ラベル 武術 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 武術 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2022-02-24

6挺が放つ銃弾をかわす植芝盛平/『生命力を高める身体操作術 古武術の達人が初めて教える神技のすべて』河野智聖


 ・6挺が放つ銃弾をかわす植芝盛平

『身体構造力 日本人のからだと思考の関係論』伊東義晃

身体革命

 この話は陸軍の砲兵官が、合気道という素晴らしい武道があるからと軍の関係者を9人ばかり連れて植芝道場に見学にやってきたことからはじまります。そのときにいっしょにきた人たちというのは鉄砲の検査官でした。そういう人たちを前にして演武を行った植芝翁が、そのとき「ワシには鉄砲は当たらんのや」と言ってしまったのです。しかし彼らは鉄砲検査官。プライドを傷つけられ、怒ってしまいました。
「本当に当たりませんか?」
 彼らが先生に詰め寄ると、「ああ当たらん」「じゃあ、試してみていいですか」「けっこうや」と売り言葉に買い言葉となりました。
 植芝翁は撃たれて死んでも、文句が言えないように、その場で何月何日に大久保の射撃場で鉄砲の的になる、と拇印まで押し誓約書を書かされます。彼らはその写しを軍の裁判所のようなところへ持っていって、確認までしてもらったそうです。奥さまやお弟子さんに大変心配されても、「いや、大丈夫。あんなもん当たらんよ」とのんきに答えたそうです。そして射撃場での拳銃の一斉射撃となるのです。
 たっている植芝翁に向かって六つのピストルの引き金が引かれます。ところが、次の瞬間には、25メートルの距離を移動して、人一人投げ飛ばしているのです。
 25メートルの距離を瞬時に移動して投げ飛ばすなんて、信じられますか? その時にお供したお弟子さんの一人は合気道養神館館長、故・塩田剛三〈しおだ・ごうぞう〉先生です。
 塩田先生は現代武術において達人と尊敬される武術家です。その塩田先生が、何が起こるか見極めてやろうと目をこらしていても植芝翁の動きはなにひとつ見えなかったと告白しています。【あまりにも凄まじい話なので、誰もが嘘だと思ってしまうかもしれません。それを嘘だと疑ってかかるか、または人間の潜在的な力の実例ととらえるかでは自己の能力開発において大きな違いが生まれるでしょう】。

【『生命力を高める身体操作術 古武術の達人が初めて教える神技のすべて』河野智聖〈こうの・ちせい〉(経済界、2005年)】

 小野田寛郎もまた射撃をかわすことができると語っている。

小野田寛郎の悟り

 予備動作を見抜く以上の何かがあるのだろう。気配に先んじる何かがあるとすれば、それはもう量子力学的な世界だ。人間の認知能力には限りがないということか。

 河野智聖はユニークな武術家である。ただし文章があまりよくない。本書が一番おすすめできる。

2021-11-07

股関節で地面をとらえる/『スーパーボディを読む ジョーダン、ウッズ、玉三郎の「胴体力」』伊藤昇


『究極の身体(からだ)』高岡英夫
『フェルデンクライス身体訓練法 からだからこころをひらく』モーシェ・フェルデンクライス
『運動能力は筋肉ではなく骨が9割 THE内発動』川嶋佑
『ウィリアム・フォーサイス、武道家・日野晃に出会う』日野晃、押切伸一
『大野一雄 稽古の言葉』大野一雄著、大野一雄舞踏研究所編
『武学入門 武術は身体を脳化する』日野晃
『ことばが劈(ひら)かれるとき』竹内敏晴

 ・「すべての身体表現の源は、胴体にあり」
 ・股関節で地面をとらえる

『気分爽快!身体革命 だれもが身体のプロフェッショナルになれる!』伊藤昇、飛龍会編
『棗田式 胴体トレーニング』棗田三奈子
『月刊「秘伝」特別編集 天才・伊藤昇と伊藤式胴体トレーニング「胴体力」入門』月刊「秘伝」編集部編
『火の呼吸!』小山一夫、安田拡了構成
『ストレス、パニックを消す! 最強の呼吸法システマ・ブリージング』北川貴英
・『新正体法入門 一瞬でゆがみが取れる矯正の方程式』佐々木繁光監修、橋本馨
・『仙骨姿勢講座 仙骨の“コツ”はすべてに通ず』吉田始史

