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2020-01-03

篠原常一郎×岩田温





2019-07-16

自らのイデオロギーのためにはプロパガンダもいとわない新聞/『チベット大虐殺と朝日新聞 朝日新聞はチベット問題をいかに報道してきたか』岩田温


 ・自らのイデオロギーのためにはプロパガンダもいとわない新聞

・『悪の論理 地政学とは何か』倉前盛通
・『崩壊 朝日新聞』長谷川煕
『さらば群青 回想は逆光の中にあり』野村秋介
『人種差別から読み解く大東亜戦争』岩田温
・『だから、改憲するべきである』岩田温
『平和の敵 偽りの立憲主義』岩田温

「朝日新聞」と言った場合、どんなイメージが思い浮かぶだろうか。
「インテリの新聞」、「高所得者が読む新聞」、「受験に出る新聞」、「リベラル色が強い新聞」といったイメージが一般的なのではないか。「自らのイデオロギーのためにはプロパガンダもいとわない新聞」、「利潤のためであれば、いくらでも節操を曲げる新聞」だと正確に理解している良識派は少ないはずである。
 北朝鮮のことを「地上の楽園」と呼び、カンボジアのポルポト派が大虐殺を行っているときに、ポルポトをして「アジア的優しさにあふれている」と書いた朝日新聞。それにもかかわらず朝日新聞のことを、今なお正しく認識している日本人は、残念ながらまだまだごく少数に留まっている。

【『チベット大虐殺と朝日新聞 朝日新聞はチベット問題をいかに報道してきたか』岩田温〈いわた・あつし〉(オークラ出版、2008年)以下同】

 イデオロギーは事実をも歪める。朝日新聞は社会主義国の大量虐殺には目をつぶり容認する。なぜなら正しい目的のためなら行き過ぎた手段は常に正当化されるからだ。志を同じくする同志の殺人を糾弾することのない彼らが一方では人権を主張するのだから片腹痛い。イデオロギーは自分たちの矛盾も見て見ぬふりをする。正しいイデオロギーに生きる者は何をしても許されるのだ。



 朝日新聞に次の川柳が掲載されたという。「五輪前 どうにも邪魔な 生き仏」(2008年3月20日の「朝日歌壇」に載った川柳)。

 チベット問題に関してはチベット側に一点の瑕疵(かし)もないことは明らかである。(中略)それゆえに論説や社説で堂々とダライ・ラマを批判できないから、奇策として、風刺と言いながら誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)を行う。

 日本人がチベット問題を知ったのは長野五輪(1998年)の時であった。「フリーチベット」(チベットに自由を)を叫ぶ人々に中国人が襲いかかったのだ。中国人の行動は明らかに組織立ったもので計画性さえ窺わせた。さすが暴力革命の国である。いかにも集団の暴発と見せかけながらきっちりと目的を果たした。日本の警察は上からの指示があったのか指をくわえてじっと見守った。

 チベット問題に関しては倉前盛通〈くらまえ・もりみち〉著『悪の論理 地政学とは何か』(日本工業新聞社、1977年)の第5章を参照せよ。また朝日新聞の逃げ口上については野村秋介〈のむら・しゅうすけ〉の本が詳しい。

 岩田温〈いわた・あつし〉には小室直樹や倉前盛通の衣鉢(いはつ)を継ぐ論客になってもらいたい。

チベット大虐殺と朝日新聞
岩田温
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2018-11-13

憲法9条に対する吉田茂の変節/『平和の敵 偽りの立憲主義』岩田温


『人種差別から読み解く大東亜戦争』岩田温
『いちばんよくわかる!憲法第9条』西修

 ・憲法9条に対する吉田茂の変節

・『だから、改憲するべきである』岩田温
『日本人のための憲法原論』小室直樹
『日本の戦争Q&A 兵頭二十八軍学塾』兵頭二十八
『「日本国憲法」廃棄論 まがいものでない立憲君主制のために』兵頭二十八
『国のために死ねるか 自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動』伊藤祐靖
『吉田茂とその時代 敗戦とは』岡崎久彦

