2020-04-13
日本人には理解できない性格の異常さ/『キャビン』ドリュー・ゴダード監督、脚本
・『トゥルーマン・ショー』ピーター・ウィアー監督
・『es〔エス〕』オリバー・ヒルツェヴィゲル監督
・『THE WAVE』ロアー・ウートッグ監督
・日本人には理解できない性格の異常さ
人里離れた別荘で5人の若者がバカンスを楽しむ。監視されているとも知らずに。彼らは悪霊に捧げられた生け贄(にえ)だった。秘密組織は若者たちが順番で殺されていくよう様々な仕掛けを施す。『トゥルーマン・ショー』の焼き直しみたいな作品だが、監視している連中が賭け事に興じるあたりに西洋人の性格異常ぶりが露呈している。共感する人々がいるからこそ、かような映画が作られるのだろう。彼らの先祖が黒人を奴隷にしたり、インディアンを虐殺したことを思えば、狂えるメンタリティは連綿と受け継がれいると考えてよさそうだ。
一歩譲って「必要な生け贄」であったとしても、わざわざ脚色を施す必要はないし、大掛かりな仕掛けを用意する必然性もない。欧米の作品にはこうした「神の物語=予定説」的な内容が目立つが、聖書に呪縛された思考回路が透けて見える。
悟りの諸相/『LUCY/ルーシー』リュック・ベッソン監督、脚本
・『オールド・ボーイ』パク・チャヌク監督
・『マトリックス』ラリー・ウォシャウスキー、アンディ・ウォシャウスキー監督
・『トランセンデンス』ウォーリー・フィスター監督
・悟りの諸相
・『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル
・意識と肉体を切り離して考えることで、人と社会は進化する!?【川上量生×堀江貴文】
・『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗
・『Beyond Human 超人類の時代へ 今、医療テクノロジーの最先端で』イブ・ヘロルド
・『われわれは仮想世界を生きている AI社会のその先の未来を描く「シミュレーション仮説」』リズワン・バーク
これは面白かった。amazonレビューの評価が低いところを見ると「人を選ぶ」作品なのだろう。主人公の女性ルーシーがひょんなことから犯罪に巻き込まれる。目が覚めると腹部を切開し薬物を挿入されていた。CPH4という新種の麻薬は普通の人が10%しか使っていない脳の力をフルに発揮できる作用を及ぼす。「脳の10%神話」はもちろん誤りだが、能力の10%程度しか使っていないような自覚は誰にでもあることだろう。特に現代人の場合、身体能力を発揮する機会が乏しい。
囚われの身となっていたルーシーが手下の一人に腹を蹴り上げられる。腹部でCPH4が漏れる。ルーシーの脳内で爆発が起こり、体が宙を舞う。「脳の20%」が目覚めた。彼女はスーパーウーマンと化す。
場面は変わってノーマン教授の講義となる。内容は「脳の10%神話」だ。合間に差し込まれた連続カットが地球の壮大な歴史を映し出す。ノーマンの講義は人類の進化を示唆する。
ルーシーが手術台の上から母親に電話をする。
「ママ、すべてを感じる」
「何のこと?」
「空間や 大気 大地の振動 人々 重力も感じる 地球の回転さえも
私の体から出る熱 血管を流れる血 脳も感じる
記憶の最も奥深く… 歯列矯正装置をつけた時の口の中の痛み 熱が出た時ママが額に当ててくれた手の感覚
猫を撫でた時の柔らかな感触 口に広がるママの母乳の味も覚えてる 部屋 液体」
ルーシーは1歳の時の記憶までをありありと【見た】。病院を出ると樹木の導管が見えた。これは「薬物による悟り」である。悟れば「世界が変わる」。世界とは「目に映るもの全て」だ。アップデートされた五官は一切の妄想を廃して世界をありのままに感じる。
ルーシーがネット情報を調べてノーマン教授に辿り着く。そこで彼女は自分が脳の28%を使うことができ、やがて100%に至り死ぬことを予期している。「これから私はどうすればいいのか?」と尋ねる。人間らしさが失われるに連れて脳内で知識が爆発すると告げる。ノーマン教授は「それを伝えることだ」と助言する。これはまさしく「ヴェーダ」(知識)である。
ノーマンと彼が集めた同僚の前で未知の領域へのアクセスが可能となったルーシーは語る。
(グルグルと周る)走る車を撮影し――速度を上げていくと――車は消える 車の存在を示す証拠は?