身体革命

 私は「胴体の動きを磨き続ければ、60代で動きのピークを迎える」とつねづね言ってきた。これは理想論ではない。これまで私が出会った武道の名人たちには、その年齢で若い者たちを寄せつけない動きが確かにあった。胴体を使った動きは、意識して創り上げていくもので、さまざまな経験が蓄積されていく。中途半端に“ナマの体力”(磨いていないもともとの力)があると、胴体で動こうという意識が薄くなってしまうという面があるのだ。(中略)
 そして、胴体の動きの土台となるのが、「股関節で地面をとらえる」([股関節のとらえ])ことである。もちろん、これは私の感覚に基づいた造語だが、これは動く前の、「究極のニュートラル・ポジション」である。簡単に言ってしまえば、「股関節と脚の骨(大腿骨など)が正しい角度にある状態」となるのだが、“正しい角度”は万人にとって同じではない。これについては後で説明するが、立ったとき、座ったときにかかわらず、股関節でとらえることができれば、全身は解放され自由な動きが可能に楽になる。意識的に股関節でとらえられるかどうかは、レベルの高い動きかどうかを見分けるキーポイントであり、股関節でとらえた状態で胴体のトレーニングをすれば上達も早い。

【『スーパーボディを読む ジョーダン、ウッズ、玉三郎の「胴体力」』伊藤昇(マガジンハウス、1998年/改訂版、2011年)】

 あれこれと運動を試行錯誤してゆく中で肩甲骨と骨盤の意識が芽生えてきた。日常生活でも「肩甲骨を動かす」ことと「骨盤を起こす」ことを心掛けている。最初に骨盤を意識したのは大転子ウォーキングを行った時である(みやすのんき)。 「60代で動きのピークを迎える」とは俄(にわか)には信じがたいが、甲野善紀が50代の時に「今までで一番体が動く」と語った言葉が蘇る。

「子曰く、吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして或(くぎ)らず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(したが)ふ。七十にして心の欲する所に従へども、矩(のり)を踰(こ)えず」(『論語』「為政」)の金言を思えば、60代は反発することがなくなるわけだ。つまり体内の力が環境と完全に適応した状態と言えようか。何かを倒す、何かを克服するといった状態から、水が流れるようなバランス感覚が開花するのだろう。スピードやパワーが衰えても、平衡感覚や判断力が研ぎ澄まされることは十分あり得る。

 で、股関節の位置である。

「股関節(こかんせつ)がどこにあるのか、知っていますか? 股(また)という言葉から、いわゆる股間のあたりを連想する人が多いようです。実際にはもう少し奥のお尻に近いあたりで、太ももの骨が骨盤と接する部分の関節が、股関節です」(股関節(こかんせつ)を鍛えてスムーズな歩きを | オムロン ヘルスケア)。


 想像以上に上である。長時間坐ったままの生活をしているため我々の股関節は眠ったままだ。まずは股関節の感覚を覚醒めさせる必要がある。今ここに心を砕いて、様々な運動を試しているところである。

「股関節で地面をとらえる」ためには、骨を積み木のように意識すればよい。筋肉を脱力して骨の位置を確認する。なかなか自覚することが難しいのだが、立ち上がってから踵を持ち上げてストンと落とすと股関節に衝撃が伝わる。坐位や臥位(がい)で股関節を動かすのも有効である。何でもそうだが最終的には自分なりに工夫するしかない。

 この箇所については読んだ時はそれほどピンと来なかった。それがどうだ。少しばかり意識が高まると全く別の意味が現れてくるのだ。まるで炙り出しだ。この味わい深さは経典のレベルに近い。

2021-07-07

肥田春充の食事/『表の体育裏の体育 日本の近代化と古の伝承の間(はざま)に生まれた身体観・鍛錬法』甲野善紀


『月刊「秘伝」特別編集 天才・伊藤昇と伊藤式胴体トレーニング「胴体力」入門』月刊「秘伝」編集部編
・『幻の超人養成法肥田式強健術 腰腹同量正中心の鍛錬を極めよ!』佐々木了雲
『鉄人を創る肥田式強健術』高木一行
・『肥田式強健術2 中心力を究める!』高木一行