 当初、憲法第9条は、どのように解釈されていたのかを確認しておこう。
 この問題について考える際、最も参考になるのが、吉田茂総理の国会答弁だ。
 昭和21年6月26日、吉田茂は、憲法と自衛権との関係について次のように答弁している。
「戦争抛棄(ほうき)に関する本案の規定は、直接には自衛権を否定はして居りませぬが、第9条第2項に於て一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も抛棄したものであります。従来近年の戦争は多く自衛権の名に於て戦われたのであります。満州事変然り、大東亜戦争然りであります」(1946年6月26日、衆議院本会議)
 ここで吉田茂は、憲法第9条が直接自衛権を否定しているものではない、との留保をつけながらも、「自衛権の発動としての戦争」まで否定しているのだ。(中略)
 今日では考えられないことかもしれないが、こうした吉田茂の自衛権を否定する発言に対して、批判したのが日本共産党だ。日本共産党の野坂参三が、「侵略戦争」と「自衛戦争」を区別し、後者を擁護したうえで、次のように指摘した。
「戦争には我々の考えでは二つの種類の戦争がある、二つの性質の戦争がある。一つは正しくない不正の戦争である。(中略)他国征服、侵略の戦争である。是は正しくない。同時に侵略された国が自由を護るための戦争は、我々は正しい戦争と云って差支えないと思う(中略)一体此の憲法草案に戦争一般抛棄と云う形でなしに、我々は之を侵略戦争の抛棄、斯(こ)うするのがもっとも的確ではないか」(1946年6月28日、衆議院本会議)
 日本共産党の野坂は、祖国を防衛する自衛のための戦争までも放棄する必要はなく、他国を武力によって侵略する「侵略戦争」のみを禁じればよいのではないか、という極めて常識的な指摘をしている。
 これに対して、吉田茂は、次のように応じている。
「戦争抛棄に関する憲法草案の條項に於きまして、国家正当防衛に依る戦争は正当なりとせらるるようであるが、私は斯(か)くの如きことを認むることが有害であると思うのであります(拍手)近年の戦争は多くは国家防衛権の名に於(おい)て行われたることは顕著なる事実であります、(中略)故に正当防衛、国家の防衛権に依(よ)る戦争を認むると云うことは、偶々戦争を誘発する有害な考えであるのみならず、若(も)し平和団体が、国際団体が樹立された場合に於きましては、正当防衛権を認むると云うことそれ自身が有害であると思うのであります、御意見の如きは有害無益の議論と私は考えます」

【『平和の敵 偽りの立憲主義』岩田温〈いわた・あつし〉(並木書房、2015年)以下同】

 多くの書籍で引用されている会議録だがまだまだ知らない人が多いと思われるので資料として記録しておく。吉田発言は芦田修正を完全に無視した妄言で、日本の政治が気分によって動く様相をありありと映し出す。敗戦からまだ1年を経てない時期ゆえ、戦争に対する嫌悪感は理解できるが、床屋のオヤジが言うならまだしも一国の総理が議会で説くような内容ではあるまい。原理原則を軽んじ、本音と建前を器用に使い分ける国民性を恥じるべきだ。

「私は一つの含蓄をもってこの修正を提案したのであります。『前項の目的を達するため』を挿入することによって原案では無条件に戦力を保持しないとあったものが一定の条件の下に武力を持たないということになります。日本は無条件に武力を捨てるのではないということは明白であります。そうするとこの修正によって原案は本質的に影響されるのであって、したがって、この修正があっても第9条の内容には変化がないという議論は明らかに誤りであります」

芦田均の証言:昭和32(1957)年12月5日、内閣に設けられた憲法調査会

日米安保条約と吉田茂の思惑/『重要事件で振り返る戦後日本史 日本を揺るがしたあの事件の真相』佐々淳行

 しかし、こうした吉田の「自衛」を放棄するという主張は、戦後日本の一貫した国防方針とはならなかった。
 こうした国防方針を否定することになったのは国際情勢が激変したことによる。冷戦の激化にともない、日本の再軍備が必要だとアメリカが考え始めたのだ。
 1950年の元旦、マッカーサーが「日本国民に告げる声明」において、次のように指摘した。
「この憲法の規定は、たとえどのような理屈をならべようとも、相手側から仕掛けてきた攻撃に対する自己防衛の冒しがたい権利を全然否定したものとは絶対に解釈できない」
 これは、極めて重大な指摘だ。憲法の規定について、従来、吉田茂は、自衛戦争も否定する旨の発言を繰り返してきた。だが、マッカーサーが日本国憲法には、「自己防衛の冒しがたい権利」を否定したものではないと強調したのだ。
 これは、明らかに、日本の再軍備を念頭に置いたものであり、このマッカーサー発言以降、吉田茂の「自衛」論も変化を遂げることになる。