“時”が存在の証となる “時”だけが真実の尺度 “時”が物質の存在を明かす “時”なくして――何ものも存在しない
ルーシーは80%を超越して過去の歴史を目の当たりにする。これはジャータカ(本生譚)であろう。類人猿と指を触れさせるのはミケランジェロ作「アダムの創造」だ。類人猿はもちろんアウストラロピテクスのルーシーだ。ヒロインのネーミングが秀逸である。
ルーシーは過去と宇宙をさまよう。残りのCPH4を全て投与して100%の能力を発揮した彼女は黒い液体と化しコンピュータと結合する。刑事が教授に尋ねる。「彼女は どこに?」。するとすかさず携帯にメッセージが来る。「“至るところにいる”」と。ルーシーは空(くう)なる存在へと昇華した。
1960年代のヒッピームーブメントでは実際にLSDを用いて悟りにアプローチする者が多数いた。脳科学は悟りが側頭葉で起こるところまで突き止めた。預流果(よるか)に至った人々は修行らしい修行をしていない(『わかっちゃった人たち 悟りについて普通の7人が語ったこと』サリー・ボンジャース)。悟りが他性であるならば修行だろうと薬物だろうと構わないような気がする。ゆくゆくは電気刺激で悟りを開くヘッドギアも販売されることだろう。
悟りの諸相を描いた傑作といってよい。無論、真の悟りは回転するコマのように不動(止観)であるが本作が表現したのは遠心力だ。ヘルマン・ヘッセ著『シッダルタ』といい西洋の表現力・構想力に驚かされる。
・ヴェーダとグノーシス主義
2020-04-06
国家は必ず国民を欺く/『ザ・レポート』スコット・Z・バーンズ監督・脚本・製作
・『ゼロ・ダーク・サーティ』キャスリン・ビグロー監督
・国家は必ず国民を欺く
・『闇の眼』ディーン・R・クーンツ
9.11テロの容疑者に対してCIAが行ってきた拷問の実態を調査する委員会がオバマ政権下のアメリカ上院で立ち上げられた。CIAが関係者との面談を禁じたため共和党は直ぐに撤退した。ブッシュ政権の罪を暴くことに後ろ暗い気持ちもあったことだろう。主人公は調査スタッフのリーダーに指名されたダニエル・J・ジョーンズだ。アクセスできる情報は文書・Eメールのみ。しかもコピーの持ち出しが許されていない。5年間に渡る調査を経てCIAの蛮行が明らかになった。二人の心理学者が説くEIT(強化尋問テクニック)という手法を用いて容疑者を尋問するのだ。その理論はやすやすと拷問を正当化した。
逮捕されたのは容疑者とすら言えない人々だった。自白を強要するために水責めが行われる。顔面をタオルで覆って水を掛けるだけだが水中で溺れるのと同じ効果がある。結果的にCIAは科学的根拠もなく、尋問の経験すらない心理学者に8000万ドル以上を支払った。
5年間かけて作った報告書は公開されることがなかった。ダニエル・J・ジョーンズは様々な圧力に屈することなく情報公開への道を探る。
この作品は実話に基づいている。
CIAの拷問は「成果なし」 実態調査で分かったポイント
ワシントン(CNN) 米上院情報特別委員会は9日、米中央情報局(CIA)が2001年の同時多発テロ以降、ブッシュ前政権下でテロ容疑者らに過酷な尋問を行っていた問題についての報告書を公表した。報告書は拷問が横行していたことを指摘し、その実態を明かしたうえで、CIAが主張してきた成果を否定している。
同委員会は「強化尋問」と呼ばれた手法を検証するため、5年間かけて630万ページ以上に及ぶCIA文書を分析し、約6000ページの報告書をまとめた。今回公表されたのは、その内容を要約した525ページの文書。この中で明かされた事実や結論のうち、重要なポイント8点を整理する。
1.「強化尋問」には拷問が含まれていた
同委員会のダイアン・ファインスタイン委員長は報告書の中で、CIAに拘束されたテロ容疑者らが02年以降、強化尋問と称する「拷問」を受けていたことが確認されたと述べ、その手法は「残酷、非人間的、屈辱的」だったと指摘。こうした事実は「議論の余地のない、圧倒的な証拠」によって裏付けられたとの見方を示した。
ベトナム戦争で拷問された経験を持つマケイン上院議員も9日の議会で、報告書の内容は拷問に相当すると言明した。
CIAは厳しい尋問手法が「命を救った」と主張してきたが、報告書はこれを真っ向から否定している。
2.拷問はあまり効果がなかった
「CIAの強化尋問は正確な情報を入手するうえで有効ではなかった」と報告書は指摘する。
CIAは強化尋問が効果を挙げたとする20件の例を掲げているが、報告書はそれぞれの例について「根本的な誤り」が見つかったと主張。こうした手法で得られた虚偽の供述をたどった結果、テロ捜査が行き詰まることもあった。CIAが拷問などによって入手した情報は容疑者らの作り話か、すでに他方面から入っていた内容ばかりだったという。
これに対してCIAは9日、当時入手した情報は「敵への戦略的、戦術的な理解」を深めるのに役立ち、現在に至るまでテロ対策に活用されていると反論した。
3.ビンラディン容疑者の発見は拷問の成果ではない
国際テロ組織アルカイダの指導者オサマ・ビンラディン容疑者を捕らえた作戦に、強制的な手法は不可欠だったというのがCIAの主張だ。
これに対して報告書は、同容疑者の発見につながった最も正確な手掛かりは、04年にイラクで拘束されたハッサン・グルという人物が拷問を受ける前の段階で明かしていたと指摘。拷問がなくても必要な情報は得られたとの見方を示す。
4.拷問の末、低体温症で死亡したとみられる拘束者もいた
CIAは拘束者らを消耗させるために、眠らせないという手法を取った。最長180時間も立たせたまま、あるいは手を頭の上で縛るなど無理な姿勢を維持させて睡眠を妨害した。
