2014-05-30

何も残らない/『ブッダの教え一日一話 今を生きる366の智慧』アルボムッレ・スマナサーラ



『怒らないこと 役立つ初期仏教法話1』アルボムッレ・スマナサーラ
『怒らないこと2 役立つ初期仏教法話11』アルボムッレ・スマナサーラ
『心は病気 役立つ初期仏教法話 2』アルボムッレ・スマナサーラ

 ・何も残らない
 ・生きるとは単純なこと

1月22日 何も残らない

 人類の文明そのものが、「私は死なない」というウソを前提にしてできています。
「死なない」という思いから、名誉や財産を自分のものにしようとします。他国を征服した指導者は、自分の銅像を建てたりして、永遠に自分が存在し続ける気持ちになるのです。しかし、栄華を極めたローマ帝国と同じで、何ひとつ残りません。
 名誉や財産をたくさんもっていても、みじめに死んでしまう。最期は墓場です。
 事実を認めて、「みんな死ぬ」という前提で生きれば、日々美しく平和に暮らそうということになります。

【『ブッダの教え一日一話 今を生きる366の智慧』アルボムッレ・スマナサーラ(PHPハンドブック、2008年)】

 仏教には南伝と北伝がある。日本に伝わったのは北伝ルートで大乗を標榜する(大衆部〈だいしゅぶ〉)。これに対して南伝ルートでスリランカ・タイ・ミャンマーなどの出家教団に受け継がれたパーリ語経典の教えをテーラワーダ仏教(上座部〈じょうざぶ〉)と呼ぶ。

 日本などいわゆる大乗仏教の諸国では、お釈迦様の初期経典に説かれたヴィパッサナーなどの実践方法が伝わってきませんでした。そのために思弁哲学の学問仏教、あるいは現世利益信仰や儀式儀礼の呪術的宗教になってしまった面もあります。テーラワーダ仏教はいわゆる「小乗」とも「大乗」とも無縁です。ただお釈迦様の説かれた教えとその実践方法の一つ一つを、当時のまま、今日まで伝えてきた純粋な体系なのです。

テーラワーダ仏教とは?:日本テーラワーダ仏教協会

 スマナサーラ長老の言葉は平易である。理屈をこね回すような姿勢がどこにもない。大衆部の教義が絢爛(けんらん)を目指して複雑化したのに対して、上座部は初期経典に忠実であることに努め、極めてシンプルな教えだ。日本の仏教界に必要なのは初期経典に照らして大衆部の政治的欺瞞を取り除くことであろう。

 キリスト教には永遠という概念がある。スケールは異なるが日本では「名を残す」という考え方が根強い。「最期は墓場です」とあるが、墓そのものが死後にも名を残そうと企てる人間の哀しい所業だ。我々は誰かに思い出される存在であることを望み、より多くの人々に死を悲しんでもらいたがる。自分はいないのに。

 文明の発達は個々人の欲望を掻き立て、人間の細断化を促した。そして私は死んでも私の所有物は残る。文字の発明によって生前の経験や思考をも記録として残せるようになった。今では音声や映像まで残せる。アメリカの非営利団体アルコー延命財団では遺体の冷凍保存を行っている。子孫を残すのも自分の分身と考えればわかりやすい。文明は不老不死を目指す。死んだ人々を置き去りにしながら。

 多くの人々が望む地位・名誉・財産も一緒であろう。極めるとピラミッドや古墳に落ち着きそうだ。

 スマナサーラは我が身を飾る一切のものを「かぶり物」だと本書で指摘している。何ということか。我々の人生そのものがコスプレと化していたのだ。大事なのは何をやったかよりも、勲章であり賞状でありメダルなのだ。功成り名を遂げて周囲の連中を睥睨(へいげい)しながら黒い満足感に浸っている中で死を見失ってゆく。彼の幸福とおもちゃやお菓子を与えられた子供の幸福に違いはあるだろうか?

 100年後を思え。今生きている人の99%は死んでいることだろう。そう考えると道で擦れ違う見知らぬ人にも親切な気持ちが湧いてくる。争っている時間などないはずだ。

ブッダの教え 一日一話 (PHPハンドブック)

2014-05-29

八正道と止観/『パーリ仏典にブッダの禅定を学ぶ 『大念処経』を読む』片山一良


 仏教の実践は梵行(ぼんぎょう)と呼ばれます。それは清浄(しょうじょう)な行であり、「三学」(さんがく)をその内容としております。三学とは戒・定・慧(かい・じょう・え)の学び、実践です。仏道の根本である「八正道」(はっしょうどう)にほかなりません。すなわち正見(しょうけん)・正思(しょうじ)・正語(しょうご)・正業(しょうごう)・正命(しょうみょう)・正精進(しょうしょうじん)・正念(しょうねん)・正定(しょうじょう)という中正の道、一語で言えば「中道」です。「戒」は正語・正業・正命の道に、「定」は正精進・正念・正定の道に、「慧」は正見・正思の道に相当します。
 仏教には、このような三学、八正道という生活全体にかかわる重要な実践があり、その八正道を含む三十七菩提分法(さんじゅうしちぼだいぶんぽう)という法、実践の体系もあります。そしてまた、坐を中心とした「止観」(しかん)と呼ばれる瞑想の修習(しゅじゅう)、実践があります。
 止観とは、すなわち止の修習と観の修習です。「止」(śamatha サマタ)は、諸煩悩を寂止(じゃくし)させる心の修習、またはその静まりをいいます。「定」の因であり、心が一点に集中する心一境性(しんいっきょうしょう)を本質とします。それに対して「観」(vipaśyanā ヴィパッサナー)は、三界(さんがい)における身心(しんじん)の相(無常〈むじょう〉・苦〈く〉・無我〈むが〉)を観察し、道(どう)・果(か)・涅槃にいたる智慧の修習、またはその智慧をいいます。苦の生滅を知る智慧、「慧」の因であり、知る慧を本質とします。たとえば、釈尊はつぎのように説いておられます。

「あらゆる行は無常なり、と 智慧をもって観るときに
 かれは苦を厭(いと)い離れる これ清浄(しょうじょう)にいたる道なり」(『法句』277)
「あらゆる行は苦なり、と 智慧をもって観るときに
 かれは苦を厭い離れる これ清浄にいたる道なり」(『法句』278)
「あらゆる法は無我なり、と 智慧をもって観るときに
 かれは苦を厭い離れる これ清浄にいたる道なり」(『法句』279)

と。

 これは「観」という「清浄にいたる道」を示されたものです。智慧によって諸行(しょぎょう)の無常、苦を見るとき、また諸法の無我を見るとき、苦を離れる。苦は苦でなくなる。生死(しょうじ)という輪廻の苦は、すなわち輪転の苦のない涅槃である、と言われたものです。苦は苦であり、苦でない、というのです。
 この観は『大念処経』に説かれる最上の実践であり、智慧でもあります。

【『パーリ仏典にブッダの禅定を学ぶ 『大念処経』を読む』片山一良〈かたやま・いちろう〉(大法輪閣、2012年)】

 文章に臭みがあり、いかにも坊さんっぽい。片山は駒澤大学教授で精力的にパーリ語仏典を翻訳している人物だ。

「智慧をもって観る」とはクリシュナムルティが説く「ありのままに見る」行為でもある。「観察者は、同時に観察されるものだ。そこに正気があり全体があり、神聖なものとともに、愛がある」(『クリシュナムルティの日記』J・クリシュナムルティ)。

瞑想とは何か/『クリシュナムルティの瞑想録 自由への飛翔』J・クリシュナムルティ
瞑想は偉大な芸術/『瞑想』J・クリシュナムルティ
現代人は木を見つめることができない/『瞑想と自然』J・クリシュナムルティ
クリシュナムルティの悟りと諸法実相/『クリシュナムルティの神秘体験』J・クリシュナムルティ

 片山は曹洞宗(そうとうしゅう)寺院の住職を務めているようだ。悪臭の原因がわかった。パーリ語経典の禅宗的解釈によるものだ。つまりブッダの言葉を利用する根性がどこかにある。宗教の「宗」の字は中心・根本の意である。片山は根本がズレている。

パーリ仏典にブッダの禅定を学ぶ―『大念処経』を読む
片山 一良
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止観/『自由とは何か』J・クリシュナムルティ

石原結實、アルボムッレ・スマナサーラ、ステイシー・オブライエン、ガイ・ドイッチャー、他


 5冊挫折、2冊読了。

言語が違えば、世界も違って見えるわけ』ガイ・ドイッチャー:椋田直子〈むくだ・なおこ〉訳(インターシフト、2012年)/発売は合同出版。久し振りに社名を見て嬉しくなった。言語が知覚に及ぼす影響を探った書籍。思考ではなく知覚というのがミソ。読書に関しては堪え性がなくなっているため、巻頭で要旨を簡潔に書いてくれないと読む気が失せる。思わせぶりな文章であやふやな行き先を示されても困る、というのが本音だ。興味がある分野だけに残念。

暗号解読(上)』サイモン・シン:青木薫訳(新潮社、2001年/新潮文庫、2007年)/サイモン・シンは文章に締まりがない。圧縮度が低い分だけ抽象度も薄まっているように感じる。『インフォメーション 情報技術の人類史』(ジェイムズ・グリック)と両方読んだ人の声が聞きたい。

新訳 フランス革命の省察 「保守主義の父」かく語りき』エドマンド・バーク:佐藤健志〈さとう・けんじ〉訳(PHP研究所、2011年)/パス。

僕たちは戦後史を知らない 日本の「敗戦」は4回繰り返された』佐藤健志〈さとう・けんじ〉(祥伝社、2013年)/最初の方だけ読む。ゴジラのダンスを見てから、悪臭のようにこのイメージがつきまとう。好き嫌いというレベルを超えて人間不信に陥りそうだ。

フクロウからのプロポーズ』ステイシー・オブライエン:野の水生〈のの・みお〉訳(日経ナショナルジオグラフィック社、2011年)/学者が書いたエッセイ。完全なエッセイだ。個人的な内容が多くて辟易。本の作りも最悪だ。

 34冊目『ブッダの教え 一日一話』アルボムッレ・スマナサーラ(PHPハンドブック、2008年)/新書サイズで上下2段組。1日分は半ページとなっている。初期経典の教えが簡潔に書かれている。この簡潔さが難しいのだ。スマナサーラ入門にうってつけの一冊。トイレにおいておくのがよいと思う。必読書の『怒らないこと』と入れ替えるかどうか思案中。

 35冊目『「食べない」健康法 』石原結實〈いしはら・ゆうみ〉(東洋経済新報社、2008年/PHP文庫、2012年)/これは凄い。必読書入り。石原は「40歳を過ぎたら一日一食で十分」と説く。病気になる最大の原因は食べ過ぎにある。具体的にはこうだ。朝:にんじん&りんごジュース、昼:そば、夜:自由。生姜紅茶というのもいいらしい。糖尿病などの慢性疾患、冷え性、癌などにも効果があるそうだ。親不孝者の私が母のために買ってあげたくらい素晴らしい内容だ。早速、今日から一日一食を実践する。

2014-05-27

紛争下における性暴力 - 法と正義の勝利(ICTYドキュメンタリー)

日本はASEAN諸国と手を結んで中国を封じ込めるべきだ/『緊迫シミュレーション 日中もし戦わば』マイケル・グリーン、張宇燕、春原剛、富坂聰


 一方で、冒頭に記した近未来シミュレーションが決して空想の世界の出来事ではなく、この瞬間にも実際の世界で起こるかもしれないことを我々は忘れてはならない。
 たとえば、2011年の上半期(4月から9月まで)の間、領空侵犯の恐れがある外国機に対して、航空自衛隊が緊急発進(スクランブル)した回数は合計203回となり、そのうち対中国機へのものが昨年同期比で3.5倍の83回に急増している。防衛省統合幕僚監部によると、いずれのケースも領空侵犯の事態にまでは至っていないが、中国軍の情報収集機が沖縄県・尖閣諸島の北100キロ圏にまで接近する例は相次いでいるという。

【『緊迫シミュレーション 日中もし戦わば』マイケル・グリーン、張宇燕〈チョウ・ウェン〉、春原剛〈すのはら・つよし〉、富坂聰〈とみさか・さとし〉(文春新書、2011年)】

