2015-09-30

「虐待の要因」に疑問あり/『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳


『3歳で、ぼくは路上に捨てられた』ティム・ゲナール
『生きる技法』安冨歩
『子は親を救うために「心の病」になる』高橋和巳

 ・被虐少女の自殺未遂
 ・「死にたい」と「消えたい」の違い
 ・虐待による睡眠障害
 ・愛着障害と愛情への反発
 ・「虐待の要因」に疑問あり
 ・「知る」ことは「離れる」こと
 ・自分が変わると世界も変わる

『生ける屍の結末 「黒子のバスケ」脅迫事件の全真相』渡邊博史
『累犯障害者 獄の中の不条理』山本譲司
『ザ・ワーク 人生を変える4つの質問』バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル
虐待と知的障害&発達障害に関する書籍

 母子の愛着関係が成立していれば、虐待は起きない。
 なぜかというと、母親は子どもの痛み、苦しみ、辛さを我がことのように感じてしまうからだ。
 子どもが怪我をして泣いていれば、母親は子ども以上にその痛みを感じてしまうので、わが子に暴力を振るい続けることはできないし(身体的虐待は起こりえない)、子どもが寒がっていれば母親はその寒さを感じてしまうから、自分の服を脱いででも子どもを守る(ネグレクトが起こりえない)。子どもがひどく落ち込んでいれば母親は自分の責任のようにそれを感じるから、「どうしたの」と声をかける(心理的虐待が起こりえない)。まして、女の子の尊厳を潰してしまう性的虐待が起こりそうであれば、母親は命をかけてでも娘を守る(性的虐待が起こりえない)。
 だから、愛着関係が成立しているごく「普通の」家庭では、児童虐待は起こりえないのだ。そして、愛着関係はごくあたりまえの母子関係なので、誰もそれが「ない」ことを想像できない。
 これが、多くの人が虐待を理解できない最大の理由である。
 しかし、愛着関係が成立していない家庭があるのだ。
 愛着関係が成立しない要因はいくつかあるが、その中でもっとも多いのは、虐待をする母親・父親に何らかの精神的な障害がある場合である。具体的には、
  1.知的障害
  2.知的障害以外の発達障害のあるタイプ
  3.重度の精神障害
 などである。

【『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳〈たかはし・かずみ〉(筑摩書房、2010年/ちくま文庫、2014年)】

 実に危うい記述である。愛着理論というモデルの前提が判断基準になっており、データが一つも示されていない(愛着障害については「ハーローによるアカゲザルの愛着実験」などの異論もある)。たとえ臨床から導かれた結論であったとしても一人の医師が扱う臨床例は数が制限される。高橋は多少それを自覚しているのだろう。「虐待の要因」とせずに「愛着関係が成立しない要因」と書いている。また精神障害と知的障害は異なる。文章の揺れが目立つ。

 この言い分を真に受ければ、虐待を根絶するためには「三者の出産制限」となりかねない。共感能力の欠如と知的障害・精神障害に相関性があるという事実を示さなければ正当とは言い難い。善悪の規範が曖昧という観点から私はむしろサイコパシー(精神病質)度をチェックする方が有効であるように思う。

 例えばアメリカでは「家庭内で一人の子供が虐待される場合、それは父親と似てない子供である確率が高い」というデータがある(『なぜ美人ばかりが得をするのか』ナンシー・エトコフ、2000年)。中世に至るまでの戦争や紛争で負けた方は男と子供は全員殺され、女は獲得物とされた。要は「敵の遺伝子は滅ぼす」ということなのだろう。「父親と似てない」ことは「他人の子」であるサインと受け止められることは確かにあり得る。

 高橋は被虐者独特の言葉遣い(「死にたい」ではなく「消えたい」など)から彼らの感覚世界が常人とは懸け離れていることに思い至る。そんな彼らを「異邦人」と呼ぶ。この呼称についても私は終始違和感を覚えてならなかった。異なる世界を生きてきたから外国人や宇宙人のように見つめることは差別につながりかねない。異なる世界を生きてきたのは彼らが望んだことではないのだ。彼らはサバイバーであり、鞭打たれた者である。だからといって特に別称で呼ぶ必要はないだろう。

 M・スコット・ペック著『平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学』が1996年に刊行され、マリー=フランス・イルゴイエンヌ著『モラル・ハラスメント 人を傷つけずにはいられない』が1999年、そしてマーサ・スタウト著『良心をもたない人たち 25人に1人という恐怖』が出たのが2006年であった。アメリカでは25人に1人がソシオパスと推測された。

 日本社会でもパワハラ、セクハラ、モンスターペアレントなどの言葉が台頭した。サイコパス、境界性人格障害、ソシオパス、アスペルガー障害、発達障害などが広く認知された。個人的にはテレビの影響が大きいと考える。テレビが先鞭(せんべん)をつけ、病める心理を拡大再生産しているように思えてならない。テレビが社会の規範となることでモラルを崩壊する。公器で許されることは家庭でも学校でも社会でも許されてしまう。その意味では、現代のいじめもテレビが発明したものかもしれない。



精神科医がたじろぐ「心の闇」/『平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学』M・スコット・ペック

2015-09-28

愛着障害と愛情への反発/『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳


『3歳で、ぼくは路上に捨てられた』ティム・ゲナール
『生きる技法』安冨歩
『子は親を救うために「心の病」になる』高橋和巳

 ・被虐少女の自殺未遂
 ・「死にたい」と「消えたい」の違い
 ・虐待による睡眠障害
 ・愛着障害と愛情への反発
 ・「虐待の要因」に疑問あり
 ・「知る」ことは「離れる」こと
 ・自分が変わると世界も変わる

『生ける屍の結末 「黒子のバスケ」脅迫事件の全真相』渡邊博史
『累犯障害者 獄の中の不条理』山本譲司
『ザ・ワーク 人生を変える4つの質問』バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル
虐待と知的障害&発達障害に関する書籍

 人は、生まれつき愛情を受け取るようにできている。だから、生まれてすぐに赤ちゃんは愛情に反応する。母子関係の最初、この世の存在の出発点だ。しかし、求めていた愛情が受け取れないばかりか、それをあからさまに否定されると、子どもは愛情を受け取ろうとする心にブレーキをかけ、ついにはロックして使えないようにする。期待して裏切られるよりは最初から受け取らないと決めるほうが、苦しみは小さく、生きやすいからだ。
 被虐者に限らず、人の愛情や親切、感謝を、遠慮したり、躊躇したり、時には拒否してしまう心理は誰にでもある。
 しかし、被虐者の場合は、それが人一倍強く、人生全体を支配している。

【『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳〈たかはし・かずみ〉(筑摩書房、2010年/ちくま文庫、2014年)以下同】

 これを愛着障害という。生きるために心を閉ざすのだ。そして三つ子の魂は百まで引き継がれる。幼児期に閉ざした心が開くことは稀だ。なぜなら「閉ざした」自覚がないゆえに。

 39歳の一人暮らしの男性、青井椋二さんが語ってくれた。
 彼は虐待を受けて育った。小さい頃、十分な食事をもらえなかった。もの心ついた頃には、彼は台所の米びつから生の米を食べていた。
「近くに住む叔父の家が農家だったので、家にお米はあったのだと思う。小学校5年生の時、近所のおばさんからお米の炊き方を教えてもらった。自分で炊いて初めて温かいご飯を食べた。すごく柔らかくて甘かった。
 小学校に入る前だったと思うが、台所の引き出しの奥に、破けた即席ラーメンの袋を見つけた。その中には麺のかけらが残っていた。ほんの少ししかなかったけど、とてもうれしかった。まるごとの即席ラーメンを食べられることはなかった。だから、18歳で家を出て、自分で働くようになっても、きちんと袋に入った即席ラーメンは、長い間、僕のご馳走だった。
 20歳の頃、恐る恐る、思い切って、母親に言ってみた。
『小さい頃、食事をもらえなかった』と。
 あの人が何と返事をするかと思ったら、『あんたは食が細かったからね』と、あっさり返された。まったく覚えていないようだった」

 コミュニティは崩壊し、セーフティネットの機能を失った。生米を食べて生きる少年に誰一人気づかなかったとすれば、そこに社会は存在しない。虐待する親というたった一本の線にすがって生きることが唯一の選択肢である。

 少し前に映画『アクト・オブ・キリング』を見た。インドネシアで100万人の大虐殺を行ってきた「英雄」たちが再現映画を制作する。彼らは笑いながら思い出を語る。殺人の効率化を同じ現場で実演し、昂奮に酔って歌い踊る。そして映画のカットを自慢気に孫たちに見せる。終盤に至ってわずかばかりの罪悪感が頭をもたげるが、多分彼らの生き方が変わることはないだろう。

