(小倉を守った「八幡製鉄所職員」)
— shin (@shin_shr190506) August 9, 2019
「原爆は小倉市(現北九州)に投下予定だったが、曇天の為長崎に変更された」
長くそう伝えられてきたが、実は八幡製鉄所職員が「コールタールを燃やし煙幕を張った」事が判明している。
この行動がなければ、北九州市が「被爆地」となっていたのかもしれない。 pic.twitter.com/Py4SRHde3g
2019-08-10
原爆から小倉を守った「八幡製鉄所職員」
2017-08-10
小倉に投下予定だった原爆
・『夕凪の街 桜の国』こうの史代
・『トランクの中の日本 米従軍カメラマンの非公式記録』ジョー・オダネル
・『チェ・ゲバラ伝』三好徹
・『洗脳支配 日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて』苫米地英人
・『日本最後のスパイからの遺言』菅沼光弘、須田慎一郎
・小倉に投下予定だった原爆
これは知らなかった。ツイッター情報は本当に侮れない。
小倉に投下予定だった原爆
— ShounanTK (@shounantk) 2017年8月9日
雲が多く、長崎に変更➡❌
本当の理由
●タールを燃やして煙幕張った
●高射砲を必死に発射して妨害
●陸海軍基地から戦闘機が迎撃
日本軍は国民を守らなかった
と思わせる為
必死に小倉を守った話は消されたhttps://t.co/ZSx3Xcmq32 pic.twitter.com/19TWk1Qr5M
・小倉原爆スクープ!:一条真也の新ハートフル・ブログ
2016-05-27
ヒロシマとナガサキの報復を恐れるアメリカ/『日本最後のスパイからの遺言』菅沼光弘、須田慎一郎
・『日本はテロと戦えるか』アルベルト・フジモリ、菅沼光弘:2003年
・『この国を支配/管理する者たち 諜報から見た闇の権力』中丸薫、菅沼光弘:2006年
・『菅沼レポート・増補版 守るべき日本の国益』菅沼光弘:2009年
・『この国のために今二人が絶対伝えたい本当のこと 闇の世界権力との最終バトル【北朝鮮編】』中丸薫、菅沼光弘:2010年
・日本共産党はコミンテルンの日本支部
・ヒロシマとナガサキの報復を恐れるアメリカ
・『この国の権力中枢を握る者は誰か』菅沼光弘:2011年
・『この国の不都合な真実 日本はなぜここまで劣化したのか?』菅沼光弘:2012年
・『日本人が知らないではすまない 金王朝の機密情報』菅沼光弘:2012年
・『この国はいつから米中の奴隷国家になったのか』菅沼光弘:2012年
・『誰も教えないこの国の歴史の真実』菅沼光弘:2012年
・『この世界でいま本当に起きていること』中丸薫、菅沼光弘:2013年
・『神国日本VS.ワンワールド支配者』菅沼光弘、ベンジャミン・フルフォード、飛鳥昭雄
・『日本を貶めた戦後重大事件の裏側』菅沼光弘:2013年
菅沼●たとえば、北朝鮮やイランの核開発の問題。オバマ大統領は核廃絶を訴えてノーベル平和賞を貰いましたが、もちろんこの発言には裏がある。冷静に考えれば、ロシアも中国も北朝鮮もどんどん開発をしていて、現実的に核廃絶なんてできるわけがないというか、単なる寝言です。
廃絶は寝言でも、不拡散と言って、アメリカがイランや北朝鮮の核開発に異常に神経質になるのは、イラン・北朝鮮が核を持つと、再び日本とドイツが核兵器を開発するという誘惑にかられることを心配しているからです。第二次世界大戦のトラウマがあるから、これはなんとしても阻止しないといけない。
【『日本最後のスパイからの遺言』菅沼光弘、須田慎一郎(扶桑社、2010年)以下同】
オバマ大統領が今日、広島を訪問した。原爆資料館を見学し、原爆慰霊碑に献花。アメリカの国家元首としては初めてのことである。ま、安倍首相に対するご褒美なのだろう。2014年のオバマ来日以降、安倍政権が行ってきたことといえば、特定秘密保護法の制定・施行と安全保障関連法案の改正(集団的自衛権の行使)である。
1959年に原爆資料館を訪れたチェ・ゲバラは言った。「きみたち日本人は、アメリカにこれほど残虐な目にあわされて、腹が立たないのか」と(『チェ・ゲバラ伝』三好徹)。米軍による原爆投下は人体実験だった(『洗脳支配 日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて』苫米地英人)。戦後、アメリカから広島・長崎に派遣された医療団は一切治療を行うことなくデータ収集に専念した。それは現在も尚続いているのである。
