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2022-02-22

新しい用語と新しいルールには要注意/『ポストトゥルース』リー・マッキンタイア


『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン

 ・新しい用語と新しいルールには要注意

 ポストトゥルースという概念は、真実が翳りつつあることに悩む者たちの後悔の感覚から生まれた。あからさまな賛同者でない者にとっても、この現象は少なくともあるひとつの観点を前提としている。それは、今日の政治の場において事実や真実が危機に瀕しているという考えだ。

【『ポストトゥルース』リー・マッキンタイア:大橋完太郎監訳、居村匠、大崎智史、西橋卓也訳(人文書院、2020年)以下同】

 この手の目新しい用語を作成しているのは左翼と見ていいだろう。胸が悪くなるという点において「ポリティカル・コレクトネス」の向こうを張るレベルである。一応調べてみた。

 ポスト事実の政治(英: post-factual politics)とは、政策の詳細や客観的な事実より個人的信条や感情へのアピールが重視され、世論が形成される政治文化である。(Wikipedia

 事実を軽視する社会。直訳すると「脱・真実」。(コトバンク

 ポストトゥルースは客観的な事実よりも感情や個人的な信条によって表されたものの方が影響力を持ってしまう状況を指します。(データのじかん

 政治が分極化する一方で、インターネットメディアの発達によって、それぞれの支持勢力は自らにとって都合のよい情報ばかりを受け入れるようになり、既存のマスメディアや異なる意見には耳を傾けなくなる市民の分断こそが、ポスト・トゥルースの政治の根本に潜む問題点(NIRA総合研究開発機構

 思弁に傾いた言葉に吐き気を覚える。理窟をこねくり回すのが好きで好きで仕方がないのだろう。ポスト・トゥルース(私は中黒を使用)はトランプ批判の文脈で使用される言葉であることを初めて知った。しかしながら、「フェイクニュース」という用語を広めたのも彼ではなかったか?

「ポストトゥルース(post-truth)」という現象が一躍大衆の注意を引いたのは2016年11月、オックスフォード大学出版局辞典部門がこの単語を2016年の今年の一語にノミネートしたことに始まる。単語の使用が2015年に2000パーセントという急激な上昇を見せたことを考えると、明白な結果に思える。リストに残ったほかの候補には「オルタナ右翼(alt-right)」や「ブレグジット主義者(Brexiteer)」などもあり、この年の政治的な状況がはっきりと示されていた。

「オルタナ右翼」も覚えておくべきキーワードである。左翼の巧妙さが際立っている。「ネトウヨ」よりもはるかに説得力がある。

 私は新聞も購読していないし、テレビも所有していないので世事に疎(うと)い。というよりは世事に興味がない。個人的にはヒラリーやバイデンよりもトランプに好感を抱いていた。当然ではあるがSNSを通じて知る情報はトランプに好意的なものが多い。北朝鮮の日本人拉致に関するトランプの姿勢には惻隠の情を感じたが、それをそのまま鵜呑みにするほど私も若くはない。一つひとつの行為や発言には当然政治的なメッセージが込められていることだろう。

 ポスト・トゥルースはSNSの嘘に振り回される愚かな大衆という図で描かれているが、「信頼を失ったメディア」の問題がすっぽりと抜け落ちている。大衆を操作するメディアの力が失われた焦りが「ポスト・トゥルース」なる言葉を生ましめたのだろう。

 しかも日本の場合、敗戦後は独立国としての振る舞いは許されず、自国を守ることすら禁じられた経緯がある。新聞やテレビがジャーナリズムとして機能したことはほぼなかった。記者クラブ制度は新聞社が官庁の出先機関となったことを雄弁に物語っている。新聞は社会の木鐸(ぼくたく)ではない。単なる売り物だ。売上の半分を広告収入が占める。

 大衆はメディアの嘘を見破った。そして今度はSNSの嘘に騙されるかもしれないが、それはそれで構わない。騙される相手が変わっただけのことだ。エスタブリッシュメントが恐れているのは暴動だ。

 メディアが凋落すると同時に、ビッグテックがそれに代わった。Googleは突然、検閲を強化し中国共産党のように振る舞いはじめた。FacebookやTwitterがトランプ大統領を追いやったことが契機となった。大統領選挙に対する完全な政治的干渉であった。

 ポスト・トゥルースを得々と語るような手合いを信じてはならぬ。脱炭素化やSDGsも同様だ。ルールメーカーはいつだって白人なのだ。

2022-01-31

砕氷船テーゼ/『悪の論理 ゲオポリティク(地政学)とは何か』倉前盛通


『昭和の精神史』竹山道雄
『資本主義の終焉と歴史の危機』水野和夫
『閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済』水野和夫
『小室直樹vs倉前盛通 世界戦略を語る』世界戦略研究所編

 ・小善人になるな
 ・仮説の陥穽
 ・海洋型発想と大陸型発想
 ・砕氷船テーゼ

『新・悪の論理』倉前盛通
『情報社会のテロと祭祀 その悪の解析』倉前盛通
『自然観と科学思想 文明の根底を成すもの』倉前盛通
『悪の超心理学(マインド・コントロール) 米ソが開発した恐怖の“秘密兵器”』倉前盛通
『悪の運命学 ひとを動かし、自分を律する強者のシナリオ』倉前盛通
『悪の戦争学 国際政治のもう一つの読み方』倉前盛通
『悪の宗教パワー 日本と世界を動かす悪の論理』倉前盛通

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 米国は先に述べたように、日本と蔣介石麾下(きか)の国民政府軍とを戦わせて泥沼化させ、日本の疲弊(ひへい)を待ってから、日米戦を挑発(ちょうはつ)したのであるが、一方、毛沢東主席の方も、廷安に追いつめられ、国民政府軍に完全に包囲され、あと一歩で国外(ソ連へ)亡命の寸前まで追いつめられながら、張学良の起こした西安事件によって、「国共合作して対日抗戦をやろう」という方向へ大勢を転換させることに成功した、「したたかな悪党」である。
 毛沢東が考えたことは「まず、蔣介石軍は日本軍に叩きつぶさせよ。中共軍は背後にかくれていて、決して日本軍の正面に出て戦ってはならぬ。勢力を温存しておくためである。そして、蔣介石軍の精鋭が壊滅したあと、日本軍を叩きつぶす役目は米国にやらせよう。そのためには、日本国内の仮装マルキストと共謀して、日米決戦を大声で呼号させよ。日本が支那大陸に大軍を残したまま、米国との戦争に入れば、海洋と大陸の両面作戦となり、疲弊した日本は必ず敗北するであろう。日本が敗北したあと、日本の荒らしまわった跡は、そっくり、われわれの手にいただくのだ」という大謀略であった。
 この戦略は「砕氷船テーゼ」とよばれる地政学の最も邪悪なテーゼであり、レーニン、もしくはスターリンが提起したものといわれているが、ソ連内部の密教については、明確にされていないものが多いので、文献として明示できないのは残念である。スターリンも、この砕氷船テーゼを採用して、次のように考えていたといえる。
 ドイツと日本を砕氷船に仕立てあげよ。ドイツがソ連へ攻めこんでこないよう、ドイツをフランス、英国の方向へ西進させよ。ヨーロッパ共産党はナチス・ドイツヘの非難を中止して、ドイツと英仏の開戦を促進させよ。また、日本が満州を固め、蔣介石と和解して、シベリアヘ北進してこないよう、日本と中華民国との間に戦争を誘発させよ。中国共産党は国民党内部に働きかけて対日抗戦論を煽(あお)れ。日本の共産主義者は偽装転向して右翼やファシショの仮面をかぶり、軍部に接近して、「暴支膺懲」「蔣介石討つべし」の対中国強硬論を煽れ。
 日本が中華民国との戦闘行為に入ったら、できるだけ、これを長期化させるように仕向けよ。そのためには「長期戦論」「百年戦争論」を超愛国主義的論調で煽れ。日本と国民政府との和平工作は、あらゆる方法で妨害せよ。そして、長期戦によって疲弊した日本を対米戦に駆り立て、「米英討つべし」の強硬論を右翼の仮面をかぶって呼号せよ。
 日独が疲れた頃を見はからって米国を参戦させよ。米国の力をかりて、ドイツと日本を叩きつぶしたあと、ドイツと日本が荒らしまわったあとは、そっくり、ソ連の掌中のものになるであろう。
 大体、以上のようなものであったと推測されている。つまり、「共産主義者は自ら砕氷船の役目を演じて、氷原に突進し、これを破粋するためエネルギーを浪費するような愚かな真似をしてはならない。砕氷船の役割はアナーキストや、日本、ドイツのような国にまかせるように仕組み、われわれはその背後からついて行けばよい。そして、氷原を突破した瞬問、困難な作業で疲労している砕氷船を背後から撃沈して、われわれが先頭に立てばよいのだ」という狡猾(こうかつ)な戦略である。ロシア革命の前夜においても、アナーキストが砕氷船の役割を演じたが、十月革命後、アナーキストはことごとくレーニンの党によって処刑され消されてしまった。
 第二次大戦では日本とドイツが砕氷船の役割を、まんまと演じさせられ、日独の両砕氷船が沈没したあとを、ソ連と毛沢東の中国と米国の三者が、うまく分け前をとり合ったわけである。ゾルゲ尾崎秀実〈おざき・ほつみ〉は、日本を砕氷船に仕立てるために多大の功績を残したソ連のエージェントであった。
 尾崎秀実が対中国強硬論の第一人者であったこと、対米開戦を最も強く叫んだ人間であったことは、戦後、故意にもみ消されて、あたかも平和の使者であったかのごとく、全く逆の宣伝がおこなわれている。

