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『日本の知恵 ヨーロッパの知恵』松原久子
・謝るということの国際的な重大性
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『驕れる白人と闘うための日本近代史』松原久子
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日本の近代史を学ぶ
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必読書リスト その四
「戦後70年安倍談話」に関するトピックをいくつか挙げる。特に意識をしてフォローしてきたわけではないので見落としがあればご指摘願う。
・有識者会議の座長代理を務める北岡伸一・国際大学学長は、3月9日、「日本は侵略戦争をした。私は安倍首相に『日本が侵略した』と言ってほしい」と言明していた(
「安倍談話」の有識者会議座長代理の変節から浮かぶ「圧力」の歴史――シリーズ【草の根保守の蠢動 第7回】)
・にもかかわらず、北岡座長代理は、4月10日、『植民地支配と侵略』や『おわび』の踏襲にこだわる必要はないと、全く逆の考え示すに至った。(同ページ)
・公明党の漆原良夫中央幹事会会長は9日、安倍晋三首相の戦後70年談話に「侵略」や「おわび」を明記するよう求めた。「言葉が入ることは大事だ」と強調した。(
産経ニュース 2015-08-09)
・山口代表は、「過去の内閣の談話の趣旨を継承し、国際社会にきちんとその趣旨が伝わるような配慮をしてほしい」などと、公明党側の考えを伝えました。(
NHK 2015-08-07)
・70年談話、「おわび」盛らず 首相が原案 歴史認識継承は明記(
日本経済新聞 2015-08-08)
・10日、NHKによると、戦後70年談話の原案は平成7年の村山談話や平成17年の小泉談話でキーワードに位置づけられている「痛切な反省」、「植民地支配」に加え、「お詫び」と「侵略」という、すべての文言が明記されていることが明らかになった。 (
中央日報 2015-08-10)
・(公明党の意見は当然であり)「侵略」をきちんと位置づけ、「反省とお詫び」を盛り込んだ上で、いくらでも未来志向のものにできると思います。 (
小宮山洋子・民主党前衆議院議員 2015-08-09)
・私個人は、表現の問題で誤解を受け、ギクシャクするくらいであるならば、過去の談話で表された「侵略」や「お詫び」の文言をしっかりと踏襲し、あらためて我が国の反省の意を明らかにした上で、戦後日本の平和な歩みや国際貢献に言及するとともに、地域と世界の将来を見据えた未来志向の談話にしていただきたいと願っています。(
岩屋毅・自民党衆議院議員 2015-08-10)
・7日夜の自民・公明両党の幹部会談で示された原案には、「おわび」の文言は入っておらず、公明側は「過去の談話を踏襲すると首相は言うが、おわびが意味として世界各国に伝わるようにしないといけない」と、中国や韓国への配慮を求めていた。(
日刊ゲンダイ 2015-08-10)
・連立与党の公明党が「侵略」「おわび」などをキーワードとして盛り込むよう求めていることに一定の配慮を示した。(
ロイター 2015-08-10)
・安倍晋三首相が14日に発表する戦後70年談話で、「侵略」に言及する方向であることが9日、分かった。戦前・戦中の日本の行為に絞っての「侵略」というよりも、世界共通での許されない行為として触れる可能性が高い。(
産経ニュース 2015-08-10)
・70年談話「侵略」記述へ 首相、国際原則の文脈で (
日本経済新聞電子版 2015-08-11)
・政府が14日に閣議決定する戦後70年談話で、先の大戦を侵略戦争と位置づけ、「侵略」の文言を明記する方向であることが10日、明らかになった。「反省」という言葉も盛り込むほか、戦後日本の歩みに多くの国が理解を示していることに「感謝」の意も表す。(
YOMIURI ONLINE 2015-08-11)
・戦後70年談話、アジア諸国への「おわび」に言及へ 14日に閣議決定(
ハフィントン・ポスト 2015-08-11)
・戦後70年談話「おわび」に言及へ 安倍政権幹部が明言(
朝日新聞 2015-08-11)
公明党・創価学会は中国・韓国とのパイプがあるため、ひょっとすると何らかのメッセージを託されている可能性もあるように思う。とはいえ日本の基軸は日米関係であり、アメリカの意向が最も大きな影響を及ぼす。安部首相が「戦後レジームからの脱却」という志を失っていないのであれば、敗戦70周年という節目こそ「新しい日本の像」を示す絶好の機会ではないか。にもかかわらず十年一日の如く東京裁判史観に基づいた謝罪外交を踏襲するとはこれ如何に。
謝る者は弱者、弱者はたたけ
謝れば償え
