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2020-01-14

「不惑」ではなく「不或」/『身体感覚で『論語』を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登


『中国古典名言事典』諸橋轍次

 ・「不惑」ではなく「不或」

『日本人の身体』安田登
・『心の先史時代』スティーヴン・ミズン
『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ
『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ
『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル
意識と肉体を切り離して考えることで、人と社会は進化する!?【川上量生×堀江貴文】

 孔子時代にはなかった漢字が含まれる『論語』文の代表例は「四十(しじゅう)にして惑わず」です。(中略)
 漢字のみで書けば「四十而不惑」。字数にして五文字。この五文字の中で孔子時代には存在していなかった文字があります。
「惑」です。
 五文字の中で最も重要な文字です。この重要な文字が孔子時代になかった。
 これは驚きです。なぜなら「惑」が本当は違う文字だったとなると、この文はまったく違った意味になる可能性だってあるからです。

【『身体感覚で『論語』】を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登〈やすだ・のぼる〉(春秋社、2009年/新潮文庫、2018年)】

 twitterのリンクで知った書籍。安田登は能楽師である。伝統的な身体操作は古(いにしえ)の人々と同じ脳の部位を刺激することだろう。温故知新(「子曰く、故〈ふる〉きを温〈たず〉ねて新しきを知る、以て師と為るべし」『論語』)の温故である。

『論語』の中で、孔子時代にはなかった漢字から当時の文字を想像するときには、さまざまな方法を使います。一番簡単なのは、部首を取ってみるという方法です。部首を取ってみて、しかも音(おん)に大きな変化がない場合、それでいけることが多い。
「惑」の漢字の部首、すなわち「心」を取ってみる。
「惑」から「心」を取ると「或」になります。古代の音韻がわかる辞書を引くと、古代音では「惑」と「或」は同音らしい。となると問題ありません。「或」ならば孔子の活躍する前の時代の西周(せいしゅう)期の青銅器の銘文にもありますから、孔子も使っていた可能性が高い。
 孔子は「或」のつもりで話していたのが、いつの間にか「惑」に変わっていったのだろう、と想像してみるのです。(中略)
「或」とはすなわち、境界によって、ある区間を区切ることを意味します。「或」は分けること、すなわち境界を引くこと、限定することです。藤堂明保(あきやす)氏は不惑の「惑」の漢字も、その原意は「心が狭いわくに囲まれること」であるといいます(『学研漢和大字典』学習研究社)。
 四十、五十くらいになると、どうも人は「自分はこんな人間だ」と限定しがちになる。『自分ができるのはこのくらいだ」とか「自分はこんな性格だから仕方ない」とか「自分の人生はこんなもんだ」とか、狭い枠で囲って限定しがちになります。
「不惑」が「不或」、つまり「区切らず」だとすると、これは「【そんな風に自分を限定しちゃあいけない。もっと自分の可能性を広げなきゃいけない】」という意味になります。そうなると「四十は惑わない年齢だ」というのは全然違う意味になるのです。

 整理すると孔子が生まれる500年前に「心」という文字はあったがまだまだ一般的ではなかった。そして『論語』が編まれたのは孔子没後500年後のことである。

」の訓読みにはないが、門構えを付けると「(くぎ)る」と読める。そうなると「不或」は「くぎらず」「かぎらず」と読んでよさそうだ(或 - ウィクショナリー日本語版)。

「心」の字が3000年前に生まれたとすれば、ジュリアン・ジェインズが主張する「意識の誕生」と同時期である。私の昂奮が一気に高まったところで、きちんと引用しているのはさすがである。安田登はここから「心」(しん)と「命」(めい)に切り込む。

 認知革命から意識の誕生まで数万年を要している。自由と権利の獲得を自我の証と考えれば、自我の誕生はデカルトの『方法序説』(1637年)からイギリス市民革命(清教徒革命名誉革命/17世紀)~フランス革命(18世紀)の国民国家誕生までが起源となろう。ゲーテ著『若きウェルテルの悩み』が刊行されたのもこの頃(1774年)で人類における恋愛革命と言ってよい。すなわち自我は政治と恋愛において尖鋭化したのである。

2019-01-18

人生の目的/『中国古典名言事典』諸橋轍次


『中国古典 リーダーの心得帖 名著から選んだ一〇〇の至言』守屋洋

 ・狂者と狷者
 ・人生の目的
 ・「武」の意義

『身体感覚で『論語』を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登

必読書リスト その五

 朝(あした)に道を聞(き)けば、夕(ゆう)べに死すとも可なり。(『論語』「里仁」〈りじん〉)

 もしも、朝、真実の人の道を聞き、これを体得しえたならば、その夕べに死んだとしても、それで悔いはないのだ。
 人間のあり方、生き方を知ることは、それほどにも重大事なのである。