【『悪の論理 ゲオポリティク(地政学)とは何か』倉前盛通〈くらまえ・もりみち〉(日本工業新聞社、1970年/角川文庫、1980年)】

砕氷船理論 - Wikipedia
敗戦革命 - 砕氷船テーゼ
砕氷船のテーゼ ~ 日本共産党が「アメリカ反対」な理由 - 親子チョコ

 外国からの侵略を経験したことがない日本は謀略に弱い。その意味では反植民地状態にあった明治外交の方が現在よりもはるかに強(したた)かであった。政治家に「国家的危機意識」があった。その後、大正デモクラシー~政党政治を経て日本の民主政は五・一五事件に至る。すなわち政党政治の行き詰まりから国民は軍部を支持したのである。これを軍部による独裁と見ると歴史を誤る。

 大正デモクラシーと同時期に起こったのがロシア革命(1917年/大正6年)であった。大正デモクラシーは社会主義的な色彩の濃い民主政であった。個人の権利よりも、平等な社会制度の構築を目指した。ここに共産主義が付け入る余地があった。

 それにしても頭がいい。砕氷船テーゼを考案したのは多分ユダヤ人だろう。ソ連建国の主要メンバーも殆どがユダヤ人であった。ヨーロッパの地で迫害や虐殺をくぐり抜けてきた彼らの知恵は英知と狡猾の幅を有する。

 砕氷船を砕氷船たらしめるために第五列(スパイ)を送り込むのだ。何と用意周到なことか。しかも描く絵の構図が大きい。その壮大さに心惹かれてシンパシーを抱く者すら存在したことだろう。優れた論理や明るい理想には人の心をつかんで離さない力がある。

 そしてあろうことかソ連が崩壊しても尚、第五列は生き続けているのだ。彼らは口々に平和を説き、人権を語り、平等を訴えながらポリティカル・コレクトネスを吹聴する。そして70年以上を経ても尚、日本軍の戦争犯罪を声高に糾弾し、中国・韓国を利する言論活動を至るところで行う。

 この思想の力はあまりにも強靭だ。既にコミンテルンが存在しないにも関わらず自律運動が継続されているのだ。共産党はなくなっていないし、旧社会党勢力は立憲民主党で生き延びている。学術の世界は今でもほぼ真っ赤な色を維持している。また政権与党の公明党が完全な親中勢力の一翼を担っており、支持母体の創価学会は中国による不動産売買に手を貸しているとも伝えられる。

 沖縄と北海道は籠絡(ろうらく)寸前の状況といってよい。どこかで国民の人気を集めた強権的な政権が誕生しない限り、中国の侵略を防ぐことはできないだろう。

 一朝事ある時には、防衛ではなく満州を取りにゆく覚悟で臨むべきだ。

2022-01-25

アイコンとは/『コンピュータ妄語録』小田嶋隆


『我が心はICにあらず』小田嶋隆
『安全太郎の夜』小田嶋隆
『パソコンゲーマーは眠らない』小田嶋隆
『山手線膝栗毛』小田嶋隆
『仏の顔もサンドバッグ』小田嶋隆

 ・アナログの意味
 ・アイコンとは

『「ふへ」の国から ことばの解体新書』小田嶋隆
『無資本主義商品論 金満大国の貧しきココロ』小田嶋隆
『罵詈罵詈 11人の説教強盗へ』小田嶋隆
『かくかく私価時価 無資本主義商品論 1997-2003』小田嶋隆
『イン・ヒズ・オウン・サイト ネット巌窟王の電脳日記ワールド』小田嶋隆
『テレビ標本箱』小田嶋隆
『テレビ救急箱』小田嶋隆

【アイコン】Icon

(中略)このIconなる英語は、実は、「イコン」すなわち、ギリシア正教でいうところの「聖母像や殉教者の肖像画」と語源を同じくしている。
 つまり、キリスト教圏に住む英語国民にとって「アイコン」は、相当に宗教味を帯びた言葉なのである。
 であるからして、漢字および仏教文化圏に住む者の一人として、私は、思い切って「アイコン」を「曼陀羅」と訳してみたい衝動に駆られるのであるが、そういうことをして業界に宗教論争を持ち込んでも仕方がないので、このプランはあきらめよう。
 さて、「イコン」は、聖書主義者あるいはキリスト教原理主義者の立場からすると、卑しむべき「偶像」である。
 彼らは、イコンに向かってぬかづいたりする人間を「アイコノクラスト(偶像崇拝者)」と呼んで、ひどく軽蔑する。なぜなら、偶像崇拝者は、何物とも比べることのできない絶対至高の存在である神というものを、絵や彫像のような卑近な視覚対象として描写し、そうすることによって神を貶め、冒涜しているからだ。しかも、偶像崇拝者は、もっぱら神の形にだけ祈りを捧げ、神のみ言葉に耳を傾けようとしない愚かな人間たちだからだ。
 ……ってな調子で、融通のきかない原理主義の人々はコ難しいことを言っているが、一般人は、ばんばん偶像崇拝をしている。
 結局、偶像は、迷える仔羊たちに「神」を実感させる道具として有効なのだ。というよりも、形を持たないものに向かって祈ることは、並みの人間にはなかなかできないことなのである。

【『コンピュータ妄語録』小田嶋隆〈おだじま・たかし〉(ジャストシステム、1994年)】

 曼陀羅(※本来は曼荼羅と書くのが望ましい)よりも「御真影」の方が近いだろう。かつて昭和20年(1945年)の敗戦まで、学校には奉安殿(ほうあんでん)があり天皇・皇后両陛下の肖像写真が安置されていた。宮内庁から貸与されていたため、戦災や火事などで焼失させるわけにいかず焼け死んだ校長もいた。詳しい経緯は知らないのだが、たぶん教育勅語(1890年)の翌年あたりから貸与されたのだろう。

 仏教系の新興宗教でも曼陀羅や仏像に対して御真影同様に接する人々がいる。息が掛からないようにとか、お尻を向けないとか。

 曼荼羅は神仏が集う姿や、仏教の宇宙観を示したもの。悟りを図示することはできないため、こうした姿になったのだろう。

 図像はわかりやすいがゆえに情報の抽象度が低くなる。偶像は英語で「アイドル」と言う。そう。オタク連中が好むあの「アイドル」だ。頭のネジが1本緩んだ純粋な若者がいたとしよう。彼は大好きなアイドルのポスターに向かって今日一日の出来事を語り、軽く口づけをしてベッドに入る。朝食もポスターの前で食べる。もちろん食べるのはアイドルの好物だ。「じゃ、行ってくるね。今日は残業で少し遅くなるから」と言って彼はアパートのドアを閉める。こうなるとアイドルのポスターはただのポスターではなくなっている。彼にとっては確かな存在であり、実存として機能するのだ。