菅沼●北朝鮮の核ミサイルは、核大国である中国とロシアにとっても何の脅威でもありません。また、韓国の場合は、基本的に同胞だから核は撃ってこない。すると、本当に脅威なのは日本だけです。だから、「日本も核武装すべき」という議論が日本に出てくることがアメリカはショックなのです。
日本の技術力からすれば、あっという間に核大国になってしまう。もし、そうなったら、必ずやニューヨークとワシントンに報復攻撃をしてくる……。
須田●アメリカはそう思っているのでしょう。
菅沼●ヒロシマとナガサキの報復をされると確信しているのです。なぜなら、アメリカ人は目には目を、歯に歯を、というのが基本的な考え方であり、アメリカが日本に原爆を落としたのは神も許した正義なのです。
須田●日本は毎年毎年、ヒロシマ、ナガサキで大々的な慰霊集会を行なって、大日本帝国の英霊を祀る靖国神社に総理大臣が毎年参列するくらいだから、アメリカ人は「日本人は原爆投下を絶対に許していない」と思っています。
菅沼●「それは考えすぎだろう」と日本人は思うかもしれないが、そうではありません。アメリカ人は「絶対に許さない」と考えるのが自然というか、当たり前だと思っている。日本人のセンスとは、ちょっと違うわけです。
アメリカの歴史は「リメンバー」(忘れるな)というスローガンが端的に示している。「リメンバー・アラモ砦」でメキシコ戦争、「リメンバー・サムター砦」で南北戦争、「リメンバー・メイン号」でスペイン戦争、「リメンバー・ルキタニア号」で第一次世界大戦参戦、「リメンバー・パールハーバー」で第二次世界大戦参戦、そして「リメンバー・トンキン湾」でベトナム戦争、「リメンバー9.11」で対テロ・アフガン・イラク戦争へと突入してきた。
人間も国家も相手の中に自分の似姿を見出す。「やられたらやり返す」のがアメリカの流儀だ。日本を恐れるのは当然であった。だが当の日本は平和という病に冒されていた。しかもその平和を担保していたのは駐日米軍の存在であり、アメリカの核の傘であった。ブラック・ユーモアにしては黒すぎる。
菅沼●アメリカ人には、どうしても日本的なメンタリティーが理解できない。だから、日本人が怖くて仕方ないのです。それで、常に経済的にも技術的にも軍事的にも、独り立ちできないようにしてくるわけです。
アメリカが世界で行ってきたことはジョン・パーキンス著『エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ』、ナオミ・クライン著『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』やウィリアム・ブルム著『アメリカの国家犯罪全書』が詳細に渡って論じている。アメリカこそは世界最大のテロ国家である(『9.11 アメリカに報復する資格はない!』ノーム・チョムスキー)。
アメリカの疑心暗鬼は自らの悪逆非道から生まれる。世界の警察官は世界の犯罪者でもあった。
日本人はお人好しである。もちろん戦後教育が歴史から目を逸(そ)らさせてきた事実を見逃すことはできない。だが歴史に学んだところで今直ぐアメリカと手を切るわけにはいかない。そもそも自衛隊が単独で戦闘できる体制になっていないのだ。日本としては時間をかけてでもアジア諸国との信頼関係を培い、ロシアおよびインドとの関係を強化するしかない。
中国では民主化の動きが圧力となって、中国共産党は民主化を封じ込める形で日本との戦端を開くことだろう。恐らく2020年前後には動き出すに違いない。これがアメリカの方針であり、共和党政権になっても維持されることだろう。米軍は日本から撤収する可能性が高い。
2014-04-03
被爆を抱えた日常/『夕凪の街 桜の国』こうの史代
・被爆を抱えた日常
・『トランクの中の日本 米従軍カメラマンの非公式記録』ジョー・オダネル
・『チェ・ゲバラ伝』三好徹
・『洗脳支配 日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて』苫米地英人
・『日本最後のスパイからの遺言』菅沼光弘、須田慎一郎
・小倉に投下予定だった原爆
死体を平気でまたいで歩くようになっていた
時々踏んづけて灼けた皮膚がむけて滑った
地面が熱かった靴底が溶けてへばりついた
わたしは
腐ってないおばさんを冷静に選んで
