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2021-09-06

竹山道雄と松原久子/『日本の知恵 ヨーロッパの知恵』松原久子


竹山道雄

 ・竹山道雄と松原久子

『言挙げせよ日本 欧米追従は敗者への道』松原久子
『驕れる白人と闘うための日本近代史』松原久子

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 ヨーロッパ人は自分たちが意識している以上に、歴史という躍動体を大切にする。相手の歴史の水準が自分たちと同じであるとわかった場合にのみ、相手をパートナーとして受け容れ、尊敬する。尊敬の念なくして本当の理解は育たない。日本人が長い長い歴史の中で何を学び、何を体験し、その結果何を大切にするようになったのか、何を侮蔑し嘲笑するのか、いかなる死生観をもち、なぜ働くのか、いかなる論法に参(ママ)り、どういう情緒に動かされ、何を美しいと感じるのだろうか、ヨーロッパ人の場合はどうだろうか。
 歴史的事実を例証として、こういった問いかけに答えていくことが日本人の急務である。経済発展により、うさんくさそうにじろじろ眺められている日本は、堂々と、そして真摯に自分の素性を語らなければならぬ。日本は数百年前にはどんな国であったのか、政治は、経済は、社会は、科学技術は、ヨーロッパと比べてどういう水準にあったのか。どこから現在が出てきたのか、よそから学んだ面があるとして、学ぶことのできた素地は日本人の過去の知恵にあったことを、例証しなければならない。

【『日本の知恵 ヨーロッパの知恵』松原久子〈まつばら・ひさこ〉(三笠書房、1985年/知的生きかた文庫、1986年)】

 近代を巡る日本と西洋の比較文明論は竹山道雄と松原久子が頂点を成す。特にキリスト教に関する造詣の深さが一線を画している。この二人の衣鉢(いはつ)を継ぐ者がまだ見当たらないのが残念だ。竹山・松原の著作は小中高等学校の副読本にすべきである。

 松原久子の文章に一貫して硬質な気勢があるのは、彼女が実際にドイツの地で激しい有色人種差別感情にさらされているためだ。実際に鉄道駅で見知らぬ女性から平手打ちをされたこともある。かようにヨーロッパ人の自我は差別意識で支えられている。有色人種を下に見なければ自我を支えることができないのだろう。その戦闘性こそが欧州発展の原動力であった。

 ヨーロッパ人が歴史を重んじるのは「近代を開いた」自負があるためか。中世・古代となれば我々日本人に分(ぶ)がある。日本が鎖国を成し得たのは世界最大の武力を有していたからだ(『戦国日本と大航海時代 秀吉・家康・政宗の外交戦略』平川新)。欧州が中国に魔の手を伸ばす様を見て、日本国内では攘夷の風が吹き荒れた。徳川260年は軍事大国から極東の小国へと転落する平和な期間であった。

 少し古い本である。1990年代まではインターネット以前の時代と考えてよい。当時のドイツやアメリカで暮らす者ならではの焦燥もあったことだろう。アメリカが世界から一歩退いた今、日本は我が道を歩むべきだと私は思う。親米が有利に働く時代は終焉を迎えつつある。まずはアメリカ以外の国々との安全保障を探るべきだろう。

2020-07-23

島原の乱を題材にした小説


 松原久子〈まつばら・ひさこ〉著『黒い十字架』(藤原書店、2008年)読了。島原の乱前夜を描いた小説である。セオリーとしては『沈黙』と比較するのが筋なのだろうが、私としては『みじかい命』を推す。松原久子は竹山道雄の衣鉢(いはつ)を継ぐ人物だと考えているからだ。島原の乱は鎖国のきっかけとなった事件であった。鎖国を実現し得たのは日本がヨーロッパに対抗できる軍事力を有していたからだ。「発見の時代」(Age of Discovery/大航海時代)にあって有色人種地域はほぼ全てがヨーロッパの支配下となった。豊臣秀吉のキリスト教弾圧も先見的な政策判断であった。以下に島原の乱関連書籍をまとめた。

