。またブッダの生没年が変わったところで教えの内容が影響を被ることはないと考える。そもそも末法思想を厳密に判定しようとする試みが仏道を深めるとは思えない。

Wikipedia:釈迦生没年

仏像 "Statue of Buddha"

2012-05-10

カーティス・フェイス、中村元、田辺祥二


 1冊挫折、1冊読了。

伝説のトレーダー集団 タートル流 投資の黄金律』カーティス・フェイス:飯尾博信+常盤洋二監修、楡井浩一〈にれい・こういち〉訳(徳間書店、2009年)/前著『伝説のトレーダー集団 タートル流投資の魔術』とは打って変わって完全なビジネス書となっている。タイトルに難あり。徳間書店の下劣な営業姿勢が窺える。挫けたものの4分の3以上は読んだ。良書である。ただし読み手の資質が問われる。『リスクマネジメントの黄金率』にすれば、確実に売れたことだろう。

 28冊目『ブッダの人と思想』中村元〈なかむら・はじめ〉、田辺祥二、大村次郷・写真(NHKブックス、1998年)/中村がNHKテレビで話した内容を田辺が編んだ作品。初期経典に手をつけようと思いながら中々進んでいないのだが、本書から開始しようと決意した次第である。秀逸なテキスト。ブッダの内省と中村の内省が響き合っているのだろう。時折、違和感を覚える言い回しがあるのだが特筆すべきほどでもない。ただし、時間論的視点を欠いている。仏教の思想性は時間論で捉えるのが手っ取り早いというのが私の持論だ。