肛門から水を注入したり、氷水の風呂につからせたりする手法や、母親への性的暴行などを予告する脅迫手段も使われた。
排せつ用のバケツだけを置いた真っ暗な部屋に拘束者を閉じ込め、大音量の音楽を流す拷問もあった。
02年11月には、コンクリートの床に鎖でつながれ、半裸の状態で放置されていた拘束者が死亡した。死因は低体温症だったとみられる。
こうした尋問を経験した拘束者たちはその後、幻覚や妄想、不眠症、自傷行為などの症状を示したという。
同時多発テロの首謀者、ハリド・シェイク・モハメド容疑者は少なくとも183回、水責めの拷問を受けた。
アルカイダ幹部のアブ・ズバイダ容疑者が水責めで一時、意識不明の状態に陥ったとの報告もある。同容疑者に対する水責めを撮影した映像は、CIAの記録から消えていた。
5.CIAはホワイトハウスや議会を欺いていた
CIAの記録によれば、ブッシュ前大統領は06年4月まで強化尋問の具体的な内容を知らされていなかった。強化尋問の対象とされた39人のうち、前大統領が説明を受けた時点で、38人がすでに尋問を受けていたとみられる。CIAに残された記録はなく、これよりさらに多くの拘束者が対象となっていた可能性もある。
報告書によると、CIAはホワイトハウスや国家安全保障チームに対し、強化尋問の成果を誇張、ねつ造するなど「不正確かつ不完全な大量の情報」を流していた。司法省が強化尋問を認めた覚書も、虚偽の証拠に基づいて出されたという。
6.担当者は十分な監督や訓練を受けていなかった
収容施設の監督は経験のない若手に任され、尋問は正式な訓練を受けていないCIA職員が監視役もいない状態で行っていた。
報告書によれば、CIA本部の許可なしで強化尋問を受けた拘束者は少なくとも17人に上った。腹部を平手打ちしたり、冷たい水を浴びせたりする手法は司法省の承認を受けていなかった。ある収容施設で少なくとも2回行なわれた「処刑ごっこ」について、CIA本部は認識さえしていなかった。
7.同時テロ首謀者への水責めは効果がなかった
CIAは同時テロを首謀したモハメド容疑者から、水責めによって情報を引き出したと主張する。しかし当時の尋問担当者によれば、同容疑者は水責めに動じる様子をみせなかった。水責めを終わらせるために作り話の供述をしたこともあるという。
8.尋問手法を立案した心理学者らは大きな利益をあげた
強化尋問の手法開発に協力した2人の心理学者は05年、尋問プロジェクトを運営する企業を設立し、09年までに政府から8100万ドル(現在のレートで約97億円)の報酬を受け取った。
2人ともアルカイダやテロ対策の背景、関連する文化、言語などの知識については素人だったという。
【CNN 2014.12.10 Wed posted at 12:38 JST】
びっくりしたのだがダイアン・ファインスタイン役の女優がそっくりである。実際のダニエル・J・ジョーンズ(Daniel J. Jones)は元上院議員のようだ。
アメリカの実態は中国と遜色がない。かつてのソ連を思わせるほどだ。CIAはブッシュ大統領に知らせることなく拷問を繰り返していた。強大な権力は自分たちの過ちを隠蔽し、平然と偽りの大義を主張する。その意味から国家は必ず国民を欺くと言ってよい。共産主義も資本主義も成れの果てが全体主義に至るのは人類の業病(ごうびょう)か。オーウェルが描いた『一九八四年』は決して他人事ではない。
何と言ってもキャスティングが素晴らしい。カットバックもユニークで脚本も秀逸だ。エンドロールでニヤリとさせられることは請け合いだ。地味ではあるが映画作品としては『ボーン・シリーズ』より上だ。
2018-01-04
隠れた傑作/『完全なる報復』F・ゲイリー・グレイ監督(2011年)
隠れた傑作である。ただし前半だけ。ジェラルド・バトラーの超然とした演技が『ショーシャンクの空に』のティム・ロビンスを思わせる。司法制度が人間社会にとって妥協の産物であることがよく理解できる。時に理不尽な判決が下ることは決して珍しくはない。一方に冤罪(えんざい)という落とし穴があり、他方に免罪という罠がある。特にアメリカの場合司法取引が可能なため科罰が軽減される場合がある。
司法制度に穴はつきものであり、裁判は違法性を争うもので正義を明らかにするのが目的ではない。主人公は不毛な司法制度に鉄槌を下す。
担当事件の有罪率96%を誇る検事(ジェイミー・フォックス)を見下ろす絶対的な正義の視点はもちろん神を示唆している。主人公は正しい。正しいからこそ厳罰を下すのだ。保釈申請が下りた際に主人公は豹変し、自らが殺人者であると言明し判事をこき下ろす。司法の過ちをこれほど見事に示した例は他にない。
後半は突然B級作品となる。論理性と整合性を欠き説得力を失ったまま呆気ないラストを迎える。それでも前半の余韻が消え失せることはない。
かつての西部劇は無法者(アウトロー)を退治する正義の味方という筋書きだった。現代のドラマは法の番人をも裁く。いずれにしてもアメリカ人が法律よりも自分の力を頼みとしていることがよくわかる。その正義を実現するために彼らは銃を所持しているのだ。
2018-01-03
映画『誘拐の掟』スコット・フランク監督(2015年)
リーアム・ニーソンつながりで見てしまったがとんでもない駄作で正月早々失望感に襲われた。主人公のマット・スカダーという名前に聞き覚えがあると思ったら、原作はローレンス・ブロックらしい。ホームレスの少年TJを演じるのは『Xファクター』で勝ち上がった(当時14歳)ラッパーのアストロ。不貞腐れた演技が実によい。