 次回紹介する予定だが高橋は虐待の原因として、親の知的障害・精神障害・発達障害などを挙げている。彼らは共感能力を欠くゆえに子供と愛着関係を結ぶことができないのだろう。

チンパンジーの利益分配/『共感の時代へ 動物行動学が教えてくれること』フランス・ドゥ・ヴァール

 カウンセリングを受ける中で小学5年生の頃の記憶がありありと蘇る。近所に住む優しいお姉さんがクッキーをくれた。透明の袋は赤いリボンで結ばれていた。そんなきれいなものを見るのは初めてのことだった。お姉さんは「遠慮しなくていいのよ」と声をかけた。彼はお姉さんの手からクッキーを奪うと、地面に叩きつけた。そして「こんなものいらない! いらない! いらない! いらない!」と叫びながらクッキーを足で踏みつけた。

 高橋はこれを「被虐待児の『試し行動』」と解説する。私はそうは思わない。試し行動は一種のテストクロージングであろう。少年の行動は鹿野武一〈かの・ぶいち〉やナット・ターナーと同じものである。

ナット・ターナーと鹿野武一の共通点/『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン

「その優しさ」を受け入れてしまえば自己の拠(よ)って立つ世界が崩壊するのだ。少年は本能的にクッキーを拒むことで、優しいお姉さんと親の比較を回避したのだろう。穴の深さを知ってしまえば這い上がる気力もなくなる。それほどの深みに彼は位置していたのだ。

 ある地域の保育士によれば、感覚的には1/3から半分くらいの児童に発達障害傾向が見られるという(『ニッポンの貧困 必要なのは「慈善」より「投資」』中川雅之、2015年)。とすると少子化とはいえ子虐待の比率は高まる可能性も考えられよう。私の頭では幼稚園や小学校で定期的に聞き取り調査を行うといった程度の策しか思い浮かばない。



「ママ遅いよ」
【衝撃事件の核心】見逃されたSOS…両親からの虐待で死亡した7歳男児の阿鼻叫喚
「死んじゃう」空腹耐えかね男児万引き 父らに傷害容疑

2015-09-25

ジェレミー・コービンがイギリスの労働党党首選挙に圧勝


 これは気になるニュースである。いくつか記事を紹介しよう。

 コービン氏は党首選で59.5%を得票し、ほかの3候補に大差で勝利した後、「現在の経済格差と貧困は我慢できない。平等で自由な世界実現のために力を合わせて戦っていこう」と支持者らに呼びかけた。

英労働党党首にコービン氏 「経済格差と貧困我慢ならない」 反緊縮や反核訴える ノーネクタイのスタイル:産経ニュース

 この選挙キャンペーン期間中は、イギリスの女王を始め、トニーブレアや保守党、マードックの所有するメディア、各界の有名人が「ジェレミー・コービンを労働党党首にするなキャンペーン」に参加し、あの手この手を使って彼に対するネガティブ・キャンペーンが行われていました。

 戦争することで利益を得る集団は、こぞって彼に猛反対していました。(彼は戦争にも核にも、明確に反対しています)

イギリスの革命児が労働党党首選挙に圧勝 ジェレミー・コービン:世界の裏側ニュース

 イギリスの労働党を本来の姿に戻そうとしている人物がいる。ジェレミー・コルビンがその人で、党内で支持を集め始めた。それを懸念した労働党の幹部は党首選でコルビンに投票しそうなサポーターを粛清、つまり投票権を奪い始めたという。

 トニー・ブレアの時代に労働党は組合との関係を断ち、強者総取りの新自由主義を導入したマーガレット・サッチャーの後を追った。そうしたことを可能にしたのはブレアに強力なスポンサー、イスラエルが存在していたからだ。

巨大資本とイスラエルに奉仕していたブレアの路線を止めようとするコルビンを嫌う英労働党の幹部:櫻井ジャーナル

 9月12日に行われたイギリス労働党の党首選でジェレミー・コルビンが勝ったという。この人物は労働党を本来の姿に戻そうと考えている人物で、党の幹部はコルビンに投票しそうなサポーターを粛清、つまり投票権を奪うなどの妨害活動を続けていたが、それを上まわる力が働いたということだろう。

 党内でコルビンと対立関係にある勢力とはトニー・ブレアと結びついていた勢力。イスラエルを資金源にしていたブレアはメディアの支援も受けていた。内政では新自由主義、外交では親イスラエルという立場、つまり社会的な弱者を痛めつけてイスラエルの破壊と殺戮を支持するという人びとだ。今後、コルビンはこうした勢力からの攻撃に立ち向かわなければならない。

英国労働党の党首選でブレアが推進した親イスラエル、新自由主義の政策に反対するコルビンが勝利:櫻井ジャーナル

 コービン候補はマルクス主義的な伝統的左派の政策への回帰を目指し、緊縮財政への反対、鉄道などの再国有化、企業・富裕層への増税、家賃の上限設定などを掲げている。ブレア元首相が推進してきた第三の道を真っ向から否定、当選後はブレア氏が削除した党綱領第四条の「生産及び交易手段の国有化」を復活させる意向も示している。とても、中道寄りのスタンスの党員に受け入れられる内容ではない。

第8回 「政権奪還よりも大切なコービン候補」

 僕はコービンの飾らない人柄に、ある種の清涼感を覚えます。
 彼の暮らしは質素で、趣味は自家菜園で取れた果物でジャムを作る事です。マイカーは持っておらず、どこでも自転車で出かけるそうです。
 そのような彼のメッセージが、多くの英国の有権者の心に響いている背景には、酷くなる一方の格差問題があると思います。
 マーガレット・サッチャーのヒーローがF・A・ハイエクならば、ジェレミー・コービンのヒーローはカール・マルクスです。

情けない国に成り下がる英国 ジェレミー・コービンという病:Market Hack

・反緊縮財政、反公共支出削減。公共投資の大幅な拡大
・働く人と政府が富の創造のプロセスを公平に共有するバランスの取れた経済の実現
・英国は、国が主導する経済成長と経済再建が必要。それが、緊縮財政、規制緩和、民営化、法人税の削減という現政府によるモデルの代替案の核となるべき
・公共支出削減ではなく、より速い経済成長、給与水準の引き上げ、税収増加、福祉への需要を下げることによって財政赤字を解消する
・「人々のための量的金融緩和政策(People’s Quantitative Easing)」によって資金量を増やし、住宅、エネルギー、交通、デジタル関係などのインフラ投資に充てる。具体的には、「国立投資銀行」を設置し、同銀行が発行する国債をイングランド銀行が購入することによって資金量を増やす
・企業への税の軽減措置を一部取り止め、企業への補助金削減
・富裕層と企業への増税
・脱税、税回避の取り締まり。企業による納税を確保するための措置

ジェレミー・コービンの党首選マニフェストには何が書いてあったんだっけ(その1):英国政治ニュース

 世界各国が行っている量的緩和政策が深刻な格差を生み、格差是正を求める大衆の声によって資本主義が滅びるかもしれない。いずれにせよ緩和マネーによるバブルが崩壊するのは時間の問題だ。コービンの党首選勝利と安倍政権による安保法改正がひょっとすると世界経済の潮目を表している可能性がある。新自由主義の暴走に終焉を告げる出来事のような気がする。

虐待による睡眠障害/『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳


『3歳で、ぼくは路上に捨てられた』ティム・ゲナール
『生きる技法』安冨歩
『子は親を救うために「心の病」になる』高橋和巳

 ・被虐少女の自殺未遂
 ・「死にたい」と「消えたい」の違い
 ・虐待による睡眠障害
 ・愛着障害と愛情への反発
 ・「虐待の要因」に疑問あり
 ・「知る」ことは「離れる」こと
 ・自分が変わると世界も変わる

『生ける屍の結末 「黒子のバスケ」脅迫事件の全真相』渡邊博史
『累犯障害者 獄の中の不条理』山本譲司
『ザ・ワーク 人生を変える4つの質問』バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル
虐待と知的障害&発達障害に関する書籍

