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2020-06-27

昆虫を入水(じゅすい)自殺させる寄生虫/『したたかな寄生 脳と体を乗っ取り巧みに操る生物たち』成田聡子


『脳はバカ、腸はかしこい』藤田紘一郎
『感染症の世界史』石弘之
『あなたの体は9割が細菌 微生物の生態系が崩れはじめた』アランナ・コリン
『心を操る寄生生物 感情から文化・社会まで』キャスリン・マコーリフ

 ・昆虫を入水(じゅすい)自殺させる寄生虫

『失われてゆく、我々の内なる細菌』マーティン・J・ブレイザー

 共生現象のうち利害関係がわかりやすいものにはそれが示す名が与えられています。双方の生物が共生することで利益を得る関係を「相利(そうり)共生」、片方のみが利益を得る関係を「片利(へんり)共生」、片方のみが害を被る関係を「片害(へんがい)共生」、片方のみが利益を得て、相手方が害を被る関係を「寄生」と呼んでいます。

【『したたかな寄生 脳と体を乗っ取り巧みに操る生物たち』成田聡子〈なりた・さとこ〉(幻冬舎新書、2017年)以下同】

 そのまま人間関係にも当てはまりそうで笑った。

 水の中で泳げないはずのコオロギやカマキリ、カマドウマが水に飛び込んでいきます。それは、まるで入水自殺であり、水に飛び込んだ虫は溺れ死ぬか、魚に食べられるか、他に道はありません。これらの入水自殺する昆虫たちも体内にいる寄生虫に操られています。
 これらの昆虫の体内にいて宿主(しゅくしゅ)をマインドコントロールしているのは「ハリガネムシ」です。(中略)
 ハリガネムシは水中でのみ交尾と産卵をおこない、宿主を転々と移動して成長するという生活史を持ちます。
 簡単に概要を説明しますと、川で交尾・産卵→水生昆虫体内→陸生昆虫体内→再び川という流れです。(中略)
 ハリガネムシは宿主の脳を操り、奇妙な行動を起こさせるのです。宿主を水辺に誘導し、入水させるのです。そして、宿主が入水すると、大きく成長し成虫になったハリガネムシがゆっくりと宿主のお尻からにゅるにゅるとはい出てきます。その姿は時に全長30センチを超えます。そして、無事に川に戻ったハリガネムシは交尾をし、また産卵するのです。






 腹がモゾモゾしてくる。以下のページも参照のこと。

ウイルスとしての宗教/『解明される宗教 進化論的アプローチ』 ダニエル・C・デネット

 これだけでも驚くべき事実だが寄生虫の仕事はもっと大きな影響を及ぼしていた。

 日本では、このハリガネムシが生態系において重要な役割を果たしていることを実証した研究が2011年に発表されました。
 研究では川の周りをビニールで覆ってカマドウマが飛び込めないようにした区画と、自然なままの区画を2ケ月間比較しています。また、カマドウマが入る量と、カマドウマ以外の虫が入る量を分けて操作をして実験しました。
 なんとその結果、川の渓流魚が得る総エネルギー量の60パーセント程度が、寄生され川に飛び込んでいたカマドウマであることがわかったのです。(中略)
 このように、小さな寄生者であるハリガネムシが、昆虫を操り、入水させることは、河川の群集構造や生態系に、大きな影響をもたらすことが実証されました。

 実は寄生行為そのものが自然の摂理にかなっていたのだ。微生物が人間の性格をも変えることが判明しているが、果たしてそれだけなのだろうか? ひょっとすると戦争や虐殺にも関係しているかもしれない。人類が成し遂げた都市革命は寄生虫を恐れた結果のような気がする。

2019-12-28

寄生生物は人間を操作し政治や宗教にまで影響を及ぼす/『心を操る寄生生物 感情から文化・社会まで』キャスリン・マコーリフ


『脳はバカ、腸はかしこい』藤田紘一郎
『感染症の世界史』石弘之
『あなたの体は9割が細菌 微生物の生態系が崩れはじめた』アランナ・コリン

 ・寄生生物は人間を操作し政治や宗教にまで影響を及ぼす

『したたかな寄生 脳と体を乗っ取り巧みに操る生物たち』成田聡子
『失われてゆく、我々の内なる細菌』マーティン・J・ブレイザー
『アルツハイマー病は治る 早期から始める認知症治療』ミヒャエル・ネールス

