ラベル 朝日新聞 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 朝日新聞 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2021-04-07

「自然豊かな日本」という思い込み/『森林飽和 国土の変貌を考える』太田武彦


 このように、これらの古写真が写している明治時代から昭和時代中期までの山地・森林の状況は、現在の日本の森林の姿とはまるで異なっていたということがわかるだろう。実はこれらの古写真は荒廃の激しいところを選んで集めたものではない。場所はどこでもよかったのである。1950年代以前の、背景に山が写っている普通の農村の写真ならば、現在のような豊かな森は見えていないはずである。このころ、日本の森のかなりの部分はとても森とは呼べないほど衰退し、劣化していたのである。

【『森林飽和 国土の変貌を考える』太田猛彦〈おおた・たけひこ〉(NHKブックス、2012年)以下同】

 上念司〈じょうねん・つかさ〉が『ニュース女子』で紹介していた一冊。上念の著書を読む気はないが内容を聞いてピンとくるものがあった。日本の国土は「約70%が山岳地帯で、その約67%が森林である」(Wikipedia)。ともすると「自然豊かな日本」という思い込みがあるが実は違う。戦前はハゲ山だらけだったというのだ。私が子供の時分、禿頭のことをハゲ山と呼ぶことがあったがこれもその名残りか。


近世から近代の日本で、都市近郊の山岳がほとんど禿げ山だったことはあまり知られていない - Togetter

 言い換えれば、江戸時代に生まれた村人が見渡す山のほとんどは、現在の発展途上国で広く見られるような荒れ果てた山か、劣化した森、そして草地であった。この事実を実感として把握しない限り、日本の山地・森林が今きわめて豊かであることや、国土環境が変貌し続けていることを正確に理解することはできないと思われる。

 例えば奈良の大仏(745-752年)、大量の刀剣を必要としたであろう戦国時代(15世紀末-16世紀末)、本格的な貨幣経済が始まった江戸時代など金属製造には膨大な薪(まき)が欠かせない。一言で申せば「貨幣鋳造と武器製造が森林を破壊する」のだ。

 ヨーロッパの場合は更に家畜文化が拍車をかけた(『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男)。ブタが芽を食(は)み、ヤギは根っこまで食べた。

 最も「自然豊かな日本」は現在の日本なのだ。ここでもう一つの思い込みを指摘しておこう。

「地球の肺」とも呼ばれる世界最大の熱帯雨林アマゾンで、記録的な森林火災が続いています。(中略)
 アマゾンは日本の国土の約15倍に及ぶ面積550万平方キロメートルで、ブラジルやペルー、コロンビアなど南米7カ国に広がり、地球上の熱帯雨林のおよそ半分に相当します。地球上の酸素の2割を生み出しているといわれ、多様な動植物が暮らす生物の楽園です。

「地球の肺」が呼吸困難 アマゾン火災、日本も関わりが:朝日新聞デジタル 2019年8月29日 8時30分】

 全くのデタラメだ。森林は地球の酸素供給に寄与していない。

 森林の大部分を占める植物は、たしかに二酸化炭素を吸収して光合成を行うが、同時に呼吸もして二酸化炭素を排出しているからだ。植物単体として見ると光合成の方が大きいこともある(その分、植物は生長する)が、森林全体としてみるとそうはいかない。(中略)
 もっとも大きいのは菌類だ。いわゆるキノコやカビなどは、枯れた植物などを分解するが、その過程で呼吸して二酸化炭素を排出する。
 地上に落ちた落葉や倒木なども熱帯ではあっと言う間に分解されるが、それは菌類の力だ。目に見えない菌糸が森林の土壌や樹木中に伸ばされており、菌が排出する二酸化炭素量は光合成で吸収する分に匹敵する。つまり二酸化炭素の増減はプラスマイナスゼロ。
 だから森林を全体で見ると、酸素も二酸化炭素も出さない・吸収しないのだ。酸素を供給し二酸化炭素を吸収する森は、成長している森だ。面積を増やす、あるいは植物が太りバイオマスを増加させている森だけである。

アマゾンは「地球の肺」ではない。森林火災にどう向き合うべきか(田中淳夫) - 個人 - Yahoo!ニュース

 だが、この20%という数字は、まったくの過大評価だ。むしろ、ここ数日で複数の科学者が指摘したように、人間が呼吸する酸素に対するアマゾンの純貢献量は、ほぼゼロと考えられる。