 現在、南シナ海では中国船がベトナムの漁船に体当たりを繰り返している。今日のニュースでは40隻の中国船に囲まれたベトナム漁船がついに沈没するに至った。


(1分ちょうどあたり)


 日本はASEAN諸国と手を結んで中国を封じ込めるべきだ。中国がこのまま図に乗ると手をつけられなくなることだろう。ゆくゆくは日本の核保有も視野に入れておくべきだ。外交戦略としては秘密裏にウイグルやチベット、更に台湾へも援助の手を差し伸べるべきだと考える。そして一日も早くロシアと友好条約を結ぶ。取り敢えず北方領土は二島変換で構わない。

 更にもう一つ。異論も多いと思われるが北朝鮮と国交を結ぶことが望ましい。もちろん拉致被害の全容解明が前提条件となる。北朝鮮人は「中国人より数倍も手先が器用で、おそらく労働賃金が世界一安くとも必死で働く」(『無法バブルマネー終わりの始まり 「金融大転換」時代を生き抜く実践経済学』松藤民輔)。で、日本企業の工場は全部中国から北朝鮮に引っ越せばよい。

日中もし戦わば (文春新書)

祖国への誇りを失った日本/『日本人の誇り』藤原正彦

2014-05-26

上座部を体系化したブッダゴーサ/『上座部仏教の思想形成 ブッダからブッダゴーサへ』馬場紀寿


『原始仏典』中村元

 ・上座部を体系化したブッダゴーサ

『初期仏教 ブッダの思想をたどる』馬場紀寿

 上座部仏教では、「ブッダの言葉」として認められた三蔵が〈正典〉とされ、パーリ語が〈正典の言葉〉である。パーリ語は、サンスクリット語と同様、インド=ヨーロッパ語族に分類される古代インド語の一つだが、上座部仏教の拡大にしたがって、スリランカと東南アジアに伝えられ、正典の言葉として当該地域に多大な影響を与えた。

【『上座部仏教の思想形成 ブッダからブッダゴーサへ』馬場紀寿〈ばば・のりひさ〉(春秋社、2008年)以下同】

 馬場紀寿の博士論文を改稿したもの。気魄がこもっている。ただし読みにくい。相応の知識も必要だ。小乗というネーミングは大乗側がつけた貶称(へんしょう)で上座部とするのが正しい。大乗は大衆部(だいしゅぶ)という。ブッダが死去して100年後に仏教教団は二つに分かれた。これを根本分裂と称する。

 上座部仏教が他の仏教とは異なる固有の性格を帯びて、その〈原型〉を形成したのは、5世紀前半の上座部大寺派においてなのである。

 大寺はスリランカの僧院でマハーヴィハーラともいう。スリランカ上座部の総本山と考えてよかろう。

 因みに龍樹が2世紀に、無著が4世紀に登場する。

 大寺では、紀元前後から三蔵に対する註釈が作成されるなど、思想活動が続けられていたと考えられるが、5世紀初頭にブッダゴーサという学僧が登場し、これらの古資料を踏まえて、上座部大寺派の教学を体系化した。現存資料を見る限り、「上座部」や「大寺」の伝統を掲げて作品を著し、思想を体系化したのは、ブッダゴーサが初めてであって、彼以前に遡ることはできない。

 私はブッダゴーサ(仏音〈ぶっとん〉、覚音)の名を本書で初めて知った。「5世紀初頭」というタイミングを見れば、初期大乗経典への対抗意識があったと考えてよさそうだ。

初期大乗
初期大乗仏教 (広済寺ホームページ)

 根本分裂が「大衆部離脱」であったとすれば、上座部は律に傾きすぎていたことだろう。そしてその流れは5世紀にまで及んだに違いない。しかもちょうどインドで仏教が弾圧された時期と重なっている。インド仏教は13世紀に滅ぶ。

 上座部大寺派の成仏伝承は、経典では主に四諦型三明説だったが、遅くとも5世紀初頭までには縁起型三明説に変化した(本篇第一章)。インドにおける諸部派の成仏伝承にも同様の変化が確認できた。経典や律蔵では四諦型三明説だったが、独立した仏伝作品では三明説に縁起を組み込み、縁起型三明説が成立している(本篇第二章)。縁起型三明説は上座部大寺派に固有の伝承なのではなく、部派を超えて、南アジアに広く流布した成仏伝承なのである。
 縁起型三明説の成立は、遅くとも、上座部大寺派では5世紀初頭なのに対し、北伝の仏伝作品では2世紀である。下限年代から見る限り、縁起型三明説の形成は、上座部大寺派よりも他部派がはるかに古い。おそらく、上座部大寺派は縁起型三明説をインド本土から導入したと考えられる。

三明知の持つ意味と四聖諦
「三明説の伝承史的研究 部派仏教における仏伝の変容と修行論の成立」馬場紀寿
ブッダゴーサについて 『上座部仏教の思想形成』を読んで:曽我逸郎

 曽我逸郎さんが既に書いていたとはね。詳細については曽我サイトに譲る(笑)。書く気が失せた。

 ひとつお詫びをしておこう。ずっと勘違いしていたのだが、ここに書かれているのは大寺派の教学体系化における時系列が四諦型から縁起型になったというだけで仏教史の時系列を意味したものではない。

「永遠不滅の存在(無為法)に対してあれだけ正しく警戒することのできたブッダゴーサが、縁起については輪廻転生と直結した形で解釈していたことは、私にとって困惑することである」(曽我逸郎)。三明に関する疑問は私も同感だ。ヒントが一つある。

 インドの社会では宗教に励む人が精神的な修行をして、認識の範囲をものすごく広げてみたのです。(中略)そういう人々が初めて、死後の世界、というよりは過去の世界について語り始めた。それはほとんど自分自身の過去のことなのです。「自分は過去世でこんなふうに生きていました」と。そこで過去世があるのだから、推測によって未来世もあるだろうと言い出したのです。

【『死後はどうなるの?』アルボムッレ・スマナサーラ(角川文庫、2012年)】

 始めに過去世ありき、というわけだ。これは輪廻転生を説いたヒンドゥー教の影響だろう。過去世と認識された情報は現在の脳に収まっている。そして記憶は当てにならない。つまりこうしたインド文化に受け入れられやすい形でブッダの悟りを展開したのだろう。仮にブッダ本人が説いたとしても、相手が過去世を信じる人々であれば過去世というアンカーを利用したとしても別におかしな話ではない。

 仏の別名の一つに善逝(ぜんぜい)とある。「善く逝く」とは輪廻からの解脱を意味する言葉で、二度と生まれ変わらないことである。数学的視点に立って時系列を逆転させれば、過去世がないことは明らかだ。過去世や来世があろうがなかろうが、そもそもブッダの教えは「現在を生きよ」という一点に尽きる。

2014-05-25

検察庁と国税庁という二大権力/『徴税権力 国税庁の研究』落合博実


「国税は“経済警察”だ。大蔵省から分離すべきだ」
 金丸事件の忌まわしい記憶から、自民党の政治家は国税を恐れた。自民党からの圧力を弱めるため、新聞を味方につけようと思ったのだろう。大蔵省幹部の一人はわざわざ私を食事に誘い、4時間にわたって分離反対論をぶったあと、こう叫んだ。
「国税庁を切り離せというのは金丸事件の意趣返しなんだ」
 同じ年、事件当時、国税庁次長だった瀧川(哲男)は鈴木宗男から忘れられない一言を浴びせられている。瀧川は国税庁を退任後、沖縄開発庁振興局長に転出していたが、その後、事務次官在任中に鈴木宗男が長官として乗り込んできた。経世会に入り、次第に政治力を増していた鈴木から瀧川はこう声をかけられたという。
「カネさん(金丸)をやったのはお前だろう」
 鈴木は金丸子飼いの政治家の一人だった。

【『徴税権力 国税庁の研究』落合博実(文藝春秋、2006年/文春文庫、2009年)】

乱脈経理 創価学会 VS. 国税庁の暗闘ドキュメント』(矢野絢也)で引用されていた一冊。第一章の「金丸信摘発の舞台裏」が出色。その後明らかにトーンダウン。最終章の「国税対創価学会」も尻すぼみの感が拭えない。

 政治とカネの問題はロッキード事件(1976年)に始まり、リクルート事件(1988年)で検察は正義の味方というポジションを確立した。その後、皇民党事件(1987年)~東京佐川急便事件(1992年)、KSD事件(1996年)と続く。

 いずれも疑獄の要素が濃厚で特定の政治家を狙い撃ちにしているのは明らかだろう。どう考えてもすべての事件が検察の発意でなされたものとは考えにくい。何らかの形で米国の意志が関与していると見れば筋が通る。

 東京地検特捜部の前身は検察庁に設けられた「隠匿退蔵物資事件捜査部」である。「隠匿退蔵物資事件捜査部は、戦後隠された旧日本軍の軍需物資をGHQ(米国)が収奪するために作られた組織である」(犯罪の歴史-東京地検特捜部の犯罪)。


 検察は数々の横暴を犯してきた。袴田事件(1966年)、村木事件(障害者郵便制度悪用事件/2009年)、そして今なお有罪とされている高知白バイ事件(2007年)などが広く知られる。検察が数々の冤罪をでっち上げても取り調べ可視化の議論が本格化する様子はない。きっと政治家にとっても都合がいいのだろう。

 検察と双璧をなす権力が国税庁である。


 税の世界は我々素人が考えるほど厳密なものではない。そもそも法自体が解釈される以上、人によって判断が異なるのは当然だ。

 政治とは利益調整の技術を意味する。ある利益と別の利益がぶつかるところに疑獄が生まれるのだろう。すべての情報が開示されることはあり得ない。これが民主主義の機能を阻害する最大の要因だ。この国で叫ばれる国益とは米国の利益であることが多い。

2014-05-24

他人が決めた基準に従うな/『悪党 小沢一郎に仕えて』石川知裕


 私がお勝手で片づけをしていると、小沢がいきなり怒り出した。
「おまえ、まだ、これ、大丈夫じゃないか」
 小沢はゴミ箱から未開封のレトルトカレーを取り出した。
「でも、先生、それは賞味期限切れていますよ」
「何を言ってんだ。まだ食えるだろう」
 12月2日の夜、立候補が認められ、2日後に記者会見を控えていた私は、小沢と大久保さんと深沢でキムチ鍋をつついた。3人で締めのおじやをかっこむと、小沢は語り始めた。
「おまえはこれからいろんな人と出会う。人と付き合っていると、悪口を言う人もいれば、いいことを言う人もいる。だが、人がどう評価しようと最後は自分で判断しなければならない」
「はい」
「夏のレトルトカレー、覚えているか?」
「あー、はい」
「あのレトルトカレーだってそうだろう。賞味期限は人が決めた基準だ。温めてみて食べて大丈夫だったらそれでいいじゃないか」

【『悪党 小沢一郎に仕えて』石川知裕〈いしかわ・ともひろ〉(朝日新聞出版、2011年)】

 2年前に読んだのだが、当時から見れば小沢一郎という名前が聞こえてくることは殆どなくなった。いやはや隔世の感がある。政治とカネの問題で検察側が勝利した見てよかろう。民主党は鳩山・小沢という功労者を切り捨てたことで党としては終わっていると思う。日本における二大政党制は頓挫した。今後の大きな流れとしては大連立に向かうような気がする。

 石川の筆致に小沢への敬意は感じられるが心酔ではない。そのバランス感覚が読み物としての価値を高めている。

 他人が決めた基準に従うな。そして小事をおろそかにするな。口数の少ない小沢の言葉だからこそ重みがある。説教じみた匂いもない。心から出たありのままの助言だろう。

 小沢が目指していたのは政治理念に基づく政党政治であり、そのための政界再編であった。ところが東日本大震災が起こり、気づいてみると世界中で保守主義志向が強まっていた。日本も例外ではない。中国・韓国の反日感情や領土問題によって国民感情は右側へ傾斜した。革新勢力の社民・共産は変わり映えすることなく、中道の公明は既に与党入りしてから15年も経ち、オール保守といった様相を呈している。