アメリカ麻薬取締局(DEA)と犯人に関連性があることを示しながら実態が明らかにされていないのが致命的だ。またラストシーンではAA(アルコホーリクス・アノニマス)の教えが金言の如く登場するが、その命令と抑制ぶりが聖書の域に達している。つまり「罪と罰」こそがモチーフなのだ。
正義は必ず勝つ。それが神と共にある限りは。おお、何という陳腐さか。
2018-01-01
映画『フライト・ゲーム』ジャウム・コレット=セラ監督(2014年)
・映画『アンノウン』:ジャウム・コレット=セラ監督(2011年)
・映画『フライト・ゲーム』ジャウム・コレット=セラ監督(2014年)
これまた、ジャウム・コレット=セラ監督&リーアム・ニーソンコンビの作品。当然だが作風がよく似ている。『アンノウン』よりは劣るが、この荒唐無稽ぶりは辛うじて許容可能な範囲だ。リーアム・ニーソンが1952年生まれとは驚き。搭乗直後のジュリアン・ムーアが素晴らしい演技をしている。主人公と少女のやり取りを見るだけでも価値がある。サスペンスであって謎解きではないと割り切れば、そこそこ面白いと思う。ま、二度見ることはないだろうが。予告編を見ると魅力が半減するので敢えて紹介しない。それにしても3年前に封切りされた映画のDVDが1000円を切っているとは恐れ入谷の鬼子母神である。尚、『24:レガシー』の主役に起用されたコーリー・ホーキンズがチンピラ役で登場する。
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Happinet(SB)(D) (2015-12-02)
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2017-12-31
映画『アンノウン』:ジャウム・コレット=セラ監督(2011年)
・映画『アンノウン』:ジャウム・コレット=セラ監督(2011年)
・映画『フライト・ゲーム』ジャウム・コレット=セラ監督(2014年)
行く当てもなく自転車を走らせて佳景と巡り合うことがある。そんな気分が蘇る映画作品だ。記憶喪失ものといえば『ボーン・シリーズ』(原作はロバート・ラドラム著『暗殺者』)が有名だが、主人公のマーティン・ハリス博士は交通事故前後の記憶が欠落している。4日間の昏睡状態を経て、一緒にドイツを訪れた妻の元へゆくと、見知らぬ男性が自分を名乗っていた。妻も自分のことを知らないと言う。パスポートは事故で無くしてしまっていた。物語は突然カフカ的様相を帯びる。
「オチがつまらなかったら承知しないぞ」と誰もが思うタイミングで主人公は命を狙われ、続いて旧東ドイツの秘密警察シュタージの一員であったエルンスト・ユルゲンという老人が登場する。この色合いの変化こそが本作品の醍醐味であるといってよい。
男は自分が自分であることを探し求め、遂に見つける。そして男は生まれ変わった。アメリカ映画らしからぬ傑作だ。
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ワーナー・ホーム・ビデオ (2012-04-25)
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2017-04-26
輪廻する缶コーヒー/『恋ノチカラ』相沢友子脚本
・正しいキレ方
・輪廻する缶コーヒー
実に3月11日以来ずっと見続けてきた。「ほとんどビョーキ」(※山本晋也の決め台詞)である(笑)。かつて『狼/男たちの挽歌・最終章』(ジョン・ウー監督、1989年)を100回以上視聴しているが、不思議なほど取り憑(つ)かれてしまうのはスタイル(文体)に惹(ひ)かれるためだ。冒頭のスピーディーな展開とサリー・イップの歌声を紹介しよう。
はたと気づいた。「ああ、輪廻(りんね)か」と。厳密に言えば『狼』の場合は因果応報であるが、プラスとマイナスの違いこそあれ「繰り返し」という意味では同じだ。『恋ノチカラ』では缶コーヒーが本宮籐子(深津絵里)と貫井功太郎(堤真一)の間を往還し輪廻する。
籐子は以前、仕事でミスをし上司に絞られた際に、たまたま通りかかった貫井から励ましを受け缶コーヒーを手渡された。独立した貫井の事務所に籐子は引き抜かれるが実は人違いであった。一旦は元の会社へ戻ろうとした籐子だが貫井に対する嫌がらせを知り、貫井企画で働くことを選ぶ。籐子は貫井と木村壮吾(坂口憲二)に缶コーヒーを渡す。
次は貫井が仕事で行き詰まり事務所の空気が不穏になる。貫井と木村が衝突。事務所を出ていった貫井の後を籐子が追い掛ける。公園のベンチに座り込む貫井に籐子は肝コーヒを差し出した。ドラマの白眉ともいうべき部分だ。なんと堤真一はここで科白(せりふ)を間違えている(笑)。貫井は怒りのあまり缶コーヒーを地面に叩きつけた。籐子は思いのたけを吐き出し走り去る。翌朝、「昨日は悪かったな」と貫井が缶コーヒーをお返しする。
貫井がデザインしたという設定の缶コーヒーなのだが野暮ったいデザインでセンスが悪い。そもそも貫井のファッションがその辺のオッサンと変わりがなくてとてもデザイナーには見えない。しかも堤真一は酷いガニ股で歩く姿が絵にならない。
ま、悪口はいくらでも言える。そもそも広小路製薬の仕事を依頼されたのは籐子の必死な行動によるものであり、散々嫌がらせをしてきた吉武宣夫(西村雅彦)を貫井企画に引き抜いたのも籐子の功績である。そんな彼女をドラマの後半に至るまで軽々しく扱わせるのはストーリー設定がおかしい。フジテレビだから仕方がないのか?