・『クアトロ・ラガッツィ 天正少年使節と世界帝国』若桑みどり
・『マルガリータ』村木嵐

・『沈黙』遠藤周作
・『島原の乱』菊池寛
・『幻日』市川森一
・『奇蹟 風聞・天草四郎』立松和平
・『完本 春の城』石牟礼道子

『黄金旅風』飯嶋和一
・『出星前夜』飯嶋和一

・『街道をゆく17 島原・天草の諸道』司馬遼太郎
『殉教 日本人は何を信仰したか』山本博文
『戦国日本と大航海時代 秀吉・家康・政宗の外交戦略』平川新

『みじかい命』竹山道雄

2015-08-11

謝るということの国際的な重大性/『言挙げせよ日本 欧米追従は敗者への道』松原久子


『日本の知恵 ヨーロッパの知恵』松原久子

 ・謝るということの国際的な重大性

『驕れる白人と闘うための日本近代史』松原久子

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

「戦後70年安倍談話」に関するトピックをいくつか挙げる。特に意識をしてフォローしてきたわけではないので見落としがあればご指摘願う。

・有識者会議の座長代理を務める北岡伸一・国際大学学長は、3月9日、「日本は侵略戦争をした。私は安倍首相に『日本が侵略した』と言ってほしい」と言明していた(「安倍談話」の有識者会議座長代理の変節から浮かぶ「圧力」の歴史――シリーズ【草の根保守の蠢動 第7回】

・にもかかわらず、北岡座長代理は、4月10日、『植民地支配と侵略』や『おわび』の踏襲にこだわる必要はないと、全く逆の考え示すに至った。(同ページ)

・公明党の漆原良夫中央幹事会会長は9日、安倍晋三首相の戦後70年談話に「侵略」や「おわび」を明記するよう求めた。「言葉が入ることは大事だ」と強調した。(産経ニュース 2015-08-09

・山口代表は、「過去の内閣の談話の趣旨を継承し、国際社会にきちんとその趣旨が伝わるような配慮をしてほしい」などと、公明党側の考えを伝えました。(NHK 2015-08-07

・70年談話、「おわび」盛らず 首相が原案  歴史認識継承は明記(日本経済新聞 2015-08-08

・10日、NHKによると、戦後70年談話の原案は平成7年の村山談話や平成17年の小泉談話でキーワードに位置づけられている「痛切な反省」、「植民地支配」に加え、「お詫び」と「侵略」という、すべての文言が明記されていることが明らかになった。 (中央日報 2015-08-10

・(公明党の意見は当然であり)「侵略」をきちんと位置づけ、「反省とお詫び」を盛り込んだ上で、いくらでも未来志向のものにできると思います。 (小宮山洋子・民主党前衆議院議員 2015-08-09

・私個人は、表現の問題で誤解を受け、ギクシャクするくらいであるならば、過去の談話で表された「侵略」や「お詫び」の文言をしっかりと踏襲し、あらためて我が国の反省の意を明らかにした上で、戦後日本の平和な歩みや国際貢献に言及するとともに、地域と世界の将来を見据えた未来志向の談話にしていただきたいと願っています。(岩屋毅・自民党衆議院議員 2015-08-10

・7日夜の自民・公明両党の幹部会談で示された原案には、「おわび」の文言は入っておらず、公明側は「過去の談話を踏襲すると首相は言うが、おわびが意味として世界各国に伝わるようにしないといけない」と、中国や韓国への配慮を求めていた。(日刊ゲンダイ 2015-08-10

・連立与党の公明党が「侵略」「おわび」などをキーワードとして盛り込むよう求めていることに一定の配慮を示した。(ロイター 2015-08-10

・安倍晋三首相が14日に発表する戦後70年談話で、「侵略」に言及する方向であることが9日、分かった。戦前・戦中の日本の行為に絞っての「侵略」というよりも、世界共通での許されない行為として触れる可能性が高い。(産経ニュース 2015-08-10

・70年談話「侵略」記述へ 首相、国際原則の文脈で (日本経済新聞電子版 2015-08-11

・政府が14日に閣議決定する戦後70年談話で、先の大戦を侵略戦争と位置づけ、「侵略」の文言を明記する方向であることが10日、明らかになった。「反省」という言葉も盛り込むほか、戦後日本の歩みに多くの国が理解を示していることに「感謝」の意も表す。(YOMIURI ONLINE 2015-08-11

・戦後70年談話、アジア諸国への「おわび」に言及へ 14日に閣議決定(ハフィントン・ポスト 2015-08-11

・戦後70年談話「おわび」に言及へ 安倍政権幹部が明言(朝日新聞 2015-08-11

 公明党・創価学会は中国・韓国とのパイプがあるため、ひょっとすると何らかのメッセージを託されている可能性もあるように思う。とはいえ日本の基軸は日米関係であり、アメリカの意向が最も大きな影響を及ぼす。安部首相が「戦後レジームからの脱却」という志を失っていないのであれば、敗戦70周年という節目こそ「新しい日本の像」を示す絶好の機会ではないか。にもかかわらず十年一日の如く東京裁判史観に基づいた謝罪外交を踏襲するとはこれ如何に。