 民主党が政権をとっても何ひとつ変わらなかった。国民の落胆は大きい。選挙での選択肢がどんどん狭くなっている。間もなく軍靴の音が聞こえてきそうだ。

悪党―小沢一郎に仕えて

今枝由郎、ケネス・フォード、石川幹人、佐藤健志、他


 7冊挫折、1冊読了。

死なないやつら 極限から考える「生命とは何か」』長沼毅〈ながぬま・たけし〉(ブルーバックス、2013年)/自分を語りすぎて文章の行方がわかりにくい。「やつら」というタイトルにも疑問が残る。

ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』佐藤健志〈さとう・けんじ〉(文藝春秋、1992年)/サブカルチャーから読み解くイデオロギーとしての民主主義論。発想は素晴らしいのだが文章がしつこい。

震災ゴジラ! 戦後は破局へと回帰する』佐藤健志〈さとう・けんじ〉(VNC、2013年)/動画「保守はゴジラを夢見るか」の方が面白い。やはりコミュニケーション能力の欠落が文体に露呈していると思われてならない。

そのとき、本が生まれた』アレッサンドロ・マルツォ・マーニョ:清水由貴子訳(柏書房、2013年)/当てが外れた。出版文化史とはね。

定本 黒部の山賊 アルプスの怪』伊藤正一〈いとう・しょういち〉(山と渓谷社、2014年/実業之日本社、1963年)/山賊の正体が前科30犯の犯罪者だとわかってしまうと興味が潰えた。しかも終戦直後だから山賊というよりは盗賊というべきか。

人はなぜだまされるのか 進化心理学が解き明かす「心」の不思議』石川幹人(いしかわ・まさと)(ブルーバックス、2011年)/進化心理学入門。初心者向き。教科書的な説明で面白味に欠ける。

量子的世界像 101の新知識』ケネス・フォード:青木薫監訳、塩原通緒〈しおばら・みちお〉訳(ブルーバックス、2014年)/最初は面白かったのだが、100ページを超えたあたりからついてゆけず。

 33冊目『日常語訳 ダンマパダ ブッダの〈真理の言葉〉』今枝由郎〈いまえだ・よしろう〉訳(トランスビュー、2013年)/『スッタニパータ』は抄訳でこちらは全訳。非常によい。なるべく早めに中村元訳に取り掛かる予定。

汚職追求の闘士/『それでも私は腐敗と闘う』イングリッド・ベタンクール


 怒るよりも、
 蔑むよりも、
 嘆くよりも……
   ――パブロ・ネルーダ「死んだ義勇兵たちの母への歌」(羽出庭梟〈はでにわ・きょう〉訳)

【『それでも私は腐敗と闘う』イングリッド・ベタンクール:永田千奈〈ながた・ちな〉訳(草思社、2002年)以下同】

 これがエピグラフである。パブロ・ネルーダはチリの国民的詩人。アジェンデ政権で駐仏大使に任命され、翌1971年にノーベル文学賞を受賞。病死とされてきたが最近になって毒殺の疑いが指摘されている。


 ネルーダについては以下のページを参照せよ。

チリ人民の希望と悲劇の歌い手──ネルーダ Neruda, Singer of hope and tragedy of Chilean people
ツワブキ : 古い日記の続きの日記

 現在のアメリカは民主主義の宣教師を気取っているが、かつてアメリカが南米各地で行ってきた内政干渉の歴史を知れば、それが単なるプロパガンダにすぎないことが理解できよう。アジェンデ政権は民主的な選挙によって選ばれた社会主義政権であったのだから。

『禁じられた歌 ビクトル・ハラはなぜ死んだか』八木啓代

 アメリカが支援したチリ・クーデターに関しては『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』(ナオミ・クライン)が詳しい。

 危険はあります。子供たちの安全が脅かされ、私は子供たちと離れて暮らさなければなりませんでした。私自身、すでにマフィアに命を狙われています。危険なのはわかっています。それでも、後戻りすることはできません。希望はすぐそこにあるのですから。


 イングリッド・ベタンクール自身が6年間にわたって捕虜となった。この時に書かれたのが『ママンへの手紙』である。

 民主主義を「利益の調整」と考えれば、その難しさが理解できる。蔓延する犯罪は受益者たちによって支えられているのだ。平和的な解決は粘り強いアプローチを必要とする。つまり時間がかかる。犯罪の撲滅が急務であれば暴力的な介在を余儀なくさせられる。こうした揺れの中で常に政治決断が行われることを忘れてはならないだろう。

 日本を振り返ってみよう。最も広範囲に及ぶ犯罪は官僚の天下りである。

官僚機構による社会資本の寡占/『独りファシズム つまり生命は資本に翻弄され続けるのか?』響堂雪乃
東京電力天下りの平均年収は3000万円

 かつてイングリッド・ベタンクールのような志をもつ政治家は一人だけいた。民主党の石井紘基〈いしい・こうき〉だ(『日本が自滅する日 「官制経済体制」が国民のお金を食い尽くす!』石井紘基)。そして石井は殺された(「日本病」の正体 石井紘基の見た風景)。遺志を継ぐ者はいない。

2014-05-21

遺伝上の父を知りたい 精子提供で生まれた6人が出版


 私は一体誰なのか。遺伝上の“父”を知りたい――。提供精子による非配偶者間人工授精(AID)で生まれた当事者の声を伝える「AIDで生まれるということ」(萬書房、税抜き1800円)が出版された。誰か分からない男性の精子で生まれたことを知った衝撃、家族との葛藤、永遠に消えることのない苦悩が、本人の言葉でつづられている。

 AIDは無精子症など男性側に不妊原因がある場合に実施される。国内では60年以上の歴史があり、1万人以上が生まれたとされる。近年、精子提供者の情報開示をめぐり、出自を知る権利の議論が高まっている。

 本に登場する当事者は横浜市の医師、加藤英明さん(40)ら30~50代の男女6人。大人になってからAIDの事実を偶然知ったり、両親の離婚などをきっかけに突然知らされたりした。共通するのは、自分が何者か分からないという不安や不気味さだ。

「人生の土台が崩れた」「自分の誕生に男女の『情』というものが存在しなかったという、絶望にも似た気持ち」。涙が止まらず、心療内科に通い続けた女性もいる。

「誰のための技術なのか」という彼らの問い掛けは、子どもを授かりたいという親の願望をかなえる一方、子どもの幸せが置き去りにされている生殖医療の在り方に警鐘を鳴らす。〔共同〕

【日本経済新聞 2014-05-21 夕刊】

AIDで生まれるということ 精子提供で生まれた子どもたちの声

















30分で判る 経済の仕組み:レイ・ダリオ


「腐敗した銀行制度」カナダ12歳の少女による講演

 ・30分で判る 経済の仕組み

「Money As Debt」(負債としてのお金)
武田邦彦『現代のコペルニクス』 日本の重大問題(2)国の借金
『サヨナラ!操作された「お金と民主主義」 なるほど!「マネーの構造」がよーく分かった』天野統康
『マネーの正体 金融資産を守るためにわれわれが知っておくべきこと』吉田繁治
『〈借金人間〉製造工場 “負債"の政治経済学』マウリツィオ・ラッツァラート

世界最大級のヘッジファンド創業者 日本語で経済入門動画

【ニューヨーク】世界最大級のヘッジファンド運用会社ブリッジウォーター・アソシエーツ(運用資産約1500億ドル)創業者のレイ・ダリオ氏はこのほど、経済のしくみを易しく説いた動画を日本語で制作し、ネットで公開を始めた。

「30分でわかる経済のしくみ」(ママ)(http://youtu.be/NRUiD94aBwI)と題したこの動画は、ユーチューブで見ることができる。昨秋公開した英語版は、すでにアクセス件数が百万件を超えた。

 ダリオ氏はアニメーション動画を通じて経済の仕組みを解説。借金は将来の自分からお金を借りるのに等しく、借金を返済しようとすると将来の出費が減少する。自分の出費の減少は、他者の所得の減少に等しく、よって経済は縮小する。

 金融危機後に起こった日米欧の景気後退はこうした「ディレバレッジ(負債縮小)」がもたらしたもの。ディレバレッジによって景気は減速するが、負債の重荷は軽くなる。これをダリオ氏は「美しいディレバレッジ」と呼び、こうした過程を経て経済は平常状態に戻ると指摘する。日本語版はぜひ日本の金融当局者にも見てほしいという。

【日本経済新聞 2014-05-21 夕刊】


10分でみる 感染症の歴史 家畜のはじまりからパンデミックまで

2014-05-20

何かに打ち込む/『だれでも「達人」になれる! ゆる体操の極意』高岡英夫


 ・何かに打ち込む

『ひざの激痛を一気に治す 自力療法No.1』
『5分間背骨ゆらしで体じゅうの痛みが消える 自然治癒力に火をつけて、首・肩・腰痛・ひざ痛を解消!』上原宏
『高岡英夫の歩き革命』、『高岡英夫のゆるウォーク 自然の力を呼び戻す』高岡英夫:小松美冬構成
『究極の身体(からだ)』高岡英夫

 どんなつまらないことでも、打ち込めればおもしろくなる。おもしろければさらに打ち込みたくなる。これをくり返し体験することで、身体と心の中に中心となるものが育ってくる。そうすると、それがない人には見えないさまざまな対象の中身がとらえられるようになり、自分の軸と対象の中心をきちっと向かい合わせることができるようになる。これができるようになると、必要であればどんなことにも打ち込めるようになるのです。
 そして、いずれ自分が本当にしたいことを見つけ、それに打ち込みつづけ、達人への道を切り開いていくことができるのです。
 だから、打ち込むものは基本的になんでもいいのです。それによって育てられる自分こそが重要で、打ち込む対象はなんでもいいのです。たとえ、それが大人に叱られるようないたずらでもいいのです。たいていのいたずらは、大人たちから見れば、打ち込む対象としてはまったく価値のないものでしょう。だけど、大人からは許されないようないたずらも、こっぴどく叱られる必要はもちろんあるものの、それをしたことで、その子どもの中に打ち込める自分が育っているのであれば、それはきわめて重要な経験だと言えるのです。

【『だれでも「達人」になれる! ゆる体操の極意』高岡英夫(講談社+α文庫、2005年/運動科学総合研究所、2003年『カガヤクカラダ』改題、新版)】

 ツイッターで五十肩を訴えたところ、後輩が教えてくれたのが「ゆる体操」だった。ゆらゆら、ブラブラさせるのが基本。一理あることは直ぐわかった。素人判断のリハビリが危険なのは筋力アップだけに意識が向いて筋肉を緩めないためだ(『脳から見たリハビリ治療 脳卒中の麻痺を治す新しいリハビリの考え方』久保田競、宮井一郎編著)。

 ストレスが過剰になると身体は常に強(こわ)張る。固まった筋肉が脳へのフィードバック情報を減少させる。外界への注意力が散漫になれば事故や怪我につながりかねない。

 高岡は何かに打ち込むことを勧める。「自分の軸と対象の中心をきちっと向かい合わせることができるようになる」とは言い得て妙だ。野球や剣道の「打ち込み」を思えばストンと腑に落ちる。来る日も来る日も素振りを繰り返すのは身体の軸を定めるためだ。ぎこちない動きも少しずつ無駄な力が抜けて理想的なフォームに近づく。

 一つの言葉が思考を劇的に変えることがあるように、一つの動きが運動神経を一変させることがある。私は50歳になった今でもありありと覚えているのだが、小学2年の時、ドッジボールでファインプレーをしたことがある。ライン際でジャンプし相手のパスボールを奪ったのだ。やんややんやの大喝采を浴びた。たったこれだけのことが私の運動神経を一変させた。生まれて初めて野球をした際にも同様のプレーができた。それからというもの球技全般において抜きん出た才能を示した。

 きっとそれまではつながっていなかった神経やシナプスがつながったのだろう。そんな風に考えている。何かに打ち込む。そして一つの自信を得る。たったそれだけで子供の人生は変わる。世界は信じられるものと化して光り輝く。「子の日わく、これを知る者はこれを好む者に如かず。 これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」(『論語』金谷治訳注)と。我を忘れて打ち込むことは楽しい。