輪廻する缶コーヒーは偶然生まれたものだろう。最初から考えていたのであれば最後にもう一捻(ひね)りありそうなものだ。貫井への恋心を抑えきれなくなった籐子は辞める決心をする。一人名残りを惜しむように事務所で思いに耽(ふけ)る籐子。貫井の席に座り、クルクルと椅子を回しながら両手を伸ばし天井を見上げ、微笑みながら涙を流す。デスクの上には缶コーヒーが置かれていた。
シンメトリーと輪廻について考える。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2017年4月12日
人間はシンメトリー(左右の対称性)に美を感じる。輪廻という考え方はヒンドゥー教や古代エジプト・ギリシャなど世界各地に見られる。多分、四季の移り変わりや繰り返される星の運行から生まれたのだろう。雨-川-海といった水の循環とも関係があるのかもしれない。いずれにせよ輪廻をシンメトリーと捉えれば美や秩序を見出すことは容易だ。
私が何度もこのドラマを繰り返し見続けてきたこと自体が輪廻に思える(笑)。我々は同じことを繰り返すのが好きなのだ。食事から仕事に至るまで日常生活の行動は同じことの繰り返しである。映画や小説は起承転結の繰り返しで、スポーツはルールの繰り返しに過ぎない。そして人類は戦争と平和を繰り返す。
繰り返すことと繰り返さないことの間に人生の個性があるのだろう。よく「同じ過ちを繰り返すな」という。これが実は簡単なようでなかなか難しい。仏教で説く業(カルマ)とは行為のことだが、繰り返しによって強化された癖との意味合いが強い。
もう、『恋ノチカラ』はしばらくの間見ない。輪廻から離脱する。
2017-03-19
正しいキレ方/『恋ノチカラ』相沢友子脚本
・正しいキレ方
・輪廻する缶コーヒー
読む量が増えてくると、どうしてもつまらない本と出会う確率が高まる。読書日記すら書く気が起こらない。特に最近は慰安婦捏造・沖縄米軍基地・メディアの欺瞞に関する本を読んでいて、これがまた玉石混淆という有り様。少々うんざりしていたところで、このドラマを見たのが運の尽きであった。
『恋ノチカラ』は2002年に放映されたのだが私は再放送を見ている。私は10代後半から殆どテレビを見ていないのだがなぜか見ている。いやあたまげたね。こんなに面白かったとは。ラブコメディなんだが、昔読んだ『いろはにこんぺいと』(くらもちふさこ作)を思い出した。思わず立て続けに2回見てしまった。こんなことは『アメリ』以来である。
私の中では『王様のレストラン』『こんな恋のはなし』を抑えて堂々1位のドラマである。
脚本にちりばめられた科白(せりふ)もさることながら、深津絵里の演技が全てであると言い切ってよい。深津と比べればあとは全部大根役者だ。少女漫画から抜け出してきたようなファッションもグッド。ご飯のこぼし方から口の周りがクリームまみれになるところまで完璧な演技を貫く。
特に「ワンワン」「美味い~」「女捨ててますから」「がっかりした!」という場面が忘れ難い。そしてラストに至るまで見事に三枚目の女性を演じ切る。
何の取り柄もない30代の平凡な女性がほぼ毎回感情を爆発させてキレる。本宮籐子(深津)の怒りには邪悪な性質がない。相手を真っ直ぐに信頼しストレートな言葉を放つ。そこには計算の翳(かげ)りもない。正しいキレ方が男たちに初志を思い出させる。ラストのどんでん返しはストーリーとしては安易すぎる。そして異様に長い科白が目立つ。それでも尚、深津の演技がドラマ全体を牽引する。「愛すべきそそっかしい女」というのは一昔前のステレオタイプかもしれないが、やはり「女は愛嬌」である。明るくなければよき母になることも難しいだろう。
YouTubeの動画は音飛びだらけなのだが、3~4種類の動画がアップされているので横断しながら見るとよい。
2015-12-07
なぜ『ポスト・ヒューマン誕生』を否定的に描いたのか?/『トランセンデンス』ウォーリー・フィスター監督
・『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル
・『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗
・なぜ『ポスト・ヒューマン誕生』を否定的に描いたのか?
・『LUCY/ルーシー』リュック・ベッソン監督、脚本
・『Beyond Human 超人類の時代へ 今、医療テクノロジーの最先端で』イブ・ヘロルド
・『われわれは仮想世界を生きている AI社会のその先の未来を描く「シミュレーション仮説」』リズワン・バーク
たった今、見終えた。究極の駄作であるが、アメリカのキリスト教原理主義傾向や反知性主義が透けて見える。なぜ『ポスト・ヒューマン誕生』を否定的に描いたのか? それは神を守るためだ。
「トランセンデンス」は超越の意であり、映画では「シンギュラリティ」よりも上に位置づけている。きっと「神の超越」に掛けたのだろう。
主人公ウィルの意識を宿すコンピュータがなぜ悪役となったのかがわかりにくい。鍵はいくつかの場面にある。ひとつは不治の病をコンピュータが治すシーンで「イエスの奇蹟」を思わせるゆえ、神への冒涜に当たるのだろう。二つ目は妻エヴリンの詳細なデータ解析を行っている事実がバレるところ。神は全知であっても構わないが、人の全知はご勘弁といったところか。三つ目はウィルの再生で、これはイエスと肩を並べる行為だ。
レイ・カーツワイルは明るい未来を描いたにもかかわらず、やはり結論が気に食わない連中がアメリカには多いのだろう。カーツワイルは人工知能が全宇宙に広がってゆく様相(エポック6)まで示し、宇宙を満たした意識の連帯が「神」となる可能性にまで言及している。
永遠は神様の専売特許だ。つまりシンギュラリティ~トランセンデンスは神様の特許権を侵害しているのだ。この映画作品の主張はそこにある。
2015-08-24
作り物の世界/『それでも夜は明ける』スティーヴ・マックイーン監督
懐かしい名前と思いきや、まったくの別人であった。英語の綴りは一緒だが日本語名は俳優を「スティーブ」と表記する。19世紀半ばにあった実話で原作は本人による手記。自由黒人であったソロモン・ノーサップが白人に騙され奴隷となる。英語タイトルは原作と同じで『Twelve Years a Slave』(12年間、奴隷として)。尚、余談ではあるが奴隷を「slave」というのは白人奴隷であったスラブ人に由来する。スティーヴ・マックイーン監督は黒人である。彼はソロモン・ノーサップの体験を知って衝撃を受けた。
