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2021-01-06

奴隷制とリンカーン大統領/『奴隷船の世界史』布留川正博


 ・イギリスにおけるカトリック差別
 ・奴隷制とリンカーン大統領

『奴隷とは』ジュリアス・レスター
『砂糖の世界史』川北稔
『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス
『生活の世界歴史 9 北米大陸に生きる』猿谷要
『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン
『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン

 ただし、奴隷解放は当初南北戦争の争点では必ずしもなかった。重要だったのは合衆国の連邦体制を維持することである。リンカン大統領は戦争中の1862年8月、「私の最大の目的は、連邦を救うことである。奴隷制を保持するか廃止するかは喫緊の課題ではない」と述べている。ただし彼は、奴隷制は道徳的に誤りであるという信念は大統領就任以前から抱いていた。
 1863年、リンカンが奴隷解放を宣言したのは、南部連合を孤立させるための戦略の一環であった。北軍の連邦諸州の目的に、連邦の維持だけでなく、奴隷解放も付け加わったのである。これによって南部連合は動揺し、国際的にも孤立してゆく。戦争は南北あわせて60万人以上の戦死者をだす未曽有の事態となったが、ゲティスバーグの戦い(1863年7月)での北軍勝利が転回点となり、経済力にまさる北部連邦諸州が勝利した。北軍には解放奴隷を含む多数の黒人兵も従軍した。戦争終結後の1865年4月15日、リンカンは暗殺されるが、同年12月、憲法修正第13条によって合衆国における奴隷制度廃止が実現されたのである。

【『奴隷船の世界史』布留川正博〈ふるかわ・まさひろ〉(岩波新書、2019年)】

「リンカーン大統領が奴隷解放を唱えたのは黒人を兵士に起用するための方便だった」と物の本で読んだ覚えがある。布留川正博の視点は中庸に貫かれていて妙な偏りがない。学問とはかくあるべきだろう。

 3分の1ほど読んで「奴隷ではなく奴隷船の歴史」であることに気づいた。本を閉じそうになったが最後まで読ませられたのは著者の筆力が優れている証拠だろう。

 ジム・クロウ法(1876~1964年)という人種差別法があったことを踏まえると、リンカーンが掲げたのは単なる理想だったのだろう。つまり餅の画(え)を描(か)いてみせたのだ。

 リンカーンが奴隷制反対を聴衆の前で公言したのは1854年だが、

 1858年には、「これまで私は黒人が投票権をもったり、陪審員になったりすることに賛成したことは一度もない。彼らが代議士になったり白人と結婚できるようにすることも反対だ。皆さんと同じように白人の優位性を疑ったことはない」と語っている。

Wikipedia

 公民権運動のきっかけとなったモンゴメリー・バス・ボイコット事件が起こったのが1955年だ。黒人専用座席に坐っていたローザ・パークスが運転手から立つよう促された。パークス女史は静かに「ノー」と言った。そして彼女は逮捕された。ここからマーティン・ルーサー・キング・ジュニアが立ち上がるのである。

公民権運動の母ローザ・パークスが乗ったバス

 アメリカ建国の200年は人種差別の時代と言ってよい。根深い差別感情は現在もまだ途絶えることなく連綿と続く。しかしながら間もなくアメリカは有色人種の国となる。白人人口が減少した時、現在の大統領選挙以上の混乱が待ち受けているような気がしてならない。

2020-12-17

イギリスにおけるカトリック差別/『奴隷船の世界史』布留川正博


 ・イギリスにおけるカトリック差別
 ・奴隷制とリンカーン大統領

『奴隷とは』ジュリアス・レスター
『砂糖の世界史』川北稔
『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス
『生活の世界歴史 9 北米大陸に生きる』猿谷要
『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン
『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン

 イギリスの政治的状況は、ちょうどこの時期に劇的に変化した。イギリスの「アンシャン・レジーム」ともいうべき制度であった審査法(1673年制定)が1828年に廃止され、翌年にはカトリック解放法が制定された。これによって国教徒以外でも公職に就くことや議員になることが可能になり、また、アイルランドのカトリック教徒にプロテスタントと同等の市民権が与えられることになった。

【『奴隷船の世界史』布留川正博〈ふるかわ・まさひろ〉(岩波新書、2019年)】

「この時期」とはジャマイカにおける奴隷叛乱が起こった時期を指す。Wikipediaには「バプテスト戦争」との表記あり。サム・シャープ(ジャマイカ国家的英雄サム・シャープ | African Symbol Jamaica アフリカンシンボルのジャマイカブログ)は平和的なストライキを行うつもりであったが、一部の奴隷が暴れ始めて遂には大暴動へと発展した。

 この手の文章は正確かつ丹念に読む必要がある。「公職」と「市民権」とある。参政権については、「その当時選挙の参政権は財産によって決定づけられたので、この救済は、年間2ポンドの賃貸価値のある土地を所有するカトリック教徒に票を与えることとなった」(Wikipedia)。

 宗教コミュニティは「禁忌(タブー)を共有する人々」である。市民革命は階級間の差別を解消すべく人権という概念を生み、やがては宗派間の差異をも超越するに至った。日本に人権概念が生まれなかったのは惻隠の情があったのもさることながら、ヨーロッパほどの過酷な差別がなかったためとも考えられよう。

 一神教の絶対性は壮絶な争いを志向する。宗教的正義はドグマに基づいて敵を殺戮する。我々は八百万(やおよろず)の神でよい。争うことなく、クリスマスもハロウィンも祝い、正月は神社を参拝し、節分には豆を撒(ま)き、お彼岸には墓参りをするのが正しい。

2014-02-05

黒人奴隷の生と死/『生活の世界歴史 9 北米大陸に生きる』猿谷要


『奴隷船の世界史』布留川正博
『奴隷とは』ジュリアス・レスター
『砂糖の世界史』川北稔
『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス

 ・黒人奴隷の生と死

『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン
『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン

キリスト教を知るための書籍

黒い怒り』(※W・H・グリアー、P・M・コッブズ:太田憲男訳、未來社、1973年)をもう一度引用してみよう。
「アメリカは、黒人は劣等であり、雑草刈りと水汲みのために生まれているとの仮説を身につけた生活様式、アメリカは民族精神、あるいは国民生活様式を築き上げたのである。この国土への新移民(もし白人ならば)はただちに歓迎され、豊富に与えられるもののなかには、彼らが優越感をもって対処することのできる黒人がある、というわけである。彼らは黒人を嫌い、けなし、また虐待し、搾取するように求められたのである。ヨーロッパ人にとって、この国が何と気前よく見えたであろうかは容易に想像し得るのである。即ち、罪を身代りに負う者がすでに備えつけられている国であったのである」
 この点まで理解できれば、われわれはもう一歩先へ進まなければならない。奴隷制度がそのように白人にも黒人にも、その後長い傷を与え続けている以上、奴隷制度そのものを、もっと実態に即して理解しなければならないだろう。それも、奴隷制度の存続をめぐる政治的対立とか、奴隷制度の経済的効用とかいったものではもちろんない。一個の人間が奴隷制度のなかで生まれ、奴隷として働かされ、まだ奴隷制度が全盛だった頃に死んでいったことの意味を、もっと理解しなければいけなのである。

【『生活の世界歴史 9 北米大陸に生きる』猿谷要〈さるや・かなめ〉(河出書房新社、1975年『生活の世界歴史 9 新大陸に生きる』/河出文庫、1992年)以下同】

 岸田秀が紹介していた一冊。『ものぐさ精神分析』か『続 ものぐさ精神分析』か『歴史を精神分析する』のどれかだったと思う。岸田の唯幻論は不思議なもので若くて純粋な時に読むと反発をしたくなるが、複雑な中年期だとストンと腑に落ちる。

 近代史の鍵を握るのは金融とアメリカ建国である。これが私の持論だ。

何が魔女狩りを終わらせたのか?