 そう考えると仏像や曼荼羅を拝むことのおかしさが見えてこよう。仮に生身のブッダを拝んだところで悟りは開けない。ま、当たり前の話だ。つまり、拝む・祈るという行為は「瞑想の割愛を肯定する」のである。自分の像が後世になって拝まれていることを知れば、ブッダは一笑に付したことだろう。

 現代社会における偶像は、地位・名誉・財産・学歴・家柄などなど。不要に頭を下げさせるのが偶像の効用である。高級車や高級腕時計もアイコンの役割を果たす。男なら心意気で勝負しろってえんだ。



日露友好の土壌/『なぜ不死鳥のごとく蘇るのか 神国日本VS.ワンワールド支配者 バビロニア式独裁か日本式共生か 攻防正念場!』菅沼光弘、ベンジャミン・フルフォード、飛鳥昭雄

2021-10-29

尊皇思想と朱子学~水戸学と尊皇攘夷/『世界史講師が語る 教科書が教えてくれない 「保守」って何?』茂木誠


『経済は世界史から学べ!』茂木誠
『「戦争と平和」の世界史 日本人が学ぶべきリアリズム』茂木誠
『「米中激突」の地政学』茂木誠

 ・「アメリカ合衆国」は誤訳
 ・1948年、『共産党宣言』と『一九八四年』
 ・尊皇思想と朱子学~水戸学と尊皇攘夷
 ・意識化されない無意識は強迫的に受け継がれていく
 ・GHQはハーグ陸戦条約に違反
 ・親北朝鮮派の辻元清美と山崎拓

世界史の教科書
日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

【専制君主・天皇親政ではなく、第4章でも挙げた天皇が「治(し)らす」姿が1000年以上つづてきた日本の伝統的統治体制であり、「国柄」「国体」というべきもの】なのです。

 その一方で、【神話とも紐づけながらその世界観への復古を理想とし、天皇を崇拝して死も厭(いと)わないという激烈な尊皇思想が、中世のある段階から登場】します。これを中国の朱子学の影響だと見抜いたのが山本七平〈やまもと・しちへい〉でした(『現人神の創作者たち』〔上・下〕ちくま文庫)(第3部393ページ参照)。(中略)
 朱子学は、【主君と臣下の区別を重んじる「大義名分論」、中華(文明)と夷狄(いてき/蛮族)を厳しく峻別(しゅんべつ)する「華夷(かい)の別」】という二つのキーワードで要約できます。
 謀反人や夷狄による政権奪取は天が定めた「大義に反する」から絶対に認めない、たとえ武力で屈しても精神において屈することはない、という不屈の精神は、モンゴルの侵略を受け続けた中国人の心をとらえました。
 南宋からの亡命者は鎌倉時代の日本にも来ており、彼らが日本にこの朱子学を伝えたのです。

【『世界史講師が語る 教科書が教えてくれない 「保守」って何?』茂木誠〈もぎ・まこと〉(祥伝社、2021年)】

「治(し)らす」については後日紹介する。

 メモ書きしておくと、朱子学を重んじた明朝が滅ぶ→満州族が建てた清朝が中国全土を支配→長崎に来航した明朝の亡命者の中に朱舜水〈シュ・シュンスイ〉がいた→噂を聞いた水戸光圀〈みと・みつくに〉が江戸に招く→水戸藩の事業として『大日本史』を開始→「万世一系の天皇が日本を統治した」という朱子学的大義名分論で貫いた大著(1906年/明治39年完成)→水戸学の編纂に携わったグループが水戸学→尊皇攘夷思想の誕生、という流れになる。いやはや勉強になった。

 これが三島由紀夫の陽明学にまでつながるとすれば、朱子学の影響を決して軽んじてはなるまい。


2021-10-25

フィードバックとは/『進化しすぎた脳 中高生と語る〔大脳生理学〕の最前線』池谷裕二


『脳は奇跡を起こす』ノーマン・ドイジ
『脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線』ノーマン・ドイジ
『唯脳論』養老孟司
『海馬 脳は疲れない』池谷裕二、糸井重里

 ・世界よりも眼が先
 ・人間が認識しているのは0.5秒前の世界
 ・フィードバックとは

『脳はなにかと言い訳する 人は幸せになるようにできていた!?』池谷裕二
『できない脳ほど自信過剰 パテカトルの万脳薬』池谷裕二

必読書リスト その三

 フィードバックというのは、一方通行だった情報の流れが、枝分かれして、前のほうに戻されたり、逆流したりする回路だ。こうなると、単純な一方通行とは違うやり方で情報が処理されるようになるよね。
 一対一じゃない情報の伝達を支える仕組み、そう、脳のような複雑な装置に絶対に必要な条件が「フィードバック」ってわけ。日本語だと「反回性回路」と言うんだけど、こうした情報が「行ったり来たり」する回転が最低限必要なの。それによって情報を分解したり、変調したり、統合したりできるってわけ。情報のループを描かないとブラックボックスはワンパターンの出力しかできない。(脳内の1個の神経は1万個の神経に情報を送っている)

【『進化しすぎた脳 中高生と語る〔大脳生理学〕の最前線』池谷裕二〈いけがや・ゆうじ〉(ブルーバックス、2007年)】

 非公開にしたブログ記事から引っ張り出してきた。やれやれ。

 脳はフィードバックによって軌道修正を可能にしている。ヒトが学習できるのもフィードバックの成せる業(わざ)である。フィードバックの集大成が文明なのだ。人類以外の動物は文明を持たない。

 更にフィードバックを欠けば人は感情やバイアスの奴隷となる。反省、振り返り、やり直し、見つめ直しに脳の本領がある。日常的にフィードバックを行えば後悔することが少なくなる。間違いは気づいた瞬間に修正できる。

 人も組織もフィードバックが途絶えると腐敗する。強力な独裁体制は誰かの話に耳を傾けることがない。ワンマンが通用するのは戦国時代だ。



有害で悪質な数学破壊兵器のフィードバックループ/『あなたを支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠』キャシー・オニール

2021-10-24

「アメリカ合衆国」は誤訳/『世界史講師が語る 教科書が教えてくれない 「保守」って何?』茂木誠


『経済は世界史から学べ!』茂木誠
『「戦争と平和」の世界史 日本人が学ぶべきリアリズム』茂木誠
『「米中激突」の地政学』茂木誠

 ・「アメリカ合衆国」は誤訳
 ・1948年、『共産党宣言』と『一九八四年』
 ・尊皇思想と朱子学~水戸学と尊皇攘夷
 ・意識化されない無意識は強迫的に受け継がれていく
 ・GHQはハーグ陸戦条約に違反
 ・親北朝鮮派の辻元清美と山崎拓

世界史の教科書
必読書リスト その四

 このような【イギリス本国の「圧政」と戦うために、13ステイとが連合(ユナイト)して生まれたのが「the United States of America(アメリカ合衆国)」】でした。
 なお、「state」は「州」とも訳しますが、本来の意味は「国」ですから「the United States of America」は「アメリカ国家連合」が正しい訳語。「合衆国」は誤訳です。

【『世界史講師が語る 教科書が教えてくれない 「保守」って何?』茂木誠〈もぎ・まこと〉(祥伝社、2021年)】

 かつて本多勝一〈ほんだ・かついち〉が「アメリカ合州国」を主張していた(『アメリカ合州国』朝日新聞出版、1984年)。尚、「合衆」には共和制の意味があり、民主政の古い訳語でもあるという(Wikipedia)。国家連合は連邦と同意か。

2021-10-11

「革新官僚」とは/『絢爛たる醜聞 岸信介伝』工藤美代子


『機関銃下の首相官邸 二・二六事件から終戦まで』迫水久恒

 ・佐藤栄作と三島由紀夫
 ・「革新官僚」とは
 ・真相が今尚不明な柳条湖事件

 一連の岸の活動は吉野とともに統制経済の道を拓き、整備拡充するものとなったが、世間はこうした官僚を「革新官僚」とか「新官僚」と呼ぶようになっていた。
「革新」といえば戦後は左翼を意味してきたが、当時の「革新」にイデオロギー色はない。敢えて言えば国家主義的な色彩が強かった。