「アマゾンは地球の酸素の20%を生産」は誤り | ナショナルジオグラフィック日本版サイト

 自慢気に紹介しているが私も最近知った次第である。成熟した森林は酸素を供給しないし二酸化炭素も排出しない。これをカーボンニュートラルという。

 光合成に必要な太陽の光がとどくのは海面から70~80mぐらいですが、この海面に近いところに住む植物プランクトンや海藻によって、地球の酸素の3分の2がつくられています。

海の自然のなるほど 「酸素は海からもつくられる」

 自然界において遊離酸素は、光合成によって水が光分解されることで生じ、海洋中の緑藻類やシアノバクテリアが地球大気中の酸素70パーセントを、残りは陸上の植物が作り出している。

酸素 - Wikipedia

 進化の上でより下等な光合成を行うグループがあって(シアノバクテリアといいます)、それは地球上の大気に酸素をもたらしました。今、私たちが呼吸して酸素を吸っていますが、この酸素です。

藻類(そうるい)ってなんですか? | 東京薬科大学のブログ | エコプロ2019

 細菌の中には、他にも光合成を行うグループが存在するが (光合成細菌と総称される)、酸素発生型光合成を行う細菌は藍藻のみである。藍藻は、系統的には細菌ドメイン (真正細菌) に属する原核生物であり、他の藻類よりも大腸菌や乳酸菌などに近縁である。そのため、シアノバクテリア (藍色細菌) (英: cyanobacteria) とよばれることも多い。

藍藻 - Wikipedia

 これだけ日常的に平然と嘘を書き連ねる新聞を読む購読者が今もいることに驚く。彼らは何らかのファンタジーを必要としているのだろう。

2019-12-02

日比谷焼打事件でマッチポンプを行い発行部数を伸ばした朝日新聞/『悪の戦争学 国際政治のもう一つの読み方』倉前盛通


『小室直樹vs倉前盛通 世界戦略を語る』世界戦略研究所編
『悪の論理 ゲオポリティク(地政学)とは何か』倉前盛通
『新・悪の論理』倉前盛通
『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクションII』竹山道雄:平川祐弘編
『情報社会のテロと祭祀 その悪の解析』倉前盛通
『自然観と科学思想』倉前盛通
『悪の超心理学(マインド・コントロール) 米ソが開発した恐怖の“秘密兵器”』倉前盛通
『悪の運命学 ひとを動かし、自分を律する強者のシナリオ』倉前盛通

 ・日比谷焼打事件でマッチポンプを行い発行部数を伸ばした朝日新聞

『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹
『戦争と平和の世界史 日本人が学ぶべきリアリズム』茂木誠
『悪の宗教パワー 日本と世界を動かす悪の論理』倉前盛通

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 志賀直哉というたいへん高名であるが、そのじつ、たいへん愚かな老文士がいる。彼は日本が敗北した直後、「日本語は野蛮だからフランス語を国語にすべきである」と国会で述べた。いやしくも文筆をもって身を立ててきた人間でありながら、これほど軽蔑すべき人間はいないと私は今でも考えている。
「あれは一時の気の迷いだった」とあとで言ったそうだが、それは日本が復興してからのことである。
 このような輩が国家の指導的地位を占めるとき、その国は大戦略を誤まって敗北の戦(いくさ)をたたかう破目に落ちる。もし日本が勝っていたら、志賀直哉は「日本語は世界で一番すぐれた言葉だから、世界中の人間に強制し、全部日本語に変えるべきだ」と言ったに違いない。今も昔も、このような無節操なお調子者が国を誤まるのだ。
 戦争学といっても特別なものではなく、人間の本性をよく見きわめ、人間集団がいかに愚かな行為をくり返すものかという歴史の教訓を知ることにつきよう。

【『悪の戦争学 国際政治のもう一つの読み方』倉前盛通〈くらまえ・もりみち〉(太陽企画出版、1984年)以下同】

「小説の神様」と呼ばれた人物が日本語を捨てようとした事実を私は知らなかった。戦争という極限状況は人々の性根を炙(あぶ)り出した。生き延びようとする本能に急(せ)かされる時、論理は見過ごされ、過去は無視される。特に日本人の場合、いつまで経っても「お上には逆らえない」との意識が強く、敗戦後は天皇陛下からマッカーサーに乗り換えた人々も多かった。日本語に見切りをつけたのは志賀直哉だけではない。ローマ字表記にすべきだという意見も堂々と主張された。実に敗戦は惨めなものである。

