2022-03-16

孫子の兵法 その二/『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光


『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光
・『太公望』宮城谷昌光
『管仲』宮城谷昌光
『重耳』宮城谷昌光
『介子推』宮城谷昌光
・『沙中の回廊』宮城谷昌光
『晏子』宮城谷昌光
『子産』宮城谷昌光

 ・術と法の違い
 ・策と術は時を短縮
 ・人生の転機は明日にもある
 ・天下を問う
 ・傑人
 ・明るい言葉
 ・孫子の兵法
 ・孫子の兵法 その二
 ・人の言葉はいかなる財宝にもまさる

『孟嘗君』宮城谷昌光
『楽毅』宮城谷昌光
『青雲はるかに』宮城谷昌光
『奇貨居くべし』宮城谷昌光
『香乱記』宮城谷昌光
・『草原の風』宮城谷昌光
・『三国志』宮城谷昌光
・『劉邦』宮城谷昌光

 どれほど富み栄えている国でも、戦いに負ければ、衰亡する。それが現実であるかぎり、王の近くにいる者は、戦いに無関心であってはならぬ、と胥犴(しょかん)は婉曲(えんきょく)に范蠡(はんれい)を叱ったのである。
 ――これが孫子の兵法か。(中略)
 すぐにあたりから物音が消えたように意識がその文章に吸いこまれた。尋常な兵法書ではないと冒頭の数行を読んでわかった。抽象的で観念的な内容のようにみえるが、著者が徹底的に現実を観察したがゆえに、物事の表皮にとらわれず、哲理といってよい深広(しんこう)さに達したのだ。要するに、ここに書かれているのは、各自が応用可能な原理であり、それこそ、
「法」
 であろう。
 孫子の兵法は、戦場という現実的な闘争の場がすべてではない。その場に到るまで、あるいは、その場に到らないで勝つことの重要さを説いている。もしも人生個人的な戦場であるとみなせば、その兵法は生きかたにも応用できる。こういう英知が呉王を輔けていたのであるから、なるほど新しい発想のできない楚の君臣は退敗(たいはい)するしかなかったであろう。范蠡は身ぶるいをした。
 すぐれた人と思想があれば、たとえそれが敵側にあっても、学ばなければならない。
 これは、できそうでできないことである。悪感情がさきに立つと、それが自身の思考的視界をさえぎってしまう。楚人(そひと)と越人(えつひと)にとって、呉の孫武将軍は悪鬼のごとき人であった。が、憎んでばかりおらず、その深微(しんび)な思想をおくればせながら知ろうとした胥犴の勇気と見識の高さに、范蠡は感嘆した。(七巻)

【『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(講談社、2010年/講談社文庫、2013年)】

 呉の敵となる越もまた孫子の兵法を学ぶ。ここに兵法の法たる所以(ゆえん)がある。

「読むべき人が読めば、そう読めるものか」というのが率直な所感である。私は『新訂 孫子』を一度読んでいるが、心に染まったのは「兵とは詭道なり」の一言(いちごん)のみである。

 脳は解釈システムである。世界という函数を解くのが脳の機能であり、具体的には「読む」という行為に現れる(『社会認識の歩み』内田義彦)。何を読むのか? それは因果関係であり物語である。自我を巡る物語は往々にして妄想の罠にとらわれ、誤読がつきものである。世界を正しく認識することは難しい。まして人の数だけ別世界が広がっているとすれば、人の数だけ誤読に溢れているのが世界とも言えよう。

 例えば読めるとはこういうことである。

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 宮城谷昌光は『孫子』を正しく読んでいる。つまり宮城谷は孫武の精神と感応(かんのう)しているのだ。人は時代を超えて人を理解できる。その事実が胸を揺さぶる。

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