狭い小屋の中で奴隷たちが雑魚寝をしている。隣で寝ていた女が主人公に口づけをし、手をつかんで股間に導く。が、男は拒んだ。冒頭の場面だが意味が理解できない。最初の違和感が別の違和感につながり、主人公が背伸びした状態で木に吊るされているシーンで私はDVDを止めた。前代未聞のことである。奴隷たちにリアリティを感じない。どう見ても作り物の世界である。
「除名されたのはCityArtの編集者アルモンド・ホワイト。彼はマックィーン監督が受賞スピーチをしている間、『お前なんかしがないドアマンか清掃作業員だ。ファック・ユー、俺のケツにキスでもしてろ』と叫んだという」(シネマトゥデイ)。アメリカの人種差別は根深い。私としては白禍論を唱えざるを得ない。世界を混乱に導いてきたのは白人とキリスト教だ。マニフェスト・デスティニーに取り憑かれた彼らは自分の姿を省みることがない。
2015-08-15
誰一人として俳優に見えない/『ある過去の行方』アスガー・ファルハディ監督
映画を観て「文体が合わない」と思う私の感覚は何に由来するのか。脚本なのか。それともカット割りなのだろうか。自分でもよくわからない。沢木耕太郎が褒めていた作品だが、どうもピンと来なかった。ただ凄いと思ったのは誰一人として俳優に見えないところである。主役の女性はコメディエンヌ(女芸人)らしい。それにしても別居中の夫を離婚のために呼び寄せ、現在の恋人と住む家に宿泊させるということが実際にあり得るのだろうか? リアリズムを欠いているようにしか思えない。男女の葛藤や親子のいざこざを巧みに描いているものの、そこで終わってしまっているような印象を受けた。恋人の息子役の少年は天才的な演技力が光る。
2015-08-09
エベレスト初登頂の記録映像と再現ドラマ/『ビヨンド・ザ・エッジ 歴史を変えたエベレスト初登頂』リアン・プーリー監督
・『神々の山嶺』夢枕獏
・『そして謎は残った 伝説の登山家マロリー発見記』ヨッヘン・ヘムレブ、エリック・R・サイモンスン、ラリー・A・ジョンソン
・【動画】ジョージ・マロリーの遺体発見
・エベレスト初登頂の記録映像と再現ドラマ
2014年公開のニュージーランド映画。エドモンド・ヒラリーとテンジン・ノルゲイによるエベレスト初登頂の記録映像と再現ドラマ。物語性には欠ける。ま、一種の記録映画として観ることが正しいのだろう。エベレスト山頂からの360度パノラマ映像を観るだけでも価値あり。
いやあ知らなかった。ヒラリー卿がニュージーランド人だったとは。ずっとイギリス人だとばかり思い込んでいた。更にヒラリー・テンジン組は第二次アタック要員であった。ナレーションの殆どが関係者の証言で構成されているが、やはりイギリス・パブリックスクール組のエリート意識とそれに基づく差別観があったことだろう。意地の悪い発言が結構多い。
ジョージ・マロリーの第3次遠征(1924年)からヒラリーが踏破するまで29年を要している。頂上付近の難所がよくわかった。『そして謎は残った 伝説の登山家マロリー発見記』を読んだ者としては避けて通れない映画である。
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KADOKAWA / 角川書店 (2015-01-09)
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2015-08-05
アメリカの病巣と化すCIA/『HOMELAND シーズン3』
『HOMELAND』はシーズン1の設定が秀逸で、ダミアン・ルイスの飄々とした演技が魅力的であった。しかしながら妻の浮気という陳腐な要素が盛り込まれることでドラマ性が薄れた。これは『ザ・ユニット 米軍極秘部隊』と同じ構図でアメリカドラマの芸のなさを示す。
キャストの演技力にストーリーが追いついていない。ま、俳優の力だけで引っ張るドラマといってよい。シーズン3で登場するナザニン・ボニアディがとても可愛らしい。
『HOMELAND/ホームランド』シーズン3。ファラ役のナザニン・ボニアディ。 pic.twitter.com/iTDIY57EBy
— 小野不一 (@fuitsuono) 2015, 7月 22
キャリーは双極性障害、ブロディは洗脳、ソール(マンディ・パティンキン)は妻と別居など、設定自体が病んでいるのだが、最も病んでいるのはCIAの体質そのもので、インテリジェンスが極まるところには不毛な不信感しか生まれないことを見事に示す。
まったくもって救いのないドラマである。ブロディが洗脳されたのもインテリジェンスのためであり、アルカイダからテロを命じられ、CIAからは暗殺を指示されたのもインテリジェンスのためであった。お互いが最初から手の内を明かしてしまえばスパイ活動のコストは不要となる。
プロテスタント原理主義に基づく正義を標榜するアメリカが実は不安神経症なのだ。『24 -TWENTY FOUR-』ではまだ正義が辛うじて担保されていた。ジャック・バウアーは法や規則を無視することで正義を際立たせた。『HOMELAND』にはそれがない。ソールやダールといったCIAの官僚が自らの手を汚すことなくキャリーやブロディを酷使する。
このドラマは9.11後のアメリカが転落する様相の象徴であろう。結果的には「テロリズムと闘う」ことでアメリカは滅びるのだ。
【追記】キャリーがブロディをファーストネームで呼ばないのはなぜなのだろう?
2015-08-02
セイラムの魔女裁判を脚色/『クルーシブル』ニコラス・ハイトナー監督
セイラムの魔女裁判を題材にした映画、クルーシブルは必見でございます。途中で中座したくなるような映画です。
— タカシ (@taka0316y7) 2014, 4月 25
原作はアーサー・ミラーの戯曲『るつぼ』(1953年)で舞台公開された。映画化はジャン・ポール・サルトルが脚色した『サレムの魔女』(1958年)が嚆矢(こうし)。アーサー・ミラーはマッカーシズム(赤狩り)を批判するためにペンを執った。一種の逆プロパガンダ作品でありプロテスト(抗議)行為といってよい。
魔女狩りの情況が巧みに描かれていて一見の価値あり。セイラム魔女裁判(1692年)はプロテスタント社会における集団ヒステリーとして捉える傾向が強い。だがそれでは魔女狩りの全体像を見渡すことは難しい。
セイラムの魔女裁判 その一。 pic.twitter.com/B44tpy9Dgw
— 小野不一 (@fuitsuono) 2015, 8月 2
私は脱魔女狩りが近代化の本質であったと考えている。
・何が魔女狩りを終わらせたのか?