 日露戦争が終結した明治38年9月5日、東京・日比谷で開かれた日露講和反対国民大会が暴動化した。暴徒と化した市民は、政府のロシアに対する弱腰を批判し、政府系新聞社、交番、馬車などを焼打ちしたのである。さらに、講和反対国民大会は全国各地に拡がっていった。
 このとき、もっとも無責任な講和反対論を掲げて世論に媚び、部数を増やしたのが、ほかならぬ朝日新聞だったことを、私どもはよくよく覚えておく必要がある。
 だが、時の首相・桂太郎は断固とした態度でこれに臨み、軍隊を出動させて民衆を鎮圧した。さらに、9月6日から11月29日のあいだ、東京に戒厳令を敷いてきびしい姿勢を示したのである。
 日本がなぜロシアと講和するのか、国民は真相を知らされていなかった。勝っているはずの日本である。なぜ徹底的にロシアを叩きのめさないのか。国民が不思議に感じ、政府が弱腰なのだと受けとめたのも、無理からぬところがあった。
 だが、日本政府のトップとしては、もうこれ以上ロシアと戦争を続けるだけの国力が残っていないことを、じゅうぶんに知っていた。だから、講和に踏み切ったのである。まさか国民に、もう弾が尽きはてたなどと真相を打ち明けるわけにはいかない。国家としての正しい選択を実行するために、桂首相はあえて涙をのんで、軍隊に民衆を鎮圧させたのである。
 朝日新聞の上層部は、このことを知らされていた。にもかかわらず部数を増やすため、世論を扇動した。まさに商業新聞の権化というにふさわしい。

朝日新聞の変節/『さらば群青 回想は逆光の中にあり』野村秋介

 日比谷焼打事件は知っていたが朝日新聞のマッチポンプは知らなかった。かつては社会の木鐸(ぼくたく)と称した新聞だが、一度でも社会を正しくリードしたことはあったのだろうか? スクープ競争に明け暮れ、抜いた抜かれたの物差しだけで仕事をしている連中だ。特に朝日の場合、虚偽・捏造が代名詞になった感がある。

 全国紙の朝夕刊セット価格は月額4037円らしい(日経は4900円)。私が購読していた頃は2600円でそれから2800円に値上がりした。当時、主婦が気楽に支払える金額は3000円と言われており、3000円を超えると部数が減ることは避けられないと見られていた。消費税増税を推進する新聞社が何と自分たちには軽減税率を適用せよと署名まで集めた。結局、日刊の新聞にだけ適用され赤旗日曜版が狙い撃ちされる格好となった。聖教新聞はOKというわけだ。言っていることとやっていることが違う人間は社会で信用を得られない。販売店に不要な新聞を買わせる押し紙問題もクローズアップされた。

 ジャーナリズムといえば聞こえはいいが、映画に登場する新聞記者はただの野次馬である。ただただ問題を掻き回し、騒ぎ立て、センセーショナルな言葉を並べる。民主政にジャーナリズムは不可欠と言われるが、民主政を誤らせ続けてきたのもまたジャーナリズムであった。

 嘘を撒き散らす新聞を購読するくらいなら、毎月4000円で数冊の本を購入した方がはるかに賢明だ。

朝日新聞の変節/『さらば群青 回想は逆光の中にあり』野村秋介


・『「豆朝日新聞」始末』山本夏彦
・『崩壊 朝日新聞』長谷川煕
『チベット大虐殺と朝日新聞 朝日新聞はチベット問題をいかに報道してきたか』岩田温
・『朝日新聞「日本人への大罪」』西岡力