 彼女は身体的な虐待は受けていなかった。虐待の種類については次章で述べるが、彼女が受けていたのは「心理的虐待」である。心理的虐待は周りに気づかれないだけでなく、子ども自身も気づくことはない。
 心理的虐待は子どもの心の中に奇妙な、矛盾した母親像を作り出す。
 彼女は、いつも怖い母親だったと振り返る一方で、「食事もお弁当も作ってくれた」、「叱られたことはなかった」、だから母親は優しい人だった、と言う。
 心理的虐待を続ける母親が、子どもに優しいはずはない。叱られなかったのは、子どもに無関心だっただけだろう。しかし、放っておかれたことを「優しかった」と被虐待児は翻訳して理解する。食事を作ってくれたのは、家族の食事と一緒だったという理由だけだろう。しかし、彼女はそこに子への愛情を読み込む。

【『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳〈たかはし・かずみ〉(筑摩書房、2010年/ちくま文庫、2014年)以下同】

 私は幼い頃からものを感じる力が人より強かった。3歳の時、スーパーで見知らぬオバサンに「どうして僕の頭にカゴをぶつけて謝らないの?」と大騒ぎをしたことがあるらしい。もちろん憶えていない。20代になって伯母から聞いた。そのことを父が語ったのは更に20年後のことである。私の父はお世辞にもいい親とは言えない。ただ怖いだけの存在だった。しかし正義感の塊(かたまり)みたいな人で判断を誤ることも殆どなかった。きっと父の影響が幼い私に及んでいたのだろう。

 正義感というのは厄介なものだ。望むと望まざるとにかかわらず周囲に波風を立ててしまうからだ。しかも敏感に不正を感じ取るために誰も気づかないような温度で怒りに火がつく。そして純粋な怒りは速やかに殺意へと向かう。真剣といえば聞こえはいいが、その中身は殺意である。斬るか斬られるかとの判断から「相手を斬る」方向に素早く行動する。もちろん直ぐ斬るわけではない。物事には段階がある。ただ最終的に「斬る」という覚悟は最初から決めている。

 虐待体験だけの寄せ集めであれば私は読み終えることができなかったことだろう。高橋は構成をよく考えている。不眠症の相談に訪れたのは41歳の女性である。彼女は日にちと曜日の感覚が欠落していた。日々の眠りが浅く一日が途切れていないためだった。それが虐待に由来する症状だとは素人には思いも寄らない世界である。

 彼女はいつも緊張し、自分を抑え、母親の顔色をうかがい、先回りして生きてきた。そうしていないと、もっとけなされて見捨てられてしまうからだ。母親は、子どもにいつも無関心なだけなのだが、子どもはそこに必死になって自分の期待を投影しようとする。しかし、母親は反応しない。これでもだめなんだ、ここまでがんばってもだめなんだと、その空回りがまた底なしの恐怖を育て、彼女の心は緊張でいつも震えている。身体的な虐待を受けたのとは違う、真綿で首を絞められるような、恐怖と孤独が心を覆う。恐怖に潰されないために、ぎりぎりで自分を支えるために必要だったのが、「優しい母親」という翻訳である。
 こうして彼女は、幼稚園の頃から不眠症になった。

 脳は因果を求めて物語を形成する。

物語の本質~青木勇気『「物語」とは何であるか』への応答

 幼子にとって母親の存在は「環境そのもの」である。母親は子供の「生きる場」であり別の選択肢はない。生きることは「母親を頼る」ことを意味する。十分な理性も知識もない幼児が母親の是非を問うことは不可能だ。ダメな親であったとしても受け入れるしかない。逃げることも死ぬこともできないのだから当然だ。そこに「歪んだ解釈」が生まれる。人類初期の宗教と似たメカニズムであろう。

 カウンセリングを通して彼女は虐待の鎖から解き放たれる。生まれて初めて自由を味わった言葉が悟性の輝きを発する。

「先生、私、生まれて初めて『一日が終わる』という体験をしました。一日って終わるんですね」

「眠れるようになったんです。体が楽になりました。生活が変わりました」

「最近、眠るコツが分かりました。ああ、目を閉じると眠れるんだ、と思いました。体の疲れで眠れるという感じがします。体が『重たい』のではなくて、『眠たい』というのがわかりました。眠たいというのは気持ちがいいものなのですね。
 それから、朝起きても肩が重くない。体がこわばっていないんです。『ああ、また朝が来てしまった』という重い気分がないです。眠ると体が軽くなるんですね。
 毎朝、新しい気持ちになって、毎朝、幸せって思います」

 よく生きることはよく死ぬことに通じ、よき一日の生活はよき睡眠につながるのだろう。死んだように眠れる人こそ幸せである。

 一日が、夜に終わって、朝に始まる。その間、完全に意識が消え、時間が途切れる。時計は動き続けていても、人の心の中の時間は夜11時で止まり、朝、6時に新しく始まる。それで、翌朝は前の日とは違う気分になる。だから、一日が終わり、新しい日にちが始まる。
 前の日の心は、前の晩に途切れいている。朝、新しい心が動き出すからこそ、毎日、毎日、という区切りができて日付が変わる。一昨日、昨日、今日ができて日にちが数えられるようになり、1週間の曜日ができあがる。

「虐待を受けている子どもは、『普通の』眠りを知らない」という。彼らの不安や恐怖を思えば当然だろう。今度から児童と話す機会には必ず睡眠状態を確認してみようと思う。

 最後にもう一つ彼女の言葉を紹介しよう。

「辛いことや嫌なことがあっても、1週間経つとそれがあまり気にならなくなって、初めて『過ぎ去る』ということがわかりました」


「死にたい」と「消えたい」の違い/『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳


『3歳で、ぼくは路上に捨てられた』ティム・ゲナール
『生きる技法』安冨歩
『子は親を救うために「心の病」になる』高橋和巳

 ・被虐少女の自殺未遂
 ・「死にたい」と「消えたい」の違い
 ・虐待による睡眠障害
 ・愛着障害と愛情への反発
 ・「虐待の要因」に疑問あり
 ・「知る」ことは「離れる」こと
 ・自分が変わると世界も変わる

『生ける屍の結末 「黒子のバスケ」脅迫事件の全真相』渡邊博史
『累犯障害者 獄の中の不条理』山本譲司
『ザ・ワーク 人生を変える4つの質問』バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル
虐待と知的障害&発達障害に関する書籍

 当初、私は元「被虐待児」の「消えたい」という訴えを聞いた時に、うつ病と同じように「希死念慮あり」とカルテに記載していた。つまり、抑うつ感の中で「自殺したい」と思っていると解釈していたのだ。
 しかし、その後、「死にたい」と「消えたい」とは、その前提がまったく異なっているのが分かってきた。
「死にたい」は、生きたい、生きている、を前提としている。
「消えたい」は、生きたい、生きている、と一度も思ったことのない人が使う。
(中略)
 被虐待児がもらす「消えたい」には、前提となる「生きたい、生きてみたい、生きてきた」がない。生きる目的とか、意味とかを持ったことがなく、楽しみとか、幸せを一度も味わったことのない人から発せられる言葉だ。今までただ生きていたけど、何もいいことがなかった、何の意味もなかった、そうして生きていることに疲れた。だから、「消えたい」。
「死にたい」の中には、自分の望む人生を実現できなかった無念さや、力不足だた自分への怒り、それを許してくれなかった他人への恨みがある。一方、「消えたい」の中には怒りはないか、あっても微かだ。そして、淡い悲しみだけが広がっている。

【『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳〈たかはし・かずみ〉(筑摩書房、2010年/ちくま文庫、2014年)】

 人は「思ったように」しか生きられない。いつでも選択肢は自由なようでありながら実は不自由の中を生きている。面白くないことがあると思い悩み、不安や怒りにとらわれ、思考と感情は同じ位置をぐるぐる回る。我々は想念すら自由に扱うことができない。感覚もまた同様であろう。見るもの、聞くものの刺激に次々と反応しているだけだ。

 PTSDなどに代表される「傷ついた心理」の問題もここにある。いじめは行為そのものも悲惨だが、「いじめられた記憶」に苛まれる事後の影響が深刻なのだ。

 虐待され続けた子供たちは「死にたい」と思うことすらできなかった。彼らは人間として扱われてこなかったために自我形成をも阻害されたのだろう。虐待という環境下で自由な発想は生まれない。ただ親から振るわれる暴力に怯え、反応するだけだ。彼らは死のうとする意思まで奪われた。

 自由な感情すら持てなかった彼らの「消えたい」という言葉は「淡い存在」を示し、自己の輪郭すらはっきりと描けなかった事実を物語っている。

 そんな彼らが高橋と出会って変わる。彼らは初めて一個の人間として接してもらった。カウンセリングはコミュニケーションでもあった。人とつながった時、彼らは自分の存在を実感できたことだろう。「私はいてもいいんだ」とすら思ったかもしれない。

 人と人とがつながる。ただそれだけで救われることがある。果たして我々は周囲の人々と確かにつながっているだろうか?