魔女狩りについてはあまりいい本がない。やはり欧米の自己弁明圧力が働くためだろう。森島恒雄著『魔女狩り』がアウトラインを一番よくまとめている。
セイラムの魔女裁判 その二。 pic.twitter.com/JdwSAwVypI
— 小野不一 (@fuitsuono) 2015, 8月 2
魔女狩りがわかりにくいのは背景や原因が描かれていないためだ。そのキリスト世界を俯瞰するには外部からの眼が必要になる。ところが西洋は神が頂点に君臨しているため、その【上】に視点を置くことができない。
この映画も同様である。物語性を高めるためにジョン・プロクター(ダニエル・デイ=ルイス)と17歳のアビゲイル(ウィノナ・ライダー)が不倫をしたという設定になっているが、実際のアビゲイルは12歳であった。プロクター夫妻は不貞を働いた夫と冷酷な妻でありながらも、後半ではイエスとマリアのような役回りとなっている。かようにキリスト世界では偽善が必要とされる。
実は先日観た『ラスト・オブ・モヒカン』でダニエル・デイ=ルイスを知ったのだが特にいい俳優とも思えない。世間の評価が高いのは役作りを懸命にしているためだろう。本作品では「チャールトン・ヘストンの二番煎じ」といった顔つきだ。尚、妻を演じるのはジョアン・アレンで、その後『ボーン・スプレマシー』(2004年)のパメラ・ランディ役を務めた女優である。
セイラムの魔女裁判 その三。 pic.twitter.com/IvRJee4MQX
— 小野不一 (@fuitsuono) 2015, 8月 2
見どころは少女たちのヒステリー症状もさることながら、判事や魔女に詳しい牧師がパニックに拍車をかけ、不安を拡大させている点にある。つまり【専門家が時代をミスリードする】のだ。教会は宗教を司り、政治にも影響を及ぼした。さしずめ現代なら政治とメディアだ。
魔女狩りは現代でも行われている。
・Thieves Burned Alive in Kenya for Stealing Potatoes(※閲覧注意、18歳以上に限る。「CONTINUE」をクリック)
魔女狩りはキリスト世界に限ったものではない。「祟(たた)り」を信じ、恐れる人々の暴力衝動が人間に対して火を放つ。
・人間は人間を拷問にかけ、火あぶりに処し、殺害してきた
日本では16世紀から17世紀にかけて4000人のキリシタンが虐殺された(『殉教 日本人は何を信仰したか』山本博文)。キリシタン狩りを一種の魔女狩りと捉えることも可能だろう。
1回目の縛り首にやんややんやの喝采を送っていた大衆が2回目は静まり返る。アメリカ映画の不自然な演出はプロテスタントに由来するものと考える。
尚、ヴェノナ文書によってジョセフ・マッカーシーの主張は正しかったとされているが、ソ連のスパイが多数いた事実とマッカーシー旋風は分けて考えるべきだろう。中西輝政の指摘はやや的外れであるように私は感じる。
・セーラム魔女裁判で実際に行われていた魔女を見分ける10の方法
・セイラム魔女裁判―清廉潔白のグロテスク
2015-07-30
恋愛茶番劇/『ラスト・オブ・モヒカン』マイケル・マン監督
ディレクターズカット版を観た。『セデック・バレ』は明らかに本作品から影響を受けている。山谷を駆け巡り、奇声を上げ、手斧を使うところがそっくりだ。ただし『セデック・バレ』を観た後では興醒めする。インディアも描けていなければ、戦争も描けていない。安っぽい恋愛を主題にしたのが失敗だ。恋愛茶番劇といってよし。そもそも主役のダニエル・デイ・ルイスが白人という設定がおかしい。尚、余談ではあるがダニエル・デイ・ルイスはニコラス・ブレイクの息子と知ってびっくりした。
2015-07-27
文体が肌に合わず/『カティンの森』アンジェイ・ワイダ監督
2007年制作。ポーランド映画。どうもアンジェイ・ワイダの文体が肌に合わない。『灰とダイヤモンド』(1958年)もそうだが私はドラマ性を感じなかった。はっきり言えば、ぶつ切りの映像にしか見えない。主役のアンナは木村カエラみたいな顔で魅力を欠いているし、キャストというキャストがどうも冴えない。
例えば甥っ子がソビエトのプロパガンダポスターを剥がす行為や、大将夫人が映画に抗議する場面など、見るからに拙い行為であり、正義よりも安易さが目立つ。
唯一感動したのはポーランド人将校の収容所で大将が厳(おごそ)かに演説を行い、静かに皆で合唱をした場面だ。
アンジェイ・ワイダの父親もカティンの森事件の被害者であった。構想に50年、製作に17年を要したらしいが、時間のかけ過ぎであると思う。
現在ではカティンの森事件の被害者は22000人とされる。ドイツ軍が遺体を発見すると、ソ連は「ドイツの仕業だ」と喧伝(けんでん)した。共産主義と嘘はセットになっていると考えてよろしい。社会主義国家や共産党は病的な嘘つきである。
思えば我が日本も大東亜戦争の終戦間際に日ソ中立条約があったにもかかわらず満州や北方領土を攻撃され、ソ連軍は虐殺、強姦、強盗の限りを尽くした。それどころではない。推定65万人もの日本人をシベリアに抑留し、強制労働をさせたのである。ソ連の行為はまさしく侵略戦争そのものであった。
尚、カティンの森事件を知らない人のために動画を貼りつけておく。
2015-07-25
原発事故の多層的な被害/『みえない雲』グレゴール・シュニッツラー監督