 ・肥田春充の食事

『武術を語る 身体を通しての「学び」の原点』甲野善紀
『武術の新・人間学 温故知新の身体論』甲野善紀
『惣角流浪』今野敏
『鬼の冠 武田惣角伝』津本陽
『会津の武田惣角 ヤマト流合気柔術三代記』池月映
『透明な力 不世出の武術家 佐川幸義』木村達雄
『日本の弓術』オイゲン・ヘリゲル
『脚・ひれ・翼はなぜ進化したのか 生き物の「動き」と「形」の40億年』マット・ウィルキンソン
『ウォーキングの科学 10歳若返る、本当に効果的な歩き方』能勢博
『「筋肉」よりも「骨」を使え!』甲野善紀、松村卓
『ナンバ走り 古武術の動きを実践する』矢野龍彦、金田伸夫、織田淳太郎
『ナンバの身体論 体が喜ぶ動きを探求する』矢野龍彦、金田伸夫、長谷川智、古谷一郎
『ナンバ式!元気生活 疲れを知らない生活術』矢野龍彦、長谷川智
『すごい!ナンバ歩き 歩くほど健康になる』矢野龍彦
『本当のナンバ 常歩(なみあし)』木寺英史
『健康で長生きしたけりゃ、膝は伸ばさず歩きなさい。』木寺英史
『常歩(なみあし)式スポーツ上達法』常歩研究会編、小田伸午、木寺英史、小山田良治、河原敏男、森田英二
『トップアスリートに伝授した 勝利を呼び込む身体感覚の磨きかた』小山田良治、小田伸午
『間違いだらけのウォーキング 歩き方を変えれば痛みがとれる』木寺英史

身体革命
悟りとは

 また、宗教団体自体が巨大な霊術団体の趣きがあった近代の典型例としては「大本」がある。
 この現代新宗教群の最大の産みの親である大本は、今でこそ目立たない小教団になっているが、現在大本が産んだ新宗教群とそれらに絡む政財界人、文化人の顔ぶれをみても、それにこの“裏の体育”の源流である霊術を語る上からいっても、無視できない巨大な存在であったことは確かだ。

【『表の体育裏の体育 日本の近代化と古の伝承の間(はざま)に生まれた身体観・鍛錬法』甲野善紀〈こうの・よしのり〉(地方・小出版流通センター、1986年/PHP文庫、2016年)以下同】

 amazonだと「オンデマンド2750円」で販売されているが、楽天などではPHP文庫が754円で売られているので注意されよ。

 甲野の初著(※既に「処女作」という言葉は使いにくい)である。霊術に注目したのは卓見で日本近代の宗教的変遷に鮮やかな色彩を施している。2/3ほどは肥田春充〈ひだ・はるみち〉に関する記述で、その引用の多さを思えば書籍タイトルに肥田の名前を入れないのは詐欺に近い。

【私の食物に対する注意は、控え目に食べる、菓子を止めるという、ただそれだけのことであり、しかも滋養とは、獣鳥魚肉、牛乳卵等が、最なるものと思っていた。だから間食しない、食べ過ぎないという注意だけで、何でも食べて居り、ことに御馳走は、喜んで摂って居ったのである。
 しかるに鍛えて鍛えて、真健康を獲得し、更に次第に、中心力が強くなるのに従って、私が食物に対する、嗜好と要求とは、自然に変って来た。
 それは淡白なアッサリした食物を、好むようになったことである。麦飯と味噌汁と香の物位が、一番美味しい。御馳走なんかは、かなわんという気になった。ことに濃厚な西洋料理などは、殆ど堪え得られないように感じた。
 日本料理でも、種々の御馳走は閉口で、生漬の香のもの、生煮えの野菜の味噌汁などを、最も要求するようになった。(中略)
 演説する前だけは、飯を五六杯、香の物を副て食べる。うどんのかけだと、四ッ位、平げて、腹を拵える。二三時間熱弁を振って、三十分間も、猛烈な練習をするのには、その位食べた方が、良いようだ。だが、卵だの、牛乳だの、肉だの、魚だのと動物性は、全然摂らない。
 その方が晴々して、気持が良くて、力が湧き溢れて来る。種々と、濃厚な所謂栄養物を摂らなくては、体が続かないなどと、考えるのは、飛んだ間違いであることを、私は明らかに体験している。】

 肥田春充〈ひだ・はるみち〉のテキストである。肥田式強健術に関しては3冊ほど読んできたがこの部分は記憶にない。あるいは私の関心が変わったのかもしれない。食事法についてはここ数年重点的に学んできたが、これほどの粗食にはお目にかかったことがない。ひょっとすると人間離れした強靭な身体(しんたい)の肥田だから通用した可能性もある。または日本人であれば適用できる可能性もある。