2015-09-23

被虐少女の自殺未遂/『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳


『3歳で、ぼくは路上に捨てられた』ティム・ゲナール
『生きる技法』安冨歩
『子は親を救うために「心の病」になる』高橋和巳

 ・被虐少女の自殺未遂
 ・「死にたい」と「消えたい」の違い
 ・虐待による睡眠障害
 ・愛着障害と愛情への反発
 ・「虐待の要因」に疑問あり
 ・「知る」ことは「離れる」こと
 ・自分が変わると世界も変わる

『生ける屍の結末 「黒子のバスケ」脅迫事件の全真相』渡邊博史
『累犯障害者 獄の中の不条理』山本譲司
『ザ・ワーク 人生を変える4つの質問』バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル
虐待と知的障害&発達障害に関する書籍

 それから何回かの診察を経て、彼はまた突然話しだした。
「先生、僕は右足の爪がないんです」と言った。
「小学校4年の時、言うことを聞かないから、ペンチで剥がされたんです」
 彼は耳を塞ぎたくなる話を、淡々と、他人事のように語った。

【『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳〈たかはし・かずみ〉(筑摩書房、2010年/ちくま文庫、2014年)以下同】

 ページをめくるのに勇気を必要とする本だ。「これはルワンダだな」と思わざるを得なかった。家庭という密室で振るわれる幼児への暴力は、逃げ場のないことを考えると地獄そのものであろう。私の中を殺意が駆け巡った。直接聞いていたら、その場で親を殺しに行くかもしれない。

 高橋によれば被虐児童は苛酷な体験をやり過ごすために離れた位置から自分を見る傾向があるという。離人症解離性障害)になることも珍しくない。それどころか虐待された自覚を持たないケースまである。

 その日、彼女(当時10歳の亜矢さん)の学年は校外学習で工場見学に出かける予定だった。工場は電車に乗って三つ目の駅である。
 亜矢ちゃんは、朝いつもより少し早く起きて、集合場所の駅に向かって歩いていた。
 住宅地の上に大きな青空が広がり、白い雲が二つ、三つ浮かんでいる。気持ちのいい春の日だった。
 ふと空を見上げると、白い雲の間にキラキラと光るものが見えた。彼女は立ち止まった。目をこらして見ていると、それはゆっくり風に乗って亜矢ちゃんのほうに落ちてきた。小さな星が光り、それがいくつも連なって首飾りのように見える。太陽の光を反射して金色や銀色になったり、時々、赤や青の光が混じった。
「なんだろう。きれい……」
 そう思って彼女が近づくと、光もまた彼女のほうに近づいてきた。温かく、すがすがしい不思議なな空気に包まれて、彼女はじっと眺めていた。それはますます大きくなった。そして、とうとう飛びつけば手がとどきそうなところまで降りて来た。
「つかまえられる!」と、そう思って亜矢ちゃんは光に向かって走り出し、最後にポンと飛び上がった。そして、手が首飾りに触れたかと思ったその瞬間、後ろから鋭い怒鳴り声がした。

「危ない! 馬鹿!」
「何やってるんだ!」
 同時に、彼女の体は太い腕に捕まれて、後ろに引き戻された。

 自殺未遂であった。高橋は「幻覚的なファンタジーの中で自殺に至る人は珍しくない」という主旨のことを書いている。それは何に由来するのか。多分、「この世は生きるに値しない」と無意識下で脳が判断した時にドーパミンが噴出するのだろう。亜矢ちゃんは死ななかったが、これ自体が臨死体験といってもいいのではないか。

死の瞬間に脳は永遠を体験する/『スピリチュアリズム』苫米地英人
光り輝く世界/『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ 若き医師が死の直前まで綴った愛の手記』井村和清

 亜矢ちゃんは三つ下の妹と2人姉妹、それと両親との4人家族である。
 小学校2年から一切の家事をさせられていた。夕食の支度と部屋の掃除、それからお風呂の掃除、夕方は、保育園に通っている妹をお迎えに行った。保育園の先生に、「いいお姉さんね」とほめられた。4歳の妹の手を引いて帰宅して、お風呂に入れた。忙しかった。
 家事が終わっていないと、帰ってきた母親に叩かれた。罰として夕食をもらえないこともよくあった。自分が準備した夕食を目の前にして食べさせてもらえない。亜矢ちゃんは痩せた子だった。1日のうちで彼女が確実に食べられる食事は、学校の給食だけだった。だから、学校に行くのは楽しかった。
 それと、本を読むことが彼女の楽しみだった。小学生の頃からずっと、彼女の居場所は玄関の横の板の間だった。そこに座って本を読んでいた。なぜ玄関にいるのかというと、リビングにいる母親から呼ばれたらすぐに動けるように、だ。少しでも返事が遅れると、叩かれた。
「聞こえないのか、何やっていたんだ!」と、ビンタされた。
 だから、「亜矢!」と呼ばれたら飛んでいけるように玄関にいたのだ。
 母親の機嫌を損ねると、髪の毛をつかまれて、振り回された。ごっそりと毛が抜けたことがある。その時は、飛び散った髪を1本1本指で集めてゴミ箱に入れた。床が汚れているとまた叩かれる。雑巾で血のあとを拭き取った。翌朝、鏡を見ながらハゲになったところをヘアピンで隠して、彼女は学校に行った。
「おばあちゃん、もう疲れた。消えたい」
 亜矢ちゃんは、両親が去った後にそう言った。

 祖母は児童相談所へゆく。虐待と判断され、亜矢ちゃんは施設に預けられる。約1年後、母子の再統合が実施され、実母のもとへ戻った。それから以前とまったく同じ暴力と家事労働の日々が再開する。

将来、児童相談所に勤めたいのですが、児童相談所の職員は地方公務員なのですか?:教えて!goo

「No.4」の回答から児童相談所の激務が窺える。当然ではあるが彼らのミスが報道されることはあっても、功績がニュースになることはないと考えてよかろう。しかし、である。こういう仕事は向き不向きがあり、不向きな人々にとっては単なる作業と化すことだろう。教員についても同様で、虐待の可能性を何気ない振る舞いから見抜くこともできないような連中は教職に就くべきではない。そもそも誰も「気づかない」こと自体がおかしい。歩く姿や目の色に必ずサインが出ているはずだ。

 亜矢さんは24歳の時に高橋のクリニックを訪れ、セカンドオピニオンを求めた。前の病院ではうつ病と診断されたが思うように病状が好転しなかった。彼女は著者の前で過去を吐き出した。

「先生、私は4年生の時に、自分がある年齢の『ある日』までは生きている、と決めたんです」。高橋は「その日」がそう遠くはないだろうとの予感を抱く。そして「慢性疲労とうつ病の混在で社会恐怖が見られる」と診断。薬物治療よりもカウンセリングを勧めた。

 その後睡眠薬を中心とする処方に切り替え、睡眠の取り方と生活リズムの作り方が功を奏す。「先生、ぐっすり眠ることができました。ぐっすり、という言葉は知っていたけど、こういうことを言うのですね。6時間も続けて眠れたのは生まれて初めてです」と嬉しそうに伝えた。

 小さい頃から、家では食事にありつければそれだけで幸運だったし、唯一、確実に食べられた学校の給食は、出されたものが全部美味しかった。だから、彼女の中には食べ物の「好き、嫌い」「美味しい、まずい」、何かを「食べたい」という概念はもともとなかった。

 それから少しずつ食事が「楽しみ」と思えるように変わっていった。

「先生、私、あと半年くらいは生きていけます。たぶん、そのくらいはお金が続きます。
 今は、私は幸せです。安心です。こんな気持ちになったのは生まれて初めてです。
 小学校4年の時に、死ぬ日を決めてここまで来ました。今、私は美味しいご飯も食べられるし、暖かい布団もあるし、安心して眠ることも知りました。好きな本も読めます。それから2週に1回だけど、ここで自分のことを話せます。先生に気持ちが分かってもらえます。安心できて、生活ができて、気持ちが通じるってことを知りました。『よくがんばってきたね』と何度も言ってもらえました。これって、幸せです」

「消える」と決めた日まで生きている人生は終わった。

 美味しく食べて、ぐっすり眠れて、誰かと気持ちが通じる――これが幸せであった。彼女は文字通り生命の危機から生き延びたサバイバーであった。幼子であることを踏まえれば大病や災害から生還した人々(『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー、2009年)よりも稀有(けう)な存在だ。幸せとは当たり前のことなのだろう。もともとは「仕合わせ」と書いた。