【『絢爛たる醜聞 岸信介伝』工藤美代子〈くどう・みよこ〉(幻冬舎文庫、2014年/幻冬舎、2012年『絢爛たる悪運 岸信介伝』改題)】

 言葉通りの「革新」であったわけだ。長年の疑問が氷解した。戦前から共産主義は「アカ」と呼ばれて毛嫌いされていたが、社会主義思想そのものは一君万民論と親和性があり、革命思想とは異なる広がりを見せていた(北一輝、大川周明など)。こうしたことが左翼用語に神経を尖らせてしまう要因となっている。

2021-09-14

自動化(オートマチック)、手順自動化(オートメーション)、自律(オートノミー)


 ・自動化(オートマチック)、手順自動化(オートメーション)、自律(オートノミー)
 ・自律型兵器の特徴は知能ではなく自由であること

 機械の知能の変動範囲(スペクトル)をいい表すのに、“自動化”(オートマチック)、“手順自動化”(オートメーション)、“自律”(オートノミー)という言葉がよく使われる。
 自動システムは、“意思決定”の面ではあまり能力を示さない単純な機械だ。環境を感知し、行動するだけだ。感知と行動が、直線的にじかに結び付いている。人間ユーザーにとっては、予想しやすい。古い機械式サーモスタットは、自動システムの典型だ。ユーザーが望む温度に設定すると、温度がそれよりも高くなるか低くなったときに、サーモスタットは暖房やエアコンを作動させる。
 オートメーション・システムはもっと複雑で、行動を起こす前に複数の入力情報を検討し、実行可能な選択肢を比較考量する。それにもかかわらず、基本的には、機械内部の認識プロセスを人間ユーザーが追跡しやすい。現在のデジタル・プログラミングが可能なサーモスタットは、オートメーション・システムの典型だ。暖房やエアコンを、屋内の気温だけではなく日にちや時間に応じて作動させることができる。システムに入力された情報やプログラミングされたデータがわかっていれば、練度の高いユーザーはシステムの挙動(ビヘイヴィア)を予測できるはずだ。
“自律”はしばしば、システムが精巧で、内部の認識プロセスがユーザーに理解できないシステムに言及するときに使われる。システムがやることになっているタスクについては理解していても、そのタスクをシステムがどう行なうかを理解しているとは限らない。研究者はしばしば自律システムは“目標重視”であるという。つまり、人間ユーザーは目標を指定するが、自律システムは目標を達成するやり方については柔軟なのだ。
 その一例が自動運転車だ。ユーザーは目的地や、事故を避けるといったその他の目標を具体的に示すが、自動運転車がやらなければならない行動をすべて示すことは不可能だ。道路状況や障害物があるかどうかを、ユーザーは知らない。信号がいつ変わるか、他の車や歩行者がなにをするかということは、予測できない。したがって、目標を達成するために、いつ停止し、発信し、車線を変えるかを決める柔軟性を備えるように、プログラミングされている。
 現実には、自動、オートメーション、自律の境界線は、いまなおはっきりしない。“自律”はまだ創られていない未来のシステムを指すことも多いが、実現したらそれも“オートメーション”システムと呼ばれるかもしれない。これはAIを取り巻く流れとよく似ている。いまの機械にはできないようなタスクをひっくるめて、AIと見なされることが多い。機械がタスクを克服すると、それは単なる“ソフトウェア”になる。
 自律は、システムが自由意志を発揮したり、プログラミングに従わなかったりすることではない。自律は、オートマチック・システムが感知から行動へと単純に直線的に結び付いているのとはことなり、いかなる状況でも最善の行動を編み出せるように、幅広い変化を考慮する。制御できない環境に置かれた自律システムには、目標重視の姿勢が不可欠なのだ。

【『無人の兵団 AI、ロボット、自律型兵器と未来の戦争』ポール・シャーレ:伏見威蕃〈ふしみ・いわん〉訳(早川書房、2019年)】

新彊とは


 ここは戦略上の要衝の地で、非公式ではあるが中国は“西洋への出口”と見なしてきた。毛沢東はここを新疆ウイグル自治区(「新彊」とは「新たに加わった領域」の意)と名づけたが、私たちにとってこの土地はいまだに東トルキスタンであり、先祖からの故郷の地である。

【『重要証人 ウイグルの強制収容所を逃れて』サイラグル・サウトバイ、アレクサンドラ・カヴェーリウス:秋山勝〈あきやま・まさる〉訳(草思社、2021年)】

2021-08-16

「精神世界」というジャンルが登場したのは1977年/『身心変容技法シリーズ① 身心変容の科学~瞑想の科学 マインドフルネスの脳科学から、共鳴する身体知まで、瞑想を科学する試み』鎌田東二編


岡野潔「仏陀の永劫回帰信仰」に学ぶ
『業妙態論(村上理論)、特に「依正不二」の視点から見た環境論その一』村上忠良
『21世紀の宗教研究 脳科学・進化生物学と宗教学の接点』井上順孝編、マイケル・ヴィツェル、長谷川眞理子、芦名定道

 ・「精神世界」というジャンルが登場したのは1977年

 1977年、初めて東京都内の大手書店が開催したフェアで「精神世界」を銘打ったコーナーが設けられ、以後、「精神世界」という言葉が流行語のようになり、書店のコーナーばかりでなく、一般メディアなどでも用いられるようになった。その『精神世界」には、超能力やオカルティズムや密教の流行とも連動しつつ、宗教的伝統に根ざす諸種の瞑想や近代以降に展開された身体修練などさまざまな実践的な身体技法が含まれていた。

【『身心変容技法シリーズ① 身心変容の科学~瞑想の科学 マインドフルネスの脳科学から、共鳴する身体知まで、瞑想を科学する試み』鎌田東二〈かまた・とうじ〉編(サンガ、2017年)】

 多分、ニューエイジ(『現代社会とスピリチュアリティ 現代人の宗教意識の社会学的探究』伊藤雅之)の影響だろう。盛り上がりを見せた精神世界もバブル景気を経て、オウム真理教による地下鉄サリン事件(1995年)で潰(つい)えてしまう。コントロールされた精神がたやすく暴力に向かうことをまざまざと見せつけられたわけだ。それ以降、潮流は脳科学へ向かい、そして再び身体に戻りつつある。9.11テロ(2001年)は「心の時代」の到来を拒むような出来事であった。個人的には何らかの陰謀があったと考えているが、世界の人々が感じたのは「宗教と暴力の親和性」であった。

 読み始めたばかりだが鎌田東二の序文がよくない。エリアーデ、ベルクソン、ウィリアム・ジェームズを水戸黄門の印籠さながらに振りかざす姿勢が、権威に依存する学者の体質をよく表している。内田樹〈うちだ・たつる〉の名前もあるので最後まで読むことはできそうにない。

 また長過ぎる書籍タイトルが自信の無さを示しているようにも感じる。

2021-08-01

たわけ者



たわけ者 - 語源由来辞典

2021-07-29

民は由らしむべし,知らしむべからず


 封建時代の政治原理の一つ。出典は『論語』泰伯編。「人民を従わせることはできるが,なぜ従わねばならないのか,その理由をわからせることはむずかしい」という意味である。つまり,人民は政府の法律によって動かせるかもしれないが,法律を読めない人民に法律をつくった理由を納得させることは困難である,といっているにすぎない。ところが江戸時代には,法律を出した理由など人民に教える必要はない,一方的に法律(施政方針)を守らせればよいという意味に解されて,これが政治の原理の一つとなった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

2021-05-20

鑑とは/『レディ・ジョーカー』高村薫


・『黄金を抱いて翔べ』高村薫
・『神の火』高村薫
・『わが手に拳銃を』高村薫
・『リヴィエラを撃て』高村薫
・『マークスの山』高村薫
・『地を這う虫』高村薫
・『照柿』高村薫