予言者ヒトラー/『1999年以後 ヒトラーだけに見えた恐怖の未来図』五島勉


「近い将来、男の性器そっくりの兵器ができるだろう。わたし(ヒトラー)の勃起(ぼっき)した男根を、何百倍にも大型化して小さな翼(つばさ)をつけたようなものだ。
 それが将来の戦争と世界を支配する。さしあたっては、それが飛んで行って英国を焼(や)き尽(つ)くす。いずれはペルシャ湾にもインド洋でも飛ぶだろう。愉快なことだ。わたしの勃起した男根が地球を燃やすことになるのだからな」
(これはもちろん、ロケットかミサイルの出現を見通した予言と受け取っていい。またそうとしか考えられない。
 その証拠に、ヒトラーはそれを予言しただけでなく、側近の前でその簡単なスケッチを描(か)いてみせた。美術学校には落第したが、彼はもともとイラストレーター志望で、絵はお手のものだった。
 そしてこのスケッチにもとづいて、ペーネミュンデ=ナチス秘密兵器研究所=の科学者たちが作り上げたのだが、有名なV1号V2号ロケットだった)

【『1999年以後 ヒトラーだけに見えた恐怖の未来図』五島勉〈ごとう・べん〉(ノン・ブック、1988年)】

 アドルフ・ヒトラーの洞察力に注目し、彼が見据えた未来を調べるべきだと五島に助言したのは何と三島由紀夫であった。


 今月、ドイツではP&Gが販売する洗剤のラベルに「88」「18」(洗濯可能な回数)と表示したところ、「極右ネオナチの隠語に該当する」と買い物客から指摘を受けて商品の出荷を中止した。アルファベットの8番目がHであり、88は「Heil Hitler」(ハイル・ヒトラー=ヒトラー万歳)で、18は「Adolf Hitler」(アドルフ・ヒトラー)を意味するらしい。ドイツでは公の場でナチスを礼賛すると、刑法の民衆扇動罪に問われる。ただし「88」を禁じているわけではない。

 過去の戦争犯罪に対する反省に徹した態度なのだろう、と以前は考えていた。ナチ・ハンターにしても同様だ。彼らは現在もナチ戦犯を追い続けている(地の果てまで追いかけるナチハンターと高齢化が進むナチス戦犯 : 残虐な人権侵害-決して見逃さない)。

 そもそもアドルフ・アイヒマンを連行した行為がアルゼンチンの主権を侵害していた(1960年)。しかも当初はサイモン・ヴィーゼンタール・センターを始めとする民間人有志の手で捕獲したと発表されたが、後年モサド(イスラエル諜報特務庁)による作戦であったことが判明している。どこか神経症的な振る舞いにも見える。

 私はナチスものを読み続けるうちにヒトラー=悪という単純な構図に疑問を抱いた。そして『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』(ノーマン・G・フィンケルスタイン)を読んでやっとわかった。ユダヤ人による壮大なプロパガンダが。世界的という言葉よりも、世界史的レベルといった方が相応しいだろう。

 もちろん私はヒトラーを英雄視しているわけでもなければ、善人と考えているわけでもない。ただあまりにも手垢まみれとなったヒトラー=悪人という図式に与(くみ)しないだけのことだ。純粋無垢な100%の善悪を設定すること自体が子供じみている。


(V1ロケット)


(V2ロケット、以下同)






 アメリカは第一次世界大戦後、ドイツの技術に莫大な投資をしてきた。反共という目的もさることながら、ヒトラーのファンが多かったのも事実だ(『アメリカはなぜヒトラーを必要としたのか』菅原出)。ドイツの技術は世界の先頭に立つほどであった。世界初の実用的ロケットとして登場したのがV2ロケットである。

 第二次世界大戦が終わるとアメリカはドイツのロケット技術者を自国に亡命させ、戦争犯罪を不問に付した。

 本書には数多くのヒトラーによる予言が紹介されているが、確かに「何かが見えていた」節が窺える。ドイツ国民の熱狂はこうした神秘性にも支えられていたのだろう。

 敗戦国であったドイツと日本が工業大国となったのも実に不思議である。

『ザーネンのクリシュナムルティ』


私たちは何をすべきか? 何から始めるべきか?/『ザーネンのクリシュナムルティ』J・クリシュナムルティ

2014-05-19

必須音/『音と文明 音の環境学ことはじめ』大橋力


 物質の世界に必須栄養、例えばビタミンが在るように、情報の世界にも、生きるために欠くことのできない〈【必須音】〉が存在する。

【『音と文明 音の環境学ことはじめ』大橋力〈おおはし・つとむ〉(岩波書店、2003年)】

 実は都会よりも森の方が賑やかな音で溢れているという。恐るべきデータである。にもかかわらず人は森で落ち着きを見出す。喧騒とは認識しない。これは滝の音を想像すれば理解できるだろう。雨の音も同様だ。うるさいのは飽くまでも屋根が発する音だ。蝉の鳴き声だって、あれが赤ん坊の泣き声なら耐えられないことだろう。

 数週間前のことだが、とある公園を通りかかった時、頭の上からざわざわという音が降ってきた。見上げると30メートルほどもある木々が風に揺れていた。まるで樹木が何かを語っているかのようだった。その音は決して耳障りなものではなかった。

 音は空気の振動である。そしてコミュニケーションも振動(ダンス)なのだ(『急に売れ始めるにはワケがある ネットワーク理論が明らかにする口コミの法則』)。

 森の音が心地よいことは誰でも気づくことだ。それを「必須音」と捉えたところに大橋力の卓見がある。大橋は芸能山城組の主催者。耳と音の関係に興味のある人は必読。増刷されたようだが4400円から5076円に値段が跳ね上がっているので、興味のある人はまず『一神教の闇 アニミズムの復権』(安田喜憲)から入るのがよい。

音と文明―音の環境学ことはじめ ―
大橋 力
岩波書店
売り上げランキング: 306,396

風は神の訪れ/『漢字 生い立ちとその背景』白川静
介護用BGM 自然音

沈黙をやめよう:声をあげよう、声を出そう

小林秀雄、藤井厳喜


 1冊挫折、1冊読了。

超大恐慌の時代 私たちが生きる未来』藤井厳喜〈ふじい・げんき〉(日本文芸社、2011年)/良書。タイミングが合わず。後回し。

 33冊目『学生との対話』小林秀雄:国民文化研究会・新潮社編(新潮社、2014年)/小林の講演および質疑応答をそのまま文字に起こした作品。本書を待ち望んだ人は多いに違いない。かつて私も一部を紹介した(集団行動と個人行動/『瞑想と自然』J・クリシュナムルティ)。新潮CD講演『小林秀雄講演 第2巻 信ずることと考えること』を聴いただけでは気づかなかったことが数多く発見できた。小林秀雄は生前、講演や対談の類いを一切録音させなかったという。それは自分の意思に反して部分的に流用されることを避けるためであった。本講演は隠し録りされたもので、小林の没後に遺族の了解を得て発表した。巻末には小林が手を入れ直した『小林秀雄全作品 26 信ずることと知ること』も収録。物事の本質に迫る骨太の直観力が横溢している。ハードカバーでありながら1404円という値段に抑えたのも良心的な快挙といってよい。

2014-05-15

小林秀雄、高山正之、夏井睦、他


 2冊挫折、2冊読了。

緊迫シミュレーション 日中もし戦わば』マイケル・グリーン、張宇燕〈チョウ・ウェン〉、春原剛〈すのはら・つよし〉、富坂聰〈とみさか・さとし〉(文春新書、2011年)/歯が立たず。数ページだけ読む。

さらば消毒とガーゼ 「うるおい治療」が傷を治す』夏井睦〈なつい・まこと〉(春秋社、2005年)/私は介護の経験があるのでラップ療法は5~6年前から知っていた。数ヶ月前のことだが知人の子供が顔をざっくり切ったと聞き、すかさず教えた。今では殆ど傷跡も残っていない。正確な知識にするべく開いた。中ほどまで読んで、後は飛ばし読み。傷口を「消毒する、乾かす」のは誤りで、医師やナースでも知らない連中が多い。傷口を水で洗って、ラップを貼るだけで十分だ。実用書としては良書。ただ繰り返しの記述が目立つ。

 31冊目『変見自在 サダム・フセインは偉かった』高山正之(新潮社、2007年/新潮文庫、2011年)/正確には高山の高はハシゴの「高」。とうとう50歳になって私もかような本を読むようになってしまった。武田邦彦との対談動画「欧米人が仕掛ける罠」を見ていたので内容は予想できた。ある記述を照会するために取り寄せたのだが、面白くて全部読んでしまった。朝日新聞の悪口がメインなのだが、知識が豊富で人物や歴史の見方が変わる。高山が保守論客の中で信用に値するのは、中国・韓国だけではなく米国批判を行っているためだ。彼が産経新聞をこき下ろせば、もっと高く評価できるのだが。

 32冊目『小林秀雄対話集 直観を磨くもの』小林秀雄(新潮文庫、2013年)/良書。『小林秀雄全作品』の14、15、16、17、19、21、25、26、28巻が底本。私は『小林秀雄全作品 26 信ずることと知ること』を読んでいたので部分的には再読になるが、それでも新しい発見が多かった。小林秀雄は大嫌いな人物なのだがやっぱり面白い。特に対談と講演が刺激的だ。この人は物怖じするところがない。有り体にいえば生意気で不躾。驚いたのは湯川秀樹との対談で、小林が量子論を1948年(昭和23年)の時点で理解していたこと。恐るべき知性である。今読んでいる『学生との対話』と併せて、格好の小林秀雄入門といってよい。

「物質-情報当量」/『リサイクル幻想』武田邦彦


合理的思考の教科書
・「物質-情報当量」

『「水素社会」はなぜ問題か 究極のエネルギーの現実』小澤詳司

 ・情報とアルゴリズム

 電話が発明されてからすでに100年以上経っていますが、「電話帳と電話線と電話交換機」という「物質」の組合せには、それまでの通信手段と比べれば、膨大な「情報量」が含まれています。電話という「物質」が伝えることのできる情報量と、のろしや飛脚という「物質」のそれとはけた違いで、伝達の効率という点で、電話という「物質」は「情報」のかたまりといっていいわけです。仮に、電話で伝えるのと同量の情報をのろしや飛脚で伝えるとしたら、どれだけの火を起こし、どれだけの人間が往復しなければならないか、想像してみるといいでしょう。
 つまり、人間の活動を支えるものは、決して「物質とエネルギー」だけではなく、情報も、それらの活動を数倍にする価値を付与しているということがわかります。これを「物質-情報当量」と呼びます。「当量」とは、質的に異なってはいるけれども人間の活動に同じ効果を与えるものを、同一尺度で比較するための単位です。

【『リサイクル幻想』武田邦彦(文春新書、2000年)以下同】

 2000年にこれを書いていたのだから凄い。因みに今検索してみたが物質-情報当量でも情報当量でもヒットするページが見当たらない。本書を「必読書」としたのも、ひとえにこの件(くだり)が書かれているからだ。

「物質-情報当量」を使って、循環型社会を整理してみます。
 1972年から1998年までの間では、鉄1トンに対して10ギガビット、つまり鉄1トンが社会に与える影響と情報10ギガビットが同じであることがわかります。この26年間で、鉄の生産は伸びていませんが、日本社会全体の経済規模は情報分野の進展で増大しています。ごくおおざっぱにいえば、増大分の情報ビット数とそれを鉄に置き換えた場合の重量とをイコールすれば、右のような当量関係が得られるのです。鉄1トンが10ギガビットに当たるというのは、集積回路の集積度が現在より少し上がって10ギガビットになった場合、その小さな1チップが鉄1トンと同等の効果を社会に与えるということを意味してします。1チップを仮に10グラムとすると、物質の使用量は10万分の1になり、物質と文化の関係に革新的な変化を与えるでしょう。
 すでに情報革命が始まり、明確にこのような傾向が現われています。たとえば、銀行の窓口業務の多くは無人の現金出納機になりました。無人化は経費節減や人件費抑制のためと捉えられがちですが、環境面からみると、今まで数人がかりで多くの伝票や計算書類を要し処理していたことを、たった一つの機械で、しかも数倍の処理能力をもってこなすのだから、これも「物質-情報当量」による物質削減の効果です。
 じっくり目をこらせば、こうした例は数限りないくらいあります。現代日本はそれによって高い活動力を保っているとも考えられます。しかしながら、依然として経済成長率やGDPの計算では、物質生産を基準に計算が行われています。そのために、物質の生産が落ち込むと不景気になったという判断が下されますが、現実はすでにビットが物質のキログラムに代わりつつあるのです。
 ビットは人間生活に対して格段に効率が高いので、同じ当量での社会的負担が少なく(つまり物質やエネルギーを消費せず)、結果的にGDPの伸びには反映されていないといえます。GDPの計算方法が古いということ自体はさして問題ではありませんが、GDPが上がらないので「景気を回復させるためには物質生産量を上げなければならない」という結論になるのは問題です。