 我々は幸せに対する感度が鈍くなっているのだろう。そして我々が望む幸せは本当の幸せではないのだ。心が欲望や消費に翻弄されて常に満たされない渇きを抱えている。

 目が見えることも幸せだ。耳が聞こえることも幸せだ。歩けることも幸せだ。呼吸することも幸せである。つまり生きることそれ自体が幸せなのだ。

 蘇生した彼女の言葉は爽やかに人生の真実を教えてくれる。



子供を虐待するエホバの証人/『ドアの向こうのカルト 九歳から三五歳まで過ごしたエホバの証人の記録』佐藤典雅

2015-09-22

高橋和巳、中原圭介、デイミアン・トンプソン、他


 7冊挫折、3冊読了。

勝海舟と幕末外交 イギリス・ロシアの脅威に抗して』上垣外憲一〈かみがいと・けんいち〉(中公新書、2014年)/発想に躍動感が見られない。文章は当然のように停滞する。こういう本はどうしても読むスピードが落ちる。それを自覚した時点で閉じた。

完全なるチェス 天才ボビー・フィッシャーの生涯』フランク・ブレイディー:佐藤耕士〈さとう・こうじ〉訳、羽生善治解説(文藝春秋、2013年/文春文庫、2015年)/あの羽生善治が「本物の天才」と絶賛したのがボビー・フィッシャーである。羽生はチェスにおいても日本の第一人者で、チェスのために英語まで身につけた。著者は長らくボビー・フィッシャと親交があった人物。フィッシャーは晩年を日本で過ごした。フィリピンへ出国する際、入国管理法違反の疑いで収容された。多くの人々が支援したが羽生もその一人である。チェスのルールがわからないため眼の動きが鈍る。

サイコパス 冷淡な脳』ジェームズ・ブレア、デレク・ミッチェル、カリナ・ブレア:福井裕輝〈ふくい・ひろき〉訳(星和書店、2009年)/横書き。英語表記が多すぎる。危うい匂いを感じたのでやめる。DSMは現在第5版となっているが、アレン・フランセスなどの批判を弁えるべきだ。

時間と宇宙のすべて』アダム・フランク:水谷淳訳(早川書房、2012年)/文章が頭に入らず。

無の本 ゼロ、真空、宇宙の起源』ジョン・D・バロウ:小野木明恵訳(青土社、2013年)/こちらも。

怖い絵』中野京子(朝日出版社、2007年/角川文庫、2013年)/不思議なもので挫折したにもかかわらずオススメできる本がある。本書もそうだ。挫けたのは私の余生が短いためであって本に責任はない。文章もグッド。ドガの「踊り子」がよもや怖い絵だったとはね。amazonでは見つけにくいのだが朝日出版社版の方が大きくてよい。

やめられない心 毒になる「依存」』クレイグ・ナッケン:玉置悟〈たまき・さとる〉訳(講談社+α文庫、2014年/講談社、2012年『「やめられない心」依存症の正体』改題)/『依存症ビジネス』の後では読めず。「アディクション」という単語がよくない。翻訳しようがなかったのか。

 112冊目『依存症ビジネス 「廃人」製造社会の真実』デイミアン・トンプソン:中里京子訳(ダイヤモンド社、2014年)/「カップケーキ、iPhone、鎮痛剤――21世紀をむしばむ『3種の欲望』」との小見出しが興(きょう)をそそる。本人が経験したアルコール依存症の記述がやや冗長だが、『すばらしい新世界』的世界の現実化を描いて秀逸。

 113冊目『2025年の世界予測 歴史から読み解く日本人の未来』中原圭介(ダイヤモンド社、2014年)/アメリカのシェール革命によってエネルギーコストが下がり、「よいデフレ」が世界を覆うとの予測。その時日米が世界経済のトップに君臨するという。説得力があり一日で読了。ただし日本を取り巻く安全保障の視点が抜けており、基軸通貨としてのドルがどのようになるかは論じていない。それでも現状分析から未来を読み解く手並みは鮮やかなものだ。

 114冊目『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳〈たかはし・かずみ〉(筑摩書房、2014年)/本年度の暫定1位は『逝きし世の面影』から本書に。これは形を変えたルワンダである。閉ざされた家庭内での暴力を生き延びた彼らがカウンセリングを通して人生の受容に至る。その時「新たな言葉」が生まれる。彼らの生きざまは自燈明(じとうみょう)そのものといってよい。早めに書評をアップする。批判も含めて。

アイドルに人権はないのか?


交際発覚アイドルに賠償命令 「イメージ悪化」東京地裁

 アイドルグループのメンバーだった女性(17)が異性との交際を禁じた規約に違反したとして、マネジメント会社などが女性に損害賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は18日、「交際発覚はアイドルのイメージを悪化させる」と規約違反を認め、65万円の支払いを命じた。  判決によると、女性は2013年3月に会社と契約を結び、交際禁止を定めた規約を受け取り、6人グループで7月にデビュー。ライブやグッズ販売をしていたが、女性が男性ファンに誘われ2人でホテルに行ったことが発覚し、グループは10月に解散した。

共同通信 2015年9月18日

 アイドルに人権はないのだろうか? 芸能プロダクションが交際を禁じることができるのであれば、数学的に考えると強制することも可能ということになる。枕営業。日刊スポーツがもう少し詳しく報じていた。

 女性は「交際しないことが女性アイドルの不可欠の要素ではない」と主張したが、児島章朋裁判官は「男性ファンの支持を得るため、交際禁止の条項が必要だった」と判断し、解散の責任は女性にもあると指摘。支払われた衣装代やレッスン費用の一部を負担するよう命じた。

日刊スポーツ 2015年9月18日

「ホテルに行ったことが発覚」したのは薄汚いカメラマンに撮影されたのだろう。それにしてもわかりにくいニュースである。「マネジメント会社など」の「など」ってのは一体何なんだ? なぜ「芸能プロダクション」と書かないのか?

 数年前にも同じようなことがあった。AKB48の峯岸みなみという子が『週刊文春』にプライバシーを暴露された。峯岸は坊主頭にしてファンや関係者に謝罪した。アイドルが勝手に髪型を変えることはあり得ない。ってことはだ、裏で大人が指示したと考えるのが妥当だろう。

 私はアイドルに興味がないし、今日に至るまでAKB48を見たことがない。で、「そういえば」と思い当たり検索したのだが、今更ながら芸能界のあり方に唾を吐きかけたくなった。責められるべきなのは『週刊文春』である。結局、芸能プロダクションもイエロージャーナリズムも子供を食い物にしているということなのだろう。

 凶器として機能したカメラやペンには厳罰を科すべきだ。アイドルの交際は「公共の利害」や「公益を図る」こととは何の関係もない。報道が第四の権力であれば、それを抑制する法律があって然るべきだろう。報道の自由に名を借りた犯罪をいつまでも野放しにしておくべきではない。





2015-09-20

60年安保闘争~樺美智子と右翼とヤクザ/『日本を貶めた戦後重大事件の裏側』菅沼光弘


『日本はテロと戦えるか』アルベルト・フジモリ、菅沼光弘:2003年
『この国を支配/管理する者たち 諜報から見た闇の権力』中丸薫、菅沼光弘:2006年
『菅沼レポート・増補版 守るべき日本の国益』菅沼光弘:2009年
『この国のために今二人が絶対伝えたい本当のこと 闇の世界権力との最終バトル【北朝鮮編】』中丸薫、菅沼光弘:2010年
『日本最後のスパイからの遺言』菅沼光弘、須田慎一郎:2010年
『この国の権力中枢を握る者は誰か』菅沼光弘:2011年
『この国の不都合な真実 日本はなぜここまで劣化したのか?』菅沼光弘:2012年
『日本人が知らないではすまない 金王朝の機密情報』菅沼光弘:2012年
『国家非常事態緊急会議』菅沼光弘、ベンジャミン・フルフォード、飛鳥昭雄:2012年
『この国はいつから米中の奴隷国家になったのか』菅沼光弘:2012年
『誰も教えないこの国の歴史の真実』菅沼光弘:2012年
『この世界でいま本当に起きていること』中丸薫、菅沼光弘:2013年
『神国日本VS.ワンワールド支配者』菅沼光弘、ベンジャミン・フルフォード、飛鳥昭雄