 ・鑑とは
 ・創作された存在

・『李歐』高村薫
・『半眼訥訥』高村薫
『あなたに不利な証拠として』ローリー・リン・ドラモンド

ミステリ&SF

 さらに、被害者の鑑の範囲はきわめて狭く、施設に友人もなく、施設の外との手紙のやり取りもない。

【『レディ・ジョーカー』高村薫〈たかむら・かおる〉(毎日新聞社、1997年/新潮文庫、2010年)以下同】

「鑑」の意味を検索したのだが判明せず。そもそも「かん」なのか「かがみ」なのかもわからない。150ページほど先に答えがあった。

「なに、悪くはない組み合わせだ。関係者同士の地理的社会的つながりを警察の用語で鑑(かん)と言うんだが、俺たちにはその鑑がほとんどない。鑑がないと、捜査する側は犯行グループを辿(たど)りにくい」

 つまり土地鑑(※土地勘は誤用)の鑑だ。尚、私が読んだ作品のリンクを示してあるが、『半眼訥訥』だけは面白くなかった記憶がある。

土地鑑 - Wikipedia
ことばの話2815「土地鑑か?土地勘か?」

2021-03-04

「権利」は誤訳


 昨年の10月から牛馬の如く働いている。「モーはまだなり。まだはモーなり」()と独り言(ご)つ。書評をちまちまと書いてはいるのだが、途中で検索が始まるとそこでピタリと止まってしまう。そこまでして正確を期す必要があるのかと問われれば何とも言い難い。ま、読むのが専門でも構わないのだが。

 Rightを西周〈にし・あまね〉が「権利」と訳し、福澤諭吉は「権理通義」と訳した、と私は思っていた。よくよく調べるとどうも違うようだ。権利という言葉にはポリティカル・コレクトネスと同じ異臭を感じる。

【通義】世間一般に通用する道理や意義。

通義とは - コトバンク

 通義とは文字通り「義に通ずる」意味で、すなわち(道)理を意味します。つまり天下公益、現代的に言うなら「公共の福祉」に適う=理に適った社会のあり方を追求するために必要な権力・権限こそが「Right」である、という考えです。

明治時代に持ち込まれた概念「Right」は権利?権理?福沢諭吉の「理」へのこだわり | ライフスタイル - Japaaan

 ところが、この「権利」という訳に、福沢諭吉が噛み付きました。
「誤訳だ!」というのです。
そして福沢諭吉は、ただ反発しただけでなく、
「『Right』は『通理』か『通義』と訳すべきで、『権利』と訳したならば、必ず未来に禍根を残す」と、厳しく指摘しています。(中略)
「Right」を「権利」と訳せば、個人が自らの利益のために主体となって主張することができる一切の利権という意味になります。
 けれど、英語の「Right」には、そんな意味はありません。
 一般的通念に照らして妥当なものが「Right」です。
 つまり、「Right」は、個人の好き勝手を認める概念ではなく、誰がみても妥当な正当性のあるものが「Right」の意味です。
 さらにいえば、「Right」には、正義という概念が含まれます。
 要するにひらたくいえば、誰がみても正しいといえる一般的確実性と普遍的妥当性を兼ね備えた概念が、「Right」なのです。

権利と通義 | 日本のこころを大切にする

「法」の【翻訳語の意味】(堅田剛)には「少なくとも西周において、「権利」は英語rightの訳語ではなく、ドイツ語Rechtの訳語である。(中略)ドイツ語の場合Rechtは(中略)「権利」と「法」という異なった意味を併せもっている」「Rechtをrightと訳すかlawと訳すかは、英米人にとっても悩みの種なのである。(改行)Rechtを一律に「権利」と訳した西周訳を未熟とか誤訳とかいう者もあるが、それはまったくの見当ちがいだ。」(p.250)とある。

right(s)の意味が「権利」として定着した背景がわかる資料があるか。特に、福沢諭吉が提案した新訳... | レファレンス協同データベース

 福沢は、「権利」とは、「分限」の意であるとしている。「人たる者の分限を誤らずして世を渡るときは、人に咎めらるゝこともなく、罰せらるゝこともなかる可し。これ人間の権義と言ふなり。人たる者は他人の権義を妨げざれば自由自在に己が身体を用ひるの理なり」(「学問」三・七九)とし、「其分限とは、天の道理に基き人の情に従い、他人の妨げを為さずして我【一身の自由を達する】事なり」(「学問」三・三一)としていた。

PDF:福沢諭吉における「法」および「権利」に関する一考察:松岡浩

3)すなわちその【権理通義】とは、人々その命を重んじ、その身代所持のものを守り、その面目名誉を大切にするの大義なり。

No.1217 【権理通義】 けんりつうぎ|今日の四字熟語・故事成語|福島みんなのNEWS - 福島ニュース

 しかし“right”はけっして「権利」、「利にすぎない権」なんかではない。英和辞典を引くと(形容詞や副詞的用法は別にして、ここでは名詞だけを取りあげる)、「1(道徳的に)正しいこと、正当、正義(以下略) 2(法的・政治的な)権利、正当な要求 3(複数形で)本来の状態、正しい状態 4(複数形で)真相」と説明されている。そして古期英語では「まっすぐな」の意に用いられていたと。(派生的に「右」という意味にも使われるが、これも「右手の方が正しい」という『聖書』の言葉から生まれたものらしい。)
 他方、「義務」の方は、“duty”の訳語に当てられたが、この言葉もそれほど古くから使われれていたものではなく、明治になって、西周あたりによって創案されたものらしいという。それはともかくとして、いずれにしろ「権利」が「利」にすぎないものと貶められたのに対して、「義務」の方は「義」なる務めとして「義」を独占してしまうことになっった。そこからどいう結果が引き出されるか、誰にも推測できると思うが、義務優先の権利観が導かれてしまう。

(30)「権利と権理」 : yodonosuikou84のblog

「権利」を英語で表すと、「right」ですが、その意味の第1は、「 (道徳的に)正しいこと、正当とか、 正義、正道、公正とか、正しい行ない」を意味します。そして、第2に「(法的・政治的な)権利」があるのですが、その意味として「正当な要求」とあります。決して、多くの人がイメージするような「権利」ではないのです。他の言語でも多くの意味は「正義」として使われることが多く、その「正義」から「権利」を言う言葉が生まれたようです。

権理 | 臥竜塾

 公益というものの持っているライト「正しい」理(ことわり)に沿うべく自分の行為を権(はか)ること、それが権理(ライト)である。 (西部邁〈にしべ・すすむ〉)

「権理」と「権利」 - Freezing Point

 前述のヘボンの英語辞典『和英語林集成』では、“right” には「道理、道、理、義、善、筋、はず、べき」という語が当ててあり、また、福沢諭吉は “right” に「通義」という訳語を当てつつ、「訳字を以って原意を尽すに足らず」(この訳語では原意をじゅうぶんに表現しきれていない)と述べている。

権利と right : ことばの広場

 実は、英語rightを「権利」と翻訳したのはアメリカ人なのだ。

 このアメリカ人の名前は、William Alexander Parsons Martinウィリアム・アレクサンダー・パーソンズ・マーティン(1827〜1916。漢語名は丁韙良。支那には仮名文字がないため、欧米人名を漢字で表記する。)という。プロテスタント長老派の宣教師として、清国で布教活動等をしていた。(中略)

 ウィリアム・マーティンが、アメリカの国際法学者であるHenry Wheatonヘンリー・ホィートン(1785〜1848。漢語名は恵頓。)の著書『Elements of International Law』(直訳すれば、国際法の要素。)を『万国公法』という書名で漢語に翻訳した際に、rightにこの「権利」という漢語を当てはめ転用したわけだ。この他にも、「主権」(sovereign rights)や「民主」(republic)も、ウィリアム・マーティンの翻訳語だ。

アメリカ人が作った翻訳語「権利」 | 源法律研修所



「ひとりごちる」という語は存在するか? : 日本語、どうでしょう?