 ・朝日新聞の変節

『悪の戦争学 国際政治のもう一つの読み方』倉前盛通
・『激しき雪 最後の国士・野村秋介』山平重樹
『田中清玄自伝』田中清玄、大須賀瑞夫

日本の近代史を学ぶ

 ことに、朝日新聞社を中心とした、マスコミのこれまでの無節操さについては、我慢も限度にきている。戦前はあれほど日本の戦争の正義を謳い、アジア解放の大義を説き、「聖戦だ、聖戦だ」と喚きちらしたくせにして、日本が負けるやいなや、豹変して占領軍に媚(こび)を売り、GHQ(連合国軍総司令部)による日本民族の弱体化政策の片棒を担ぐどころか率先して日本批判に転じた。
 最近では韓国人の従軍慰安婦問題で、まるで鬼の首でも取ったかの如き騒ぎである。私は日本のエリート階層である東大出の朝日の幹部3名に、面と向かって言ってやった。百歩譲ってだ、日本軍のその行為がそれほど悪逆非道だったとするなら、君ら「朝日」にも一半の責任があるのではないのか? 他人(ひと)事のようにいっているが、中国へ渡った関東軍百万の兵士を、君らは“神兵”とさえ称賛し、歓呼の声を持(ママ)って送り出した事実を、知らぬとは言わせぬ。
 倫理的意味で、それが正しいと強弁するつもりはない。しかし、1945年までは、そのときのパワー・ポリティックスの価値観で世界は動いていた。日本が、ヤルタ・ポツダム宣言を受諾する1週間前、旧ソ連軍は「日ソ不可侵条約」があるにもかかわらず、ソ連国境を越えて侵入してきた。条約を破ったことは一応置くとして、その際、日本人婦女子に彼らが何をしたか、これも知らぬとは言わせぬ。銃で威嚇(いかく)し、公衆の面前で、それも路上で、次々と強姦し、輪姦し、どれだけ無法をはたらいたか、朝日も進歩的文化人と称する連中も、なぜそれをいわぬ。(中略)
 かかる史実を知りながら、朝日新聞社は、日本のみの戦争犯罪を得々として喋りまくった。それも半世紀にわたってである。GHQの占領政策が、日本のショナリズム(ママ)の解体と弱体化にその眼目があるのを十分知りながら、「極東国際軍事裁判」(昭和23年11月判決)という、“暗黒裁判”の判決を是とし、日本悪玉論を執拗に展開し続けた。反面ソ連に媚を売ることも久しく、ベトナム戦争においては、まるでアメリカ軍が撤退さえすれば、明日にでもインドシナは平和になると、うそぶき続けた。その後のインドシナが、いかに悲惨であったかは、私が説明するまでもあるまい。ポル・ポトは全人口の半分、350万人もの人びとを虐殺している。

【『さらば群青 回想は逆光の中にあり』野村秋介〈のむら・しゅうすけ〉(二十一世紀書院、1993年)】

 600ページ近い大著である。飛ばし読みするつもりであったが引き込まれた。野村秋介は民族派では括り切れない人物だ。交友が広く、左翼とも親交を結んだ。獄中の永田洋子〈ながた・ひろこ〉にまで会っている。

 東条英機は陸軍の主戦派であったが首相に就任すると天皇陛下の意に従い戦争回避の道を模索する。軍首脳の大半と政治家はアメリカとの戦争を何としても避けようと考えていた。戦争を煽ったのは新聞と国民であった。この歴史的事実を決して忘れてならない。日米和平の道はハル・ノートによって閉ざされてしまう。窮鼠(きゅうそ)と化した日本はアメリカという大猫に襲い掛かった。

 ソ連に敗れたドイツでも目を覆うような強姦が行われた。幼女から老婆に至るまでが犠牲となった。その惨状は『ベルリン終戦日記 ある女性の記録』が詳しい。

 左翼が仰ぐソ連は終戦のどさくさに紛れて鬼畜の所業を繰り返した。私はこれを絶対に許すべきではないと考える。故にロシアが謝罪するまでは平和条約を結んではならない。北方領土を取り返すために下手に出る必要はない。日本政府は昂然(こうぜん)と構えるべきだ。

 野村は明らかに理論武装をしている。左翼と闘うためには致し方ないとはいえ、理窟(りくつ)だけでは人の心をつかむことはできない。野村を直接知る人々は情を汲み取ったのだろうが、その影響力はやはり一部の人に限られたように思う。

 野村は「風の会」から参院選に立候補する。これを『週刊朝日』(「山藤章二のブラック・アングル」)が「虱(しらみ)の党」と揶揄した。



 野村は猛然と抗議をした。翌年、経営陣からの謝罪を受けるため朝日新聞東京本社を訪れる。一連のやり取りも本書に収録されている。野村はその場で拳銃自殺を遂げた。最も朝日新聞を批判し、最も朝日新聞に期待していた男の見上げた最期であった。

 朝日新聞の偏向報道については野村が完膚なきまでに鉄槌を下している。その真剣な声が朝日新聞に届かなかったことが無念でならない。

2019-07-16

自らのイデオロギーのためにはプロパガンダもいとわない新聞/『チベット大虐殺と朝日新聞 朝日新聞はチベット問題をいかに報道してきたか』岩田温


 ・自らのイデオロギーのためにはプロパガンダもいとわない新聞

・『悪の論理 地政学とは何か』倉前盛通
・『崩壊 朝日新聞』長谷川煕
『さらば群青 回想は逆光の中にあり』野村秋介
『人種差別から読み解く大東亜戦争』岩田温
・『だから、改憲するべきである』岩田温
『平和の敵 偽りの立憲主義』岩田温