「現実はすでにビットが物質のキログラムに代わりつつある」ということは情報=物質なのだ。これについては『インフォメーション 情報技術の人類史』(ジェイムズ・グリック)の書評で触れる予定だ。地球環境や資源の限界性を思えば、生産量よりも「物質-情報当量」を上昇させることが望ましい。

 科学者の武田がGDPにまで目を配っているのに政治が無視するのはなぜか? 生産量至上主義が経団連を中心とする業界にとって都合がいいからとしか考えられない。そして官僚が天下りをすることで社会資本を寡占する(『独りファシズム つまり生命は資本に翻弄され続けるのか?』響堂雪乃)。

 私たち人間はなぜ百獣の王ライオンよりも強いのでしょうか? 筋骨隆々として運動神経も人間とは比べものにならないけれど、人間に捕らわれて檻の中にいること自体、理解できないのがライオンです。弱い筋肉と鈍い運動神経しかもっていないのに、人間がライオンを支配できているのは、「知恵」つまり「情報の力」に他ならないのです。
 情報は力であり、物質でもあります。それならば、これまで物質を中心として構築されてきたこの世界を、ビットを中心に組み立て直せばよい。ビットの技術は、地球の資源や環境が破壊される前に、私たち人類にもたらされた贈り物なのかもしれません。

 情報とは知恵なのだ。棒や斧という情報が動物に向けられた時、槍や弓矢という知恵の形となったに違いない。つまり知恵の本質は情報の組み換えにあるのだろう。人類の脳内で行われるシナプス結合が他の動物を圧倒したのだ。そしてシナプス結合は人と人とのつながりを生み、社会を育んだ。そこでは当然、物と情報が交換される。このようにして人類は文明を形成してきた。

「これまで物質を中心として構築されてきたこの世界を、ビットを中心に組み立て直せばよい」――実に痺れる言葉ではないか。どのような情報を得るかで人生は変わる。何を見て、何を聞いて、何を読むか。インターネットの出現によってその選択肢は無限に拡大した。その分だけ自分の選択に責任の重みが増している。また情報は受け取っただけでは死んでいる。それを自分らしく発信することが大切だ。

人格コスプレ





2014-05-13

合理的思考の教科書/『リサイクル幻想』武田邦彦


・合理的思考の教科書
「物質-情報当量」

『「水素社会」はなぜ問題か 究極のエネルギーの現実』小澤詳司

 ・情報とアルゴリズム

 この例のように、「使用した材料は劣化する」という原則を無視してリサイクルすることを「リサイクルの劣化矛盾」といいます。劣化矛盾があるのはテレビのキャビネットばかりではありません。冷蔵庫の内ばり材は油でダメージを受け、洗濯機は絶え間ない振動で力学的な損傷を受けます。
 もちろん家電製品ばかりでなく、自動車の材料はさらに厳しい環境におかれます。エンジンルームの部品は油と熱で劣化しますし、バンパーは寒暖の差の激しい外気に接し、太陽の光を浴び、さらに振動とひずみの力を受けて悪くなっていきます。

【『リサイクル幻想』武田邦彦(文春新書、2000年)以下同】

 リサイクルの欺瞞を科学的に検証する。環境に名を借りた国家ぐるみの詐欺行為が横行している。リサイクル利権もその一つだ。かつて岐阜県では産業廃棄物処理場の建設反対を公約に掲げて当選した町長が二人の暴漢から滅多打ちにされて死にかけたことがある(『襲われて 産廃の闇、自治の光』柳川喜郎)。

 我々の社会でリサイクルの実現可能性が問われているわけではない。リサイクルという名のマネーゲームが行われているのだ。


 まるで人類が愚行を繰り返す六道輪廻の様相を描いたようなマークだ。ま、地球と人間のリサイクルは決してできないわけだが。

 製品のどの程度をリサイクルするかを「リサイクル深度」という言葉で表現します。リサイクル深度が浅い場合、つまり、社会で使っているもののほんの一部でリサイクルが行われている場合には、回収する量が少ないので、劣化した材料を下位の製品に回すことができます。つまり、膨大なプラスチックを使うテレビのキャビネットを、公園のベンチに転用しても、量のバランスがとれるのです。
 しかし、リサイクル深度が深くなると、家電製品に使っているだけの量を振り向ける「下位の用途」などというものはなくなります。仮にテレビのキャビネットのすべてをリサイクルしして公園のベンチにすると、日本の公園はベンチで埋まってしまいます。このことは「家電メーカーは巨大なのに、雑貨メーカーは小さい」ということを考えてもわかります。
 このように、リサイクル前後の製品の受容があわず、大量のリサイクル材料が余ってしまう矛盾を「リサイクルの需給矛盾」と呼びます。この矛盾が原因となって、新たな環境破壊が起こります。その一つが、コンクリートや、鉄鋼生産に際して出るコンクリートに似た「スラグ」と呼ばれる石の塊を、地面の上に敷きつめる行為です。

 本書はリサイクルを素材とした合理的思考の教科書である。科学は科学的思考に極まる。感情だけで判断するとやがて瞳が曇る。矛盾に気づかないためだ。武田の指弾は続く。

 すなわり、「リサイクル」という行為は、貿易との関係でみると「消費する国で再び生産すること」なので、毒物を含もうと含むまいと、貿易と本格的なリサイクル・システムは本来、調和しないことがわかります。(中略)
 もし世界の国々が自国で使うものは自国でリサイクルしなければいけないとすると、現在の国際分業と貿易は破壊され、それぞれの国が、その国で使うすべての製品を作る工場を、国内にもたなければならないことになり、非現実的です。
 この矛盾を「リサイクルの貿易矛盾」といいます。リサイクル深度が深くなればなるほど、この茂朱が拡大することは容易に想像できるでしょう。ますます国際化が進む中で、リサイクルの貿易矛盾をどのように考えるかが重要な課題になりつつあります。

 かくも致命的な矛盾がいくつもあるのに我々はリサイクルゲームをやめようとしない。行政という社会の枠組みは揺らぎもしない。なぜか? それはリサイクルが既に宗教へと格上げされたからだ。マヨネーズの容器を切り開いて水で洗う行為にご利益がある(※自治体によって異なる)。無駄に流した水に思いを馳せることはない。リサイクル教は新たな自己満足を捏造(ねつぞう)した。

 さて、ペットボトルを石油から作り消費者の手元に届けるまでの石油の使用量は、ボトルの大きさにもよりますが約40グラムです。
 ところが、このボトルをリサイクルしようとすると、かなり理想的にリサイクルが進んでも150グラム以上、つまり、4倍近く石油を使うことになります。資源を節約するために行うリサイクルによって、かえって資源が多く使われるという典型的な例です。資源が多く使われるのですから、その分だけゴミも増えます。(中略)
 このように、本来資源を有効に使用し、環境汚染を防止するために行うリサイクルが「すればするほど資源を使い、ゴミを増やす」場合、これを「リサイクルの増幅矛盾」といいます。
 リサイクルの増幅矛盾が起こるのは、主として「薄く広がったものは資源として集めることはできない」という分離工学の原理(後述)によるのであり、リサイクルしやすい社会システムができあがれば改善される、というような「社会システムの問題」ではなく、みんなが心を合わせれば解決できる、というような「国民の意識の問題」でもありません。

 全国民が参加する壮大な無駄をどのように考えるべきなのか? 市民の良心に訴えながら、その裏で邪悪なビジネスが横行している。しかも負担は必ず消費者に負わせ、企業にゴミを減らす努力を促すことはないのだ。

 科学の入門書として本書と『人類が知っていることすべての短い歴史』(ビル・ブライソン)を推す。

生活保護申請で女性に誓約書 「異性との生活禁止」


 京都府宇治市の職員が、生活保護を申請した母子世帯の女性に対し、異性と生活することを禁止したり、妊娠出産した場合は生活保護に頼らないことを誓わせたりする誓約書に署名させていたことが13日、分かった。

 市によると、誓約書は、ケースワーカーが個人的に作成し、母子世帯のほか、外国人などへの誓約事項を列挙。「日本語を理解しないのは自己責任。仕事が見つからないとの言い訳は認められない」とも書かれていた。市は不適切だったとして、関係者に謝罪した。

 生活支援課の30代の男性ケースワーカーが署名させていた。「受給中はぜいたくや無駄遣いをせず、社会的モラルを守ることを誓う」などとも書かれていた。

共同通信 2012-03-13

人権侵害の誓約書 宇治市が生活保護申請で市民に強要|おおきに宇治市議会議員の水谷修です。
村野瀬玲奈の秘書課広報室 | 京都府宇治市のケースワーカーが生活保護受給者に署名させた「誓約書」が心底おぞましい。

2014-05-12

情報理論の父クロード・シャノン/『インフォメーション 情報技術の人類史』ジェイムズ・グリック


・情報理論の父クロード・シャノン

『ビッグデータの正体 情報の産業革命が世界のすべてを変える』ビクター・マイヤー=ショーンベルガー、ケネス・クキエ
『〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則』ケヴィン・ケリー
『量子が変える情報の宇宙』ハンス・クリスチャン・フォン=バイヤー

情報とアルゴリズム
必読書リスト その三

通信というものの本質的な課題は、ある地点で選択されたメッセージを、別の地点で精確に、あるいは近似的に再現することである。メッセージはしばしば、意味を有している。
     ――クロード・シャノン(1948年)

【『インフォメーション 情報技術の人類史』ジェイムズ・グリック:楡井浩一〈にれい・こういち〉訳(新潮社、2013年)以下同】


 巻頭のエピグラフは「通信の数学的理論」からの引用で最も有名な部分である。クロード・シャノンはこの論文で情報理論という概念を創出した。同年、ベル研究所によってトランジスタが発明される。「トランジスタは、電子工学における革命の火付け役となって、テクノロジーの小型化、偏在化を進め、ほどなく主要開発者3名にノーベル物理学賞をもたらした」。ジョージ・オーウェルが『一九八四年』を書いていた年でもあった(刊行は翌年)。

 もっと深遠で、科学技術のもっと根幹に関わる発明は、《ベル・システム・テクニカル・ジャーナル》7月号及び10月号掲載の、計79ページにわたる論文として登場した。記者発表が行なわれることはなかった。『通信の数学的な一理論』という簡潔かつ壮大な表題を付けた論文は、たやすく要約できるような内容のものではない。しかし、この論文を軸に、世界が大きく動き始めることになる。トランジスタと同様、この論文にも新語が付随していた。ただし、“ビット”というその新語を選んだのは委員会ではなく、独力で論文を書きあげた32歳の研究者クロード・シャノンだった。ビットは一躍、インチ、ポンド、クォート、分(ふん)などの固定単位量、すなわち度量衡の仲間入りを果たした。
 しかし、何の度量衡なのか? シャノンは“情報を測る単位”と記している。まるで、測定可能、軽量可能な情報というものが存在するかのように。

 bitとはbinary digit (2進数字)の略でベル研究所のジョン・テューキーが創案し、シャノンが情報量の単位として使った。

「シャノンは電信電話の時代に、情報を統計分析に基づいてサンプリングすることにより、帯域幅が拡大するにつれてCD、DVD、デジタル放送が可能になり、インターネット上でマルチメディアの世界が広がることを理論的に示していた」(インターネット・サイエンスの歴史人物館 2 クロード・シャノン)。そして科学の分野では量子情報理論にまで及んでいる。

 電信の土台となる仕組みは、音声ではなく、アルファベットの書き文字を短点(・)と長点(―)の符合に変換するというものだが、書き文字もまた、それ自体が符合の機能を備えている。ここに着目して、掘り下げてみると、抽象化と変換の連鎖を見出すことができる。短点(・)と長点(―)は書き文字の代替表現であり、書き文字は音声の代替表現であって、その組み合わせによる単語を構成し、単語は意味の究極的基層の代替表現であって、この辺まで来ると、もう哲学者の領分だろう。