2020-11-27

taxと税の語源/『税高くして民滅び、国亡ぶ』渡部昇一


『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』ジェームズ・C・スコット
『お金の流れでわかる世界の歴史 富、経済、権力……はこう「動いた」』大村大次郎
・『お金の流れで探る現代権力史 「世界の今」が驚くほどよくわかる』大村大次郎
『脱税の世界史』大村大次郎
『税金を払う奴はバカ! 搾取され続けている日本人に告ぐ』大村大次郎

 ・taxと税の語源
 ・税を下げて衰亡した国はない
 ・現行の税金システムが抱える致命的な問題
 ・社会主義的エリートを政府へ送り込んだフェビアン派
 ・一律一割の税金で財政は回せる
 ・目次

『対論「所得税一律革命」 領収書も、税務署も、脱税もなくなる』加藤寛、渡部昇一

必読書リスト その二

 英語で税金のことを普通tax(タクス)と言うが、「義務的な労働」を意味するtask(タスク)も、昔は税金を意味していた。つまり、taxもtaskも同じ語源から発していて、それが時間が経つうちに、KとSの音(おん)が入れ替わって、税そのものを意味する言葉と労役(ろうえき)を意味する言葉に分かれたわけである。古代日本の税制で言えば、taxは「租」(そ)、taskは「庸」(よう)ということになる。
 taxの語源をさかのぼると、tangere(タンゲル/触れる)という言葉と同じになる。つまり、「手で触れて査定し、それに基づいて税を取り立てる」ということだった。
 いまでも高速道路や橋を渡るところに、toll(トル)と書いてあるが、これは「(高速)料金」「橋銭」(はしせん)のことで、ドイツ語のZoll(ツォル/関税)と同じ語源である。同一の語源から出たものにギリシャ語のtelos(テロス/目的、終わり)という言葉があって、「最終的に支払う」という意味を表している。
 その他に、下の者が上の者に「義務として差し出す」という意味のduty(デューティ)という言葉があるが、フランス語では逆に、上の者が下の者から「権利として巻き上げる」という意味のdroit(ドロワ)がある。
 1989年頃に日本で大騒ぎして導入した消費税があるが、これに近い英語はexcise(エクサイズ)である。exciseには、「消費税」という意味と「削り取る」という二つの違った意味があるが、元々は「売上げのなかから削り取られる」という語感からきたと思われている。イギリスでは、1643年にオランダに真似て導入された。
 税金は、「上のほうから割り当てられたもの」という感じが強いが、それに似たものは上に置くことから生じたラテン語のimpstus(インポスト/英語)、impot(アンポ/フランス語)がある。ただ、いまではあまり使われていない。これに近い意味で、「(お上が人民より)召し上げるもの」という英語に、levy(レヴィ/徴税、招集)がある。(中略)
 漢字の「税」というジは、「禾」という穀物を示す【のぎへん】に「兌」を組み合わせたものだが、「兌」は「脱」であり、収穫された穀物から、「お上が抜き取る」という意味である。
 学校の授業で習う租・庸・調の「租」も、「禾」に「且」を合わせたもので、これは「組む」という意味である。つまり、「上から積み重ねる、押しつける」ということで、英語のimpostに似た語感がある。
 田畑から取る税を「租」というのだが、日本語で税金を表す言葉は「貢」(みつぎもの)であり、動詞は「みつぐ」である。「み」は敬意を示す接頭辞で、中心の意味は「つぐ」にある。「つぐ」に漢字を当てると、「継」「続」「接」などであって、お上に対して人民が、「絶えず継ぎ継ぎ(次ぎ次ぎ)に供給する」というのが根本義であると言える。
「みつぐ」は語感からすると、「運び込む」とか「与える」とか「支える」といったニュアンスがあるが、「支える」というのは、これと同じようなものにドイツ語のSteuer(シュトイア)がある。これによって、国や教会を支えるということなのだが、考えてみれば、税金についての理論が百千あろうとも、つまるところ「公共のものを支える」というところに帰一(きいつ)するなら、実に的確な言葉と言える。

【『税高くして民滅び、国亡ぶ 渡部昇一著作集 政治1』渡部昇一〈わたなべ・しょういち〉(ワック、2012年/PHP研究所、1993年『歴史の鉄則 税金が国家の盛衰を決める』/PHP文庫、1996年/ワック文庫、2005年、改題改訂新版『税高くして国亡ぶ』/更に改題改訂したものが本書。著作集の副題は奥付による)】

2020-03-30

一神教と天皇の違い/『日本語の年輪』大野晋


・『日本語の起源』大野晋

 ・一神教と天皇の違い

『一神教の闇 アニミズムの復権』安田喜憲
・『日本語練習帳』大野晋
・『日本語で一番大事なもの』大野晋、丸谷才一

 自然のあらゆる物事が、生物と無生物とを問わず、すべて精霊を持つと思い、その精霊の働きを崇拝する。これがアニミズムであり、古代日本人の意識を特色づける一つの代表的なものである。人々は、海や、波や、沖や、山や、奥山や、坂や、道や、大きな岩や、つむじ風、雷などに霊力があると思い、その精霊や威力を恐れ、それらの前にかしこまった。その気持が「かしこし」という気持である。これが拡張されて、神に対する畏敬の念についても「かしこし」と表現したのである。
 日本人が、「自然」を人間の利用すべき一つの物としては考えず、「自然」の中のさまざまのものが持つ多くの霊力を認めて、それに対して「かしこ」まる心持を持っていたことは、「古事記」や「万葉集」の歌に、はっきり示されている。
 現代の日本人にとって最もわかりにくいのは、ヨーロッパのような、唯一の神が支配し給う世界ということであり、神々という言葉ほどわかりやすいものはない。お稲荷さんも神様で、八幡さまも神さま(ママ)で伊勢神宮も神さまである。しかも、その神たるや何の実体もなく、ただ何となく威力があり、霊力があり、人間に【たたり】をすることがあり、力を振う存在と考えられる。日本人はその不思議な霊力の前に、ただ「かしこまる」だけである。
 この「かしこし」に似た言葉に「ゆゆし」がある。これはポリネシアで使われるタブーという言葉と同じ意味を表わすものと思われる。タブーとは二つのことを指している。一つは神聖で、清められたものであり、供えられたものであり、献身されたものであるゆえに、特別なところに置かれ、人々から隔離され、そして、人間が触れないようににされたもの、つまり、触れるべからざるほどの神聖で素晴らしいものである。もう一つは、けがらわしい、あるいは汚いと考えられたがために、別の所に置かれたものを指している。例えば死骸とか、ある場合には妊娠した女、あるいは特別の時期の女など、これらは触れてはならないものという意味において、ともにタブーされる。つまり、「タブー」とは、神聖なという意味と、呪われたという意味との二つの意味を持つ、ラテン語、 sacer に対応する言葉で、フランス語の sacré もそれを受け継いでいる。だから、「ゆゆし」も、神聖だから触れてはならないとする場合と、汚れていて不吉だ、縁起が悪いから触れてはならないとする場合の二つがあった。
 例えば、「懸けまくもゆゆしきかも、言はまくもあやにかしこき」と歌った柿本人麻呂の歌がある。これは「口にかけていうのも神聖で恐れ多い、口に出していうのも慎むべきわが天皇の」という意味で、この場合、「ゆゆし」は、神聖だから触れてはならないという意味である。

【『日本語の年輪』大野晋〈おおの・すすむ〉(有紀書房、1961年/新潮文庫、1966年)】

「カミの語源が『隠れ身』であるように、ほんとうに大切な崇(あが)めるべき存在は、隠されたものの中にある(『性愛術の本 房中術と秘密のヨーガ』)。その隠れ身が「ゆゆ-・し」と結びついて「上」(かみ)と変化したのだろう。

 日本語の神は唯一神のゴッドと異なる。天皇陛下は神であるがゴッドではない。仏の旧字は佛で「人に非ず」の意である。印象としてはこちらに近い。畏れ多くも天皇陛下(※後続にも)は基本的人権を有さないのでその意味でも人(国民・市民)ではない。ラレインが語った「部族長」という表現が一番ピンとくる(『国のために死ねるか 自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動』伊藤祐靖)。

「ただ何となく威力があり、霊力があり」との一言が目から鱗(うろこ)を落とす。日本人の多くが天皇陛下を信じ仰ぐがそれは信仰ではない。赤子(せきし)である国民のために祈り(天皇は祭祀王)、私(わたくし)なき生活に対する敬意であろう。そうでありながらもいざ戦争となると日本人の紐帯(ちゅうたい)として存在をいや増し、輝きは絶頂に達した。