謝る者は弱者、弱者はたたけ

謝れば償え

 そのため、ままあいい加減で謝るなどという迂闊(うかつ)な真似は決してしない。謝るということは自分の負債なり罪責を認めることである。認めた以上それを償わなければならない。これは小さな子供でも知っている。ドイツやフランスで子供が「ごめんなさい」と言えば親はそれで許すどころか、悪いと認めた以上償いのために「庭をきれいに掃除しなさい。わかっているね」とか「今夜テレビを見る時間は30分に減らすから、そのつもりで」などと言い渡している。「ごめんなさい」では済まないのである。
 謝るということの危険さは宗教的風土においても顕著である。教会の教義以外を信じたために捕らえられた者が、教会による苛酷な拷問に苦しむ。苦しんでも自らを曲げず謝らなければ拷問は死ぬまで続く。非を認め、謝れば、恩赦と称して焚刑(ふんけい)に処した。一度悪魔の手に渡った魂を聖なる火で清め、地獄の替わりに天国へ行かせてやるためである。ということは一度捕らえられた以上は神学的理由をつけてどっちにしても殺すのである。
 この無慈悲で無恥なやり方は中世から近世にかけてヨーロッパ全土に繰り広げられた宗教裁判の常識であるが、それはヨーロッパ人の歴史的記憶となって受け継がれ、謝るということは死に繋がるのだという教訓を残している。
 日本では宗教の世界観が動かすことのできない永遠の真理としてたたきこまれ、それとは異なる観察なり意見を持ち出すことが罪であるとして改宗を迫られたことはない。仏教各派の大僧正や伊勢神宮の大宮司が何十万、何百万もの人間を家の中から引きずり出して宗教裁判を行い、謝る者」を焚刑に処したという歴史はない。
 日本では子供の時から「ごめんなさい」と言えば、親は「よしよし、わかったな」と言いながら頭を撫で、早々におやつのひとつも出してくれるし、大人になってからでも「何とかここはご勘弁を」と両手をついて平謝りに謝れば相手も大体心を和(やわ)らげてくれる。謝った以上罪責を認めたのだから大いに償ってもらうというのではなく、あれだけ誤っているのだからもう許してやろうということになる。こういうありがたい社会に住んでいるため、日本人は国の指導者でさえも謝るということの国際的な重大性をまったく意識していない。対外的に謝るということの結果についてはあまりにも無頓着なのである。謝る以上、何に対して謝るのか内容をはっきりさせ、賠償を支払う覚悟がなければ安々と謝ってはならない。
 ヨーロッパでは謝るということは賠償につながり、国土の削減につながり、下手をすると滅亡につながることを誰もが知っている。
 西欧の基本は、非難を受け入れて謝る者、黙って退く者、善意に充ちてはいるが打ち返す力のない者を弱者とみなし、弱者をたたくことである。たたくことは可哀そうだと情に溺れたり、その妥当性を検討している余地がないほど苛酷である。そのため、弱者にならぬよういざとなれば弁護士の知恵を借りる。非難を受け入れて謝ったり、黙って退いたり、打ち返すことをあきらめると弱者と見られる。
 たとえ退くにしても、その理由を延々と述べなければならない。妥協案をとるにしても、喜々としてとってはならない。
「非難を受けるようなことをやったばかりでなく、そのうえ開き直って、つべこべ言訳を述べ、厚顔無恥の徒だ」と日本人が感じるようなやり方が西欧社会の常識である。
 ちなみにクリントン大統領はホワイトハウス見習い生との性的関係を認めざるを得ないところまで行ったにもかかわらず、決して国民に謝罪はしていない。 deeply regret というのは「深く後悔する」という意味だが、謝罪するというのではない。「この車を買って後悔している」というのは「謝罪する」のとは異なる。ここを間違えて日本の新聞は「大統領謝罪する」と書き立てたが、本質的なところで誤解している一つの例である。

【『言挙げせよ日本 欧米追従は敗者への道』松原久子(プレジデント社、2000年)】

 松原久子は日欧比較文化史の学者でドイツではコラムニストとして活躍。テレビ番組にもレギュラー出演し評論家としても知られる。現在はアメリカ在住。

 深代惇郎もこう書く。

 ところが西洋人からすれば「天然現象ではるまいし、(交通)事故が降ってわいたわけではない。どちらかに過失があったから起こったので、アイ・アム・ソーリーかユー・アー・ソーリーのどちらかしかない」ということになる。
 だから交通事故でドライバーが「詫(わ)びる」のは、弁償するということであり、「詫びる」というのは、まことに重大な人格表現で、それだけの覚悟がいる。

【『深代惇郎エッセイ集』深代惇郎〈ふかしろ・じゅんろう〉(朝日新聞社、1977年/朝日文庫、1981年)】

 異民族による征服という危機にさらされてきたのがヨーロッパの歴史であった。そのため「彼らは国家間の協力とか友好の本質を利害関係の均衡に見いだ」(13ページ)す。要は文化の違いであるが、欧米の価値観が国際基準となっているため日本の情緒や阿吽(あうん)の呼吸は通用しない。