 ここで思い出されるのはブッダの弟子が行っていた托鉢である。午前中一食のみで、余っても翌日に持ち越すことは禁じられた。選り好みも許されなかった。仏弟子の生活は托鉢が前提となるゆえ都市部周辺にサンガは形成される。中には傷(いた)んだ食べ物を施す者もいたようだ。受け取った食料は食べるか捨てるかのどちらかであった。

 人間の最も基本的な欲望は食欲・性欲・睡眠欲の三つである。托鉢は食欲から離れる目的もあったと思われるが、完全に食を軽視しているようにも見える。「何かを食べれば死ぬことはない。むしろ食べ過ぎることが不健康の原因である」と喝破していたのかもしれない。人体は飢餓には強いが飽食には弱い。

 そもそも食事に注意を払う行為そのものが不健康の証と言っていいだろう。肥田春充は運動を通して悟りに至り、最後は自ら餓死を選んだ。己(おのれ)の意思で植物が枯れるように死んでいった。このような日本人が昭和に存在したのである。

2021-07-05

5本指ソックスは足底筋を痛める/『「筋肉」よりも「骨」を使え!』甲野善紀、松村卓


『ウォーキングの科学 10歳若返る、本当に効果的な歩き方』能勢博
『表の体育裏の体育 日本の近代化と古の伝承の間(はざま)に生まれた身体観・鍛錬法』甲野善紀
『武術を語る 身体を通しての「学び」の原点』甲野善紀
『足・ひざ・腰の痛みが劇的に消える足指のばし』湯浅慶朗

 ・5本指ソックスは足底筋を痛める

【禁断の検証】〈5本指・足袋・ノーマル〉イス軸法と相性が良い靴下はどれだ!?
『ナンバ走り 古武術の動きを実践する』矢野龍彦、金田伸夫、織田淳太郎
『ナンバ式!元気生活 疲れを知らない生活術』矢野龍彦、長谷川智
『すごい!ナンバ歩き 歩くほど健康になる』矢野龍彦
『本当のナンバ 常歩(なみあし)』木寺英史
『健康で長生きしたけりゃ、膝は伸ばさず歩きなさい。』木寺英史
『常歩(なみあし)式スポーツ上達法』常歩研究会編、小田伸午、木寺英史、小山田良治、河原敏男、森田英二
『トップアスリートに伝授した 勝利を呼び込む身体感覚の磨きかた』小山田良治、小田伸午

身体革命

松村●要するに、腹筋を固めてしまうと、動作の奥になる大腰筋が使えなくなってしまうんです。表層の筋肉をガチガチに硬くしてしまうことで、肝心のインナーマッスルの動きが制限されてしまうんですね。

【『「筋肉」よりも「骨」を使え!』甲野善紀〈こうの・よしのり〉、松村卓〈まつむら・たかし〉(ディスカヴァー携書、2014年)以下同】

 松村卓は骨ストレッチの考案者で、短距離の桐生祥秀〈きりゅう・よしひで〉を指導した人物。腹の柔らかさは古来から日本武術で重要視されているが、腹筋を鍛えることがインナーマッスルの動きを阻害することまでは想像が及ばなかった。知識には必ず落とし穴があるという好例だ。

松村●そうした火事場の力を引き出すのに、先生は何が大事だと思われますか?

甲野●大事なのは、先を占わない気持ちですよ。こうしたらこうだろうとか、ああだろうとか、そうしたことを思わない。火事場でおばあさんが大きなタンスを担ぎ上げて逃げたという話がありますが、そんな時にタンスを見て「これ、私に持てるかしら」って考えないでしょう?

松村●考えたら絶対に持てないですよね(笑)。

甲野●そうです。でも、普通は必ず先を占うんですよ。できるかどうか。予測を立てることが人間の習い性になっているんです。
 逆説的な言い方になりますが、できるかできないかを判断しようとするからできない。緊急時にはそんなこと言ってられない。判断する間がないから火事場の力が発揮できるということでしょう。

 実は一度挫けている本だ。私はかねがね甲野の理窟っぽさが好きになれず、実際の動きも部分に傾いていて全体性を欠いているように感じていた。ところが『甲野善紀と甲野陽紀の不思議なほど日常生活が楽になる身体の使い方 日常動作を磨く77のコツ』(山と渓谷社、2016年)を読んで見直さざるを得なくなった。彼の武術家としての姿勢は全く正しいもので、武術が振る舞いにまで昇華されていることを知った。

「先を占わない気持ち」などという言葉は中々出てくるものではない。武術家の身体を通して放たれる言葉が文学者の修辞を軽々と超えている。

甲野●5本指ソックスって、そんなに負荷がかかるんですか?