 情報伝達の本質が「置き換え」であることがよくわかる。私が常々書いている「解釈」も同じ性質のものだ。そして情報の運命は受け取る側に委ねられる。

(※自動制御学〈サイバネティクス〉、1948年)と時期を同じくして、シャノンは特異な観点から、テレビジョン信号に格別の関心を寄せ始めた。信号の中身を結合または圧縮することで、もっと速く伝達できないかと考えたのだ。論理学と電気回路の交配から、新種の理論が生まれた。暗号と遺伝子から遺伝子理論が生まれたように。シャノンは独自のやりかたで、何本もの思索の糸をつなぐ枠組みを探しながら、情報のための理論をまとめ始めた。

 情報が計測可能になった意味はこういうところにあるのだろう。考えようによっては芸術作品も圧縮された情報だ。またマンダラ(曼荼羅)は宇宙を圧縮したものだ。

 やがて、一部の技師が、特にベル研究所の所員たちが、“情報”(インフォメーション)という単語を口にし始めた。その単語は、“情報量”“情報測定”などのように、専門的な内容を表わすのに使われた。シャノンも、この用法を取り入れた。
“情報”という言葉を科学で用いるには、特定の何かを指すものでなくてはならなかった。3世紀前に、物理学の新たな研究分野が拓かれたのは、アイザック・ニュートンが、手あかのついた曖昧な単語に――“力”“質量”“運動”、そして“時間”にまで――新たな意味を与えたおかげだった。これらの普通名詞を、数式で使うのに適した計量可能な用語にしたのだ。それまで(例えば)“運動”は“情報”と同じく、柔軟で包括的な用語だった。アリストテレス哲学の学徒にとって、運動とは、多岐にわたる現象群を含む概念だった。例えば、桃が熟すこと、石が落下すること、子が育つこと、身体が衰えていくことなどだ。あまりにも幅が広すぎた。ニュートンの法則が適用され、科学革命が成し遂げられるには、まず、“運動”のさまざまなありようの大半がふるい落とされなくてはならなかった。19世紀には、“エネルギー”も、同じような変容の道をたどり始めた。自然哲学者らが、勢いや強度を意味する単語として採用し、さらに数式化することで、“エネルギー”という言葉を、物理学者の自然観を支える土台にした。
“情報”にも、同じことが言える。意味の純度を高める必要があった。
 そして、意味が純化された。精製され、ビットで数えられるようになると、情報という言葉は至るところで見出された。シャノンの情報理論によって、情報と不確実性のあいだに橋が架けられた。


 情報理論は情報革命であった。シャノンの理論はものの見方を完全に変えた。宗教という宗教が足踏みを繰り返し、腰を下ろした姿を尻目に、科学は大股で走り抜けた。

 この世界が情報を燃料に走っていることを、今のわたしたちは知っている。情報は血液であり、ガソリンであり、生命力でもある。情報は科学の隅々まで行き渡りつつ、学問の諸分野を変容させている。

 我々にとっての世界が認知を通じた感覚器官の中に存在するなら、感覚が受け取るのは情報であり、我々自身が発するのもまた情報なのだ。この情報世界をブッダは「諸法」と説いたのであろう。ジョウホウとショホウで音も似ている(笑)。

「各生物の中核をなすのは、火でもなく、神の呼気でもなく、“生命のきらめき”でもない」と、進化理論を研究するリチャード・ドーキンスが言い切っている。「それは情報であり、言葉であり、命令であり……(中略)……もし生命を理解したいなら、ぶるぶる震えるゲルや分泌物ではなく、情報技術について考えることだ」。有機体の細胞は、豊かに織りあげられた通信ネットワークにおける中継点(ノード)として、送受信や、暗号化、暗号解読を行なっている。進化それ自体が、有機体と環境とのあいだの、絶えざる情報授受の現われなのだ。
「情報の環(わ)が、生命の単位となる」と、生物物理学者ヴェルナー・レーヴェンシュタインが、30年にわたる細胞間通信の研究の末に語っている。レーヴェンシュタインは、今や“情報”という事おばがもっと奥深いものを意味していることを、わたしたちに気づかせる。「情報は、宇宙の組成と秩序の原理を内に含み、またその原理を測る精確な物差しとなる」。

「ぶるぶる震えるゲルや分泌物」とは脳や血液・ホルモンを示したものだろう。「情報の環(わ)が、生命の単位となる」――痺れる言葉だ。『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』でレイ・カーツワイルが出した答えと一致している。

 生命それ自体は決して情報ではない。むしろ生命の本質は知性、すなわち計算性にあると考えられる。つまり優れた自我をコピーするよりも、情報感度の高い感受性や統合性を身につけることが正しいのだ。尊敬する誰かを目指すよりも、自分のCPUをバージョンアップし、ハードディスク容量を増やし、メモリを増設する人生が望ましい(宗教OS論の覚え書き)。

インフォメーション―情報技術の人類史
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情報エントロピーとは/『シャノンの情報理論入門』高岡詠子
無意味と有意味/『偶然とは何か 北欧神話で読む現代数学理論全6章』イーヴァル・エクランド
「物質-情報当量」

2014-05-11

「わだつみ」に別の遺書 恩師編集、今の形に


 戦没学徒の遺書や遺稿を集め、戦後を代表するロングセラーとなっている「きけ わだつみのこえ」(岩波文庫)の中でも特に感動的な内容で知られる木村久夫(一九一八~四六年)の遺書が、もう一通存在することが本紙の調べで分かった。「わだつみ」ではすべて獄中で愛読した哲学書の余白に書かれたものとされていたが、実際は二つの遺書を合わせて編集してあり、辞世の歌も今回見つかった遺書にあった。

「もう一通の遺書」は手製の原稿用紙十一枚に書かれており、遺族が保管していた。父親宛てで、末尾に「処刑半時間前擱筆(かくひつ)す(筆を置く)」とあった。

 この遺書で木村は、先立つ不孝をわび、故郷や旧制高校時代を過ごした高知の思い出を語るとともに、死刑を宣告されてから哲学者で京都帝国大(現京都大)教授だった田辺元の「哲学通論」を手にし、感激して読んだことをつづった。また、戦後の日本に自分がいない無念さを吐露。最後に別れの挨拶(あいさつ)をし、辞世の歌二首を残した。

 木村の遺書は、旧制高知高校時代の恩師・塩尻公明(一九〇一~六九年)が四八年に「新潮」誌に発表した「或(あ)る遺書について」で抜粋が紹介され、初めて公になった。「凡(すべ)てこの(「哲学通論」の)書きこみの中から引いてきた」とされ、「わだつみ」でも同様に記されたが、いずれも二つの遺書を編集したものだった。

「わだつみ」の後半四分の一は父宛ての遺書の内容だった。二つの遺書を精査したところ、「哲学通論」の遺書で陸軍を批判した箇所などが削除されたり、いずれの遺書にもない言葉が加筆されたりしていたことも分かった。「辞世」の歌二首のうち最後の一首も違うものになっていた。

 大阪府吹田市出身の木村は京都帝大に入学後、召集され、陸軍上等兵としてインド洋・カーニコバル島に駐屯。民政部に配属され通訳などをしていたが、スパイ容疑で住民を取り調べた際、拷問して死なせたとして、B級戦犯に問われた。取り調べは軍の参謀らの命令に従ったもので、木村は無実を訴えたが、シンガポールの戦犯裁判で死刑とされ、四六年五月、執行された。二十八歳だった。

 木村は判決後、シンガポール・チャンギ刑務所の獄中で同じく戦犯に問われた元上官から「哲学通論」を入手。三たび熟読するとともに、余白に遺書を書きつづった。執行間際には今回見つかった遺書を書き、両方が戦友の手で遺族のもとに届けられたとみられる。

◆衝撃、改訂を検討したい

 日本戦没学生記念会(わだつみ会)の高橋武智理事長の話 もう一つ遺書があったことは初めて知った。「きけ わだつみのこえ」の編集上、頼りにしていた塩尻公明の「或る遺書について」とも違いがあると知り、二重に衝撃を受けている。今後、遺書が公になれば、ご遺族の意見も伺いながら改訂を検討したい。

《「きけ わだつみのこえ」》 東京大協同組合出版部が1947(昭和22)年に出版した「はるかなる山河に-東大戦没学生の手記」を全国の学徒に広げ、49年に刊行された。82年に岩波文庫に入り、改訂を加えた95年の新版は現在もロングセラーを続けている。74人の遺書・遺稿を収録。木村久夫の遺書は、特別に重要なものだとして「本文のあと」に掲載されている。

東京新聞 2014年4月29日 朝刊

きけわだつみのこえ―日本戦没学生の手記 (ワイド版岩波文庫)きけ わだつみのこえ―日本戦没学生の手記 (岩波文庫)
(※左がワイド版、右が文庫本)

近藤道生と木村久夫/『きけ わだつみのこえ 日本戦没学生の手記』日本戦没学生記念会編

神を討つメッセージ/『一神教の闇 アニミズムの復権』安田喜憲


『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男
『人類の起源、宗教の誕生 ホモ・サピエンスの「信じる心」が生まれたとき』山極寿一、小原克博

 ・神を討つメッセージ
 ・都市革命から枢軸文明が生まれた

『カミの人類学 不思議の場所をめぐって』岩田慶治
『新・悪の論理』倉前盛通

 海と森を見て感動する心は、美しい水の循環系を維持する心でもある。森の繁る山は水の源である。そして稲作には水が必要不可欠である。だから稲作漁撈民は、山に特別の思いを抱いた。美しい水の循環系を守るためには、美しい心が必要だ。美しい未来の日本文明を創るためには、まず心を美しくすることだ。その美しい心の原点はアニミズムにある。
 真摯に森と山と海の貴重な循環を知り、それに感動する心を育む。そうすれば、その先にはかならず未来が見えてくるはずだ。美しい「美と慈悲の文明」・「生命文明」の未来が見えてくるはずだ。21世紀は「美と慈悲の文明」・「生命文明」の世紀となるべきものなのである。
 学問をするということの意味は人によって異なるだろう。しかし今、なにをおいても必要なことは、地球環境の劣化という人類の危機を救済する新たな道を探求することである。新たな哲学、新たな宗教の再生に立脚した、地球環境と人類を救済する「新たな物語」が必要なのである。
 たとえば最澄空海、さらには親鸞日蓮の思想は、1000年以上にわたって日本人の心に受け継がれてきた。自分が学問をすることの意味とは何かを考えたとき、最終的にめざすべきものは、そうした1000年も受け継がれるような新たな文明の潮流の根幹となりうる思想を提示することであると思う。

【『一神教の闇 アニミズムの復権』安田喜憲〈やすだ・よしのり〉(ちくま新書、2006年)】

 一神教批判の書である。日本は明治以降、西洋文明の恩恵を受けることで経済的・学問的な発展を遂げてきた。その恩を返す意味でも東洋から西洋文明を捉え直す作業が必要だ。なかんずく歴史・思想・宗教の次元で西洋文化を再構築するべきだ。多様性が叫ばれながらも世界を支配するのは一神教の論理である。日本国内でごちゃごちゃやるよりも欧米を向いたメッセージの発信が求められる。

 私がアニミズムに着目した経緯については読書日記(2011-12-13)に記した通りだ。本書は私が抱いた多くの疑問に答えてくれた。『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』(石弘之、安田喜憲、湯浅赳男)も東洋の位置から西洋を鋭く見据えた鼎談(ていだん)となっている。

 地球温暖化説はカーボン・マーケット(排出取引)創出を目的とした世界的な詐欺行為であると私は考えるが、地球環境が破壊されているのは事実である。これに異論を挟む者はあるまい。

 戦争や工業化など様々な問題があるが結局のところ先進国の搾取に行きつく。発展途上国の人口爆発も貧困に支えられている。環境運動は一時的には盛り上がりを見せたものの、市民運動のレベルにとどまり国家的な方向転換にまで至っていない。地球がどれほど破壊されようとも人類は反省しないのだ。何という思い上がりか。