下駄を盗んで履く人間になっていた。
【『夕凪の街 桜の国』こうの史代〈ふみよ〉(双葉社、2004年)】
昭和20年8月7日、広島。これは原爆が落とされた翌日の出来事である。その地獄絵図にどうしても私の想像が及ばない。私が知っている暴力は殴ったり蹴ったりするレベルのものだ。人間が人の形を維持したまま炭化したり、影しか残っていなかったりするのは一瞬の出来事である。そこに感情を喚起する余地はない。まったくない。化学反応のように始末あるいは処分されただけだ。それもボタンひとつで。
マンガ作品としてはそれほど評価できない。物語が寸断されており、出来損ないのモザイク画みたいになってしまっている。ただし描こうとしたテーマは素晴らしいと思う。被爆を抱えた日常はそこはかとなく死とあきらめ、倦怠感に包まれている。
広角で描かれた淡い景色が味わい深い。原爆ドームのカットを見るだけでも本書を読む価値がある。ラストにかけて絵は消え失せ、主人公の科白(せりふ)だけが続く。そこに強い憎悪は見られない。庶民の感覚からすれば「どうして?」という疑問は浮かんでも、この惨劇を遂行した人間の姿が浮かび上がってこないためだろう。人間の所業とは思い難い残酷を繰り返すのが人類の業(ごう)なのか。
アメリカは原爆投下に関して一度も謝罪をしていない。そのアメリカに安全を保障してもらうというのだから日米安保ほど不思議なものもあるまい。原爆を落とされた唯一の国が戦後、アメリカの核の傘の下に入るというのも理解しにくい。傘から核が振ってくる可能性はないと言い切れるのか?
2012-06-24
アメリカ人の良心を目覚めさせた原爆の惨禍/『トランクの中の日本 米従軍カメラマンの非公式記録』ジョー・オダネル
・アメリカ人の良心を目覚めさせた原爆の惨禍
・『夕凪の街 桜の国』こうの史代
・『チェ・ゲバラ伝』三好徹
・『洗脳支配 日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて』苫米地英人
・小倉に投下予定だった原爆
「何をどのように見るか」はその人の人生観に負う。「生の本質は反応である」という我が持論からすれば、正確には「何がどのように見えるか」となる。「見る」と「見える」には能動と受動の相違がある。知的な意志で視点を高めなければ「見る」ことはできない。
友人のブログで初めて「焼き場に立つ少年」の写真を見た。背中におぶった赤ん坊の首はがっくりと後ろに反(そ)っていた。少年は下唇を噛んで直立不動の姿勢を保っている。生と死が直線と斜線を描いて交錯する。少年を直線にせしめている力を思わずにはいられなかった。
悪しき教育、洗脳された思考などと安易に批判するのは簡単だ。そんな戯言(たわごと)は半世紀後に出したじゃんけんみたいなものだ。いかなる時代や社会であれ、人間の感情に大きな違いはない。少年の全身からにじみ出る無念の思いと悲しみが私を圧倒する。彼は独り、矛盾の断崖に立っているのだ。
焼き場に10歳くらいの少年がやってきた。小さな体はやせ細り、ぼろぼろの服を着てはだしだった。少年の背中には2歳にもならない幼い男の子がくくりつけられていた。その子はまるで眠っているようで見たところ体のどこにも火傷の跡は見当たらない。
少年は焼き場のふちまで進むとそこで立ち止まる。わき上がる熱風にも動じない。係員は背中の幼児を下ろし、足元の燃えさかる火の上に乗せた。まもなく、脂の焼ける音がジュウと私の耳にも届く。炎は勢いよく燃え上がり、立ちつくす少年の顔を赤く染めた。気落ちしたかのように背が丸くなった少年はまたすぐに背筋を伸ばす。私は彼から目をそらすことができなかった。少年は気を付けの姿勢で、じっと前を見つづけた。一度も焼かれる弟に目を落とすことはない。軍人も顔負けの見事な直立不動の姿勢で弟を見送ったのだ。
私はカメラのファインダーを通して、涙も出ないほどの悲しみに打ちひしがれた顔を見守った。私は彼の肩を抱いてやりたかった。しかし声をかけることもできないまま、ただもう一度シャッターを切った。急に彼は回れ右をすると、背筋をぴんと張り、まっすぐ前を見て歩み去った。一度もうしろを振り向かないまま。係員によると、少年の弟は夜の間に死んでしまったのだという。その日の夕方、家にもどってズボンをぬぐと、まるで妖気が立ち登るように、死臭があたりにただよった。今日一日見た人々のことを思うと胸が痛んだ。あの少年はどこへ行き、どうして生きていくのだろうか?