松村●結局、浮き指になっちゃうんです。ソックスをピッと強く履いてしまう人が多いんで、5本の指が反ってしまう。指が反ると接地の時に指が使えませんから、足の裏の筋肉(足底筋)が張るんですね。酷使すると足底筋膜炎になってしまう。

 余談ですが、桐生君にその話をしたら、「僕も5本指ソックスを履いた後、足底筋が痛くなったことがあります。やめたらすぐに治ったんですが、その理由がやっとわかりました」と言っていました。

甲野●5本指ソックスのほうが足の指が動かしやすいので、お遍路をする時にすすめられているという話を聞いたことがあります……。

松村●お相撲さんは、相手のまわしをしっかりつかむため、手の指をテーピングで固定させますよね? これと同様、足の指も開いていないほうが力が出せるんです。「家族が離れ離れではさみしいでしょ?」って言っているわけですが(笑)。

甲野●5本指ソックスを履くと指が分離して、力が分散してしまう。

松村●はい。ちょっと指にかぶっているくらいならいいんですが、たいていの人はピチッと履こうとしますよね? そうすると一つ一つの指が独立してしまって、過緊張を起こすので、足底が張って動きが落ちる。

 吃驚(びっくり)仰天した。私は日常的に鼻緒がある履き物を使用しているため、鼻緒の優れた操作性についてはよく理解している。よくよく考えると意外でもない。なぜなら5本指の草鞋(わらじ)が存在しないためだ。Vibram FiveFingersという5本指シューズがあるが是非とも検証してもらいたいものだ。

 近頃、地下足袋ウォーキングを行っていることもあり、今後は足袋ソックス一本にしようと考えている。



浮き指が進行すると腰が曲がる/『ひざの激痛を一気に治す 自力療法No.1』

2020-08-27

縁に触れて覚る/『日本の弓術』オイゲン・ヘリゲル


『鉄砲を捨てた日本人 日本史に学ぶ軍縮』ノエル・ペリン

 ・縁に触れて覚る

・『新訳 弓と禅 付・「武士道的な弓道」講演録』オイゲン・ヘリゲル
・『無我と無私 禅の考え方に学ぶ』オイゲン・ヘリゲル
・『禅の道』オイゲン・ヘリゲル (著
・『弓聖阿波研造』池沢幹彦
『弓と禅』中西政次
『鉄人を創る肥田式強健術』高木一行
『表の体育裏の体育 日本の近代化と古の伝承 の間(はざま)に生まれた身体観・鍛錬法』甲野善紀
『武術の新・人間学 温故知新の身体論』甲野善紀
『惣角流浪』今野敏
『鬼の冠 武田惣角伝』津本陽
『会津の武田惣角 ヤマト流合気柔術三代記』池月映
『透明な力 不世出の武術家 佐川幸義』木村達雄
『肚 人間の重心』 カールフリート・デュルクハイム

悟りとは
必読書リスト その五

 すると先生は声をはげまして「いや、その狙うということがいけない。的のことも、中てることも、その他どんなことも考えてはならない。弓を引いて、矢が離れるまで待っていなさい。他のことはすべて成るがままにしておくのです」と答えられた。そう言って先生は弓を執り、引き絞って射放した。矢は的のまん中にとまっていた。それから先生は私に向かって言われた。――「私のやり方をよく視ていましたか。仏陀が瞑想(めいそう)にふっている絵にあるように、私が目をほとんど閉じていたのを、あなたは見ましたか。私は的が次第にぼやけて見えるほど目を閉じる。すると的は私の方へ近づいて来るように思われる。そうしてそれは私と一体になる。これは心を深く凝らさなければ達せられないことである。的が私と一体になるならば、それは私が仏陀と一体になることを意味する。そして私と仏陀が一体になれば、矢は有(う)と非有(ひう)の不動の中心に、したがってまた的の中心に在ることになる。矢が中心に在る――これをわれわれの目覚めた意識をもって解釈すれば、矢は中心から出て中心に入るのである。それゆえあなたは的を狙わずに自分自身を狙いなさい。するとあなたはあなた自身と仏陀と的とを同時に射中てます」

