・『北の海』井上靖
・『七帝柔道記』増田俊也
・『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』増田俊也
・『VTJ前夜の中井祐樹』増田俊也
・恩讐の彼方に
増田●もしヒクソンさんが木村先生の立場だったら、どう思いますか。
ヒクソン●ありえない。
増田●ありえないとは?
ヒクソン●私をフェイク(※八百長)の舞台に上げることは誰もできない。どれほどの大金を積まれても私がフェイクのリングに上がることはありえない。
増田●木村先生はフェイクの舞台、プロレスのリングに上がった時点で間違っていたと?
ヒクソン●そうです。私がそのようなことをやっていたら、もちろん自分のことを許すことはできないし、そのリングへ出た時点で格闘家として負けだと思います。
【『木村政彦外伝』増田俊也〈ますだ・としなり〉(イースト・プレス、2018年)以下同】
プロ柔道からプロレスラーに転向した木村政彦が力道山にノックアウトされた動画を見た後のヒクソン・グレイシーの言葉である。父親のエリオ・グレイシーはグレイシー柔術の創始者で木村に敗れている。この時決めた腕緘(うでがらみ)をグレイシー柔術では木村に敬意を表して「キムラ・ロック」と呼んだ。
一流の心は一流の人にしかわからない。そんな思いで増田はヒクソンにインタビューしている。北大時代の増田の後輩である中井祐樹がヒクソンと対戦していることも縁を感じさせる。
結局は経済の問題なのだ。いざ食えなくなれば体を売り物にするしかない。男も女も一緒だ。肉体労働と性産業の違いがあるだけだ。近代社会は労働を売り物に変えた。あらゆるものが値段をつけられ売り物にされるのが資本主義だ。そうした厳しい現実に木村は晒(さら)されたのだろう。ヒクソンの言葉は正論だが、正論だけでは喰ってゆけない。
青木●でも結局みんなまともじゃないんで。「中井祐樹」がまともかって言ったらまともじゃないし、僕もまともではないだろうし。でも逆に「普通」って何なの? という話にもなりますよね。
増田●まともだったら、ある世界でトップを取るような存在には絶対になれない。一流の人は、持ってる秤(はかり)が狂ってる人ばっかりですよ。どの世界の一流の人と会ってもそれは思います。その秤の狂いこそ、一流の魅力なんです。そういう人に会うと僕は嬉しくなりますけどね。
青木真也は「跳関十段」(とびかんじゅうだん)との異名をもつ柔道選手で後にプロ格闘家へ転向した。廣田瑞人〈ひろた・みずと〉の腕を折って勝った後、侮辱したポーズをとった試合はよく覚えている。私は格闘技で骨折に至るシーンを初めて見たので衝撃を受けた。
増田の「秤(はかり)が狂ってる」という言葉は巧みな表現だ。指導や常識を重んじれば、ある枠に自分をはめ込む結果となる。
・狂者と獧者/『小村寿太郎とその時代』岡崎久彦
・狂者と狷者/『中国古典名言事典』諸橋轍次
岩釣●(木村)先生のトレーニングってとにかく半端じゃないんだよ。俺が(大学)1年の夏に60kgのバーベルを100回×2セット上げて、先生の前で胸張って「できました」って言ったら、先生が「君、何回やったんだ?」って言うから「100回できました」って言ったら、「僕は1時間それを続けたよ」って言われてさ。真剣な顔で。60kgを1時間続けてみてよ。全然パワーが違う。40代始(ママ)めの頃でもまだまだ強かった。
あまりの凄まじさに笑い声をあげてしまった。柔道やレスリングの練習が厳しいのはよく知っている。高校生ですら桁違いの練習量だった。
岡野●今、いい背負いを見ることはないでしょう? 大体が膝を畳に着く。膝を着くということは体全体のパワーが使えないということです。背負いでもつま先、足首、アキレス腱、そして最後は親指の力、これ全部使うわけですからね。片膝着けばパワーが半分減る、両膝着いてしまえば、そこから下のパワーを自ら殺してしまう。やっぱり全身の力、特に親指から腰まで繋がる下半身の力は非常に重要ですよ。
こうした体に関する技法の話がてんこ盛りで非常に嬉しい。ホリスティック(全体)とはこういうことを意味するのだろう。体の部分部分を鍛える筋トレは全体性につながらない。単純な自重トレーニングにも同様の陥穽(かんせい)がある。
岡野●どんなに立派な理想でも、それを長く維持するためには経営が大切なわけですから、その経営と中身の充実がバランスを取れてなくてはいけない。
岡野の正気塾も牛島道場も長く続かなかった。それに対する自戒の言葉である。あらゆる団体に通じる話である。
増田●毎日9時間も練習すると、あのルスカでも痩せちゃうんですね……。ルスカが「私の柔道生活の中で最も苦しく厳しいものだった」と振り返っていたのはこいうことだったんですね。そんな苦しい稽古のために何度も日本に来て、岡野先生についていくルスカもすごい。ルスカのほうが3歳年上ですよね。よほど岡野先生の正気塾が魅力的だったのでしょうね……。ミュンヘン五輪でルスカが2階級を制覇したとき正気塾のジャージーを着て表彰台に上りましたね。自分は岡野先生の弟子だからって。
岡野●気を遣って表彰台に上ってくれたわけですよね。その思いやりが非常にうれしかったですよ。私はそのことを知らなかったからね。
増田●岡野先生はミュンヘン五輪のときは日本にいらしたんですか。
岡野●で。後で人づてに聞いたんです。
増田●国家を代表する最高の栄誉の場所で、母国のユニフォームを脱いで、外国のいち私塾のジャージーに着替えるということは、通常ありえないことです。正気塾のネームの入ったジャージーを着て表彰台に上がる、そういう気遣いをするようになったこと自体、きっとルスカが正気塾での修行、共同生活を通して、日本人の静かな感謝の仕方、武道的な心を学んだのではないでしょうか。
岡野●そうだと思います。
ウィレム・ルスカ(オランダ)はミュンヘンオリンピックの無差別級・重量級の金メダリスト。「オリンピック同一大会で2階級を制覇した唯一の柔道家」(Wikipedia)である。1976年、アントニオ猪木と異種格闘技戦を行いTKO負けを喫した。
正気塾のジャージ姿は画像で紹介されている。岡野功は東京五輪(1964年)の80kg級金メダリスト。著書の『バイタル柔道 投技編』(1972年)、『バイタル柔道 寝技編』(1975年)は世界中の柔道家に愛読され、今日もロングセラーを続けている。引退後も数多くのメダリストを育てた名伯楽である。
半分ほどがインタビューだが、どれも実に面白い。面白さだけなら星五つである。怨念で綴った前著に続き、恩讐(おんしゅう)の彼方に見える風景は決して暗いものではない。「木村 vs. 山下」にこだわるところは子供っぽくて好きになれないが、嘘のなさが読者に訴えるのだろう。