2011-11-22

「名を正す」/『思想革命 儒学・道学・ゲーテ・天台・日蓮』湯浅勲


 湛然〈たんねん=妙楽大師〉が「礼楽(れいがく)前(さ)きに駆(は)せて真道(しんどう)後(のち)に啓(ひら)く」と『止観輔行伝弘決』(しかんぶぎょうでんぐけつ)に書いている。

 簡単にいえば、礼節や音楽が先に広まってから後に正しい哲学が花開くといった意味だ。礼楽を重んじるのは儒家の教えである。仏教はインドから中国に広まった。人や物の交流から文化も伝わったことだろう。武ではなく文をもって化するのは、今風の言葉でいえばソフトパワーということになろう。

孔子
(孔子)

 中国には「名を正す」という思想があった。

 管子は「名を正す」と言い、孔子は「名を正す」と言った。また、『荀子』やわが国の山県大弐の『柳子新論』には正名篇がある。
 古来、中国においては修身・治国・平天下の根本思想として、この「名を正す」という考えがあった。「名を正す」ということは、君子たるものが必ず先ずやらなければならない最重要課題であったのである。このことをよく表わしている孔子と子路の有名な会話が『論語』にある。知っている人も多いと思うが、確認の意味でその会話を引用してみたい。

 子路(しろ)曰(いわ)く、衛君(えいくん)、子(し)を待ちて政(まつりごと)を為(な)さば、子(し)将(まさ)に奚(なに)をか先にせんとすと。子(し)曰(いわ)く、必ずや名を正さんかと。子路曰く、是れ有るかな、子(し)の迂(う)なるや。奚(なん)ぞ其(そ)れ正さんと。子曰く、野(や)なるかな由(いう)や。君子は其の知らざる所に於て、蓋(けだ)し闕如(けつじょ)す。名正しからざれば、則(すなわ)ち言(げん)順(したが)はず。言順はざれば、則ち事(こと)成らず。事成らざれば、則ち礼楽(れいがく)興(おこ)らず。礼楽興らざれば、則ち刑罰中(あた)らず。刑罰中らざれば、則ち民手足(しゅそく)を措(お)く所無し。故に君子之を名づくれば、必ず言ふ可(べ)くす。之を言へば必ず行ふ可くす。君子其の言に於て、苟(いやし)くもする所無きのみと。

【現代語訳】子路がたずねた。「今もし衛の君が先生をお招きして国政をまかされることでもありましたならば、先生は何から先に手をつけられますか」と。孔子が答えた。「必ずや名を正そう」と。子路が言った、「なんとまあ先生は悠長なことをおっしゃるのでしょう。この戦乱の世の中でそんなまだるっこいことをやっておられましょうか」。孔子が言った、「何というがさつ者だ、由よ。君子というものは、自分の知らないことについては黙っておくものだ。名を正すということの真義をお前は知っているのか。そもそも、名称が正しくなければ、名称とそれがさし示す実物とが一致しないから、人の言葉が順当に理解されることも行われることもない。言葉が順当に理解されることがなければ、何事においても成就しない。物事が混乱し何事においても成就されることがなければ、人々の間に秩序と調和を致すところの礼楽は盛んになることがない。礼楽が行われなければ刑罰が中正に行われることがない。刑罰が中正を欠くと、人々は安心して手足を措くところもなくなってしまう。社会の混乱はこの名称と実物とが一致しないことに起因するのである。ゆえに、君子たるものは物事に対して名づけたからには必ず言葉をもって言うようにし、言葉をもって言うからいは、必ずそれを実行するようにしなくてはならない。君子たるものはものを言うに当たっては軽々しくしてはならない」と。
【『思想革命 儒学・道学・ゲーテ・天台・日蓮』湯浅勲(海鳥社、2003年)以下同】

 社会が混乱する様相を「風が吹けば桶屋が儲かる」式に説明している。その原因が「名と実との不一致にある」という指摘が鋭く突き刺さる。

 専門用語、業界用語、カタカナ語、流行り言葉、若者言葉、ネット用語などが社会の断絶を生んでいると考えてよさそうだ。

 TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)なんてえのあ、どう考えても陰謀の臭いがするよ。本来であれば「関税撤廃協定」で構わないはずだ。

孔子
(孔子)

 国会中継を見るがいい。何を言っているのか、さっぱりわからない(笑)。「善処します」「前向きに検討します」あたりから言葉は煙幕と化した。政治的な思惑で言葉を糊塗しているだけの世界だ。「自衛隊は軍隊に非ず」なんてのも同様だ。

(※『荀子』を引用し)すなわち、実物(実際の対象)に従って名称を制定する、これが基準であるというのである。簡単に言うならば、名実を一致させること、これが名称を制定するに際しての基準であるということであろう。

 バブルが崩壊してから、国民の利益と政治家&官僚の利益が目立って一致しなくなったように思う。失われた10年を経た後は企業の利益すら一致しなくなった。企業はひたすら安い労働力を求めた。アメリカからの指示で省庁を再編し(大蔵省解体が目的だった)、規制緩和をした成果は終身雇用が破壊されただけという有り様だった。

 教育においても名実は不一致だ。小田嶋隆がよくいう「個性重視の教育」がその典型だろう。

「個性重視の教育」に対する異議

孔子诞生二千五百四十周年小型张#EYT84190180

 しかしながら、なぜ、名を「正す」必要があるのであろうか。それは名が乱れているがゆえである。つまり、名称とそれが指し示す実物との間に差異が生じ、混乱が起きてくるがゆえに、名を正す必要が生じてくるのである。

 一つ疑問がある。「子路」〈しろ〉の文脈では「名称」と読めるが、これが「顔淵」〈がんえん〉では「名分」となっている。

顔淵第十二 299:論語に学ぶ会

 厳密にいえば孔子の教えは倫理や道徳であって宗教ではない。政治と治世が根本となっているため、官僚制度を大前提とした論理であることは否めない。ただし国家の枠組みが定かでない時代において、孔子の果たした役割は大きい。孔子なくして日本の律令制も存在し得ない。

律令官制の沿革

 孔子が目指したのは社会秩序であった。国家といっても一人ひとりの集まったものである。であるならば、人と人との関係性が重要になる。身長216cm(チェ・ホンマンとほぼ同じ)の天才が説いたのは社会哲学であった。

孔子像
(孔子)

 振り出しに戻ろう。孔子は作詞家でもあった。もちろん自ら楽器の演奏も行った。現代においては一見すると「楽」が盛んな印象もあるが、多くの人々は「聴く側」へと追いやられ、消費としての「楽」しか見当たらない。歌ですらそうだ。カラオケなしで友人同士や近隣の人たちが歌を歌うことはまずない。

 色々考えると、文明の発達にあぐらをかいて調子に乗ってきたけど、案外「貧しい生活」をさせられていることに気づく。

 礼節においては何をか言わんやである。アメリカが世界中で礼節を踏みつけている。

 今日からは世界を少しでもよくするために、正しい言葉遣いを心掛けてゆきたい。

 宮城谷昌光の作品を読むと、「名を正す」意味が何となく理解できる。

 読書日記にも書いたが、最終章で日蓮と創価学会のプロパガンダ本であることが判明する。個人的には5250円(定価)の詐欺だと思う。著者と出版社の見識を大いに疑う。

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