 日本人はそれを国体と呼んだ。天皇に対する素朴な敬意は八紘一宇(はっこういちう)の精神に押し広げられ、アジアの同胞を帝国主義の軛(くびき)から解放することを目指した。青年将校の蹶起(けっき)や陸軍の暴走は大正デモクラシーの徒花(あだばな)であったのだろう。歴史は大きくうねりながらゆっくりと進む。

「天皇制打倒」を掲げて歴史を直線的に進歩させようと試みるのが左翼である。ソ連が崩壊したことで社会主義システムの欺瞞が明らかになったわけだが、今尚コミュニズムの毒が抜けない人々が存在する。彼らはリベラルの仮面をかぶり、人権を説き、地球環境に優しい生き方を標榜する。破壊という目的を隠しながら。

2020-03-15

「シナ」と「中国」の区別/『封印の昭和史 [戦後五〇年]自虐の終焉』小室直樹、渡部昇一


・『危機の構造 日本社会崩壊のモデル』小室直樹
『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹
『悪の戦争学 国際政治のもう一つの読み方』倉前盛通
『日本教の社会学』小室直樹、山本七平
『税高くして民滅び、国亡ぶ』渡部昇一

 ・「シナ」と「中国」の区別

『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は滅亡する』小室直樹
・『世紀末・戦争の構造 国際法知らずの日本人へ』小室直樹
・『日本の敗因 歴史は勝つために学ぶ』小室直樹
・『新世紀への英知 われわれは、何を考え何をなすべきか』渡部昇一、谷沢永一、小室直樹

〔付記〕

 対談の中で、「シナ」と「中国」は区別して用いた。中国は中華人民共和国や中華民国の略称としてのみ正当と言うべきであり、地理的、文化的概念としては用いることはできない。地理的概念、あるいは古代以来の文化的概念を指す場合は、「シナ」(英語のチャイナ)を用いることが正当であると、私は考える。中国という言葉の背景には、外国を夷狄戎蛮(いてきじゅうばん)と見なし、自らを高いものとする外国蔑視がある。
 また、コリアという擁護は、現在の北朝鮮、大韓民国の双方を含んで呼ぶ場合や、朝鮮半島を地理的概念として呼ぶ場合に用いている。
渡部昇一


【『封印の昭和史 [戦後五〇年]自虐の終焉』小室直樹〈こむろ・なおき〉、渡部昇一〈わたなべ・しょういち〉(徳間書店、1995年)】

 かつて石原慎太郎が「三国人」(2000年)とか「シナ」(2012年)とか言って問題にされたことがある。この発言をヘイトスピーチの嚆矢(こうし)とする人もいる。私自身、報道を真に受けて問題だと考えていた。本書を読むまでは。冒頭の付記で日本を取り巻く言論情況が一瞬にして理解できた。ちょっと考えてみれば誰でも気づくことだが「東シナ海」や「支那そば」に差別意識は全くない。「支那(しな)とは、中国またはその一部の地域に対して用いられる地理的呼称、あるいは王朝・政権の名を超えた通史的な呼称の一つである。日本では、江戸時代中期から第二次世界大戦末期まで広く用いられていた」(Wikipedia)。

 中華思想によれば朝廷に帰順しない民族は東夷(とうい)・北狄(ほくてき)・西戎(せいじゅう)・南蛮(なんばん)と呼ばれ、禽獣(きんじゅう)と同じ扱いを受ける(四夷)。つまり我々が中国と呼ぶことは日本人を東夷と貶(おとし)めていることに通じる。

都市革命から枢軸文明が生まれた/『一神教の闇 アニミズムの復権』安田喜憲

 現在左翼が糾弾するヘイトスピーチは在特会(在日特権を許さない市民の会)が始めたものだ。彼らはコリアンタウンで「良い韓国人も悪い韓国人もどちらも殺せ」「朝鮮人首吊レ毒飲メ飛ビ降リロ」などと書いたプラカードを掲げ、「殺せ、殺せ!」と街宣活動を行った。



「不逞鮮人を死ぬまで追い込め」「朝鮮人をガス室に送り込め」「朝鮮人なんて人間じゃないぞ」…今日の新大久保・嫌韓デモで飛び交った醜悪なシュプレヒコールをあえて記す。許さないためにも。

「ばーかばーか」「あっかんべー」とはデモのコーラーが用いていた表現です。この他、「ウジ虫」「ゴキブリ」「殺せ殺せ」「死ね」「不逞朝鮮 人を死ぬまで追い込むぞ」「ガス室に朝鮮人を叩き込め」「ぶさいく」「クサレマンコ」等の聞く(読む)に堪えない表現が多数用いられています。

日刊ベリタ : 記事 : 新大久保でまたもや在特会デモ  2月9日、「良い韓国人も 悪い韓国人も どちらも殺せ」のプラカード掲げ

 百田尚樹は桜井誠の選挙演説を「カッコいいね」と称えた。竹田恒泰は「(在特会の主張は)部分的には正しいことも言っている」とテレビで語った。彼らの性根が垣間見えた瞬間である。

 新しい歴史教科書をつくる会が結成される2年前に週刊文春編『徹底追及 「言葉狩り」と差別』(文藝春秋、1994年)が出た。『週刊金曜日』の創刊が1993年である。失われた20年はリベラルな雰囲気に包まれた時代であった。折しも1986年に施行された男女雇用機会均等法によって看護婦・スチュワーデス・保母さんが禁句となった。そういえば径書房〈こみちしょぼう〉編『『ちびくろサンボ』絶版を考える』(径書房、1990年)を読んだのもこの頃だ。ダッコちゃん人形が製造停止(1988年)となり、カルピスのマークも使用停止(1990年)に追い込まれた(黒人差別をなくす会)。

 平等を極限まで推し進めて古い伝統や文化を破壊するのが左翼の手口である。「言葉狩り」に異を唱えた書籍は他にもあったが、まだまだ左派系作家の影響が大きかった。現在でも『「徘徊」使いません 当事者の声踏まえ、見直しの動き』(朝日新聞デジタル、2018年3月24日)といった記事からも明らかなように一部の声を居丈高に拡大して言葉狩りを行っている。

 戦時中の「シナ人」という言葉に差別感情があったのは確かだろう。だが、「中国」という言葉が中華民国(現在の台湾)と中華人民共和国の違いすら見えなくし、第二次世界大戦後に建国された中華人民共和国があたかも戦勝国の一員であったかのような錯覚を抱かせる現状を思えば、我々はもっと歴史に忠実であるべきだ。青少年に反日教育を施す中国や韓国に遠慮するのは実に馬鹿げた行為だ。

2020-02-18

「自由・平等・博愛」はフリーメイソンのスローガン/『エンデの遺言 「根源からお金を問うこと」』河邑厚徳、グループ現代


『金持ち父さん 貧乏父さん アメリカの金持ちが教えてくれるお金の哲学』ロバート・キヨサキ、シャロン・レクター
『国債は買ってはいけない! 誰でもわかるお金の話』武田邦彦
『平成経済20年史』紺谷典子
『税金を払わない奴ら なぜトヨタは税金を払っていなかったのか?』大村大次郎

 ・貨幣経済が環境を破壊する
 ・紙幣とは何か?
 ・「自由・平等・博愛」はフリーメイソンのスローガン
 ・ミヒャエル・エンデの社会主義的傾向
 ・世界金融システムが貧しい国から富を奪う
 ・利子、配当は富裕層に集中する

・『税金を払う奴はバカ! 搾取され続けている日本人に告ぐ』大村大次郎
・『無税国家のつくり方 税金を払う奴はバカ!2』大村大次郎
『デジタル・ゴールド ビットコイン、その知られざる物語』ナサニエル・ポッパー

必読書リスト その二

 フランス革命のスローガンである『自由・平等・博愛』は革命前からある言葉で、もとはフリーメーソンのスローガンにほかなりません。

【『エンデの遺言 「根源からお金を問うこと」』河邑厚徳〈かわむら・あつのり〉、グループ現代(NHK出版、2000年/講談社+α文庫、2011年)】

 悪夢の民主党政権で鳩山由紀夫首相は「友愛」を掲げた。祖父の鳩山一郎はフリーメイソンのメンバーだった(Wikipedia)。「フリーメイソンは、中世ヨーロッパの石工職人組合を祖にして生まれた秘密結社だが、その後、政財界や知識階級などのエリート達が集う、世界的な巨大組織に発展した」(ユダヤ=フリーメイソン説)。このくらいは大勢の人が知っていることだろう。