 神はまだ死んでいない。あいつはまだ生きている。いくら戦争反対を叫んでも無駄だ。欧米には宗教的正義が息づいているのだから。ゆえに戦争反対よりもキリスト教反対を叫ぶことが正しい。それに代わる思想はアニミズムでよい。アニミズムはありとあらゆるものに聖霊を見出す平和思想だ。聖霊がいるかいないかはこの際不問に付す。「物語としての聖霊」で構わない。たった一人の神様が君臨するよりはずっといいだろう。



必須音/『音と文明 音の環境学ことはじめ』大橋力
一神教と天皇の違い/『日本語の年輪』大野晋

チャート分析のデマーク氏:米国株は11%の下落リスク


 5月2日(ブルームバーグ):米国株は早ければ来週にも11%の下落局面に入る――相場の転換点を見極めるチャート分析指標の生みの親であるトム・デマーク氏が、いくつかの価格パターンが形成されればという条件付きで予想を示した。

 S&P500種 株価指数が日中取引で1884まで下げず、1891ポイントを上回って引けることが1度か2度あれば、天井を付けたといえると、デマーク氏は1日の電話インタビューで述べた。同氏は2月にも似たような予想を示しており、一定の条件が満たされれば、米国株は1929年の大暴落前と似た状況に達したといえるとしていた。S&P500種はその後、8%上昇した。

 デマーク・アナリティクス(アリゾナ州スコッツデール)の創立者である同氏は、「これらの相場目標が達成されれば、高い山が形成されることは間違いないだろう」と指摘。「これらの指数が天井を付ける時期はかなり近いかもしれない」と続けた。

 デマーク氏によれば、ダウ工業株30種平均 は取引中に1万6661ドルを超え、1万6581ドルを上回って引けることが1度あれば、下落局面に入ると見込まれる。

 記録的な企業利益と3度にわたる連邦公開市場委員会(FOMC)の量的緩和によって、株式投資は最も有力な投資先となり、相場は過去5年間に急上昇した。S&PキャピタルIQのストラテジスト、サム・ストーバル氏のデータによると、S&P500種は10%以上の値下がりを伴わない上昇局面が2年7カ月近く続けている。1945年以降の記録では1年半が平均という。

原題:Tom DeMark Says U.S. Stocks at Risk of 11% Drop as MarketPeaks(抜粋)

ブルームバーグ 2014年5月3日

365日24時間休みなしで働く仕事の面接とは?


職種は「現場総監督」です。原則1日24時間の勤務。年間365日、休暇はありません。食事をとる時間はありますが、他の同僚が食べ終わってからです。徹夜で働く場合もあります。サラリー? 無給です。世界で一番大事な仕事ですよ。やってみる気はありますか。▼こんな就活の面接に、応募者たちの顔が見る見る硬くなっていく。いまどき、これほどひどい会社があるのだろうか。それとも何かの冗談だろうか。ネットで話題になった、ある企業の広告の動画である。面接官は自信たっぷりで語り続ける。世界で何億人もの人がこの仕事に就いているという。「母」という職業である。▼電車の中で気まずい空気の親子を見かけた。部活の様子や体調などあれこれ問いかける母親に、中学生らしき男の子は横を向いたままだ。煩わしくて仕方ない風で舌打ちなどしている。母親は怒って、ますます声が高くなる。大人になっていく子供をいつまでも心配し、管理下に置こうとして、疎まれるのもまた母である。▼奉仕は無償で無限。けれども総監督を引退する年齢は意外に早く来る。子は10代後半には母から自立し、母は子離れをして再び自分自身と向き合わねばならない。どちらも甘えと期待を絶つ、ほんの少しの勇気と葛藤が要る。お母さん、ありがとう。素直に言えるだろうか。大人同士だからこそ心に届く感謝の言葉もある。

【春秋/日本経済新聞 2014年5月11日】

2014-05-10

原題は『これが人間か』/『アウシュヴィッツは終わらない これが人間か』プリーモ・レーヴィ


『「疑惑」は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私』河野義行
『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子
『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子
『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たち』ジュリアス・シーガル
『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』V・E・フランクル:霜山徳爾訳
『それでも人生にイエスと言う』V・E・フランクル

 ・原題は『これが人間か』

『休戦』プリーモ・レーヴィ
『溺れるものと救われるもの』プリーモ・レーヴィ
『プリーモ・レーヴィへの旅 アウシュヴィッツは終わるのか?』徐京植
『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編
『石原吉郎詩文集』石原吉郎
『私の身に起きたこと とあるウイグル人女性の証言』清水ともみ
『命がけの証言』清水ともみ

 だが、これは、人間が絶対的な幸福にたどりつけないことを示すよりも、むしろ、不幸な状態がいかに複雑なものか、十分に理解されていないことを表わしている。不幸の原因は多様で、段階的に配置されているが、人は十分な知識がないため、その原因をただ一つに限定してしまうのだ。つまり最も大きな原因に帰してしまう。ところが、やがていつかこの原因は姿を消す。するとその背後にもう一つ別の原因が見えてきて、苦しいほどの驚きを味わう。だが実際には、別の原因が一続きも控えているのだ。
 だから冬の間中は寒さだけが敵と思えたのに、それが終わるやいなや、私たちは飢えていることに気づく。そして同じ誤りを繰り返して、今日はこう言うのだ。「もし飢えがなかったら!……」
 だが飢えがないことなど、考えられない。ラーゲルとは飢えなのだ。私たちは飢えそのもの、生ける飢えなのだ。

【『アウシュヴィッツは終わらない これが人間か』プリーモ・レーヴィ:竹山博英訳(朝日新聞出版、2017年/朝日選書、1980年『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』改題、改訂完全版)】

 27歳の青年が著した手記である。彼はアウシュヴィッツを生き延びた。そして67歳で自殺した(事故説もあり)。遺著となった『溺れるものと救われるもの』を私は二度読もうとしたが挫折した。行間に立ちこめる死の匂いに耐えられないためだ。

 本書の文章には不思議な透明感がある。それはプリーモ・レーヴィが化学者であったからというよりは、自己の経験を突き放して見つめる彼の態度にあるのだろう。


 地獄で問われるのは「生存の意味」だ。「死んだ方が楽な世界」を生き延びた人は実存を問い続ける。そこに浅はかな希望が入り込む余地はない。現実はかくも厳しい。

「私たちは飢えそのもの、生ける飢えなのだ」――この一言は紛(まが)うことなき悟りである。我々の日常において欲望をここまで真摯に見つめることはまずない。飢えの自覚は食べ物に対して無量の感謝を育んだことだろう。我々にはそれがないからいとも簡単に残し、捨てるのだ。


 当然ではあるが『夜と霧』V・E・フランクルを必ず読むこと。池田香代子訳が望ましい。イタリアのレジスタンスを知るために『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編も。それと『石原吉郎詩文集』石原吉郎も併せて。順番は特に指定しない。



ドキュメンタリー「アウシュビッツ」
ジェノサイドの恐ろしさ/『望郷と海』石原吉郎

2014-05-09

シオニズムと民族主義/『なるほどそうだったのか!! パレスチナとイスラエル』高橋和夫


 パレスチナという土地はあるが、パレスチナという国はない。そこにあるのは、イスラエルという国と【ガザ地区】と、【ヨルダン川西岸地区】である。

【『なるほどそうだったのか!! パレスチナとイスラエル』高橋和夫(幻冬舎、2010年)】

 苦難が人生を変える。よくも悪くも。大変は「大きく変わる」と書く。現実に押し潰される人と現実を切り拓いてゆく人との違いは何か? それは他者への共感性であろう。他人の苦しみに共感できる人はその時点で既に学んでいる。

 だが共感だけだと共倒れになることがあり得る。特に女性の場合、愚痴っぽくなりやすい。共感の深度を掘り下げるのは価値観である。そう考えると他人の苦しみは他人の歴史と置き換えることが可能だ。つまり人間は歴史から学ぶのだ。

 その意味で私の精神風景を一変させたのはルワンダとパレスチナ、そしてインディアンであった。

 以前、ある教育者が「小野さんにとってのルワンダは、僕の場合、ポル・ポトなんですよ」と語った。こういう相手だと話が早い。歴史をひもとけば人類の悲惨は至るところにある。それを知らずして人間理解は不可能だろう。

 本書はパレスチナ入門の教科書本ともいうべき内容でよくまとまっている。

 ユダヤ人たちの、自分たちの国を創ろうという運動を【シオニズム】と呼ぶ。これはシオン山の“シオン”と“イズム”を合わせた言葉である。イズムとは、主義という意味の言葉である。主義というのは、この場合にはある政治的考えのための努力である。シオン山とは、【パレスチナの中心都市】のエルサレムの別名である。エルサレムは、標高835メートルほどの丘の上に建てられている。新東京タワー、つまりスカイツリーが635メートルの高さであるから、それより高い所に位置する都市である。
 ヨーロッパのユダヤ人がパレスチナに入ってくると、その土地に生活していたパレスチナ人との間に紛争が始まった。これが現在まで続く、パレスチナ問題の発端である。これは、つまり約120年間の紛争である。

 パレスチナを巡る問題には第二次世界大戦の欺瞞がシンボリックに現れている。シオニズムという言葉も1896年に考案されたものだ(『リウスのパレスチナ問題入門 さまよえるユダヤ人から血まよえるユダヤ人へ』エドワルド・デル・リウス)。すなわちユダヤ教徒は戦争というどさくさに紛れて、自分たちが創作した新しい物語を実現させたのだ。

 それでは、なぜヨーロッパのユダヤ人たちは、この時期にパレスチナへの移住を考えるようになったのだろうか。それは、ヨーロッパで19世紀末になってユダヤ人に対する迫害が激しくなったからである。では、どうしてであろうか。
 答えは、この時期にヨーロッパに【民族主義】が広まったからである。この民族主義がユダヤ人の迫害を引き起こした。

 民族主義は近代から生まれた。大雑把にいえばナポレオンフランス革命国民国家)、パックス・ブリタニカ産業革命資本主義)、アメリカ独立の三点セットだ。

近代を照らしてやまない巨星/『ナポレオン言行録』オクターブ・オブリ編
フランス革命は新聞なくしては成らなかった
歴史の本質と国民国家/『歴史とはなにか』岡田英弘
自由競争は帝国主義の論理/『アメリカの日本改造計画 マスコミが書けない「日米論」』関岡英之+イーストプレス特別取材班編
何が魔女狩りを終わらせたのか?
資本主義経済崩壊の警鐘/『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン

 つまり人類に国家意識が芽生えたのだ。産業革命で一人勝ちしたイギリスは帝国主義の刀を抜いて世界中を植民地化した。それまでは魔女狩りや戦争でヨーロッパの内側で殺し合いをやっていた連中の目が世界に向けられた時代であった。

 ヨーロッパにおけるユダヤ社会は、いびつである。なぜならば、地に足のついた生活をしている人々、つまり農民が少なかったからだ。

 土地を奪われたユダヤ人は流浪の民であることを運命づけられた(『離散するユダヤ人 イスラエルへの旅から』小岸昭)。彼らが土地(国家)を熱望した心情は理解できる。

 ユダヤ人の伝統的な仕事は、【金貸し】であり、商売人であり、仲買人であり、医者であり、弁護士であり、研究者であり、芸術家であり、音楽家であった。つまり組織に頼らず、【自分の才覚】のみで生きていた。これはユダヤ人が差別された結果であった。

 過酷な歴史がユダヤ人を鍛え上げた。資本主義が追い風となった。現在ではメディア支配にまで至っている。

 ナチス・ドイツによって600万人のユダヤ人が虐殺されたという記述があり(29ページ)、冒頭の論旨が台無しになっている。ナチスによるホロコーストをユダヤ人虐殺という文脈に書き換えたのはユダヤ資本である(『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン)。

 パレスチナに興味を覚えた人は本書から入り、『「パレスチナが見たい」』森沢典子→『パレスチナ 新版』広河隆一→『新版 リウスのパレスチナ問題入門 さまよえるユダヤ人から血まよえるユダヤ人へ』エドワルド・デル・リウス→『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン→『アラブ、祈りとしての文学』岡真理と進むのがよい。パレスチナ人は今日も殺されている(異形とされるパレスチナ人)。

なるほどそうだったのか!!パレスチナとイスラエル
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2014-05-08