 1952(昭和27)年4月28日まで日本はGHQの占領下にあった。このため憲法制定も憲法解釈も自主的に行うことができなかった。占領下の憲法は廃棄すべきであるとの主張には一定の説得力がある。押し付け憲法論の最右翼で「青年将校」の異名を取った中曽根康弘は衆議院5期目の時に「この憲法のある限り 無条件降伏つづくなり/マック憲法守れるは マ元帥の下僕なり」と歌った(「憲法改正の歌」1956年)。



 国民は食べることに必死だった。政治家は経済発展を何よりも優先した。やがて高度経済成長を迎えた。そして国家を見失った。飽食の時代に至り、バブル景気が弾けた時、長く続いた平和が精神を蝕んできたことにようやく気づいた。

 中国が領空・領海侵犯を繰り返し、沖縄に魔手を伸ばす現実がありながらも、「平和憲法擁護」を叫ぶ人々がまだ存在する。平和の美酒は甘く、薫り高い。アメリカの核の傘の下で目覚めることのない酔いに浸(ひた)るのは無責任な快楽主義といってよい。



GHQはハーグ陸戦条約に違反/『世界史講師が語る 教科書が教えてくれない 「保守」って何?』茂木誠

2018-09-22

ポルトガル人の奴隷売買に激怒した豊臣秀吉/『人種差別から読み解く大東亜戦争』岩田温


『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス
『生活の世界歴史 9 北米大陸に生きる』猿谷要
『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン
『学校では絶対に教えない植民地の真実』黄文雄
『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『大東亜戦争で日本はいかに世界を変えたか』加瀬英明
『世界が語る大東亜戦争と東京裁判 アジア・西欧諸国の指導者・識者たちの名言集』吉本貞昭

 ・「人種差別」こそが大東亜戦争の遠因
 ・ポルトガル人の奴隷売買に激怒した豊臣秀吉

『平和の敵 偽りの立憲主義』岩田温
『植民地残酷物語 白人優越意識を解き明かす』山口洋一
・『パール判事の日本無罪論』田中正明

・『だから、改憲するべきである』岩田温

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

「伴天連追放令」に際し、秀吉はイエズス会のパードレ・ガスパール・コエリョに対して詰問しているのですが、この中で見逃すことが出来ない一言が登場しています。
 秀吉はコエリォ(ママ)に対し、次のように問うています。

「何故ポルトガル人は日本人を購い奴隷として船につれていくや」

 ――ポルトガル人は日本人を奴隷として売買していた。
 極めて重要な事実なのですが、多くの日本人はこの歴史を知りません。秀吉の「伴天連追放令」の背景には、知られざる日本人奴隷の問題があったのです。秀吉はポルトガル人が日本人を奴隷として売買していることに憤りを感じた政治家だったのです。
 秀吉は次のように主張しています。少々長いのですが、重要な文章なので引用します。

「予は商用のために当地方に渡来するポルトガル人、シャム人、カンボジア人らが、多数の日本人を購入し、彼らからその祖国、両親、子供、友人を剥奪し、奴隷として彼らの諸国へ連行していることも知っている。それらは許すべからざる行為である。よって、汝、伴天連は、現在までにインド、その他遠隔の地に売られて行ったすべての日本人をふたたび日本に連れ戻すよう取り計らわれよ。もしそれが遠隔の地ゆえに不可能であるならば、少なくとも現在ポルトガル人らが購入している人々を放免せよ。予はそれに費やした銀子を支払うであろう。」