 特に第二次世界大戦以降の世界を理解するためにはアメリカの成り立ちを知る必要がある。稀釈されてはいるがキリスト教→プロテスタンティズム→プラグマティズムが先進国ルールといってよい。そしてアメリカはサブプライムショック(2007年)とリーマンショック(2008年)で深刻なダメージを受け、9.11テロ以降、以前にも増して暴力的な本性を世界中で露呈している。

 アメリカはインディアンから奪い、そして殺し、黒人の労働力で成り立った国だ。彼らが正義を声高に叫ぶのは歴史の後ろめたさを払拭するためである。彼らの論理によればアメリカの残虐非道はすべて正義の名のもとに正当化し得る。もちろん広島・長崎への原爆投下についても。それが証拠にアメリカは日本の被爆者に対して一度たりとも謝罪をしていない。

 奴隷制度は何も合衆国だけの占有物ではない、という反論もあるだろう。たしかに中南米のたいていの国にそれはあったし、ヨーロッパ諸国の多くも無関係ではなかった。しかし国内の奴隷所有勢力が奴隷を開放しようとする勢力と国論を二分して対立し、足かけ5年、両方あわせて60万人の人命を犠牲にするような大戦争に突入した国は、世界のなかでただアメリカ合衆国あるのみである。

南北戦争
南北戦争の原因
アメリカ合衆国の奴隷制度の歴史

 リンカーン自身が奴隷解放者であったわけではない。リンカーンはイギリスの南部支援を防ぐ目的で奴隷制度廃止を訴えたのだ。単なる政治カードであったことは、その後も黒人差別が続いた事実から明らかであろう。有名無実だ。また具体的には黒人を北部の兵隊とする目論見もあった。

 インディアンを虐殺し、黒人をリンチして木に吊るし、そして自国民同士が殺戮(さつりく)を行うことでアメリカはアメリカとなった。アメリカの暴虐はナチスの比ではない。

アメリカ合衆国の戦争犯罪

 次はどの国の人々が殺されるのだろうか? それが有色人種であることだけは確かだろう。


2011-11-17

ナット・ターナーと鹿野武一の共通点/『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン


『奴隷船の世界史』布留川正博
『奴隷とは』ジュリアス・レスター
『砂糖の世界史』川北稔
『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス
『ダッチマン/奴隷』リロイ・ジョーンズ

 ・ナット・ターナーと鹿野武一の共通点

『生活の世界歴史 9 北米大陸に生きる』猿谷要
『アメリカ・インディアン悲史』藤永茂
『メンデ 奴隷にされた少女』メンデ・ナーゼル、ダミアン・ルイス
『エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ』ジョン・パーキンス
『アメリカの国家犯罪全書』ウィリアム・ブルム
『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン

 近代ヨーロッパの繁栄を支えたのは奴隷の存在であった。つまり産業革命も国民国家もアフリカ人を踏みつけることで成立したわけだ。

大英帝国の発展を支えたのは奴隷だった/『砂糖の世界史』川北稔

 植民地アメリカでは1619年に最初のアフリカ人奴隷の記録がある(Wikipedia)。その後、アメリカ先住民を大量虐殺したヨーロッパ人は労働力として1000万人を超える黒人を輸入した。

Slave trader ledger p.12
(奴隷商人の元帳、1848年)

 奴隷は「物」であった。本書でも法的には「動産」として扱われている。ナット・ターナー(1800-1831年)は実在した人物だ。彼が首謀者となって55人の白人を殺害し、20名あまりが身体に障害を被(こうむ)った。

 本書の冒頭に掲げる《公示》と題した一文は、このボードに関して当時記録された唯一の重要文書に付せられた序文である。この文書は約20ページからなる小冊子で、『ナット・ターナの告白』と大され、翌年初頭リッチモンドで出版されたものであるが、私はその小冊子のいくつかの部分を本書に織りこんだ。物語を書き進めるにあたり、私はナット・ターナーと彼を首謀者とする反乱に関して、【既知の】事実はできるだけ忠実にたどったつもりである。

【『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン:大橋吉之輔〈おおはし・きちのすけ〉訳(河出書房新社、1970年)以下同】

 事実を元にしたフィクションである。当然ではあるが実際のナット・ターナーとは違っていることだろう。しかしながら、ウィリアム・スタイロンの想像力が吹き込まれて、ナット・ターナーが歴史の彼方から蘇ってくるのだ。その意味では著者の己心に実在したナット・ターナーといえるだろう。

Slave

 闇は眼に快かった。長年のあいだ、この時刻には祈りをあげるか、聖書を読むのが私の習慣だった。しかし、囚人となってからのこの5日間、私は聖書を持つことを禁じられ、祈りについては――そう、唇から祈りの言葉をむりやりにでも押し出すことが全くできなくなっていることは、私にとってもはや驚きでもなんでもなくなっていた。だが、この日々の勤行をやりたいという強い欲求はまだあった。それは私が大人になってからずっと長いあいだ、肉体の機能のように単純で自然な習慣になっていたのだ。だがいまは、私の理解を越えた幾何学とか他の不可思議な学問の問題のように、やりとげることがまるで不可能なように思えるのだった。今となっては、いつ自分に祈る力がなくなったかを思い出すこともできない――1ヵ月、2ヵ月、あるいはそれ以上前だったかもしれない。何故その力が私から消え失せたか、その理由でも分かっていれば、せめてもの慰めになっていただろう。ところが、それすらわからず、私と神とへだてる深淵にはいかなる形のかけ橋も見当たらなかったのだ(後略)

 本書のテーマは宗教と暴力である。『一九八四年』は全体主義と暴力を描いた。『黒い警官』は権力と暴力を描いた。この3冊は暴力三部作と名づけていいだろう。私が読んできた小説で最高の部類に君臨する。

