・『月刊「秘伝」特別編集 天才・伊藤昇と伊藤式胴体トレーニング「胴体力」入門』月刊「秘伝」編集部編
・『幻の超人養成法肥田式強健術 腰腹同量正中心の鍛錬を極めよ!』佐々木了雲
・『鉄人を創る肥田式強健術』高木一行
・『肥田式強健術2 中心力を究める!』高木一行
・肥田春充の食事
・『武術を語る 身体を通しての「学び」の原点』甲野善紀
・『武術の新・人間学 温故知新の身体論』甲野善紀
・『惣角流浪』今野敏
・『鬼の冠 武田惣角伝』津本陽
・『会津の武田惣角 ヤマト流合気柔術三代記』池月映
・『透明な力 不世出の武術家 佐川幸義』木村達雄
・『日本の弓術』オイゲン・ヘリゲル
・『脚・ひれ・翼はなぜ進化したのか 生き物の「動き」と「形」の40億年』マット・ウィルキンソン
・『ウォーキングの科学 10歳若返る、本当に効果的な歩き方』能勢博
・『「筋肉」よりも「骨」を使え!』甲野善紀、松村卓
・『ナンバ走り 古武術の動きを実践する』矢野龍彦、金田伸夫、織田淳太郎
・『ナンバの身体論 体が喜ぶ動きを探求する』矢野龍彦、金田伸夫、長谷川智、古谷一郎
・『ナンバ式!元気生活 疲れを知らない生活術』矢野龍彦、長谷川智
・『すごい!ナンバ歩き 歩くほど健康になる』矢野龍彦
・『本当のナンバ 常歩(なみあし)』木寺英史
・『健康で長生きしたけりゃ、膝は伸ばさず歩きなさい。』木寺英史
・『常歩(なみあし)式スポーツ上達法』常歩研究会編、小田伸午、木寺英史、小山田良治、河原敏男、森田英二
・『トップアスリートに伝授した 勝利を呼び込む身体感覚の磨きかた』小山田良治、小田伸午
・『間違いだらけのウォーキング 歩き方を変えれば痛みがとれる』木寺英史
・身体革命
・悟りとは
また、宗教団体自体が巨大な霊術団体の趣きがあった近代の典型例としては「大本」がある。
この現代新宗教群の最大の産みの親である大本は、今でこそ目立たない小教団になっているが、現在大本が産んだ新宗教群とそれらに絡む政財界人、文化人の顔ぶれをみても、それにこの“裏の体育”の源流である霊術を語る上からいっても、無視できない巨大な存在であったことは確かだ。
【『表の体育裏の体育 日本の近代化と古の伝承の間(はざま)に生まれた身体観・鍛錬法』甲野善紀〈こうの・よしのり〉(地方・小出版流通センター、1986年/PHP文庫、2016年)以下同】
amazonだと「オンデマンド2750円」で販売されているが、楽天などではPHP文庫が754円で売られているので注意されよ。
甲野の初著(※既に「処女作」という言葉は使いにくい)である。霊術に注目したのは卓見で日本近代の宗教的変遷に鮮やかな色彩を施している。2/3ほどは肥田春充〈ひだ・はるみち〉に関する記述で、その引用の多さを思えば書籍タイトルに肥田の名前を入れないのは詐欺に近い。
【私の食物に対する注意は、控え目に食べる、菓子を止めるという、ただそれだけのことであり、しかも滋養とは、獣鳥魚肉、牛乳卵等が、最なるものと思っていた。だから間食しない、食べ過ぎないという注意だけで、何でも食べて居り、ことに御馳走は、喜んで摂って居ったのである。
しかるに鍛えて鍛えて、真健康を獲得し、更に次第に、中心力が強くなるのに従って、私が食物に対する、嗜好と要求とは、自然に変って来た。
それは淡白なアッサリした食物を、好むようになったことである。麦飯と味噌汁と香の物位が、一番美味しい。御馳走なんかは、かなわんという気になった。ことに濃厚な西洋料理などは、殆ど堪え得られないように感じた。
日本料理でも、種々の御馳走は閉口で、生漬の香のもの、生煮えの野菜の味噌汁などを、最も要求するようになった。(中略)
演説する前だけは、飯を五六杯、香の物を副て食べる。うどんのかけだと、四ッ位、平げて、腹を拵える。二三時間熱弁を振って、三十分間も、猛烈な練習をするのには、その位食べた方が、良いようだ。だが、卵だの、牛乳だの、肉だの、魚だのと動物性は、全然摂らない。
その方が晴々して、気持が良くて、力が湧き溢れて来る。種々と、濃厚な所謂栄養物を摂らなくては、体が続かないなどと、考えるのは、飛んだ間違いであることを、私は明らかに体験している。】
肥田春充〈ひだ・はるみち〉のテキストである。肥田式強健術に関しては3冊ほど読んできたがこの部分は記憶にない。あるいは私の関心が変わったのかもしれない。食事法についてはここ数年重点的に学んできたが、これほどの粗食にはお目にかかったことがない。ひょっとすると人間離れした強靭な身体(しんたい)の肥田だから通用した可能性もある。または日本人であれば適用できる可能性もある。
ここで思い出されるのはブッダの弟子が行っていた托鉢である。午前中一食のみで、余っても翌日に持ち越すことは禁じられた。選り好みも許されなかった。仏弟子の生活は托鉢が前提となるゆえ都市部周辺にサンガは形成される。中には傷(いた)んだ食べ物を施す者もいたようだ。受け取った食料は食べるか捨てるかのどちらかであった。
人間の最も基本的な欲望は食欲・性欲・睡眠欲の三つである。托鉢は食欲から離れる目的もあったと思われるが、完全に食を軽視しているようにも見える。「何かを食べれば死ぬことはない。むしろ食べ過ぎることが不健康の原因である」と喝破していたのかもしれない。人体は飢餓には強いが飽食には弱い。
そもそも食事に注意を払う行為そのものが不健康の証と言っていいだろう。肥田春充は運動を通して悟りに至り、最後は自ら餓死を選んだ。己(おのれ)の意思で植物が枯れるように死んでいった。このような日本人が昭和に存在したのである。