そのため、ままあいい加減で謝るなどという迂闊(うかつ)な真似は決してしない。謝るということは自分の負債なり罪責を認めることである。認めた以上それを償わなければならない。これは小さな子供でも知っている。ドイツやフランスで子供が「ごめんなさい」と言えば親はそれで許すどころか、悪いと認めた以上償いのために「庭をきれいに掃除しなさい。わかっているね」とか「今夜テレビを見る時間は30分に減らすから、そのつもりで」などと言い渡している。「ごめんなさい」では済まないのである。
謝るということの危険さは宗教的風土においても顕著である。教会の教義以外を信じたために捕らえられた者が、教会による苛酷な拷問に苦しむ。苦しんでも自らを曲げず謝らなければ拷問は死ぬまで続く。非を認め、謝れば、恩赦と称して焚刑(ふんけい)に処した。一度悪魔の手に渡った魂を聖なる火で清め、地獄の替わりに天国へ行かせてやるためである。ということは一度捕らえられた以上は神学的理由をつけてどっちにしても殺すのである。
この無慈悲で無恥なやり方は中世から近世にかけてヨーロッパ全土に繰り広げられた宗教裁判の常識であるが、それはヨーロッパ人の歴史的記憶となって受け継がれ、謝るということは死に繋がるのだという教訓を残している。
日本では宗教の世界観が動かすことのできない永遠の真理としてたたきこまれ、それとは異なる観察なり意見を持ち出すことが罪であるとして改宗を迫られたことはない。仏教各派の大僧正や伊勢神宮の大宮司が何十万、何百万もの人間を家の中から引きずり出して宗教裁判を行い、謝る者」を焚刑に処したという歴史はない。
日本では子供の時から「ごめんなさい」と言えば、親は「よしよし、わかったな」と言いながら頭を撫で、早々におやつのひとつも出してくれるし、大人になってからでも「何とかここはご勘弁を」と両手をついて平謝りに謝れば相手も大体心を和(やわ)らげてくれる。謝った以上罪責を認めたのだから大いに償ってもらうというのではなく、あれだけ誤っているのだからもう許してやろうということになる。こういうありがたい社会に住んでいるため、日本人は国の指導者でさえも謝るということの国際的な重大性をまったく意識していない。対外的に謝るということの結果についてはあまりにも無頓着なのである。謝る以上、何に対して謝るのか内容をはっきりさせ、賠償を支払う覚悟がなければ安々と謝ってはならない。
ヨーロッパでは謝るということは賠償につながり、国土の削減につながり、下手をすると滅亡につながることを誰もが知っている。
西欧の基本は、非難を受け入れて謝る者、黙って退く者、善意に充ちてはいるが打ち返す力のない者を弱者とみなし、弱者をたたくことである。たたくことは可哀そうだと情に溺れたり、その妥当性を検討している余地がないほど苛酷である。そのため、弱者にならぬよういざとなれば弁護士の知恵を借りる。非難を受け入れて謝ったり、黙って退いたり、打ち返すことをあきらめると弱者と見られる。
たとえ退くにしても、その理由を延々と述べなければならない。妥協案をとるにしても、喜々としてとってはならない。
「非難を受けるようなことをやったばかりでなく、そのうえ開き直って、つべこべ言訳を述べ、厚顔無恥の徒だ」と日本人が感じるようなやり方が西欧社会の常識である。
ちなみにクリントン大統領はホワイトハウス見習い生との性的関係を認めざるを得ないところまで行ったにもかかわらず、決して国民に謝罪はしていない。 deeply regret というのは「深く後悔する」という意味だが、謝罪するというのではない。「この車を買って後悔している」というのは「謝罪する」のとは異なる。ここを間違えて日本の新聞は「大統領謝罪する」と書き立てたが、本質的なところで誤解している一つの例である。
【『言挙げせよ日本 欧米追従は敗者への道』松原久子(プレジデント社、2000年)】
松原久子は日欧比較文化史の学者でドイツではコラムニストとして活躍。テレビ番組にもレギュラー出演し評論家としても知られる。現在はアメリカ在住。
深代惇郎もこう書く。
ところが西洋人からすれば「天然現象ではるまいし、(交通)事故が降ってわいたわけではない。どちらかに過失があったから起こったので、アイ・アム・ソーリーかユー・アー・ソーリーのどちらかしかない」ということになる。
だから交通事故でドライバーが「詫(わ)びる」のは、弁償するということであり、「詫びる」というのは、まことに重大な人格表現で、それだけの覚悟がいる。
【『深代惇郎エッセイ集』深代惇郎〈ふかしろ・じゅんろう〉(朝日新聞社、1977年/朝日文庫、1981年)】
異民族による征服という危機にさらされてきたのがヨーロッパの歴史であった。そのため「彼らは国家間の協力とか友好の本質を利害関係の均衡に見いだ」(13ページ)す。要は文化の違いであるが、欧米の価値観が国際基準となっているため日本の情緒や阿吽(あうん)の呼吸は通用しない。
安倍談話に謝罪が盛り込まれるとすれば、日本はまたぞろ奪われる側に身を置くこととなる。結局のところ国家の安全保障を他国に依存しているうちは、国際社会で自分たちの歴史を語ることも許されないのだろう。
まだ読み終えていないのだが、タイミングを逸することを恐れるあまり紹介した。