【『日本の弓術』オイゲン・ヘリゲル述:柴田治三郎〈しばた・じさぶろう〉訳(岩波文庫、1982年/原講演は1936年〈昭和11年〉)】

 オイゲン・ヘリゲルは学生時代からドイツの神秘説を詳しく調べていた。マイスター・エックハルトが称揚した「離繋」の本質がわかるかもしれないと考えて来日を決意。東北帝国大学に招聘(しょうへい)されて哲学を教えた。弓聖(きゅうせい)と称えられた阿波研造〈あわ・けんぞう〉に弓術を学ぶ。細君は生け花と墨絵を習う。足掛け6年にわたって稽古をした。3年が経過しても満足のゆく状態にはならなかった。4年目で芽が出る。そこで西洋の合理性が邪魔をした。ヘリゲルは理窟(りくつ)という答えを求めたが阿波が示したのは「悟りの道」であった。

 日野晃の著作で本書を知った。タイトルは聞き覚えがあったが弓に興味はなかった。高校生の時、弓道部の友人に招かれて一度だけ弓を引いたことがあるがワンバウンドで辛うじて的に当てた。普通の弓であったが私にとっては強弓(ごうきゅう)だった。私の運動神経は球技で発揮されるため何となく「縁がないな」と感じた。

 9時ごろ私は先生の家へ伺った。先生は私を招じて腰かけさせたまま、顧みなかった。しばらくしてから先生は立ちあがり、ついて来るようにと目配(めくば)せした。私たちは先生の家の横にある広い道場に入った。先生は編針のように細長い1本の蚊取線香に火をともして、それを垜(あずち)の中ほどにある的の前の砂に立てた。それから私たちは射る場所へ来た。先生は光をまともに受けて立っているので、まばゆいほど明るく見える。しかし的は真っ暗なところにあり、蚊取線香の微(かす)かに光る一点は非常に小さいので、なかなかそのありかが分からないくらいである。先生は先刻から一語も発せずに、自分の弓と2本の矢を執った。第一の矢が射られた。発止(はっし)という音で、命中したことが分かった。第二の矢も音を立てて打ちこまれた。先生は私を促して、射られた2本の矢ををあらためさせた。第一の矢はみごと的のまん中に立ち、第二の矢は第一の矢の筈(はず)に中たってそれを二つに割(さ)いていた。私はそれを元の場所へ持って来た。先生はそれを見て考えこんでいたが、やがて次のように言われた。――「私はこの道場で30年も稽古をしていて暗い時でも的がどの辺にあるかは分かっているはずだから、1本目の矢が的のまん中に中たったのはさほど見事な出来ばえでもないと、あなたは考えられるであろう。それだけならばいかにももっともかも知れない。しかし2本目の矢はどう見られるか。これは【私】から出たのでもなければ、【私】が中てたものでもない。そこで、こんな暗さで一体狙うことができるものか、よく考えてごらんなさい。それでもまだあなたは、狙わずには中てられぬと言い張られるか。まあ私たちは、的の前では仏陀の前に頭を下げる時と同じ気持になろうではありませんか」――
 それ以来、私は疑うことも問うことも思いわずらうこともきっぱりと諦めた。

 エピソードが神話性を帯びて宗教的な物語にまで高められている。物理学や確率で論じることに意味はない。オイゲン・ヘリゲルに染み付いた西洋哲学という蒙(もう)が啓(ひら)いた瞬間であった。阿波研造は縁覚(えんがく)の人物だったのだろう。21歳で弓術を始め、「41歳のとき、天啓のような神秘的な一射を体験をし、『一射絶命』『射裡見性』を唱え始める」(Wikipedia)。阿波は禅を通して即時性や如実知見(にょじつちけん)を悟ったのだろう。

 矢筈の直径は8mm前後である。ここに当てるということは1~2mmの精度が求められよう。つまり阿波が放った2本目の矢は1mmの的に当てたと考えてよい。しかも暗く的は見えないのだ。まさに神業(かみわざ)である。しかも阿波はそれが「技術ではない」と言うのだ。人智を超えた領域に触れたと感じるのは私だけではないだろう。

 日本の宗教改革ともいうべき鎌倉仏教において悟りの道を目指したのは禅宗のみである。他はマントラ密教に堕した感がある。常に生死(しょうじ)の境に身を置く武士が禅を好んだのもむべなるかな。現代世界に目を転じても世界を席巻した日本仏教は禅だけといっても過言ではなく、多くのミステリ作品にも取り上げられている。修行の面から見れば瞑想とヨガは欧米で広く受け容れられている。

