・『原始仏典』中村元
・『上座部仏教の思想形成 ブッダからブッダゴーサへ』馬場紀寿
・小部は苦行者文学で結集仏典に非ず
・初期仏教の主旋律
・初期仏教は宗教の枠に収まらず
・ブッダの教えを学ぶ
このように五部派で一致して、結集仏典の「法」に位置づけられる四阿含(四部)が成立した後に、「小蔵」(または「小部」「小阿含」)という集成が「法」に追加されたということは、「小蔵」に収録されている仏典がもともと結集仏典に位置づけられていなかったことを示している。実際、この集成に収録されているのは、基本的に韻文仏典であり、経蔵の「四阿含」の諸経典が用いる定型表現を用いていない。まったく異なる様式のものなのである。
以下に説明するように、韻文仏典のなかには紀元前に成立したものが含まれているが、元来、結集仏典としての権威をもたず、その外部で伝承されていたのである。
このことは、かつて中村元らの仏教学者が想定していた、韻文仏典から散文仏典(三蔵)へ発展したという単線的な図式が成り立たないことを意味する。韻文仏典に三蔵の起源を見出すことには、方法論的な誤りがあるのである。
【『初期仏教 ブッダの思想をたどる』馬場紀寿〈ばば・のりひさ〉(岩波新書、2018年)以下同】
・犀の角のようにただ独り歩め
・ただ独り歩め/『日常語訳 新編 スッタニパータ ブッダの〈智恵の言葉〉』今枝由郎訳
・『スッタニパータ[釈尊のことば]全現代語訳』荒牧典俊、本庄良文、榎本文雄訳
馬場紀寿が「初期仏教」としたのは「原始仏教」に対する批判が込められている。更に小部(しょうぶ/パーリ五部のうち半分以上の量がある)は苦行者文学で結集(けつじゅう)仏典に非ずとの指摘は『ブッダのことば スッタニパータ』が「ブッダの言葉ではない」と断言したもので、少なからず中村元〈なかむら・はじめ〉に学んだ者であれば大地が揺らぐような衝撃を覚えるだろう。
『犀角』も、『経集』と同様に「小部」に収録されている『義釈』において『到彼岸』とともに注釈されており、『経集』のなかでも成立の古い偈である。おそらく紀元後1世紀頃に書写されたと考えられるガンダーラ写本が見つかっているから、その成立は紀元前に遡ると考えてよい。
しかし、これらの仏典には、仏教特有の語句がほとんどなく、むしろジャイナ教聖典や『マハーバーラタ』などの叙事詩と共通の詩や表現を多く含む。仏教の出家教団に言及することもなく、たとえば『犀角』は「犀の角のようにただ一人歩め」と繰り返す。多くの研究者が指摘してきたように、これらの仏典は、仏教外の苦行者文学を取り入れて成立したものである。
古いから正しいわけではない。これは「小乗非仏説」といってよい。小部には「スッタニパータ」以外にも「ダンマパダ」「テーラガーター」「テーリーガーター」を含む。
「いやあ参ったなー」と思うのは私だけではないだろう。困惑のあまり不可知論に陥りそうだ。
ま、言われてみれば「犀の角のようにただ一人歩め」というのは単なる姿勢であって教理ではない。「自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば、千万人(せんまんにん)と雖(いえど)も吾(われ)往(ゆ)かん」(『孟子』公孫丑篇)と同工異曲だ。クリシュナムルティの仏教批判は正当なものであった(『ブッダとクリシュナムルティ 人間は変われるか?』J・クリシュナムルティ)。