脚注※焼き場にて、長崎/この少年が死んでしまった弟をつれて焼き場にやってきたとき、私は初めて軍隊の影響がこんな幼い子供にまで及んでいることを知った。アメリカの少年はとてもこんなことはできないだろう。直立不動の姿勢で、何の感情も見せず、涙も流さなかった。そばに行ってなぐさめてやりたいと思ったが、それもできなかった。もし私がそうすれば、彼の苦痛と悲しみを必死でこらえている力をくずしてしまうだろう。私はなす術もなく、立ちつくしていた。
【『トランクの中の日本 米従軍カメラマンの非公式記録』ジョー・オダネル、ジェニファー・オルドリッチ:平岡豊子訳(小学館、1995年)以下同】
ジョー・オダネルは少年を見た。そこに白人特有の差別意識はひとかけらもなかった。「同じ人間として」被爆した長崎の大地に立っていた。オダネルは23歳の青年であった。反逆の世代であったがゆえに戦争の不毛さや政治の嘘を嗅(か)ぎとることができたのだろう。
爆心地が目の前に広がっていた。一瞬息が詰まった。地球に立っているとは信じられない。見渡すかぎり人々の営みの形跡はかき消され、瓦礫が地面をおおいつくしていた。私はたったひとりでここに立つ。まるで宇宙でたったひとりの生き残りであるかのように。徹底的に荒れ果てた地表には、鉄管や煉瓦が不気味な影を落としている。まわりの静けさが私を打ちのめした。
私は体を失った彫像を見つめる。口はからからに乾き、眼には涙がにじむ。やっとの思いでつぶやいた。「神様、私たちはなんてひどいことをしてしまったのでしょう」と。
トランクに封印していたのは単なる写真ではなかった。オダネルと日本人との間に通った交情であった。そしてオダネル自身も被爆していた。2007年に死去するまで、彼は50回もの手術を受けていた。痛みが情けをより深いものにしたことだろう。
写真を公開するまでの半世紀にわたる煩悶(はんもん)と懊悩(おうのう)に思いを馳せる。そして多分、我々は戦争の悲惨さに涙を流しながらも、再び正義を振りかざして、またぞろ戦争を繰り返すのだろう。愚か者よ、汝の名は人類なり。
オダネルの写真に反応してはいけない。強靭な知性と意志でオダネルの深い感情を汲み取る作業が求められる。
・米軍カメラマンが見た長崎
・ジョー・オダネルと日本人の交流
・The Phoenix Venture's photostream
・ジョー・オダネル(Joe O'Donnell)のこと
・ジョー・オダネルの十字架(爆心地の土・元安川の砂による) 大津定信さん 名古屋市、71歳
・米国が隠したヒロシマとナガサキ - Democracy Now!