【『中国古典名言事典』諸橋轍次〈もろはし・てつじ〉(新装版、2001年/座右版、1993年講談社、1972年講談社学術文庫、1979年)】

 漢字の力が文語体を通して十全に発揮される。中国古典の名言が胸に迫ってくる理由はここにある。寺子屋の素読に四書(『大学』『中庸』『論語』『孟子』)五経(『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋』)が採用されたのもひとえに文語体の雄勁(ゆうけい)によるものと考える。

 孔子の言葉は雪山童子(せっせんどうじ)の精神そのものである(雪山堂~店名由来物語)。普通、道は目的地までの経路と考えられる。ところが東洋思想は道そのものを目的に変えた。日本では技を極めることよりも人としての格を錬成するところに価値を見出した。仏道に始まり武士道・柔道・茶道に至るまで生き方を問う世界となっており、道は自(おの)ずから法(真理)へと向かう。

「今何が欲しいか?」と尋ねられて即答する内容にその人の真価が現れる。男の場合、往々にしてクルマ・美女・不動産の類いを欲し、年を重ねると地位・名誉・資産を求める。努力する人は才能を、戦う人は力を、抑圧されている人は解放を望む。幸福とは自由の度合いであろう。やがては自らの自由よりも人々を自由に扱える政治力・権力へと欲望は向かう。

 私が「夕べに死す」ことを覚悟できないのはなぜか? そこに私の課題と行き詰まりがあるのだろう。欲望に衝き動かされる人生は決して満たされることがない。全てを手に入れた暁に訪れるのは虚(むな)しさである。やがては得た物を失う恐怖に取りつかれ、静かに迎えつつある死にたじろぐことは避けようがない。悩みは欲望から生まれるのだ。

 この世で絶対なるものは光の速度と生きとし生けるものの死である。死は真理である。ただしそれを解き明かすことは至難である。

 

2019-01-06

狂者と狷者/『中国古典名言事典』諸橋轍次


『小村寿太郎とその時代』岡崎久彦
『中国古典 リーダーの心得帖 名著から選んだ一〇〇の至言』守屋洋

 ・狂者と狷者
 ・人生の目的
 ・「武」の意義

『身体感覚で『論語』を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登

必読書リスト その五

 狂者(きょうしゃ)は進(すす)みて取る。(『論語』「子路」)

 中道を行なう人間がもっとも好ましい。しかし、中庸(ちゅうよう)の人は少ない。そこで次に選ぶとしたら、狂者である。なぜか。狂者とは、実行はまだともなわないが、志は高く、進取的な人間だからである。

 狷者(けんしゃ)は為さざる所あり。

 中庸の人が第一、狂者が第二、これについでとるべきは狷者である。狷者は引っ込み思案ではあるが、そのかわり、不善、不義はだんじてしないという操(みさお)の固い所がある。

【『中国古典名言事典』諸橋轍次〈もろはし・てつじ〉(新装版、2001年/座右版、1993年講談社、1972年講談社学術文庫、1979年)】

 何度か中国古典に取り組んできたが『論語』すら読了できない始末だ。いずれも訳文がしっくり来ない。本来であれば原典に当たるのが基本であるが、人生に残された時間を思えばそろそろ好き勝手な放浪も許されない時期だ。たとえそれが読書であったとしてもだ。「名言集」の類(たぐ)いはつまみ食いである。文脈も見落としかねない。名言集だと「読書百遍義自(おの)ずから見(あらわ)る」(「意自ずから通ず」とも)は通用しない。しかしながら私がやろうとしているのは言葉によってシナプス結合を整理することである。もっと言えば半世紀近く読んできた本や出会った人々で入り乱れた配線をつなぎ直し、太く短いケーブルにしようと目論んでいるのだ。

 本書に関しては文庫本を避けた方がよい。解説のフォントが小さくて読みにくい。7ポイントから6ポイントだと思われる。老眼気味の人は迷うことなく座右版を選ぶこと。

 岡崎久彦著『陸奥宗光とその時代』で「狂者と獧者(狷者)」という言葉を知った。山縣有朋〈やまがた・ありとも〉は狂介と名乗り、陸奥宗光は雅号を六石狂夫と称した。

 吉田松陰が「諸君、狂いたまえ」と教えた理由も腑に落ちる。時代が激動する時に中庸の人の居場所はない。中庸人が支えるのは過去の時代である。「吉田松陰が彼らに教えたのは『狂』という字でした。狂うという字は、クレイジーという意味ではなく、本来は『自分でも持て余してしまうような情熱』を指します」(山縣有朋(狂介)の「狂」の字 -どういういきさつで名前に「狂」という- 歴史学 | 教えて!goo)。