 ・反日教育のきっかけとなった天安門事件
 ・60年安保~樺美智子と右翼とヤクザ

 この安保闘争を契機にソ連共産党も中国共産党もともに、この日本に革命を起こそうとした。当時、私も60年安保闘争に参加して、「これで日本もいよいよ革命だ」と思いました。毎日、毎日、国会議事堂の前に何十万という人が集まるのですから。当時、渋谷区南平台に岸信介首相の家があって、その岸さんの家まで、毎日渋谷を通って南平台までデモ、そしてアメリカ大使館に対してもデモです。
 あの当時の多くの国民はみんな安保反対だったのだけれども、しかし、よくよく考えてみると、前の日米安保条約というのは、サンフランシスコ講和条約調印のとき、吉田首相がただ一人、密室で調印した不平等条約でしたから、岸さんが変えようとしたのは無理もないのです。
 その条約では、アメリカには日本を守る義務がない。要するに、ただ「占領中の現状のまま米軍の基地を日本に置く」ということを約束した条約なのですから。そこで岸さんは、「これじゃ、いかん」というので、「日本を米軍が守る」ということを意味する条文を入れたわけです。だからこれは、本当は日本にとってはいい改定だったのです。反対する理由はない。
 では、当時なぜああいう反対運動になったのかというと、やはり反米感情です。あのころ一番若い、学生世代が、戦争中の体験をした最後の世代です。
 その上の世代で戦争に実際に参加した人たちは、戦争の悲惨さというのを身近に考えているものだから、安保条約が戦争につながるということを信じていたかもしれない。一番若い世代の学生は、もう単純な反米です。誰も安保条約そのものを読んではいないのですから。しかし、だからこそ、あれだけ盛り上がったのです。
 岸信介さんは、東条内閣の商工大臣をやったり、満州でいろいろ活動したりしていましたが、物凄い秀才でした。ちょうど我妻栄〈わがつま・さかえ/1897-1973〉という、東大の法学部の民法の大先生がいたのですが、私などもその最後に習った組ですけど、その我妻栄先生が言っていました。「岸君というのは物凄く頭がいいんだ。一高の時代には岸君は何も勉強しないで、義太夫とか歌舞伎とか、そんなものに凝っていた。私はずっと勉強ばかりして、やっと岸君と並んだ」と。60年安保のころの世論では、岸さんがどういう人かということをいっさい考えないで、単に、東条内閣の閣僚だった、戦争犯罪人だというのが先に立つものだから、大変だったのです。

【『日本を貶めた戦後重大事件の裏側』菅沼光弘(ベストセラーズ、2013年)以下同】

「あの当時、日米安保条約の条文なんか誰も読んでいなかった」とは当時、全学連の最高幹部で安保闘争を指導した西部邁〈にしべ・すすむ〉の発言である。大衆は往々にして愚かである。部分情報に基づいて感情的な反応をしがちだ。政治がエリートを必要とする理由もここにある。

樺美智子の死因と報道――樺美智子の遺体は慶応病院法医学教室で解剖され、「内臓器圧迫による出血のための急死。致命傷となる外傷はない」という結果が出た。ところが、解剖に立ち会った社会党参議院議員と代々木病院副院長は「扼殺の疑いが強い」と異なる発表をした。さらに社会党弾圧対策委員会は殺人罪で告発。「樺美智子さんは警棒で殴られたうえ、踏まれて死亡したのではないか」という報道も加勢した。しかし後日、東京地検は現場写真や参加者の証言などからその説を否定している。

60年安保闘争

 このページでは60年安保闘争の全容が簡明に描かれている。反米感情が高まるきっかけとなった「ジラード事件」というのも初めて知った。

 この樺美智子〈かんば・みちこ〉さんが亡くなった6月15日、私もあの南通用門にいました。60年安保の時代はまだ警察力が弱かった。デモ隊が国会の中へなだれ込む。国会内には、機動隊ができる前ですから、防護服もない警察官が並んでいた。デモ隊が警察官に石を投げるものだから警察官に当たる。血を流した警察官がばたばた倒れるわけです。
 それで、そのときに岸さんの周辺の人たちがいろいろ考えて、これはもう警察だけでは駄目だ。一方では自衛隊に治安出動を命じようとするのだけど、これもまた、当時の防衛庁長官などが反対してできなかったのです。そこで一策を講じて、当時の児玉誉士夫〈こだま・よしお/1911-1984〉に「全国の親分衆をみんな集めろ」と命じた。それで、親分たちが集まって、ヤクザを左翼の防波堤にしようとした。児玉が本当の右翼かどうかは知らないけれども、このときから右翼とヤクザがつながることになったのです。当時は、それほど警察力が脆弱(ぜいじゃく)でした。次の70年安保になってくると、警察にも機動隊ができ、装備が充実し、もうなんということなくなってきたのですが。


 樺美智子が死んだ日(6月15日)のストには全国で580万人もの人々が参加した。「6月15日と18日には、岸から自衛隊の治安出動を打診された防衛庁長官・赤城宗徳が拒否。安保反対のデモが続く中、一時は首相官邸で実弟の佐藤栄作と死を覚悟する所まで追いつめられたが、6月18日深夜、条約の自然成立」(Wikipedia)。アイゼンハワー大統領の訪日が中止。岸首相が辞意を表明。7月14日、岸は暴漢に刺され重傷を負う。

 古い日米安保は吉田ドクトリンに基づき、国防を米軍に丸投げし、経済復興を優先したものだった。日本経済はアメリカが戦争を行うたびに発展してきた。二度のオイルショックも省エネ技術で乗り越えた。だがバブル景気を迎えても尚、自国の防衛と真剣に取り組むことはなかった。これが安全保障のアウトソーシングかというと決してそうではない。米軍が動くには議会の承認が必要なのだ。アメリカの政治家は自国民が日本のために血を流すことを是とするだろうか? 防衛費が削減されている事実を踏まえれば困難極まりない。

 安保関連法案が成立した。紛糾する国会を見て落胆の度合いが深まった。この国では「安全保障を論じること」自体が忌み嫌われるのだ。チベット・ウイグルやパレスチナを他人事としか考えていないのだろう。国家には戦争をする権利があり、国民の生命と財産を守る義務がある。戦後教育によって国家観を奪われた体たらくがこのざまだ。

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敵前逃亡した東大全共闘/『彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行

2015-09-17

失われた日本の文明/『逝きし世の面影』渡辺京二


『日本人の誇り』藤原正彦
『鉄砲を捨てた日本人 日本史に学ぶ軍縮』ノエル・ペリン

 ・失われた日本の文明
 ・幕末の日本は「子どもの楽園」だった
 ・「日本ほど子供が大切にされている国はない」と外国人が驚嘆

『幕末外交と開国』加藤祐三
『明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』原田伊織
『龍馬の黒幕 明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン』加治将一
『シドモア日本紀行 明治の人力車ツアー』エリザ・R・シドモア
『武家の女性』山川菊栄
『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人
『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』村上兵衛
『近代の呪い』渡辺京二

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 文化は滅びないし、ある民族の特性も滅びはしない。それはただ変容するだけだ。滅びるのは文明である。つまり歴史的個性としての生活総体のありようである。ある特定のコスモロジーと価値観によって支えられ、独自の社会構造と習慣と生活様式を具現化し、それらのありかたが自然や生きものとの関係にも及ぶような、そして食器から装身具・玩具にいたる特有の器具類に反映されるような、そういう生活総体を文明と呼ぶならば、18世紀初頭から19世紀にかけて存続したわれわれの祖先の生活は、たしかに文明の名に値した。

【『逝きし世の面影』渡辺京二(平凡社ライブラリー、2005年/葦書房、1998年『逝きし世の面影 日本近代素描 I』改題)以下同】

「在野の思想史家」(「解説」平川祐弘)が幕末前後に日本を訪れた外国人の目を通して描いた文明論である。渡辺の『無名の人生』では同じ熊本に住む石牟礼道子〈いしむれ・みちこ〉の名前が何度も出てくる。つまり著者の立ち位置は保守ではないと察せられる。単なる江戸礼賛本と誤読してはなるまい。

 今年の暫定1位であるが、検索したところ小谷野敦〈こやの・あつし〉の批判がamazonレビューに埋もれていることを知った。

現代最大の悪書:小谷野敦(詳論については小谷野著『日本文化論のインチキ』)

 ま、意に介することはない。「天皇制」廃止論者(※天皇制という言葉は左翼用語であるためカギ括弧を付けた)である小谷野の矛先は平川祐弘にも向けられている模様。『もてない男』の歪んだ瞳を通せば、どんなものだって曲がって見えるのだろう。

 遺漏(いろう)があったとしても本書で引用されている文献は数多く、外国人という第三者の視点で一つの時代を俯瞰することが無意味であるとは思えない。しかも長期間にわたる戦後教育において日本の近代史は否定的に扱われ、詳細を知る機会すら奪われてきたのだから。