 安倍談話に謝罪が盛り込まれるとすれば、日本はまたぞろ奪われる側に身を置くこととなる。結局のところ国家の安全保障を他国に依存しているうちは、国際社会で自分たちの歴史を語ることも許されないのだろう。

 まだ読み終えていないのだが、タイミングを逸することを恐れるあまり紹介した。

2015-07-28

頬を打たれても尚、日本の真実を語る女性/『驕れる白人と闘うための日本近代史』松原久子


『お江戸でござる』杉浦日向子
『日本の知恵 ヨーロッパの知恵』松原久子
『言挙げせよ日本 欧米追従は敗者への道』松原久子

 ・頬を打たれても尚、日本の真実を語る女性

『植民地残酷物語 白人優越意識を解き明かす』山口洋一
『敗戦への三つの〈思いこみ〉 外交官が描く実像』山口洋一
『日本人の誇り』藤原正彦

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 日本の(伝統)文化の紹介や解説は、異国趣味と外交辞令もあって歓迎されるが、「弁明」はかの地では激しい抵抗にあわねばならない。いかなる抵抗にあわねばならないか、松原氏が月刊誌『正論』(産経新聞社)の平成13年1月号の随筆欄に体験の一端を披露している。
 ドイツの全国テレビで毎週5カ国の代表が出演して行われる討論番組に、氏がレギュラーとして出演していた折りの逸話である。そのときのテーマは、「過去の克服――日本とドイツ」で、相変わらずドイツ代表は、日本軍がアジア諸国で犯した蛮行をホロコーストと同一視し、英国代表は捕虜虐待を、米国代表は生体実験や南京事件を持ち出すなどして日本を攻撃非難した。松原氏は応戦し、ドイツ代表には、ホロコーストは民族絶滅を目的としたドイツの政策であって、戦争とは全く無関係の殺戮であること、そういう発想そのものが日本人の思惟方法の中には存在しないと反論し、英国代表には、彼らの認識が一方的且つ独断的であることを指摘し、史実に基いて日本の立場を説明、弁明した。
 さて、逸話のクライマックスは番組終了後である。「テレビ局からケルン駅に出てハンブルク行きを待っていると人ごみの中から中年の女性が近づいてきた。(中略)彼女は私の前に立ち、『我々のテレビで我々の悪口を言う者はこれだ。日本へ帰れ』と言うなり私の顔にぴしゃりと平手打ちをくらわし、さっさと消えていった」(中略)
 今や少なからぬ日本人が欧米で、講演、講座、討論会を通じ、「日本」を語っているが、彼らのなかで袋叩きに遭いながら反論し、そして平手打ちをくらうほど日本を弁明した人がいるだろうか。私は、いない、とはっきりいえると思っている。だから日本の世論はもちろんのこと、言論界でも、この事件は、この大事件は他人事なのである。(「訳者まえがき」)

【『驕れる白人と闘うための日本近代史』松原久子:田中敏〈たなか・さとし〉訳(文藝春秋、2005年/文春文庫、2008年)】

 GHQの占領政策によって大東亜戦争の罪悪感(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)を刷り込まれた日本人は、いまだに東京裁判史観から抜け出すことができないでいる。義務教育からは歴史が削除されて社会科となり、日本の近代史については目隠しをされたままだ。左翼は劣勢に立たされているものの、原発問題・環境問題・沖縄米軍基地問題・憲法擁護という隠れ蓑をまとって破壊工作を展開。一方、右側は過激な民族差別主義者からネトウヨと、幅はあるものの思想的な深さを欠く。

 我々が行うべきことは事実を虚心坦懐に見つめることである。政治性やイデオロギーに基いて歴史をつまみ食いすることこそ最も恐れなくてはならない。

 日本人同士が小競り合いを繰り返し、同じ日本人として歴史すら共有できない情況を思えば、松原久子の存在は我々の背に鞭を入れ、姿勢を正さずにはおかない。

 国家の安全保障をアメリカに委ねている以上、政治レベルで慰安婦捏造問題や南京大虐殺というフィクションに手をつけるのは危険であり、まして東京裁判に異を唱えることなどできようはずもない。それゆえ日本としては学問のレベルから反撃することが望ましい。就中、パール判事の反対意見書を基軸に据えた国際法研究を広く行うべきだ。学問的成果を一つひとつ積み上げてゆけば、自ずと映画や漫画などの文化にも反映されることだろう。

 尚、本書の原作はドイツ語で書かれており、純粋な翻訳書であることを付け加えておく。