ドイツ映画。2006年公開。原発事故を描いたパニックもの。ギムナジウムに通う14歳という設定の主役二人の演技がとてもよい。特にキアヌ・リーブス似の彼氏は陰影の深い役どころを見事にこなしている。
授業中にABC警報(ドイツで定められている、A=核兵器、B=細菌兵器、C=化学兵器の攻撃を知らせる警報)のサイレンが鳴り響く。原発事故は多層的な被害を及ぼす。映画では家族が離れ離れになる~弟が交通事故に遭う~恋人と別れてしまう~被曝する~大切な人を喪うという流れが描かれる。
原作の小説はドイツで150万部を売り上げ、国語教材としても活用された。「ドイツを脱原発へと導いた小説」と評されているが、映画にそれほどの説得力は見出だせない。ドイツは脱原発を目指しながらも、フランスから原発電力を輸入している(トータルではドイツは電力輸出国)。EUでは1999年から電力自由化が実現しているため、EU全体を見る必要があろう。
私は原発にまつわる最大の問題は技術よりも、むしろ情報隠蔽、利権優先のシステム、杜撰な計画~運用、ヒューマンエラーにあると考える。電力を輸入できない我が国の現実を思えば、今直ぐ脱原発というのは難しいだろう。また一度進んだ技術は引き返すことができない。もちろん原子力技術は軍事力とも関連してくる。現状では再生エネルギーはコスト的に見合わない。とてもじゃないが太陽光パネルの10年間の発電量で太陽光パネルがつくれるとは思えない。
「主演女優パウラ・カレンベルクはチェルノブイリ原発事故の時に胎児であった。健康な外観で生まれたが、幼児期に検査をしたところ、心臓に穴が開いていること、片方の肺がないことが判明した。しかし彼女は体に障害があるとは思わせることはなく、疾走する場面も問題なくこなした」(Wikipedia)。
テロに敗れつつあるアメリカ/『グアンタナモ、僕達が見た真実』マイケル・ウィンターボトム監督
2006年に制作されたイギリス映画。日本公開は2007年。
実話である。しかも本人たちのインタビューが随所に挿入されている。パキスタン系イギリス人の若者が結婚式のためにパキスタンへ里帰りする。彼は3人の友人を招待し、4人でパキスタンへ向かう。彼らは隣国のアフガニスタンが米軍の攻撃によって荒廃していることに心を痛める。せっかくここまで来たのだから、ということで彼らはアフガニスタンにまで足を伸ばし、難民支援のボランティアを行う。タリバンの戦闘に巻き込まれ、その後彼らは米軍に引き渡され、グアンタナモ収容所(※グァンタナモとの表記もあり)へ送られる。拘束期間は2年半に及んだ。
グアンタナモ湾収容キャンプの位置。 pic.twitter.com/7hKF5lvS6m
— 小野不一 (@fuitsuono) 2015, 7月 25
私はキューバ国内にアメリカの飛び地があったことを知らなかった。元々はキューバやハイチからの難民を受け入れるためのキャンプであったらしい(1970年代)。9.11テロ以降はテロリスト容疑をかけられた各国の人々が収容されている。しかも裁判がない上、国内法をかわす目的で国外に設けられ、ジュネーヴ条約違反を回避するために捕虜ではなく犯罪者と位置づけている。そう。彼ら米軍こそが無法者なのだ。
杜撰(ずさん)な取り調べ、でっち上げ、そして嘘。ある時は「イギリス大使館の外交官」を詐称する人物が現れる。もちろん米兵かCIAである。女性による取り調べも行われるが、最初から最後までテロリストと決めつけているだけだ。
私はテロに敗れつつあるアメリカを確かに見た。日本の官僚主義とまったく同じ世界だ。事実はどうあれ結果だけが求められる。米兵の無能が犯罪に結びつく。こうした行為が強靭な復讐心を醸成させ、世界の至るところでアメリカ人が殺されるような目に遭ってもおかしくない。グアンタナモ収容所でアメリカは正義の旗を下ろした。
そして主人公たち3人がイギリスに帰国した2004年、今度はイラクのアブグレイブ刑務所で米兵による捕虜虐待が発覚するのである。
映画作品としてではなく、現実世界で起こった事実として見るべきだ。「世界の警察」を自認してきたアメリカが犯罪者に転落した瞬間を我々は目撃する。オバマ大統領はシリア問題に関するテレビ演説で「米国は世界の警察官ではないとの考えに同意する」と歴史に残るであろう発言をした(2013年9月10日)。ま、国防予算削減という背景もさることながら、米軍が世界各地で犯罪を冒してきた事実を思えば、犯罪者宣言とも思える。
アシフは語る。「人生が変わってしまった。考え方、世の中の見方も……。この世界はいいところじゃない」。
正義を叫ぶ者を疑え。彼らこそが世界に混乱を起こす張本人ゆえに。
2015-07-19
フィナーレ/『海角七号 君想う、国境の南』魏徳聖(ウェイ・ダーション)監督
・台湾コメディの快作
・フィナーレ
・『セデック・バレ』魏徳聖(ウェイ・ダーション)監督
・『KANO 1931海の向こうの甲子園』馬志翔(マー・ジーシアン)監督
映画を観た人限定。これから観る人は面白さが半減するので見てはならない。観客の反応がよすぎて死ぬほど笑える。
・106歳の日本人教師から91歳の台湾人生徒に届いた奇跡の手紙
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