君子は豹変し、小人は面を革む/『中国古典 リーダーの心得帖 名著から選んだ一〇〇の至言』守屋洋


 ・君子は豹変し、小人は面を革む

『中国古典名言事典』諸橋轍次

桃や李(すもも)は何も言わないけれども、美しい花やおいしい実をつけるので、その下に人が集まってきて、自然に道ができる。それと同じように、徳のある人物のもとには、その徳を慕っておのずと人が集まってくる

桃李言(ものい)わずして
下(した)自(おのず)から蹊(みち)を成(な)す

     『史記』李将軍列伝

【『中国古典 リーダーの心得帖 名著から選んだ一〇〇の至言』守屋洋〈もりや・ひろし〉(角川SSC新書、2010年)以下同】

 久し振りに守屋の著作を開いた。構成の悪いスカスカ本であった。粗製乱造の極みか。中高生向けの代物。何を血迷ったのか翻訳文が最初に大きく書かれている。順序が逆であろう。原文への敬意を欠いているようにすら見えて仕方がなかった。

 いくつか原文を調べたくて読んだのだが目ぼしいものを紹介しよう。最初に紹介したものは知っている人も多いだろう。成蹊大学の由来でもある。「蹊」は「けい」と読む文献もある。小道の意である。私は李広将軍にまつわる文章であることを知らなかった。「一念岩をも通す」で知られる人物だ。母を殺した人喰い虎を見つけた李広はすかさず弓を引いた。深々と刺さった獲物を見たところ虎の姿に見えたのは岩であった。矢羽まで突き刺さったと伝えられる。「虎と見て石に立つ矢のためしあり」とも。

君子は、つねに自己革新をはかって成長を遂げていく。小人は、表面だけは改めるが、本質にはなんの変化もない

君子(くんし)は豹変(ひょうへん)し、小人(しょうじん)は面(おもて)を革(あらた)む

     『易経』革卦(かくか)

 これこれ。これを探していたのだ。私のモットーだ。気づけば変わる。見えれば変わると言い換えてもよい。君子豹変という言葉だけで朝令暮改と似た意味だと勘違いしている人が多い。田原総一朗もその一人だ。君子は果断に富むゆえ、さっと身を翻(ひるがえ)すことがあるのだ。愚かで無責任な連中はそれを「信念がない」とか「転向」などと受け止める。かような風評を君子は恐れることがない。

毎日、「今日もやるぞ」と、覚悟を新たにしてチャレンジする

苟(まこと)に日(ひ)に新(あら)たに、
日日(ひび)に新(あら)たに、
又(ま)た日(ひ)に新(あら)たなり

     『大学』伝二章

 筍(たけのこ)と似た字だが日ではなく口。訓読みだと「苟(いやしく)も」。名文の香りを台無しにする翻訳だ。本物の価値創造とは日々新しい自分と出会うことだ。生に感激を失った途端、人は老いる。

人生における最大の病(やまい)は、「傲」(ごう)の一字である

人生(じんせい)の大病(たいびょう)は
ただこれ一(いち)の傲(ごう)の字(じ)なり

     『伝習録』下巻

 傲(おご)りが瞳を曇らせる。自戒を込めて。この言葉は知らなかった。

自分が正しいと確信が持てるなら、阻む者がどれほど多かろうと、信じた道を私は進む

自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば、
千万人(せんまんにん)と雖(いえど)も吾(われ)往(ゆ)かん

     『孟子』公孫丑(こうそんちゅう)篇

「縮」には正しい、真っ直ぐとの意があるようだ(ニコニコ大百科)。これも君子豹変に通ずる。要は深く自らに問うことが正しい答えにつながるのである。周りは関係ない。行列の後に続くような生き方は感動と無縁であろう。

 中国の偉大な歴史は文化大革命を経て漂白されてしまったのだろうか? 中国人民の間にこれらの言葉はまだ生きているのだろうか? 気になるところである。


先ず隗より始めよ/『楽毅』宮城谷昌光
大望をもつ者/『楽毅』宮城谷昌光

amazonで買える1kg以上の飴


 煙草を減らすべく飴を物色中。比較的安くて評価の高いものを選んだ。

クリート どっさりフルーツキャンデー 120g×20袋松屋製菓 生沖縄黒飴 1kg扇雀飴本舗 ジュースキャンデー 1kg春日井炭焼珈琲 100g×12袋

石牟礼道子、藤井厳喜、渡邉哲也、ニーチェ


 2冊挫折、2冊読了。

ニーチェ全集 8 悦ばしき知識』ニーチェ:信太正三〈しだ・しょうぞう〉訳(理想社普及版、1980年/ちくま学芸文庫、1993年)、『喜ばしき知恵』ニーチェ:村井則夫訳(河出文庫、2012年)/三十七、八歳でよくもまあこんな代物が書けたものだ。「神は死んだ」の一言で知られるニーチェの代表作。やはり哲学は肌に合わない。いくら言葉をこねくり回しても真理を見出すことは不可能だろう。ニーチェよ、さらばだ。

 29冊目『日本はニッポン! 金融グローバリズム以後の世界』藤井厳喜〈ふじい・げんき〉、渡邉哲也〈わたなべ・てつや〉(総和社、2010年)/勉強になった。渡邉哲也を初めて読んだが説明能力が極めて高い。新聞がきちんと報じない世界経済の構造がよくわかる。致命的なのは総和社の校閲だ。欠字・重複が目立つ。『超マクロ展望 世界経済の真実』(水野和夫、萱野稔人)の次に読むとよい。

 30冊目『苦海浄土  池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 第3集 III-04』石牟礼道子〈いしむれ・みちこ〉(河出書房新社、2011年)/第1部『苦海浄土 わが水俣病』(講談社、1969年/講談社文庫、1972年/新装版、2004年)、第3部『天の魚 続・苦海浄土』(講談社、1974年/講談社文庫、1980年)、第2部『苦海浄土 第二部 神々の村』を収録。大部のため3冊分に分けて書く。石牟礼道子は熊本県に住む主婦であった。本書も元々は水俣病患者や家族から話を聞き、チラシの裏などに書き溜めてあったものらしい。ルポルタージュでもなければ私小説でもない。厳密にいえば「語り物」ということになろう。すなわち『苦海浄土』は形を変えた『遠野物語』なのだ。そしてまた水俣の地はルワンダでもあった。美しい水俣の海と耳に心地良い熊本弁と水銀に冒された病(やまい)の悲惨が強烈な陰影となって読者をたじろがせる。石牟礼は水俣病患者に寄り添うことで「新しい言葉」を紡ぎだした。それが創作であったにせよ事実と乖離(かいり)することを意味しない。むしろ隠された真実を明るみに引きずり出す作業であったことだろう。犯罪企業のチッソ日窒コンツェルンの中核企業であった。旭化成、積水化学工業、積水ハウス、信越化学工業、センコー、日本ガスは同じ穴の狢(むじな)だ。

2014-05-07

「年次改革要望書」という名の内政干渉/『拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる』関岡英之


 ・「年次改革要望書」という名の内政干渉

日下公人×関岡英之

年次改革要望書』は単なる形式的な外交文書でも、退屈な年中行事でもない。アメリカ政府から要求された各項目は、日本の各省庁の担当部門に振り分けられ、それぞれ内部で検討され、やがて審議会にかけられ、最終的には法律や制度が改正されて着実に実現されていく。受け取ったままほったらかしにされているわけではないのだ。
 そして日本とアメリカの当局者が定期的な点検会合を開くことによって、要求がきちんと実行されているかどうか進捗状況をチェックする仕掛けも盛り込まれている。アメリカは、日本がサボらないように監視することができるようになっているのだ。
 これらの外圧の「成果」は、最終的にはアメリカ通商代表部が毎年3月に連邦議会に提出する『外国貿易障壁報告書』のなかで報告される仕組みになっている。アメリカ通商代表部は秋に『年次改革要望書』を日本に送りつけ、春に議会から勤務評定を受ける、という日々を過ごしているわけである。

【『拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる』関岡英之(文春新書、2004年)以下同】

 10年前の本だがまったく古くなっていない。というよりはTPP締結を控えた今こそ本書が広く読まれるべきだ。関岡は基本的に取材を行わない。オフィシャルな情報だけを手掛かりにして、アメリカの内政干渉と日本政府の欺瞞を暴く。個人的には「保守の質を変えた」一書であると考える。日本人であれば心痛を覚えない人はいるまい。「敗戦」の意味を思い知らされる。半世紀という時を経ても尚、日本はアメリカ各地の州以下の扱いを受けており、文字通りの属国である。この国は独立することを阻まれているのだ。

 年次改革要望書は宮澤喜一首相とビル・クリントン米大統領との会談(1993年)で決まったものだが、日米包括経済協議(1993年)、日米構造協議(1989年)に淵源がある。ということはバブル景気の絶頂期にアメリカが動き出したわけだ。プラザ合意(1985年)に次ぐ攻撃と考えてよかろう。

牛肉・オレンジ自由化交渉の舞台裏

 アメリカによる外圧のわかりやすい例が紹介されている。

 日本の国内では、建築基準法の改正や住宅性能表示制度の導入は、阪神・淡路大震災での被害の大きさからの反省や手抜き工事による欠陥住宅の社会問題化などがきっかけとなって日本政府内で検討が始められ、導入が決定されたものだと理解されている。それは日本の国民の安全と利益のためになされたはずだ。
 しかし実はこれらの法改正や制度改革が、日本の住宅業界のためでも消費者のためでもなく、アメリカの木材輸出業者の利益のために、アメリカ政府が日本政府に加えた外圧によって実現されたものであると、アメリカ政府の公式文書に記録され、それが一般に公開されている。

 日本国民はおろか政治家だって知らなかったことだろう。政府が二つ返事で引き受けて、官僚が具体的な法案を作成しているに違いない。マスコミがこうした事実を報道することもない。日本の新聞は官報なのだろう。日本で民主主義が機能しないのは情報公開がなされていないためだ。むしろ情報は統制されているというべきか。

 1987年にアメリカの対日貿易戦略基礎理論編集委員会によってまとめられた『菊と刀~貿易戦争篇』というレポートがある。執筆者名や詳しい内容は公表されていないが、アメリカ・サイドから一部がリークされ、その日本語訳が出版されている(『公式日本人論』弘文堂)。
 この調査研究の目的は、日本に外圧を加えることを理論的に正当化することだった。そして結論として、外圧によって日本の思考・行動様式そのものを変形あるいは破壊することが日米双方のためであり、日本がアメリカと同じルールを覚えるまでそれを続けるほかはない、と断定している。つまり、自由貿易を維持するという大義名分のためには、内政干渉をしてでもアメリカのルールを日本に受入(ママ)れさせる必要がある、と主張しているのである。
 このレポートの執筆者のひとりではないかと推測されるジェームズ・ファローズは『日本封じ込め』(TBSブリタニカ)というエッセイのなかで「叫ぶのをやめて、ルールを変えよう」という有名なせりふを吐いた。こうした声が、アメリカのルールを強制的に日本に受け入れさせること、もっと露骨に言えばアメリカの内政干渉によって日本を改造するという、禁じ手の戦略を正当化することになったのである。そしてそこから導き出されたアメリカの政策こそ、「日米構造協議」と呼ばれる日本改造プログラムに他ならない。

 ジェームズ・ファローズはジミー・カーター大統領のスピーチライターを務めた人物だ。アメリカの傲慢は戦勝国意識とプロテスタント原理主義に支えられている。ま、原爆投下を一度も謝罪しないような国だ。我々黄色人種を同じ人間としては見ていないのだろう。

 鳩山由紀夫首相が年次改革要望書を斥(しりぞ)けた。そして直ぐに小沢一郎と共に葬られた。その後TPPと名前を変えて再びアメリカは日本に要求を突きつけているのだ。当初は「聖域なき関税撤廃が前提なら参加しない」としていた安部首相も態度を180度変えた(田中良紹)。

 今ニュースとなっている憲法解釈の閣議決定もアメリカからの要求であり命令だ。彼らは日本を再軍備するつもりだ。


自由競争は帝国主義の論理/『アメリカの日本改造計画 マスコミが書けない「日米論」』関岡英之+イーストプレス特別取材班編