 フリーメイソンと陰謀がセットになっているのはその影響力の大きさによる。アメリカ合衆国大統領はジョージ・ワシントンを始めとする14人が会員だった。日本に縁のある人物だと黒船のマシュー・ペリーやダグラス・マッカーサーもフリーメイソンである。音楽界だとモーツァルト、バッハ、ベートーヴェン、ブラームス、メンデルスゾーンなど。ボーイスカウトやロータリークラブ、ライオンズクラブなども派生団体である。

 プロビデンスの目や原型であるホルスの目などを調べてゆくと、キリスト教が古代宗教の寄せ集めであることまで見えてくる。


【ホルスの左目】プロビデンスの目とは?由来と解説、さらに企業ロゴや身の回りに隠されているものをまとめてご紹介【万物を見通す目】 – Gossip Repository

 かつてのフリーメイソンから宗教色を取り除いたのはフランス大東社で、石工(いしく)の職人団体から知識人の友愛団体へと変貌を遂げた。実は歴史の潮流がここから変わるのだ。ピーター・F・ドラッカーが唱えた「知識社会」の源流を見出すこともできよう(ドラッカーの父親はフリーメイソンのグランド・マスターだった:『傍観者の時代』)。

 つまりだ、友愛団体となったフリーメイソンは超国家組織となって潰されたテンプル騎士団の生まれ変わりなのだろう。彼らは科学革命を背景に理神論を唱え、啓蒙思想を牽引し、フランス革命で近代の扉を大きく開いた。ナポレオン・ボナパルトもフリーメイソンの会員だった。

 国民国家となったフランスでユダヤ人は初めて国民として認められた。プロテスタントとは異なる第三の道が示されたわけだ。

フランス市民革命におけるメイソンとユダヤ人解放令

 フランス市民革命は、アメリカ独立革命の影響が旧大陸に波及したものである。ユダヤ人にとっては、アメリカにユダヤ人も自由に活動できる「自由の国」ができた後、フランスで市民革命を通じて、ユダヤ人の解放がされることになった。
 フランスでは、早くからロックの思想が摂取され、急進化していた。また、18世紀後半のフランスでは、フリーメイソンが活動していた。絶対王政やカトリック教会を批判した啓蒙主義者、百科全書の編纂者等には、メイソンがいた。また市民革命の指導者には、多くのメイソンがいた。
 フランス啓蒙思想は、イギリス啓蒙思想を源流として発達した。その発達には、フリーメイソンの組織と活動が関係している。
 フランス啓蒙思想の成果の一つが、『百科全書』である。1751年に第1巻が刊行された『百科全書』は、イギリスのチェインバーズ百科事典のフランス語訳を、ドゥニ・ディドロが行ったことを契機とする。チェインバーズ百科事典は、編纂者も版元もフリーメイソンだった。ディドロは不明だが、盟友のジャン・ル・ロン・ダランベールはメイソンだった。百科全書派は、総じてメイソンの影響を強く受けている。

ユダヤ42~フランス市民革命におけるメイソンとユダヤ人解放令 - ほそかわ・かずひこの BLOG

 ぶったまげた。こんなことは岡崎勝世ですら書いていない。近代の本質は「知識とマネー、そしてネットワーク」にあるのだろう。

「自由・平等・博愛」はフランスからカトリック色を漂白するための仕掛けか。この流れはアメリカに受け継がれ「民主政こそ正義」という概念に飛躍する。その後、フランスではドレフュス事件(1894年)が起こるのだがこれまた再考が必要だ。



フリーメイソンの「友愛」は「同志愛」の意/『この国はいつから米中の奴隷国家になったのか』菅沼光弘
私の政治哲学 祖父・一郎に学んだ「友愛」という戦いの旗印:鳩山由紀夫
歴史という名の虚実/『龍馬の黒幕 明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン』加治将一
ネオコンのルーツはトロツキスト/『「米中激突」の地政学』茂木誠

2020-01-27

スピリットとは/『ソースにつながる呼吸法 セルフ・ヒーリング・ハンドブック』ジャック・アンジェロ


 たとえば、英語では「スピリット(spirit)」という語は、キリスト教における三位一体の神の一側面=「聖霊」を意味すると同時に、「個人の魂」という意味がある。加えて「スピリット」は「生命に命を吹き込むエネルギー」とも定義づけられる。

【『ソースにつながる呼吸法 セルフ・ヒーリング・ハンドブック』ジャック・アンジェロ:井村宏次監訳、八木さなえ訳(ビイングネットプレス、2013年)】

 エーテル体とハイヤー・セルフが出てきたところで読むのをやめた。スピリットは意識に置き換えることができよう。仏教用語だと「有情」(うじょう/反対語は非情)になる。日本語の「魂」は気力や精魂の意味合いが強い。「生命に命を吹き込む」との発想がキリスト教に毒されていて創造説を脱しきれていない。表紙で気づくべきであった。

2020-01-13

社会学を騙る悪書/『ネット右派の歴史社会学 アンダーグラウンド平成史1990-2000年代』伊藤昌亮


「ネット右翼」という語にしても、1990年代後半に成立した彼ら独自の言説の場「ネット右派理論」ではすでにしばしば用いられていたものだ。たとえば99年4月に結成されたネット上の右翼団体「鐵扇會」に関連し、この語が用いられていたことを示す記録も現存している。当時、「J右翼」「サイバー右翼」など、いくつかの類語の間を揺れ動きながらも次第にこの語が、そしてこの現象が定着していったという経緯がある。

【『ネット右派の歴史社会学 アンダーグラウンド平成史1990-2000年代』伊藤昌亮〈いとう・まさあき〉(青弓社、2019年)以下同】

 社会学を騙(かた)る悪書だ。最初のページで露見している。

 はじめに

   「ネトウヨの妄言」を軽蔑する前に

 書籍のタイトルは出版社が会議で決めるのが普通だ。とすれば冒頭の表題に伊藤昌亮の本音が出たと考えてよい。

 しかし1991年ごろからそこでは右寄りの論調の記事が徐々に目につくようになる。やがて数々の特集とともにそれらが前面に押し出されるようになり、それに伴って雑誌全体としても、あたかも保守派の新しいオピニオン誌であるかのような趣が強く打ち出されるようになった。特に90年代半ば以降は、小林(よしのり)をはじめとする保守派の新しい論者の一大拠点となるに至る。こうして90年代を通じて徐々に「右傾化」していき、2000年代になるころには新種の「タカ派」雑誌として広く認知されるに至った『SAPIO』だが、ではそうした変化はどのような経緯で引き起こされたものだったのだろうか。

 本来であればその背景を探るのが社会学の仕事なのだが、伊藤にとっては「ネトウヨ」こそが問題であり、一部の行き過ぎた差別発言をあげつらうことで、保守層から安倍首相を支持する人々までをこき下ろすところに目的があるのだろう。

 そもそも高々20~30年の出来事を「歴史社会学」とは言わない。国政を俯瞰すると自民党こそが実は社会民主主義を実践してきた歴史がある。国際基準で見れば自民党は中道左派といってよい。それが証拠に小泉政権が誕生するまで日本は「大きな政府」であり続けた。また実際自民党内には右から左までの政治家を網羅しており、政策を決定する段階の議論で国会質疑以上に政策が練られてきた。改憲勢力ではない公明党が与党入りしてからは更にブレーキの効きが強くなった。

 ネット右派の功績は敗戦以降、ひた隠しにされてきた日本の近代史に目を開かせたことであろう。そして1996年に「新しい歴史教科書をつくる会」が結成され、1998年には『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』(小林よしのり作)が刊行された。当時は「保守=右翼」と見られていた。私自身そう思っていた。圧倒的な逆風が取り巻いていた。

 2004年にはチャンネル桜が開局。保守系論壇の人材を結集した功績は見逃せない。チャンネル桜が「虎ノ門ニュース」や「報道特注(右)」に道を開いたといっても過言ではない。

 伊藤昌亮は致命的な勘違いをしている。今語るべきは左翼である。左翼の鬱屈した感情を満たすだけの学問は恐ろしく不毛である。