 スポーツは狩猟をゲーム化したものだが、武道は暴力を洗練し尚且つ抑制したものだ。それを悟りに結びつけたところに日本武術の独創性がある。

2020-07-27

成人病が生活習慣病に変わった理由/『武術と医術 人を活かすメソッド』甲野善紀、小池弘人


『古武術介護入門 古の身体技法をヒントに新しい身体介助法を提案する』岡田慎一郎
・『古武術で毎日がラクラク! 疲れない、ケガしない「体の使い方」』甲野善紀指導、荻野アンナ文
『体の知性を取り戻す』尹雄大
『響きあう脳と身体』甲野善紀、茂木健一郎

 ・成人病が生活習慣病に変わった理由

・『日本人の身体』安田登

小池●かつて「成人病」という語がありましたが、あれが今は「生活習慣病」になっていますよね。名前が変わった理由は、成人だからかかるのではなく、「生活習慣が原因だから」というのが、表面的な理由ですが、実はもっと深い理由があります。
 それは成人になったら誰もがしようがなくかかってしまうものならば、国や他人が面倒を見なきゃいけない。けれども生活習慣病という概念になった途端、「おまえの生活習慣が悪いから病気になったのだから、おまえの責任だ」といえてしまえる。つまり、自己責任の時代が来たんだという意味があるというものです。これは当然医療経済的な意味もあるわけで、ただ単に原因論的な名前に変わったという以上の意味があるわけです。そして一方で「生活習慣」といわれても急に変えられる人は少ないのが実情です。そうなると理想とはうらはらに「自己責任」にもどついてクスリで何とかしようと考える人も出てくるわけです。「急がば回れ」の反対の姿勢です。すると生活改善による予防を目的とした数値が、いつしか薬物治療の目標値になってしまうわけです。
 そうなると反対に病気でもないのに無理やり病気みたいに扱われてしまうこともありえるわけです。

【『武術と医術 人を活かすメソッド』甲野善紀〈こうの・よしのり〉、小池弘人〈こいけ・ひろと〉(集英社新書、2013年)】

 厚生省(当時)が生活習慣病との改称を提唱したのは1996年12月18日のことである(生活習慣に着目した疾病対策の基本的方向性について(意見具申))。厚生大臣は菅直人(新党さきがけ)から小泉純一郎(自民)に変わった直後だ(11月7日就任)。大臣主導というよりは橋本内閣が掲げた「六つの改革」を踏襲したものだろう。

 但し、疾病の発症には、「生活習慣要因」のみならず「遺伝要因」、「外部環境要因」など個人の責任に帰することのできない複数の要因が関与していることから、「病気になったのは個人の責任」といった疾患や患者に対する差別や偏見が生まれるおそれがあるという点に配慮する必要がある。

生活習慣に着目した疾病対策の基本的方向性について(意見具申)

 つまり厚生省(当時)は「疾病原因は生活習慣に限らない」が「生活習慣病」と呼ぶよう促しているのだ。支離滅裂である。現在、健康診断などの問診票を見ても自己責任を問う内容が増えており、運動をしていない人には自己嫌悪を覚えるような代物となっている。

 玄米食に興味を抱いている時に読んだ本なので今見返すと随分印象が違う。玄米は解毒性が強いため長期間にわたって摂取するのは問題があると私は考える(玄米の解毒作用)。本当に玄米が体にいいのであれば糠(ぬか)を食べればいいだけのことだ。生野菜も勧めているが短期間の感覚を重視するのは極めて危うい。

 身体(しんたい)や病気に関することで「これが正しい」との主張は眉に唾をした方がよい。体は人によって違うのだから。

2020-07-26

混乱が人材を育む/『響きあう脳と身体』甲野善紀、茂木健一郎


『古武術介護入門 古の身体技法をヒントに新しい身体介助法を提案する』岡田慎一郎
・『古武術で毎日がラクラク! 疲れない、ケガしない「体の使い方」』甲野善紀指導、荻野アンナ文
『体の知性を取り戻す』尹雄大

 ・混乱が人材を育む

『武術と医術 人を活かすメソッド』甲野善紀、小池弘人
・『日本人の身体』安田登

身体革命

茂木●一方、私たちは科学者として生きているわけではなくて、生活者として生きています。科学で説明できないからといって、存在しないというわけではありませんから、科学で説明できない部分を何らかの形で引き受け、生活者として実践していかなくてはならない。
 そうすると結局、科学で説明できないことについては、自分の経験や感覚、歴史性を通して引き受けていくしかないんですね。世の中にある現象のうち、易しいものは科学で説明できるけれど、難しいものは科学で説明できない。でも、生きていくためには、科学で説明できない難しさのものも、たくさん活用していかなくてはいけない。生活者である私たちは、科学がすべてを解明するのを待つことはできませんから、「これは今のところ科学的には説明できない現象なんだ」と受け入れ、それ以外の説明を活用していくしかないということです。