 日本における近代登山の開拓者ウェストン( Walter Weston 1861~1940)も、1925(大正14)年に出版した『知られざる日本を旅して』の中で次のように書いている。「明日の日本が、外面的な物質的進歩と革新の分野において、今日の日本よりはるかに富んだ、おそらくある点ではよりよい国になるのは確かなことだろう。しかし、昨日の日本がそうであったように、昔のように素朴で絵のように美しい国になることはけっしてあるまい」。

 今回紹介する部分は本書の思想的骨子となる部分である。小難しく感じる向きもあるだろうが決して読みにくい本ではない。帝国主義の先兵たちが遂に極東へ押し寄せる。有色人種に対する差別的情況を思えば、彼らが日本に寄せた愛着は瞠目に値する。東京裁判(1946-48)は連合国による「文明の裁き」であった。20世紀半ばに至っても尚、日本人は「野蛮な劣等民族」と考えられていたことが明らかであろう。

 ヒュースケン( Henry Heusken 1832~61)は有能な通訳として、ハリスに形影のごとくつき従った人であるが、江戸で幕府有司と通商条約をめぐって交渉が続く1857(安政4)年12月7日の日記に、次のように記した。「いまや私がいとしさを覚えはじめている国よ。この進歩はほんとうにお前のための文明なのか。この国の人々の質樸な習俗とともに、その飾りけのなさを私は賛美する。この国土のゆたかさを見、いたるところに満ちている子供たちの愉しい笑声を聞き、そしてどこにも悲惨なものを見いだすことができなかった私は、おお、神よ、この幸福な情景がいまや終わりを迎えようとしており、西洋の人々が彼らの重大な悪徳をもちこもうとしているように思われてならない」。
 ヒュースケンはこのとき、すでに1年2ヵ月の観察期間をもっていたのであるから、けっして単なる旅行者の安っぽい感傷を語ったわけではない。同様に長崎海軍伝習所の教育隊長カッテンディーケ( Huijssen van Kattendijke 1816~66)が1859年、帰国に当って次のような感想を抱いたとき、彼はすでに2年余の長崎で過していて、この国の生活については十分な知見を蓄えていたのである。「私は心の中でどうか今一度ここに来て、この美しい国を見る幸運にめぐりあいたいものだとひそかに希った。しかし同時に私はまた、日本はこれまで実に幸福に恵まれていたが、今後はどれほど多くの災難に出遭うかと思えば、恐ろしさに耐えなかったゆえに、心も自然に暗くなった」。彼は自分がこの国にもたらそうとしている文明が「日本古来のそれより一層高い」ものであることに革新をもっていた。しかし、それが日本に「果して一層多くの幸福をもたらすかどうか」という点では、まったく自信をもてなかったのである。

 カッテンディーケのもとで学んだのが勝海舟や榎本武揚である。それまで交易実績のあったオランダとアメリカの利益は異なり、オランダは様々な権謀術数をめぐらした。その両国を代表する者が同じ感慨を述べている。略奪されることへの哀れみではなく、近代化によって失われる「古きよき伝統」が彼らの目には見えていたのだろう。日清・日露戦争から二度の大戦へ向かう歴史まで洞察しているように感ずる。

 異邦人たちが予感し、やがて目撃し証言することになった古き日本の死は、個々の制度や文物や景観の消滅にとどまらぬ、ひとつの全体的関連としての有機的生命、すなわちひとつの個性をもった文明の滅亡であった。これは再度確認しておかねばならぬ肝要な事実である。

 そうしなければ日本は生き延びることができなかった。それを「世界史への適応」と言い換えてもよいだろう。アメリカという外敵の登場によって日本を取り巻く環境は一変したのだ。進化には犠牲を伴った。哀惜にも似た郷愁が心の中でせり上がる。明治期に文明が滅び、大東亜戦争の敗北によって歴史まで滅んだ。自国を悪しざまに罵る言論活動が文化人の仕事となった。我が国は今尚、外国に振り回され続けている。次に滅びるのは国家そのものであろう。米中のはざまで翻弄されるよりも第三の道を模索すべきだ。自ら均衡を生み出す政治力・外交力を欠けば、アメリカにつこうが中国につこうが衰亡は避けられない。

2015-09-15

宮城谷昌光


 4冊読了。

 108~111冊目『晏子 第一巻』『晏子 第ニ巻』『晏子 第三巻』『晏子 第四巻』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(新潮社、1994年/新潮文庫、1997年)/再読。2日間で読了。史書に忠実すぎて人物の揺れが大きいように感じた。特に冒頭で登場する頃公〈けいこう〉の生母、蕭同叔子〈しょうどうしゅくし〉の描き方に戸惑う。連載小説のせいかもしれない。最初に読んだ時ほどの昂奮は覚えなかった。それでも2日で読ませるほどの筆力があるのだから凄い。

2015-09-14

祖国への誇りを失った日本/『日本人の誇り』藤原正彦


『妻として母としての幸せ』藤原てい
『天才の栄光と挫折 数学者列伝』藤原正彦
『祖国とは国語』藤原正彦
『国家の品格』藤原正彦
『日本人の矜持 九人との対話』藤原正彦

 ・祖国への誇りを失った日本

『自由と民主主義をもうやめる』佐伯啓思
『驕れる白人と闘うための日本近代史』松原久子
『逝きし世の面影』渡辺京二

日本の近代史を学ぶ

 自らの国を自分で守ることもできず他国にすがっているような国は、当然ながら半人前として各国の侮(あなど)りを受け、外交上で卑屈になるしかありません。そして国民は何よりも大事な祖国への誇りさえ持てなくなってしまうのです。

【『日本人の誇り』藤原正彦(文春新書、2011年)】

 当たり前のことが当たり前でなくなったところに戦後教育の問題がある。1960年代に生まれた私の世代でも「愛国心」というキーワードは右翼を示すものとして扱われた。そしてバブル景気を挟んで右翼とやくざは見分けがつかなくなった。日本は「核の傘の下の平和」を70年にわたって享受してきた。米軍基地を沖縄に押し付けながら。

 私はパレスチナやチベット、ウイグルなどを通して軍事力を持たない国家や民族の悲惨を知った。彼らは「ただ殺される」。子供であってもだ。多少まとまった死者数でなければ報じられることもない。

 日本人がこよなく愛する平和は反戦アレルギーによるもので、その実態は引きこもりと酷似している。確かに平和だ。外に出ない限りは。

 明治維新から昭和にかけて日本が営々と築いてきた努力をGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領が木っ端微塵にした。敗戦という事実よりも占領下で行われた数々の施策によってである。その後日本は7年間に及ぶ占領期間を無視したまま経済というレールの上を疾走する。

 日本経済が「失われた20年」に埋没する間に中国は着々と軍事力・経済力を増強してきた。東シナ海ガス田問題前後から国境を巡るトラブルが増えている(『緊迫シミュレーション 日中もし戦わば』マイケル・グリーン、張宇燕、春原剛、富坂聰)。TPPAIIBの行方も定かではない。

 国家の安全保障をアメリカ一国に依存するリスクが高まりつつある。オバマ大統領のG2構想で日本は目を覚ますべきであった。ロシア、インド、ASEAN諸国と手を結び、中国・韓国包囲網を築く必要があろう。拉致問題を一挙に解決し北朝鮮との国交回復も視野に入れてしかるべきだ。

日本人の誇り (文春新書)
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東シナ海ガス田開発って実態はこういうことらしい
東亜百年戦争/『大東亜戦争肯定論』林房雄

2015-09-11

アミール・D・アクゼル、斎藤充功、舩坂弘、岩下哲典、磯田道史、他


 10冊挫折、6冊読了。

シリーズ日本近現代史10 日本の近現代史をどう見るか』岩波新書編集部編(岩波新書、2010年)/書き手は井上勝生、牧原憲夫、原田敬一、成田龍一、加藤陽子、吉田裕〈よしだ・ゆたか〉、雨宮昭一〈あめみや・しょういち〉、武田晴人〈たけだ・はるひと〉、吉見俊哉〈よしみ・しゅんや〉。岩波書店は戦後、雑誌『世界』の誌面を進歩的知識人(左翼)に提供してきた出版社である。左翼の呻き声みたいな代物で読む価値はないと判断した。

シリーズ日本近現代史1 幕末・維新』井上勝生(岩波新書、2006年)/amazonの★一つレビューを読むと、やはり左翼であると思われる。日本を貶めるのが彼らの仕事だ。