宗教とは何か?
必読書リスト その三

 寄生生物は直接的または間接的に、私たちがどう考え、感じ、行動するかを操っている。実際には人間と寄生生物との相互作用が、人の気持ちのありようだけでなく社会全体の特性まで方向づけている。もしかしたらそれが、病原体の脅威にさらされている地域と、予防接種と公衆衛生の改善でそのリスクを大幅になくした地域との、世界のいたるところで見られる不可解な文化的相違の理由になっているのかもしれない。地域社会に寄生生物が広く蔓延していくと、私たちが食べる食品、宗教上のしきたり、結婚の相手、社会を支配する政府に影響があらわれることを示す証拠が、さまざまな方面から数多く見つかっている。

【『心を操る寄生生物 感情から文化・社会まで』キャスリン・マコーリフ:西田美緒子〈にしだ・みおこ〉訳(インターシフト、2017年/原著は2016年刊行)】

 インターシフトは好きな出版社でメールマガジンも購読している。何とはなしにサイトを見たところ面白そうな本を数冊見つけた。本書もそのうちの一冊だ。

 私は40代で宗教が集団と感情を形成していることに気づき、50代では宗教といっても情報とアルゴリズムに還元できる事実に思い至った。だが、よもや寄生生物が宗教に関与しているとは夢にも思わなかった。文明論的には気候を重視する見方が常識となっているが(『情報社会のテロと祭祀 その悪の解析』倉前盛通、『新・悪の論理』倉前盛通)、その気候に適応しているのは動植物であり、動植物の生を支える細菌だ。

 わかりやすい例を示そう。反芻(はんすう)動物(ウシ・ヤギ・ヒツジ・キリン・シカ・ラクダなど)は四つの胃を持つが自力で草を消化しているわけではない。胃の中にいる共生生物(細菌、原生動物、菌類)が消化を行うのだ。まして「あなたの体は9割が細菌」(アランナ・コリン)というのだから我々が考える種(しゅ)とは細菌叢(さいきんそう)の容器に過ぎないのかもしれない。

 共生には4種類がある。

 双方の生物が共生することで利益を得る関係を「相利(そうり)共生」、片方のみが利益を得る関係を「片利(へんり)共生」、片方のみが害を被る関係を「片害(へんがい)共生」、片方のみが利益を得て、相手方が害を被る関係を「寄生」と呼んでいます。

【『したたかな寄生 脳と体を乗っ取る恐ろしくも美しい生き様』成田聡子〈なりた・さとこ〉(幻冬舎新書、2017年)】

 これを呼んだ瞬間、「あ!」と思った。人間関係とよく似ている(笑)。瀬名秀明〈せな・ひであき〉が『パラサイト・イブ』(1995年、角川書店)でデビューし、これを受けて社会学者の山田昌弘が引きこもりを「パラサイトシングル」と名づけた(『パラサイト・シングルの時代』)。パラサイトとは寄生生物のことである。

 日本語だと「腹の虫がおさまらない」との言い回しがある。また「虫の知らせ」という言葉もある。腹の虫はたぶん回虫・条虫を指したのだろうが脳でコントロールし得ない怒りの感情を巧く表している。虫の知らせも第六感の喩えとしては絶妙だ。

 西洋哲学は神の前に位置する「我」(が)=個人を巡る思索である。「我思う、故に我あり」(『方法序説』ルネ・デカルト/原題は『理性を正しく導き、すべての学問において真理を探究するための方法の叙説』澤瀉久敬)との命題が一つの到達点であるが、その「我」(われ)を一つの固定化された存在と思い込んだところに西洋哲学の陥穽(かんせい)がある。

 一方、後期仏教(大乗)では存在を認識機能として捉えた(唯識〈ゆいしき〉)。通常、「我」(が)と思われているのは意識であるが、この奥に末那識〈まなしき〉・阿頼耶識〈あらやしき〉を設定する。本書を読んだ私の適当な思いつきによれば末那識=細菌(環境要因)、阿頼耶識=DNA(遺伝要因)となる。

 アランナ・コリン~キャスリン・マコーリフと女性サイエンス・ライターを続けて読んだが文章内容ともに文句なしの傑作である。

 私を操る細菌を思う時、もう一つの大きな菌に気づいた。それは言葉である。思考は言葉に支配される。宗教といっても科学といっても言葉で表現される。言葉は虚構だ。ゆえに我々は虚構を生きることを余儀なくされる。しかしながら細菌は現実に存在する。もしも細菌が言葉の好き嫌いをも操作するなら、「私」という概念はもはや人間の単なる勘違いと言ってよい(ウイルスとしての宗教/『解明される宗教 進化論的アプローチ』 ダニエル・C・デネット)。