 ナット・ターナーは奴隷でありながら読み書きができた。また霊感も強かったようだ。弁護士のグレイはナットのことを「神父さん」と呼んでいる。

 人を疑うことを知らなかったアフリカ人が、まんまとヨーロッパ人に騙されてアメリカへ輸入された。船倉に押し込められ、劣悪な環境の中で死んでいった人々も多かった。鎖に縛られて運ばれたアフリカ人は、アメリカに降ろされると今度は鞭を振るわれた。

whippingPostDover,Del

 鞭を持つのは神の代理人である白人であった。彼らは「神の支配」という妄想に取りつかれているため、その反動として現実世界で支配せずにはいられないのだ。他国をヨーロッパの植民地とするのは当然の権利であり、グローバルスタンダードという名を借りた自分たちのルールを押しつけるのも朝飯前だ。

「南部だけじゃなく北部でも、アメリカじゅうで、みんなが不思議に思った、どうして黒んぼどもがあんなに団結できたんだろう? どうしてあいつらがあんな【計画】を考えだし、それを整然と言ってもいいくらいにおし進めて、実行に移すことができたんだろう、とね。だが、だれにもわからなかった、真相はどうしてもつかめなかった。なにがなにやらさっぱりで、五里霧中の有様だったわけだ」

 白人が黒人を猿同様に考えていたことがよくわかる。

 すべての黒人が12歳か10歳かあるいはそれよりも早くから、自分は白人から見れば人格も道徳観も魂も欠けたただの商品、品物にすぎぬことを自覚するときにもつようになるあの内的な感じ――それは言葉で表わすことはほとんど不可能な実在感だ――を表現したのもハークだった。その感じをハークは【黒ぼけ】と名づけたが、それは私の知っているどの言葉よりも、すべての黒人の心情にひそむ麻痺状態と恐怖とを簡明に表現している。

 黒人が奴隷となる様相を見事に描いている。自由を奪われた人間は無気力になる。奴隷という身分自体が強制収容所と同じ機能を果たすのだ。

「お前の評判は、いわば、お前に先行してるんだ。ここ数年間、ひとりの非凡な奴隷についての驚くべき噂がわしの耳にとどいていた。その奴隷は、このクロス・キーズの近在で何人かの主人に、転々と所有されたが、もって生まれた卑賤な境遇をよく克服して――語るも不思議(ミーラーピレ・デイクトゥ)や――すらすらと読み書きができるようになり、その証拠をみせろとあれば、自然科学のむつかしい抽象的な著作も読解してみせるし、また、口から出まかせの口述筆記もみごとな書体で何ページでもやってのけるし、さらに、簡単な代数が分かるくらいに算数もマスターしているし、他方、聖書のほうの理解もずいぶん深いもので、数少ない神学の大家のうち彼の聖書の知識を試験したものたちは、彼の博学のすばらしさに驚いて首をふり退散したそうだ」彼は言葉を切り、げっぷをした。

「要するに、この呪われた国のもっとも惨めな底辺の一人でありながら、自分の悲惨な境遇をよく克服して物ではなく【人間】になった一人の奴隷の存在を想像するということは――そんなことは、どんな奔放な想像の域をも越えた話だ。否(ノー)、否(ノー)! そんな異形(いぎょう)のイメージを受け入れることを拒否する! 説教師さん、【ネコ】という字はどう書くのかいってみてくれ、え? さあ、この悪ふざけの流言の本当のところをわしに証(あか)してみせてくれ!」

 読み書きは自問自答へといざなった。信仰は神との対話であった。ナット・ターナーの内側では他の奴隷たちと隔絶した自我が芽生えたのだろう。そもそも学ぶこと自体が自由を意味する。そして自由を享受するほど不自由に敏感となってゆく。

 ナットの主人であるサミュエル・ターナーは奴隷制に反対していた。しかし不幸なことにナットの知性は本質を見抜いていた。

 しかしいぜんとして不幸な事実は残る。暖かい友情や一種の【愛情】が(※主人であるサミュエル・ターナーとナットの)二人のあいだに通いあってはいたが、私が養豚とか新式肥料の散布のばあいとまったく同じような実験対象にされていたことに変わりはないのだ。

 ある日のこと、仲間が売られてしまったことにナットは気づく。サミュエル・ターナーは弁明した。

「たしかに、真の人間といえるものはまだどこにもいはしない。【たしかに】そうなんだ! なぜなら、これまでの人間は分別のない愚かものばかりで、それだけがおのれの同属、同胞と卑劣きわまる関係を保って生きているのだ。それ以外にどうしてあんなにぶざまで恥かしい憎むべき残酷さを説明できようか! ふくろねずみやスカンクでさえもっと分別がある! いたちや野ねずみでさえ自分の同類い対しては天性の愛情というものをもっている。人間と同じように低劣ことがやれるのはただ虫けらだけだ――夏になるとポプラの木に群がって、甘い蜜を分泌する小さなあぶらむしどもと貪婪(どんらん)に結ばれようとする蟻のように。そうだ、たぶん真の人間らしい人間はまだどこにもいはしないのだ。ああ、神はどんなにか痛恨の涙を流していらっしゃることか、人間の他の人間に対する所業をごらんになって!」急に言葉がとぎれた。見ると彼は発作を起こしたように首をふり、とつぜんこう叫んだ、「それもすべて金の名において行なわれているのだ! 【金】の!」

 サミュエル・ターナーは罪悪感を隠せなかった。そしてナットをも手放すことになる。新しい主人はエップス牧師だった。

「話によるとだな、黒んぼの男は一般にふつうよりも1インチ長い一物(いちもつ)をもっとるそうだが、そうなのかい、ぼうや?」
 私は、ふるえる指を太腿に感じながら、じっと押し黙っていた。

 エップス牧師は男色家だった。ナットが拒むや否や苛酷な労働を命じ、あろうことか近隣の人々に無料でナットを貸し出した。この二つの出来事がナットの心に暗い影を落としたことは容易に想像がつく。

 飢えと同様、私は鞭も経験したことがなかった。鞭がふりおろされて首筋に火縄のようにまきついたとき、痛みが光のように炸裂して頭蓋の空洞のなかでぱっと花ひらいた。私は思わずあえいだ。痛みは喉の内側につきぬけて尾をひき、私を窒息させてしまいそうな気がしたので、さらにまたあえいだ。そのときになってはじめて、つまり数秒後のことだが、やっと鞭の音が私の心に知覚され――それは空を切る鎌のような妙にもの静かなひゅうという音だった。またそのときはじめて、私は片手をあげて生皮鞭が肉にくいこんだ箇所をさわってみたが、熱くねばねばした血の流れを指先に感じた。

1863
(鞭打ちによる傷痕、1863年)