日本の歴史18 開国と幕末改革』井上勝生(講談社学術文庫、2009年)/というわけで1頁も読まず。井上は北大名誉教授。北海道は日教組が強く左翼の巣窟である。北海道に渡った人々には長男が少なく、先祖を敬う気風に欠ける。と道産子である私が断言しておこう。離婚率が高いのも「家を背負っていない」ため。

ホワット・イフ? 野球のボールを光速で投げたらどうなるか』ランドール・ マンロー:吉田三知世訳(早川書房、2015年)/池谷裕二の書評に騙された。ネット上で寄せられた質問に答えたQ&A集。それほど面白くない。

日本軍は本当に「残虐」だったのか 反日プロパガンダとしての日本軍の蛮行』丸谷元人〈まるたに・はじめ〉(ハート出版、2014年)/ダメ本。文章がいいだけに惜しまれる。イデオロギーとしての右翼はその姿勢において左翼と変わりがない。先入観に染まった景色に興味はない。

面白い本』成毛眞〈なるけ・まこと〉(岩波新書、2013年)・『もっと面白い本』成毛眞(岩波新書、2014年)/全然面白くない。成毛がノンフィクション専門とは知らなんだ。ノンフィクションに重きを置く態度が今ひとつ理解できない。

モチーフで読む美術史』宮下規久朗〈みやした・きくろう〉(ちくま文庫、2013年)/説明に傾き過ぎて文章が平板。エッジを効かせた文体が欲しいところ。

生きていくための短歌』南悟(岩波ジュニア新書、2009年)/定時制高校に通う生徒諸君の歌集。短歌は著者サイトでも読める。授業の成功と短歌の良し悪しは別物であろう。あまり心に引っ掛からず。

時間の図鑑』アダム ハート=デイヴィス:日暮雅通〈ひぐらし・まさみち〉訳、山田和子協力(悠書館、2012年)/ヴィジュアル本はフォントが小さくて読みにくい。前半は素晴らしいのだが後半まで息が続かない。仏教と量子力学までフォローしてもらいたかった。高価な本はまず図書館で借りてから購入を検討するのがセオリーだ。

 102冊目『いくらやっても決算書が読めない人のための 早い話、会計なんてこれだけですよ!』岩谷誠治〈いわたに・せいじ〉(日本実業出版社、2013年)/今まで読んだ中では一番わかりやすかった。それでも決算書を読めるようになるには遠い道のりである。

 103冊目『日本人の叡智』磯田道史〈いそだ・みちふみ〉(新潮新書、2011年)/著者は大学教授にして古文書オタク。題材で読ませる。文章に締まりを欠くが内容は素晴らしい。読むだけで背筋が伸びる。

 104冊目『予告されていたペリー来航と幕末情報戦争』岩下哲典(新書y、2006年)/文章に冴えがない。黒船来航といえば「泰平の眠りを覚ます上喜撰 たつた四杯で夜も寝られず」との狂歌が思い出されるが、この歌が後代の作であることを示す。ペリー来航は予想された出来事であった。当時のインテリジェンス能力は現在の政府よりも遥かに上である。しかも適切な対応ができた。阿部正弘、黒田斉溥、島津斉彬を中心に、佐久間象山・吉田松陰らの役割が明らかにされている。阿片戦争に対する危機意識の高さが彼らの能力を十二分に引き出したのだろう。

 105冊目『英霊の絶叫 玉砕島アンガウル戦記』舩坂弘〈ふなさか・ひろし〉(光人社NF文庫、1996年/新装版、2014年/文藝春秋、1966年『英霊の絶叫 玉砕島アンガウル』を改題)/舩坂弘は超人的な身体能力と体力の持ち主で「不死身の分隊長」と呼ばれた人物。白兵戦における強さは和製ランボーといってもターミネーターといってもよい。隣のペリリュー島の玉砕については知られていたが、アンガウルの戦いを公にしたのは本書が嚆矢(こうし)と思われる。剣道を通して親交のあった三島由紀夫が一文を寄せる。偉大なる父祖の戦いに涙止まらず。大小20ヶ所以上の傷を抱えながら船坂は米軍司令部で自爆攻撃を試みる。が、手榴弾の安全ピンを抜こうとした瞬間に狙撃される。阿修羅のような船坂にアメリカ軍人たちは「勇敢なる兵士」の名称を送り絶賛した。

 106冊目『日本スパイ養成所 陸軍中野学校のすべて』斎藤充功〈さいとう・みちのり〉、他(笠倉出版社、2014年)/小野田寛郎の任務が山下財宝(丸福金貨)の秘匿であったという想像が紹介されている。全体的には悪くないのだが、いささか予断と臆見が目立つ。

 107冊目『量子のからみあう宇宙』アミール・D・アクゼル:水谷淳訳(早川書房、2004年)/アミール・D・アクゼルの本には外れがない。量子力学を築いた人々の系譜。各章もすっきりしていて実にわかりやすい。図や式は飛ばして構わない。私もチンプンカンプンであった。量子力学の天敵アインシュタインを巡る物語でもある。

2015-09-07

論理万能主義は誤り/『国家の品格』藤原正彦


『妻として母としての幸せ』藤原てい
『天才の栄光と挫折 数学者列伝』藤原正彦
『祖国とは国語』藤原正彦

 ・論理万能主義は誤り

『日本人の矜持 九人との対話』藤原正彦
『日本人の誇り』藤原正彦
『武士道』新渡戸稲造:矢内原忠雄訳
『お江戸でござる』杉浦日向子監修
『自由と民主主義をもうやめる』佐伯啓思

日本の近代史を学ぶ

 もう一度言っておきましょう。「論理を徹底すれば問題が解決出来る」という考え方は誤りです。論理を徹底したことが、今日のさまざまな破綻を生んでしまったとも言えるのです。なぜなら「論理」それ自体に内在する問題があり、これは永久に乗り越えられないからです。

【『国家の品格』藤原正彦(新潮新書、2005年)以下同】

 城西国際大学・東芝国際交流財団共催の講演記録をもとに執筆。横溢するユーモアと日本の誇りが並び立つ稀有な一書。1990年代から顕著となった日本の近代史見直しを国民的な広がりへといざなったベストセラーである(260万部)。

 かつて帝国主義が正義とされた時代があった。欧米諸国が植民地をもつのは当然だとアフリカ人もアジア人も思い込んでいた。現在はびこっている国際主義も後から振り返れば誤っている可能性がある。藤原は実力主義も誤りで、「資本主義の勝利」は幻想にすぎず、「会社は株主のもの」という考え方も否定する。学説よりも常識を重んじる主張がわかりやすい。そして「論理は世界をカバーしない」と言い切る。

 この事実は数学的にも証明されています。1931年にクルト・ゲーデルが「不完全性定理」というものを証明しました。
 不完全性定理というのは、大ざっぱに言うと、どんなに立派な公理系があっても、その中に、正しいか正しくないかを論理的に判定出来ない命題が存在する、ということです。正しいか誤りかを論理的に判定出来ないことが、完全無欠と思われていた数学においてさえある、ということをゲーデルは証明したのです。
 この不完全性定理が証明されるまで、古今東西の数学者は、こと数学に限れば、どんな命題でも正しいか誤りかのどちらか一つであり、どちらであるかいつかは判定できる、と信じ切っていた。ところがゲーデルはその前提を覆したのです。人間の頭が悪いから判定出来ないのではない。論理に頼っていては永久に判定出来ない、ということがある。それを証明してしまったのです。

ゲーデルの生と死/『ゲーデルの哲学 不完全性定理と神の存在論』高橋昌一郎
ゲーデルの不完全性定理

 藤原は情緒を重んじる男であるが、数学者なので根拠を重視している。話し言葉がわかりやすいだけに誤解してはなるまい。数学者の仕事は「証明する」ことなのだ。安っぽい感情保守とは一線を画している。

 人類三大発明の一つである活版印刷は飛躍的な知識普及を実現したが、結果的には言葉と思考で脳を束縛した。我々はたぶん左脳が肥大していることだろう。右手も明らかに使いすぎている。

 西洋で論理思考が発達したのは「神の存在」を証明するためであった。日本の場合、情緒に傾きすぎて学問は術レベルにしか至らなかった。幕末の開国から大東亜戦争敗戦に至る経緯は「西洋の総合知に敗れた歴史」であったと見ることもできよう。そして日本は自虐史観によって誇りを奪われ、国家観を見失い、経済一辺倒の無色透明な準白人国家となってしまった。

 そろそろキリスト教による普遍主義から多元主義に変わってもいい頃合いだ。そのきっかけとなるのが多分、9.11テロなのだろう。

国家の品格 (新潮新書)
藤原 正彦
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