2009-06-16
米軍による原爆投下は人体実験だった/『洗脳支配 日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて』苫米地英人
・『死生観を問いなおす』広井良典
・米軍による原爆投下は人体実験だった
・『精神の自由ということ 神なき時代の哲学』アンドレ・コント=スポンヴィル
・キリスト教を知るための書籍
またしてもベッチーである。これは傑作。最近の量産ぶりは玉石混淆だが、本書は一つの集大成ともいえる。それほど完成度が高い。各章の意図が明確で、薀蓄(うんちく)に傾きがちな悪癖が影を潜めている。装丁もグッド。
苫米地の胡散臭さは、天才にありがちな「ま、わかる奴だけわかればいいや」という手抜きに起因している。穿(うが)った見方をすれば、「トンデモ本と思わせておけば好都合」という魂胆さえ見え隠れしている。
例えば、スピリチュアル系の内容だと仏教の造詣が求められるし、本書であれば経済の仕組みに関する基礎知識が不可欠だ。私が読んできた限りでは、苫米地英人が単なる思いつきで、いい加減なことを書いた形跡はない。凄いことをさらりと書いておきながら、知を統合させる方向へリードしているように感ずる。
本書は初の経済モノ。資本主義経済という名のもとで、どのように大掛かりな洗脳が行われ、国民が目隠しをされているかを暴き出している。イントロは、原爆投下にまつわる洗脳だ――
原爆投下の理由について、新型爆弾である原爆を当初、米国の原爆を開発した科学者たちは、呉などの軍港の、それも沖合いに投下するという説明を受けていました。それを、当時の米国軍部は原爆の威力を測定する意味合いで、都市部に落とすことに変えました。人体実験を目的として日本に落としたと言えます。このことは、残された米軍の資料など、さまざまな証拠から明らかになっています。
ところが日本人の多くは、「第二次世界大戦を早く終らせるために、アメリカは日本に原爆を投下せざるをえなかった」と教育され、いまだにそう思い込んでいます。
実際、昭和20年の東京大空襲など、一連の空爆による日本全土焼き払い作戦のときから、米軍部は日本に戦争遂行能力がないことをはっきり知っていました。日本全土を焼き払うこと自体、すでに人体実験です。一般市民が無差別に死んでいくなかで、戦争の恐怖がどのように天皇を頂点にした国家を変えていくのか、研究していたのだと私は見ています。
そして、その次に原爆投下です。敗戦前の少なくとも半年の間、日本人は国ごと一部の米国人の実験用モルモットとして、やりたい放題に殺されたというのが歴史の事実です。
【『洗脳支配 日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて』苫米地英人(ビジネス社、2008年)】
私もそのように思い込んでいた。日本軍に侵略されたアジア諸国の国民から見れば、原爆投下は正当化されるのかも知れない。はたまた、ソ連軍の参戦によって米軍は終戦を早めることを余儀なくされた、と。
真珠湾攻撃の宣戦布告が遅れたとはいえ、アメリカ側は事前に知っていたという記録もある。とすれば、アメリカが第二次大戦後の世界における主導権を握るためにも、でかい花火を打ち上げる必要があったのだろう。
その結果、広島では14万人が、長崎では7万4000人が、東京は106回の爆撃を受け、3月10日だけで8万4000人が殺された。
・『見よぼくら一戔五厘の旗』花森安治
ここで重要なことは戦時中の日本がどのような状況であったのかということである。稀代の悪法である治安維持法や不敬罪によって、警察や憲兵が威張り散らしていたことは容易に想像がつく。夫や子供を戦地へ送り出した妻や母達は気丈に耐えるしかなかったことだろう。そこへコーンパイプをくわえたマッカーサーがやってきたのだ。チョコレートを持った米兵も。終戦(本当は敗戦)と同時に、灯火管制が布かれていた日本に電灯が煌々(こうこう)と灯(とも)った。
ってことはだよ、ひょっとしたら安堵に胸を撫で下ろした国民の方が多かったかも知れぬ。そして、そこにこそ洗脳の余地(=「情報の空白部分」)が形成されたのだろう。マッカーサーは日本に自由を与えた。そして、自由になった日本国民は知らぬ間にアメリカが誘導する方向へ歩を進めた。
原爆慰霊碑には「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」と記されている。過ちを犯したのはアメリカであったにもかかわらずだ。日本人は何でも水に流してチャラにするのだった。で、天皇の戦争責任もアメリカの原爆の責任も不問に付されるってわけだ。
大き過ぎる問題は国民の目に映らない。群盲象を撫でる状況となる。苫米地英人は一冊の書物に心血を注ぎ、象の姿を皆に見せようと試みたのである。ここには眼を開かせるだけの力が、確かにある。
・原爆投下、市民殺りくが目的
・原爆資料館を訪れたチェ・ゲバラ/『チェ・ゲバラ伝』三好徹
・マネーサプライ(マネーストック)とは/『洗脳支配 日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて』苫米地英人
・ラス・カサスの立ち位置/『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス
・被爆を抱えた日常/『夕凪の街 桜の国』こうの史代
・アメリカ人の良心を目覚めさせた原爆の惨禍/『トランクの中の日本 米従軍カメラマンの非公式記録』ジョー・オダネル
・天才戦略家の戦後/『石原莞爾 マッカーサーが一番恐れた日本人』早瀬利之
・ヒロシマとナガサキの報復を恐れるアメリカ/『日本最後のスパイからの遺言』菅沼光弘、須田慎一郎
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