 白人に対する鋭くはげしい憎悪は、もちろん、黒人たちが心のなかに容易に抱きうる感情である。しかし実をいえば、すべての黒人の心のなかにそのような憎悪が充満しているわけではない。それが至るところで華々しくはびこるには、あまりにも多くの神秘的な生活や機会の様式(パターン)が必要なのである。そのような真実の憎悪――それは非常に純粋かつ頑固な憎しみで、どんな人間味のあるあたたかい気持も、どんな共感や同情も、その石のような表面には微細な刻み目やひっかき傷すらつけられないほどのものだ――は、すべての黒人に共通しているものではない。それは、残忍な葉をつけた花崗岩の花のように、育つときには育っていくが、それももとはといえば不確かな地面にまかれた弱い種子から出てくるのである。その憎悪が完全に結実するには、悪意にみちた充分な育ち方をするには、多くの条件が必要だが、そのうちでも、黒人がそれまでのある時点において白人とあるていど親しく暮らした経験があるという事実はもっとも重要な条件である。黒人が自分の憎悪の対象をよく知るということ、白人の策略、欺瞞、貪欲さ、腐敗の極致、を知るようになるということは、もっとも必要なのだ。
 なぜなら、白人を親しく知らなければ、その気まぐれで不遜な温情に屈服したことがなければ、その寝具や汚れた下着や便所の内部の臭いをかいだことがなければ、自分の黒い腕が白人女の指にさりげなく横柄にさわられたことがなければ、また、白人がふざけたり、くつろいだり、心にもない信心をしたり、下劣な酔っ払いかたをしたり、干し草畑で欲情まるだしに不倫の交接をしたりするところを目撃したことがなければ――そういう打ちとけた内輪の事実を知悉していなければ、黒人の憎悪はあくまでたんなる【見せかけ】にすぎないのだ。そんな憎しみは抽象的な幻想にすぎない。

 奴隷が立ち上がるには白人の権威を失墜させる必要があった。権威とは神格化の異名でもある。天上人(てんじょうびと)と思い込んでしまえば、手が届かないから殴る気も起こらない。

 ナットは実際には一人の白人娘を殺しただけであった。そのことについて書かれたページがあるのを今思い出した。

ウイリアム・スタイロン 『ナット・ターナーの告白』をめぐる諸問題

 ナットは弁護士のグレイにこう告げた。

 しかし、これだけはいっておきたい、それをいわなければ黒人の生存の中心にある狂気を理解していただけないからだ――すなわち、黒人というものは、叩きのめし、飢えさせ、自分自身のたれた糞の中にまみれさせておけば、これは生涯あなたのいいなりになるだろう。突拍子もない博愛主義のようなものを仄めかして畏れさせ、希望を持たせるようなことをいってくすぐると、彼はあなたののどをかっ切りたいと思うようになるだろう。

Nat Turner -Nat_Turner_captured
(ナット・ターナー)

 この複雑性を理解するのは難しい。ただしヒントがある。

 夕食時限に近い頃、もしやと思っていた鹿野が来た。めずらしくあたたかな声で一緒に食事をしてくれというのである。私たちは、がらんとした食堂の隅で、ほとんど無言のまま夕食を終えた。その二日後、私ははじめて鹿野自身の口から、絶食の理由を聞くことができた。
 メーデー前日の4月30日、鹿野は、他の日本人受刑者とともに、「文化と休息の公園」の清掃と補修作業にかり出された。たまたま通りあわせたハバロフスク市長の令嬢がこれを見てひどく心を打たれ、すぐさま自宅から食物を取り寄せて、一人一人に自分で手渡したというのである。鹿野もその一人であった。そのとき鹿野にとって、このような環境で、人間のすこやかなあたたかさに出会うくらいおそろしいことはなかったにちがいない。鹿野にとっては、ほとんど致命的な衝撃であったといえる。そのときから鹿野は、ほとんど生きる意志を喪失した。
 これが、鹿野の絶食の理由である。人間のやさしさが、これほど容易に人を死へ追いつめることもできるという事実は、私にとっても衝撃であった。そしてその頃から鹿野は、さらに階段を一つおりた人間のように、いっそう無口になった。

【『石原吉郎詩文集』石原吉郎〈いしはら・よしろう〉(講談社文芸文庫、2005年)】

 恵まれた位置から施される優しさは、時に暴力と等しい力を発揮する。人間らしさに触れることで苦しみの純度が高まるのだろう。単なる惨めさではない。相手と自分との間に存在する世界の深淵を垣間見てしまうためだ。微温的な態度が人を傷つけることは日常でも決して珍しいことではない。

 またナットが叛乱を成功に導くことができなかったのは、ただ単に暴力への耐性がなかったためだろう。

William Styron
(ウィリアム・スタイロン)

 出版直後から異論・反論も多かったようだが、ウィリアム・スタイロンは見事にナット・ターナーを蘇らせた。

 ナットの人間的な資質もさることながら、私はキリスト教に巣食う暴力的な側面を見逃すことができないと考える。バイブルには暴力と死がゴロゴロ転がっている。で、一番人殺しに手を染めているのは神様自身なのだ。神は人間に命令する。それが妄想であったとしても、敬虔なクリスチャンであれば実行するに違いない。

「異民族は皆殺しにせよ」と神は命じた

 絞首刑に処されたナットの遺体は皮をはがれ、首を切られ、八つ裂きにされた。そして復讐の念に燃えた白人の暴徒は手当たり次第に黒人をリンチした。


ナット・ターナーが反乱を起こした日
キリスト教の浸透で広がった黒人霊歌の発展
ついに自由を我らに 米国の公民権運動(PDF)
クー・クラックス・クラン(KKK)と反ユダヤ主義
大阪産業大学付属高校同級生殺害事件
集団行動と個人行動/『瞑想と自然』J・クリシュナムルティ
日本における集団は共同体と化す/『日本人と「日本病」について』岸田秀、山本七平
愛着障害と愛情への反発/『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳
子供を虐待するエホバの証人/『ドアの向こうのカルト 九歳から三五歳まで過ごしたエホバの証人の記録』佐藤典雅
「もしもあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない」/『石原吉郎詩文集』石原吉郎

2010-12-14

人間が人間に所有される意味/『奴隷とは』ジュリアス・レスター


『奴隷船の世界史』布留川正博

 ・「わしら奴隷は、天国じゃ自由になれるんでやすか?」
 ・奴隷は「人間」であった
 ・人間が人間に所有される意味

『砂糖の世界史』川北稔
『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス
『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン
『生活の世界歴史 9 北米大陸に生きる』猿谷要
『アメリカ・インディアン悲史』藤永茂
『メンデ 奴隷にされた少女』メンデ・ナーゼル、ダミアン・ルイス
『エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ』ジョン・パーキンス
『アメリカの国家犯罪全書』ウィリアム・ブルム
『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン

世界史の教科書

 黒い人間が白い人間に所有された。人間が人間に所有されるとはどのような状態なのであろうか? 所有する側と所有される側の間にはいかなる関係性が成立しているのだろうか? 奴隷をこき使った人々と奴隷にされた人々が過去に実在した。あなたや私はどちらの側にいるのだろうか?

 奴隷とは力によって支配された人間の異名である。欲望を実現させるために力が発動する時、そこには必ず暴力性が立ち上がってくる。

 アフリカの黒人は餌に釣られた魚も同然だった──

 アフリカでは、こぎれいなものといってはほとんどなかったし、それに赤い色の布は全然なかったんだよ、とジューディスおばあさんは言いました。じっさい、布なんて全くなかったんです。ある日のこと、青白い顔をした見知らぬ人たちが、何人かやってきて、赤いフランネルのちいさな切れっぱしを、地面に落っことしたんです。黒人たちはだれもかれもが、その切れっぱしを取りあいました。つぎには、もっと大きな切れっぱしが、もう少しさきの方で落とされました。で、こんなふうにして、とうとう川のところにまでやってきたんです。するとこんどは、大きな切れっぱしが、川の中と川の向こう岸に落とされました。落とされるたびにその布切れを拾おうとしながら、みんなは、だんだんと先の方へ誘われていったんです。とうとう船のところまでたどり着いたとき、大きな切れっぱしが、舷側から突き出した板のうえと、もっと先の船のなかに、落とされました。こんなぐあいにしてついに、おおぜいの黒人たちが、積めるだけその船に積みこまれました。すると、船の門が鎖をかけて閉められ、もう誰ももどれなくなってしまいました。こんなふうにして、アメリカへ連れてこられたんだよ、とジューディスおばあさんは言ってます。(リチャード・ジョーンズ ボトキン、57ページ)

【『奴隷とは』ジュリアス・レスター:木島始〈きじま・はじめ〉、黄寅秀〈ファン・インスウ〉訳(岩波新書、1970年)以下同】

 赤い布切れは「小さな嘘」だった。奴隷は「騙された人々」でもあったのだ。黒人たちは立つこともままならぬ船倉に閉じ込められてアメリカへ輸送された。

 アフリカは紀元前から侵略され続けてきた。多分平和な人々であったのだろう。さらわれたアフリカ人は労働力として酷使された。鞭で打たれながら──

 鞭のひびきと、黒人の男女の泣き叫ぶ声につれて、奴隷所有者とアメリカは、裕福になっていった。

 いつの時代も繁栄を支えていたのは奴隷のような人々だった。富を生むのは労働力である。繁栄とは余剰の異名であり、搾取の分け前に与(あずか)ることを意味する。

 人間が奴隷にされうる二つの方法がある。
 ひとつは、力によってだ。人間は、垣根の背後に閉じこめられ、絶えまなく見張られ、ほんのちょっとした規則でも破ったら、手ひどく罰され、絶えまない恐怖のうちに暮らすようにされうる。
 もうひとつは、主人がしてもらいたいと望んでいるとおりのことをすれば、じぶんの利益には一番かなうのだと、そう考えるように人間を教えこむことだ。その人間は、じぶんが劣っているのだと、そして、奴隷制度を通してのみ、じぶんがやっとまあ主人の《水準》にまで達しうるのだと、そう教えこまれる(ママ)ことができるのだ。
 南部の奴隷所有者は、この両方を使った。

 我々も奴隷だ。「やってられねーよな」と言って会社を休むことは許されない。現代のシステム化された国家機能において、奴隷は教育制度を通して選別される。そして最優秀の奴隷は官僚となる。あるいは一流企業への入社を許される。

 憲法や法律が変わろうとも内実は変わらない。社会とは人間が人間を手段にする修羅場なのだ。比較と競争に明け暮れながら、我々はヒエラルキー内部の階段を上がってゆくしか選択肢がない。なぜなら国家が有する軍事力や警察力(どっちも暴力ね)に依存せずして生きてゆくことができないためだ。

「柔らかな奴隷制度」とでも名づけておこう。

 じぶんじしんの名前がなくては、奴隷がじぶんを主人から切りはなして見る能力は、弱められるのだった。奴隷は、けっして、きみは誰だね、と尋ねられることはなかった。奴隷は、「だれの黒んぼだね、おまえは?」と尋ねられるのであった。奴隷は、切りはなされた本来の自分というものを、まるで持っていなかった。かれは、いつも、何某氏の黒んぼなのであった。

「名前がない」という意味については、岡真理(『記憶/物語』)やガヤトリ・C・スピヴァク(『サバルタンは語ることができるか』)が鋭く考察している。

 自分は何者なのか? 生きてゆく中で難問が現れたり、苦難に襲われた時に「俺は俺だ」と言える人はまずいない。世界から取り残されたような思いに取りつかれ、誰も手を差し延べてくれない情況において人は透明な存在と化す。

 確かに哲学や宗教、そして人間関係は砦(とりで)たり得るが、最終的には自分の内なる世界でもって外部世界に対抗するしかないのだ。

 私に名前はあるだろうか? 世論調査のパーセンテージや選挙の一票としてカウントされ、要介護者400万人や死亡者数114万2467人(2009年人口動態統計)に含められ、消費者・納税者・視聴者として扱われる私に果たして名前はあるのだろうか? いつでも交換可能な部品のように働かされる私に名前はあるのか?

 国家によって私が労働力として扱われているとすれば名前はないのだろう。私は無色透明な日本人となる。すなわち国家が所有する奴隷が国民の実体ではあるまいか?

 あらゆる奴隷たちが、必ずしも同じ経験をもっていたわけではなかった。なかには、あまりにも奴隷らしくなってしまっていたので、奴隷制度が終わったとき、悲しんだものもいた。

 これがシステムの恐ろしさだ。ジョージ・オーウェルが『一九八四年』で描いた世界だ。システムが人間を完全に支配すると、システムに準じて脳内のシナプス結合が行われる。特に顕著なのは宗教や政治、高度な学問世界に【依存する】人々だ。絶対的な価値観に束縛された挙げ句、物事を疑うことができなくなる。

 奴隷制度という限られた狭い世界が全世界に格上げされると、中には心地よさを覚える者まで出てくるのだ。何とも恐ろしい限りである。まったく同様に、真の自由を求めていない人は社会の奴隷といえよう。

 最後に奴隷の相対性理論を。奴隷を必要とする奴隷の所有者は、奴隷に依存していると見ることができる。つまり所有者もまた欲望の奴隷なのだ。

 所有という問題、そして比較と競争の残酷さを暴いてみせたのが、ブッダとクリシュナムルティであった。



幼児虐待という所業/『囚われの少女ジェーン ドアに閉ざされた17年の叫び』ジェーン・エリオット
集団行動と個人行動/『瞑想と自然』J・クリシュナムルティ

2010-04-02

大英帝国の発展を支えたのは奴隷だった/『砂糖の世界史』川北稔


 ・大英帝国の発展を支えたのは奴隷だった

『果糖中毒 19億人が太り過ぎの世界はどのように生まれたのか?』ロバート・H・ラスティグ
『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男
『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン

必読書リスト その四

 貿易の二大スターは織物と砂糖だそうだ。万人が欲するヒット商品が現れた時、世界はどのように動くかがわかりやすく描かれている。こういう本が学校の教科書であれば、学習は「強いて勉める」必要はなくなることだろう。さしずめ現代であれば、石油や兵器が砂糖同様に世界を席巻しているはずだ。

 砂糖は当初、薬としても利用されていたという──

 じっさいのところ、砂糖には、驚くほど多くの用途や「意味」がありました。ルネサンス以前の世界では、イスラムの科学の水準がヨーロッパのそれなどよりはるかに高かったのですが、そのイスラムの医学では、砂糖はもっともよく使われる薬のひとつでした。中世のヨーロッパでも、事情は同じです。砂糖が本格的に使われはじめた16〜17世紀には、砂糖には、結核の治療など10種類以上の効能が期待されていました。

【『砂糖の世界史』川北稔〈かわきた・みのる〉(岩波ジュニア新書、1996年)以下同】

 当時はまだ食欲が満たされるような生活ではなかったであろうから、カロリーが高く、真っ白い砂糖が薬として使用されることに全く不思議はない。初めて味わった人であれば、ドラッグを服用したような感覚に捉われたことだろう。

 インドを支配したことによって、イギリスでは紅茶がもてはやされるようになる。そして紅茶に砂糖を入れる習慣が上流階級の間で生まれた。イギリス大衆はこうした嗜好(しこう)に憧れを抱いて真似るようになる。砂糖をもっと生産する必要があった。そして、そのための労働力も確保しなければならなかった──

 砂糖と奴隷制度の悪名高い結びつきは、こうしてすでにイスラム教徒が世界の砂糖生産を握っていた時代から、はじまりました。(8世紀)

 16世紀から19世紀にかけて、ヨーロッパ人が大西洋をこえて、カリブ海やブラジル、アメリカ合衆国などに運んだ黒人奴隷は、最低でも1000万人以上と推計されています。なかでも、ポルトガル人とイギリス人、フランス人がこの非人道的な商業を熱心に展開したのです。

動物文明と植物文明という世界史の構図/『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男

 いつの時代も平和に暮らす人々が暴力にさらされた。平和は暴力に対してあまりにも無力だった。イギリスの豊かな生活を支えるために、黒人は鞭を振るわれながら働かされた。

 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という一神教の正義は、独善となって異民族に襲い掛かる。戦争を始めるのは必ず彼等である。神の名を借りた暴力は手加減することを知らない。神の僕(しもべ)以外は虫けら同然だ。人種差別も同様で、差別する側は常に白人である。そして元はといえばアブラハムの宗教であるにもかかわらず争いが絶えることがない。

 人類最大の詐欺こそは「神」であると私は思っている。人間は神の似姿として造られたなんて、まことしやかに伝えられているがそれは逆だ。人間を投影したものが神なのだ。大体、いるのであれば、もっと頻繁に顔を出せって話になるわな。氷河期の時も、戦争の時も神様は一度だって姿を現した例(ためし)がないよ。神が存在するなら、これほどの怠け者は他に見当たらない。きっと神隠しにでもあったのだろう。

 奴隷の労働によって生み出された価値は、そっくりイギリスに持ってゆかれた──

 産業革命がまずイギリスに起こったのも、奴隷や砂糖の商人たちの富の力によるのだ、と主張する意見もあるくらいです。

 つまりイギリスという名前の大泥棒がいたってことだ。泥棒野郎はいまだにでかい顔をしてのさばっている。これがジェントルマンの国の正体だ。

 人類の癌はキリスト教、白人、欧米、ナショナリズムである。これに替わる新たな文明の台頭が待たれる。



ナット・ターナーと鹿野武一の共通点/『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン
あらゆる事象が記号化される事態/『透きとおった悪』ジャン・ボードリヤール
黒人奴隷の生と死/『生活の世界歴史 9 北米大陸に生きる』猿谷要
黒船の強味/『日本の戦争Q&A 兵頭二十八軍学塾』兵頭二十八

2010-02-07

21世紀になっても存在する奴隷/『メンデ 奴隷にされた少女』メンデ・ナーゼル、ダミアン・ルイス


『武装解除 紛争屋が見た世界』伊勢崎賢治

 ・21世紀になっても存在する奴隷

『3歳で、ぼくは路上に捨てられた』ティム・ゲナール
『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン

必読書リスト その二

 強い者が弱い者を襲い、殴り、強姦し、喉を掻き切り、火を放ち、奴隷にしている――これが我々の棲む世界の現実であった。アフリカ大陸最大の国スーダンでは21世紀になっても尚、奴隷にされている人々が存在する。2006年の主要援助国は米、英、ノルウェー、オランダ、カナダとなっており、日本も有償・無償の資金協力は1000億円の実績がある(2006年現在)。つまり我々はスーダンと関わりがあるのだ。

 メンデ・ナーゼルが住んでいたヌバ族の村が民兵に襲撃され、彼女は12歳で奴隷にさせられた。まだ初潮も訪れていない少女が当たり前のように強姦される。メンデよりも幼い子供達も犯された。何をされたのかすら理解できていない少女達の股間は血にまみれていた。陰部をナイフで切り裂いてから挿入された少女もいた。

 意外と知られていないが北アフリカはイスラム圏である。同じアッラーの神を信じていながら、相手が黒人という理由だけでアラブ系の連中は平然とナイフで喉笛を切り裂いているのだ。私でなくても、アッラーの無力さを呪いたくなることだろう。

 汚(けが)れを知らないメンデの心が、無惨な情況と鮮やかなコントラストを描いて悲惨の度合いを深める。以下は村が襲撃された直後に、メンデ達がトラックで首都ハルツームに向かっている時の様子である――

 数時間ほど眠っただろうか。車体の大きな揺れで飛び起きると、あたりは薄暗くなっていた。目の覚めるような美しい夜景が見えた。はるか前方に、色とりどりの無数の光がきらめいている。うごめいている光もあれば、またたいている光もある。こんな夜景を見るのは初めてだった。
「ほら! 見て!」わたしはほかの4人を揺り起こした。「月も出ていないのに、どうしてあんなにきらきら光っているのかしら」
 ヌバ山地には電気がなかったので、太陽か月か炎が発する光しか見たことがなかったのだ。

【『メンデ 奴隷にされた少女』メンデ・ナーゼル、ダミアン・ルイス:真喜志順子〈まきし・よりこ〉訳(ソニー・マガジンズ、2004年/ヴィレッジブックス、2006年)以下同】

「この町は、人間が住むところなのかしら、それとも車が住むところ?」アシュクアナがつぶやいた。あまりにも車が多いので、だれもその問いに答えられなかった。
「車はどこに住んでるの?」わたしは答えた。「車を入れなきゃならないから、あんなに大きいんだわ、きっと」
「小さな車は、大きな車から生まれるんじゃないかしら。だから、車がこんなにたくさんあるのよ」アシュクアナが言った。
 そのとき、若者が乗ったバイクが車列のあいだをすり抜けていった。
「見て! 見て!」わたしはバイクを指差して叫んだ。「あの車は小さいから、きっと今日生まれたばかりよ」
 生まれてからずっとヌバ山地で暮してきたわたしたちにとって、ハルツームはまさに別世界だった。

 奴隷にされつつある中での微笑ましいやり取り。何の罪もない健気(けなげ)少女達が、健気に生きることも許されない世界。アラブ系の金持ちが家事や育児を押しつける目的で、親と離れ離れになることを余儀なくされた子供達は、まだ自分達の運命を知る由もなかった。

 アフリカの豊かな精神性を思う。人類発祥の大地アフリカは、人間が最も長く生きてきた場所である。アフリカの人々が好戦的であったならば、人類はとっくに滅んでいたことだろう。悠久の歴史を支えているのは友好関係に他ならない。そのアフリカを侵略したのは欧米諸国であった。古来、キリスト教世界における人間とは、神を信じる理性を持つ者に限られた。つまり、自分達の神を信じない人々は人間ではないことを意味している。だからヨーロッパの連中は平然と侵略する。神の僕(しもべ)として「神の怒り」を体現するのだ。

 世界を混乱の極みに追い立てているのは、間違いなくユダヤ教から派生したキリスト教とイスラム教である。なかんずくキリスト教の罪は重い。世界に対して物申す識者は、キリスト教を徹底的に批判するべきだ。短気な神に率いられた欧米が、世界を蹂躙(じゅうりん)し続けてきた事実から目を逸(そ)らしてはいけない。

「なかに入りなさい、イエビト」ラハブ(女主人)が言った。“イエビト”というのは、アラビア語で「名前をつける価値もない少女」という意味だ。わたしはショックだった。こんなふうに呼ばれるのは生まれて初めてだった。

 奴隷となったメンデは子供達からも動物扱いされるようになる。そして女主人の暴力はエスカレートしていった――

(※客の子供に縄跳びのロープで転ばされ、ポットのお茶を全身に浴びる。子供達は嘲り笑った)
「おまえの顔には目がついてないの、イエビト! 目がついてないのかって聞いてるの!」なわとびのロープをつかんで、わたしをひっぱたいた。最初のひと振りが頭を直撃し、わたしは両手で顔を覆い隠した。
「ごめんなさい、ごめんなさい」わたしは声を振り絞った。
 一瞬、ラハブが呼吸を整えるために手を休めると、女の客が叫んだ。
「もっとつづけて! 打って打って、打ちまくりなさいよ! この子を懲(こ)らしめるにはそれしかないんだから。痛い目に遭えば、二度とやらないようになるわ」
 わたしは背中を丸めて縮こまった。ラハブはわたしの背後にまわり、さらに力を込めてロープを打ち下ろした。わたしが叩かれるたびに、女の客の歓声に混じって、男たちの笑い声が聞こえた。

 メンデは親からも殴られたことがなかった。怒りのあまり、キーを打つ私の指が止まる。この女主人と客は何度死刑になったとしても罪を償うことはできない。火あぶりにしたところで、こいつらの性根が改まることはないだろう。

 10年後、メンデは女主人の姉の家へ行くよう命じられる。そこはイギリスだった。亭主(マフムード・アル・コロンキ)は何と大使館で働く人物だった。つまり、スーダンにおける奴隷の存在は国家公認も同然ということだ。待遇は格段によくなったものの、奴隷であることには変わりがなかった。

 メンデは意を決して脱出する。様々な人々の応援もあって、遂にメンデ自由を獲得したのは2000年9月11日のことであった。マスコミも援護射撃を惜しまなかった。見知らぬ人が養子を申し入れた。ヨーロッパ各地から激励と称賛の手紙が寄せられた。スペイン人種差別反対連合(CECRA)は国際人権賞を授与した。最後の最後でやっと重い腰を上げたのはイギリス政府だった。

 だが、失った時間は二度と戻らない。そして今も尚、奴隷にされている子供達が存在するのだ。我々の世界は何と無惨なのだろう。いっそのこと人類はさっさと滅んだ方がいいのかもしれない。



カマラリたちの新たな人生(ネパール)/プラン・ジャパン

2008-12-25

奴隷は「人間」であった/『奴隷とは』ジュリアス・レスター


『奴隷船の世界史』布留川正博

 ・「わしら奴隷は、天国じゃ自由になれるんでやすか?」
 ・奴隷は「人間」であった
 ・人間が人間に所有される意味

『砂糖の世界史』川北稔
『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス
『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン
『生活の世界歴史 9 北米大陸に生きる』猿谷要
『アメリカ・インディアン悲史』藤永茂
『メンデ 奴隷にされた少女』メンデ・ナーゼル、ダミアン・ルイス
『エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ』ジョン・パーキンス
『アメリカの国家犯罪全書』ウィリアム・ブルム
『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン

世界史の教科書

 動物は腹が満たされれば殺すことはしない。食物連鎖という生態系の輪からはみ出ているのは人間だけだ。他の動物には見られない支配欲、権力欲、政治欲を満足させる目的で殺す。あるいは、いつでも殺せることが可能であることを示して、生きたまま殺し、死んだ状態で生かす。これが奴隷だ。

 コロンブスはアメリカ大陸を発見し、その後スペイン人キリスト教徒が1200万人もの先住民を殺戮した。アメリカ大陸にはタバコ、綿花、砂糖が豊富にあった。では、誰がそれらを生産するのだろうか? そう。アフリカ系黒人だ。最初のアメリカ製の奴隷船は「欲望号」という名前であった。

奴隷貿易Ⅰ~奴隷制度の歴史~

 元々、キリスト教ヨーロッパ社会は身分制度によって成り立っていた。かの国の文学をひもとくと、そこには必ず執事・従者・小間使い・ハウスキーパーが登場する。いわゆる「召し使い」という文化が完全に根づいている。秋葉原の「メイド文化」とは明らかに異質なもので、雑用を他人にやらせる発想こそ、奴隷制度の温床ではなかったか。その根底にあるのは、キリスト教の抱える差別観に他ならない。

 奴隷とは。自動車や家や机が所有されるように、他の人間によって所有されるとは。売りとばされる財産の一部として生きるとは、──母親から売られていく子供、夫から売られていく妻。人間とは考えられずに、ひとつの《物》として考えられるとは。その《物》は、畑を耕し、木を切り、食物を料理し、他人の子供を養育する。その《物》の唯一の機能は、読者よ、あなたならあなたを所有する人間によって、決定されてしまうのだ。
 奴隷とは。苦悩と権利剥奪にかかわらず、じぶんが人間であると、おまえなんか人間じゃないというものよりも、もっとじぶんのほうが人間的であると知るとは。喜び、笑い、悲しみ、涙を知り、しかもそれでいて、机と同等のものとしてしか考えられないとは。
 奴隷であるとは、人間性が拒まれている条件のもとで、人間であるということだ。かれらは、奴隷ではなかった。かれらは、人間であった。かれらの条件が、奴隷制度であったのだ。

【『奴隷とは』ジュリアス・レスター:木島始〈きじま・はじめ〉、黄寅秀〈ファン・インスウ〉訳(岩波新書、1970年)】

 現代においても、「人間性が拒まれている条件」はそこここに存在する。我々は皆奴隷だ。

・奴隷根性を支える“無気力”〜ドストエフスキー『死の家の記録』より

 人々は、社会の奴隷であり、会社の奴隷であり、金銭の奴隷であり、時間の奴隷であり、欲望の奴隷であり、情報の奴隷であり、神仏の奴隷である。そして我々は搾取(さくしゅ)された後で、わずかばかりの自由を楽しんでいるのだ。それは、30センチの定規の中の5ミリ程度の自由だ。そう。自由は“誤差の範囲内”に収まっている。

 人間を支える脳というネットワークシステムは、そのまま外側に同様のネットワーク体制を築く。ヒエラルキーというピラミッドは、自由に動かせる手足を求める。権力は腐敗するが、なくなることはない。

 歴史という大波の中で、翻弄された人々は数知れず。彼等の怒りや、彼女等の涙が歴史に記されることはない。そこに想像力を働かせることができなければ、人類は永遠に奴隷であり続けることだろう。奴隷は「人間」であった。そして、奴隷制度をつくったのもまた「人間」であった。


残酷極まりないキリスト教/『宗教は必要か』バートランド・ラッセル
黒船の強味/『日本の戦争Q&A 兵頭二十八軍学塾』兵頭二十八

2001-01-27

「わしら奴隷は、天国じゃ自由になれるんでやすか?」/『奴隷とは』ジュリアス・レスター


『奴隷船の世界史』布留川正博

 ・「わしら奴隷は、天国じゃ自由になれるんでやすか?」
 ・奴隷は「人間」であった
 ・人間が人間に所有される意味

『砂糖の世界史』川北稔
『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス
『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン
『生活の世界歴史 9 北米大陸に生きる』猿谷要
『アメリカ・インディアン悲史』藤永茂
『メンデ 奴隷にされた少女』メンデ・ナーゼル、ダミアン・ルイス
『エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ』ジョン・パーキンス
『アメリカの国家犯罪全書』ウィリアム・ブルム
『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン

世界史の教科書

 外国ではユーモアが重んじられる。「あなたはユーモアに欠ける」と言われるのは、我々日本人の想像をはるかに上回る侮辱になるらしい。また、ナチスから迫害されたユダヤ人の多くは亡くなったが、生き延びた人々はユーモアを欠かさなかったという。自分が置かれた状況を突き放して客観的に捉え、笑い飛ばす精神力が尊重されるのだろうか。

 宗教はまた、死んでから後に報いを受けとるという考えを、奴隷たちに与えた。これは、奴隷たちの精神に訴えかけるものがあったが、しかし必ずしもかれらは、約束の天国への道が、主人への従順をとおしてであると信じはしなかった。そして、ときに奴隷たちは、死後のその生活の性質とか、その約束する天国とかを、疑問に思うのだった。

 サイラスじいさんは、ほとんど100歳にちかい年だった、と思いますよ。──もうどんな仕事もできないほど弱ってましたが、それでも、奴隷たちの礼拝が行われるときには、びっこを引きながらでも教会へやってくるだけの気力は、いつもありましたよ。説教師は、ジョンソン師でした、──かれの名前のあとの方は忘れてしまいましたがね。かれは説教をやってました、そして、奴隷たちは坐って、眠ってたり、樫の木の枝を扇子にして使ってましたよ。で、サイラスじいさんは、奴隷たちの座席の前列のところで立ち上がると、ジョンソン師の説教をさえぎったんですよ。「わしら奴隷は、天国じゃ自由になれるんでやすか?」と、サイラスじいさんは尋ねたんですよ。説教師は話を止めて、サイラスじいさんを見ました。まるで、じいさんを殺してしまいたいみたいでしたよ。何しろ、じぶんが説教をているときに『アーメン』というなら別だが、口をはさむものがいようなんてことは考えられないことだったんですからね。その説教師は、ちょっと待って、その場に立ってるサイラスじいさんをじっと見つめてましたが、何にも答えなかった。「神さまは、天国に行ったとき、わしら奴隷を自由になされるんでやすかね?」大きな声でサイラスじいさんは尋ねました。白人のその説教師は、ハンカチを取り出すと、顔の汗をふきました。「イエスさまは言っておられる、汝ら、罪なきものたち、われに来れよ、さらば、汝らに救いを与えん、とね」。「救いと一緒に、わしらは自由を与えられるんでやすか?」と、サイラスじいさんは尋(き)きました。「主は、与え給い、主は奪い給うのだ。罪のないものは、永遠の生命(いのち)を得ることになろう」。そう言うと、説教師は、サイラスじいさんにはまるでもう注意をはらわないで、どんどんと説教を進めていったんですよ。だが、サイラスじいさんは坐ろうとはしなかった。その礼拝式の終わるまで、ずうっとその場に立ったままでいたんです。で、それっきり、教会へは来なくなりましたよ。つぎの、説教のある礼拝の機会がやってこないうちに、サイラスじいさんは死にましたよ。じいさん、じぶんが当てにしていたよりも早く、自由になれるのかどうかってことが、わかったとおもいますよ。(ベヴァリ・ジョーンズ『ヴァージニアの黒人』109ページ)

【『奴隷とは』ジュリアス・レスター:木島始〈きじま・はじめ〉、黄寅秀〈ファン・インスウ〉訳(岩波新書、1970年)】

 人間を鋳型(いがた)にはめ込んで、その精神にまで変形を強いる制度は必ず破綻をきたす。特徴は専ら自由な発言を絶対に許さないところにある。果たして、西洋の神様はどちらの味方をしたのだろう。汝自身の試練なり、などとお茶を濁してるようでは余りにも冷たい。

 この語り手には落語みたいな躍動したリズム感がある。「サイラスじいさんは死にましたよ」と吐き捨てるように言い放ったのは、奴隷制度への怒りからであろう。地獄はあの世ではなく現実の目前にあった。

 この(奴隷解放の)知らせを苦にして、奥さんと旦那は、とうとう1週間ものあいだ、食べものが咽喉(のど)を通らんてことになっちまいましたよ。父の話だと、奥さんと旦那は、まるで胃袋とはらわらが訴訟をおこし、へそが証人として呼びだされたみたいだったそうです。それほど、わたしたちが自由になったことを、かれらは口惜しがってたのです。

 何遍、読んでも笑わせられる箇所だ。笑い飛ばすことによって彼等は、暗雲のはるか彼方まで上昇した。まるでアフリカの大地を照らす太陽のように――。