「朝日新聞」と言った場合、どんなイメージが思い浮かぶだろうか。
「インテリの新聞」、「高所得者が読む新聞」、「受験に出る新聞」、「リベラル色が強い新聞」といったイメージが一般的なのではないか。「自らのイデオロギーのためにはプロパガンダもいとわない新聞」、「利潤のためであれば、いくらでも節操を曲げる新聞」だと正確に理解している良識派は少ないはずである。
 北朝鮮のことを「地上の楽園」と呼び、カンボジアのポルポト派が大虐殺を行っているときに、ポルポトをして「アジア的優しさにあふれている」と書いた朝日新聞。それにもかかわらず朝日新聞のことを、今なお正しく認識している日本人は、残念ながらまだまだごく少数に留まっている。

【『チベット大虐殺と朝日新聞 朝日新聞はチベット問題をいかに報道してきたか』岩田温〈いわた・あつし〉(オークラ出版、2008年)以下同】

 イデオロギーは事実をも歪める。朝日新聞は社会主義国の大量虐殺には目をつぶり容認する。なぜなら正しい目的のためなら行き過ぎた手段は常に正当化されるからだ。志を同じくする同志の殺人を糾弾することのない彼らが一方では人権を主張するのだから片腹痛い。イデオロギーは自分たちの矛盾も見て見ぬふりをする。正しいイデオロギーに生きる者は何をしても許されるのだ。



 朝日新聞に次の川柳が掲載されたという。「五輪前 どうにも邪魔な 生き仏」(2008年3月20日の「朝日歌壇」に載った川柳)。

 チベット問題に関してはチベット側に一点の瑕疵(かし)もないことは明らかである。(中略)それゆえに論説や社説で堂々とダライ・ラマを批判できないから、奇策として、風刺と言いながら誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)を行う。

 日本人がチベット問題を知ったのは長野五輪(1998年)の時であった。「フリーチベット」(チベットに自由を)を叫ぶ人々に中国人が襲いかかったのだ。中国人の行動は明らかに組織立ったもので計画性さえ窺わせた。さすが暴力革命の国である。いかにも集団の暴発と見せかけながらきっちりと目的を果たした。日本の警察は上からの指示があったのか指をくわえてじっと見守った。

 チベット問題に関しては倉前盛通〈くらまえ・もりみち〉著『悪の論理 地政学とは何か』(日本工業新聞社、1977年)の第5章を参照せよ。また朝日新聞の逃げ口上については野村秋介〈のむら・しゅうすけ〉の本が詳しい。

 岩田温〈いわた・あつし〉には小室直樹や倉前盛通の衣鉢(いはつ)を継ぐ論客になってもらいたい。

チベット大虐殺と朝日新聞
岩田温
オークラ出版
売り上げランキング: 134,576

2018-10-18

朝日新聞に抹殺された竹山道雄/『変見自在 スーチー女史は善人か』高山正之:『渡部昇一の世界史最終講義 朝日新聞が教えない歴史の真実』渡部昇一、髙山正之


 ・朝日新聞に抹殺された竹山道雄

『竹山道雄と昭和の時代』平川祐弘
竹山道雄

 朝日新聞の権威に逆らう者に朝日は容赦しない。紙面を使って糾弾し、世間もそれにひれ伏させ、朝日を怒らせた者の処罰を強いる。朝日は神の如(ごと)く無謬(むびゅう)というわけだ。
『ビルマの竪琴(たてごと)』を書いた竹山道雄氏がある時点で消えた。原子力空母エンタープライズが寄港するとき、朝日新聞の取材に氏は別に寄港反対を言わなかった。これも常識人のもつ常識だが、それが気に食わなかった。
 朝日は紙面で執拗に因縁をつけ続けてとうとう社会的に抹殺したと身内の平川祐弘(すけひろ)・東大教授が書いていた。
 南京大虐殺(なんきんだいぎゃくさつ)も従軍慰安婦も沖縄集団自決も同じ。朝日が決め、毎日新聞や中日新聞が追随し、それを否定するものには耳も貸さないどころか、封殺する。