 白川静もまた「狂」の字を愛した。「狂は気がくるうことではない。好むところに溺れること、憑(つ)きものがおちないことをいう。例えば風雅に徹する人のことを風狂の徒という。それは〈世間の埒外(らちがい)に逸出しようとする志をもつもの〉であり、狂とは〈最大の讃辞(さんじ)〉だった」(「天声人語」2014年1月3日付)。

 狂の字のけもの偏はもともと犬を意味する。つまり犬がくるくると激しく動き回る様を「狂う」と名付けたのだろう。維新回天の志士たちが狂の字を好んだのも当然か。

 一方、狷の字は狷介(けんかい)で辛うじて生き残っている。「自分の意志をまげず、人と和合しないこと」で頑固・頑迷と同意である。一方的な言葉のイメージに囚(とら)われると豊かさを失う。乱れた世の中において狷者たり得る者は賢者に通じる。「赤信号みんなで渡れば怖くない」(ビートたけし)という時に「人と和合しないこと」は正しいのである。

 世の中の大勢に流されないことは簡単なようで難しい。例えば2005年の郵政解散とその後の総選挙である。私はさしたる考えもなく小泉首相を支持した。自民党内の造反議員に敬意を抱くこともなかった。資本主義は競争原理で動いているのだから巨額な貯金を有する郵便局も競争に晒されるべきである、と考えた。郵便局が社会インフラだとは思いもしなかった。時流に流された事実を言い逃れする言葉を私は持たない。人生にくっきりと残した汚点の一つである。

 映画や漫画の世界だともっとわかりやすい。ヒーローは常に狂者である。常識から「はみ出す」ところにドラマが生まれるからだ。

 誤解される人の姿は美しい。
 人は誤解を恐れる。だが本当に生きる者は当然誤解される。誤解される分量に応じて、その人は強く豊かなのだ。誤解の満艦飾となって、誇らかに華やぐべきだ。

【『芸術は爆発だ! 岡本太郎痛快語録』岡本敏子(小学館文庫、1999年)】



『銀と金』福本伸行
小善人になるな/『悪の論理 ゲオポリティク(地政学)とは何か』倉前盛通
恩讐の彼方に/『木村政彦外伝』増田俊也

2011-11-22

「名を正す」/『思想革命 儒学・道学・ゲーテ・天台・日蓮』湯浅勲


 湛然〈たんねん=妙楽大師〉が「礼楽(れいがく)前(さ)きに駆(は)せて真道(しんどう)後(のち)に啓(ひら)く」と『止観輔行伝弘決』(しかんぶぎょうでんぐけつ)に書いている。

 簡単にいえば、礼節や音楽が先に広まってから後に正しい哲学が花開くといった意味だ。礼楽を重んじるのは儒家の教えである。仏教はインドから中国に広まった。人や物の交流から文化も伝わったことだろう。武ではなく文をもって化するのは、今風の言葉でいえばソフトパワーということになろう。

孔子
(孔子)

 中国には「名を正す」という思想があった。

 管子は「名を正す」と言い、孔子は「名を正す」と言った。また、『荀子』やわが国の山県大弐の『柳子新論』には正名篇がある。
 古来、中国においては修身・治国・平天下の根本思想として、この「名を正す」という考えがあった。「名を正す」ということは、君子たるものが必ず先ずやらなければならない最重要課題であったのである。このことをよく表わしている孔子と子路の有名な会話が『論語』にある。知っている人も多いと思うが、確認の意味でその会話を引用してみたい。

 子路(しろ)曰(いわ)く、衛君(えいくん)、子(し)を待ちて政(まつりごと)を為(な)さば、子(し)将(まさ)に奚(なに)をか先にせんとすと。子(し)曰(いわ)く、必ずや名を正さんかと。子路曰く、是れ有るかな、子(し)の迂(う)なるや。奚(なん)ぞ其(そ)れ正さんと。子曰く、野(や)なるかな由(いう)や。君子は其の知らざる所に於て、蓋(けだ)し闕如(けつじょ)す。名正しからざれば、則(すなわ)ち言(げん)順(したが)はず。言順はざれば、則ち事(こと)成らず。事成らざれば、則ち礼楽(れいがく)興(おこ)らず。礼楽興らざれば、則ち刑罰中(あた)らず。刑罰中らざれば、則ち民手足(しゅそく)を措(お)く所無し。故に君子之を名づくれば、必ず言ふ可(べ)くす。之を言へば必ず行ふ可くす。君子其の言に於て、苟(いやし)くもする所無きのみと。