 秀吉は、ポルトガル人をはじめとする外国人が日本人を奴隷としている事実を掴んでおり、日本人奴隷に同情しているのです。費用を支払ってもかまわないから、彼らを解放しろと主張しているわけです。
 何度読み返してみても、極めてまっとうな意見であり、筋の通った主張です。豊臣秀吉は同胞が悲惨な奴隷の境遇に置かれていることが我慢ならなかったのです。日本人を奴隷として扱うなど「許すべからざる行為」との言葉には、秀吉の強い憤りを感じることができます。

【『人種差別から読み解く大東亜戦争』岩田温〈いわた・あつし〉(彩図社、2015年/オークラNEXT新書、2012年『だから、日本人は「戦争」を選んだ 』改訂改題)】

 売られた日本人奴隷は手足に鉄の鎖をつけ、船底に詰め込まれた。婦女子は当然のように強姦された。秀吉のバテレン追放令は1587年に発令されたものだが、400年という時を超えても私の胸は怒りで煮えたぎる。有色人種を家畜同然に扱いながらも性欲の刷毛口とするところに白人の非道が見て取れる。現代においても教会では青少年が性虐待されているとのニュースがしばしば報じられる。教義では性を抑圧しながらも陰では性衝動を狂乱させているのだ。ありのままの人間性を否定するドグマが精神を歪め、二重人格に至るのは当然だ。クリスチャンには取り澄ました顔つきの偽善者が多い。

 私は本書によってバテレン追放令の背景を知った。豊臣秀吉の鋭い国際感覚に脱帽し、日本人を思いやる心に涙を催した。秀吉はキリスト教の宣教が植民地支配の第一段階であることを見抜いていた。

 白人帝国主義は大航海時代(15世紀中頃-17世紀中頃)に始まる。

・1434年 エンリケ航海王子が派遣した船がボジャドール(ボハドル)岬を踏破。
・1492年 クリストファー・コロンブスがアメリカ大陸に到達。
・1494年 トルデシリャス条約によって世界をスペインとポルトガルで二分する。
・1498年 ヴァスコ・ダ・ガマが新航路を発見しインドに到達。
・1522年 マゼランが世界一周を成し遂げる。
・1542年 ラス・カサスが『インディアスの破壊に関する簡潔な報告』を執筆。

(※「異民族は皆殺しにせよ」と神は命じた/『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹

 船以外の通信がない当時を思えば、秀吉のバテレン追放令は大航海時代のリアルタイムといっても過言ではあるまい。日本以外の有色人種は白人に支配され、500年もの長きに渡って搾取の対象とされた。日本が辛うじて植民地を免れたのは武士を中心とした軍事国家であったためだ。秀吉は1591年(天正19年)にはフィリピンに、1593年(文禄2年)には台湾に対して朝貢を命じた。そしてキリスト教の魔手を防ぐために自ら打って出て朝鮮に出兵した(文禄・慶長の役)。天下統一の余勢を駆って無謀な戦争を仕掛けたものだとばかり思い込んでいたが実は違った。二度に渡り15万人もの出兵をし、スペインに対して軍事的脅威を与える狙いがあったのだ(『植民地残酷物語 白人優越意識を解き明かす』山口洋一)。秀吉の目論見は見事に成功し江戸時代の日本を長く守ることとなる。

 明治維新によって武士は髷(まげ)を落とし刀を置いた。鎖国は解かれ国を開いた。不平等条約を結ばされ、いくつかの戦争を経て独立国とはなったものの最後の戦争で完膚なきまでに叩きのめされた。そして平和憲法を持たされた。かつて武士が守ったこの国では外国のスパイや共産主義者が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)している。官僚は当然のように天下りを繰り返し、政治家は甘い汁を啜(すす)りながら保身に走る。敗戦は昭和20年の出来事ではなく現在に至っても終わらぬ歴史である。その恐るべき事実を教えてくれる一冊だ。

人種差別から読み解く大東亜戦争
岩田 温
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2018-07-13

【討論】サヨクの本質-共産主義は本当に死んだか?[桜H30/2/24]


 これは勉強になった。岩田温〈いわた・あつし〉が新風を吹き込んでいる。ただし中国が簡単に滅ぶという見方は甘すぎる。アメリカが世界覇権から一歩退くのは中国が前面に出てくることが大前提となっているのだから。


「リベラル」という病 奇怪すぎる日本型反知性主義
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