【『変見自在 スーチー女史は善人か』高山正之(新潮社、2008年/新潮文庫、2011年)】



 渡部先生がなぜ狙われたかと言えば、朝日新聞の望まないことを主張したからだ。似たようなケースは、それ以前にもあった。例えば『ビルマの竪琴』で知られる竹山道雄は1968年、米空母エンタープライズの佐世保寄港について、朝日社会面で5名の識者の意見を紹介した中、ただ一人だけ賛成した。これに対して、朝日の煽りに乗せられた感情的非難の投書が殺到し、「声」欄に続々と掲載された。東京本社だけで250通を越す批判の投書が寄せられる中、朝日は竹山の再反論をボツにして、対話を断った形で論争を終結させた。朝日「声」欄の編集長は当時の『諸君!』に、担当者の判断で投書の採用を選択するのはどこでも行われていることと強弁した。
 竹山道雄をやっつけて、「朝日の言うことを聞かないとどうなるか、思い知らせてやる」という尊大さをにじませた。朝日に逆らう者は許さないという思考が朝日新聞にはある。その特性は、そのまま現在まで続いている。

【『渡部昇一の世界史最終講義 朝日新聞が教えない歴史の真実』渡部昇一、髙山正之(飛鳥新社、2018年)】

 渡部昇一は40年にも渡って朝日新聞と戦い続けたという。渡部の寄稿を改竄(かいざん)し、あたかも作家の大西巨人と対談したかのように見せかけ、あろうことか「劣悪遺伝の子生むな 渡部氏、名指しで随筆 まるでヒトラー礼賛 大西氏激怒」との見出しを打った。今時のポリコレ左翼と全く同じ手口である。インターネットがなかった時代を思えば、竹山道雄は社会的に葬られたといっても過言ではあるまい。

『変見自在』はかなり前に読んだのだが、私が竹山の名前を心に留めたのは百田尚樹が虎ノ門ニュースでこのエピソードを語った時であった。人のアンテナは季節に応じて感度が変わる。かつてはキャッチできなかったものが歳月を経て心を振動させることがあるのだ。ニュース番組の何気ない一言が私を竹山道雄へと導いた。

『世界史最終講義』で高山は朝日新聞にまつわる数々の罪状をあげつらう。朝日新聞の誤報を正す記事を産経新聞で大々的に報じたところ、朝日の幹部社員が産経に怒鳴り込んできたエピソードを紹介している。「なぜ殴らなかったのか?」というのが私の疑問である。朝日の横暴もさることながら、その横暴を許す環境があったことも見逃すわけにいかない。

 新聞の読者は所詮大衆である。事実を吟味する精神性もなければ、おかしな理窟に気づくほどの知性も持ち合わせていない。メディアが垂れ流す情報を鵜呑みにし、扇情されることに快感を覚えるようなタイプの人間である。まともな大人であれば芸能人に憧れることはないし、お笑いタレントのギャグで笑うこともなければ、わけのわからない選挙のためにCDを買うこともない。

 1968年といえば私が5歳の頃だ。東京オリンピックを終えて、大阪万博に向かう日本は高度経済成長の坂をまっしぐらに走っていたが、学生運動の炎はいまだ消えるに至っていなかった。マスコミはこぞって学生に甘い顔をした。ものわかりのいい大人を演じたのだろう。進歩的文化人は挙(こぞ)って学生運動を支持し、アメリカのベトナム戦争反対運動と結びついてローカルとグローバルがつながる心地よさも確かにあった。

 景気がいい時に過去を振り返る人はいない。財布に十分なカネがあれば未来しか見えない。さあ、買い物にゆこう。

 日本は軍事的な責任を放棄したままアメリカにくっついてゆくだけで金儲けができた。二度のオイルショックも技術革新で乗り切った。飽食の時代はバブル景気で極まった。一億総中流意識という手垢のついた言葉が不安なき日本社会を象徴していた。レールの方向性が正しければ人々はただ走るだけである。

 発展する社会はやがて行き詰まり、停滞の中から新しい時代が産声を上げる。社会が変化し時代が揺れ動き時こそ知性は必要とされる。1968年であれば確かに竹山道雄を死なすことはできただろう。だがそれからちょうど半世紀を経て私が竹山を必要としている。本物の人物は埋もれることが決してない。死後であろうとも必ず輝き始める。金(きん)は地中にあっても尚金なのだ。

 そしてかつて竹山を葬った朝日新聞が凋落の憂き目を見ている。既に常識のある社会人からすれば、赤旗や聖教新聞と同じ類(たぐい)のプロパガンダ紙と化した。そろそろ朝日新聞の墓を作っておいてもいいだろう。