【現代語訳】子路がたずねた。「今もし衛の君が先生をお招きして国政をまかされることでもありましたならば、先生は何から先に手をつけられますか」と。孔子が答えた。「必ずや名を正そう」と。子路が言った、「なんとまあ先生は悠長なことをおっしゃるのでしょう。この戦乱の世の中でそんなまだるっこいことをやっておられましょうか」。孔子が言った、「何というがさつ者だ、由よ。君子というものは、自分の知らないことについては黙っておくものだ。名を正すということの真義をお前は知っているのか。そもそも、名称が正しくなければ、名称とそれがさし示す実物とが一致しないから、人の言葉が順当に理解されることも行われることもない。言葉が順当に理解されることがなければ、何事においても成就しない。物事が混乱し何事においても成就されることがなければ、人々の間に秩序と調和を致すところの礼楽は盛んになることがない。礼楽が行われなければ刑罰が中正に行われることがない。刑罰が中正を欠くと、人々は安心して手足を措くところもなくなってしまう。社会の混乱はこの名称と実物とが一致しないことに起因するのである。ゆえに、君子たるものは物事に対して名づけたからには必ず言葉をもって言うようにし、言葉をもって言うからいは、必ずそれを実行するようにしなくてはならない。君子たるものはものを言うに当たっては軽々しくしてはならない」と。
【『思想革命 儒学・道学・ゲーテ・天台・日蓮』湯浅勲(海鳥社、2003年)以下同】

 社会が混乱する様相を「風が吹けば桶屋が儲かる」式に説明している。その原因が「名と実との不一致にある」という指摘が鋭く突き刺さる。

 専門用語、業界用語、カタカナ語、流行り言葉、若者言葉、ネット用語などが社会の断絶を生んでいると考えてよさそうだ。

 TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)なんてえのあ、どう考えても陰謀の臭いがするよ。本来であれば「関税撤廃協定」で構わないはずだ。

孔子
(孔子)

 国会中継を見るがいい。何を言っているのか、さっぱりわからない(笑)。「善処します」「前向きに検討します」あたりから言葉は煙幕と化した。政治的な思惑で言葉を糊塗しているだけの世界だ。「自衛隊は軍隊に非ず」なんてのも同様だ。

(※『荀子』を引用し)すなわち、実物(実際の対象)に従って名称を制定する、これが基準であるというのである。簡単に言うならば、名実を一致させること、これが名称を制定するに際しての基準であるということであろう。

 バブルが崩壊してから、国民の利益と政治家&官僚の利益が目立って一致しなくなったように思う。失われた10年を経た後は企業の利益すら一致しなくなった。企業はひたすら安い労働力を求めた。アメリカからの指示で省庁を再編し(大蔵省解体が目的だった)、規制緩和をした成果は終身雇用が破壊されただけという有り様だった。

 教育においても名実は不一致だ。小田嶋隆がよくいう「個性重視の教育」がその典型だろう。

「個性重視の教育」に対する異議

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 しかしながら、なぜ、名を「正す」必要があるのであろうか。それは名が乱れているがゆえである。つまり、名称とそれが指し示す実物との間に差異が生じ、混乱が起きてくるがゆえに、名を正す必要が生じてくるのである。

 一つ疑問がある。「子路」〈しろ〉の文脈では「名称」と読めるが、これが「顔淵」〈がんえん〉では「名分」となっている。

顔淵第十二 299:論語に学ぶ会

 厳密にいえば孔子の教えは倫理や道徳であって宗教ではない。政治と治世が根本となっているため、官僚制度を大前提とした論理であることは否めない。ただし国家の枠組みが定かでない時代において、孔子の果たした役割は大きい。孔子なくして日本の律令制も存在し得ない。

律令官制の沿革

 孔子が目指したのは社会秩序であった。国家といっても一人ひとりの集まったものである。であるならば、人と人との関係性が重要になる。身長216cm(チェ・ホンマンとほぼ同じ)の天才が説いたのは社会哲学であった。

孔子像
(孔子)

 振り出しに戻ろう。孔子は作詞家でもあった。もちろん自ら楽器の演奏も行った。現代においては一見すると「楽」が盛んな印象もあるが、多くの人々は「聴く側」へと追いやられ、消費としての「楽」しか見当たらない。歌ですらそうだ。カラオケなしで友人同士や近隣の人たちが歌を歌うことはまずない。

 色々考えると、文明の発達にあぐらをかいて調子に乗ってきたけど、案外「貧しい生活」をさせられていることに気づく。

 礼節においては何をか言わんやである。アメリカが世界中で礼節を踏みつけている。

 今日からは世界を少しでもよくするために、正しい言葉遣いを心掛けてゆきたい。

 宮城谷昌光の作品を読むと、「名を正す」意味が何となく理解できる。

 読書日記にも書いたが、最終章で日蓮と創価学会のプロパガンダ本であることが判明する。個人的には5250円(定価)の詐欺だと思う。著者と出版社の見識を大いに疑う。



世界の楽器
製薬会社による病気喧伝(疾患喧伝)/『クレイジー・ライク・アメリカ 心の病はいかに輸出されたか』イーサン・ウォッターズ
名づけることから幻想が始まる/『タオを生きる あるがままを受け入れる81の言葉』バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル