2015-06-21
2014-12-12
カイラシュ・サティヤルティさん、ノーベル平和賞記念講演
20年前、ヒマラヤのふもとで会った少年は、「僕がおもちゃや本をもらえなくて、道具や銃を手にしなければならないのは、世界が貧しいから?」と尋ねました。スーダンでは、過激派に誘拐され、訓練で友達や家族を殺した少年が「僕のどこが悪いのか」と尋ねました。
12年前、コロンビアの路上では、身を売られ、レイプされ、身ごもった子供が、「私の子は夢を持てますか」と尋ねました。子供の夢を否定することほど大きな暴力はありません。
私の人生のたった一つの目的。それは、すべての子供に子供でいられる自由があること。成長する自由があること。寝食の自由、日の光を浴びる自由。笑う自由、遊ぶ自由。学ぶ自由。夢を見る自由があることです。
子供に夢を与えない寺院やモスク、教会を私は拒否します。世界の1週間分の軍事費だけで、すべての子供たちを学校に通わせられます。それなのに貧しい世界を私は拒否します。子供を守れない法律や憲法、判事や警察を拒否します。(部分)
【毎日新聞 2014年12月11日】
今日、私は自分の声をあげているわけではなく、6600万人の女の子の声を代弁しているのです。/マララ・ユサフザイさんノーベル賞受賞スピーチ全文「なぜ戦車をつくることは簡単で、学校を建てることは難しいのか」 http://t.co/4rA5nOGW0a
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 12月 11
・ノーベル平和賞受賞 マララさんが会見「新たな挑戦の始まり」
2012-12-22
2012-11-18
遊ぶ少年兵
アムネスティ・インターナショナルの広告である。映像や画像におけるリアリティの追求は時に逆効果を生みかねない。この広告の場合、少年兵が置かれた現実を生々しく伝えることで、情報の受け手は暴力に対して鈍感となり、更なる衝撃を待望するようになる。名の通った国際機関はすべて白人が創設したもので、ユダヤ資本がバックアップしている。その意味ではアムネスティすら信用に値する団体とは言い難い。
・少年兵は流れ作業のように手足を切り落とした/『ダイヤモンドより平和がほしい 子ども兵士・ムリアの告白』後藤健二
・少年兵は自分が殺した死体の上に座って食事をした/『戦場から生きのびて ぼくは少年兵士だった』イシメール・ベア
・『武装解除 紛争屋が見た世界』伊勢崎賢治
2012-10-05
2012-09-09
真っ黒な顔の微笑み
バングラデシュの首都ダッカで撮影された写真だ。バッテリーの解体処理で煤(すす)まみれとなっている。それでも尚、人間が笑えることに驚嘆した。嘘のない美しい表情だ。きっと嘘すら許されない苛酷な世界なのだろう。生きてゆくために、我が身の健康を阻害しながら働く人々がいる。それを強いるのは誰か? 巨悪は大きすぎて見えにくい。彼女たちの微笑みに癒され、そして私は怒り狂う。
・人生の逆境を跳ね返し、泣きながら全力疾走する乙女/『裸でも生きる 25歳女性起業家の号泣戦記』山口絵理子
2012-09-07
2012-08-22
2012-08-11
セヴァン・カリス=スズキ(12歳) 環境サミット1992
こちらもカナダ人の少女だ。セヴァン・カリス=スズキは当時12歳だった。堂々たる演説である。大人たちは皆、頭から冷や水をぶっかけられたような顔つきをしている。
・「腐敗した銀行制度」カナダ12歳の少女による講演
・マララさん 銃撃事件の波紋~国連スピーチ
2012-07-21
2012-03-18
ウガンダ反政府勢力の蛮行告発映画、「真実と違う」と地元民は猛反発
米児童権利団体が制作しインターネットで反響を呼んでいる、ウガンダの反政府勢力「神の抵抗軍(Lord's Resistance Army、LRA)」のジョゼフ・コニー(Joseph Kony)司令官の身柄拘束を訴える動画に、当のウガンダの人びとが猛反発している。ウガンダ国内各地でこの短編映画の上映会を計画していた青少年支援団体は15日、初回上映を見た人々が激怒したため、計画を中止したと発表した。
「Kony 2012」と題された約30分の短編映画は、米児童権利団体「インビジブル・チルドレン(Invisible Children、見えない子どもたち)」が制作したもの。前週公開されて以来、インターネットを中心に大きな反響を呼んでいる。ウガンダではネットへ接続できる人が少ないことから、地元の青少年支援団体「アフリカン・ユース・イニシアチブ・ネットワーク(African Youth Initiative Network、AYINET)」が上映会を計画した。
「描かれているのは過去の姿」「実情伝えていない」
ところが13日、同国北部(Lira)で行われた上映会では、映画が始まってすぐに人びとが怒り出し、投石を始めたため上映は中止に追い込まれた。会場に集まった数千人の観衆の多くは、LRAの兵士らに四肢を切断されるなど実際に被害を受けた人たちだった。
AYINETのビクター・オチェン(Victor Ochen)代表によると、集まった人びとは映画の内容について「無神経で、ウガンダ北部の過去の姿しか描いていない」と非難。「なぜ、アメリカの白人の子どもたちを映して、(ウガンダ北部の)地元の人びとが置かれた真の現状を伝えないのか」と口々に批判したという。
上映会計画の中止を発表したオチェン氏は、「どこへ行っても同じ反応だろうと判断した」と説明した。
LRAはウガンダ北部で政府軍と20年にわたって戦闘を続け、民間人の手足を切断したり、子どもを誘拐して兵士や性奴隷にしたとして悪名高い。LRAのコニー司令官は、北部のアチョリ人で構成された反政府組織の実権を1988年に握り、聖書に書かれた十戒に基づく政権樹立を掲げて中央政府に対する抵抗を開始した。
LRAは2006年にウガンダ北部から排除されたが、南スーダンなど周辺国で活動を続けている。国際刑事裁判所(International Criminal Court、ICC)は人道に対する罪などでコニー司令官に対する逮捕状を出しているが、身柄はまだ拘束できていない。
【AFP 2012-03-16】
・KONY 2012/ジョゼフ・コニー逮捕キャンペーン
・コニー 2012の正体~アフリカ侵略心理作戦
・The Kony 2012 論争
・KONY2012を支持する人々
2012-02-20
ウガンダの子供たちを襲う謎の奇病「うなずき病」、原因も治療法も不明
アフリカ中部ウガンダの小村トゥマング(Tumangu)でパトリックくん(14)は、真昼のうだるような暑さのなか裸の体を丸めて横たわり、自宅前で遊ぶ弟や妹たちを見上げようとして、できずにいた。1分ほどかけてようやく顔を上げた、そのとたん、パトリックくんの頭は前方へと崩れ落ちるように倒れ、やせ細った体はひきつけを起こした。
ウガンダ北部で今、3000人以上の子供たちが謎の奇病、通称「うなずき病」に苦しんでいる。トゥマングでは、ほぼ全家庭にうなずき病の患者がいる。
衰弱していく子供たち、なすすべなく諦める人々
地元の人々によればこの数年で数百人の子供がうなずき病で死んだ。だが、病気の原因も、治療法もまだ見つかっていない。分かっているのは、発症するのは子供のみで、繰り返す発作、発育不良、手足の衰え、精神障害、飢えなどによってひどく衰弱していく病気だということだけだ。
パトリックくんも2年前に兄弟の1人をうなずき病で失っている。母親のルジーナさんは、もう1人のわが子の命が失われていくのを見守ることしかできない。「看病のため、必ず誰かが家にいなければなりません。あの子は病気のせいで、1人では食べることも水を飲むこともできないのです。恐ろしい病気です」
首都カンパラ(Kampala)から450キロ北にあるトゥマングで医療活動に取り組むボランティアのジョー・オットー(Joe Otto)さん(54)によると、人口約780人のこの村で現在、うなずき病を患っているのは97人。数キロ離れた保健センターに医薬品が届いたと聞けば、オットーさんは自転車をこいで受け取りにいく。だが、そうして入手した薬も効果は一時的でしかない。「カルバマゼピンなどの抗てんかん薬を処方していますが、この病気はてんかんではありません」
村人たちはもはや恐れを通り越し、諦めの境地に至っているという。「今では、亡くなった人は治ったのと同じだ、ついに病の苦痛から解放され安らかな眠りについたのだから、と話しています」とオットーさんは教えてくれた。
全力の原因究明、いまだ効果なく
伝染病学者や環境問題の専門家、神経学者、毒物学者、精神科医――幅広い分野の専門家たちが2010年以降、うなずき病の治療法を求めてさまざまな試験に取り組んでいる。原因についても、河川盲目症を引き起こす寄生虫や栄養不良から、数十年に及んだ内戦の後遺症まで、関連し得るあらゆる可能性が調査されている。
しかし「残念ながら、これという寄与因子もリスク要因も、まだ特定できていません」と、カンパラで疾病予防対策に取り組む世界保健機関(WHO)のMiriam Nanyunjaさんは話す。研究を進めれば進めるほど、答えに近づくどころか、むしろ謎が深まるばかりだという。
隣接する南スーダンやタンザニアでも類似の病気が流行しているが、ウガンダのうなずき病と関連があるのかは分からない。うなずき病がまだ拡大していくのか、それとも既にピークを迎えたのか、また、なぜ特定のコミュニティー内だけで発生するのか、いずれも定かではない。
地元議員らの要請を受けて、ウガンダ政府も動き出した。保健省は前月、うなずき病の原因特定と拡大阻止に向けた緊急時対応計画を策定した。
だが、原因や治療法が見つかるまでは、医師にできることは症状を緩和することだけだ。そしてパトリックくんには、どのような対策も手遅れかもしれない。それでも母親のルジーナさんは言う。「お医者さんたちが、治療法を見つけてくれると願っています。病気にかかってしまった子供たちの多くに、もう未来はありません。それでも、より幼い子供たちを救ってほしいです」
【AFP 2012-02-20】
2012-02-06
ルワンダの子供たち 1994年
・ルワンダ大虐殺の爪痕
・強姦から生まれた子供たち/『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』写真、インタビュー=ジョナサン・トーゴヴニク
2012-02-05
強姦から生まれた子供たち/『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』写真、インタビュー=ジョナサン・トーゴヴニク
・『ホテル・ルワンダ』監督:テリー・ジョージ
・『生かされて。』イマキュレー・イリバギザ、スティーヴ・アーウィン
・『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ
・『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか PKO司令官の手記』ロメオ・ダレール
・強姦から生まれた子供たち
・『戦場から生きのびて ぼくは少年兵士だった』イシメール・ベア
・『それでも生きる子供たちへ』監督:メディ・カレフ、エミール・クストリッツァ、スパイク・リー、カティア・ルンド、ジョーダン・スコット&リドリー・スコット、ステファノ・ヴィネルッソ、ジョン・ウー
・『メンデ 奴隷にされた少女』メンデ・ナーゼル、ダミアン・ルイス
ちょっと油断をしていたら、もう品切れになってしまった。2010年刊だぞ。そりゃ、ねーだろーよ、赤々舎(あかあかしゃ)さんよ。版元になければ、是非とも図書館から借りて読んでもらいたい。特に女の子を持つお母さんは必読のこと。(※その後、増刷された)
ルワンダ大虐殺は私の人生を変えた。
当時は3ヶ月で100万人が殺害されたと報じられたが、現在は80万人という記述が多い。本書は母と子の写真集である。しかしながら普通の親子ではない。強姦された女性と強姦から生まれた子供だ。
ジョナサン・トーゴヴニクは声を掛けずにはいられなかったのだろう。静かにインタビューをすることで、彼女たちの苦悶(くもん)の声を拾い上げた。神に見捨てられた女性の叫びは、いかなる神の声よりも重い。決して解決し得ない不幸がルワンダのあちこちでとぐろを巻いている。トーゴヴニクは性的暴力から生まれた子供たちの中等教育を支援するために「ルワンダ財団」を立ち上げた。
私は奥歯を噛み締めることさえできなかった。ただ、わなわなと震えながら、血管という血管を駆け巡る怒りに翻弄された。もし許されるのであれば、どんな残虐なことでもやってのける自信はある。
ルワンダで殺人や性的暴力や傷害を犯したフツの民兵の多くは、コンゴ民主共和国や近隣諸国へ逃げた。彼らはいまもなお現地で大規模な暴力行為を繰り広げ、多くの少女や女性たちを暴行しているのである。驚くべきことに、世界はこの地域に対して何も新たな行動を起こそうとしていない。
【『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』写真、インタビュー=ジョナサン・トーゴヴニク:竹内万里子訳(赤々舎、2010年)以下同】
元々ルワンダの宗主国はベルギーであった。その後、フランスとイギリスが首を突っ込む。アフリカ諸国の殆どは英語圏とフランス語圏が入り乱れている。欧米諸国の複雑に絡んだ利権が暴力の温床となっている。兵器売買の流れを詳細に検討しなければ、アフリカの現状を知ることはできまい。
ルワンダの国立人口局は、強制的な妊娠によって生まれた子供の数を、2000人から5000人と推定している。しかし被害者団体の情報によれば、その数は実際1万人からおよそ2万5000人に及ぶという。ルワンダはきわめて父権制的な社会であるため、子供は父親の一族と見なされる。つまり、内戦時の性的暴力によって生まれた子供は、その地域に暮らす大半の人々にとっては敵側の存在として受け止められるのである。彼らはしばしば「悪しき記憶の子供」とか「憎しみの子供」と呼ばれ、母親や地域の人々から「小さな殺人者」と言われることもある。それゆえ、母親が性的暴力の事実を明らかにした途端、家族から拒絶され、地域社会から何の支援も得られなくなってしまう。そこには、ジェノサイドが人々の心に残した深い傷がある。大多数の女性は当時まだ少女だったので、公的にも私的にも性的暴力の事実を認めてしまえば、結婚という将来の希望は打ち砕かれてしまう。(マリー・コンソレ・ムカゲンド)
被害女性が今度は身内からの暴力にされされるのだ。ここに政治の本質が浮かび上がってくる。我々は常に「敵か味方か」を問わずにはいられない。敵の子を生んだ者は敵だ。たとえそれが強姦であったとしても。利益共同体は残酷さを発揮する。
ユニセフによれば、ジェノサイドの際に性的暴力を受けた女性の70パーセントはHIVに感染している。ヒューマン・ライツ・ウォッチは、ルワンダで性的暴力によって生まれた子供たちの大半は、15歳になるまでに母親をHIV/エイズで失うことになるだろうと予測している。エイズは、女性たちの最大の死因のひとつであり続けている。(マリー・コンソレ・ムカゲンド)
強姦された挙げ句に子供を生まされ、身内からは見放され、そしてHIVに感染する。この世界に神様なんていないことが証明されたといえよう。いるんだったら連れて来い。俺がぶん殴ってやるから。
私は正直でなければいけません。私は、この子を決して愛してはいません。この子の父親が私にした行為を思い出すたびに、それに対する唯一の復讐は、その息子を殺すことだと感じてきました。でも、私は決してそれを実行に移しませんでした。この子を好きになろうと努力してきましたが、それでもまた好きになれずにいます。(ジョゼット)
子供に罪はない。だがその子は罪から生まれた。これほどの矛盾があるだろうか? 愛せない子供を育てる彼女たちを思えば、イエスが背負った十字架なんぞ軽いものだ。
ページを繰るためには勇気を必要とする。そんな本だ。
ルワンダでジェノサイドが起こり、誰も経験したことのないような苦悩を私たちが経験したということを、あなたに世界へ伝えてほしいのです。ジェノサイドが残したものだけでも、それと共に生きてゆくのは非常に大変なことです。国際社会は私たちを助けなかったのですから、それを償うべきです。いまジェノサイドの後を生きている私たちを、助けにやって来るべきです。(ステラ)
これは、あなたや私に突きつけられた言葉だ。我々は同じ世界にいながら、彼女たちを無視してきたのだから。
私はいつも勝気だったので、その男は他の民兵たちに、私の身長を低くするように命じました。そこで民兵たちは私の脚を棍棒で殴りました。脚を切り落とすのではなく、粉々になるまで打ち砕いたのです。(バーナデット)
(※本書とは別の写真でウガンダの女性、Heather McClintock撮影)
せめて男たちを同じ目に遭わせるべきだ。それをしておかなければモラルが成立しない。彼らには凌遅刑(りょうちけい)か石打ち刑が相応(ふさわ)しい。
息子の未来について考えるたびに、私は何の確信ももてなくなります。それが一番の問題です。私がペンを買ってやれないので、一学期じゅう家にいることもあります。私をひどく苦しめるものがあるとすれば、それは息子の明日です。(バーナデット)
嗚呼――言葉が出てこない。底知れぬ闇の如き沈黙に沈むのみ。
いまでも、人々がセックスを楽しむと聞いても、セックスを楽しむということがどういう意味なのかわからないのです。私にとってセックスは拷問であり、苦しみと結びついています。(バレリー)
暴力はここまで人間を破壊し得るのだ。
私は家族というものに興味はありません。愛というものにも興味はありません。私の身に訪れるのは不意打ちであり、あらかじめ計画されたものではないのです。私には自分の将来が見えません。私はときどき、家族をもつ人たちと自分を比べます。そしてジェノサイドで死ななかったことを後悔します。ジェノサイドはなぜ私の命を奪わなかったのだろうかと。(イザベル)
生きること自体が彼女にとっては業苦であった。ジェノサイドで死ななかったことを後悔します、ジェノサイドで死ななかったことを後悔します、ジェノサイドで死ななかったことを後悔します……。
彼は大勢の男たちを連れて来て、私が脚を閉じることができなくなるまで次々と暴行させました。(ウィニー)
その場を想像してみよ。
私は、自分の子供たち全員が見ているところで暴行されました。最初の5人までは覚えています。その後、私はわけがわからなくなりました。私が意識を失った後もなお、彼らは私を暴行し続けました。正直に言えば、あのとき、あの教会にいた女性は、全員暴行されました。(オリビア)
更に想像を巡らせよ。
結局、私の心が、長男を連れて行けと命じたので、その子を抱えて教会のドアへ向かって走りました。たくさんの人たちが走っていたので、私は転んでしまいました。息子をかばおうと、その子に覆いかぶさりました。人々は次々と倒れ、4段ほどに重なりました。民兵たちはその一番上から人々を切り刻んでゆきました。1段目、2段目、そして3段目となりました。自分は次だ、とわかりました。
民兵たちが人々を殺していくにつれて、血が滴り落ちてきました。正直に告白しますが、私の口に血が落ちてきたとき、とても喉が渇いていたので、私はそれを飲みました。塩と血の混じったような味でした。そしてついに私の段に到達すると、民兵たちは言いました。「こいつはすでに死んでいると思う」。(オリビア)
小説家が想像力を駆使しても、これほどの地獄は描けないことだろう。多くの死が彼女を救った。
ジェノサイドが始まったとき、私は婚約していました。私の婚約者は、最初の3日間で殺された大勢のうちのひとりでした。私は、鉈(なた)で殺された彼の死体を見ました。その後、私は愛していないたくさんの男たちに暴行されました。その結果が、この子供たちです。私はもう二度と恋に落ちません。決してセックスを楽しみません。自分が母親であることや、子供をもつことに喜びを覚えることも決してありません。私はただ、それを引き受けたのです。(ブリジット)
最後の一言があまりにも重い。苦しみ悶える彼女たちに「新しい物語」を吹き込む宗教は存在するのだろうか? それとも物語性から離れるべきなのだろうか? 人生に意味を求める思考回路が不幸を拭えぬものとしている。
それは理解を超えているのです。動物でさえ、あの民兵たちのように振る舞うことはできないでしょう。(アネット)
鬼畜と化した男どもは間違いなく動物以下の生き物であった。彼らが生きることを赦(ゆる)してはなるまい。
娘は生き延びました。後になって、この子が私を暴行した民兵の子供であることを知ると、夫は娘の世話は決してできないと言いました。そして私たちがよい関係であり続けるために、この子を殺そうと言い出しました。私にはとても受け入れられませんでした。あるとき、彼は地面に赤ん坊が横たわっているのを見つけて、その上に自転車で乗りました。幸い、この子は生き延びました。またあるときには、夜酔っ払って帰って来た夫が、赤ん坊を壁に叩きつけました。娘の鼻から血がにじみ出ました。そのとき、私は娘の命を救うためにあと一歩で家出をするところでした。(ベアタ)
二重三重の悲劇。被害者は何度も犠牲を強いられる。その運命に抗しようとすれば、プーラン・デヴィになるしかない。
・両親の目の前で強姦される少女/『女盗賊プーラン』プーラン・デヴィ
男たちは10人以上いて、私を暴行しました。ひとりがやって来て、その男が去るとまた別の男がやって来て、そして去っていきました。いったい何人だったのか、数えられません。ある男に暴行された後、私は喉が渇いているので水をもらえないかと頼みました。男はうなずき、一杯のグラスを持って来ました。口にすると、それが血だと気づきました。その男は言いました。「おまえの兄弟の血を飲んで、行け」。それが最後でした。(マリー)
以下のブログでは「弟の血」となっている。
・KazaLogue "写真のかざろぐ"
(※本書とは別の写真)
中にはこのような女性も存在した。
そして自分にこう言い聞かせたのです。「この子を殺せない。愛そう」(イベット)
生きることとは愛することであった。
私たちを無視した世界には、あの悪事を働いた者たちを法の下で裁くのを助けてほしいと思います。(キャサリン)
真っ当な要求だ。しかし世界はいまだに代価を支払おうとしていない。相変わらず無視したままだ。
出産から2年間、私には自分と子供を養うすべがありませんでした。そこで売春をしたのですが、ひどいことにまた妊娠して子供を産みました。今度は性的暴力の結果ではなく、子供を育てるために行なった売春の結果として。(キャサリン)
売春をしなければ生きてゆけない世界。これが我々の生きる世界なのだ。怒り、ではなく狂気が私の内側で吹き荒れる。
「ここでこいつを殺すな。俺が必ず苦痛で死なせてみせる」。男はコップを持って来て、そこに放尿すると、私に飲ませました。翌日食べるものを持って来ましたが、そこには石と尿が混ぜられていました。そういうことを、男は何日間にもわたって続けました。「おまえは俺のトイレだ」と言い、放尿したいときはには私の脚を開いて、私の性器にしました。コンゴの難民キャンプへ行ってからも、男は私を離さず、したいときにはいつでも拷問や暴行を繰り返したのです。(アリン)
願わくは私に男を処刑する権限を与えて欲しい。
私はHIVと、この息子を負っています。しかし正直に言うなら、HIVは息子の人生ほど私を悩ませはしません。息子は私の人生そのものですから。あるとき、私は医療カードを受け取りに政府のジェノサイド生存者基金へ行きました。そこで息子の分のカードも尋ねると、私はこう言われてほとんど殺されかけました。「民兵の息子が政府のお金をもらうだなんて、いったいどうやったらそんなことが言えるんだ?」しかし私にとっては、息子は他の子供と同じ子供なのです――この子はどこに属しているのでしょうか?(エスペランス)
家族の次は政府からも見放される。「死ね」と言われたに等しい。
ジェノサイドについて語ろうとしても、十分な言葉が見つからないのです。(ウェラ)
正真正銘の不幸は言葉にできない。それは「表現されること」を望まない。説明不可能な「状態」なのだ。
司祭が私に、司祭長の家に隠れるようにと言いました。私がそうすると、司祭は自分の友人を呼び、「ツチの少女を楽しむ」機会だと言いました。こうして彼らは私を暴行しました。2人は司祭長の家で、それぞれ3回私を暴行しました。(クレア)
聖職者という名のクズどもだ。キリスト教は人間を抑圧するゆえ、タガが外れると欲望まみれとなる。世界史の中で最も残虐ぶりを発揮してきたのがクリスチャンであることは間違いない。それは今も進行中だ。
今日、私は大きな問題を抱えています。私は母親ですが、母親でありたくないのです。私はこの子を愛していません。この子を見るたびに、暴行の記憶がよみがえります。この子を見るたびに、あの男たちが私の両脚を広げるイメージが浮かびます。娘が無実だということはわかっていますし、娘を愛そうとしました。でも、できませんでした。普通の母親が子供を愛するようには、私には娘を愛せないのです。(中略)ときどき、自分はなぜ中絶しなかったのだろうかと後悔します。(フィロメナ)
暴力から生まれた子供たちは愛されることなく育てられ、再び暴力の渦へと引き寄せられるのだろうか?
最初の6年間、私は男性に近づくことすら耐えられませんでした。人々に通りすがりに、「ほら、あの娘をごらん。暴行されたんだよ」などと言われると、私の心はずたずたに傷つけられます。自分に何の価値もないような気持ちになります。だからそのことは考えないようにしてきました。人々は私たちを、民兵の性欲の食べ残しなのだと言います。そのことを考えるたびに、私は自己嫌悪に陥ります。それについては話したくありません。(デルフィン)
噂話というセカンドレイプ。結局、フツ族もツチ族も一緒なのだろう。人間ってのは、下劣な生き物なのだ。さっさと滅んでしまった方がいいのかもしれない。
「マミー、どの子にもお父さんがいるよ。なぜ私にはお父さんがいないの?」(シャンタルの娘ルーシー)
読んでいて途中で気づかされるのだが、子供たちの瞳に撮影者のジョナサン・トーゴヴニクが映っている。だが実は彼ではない。それは「私」なのだ。通り一遍の同情を寄せるだけで、実際は何もしない私の姿が立ち現れる。彼らの目に映る世界を構成しているのは私である。その事実に打ちひしがれる。だが、絶対に暴行した男たちを私が許すことはない。
私は君たちと共に生きよう。
・「写真の学校」第二回 写真から人を考える~『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』/竹内万里子&カンベンガ・マリールイズ
・ジョナサン・トーゴヴニク公式サイト(英語)
・リレーエッセイ『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』に寄せて
・紛争が生んだ母子の肖像 写真展「ルワンダ ジェノサイドから生まれて」
・ジョナサン・トーゴヴニク写真展「ルワンダ ジェノサイドから生まれて」
・ルワンダの子供たち 1994年
・ルワンダ大虐殺の爪痕
・レイプという戦争兵器「絶対に許すな」ムクウェジ医師、DRコンゴ
・1日に1100人以上の女性がレイプされる国 コンゴ
・少女監禁事件に思う/『父、坂井三郎 「大空のサムライ」が娘に遺した生き方』坂井スマート道子
2011-11-18
2011-10-06
石を投げ、逮捕されるパレスチナの少年たち
家族を殺され、住んでいる家を破壊され、パレスチナ人は石を持って戦った。イスラエル軍は容赦なく逮捕し、銃殺し、戦車で轢(ひ)き殺す。下から2枚目の写真をよく見ると、少年は恐怖のあまり失禁している。子供たちの憎悪と怒りを和(やわ)らげる手立ては何ひとつない。
・イスラエル:軍が投石の未成年者835人を拘束 6年間で
2011-10-04
ありふれたパレスチナの日常
2011-09-29
パレスチナの子供たち
パレスチナに生まれたというだけで、子供たちがこんな目に遭わされている。ユダヤ教は邪教としか考えられない。イスラエルはヒトラー以上の悪党だ。
・虫けらみたいに殺されるパレスチナの人々/『「パレスチナが見たい」』森沢典子
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