【『響きあう脳と身体』甲野善紀〈こうの・よしのり〉、茂木健一郎〈もぎ・けんいちろう〉(バジリコ、2008年/新潮文庫、2010年)】

 中々言えない言葉である。まして科学者であれば尚更だ。複雑系科学不確定性原理ラプラスの悪魔を葬った。宇宙に存在する全ての原子の位置と運動量を知ったとしても未来は予測できない。

 科学者が合理的かといえば決してそうではない。彼らは古い知識に束縛されて新しい知見をこれでもかと否定する。アイザック・ニュートンは錬金術師であった。ケプラーは魔女の存在を信じていた。アーサー・エディントンはブラックホールの存在を否定した。産褥熱は産科医の手洗いで防げるとイグナーツが指摘したが医学界は受け入れなかった。オーストラリアのロビン・ウォレンとバリー・マーシャルがピロリ菌を発見し、これが胃潰瘍の原因だと発表した際も若い二人を医学界は無視した。

 科学は説明である。何をどう説明されたところで不幸な人が幸福になることはない。恋の悩みすら解決できないことだろう。

甲野●結局のところ、社会制度が整備化されて、標準化されることによって、つまらない人間が増えてきたということではないですか。たとえば明治維新後すぐの日本は、すべての制度が不備だった。会社や官僚組織なんかでも、ほとんどが縁故採用だったわけですが、多様な、ほんとうにおもしろい人材が育っていった。コネで採用するというのも選ぶ側に人を見る眼があると、けっこういい人材がそろうんですよね。
 ところが、日露戦争に勝ち、「日本は強くなった。成功した」という意識が広がり、いろんなインフラを整備して、社会がシステム化された結果、そういうシステムの中で採用されて育った人間が、太平洋戦争で大失敗してしまったわけですよ。やっぱり混乱期の、いろいろなことが大雑把で混乱している時のほうが、おもしろい人間が育ちやすいのではないかと思います。

 これは一つの見識である。さすが古文書を読んでいるだけのことはある。鎌倉時代から既に700年近く続いた侍は官僚と化していたのだろう。侍の語源は「侍(さぶら)ふ」で「従う」という意味だ。もともと侍=官人(かんにん)であるがそこには命を懸けて主君を守るとの原則があった。責任を問われればいつでも腹を切る覚悟も必要だった。ところが詰め腹を切らされるようなことが増えてくれば武士の士気は下がる。結局切腹という作法すら形骸化していったのだ。

 明治維新で活躍したのは下級武士だった。エリートは失うものが多いところに弱点がある。身分の低い者にはそれがない。まして彼らは若かった。明治維新は綱渡りの連続だった。諸藩の動向も倒幕・佐幕とはっきりしていたわけではなかった。戦闘行為に巻き込まれるような格好で倒幕に傾いたのだ。しかも財政は幕府も藩も完全に行き詰まっていた。外国人からカネを借り、贋金(にせがね)を鋳造し、豪商からの借金を踏み倒して明治維新は成った。

 実に不思議な革命であった。幕府を倒したという意味では革命だが西洋の市民革命とは様相を異にした。それまで日本の身分制度の頂点にいた武士が自ら権益と武器を手放したのだ。気がつけばいつの間にか攘夷の風は止んで開国していた。この計画性のなさこそが日本らしさなのだろう。

 果たして次の日本を担う人材は今どこで眠っているのだろうか?

2020-07-20

体と思考/『体の知性を取り戻す』尹雄大


 ・体と思考

『響きあう脳と身体』甲野善紀、茂木健一郎
『武術と医術 人を活かすメソッド』甲野善紀、小池弘人
『身体構造力 日本人のからだと思考の関係論』伊東義晃

身体革命

 体よりも思考が重視されている世の中では、現実と出会うのはなかなか難しい。私たちが「これが現実だ」と言うとき、他人とのあいだで共通認識が取り結べ、必ず頭が理解できる程度のものになっているからだ。いわば【頭の理解に基づく社会的な現実】と言っていい。それは【体にとっての現実】とは違う。
 体の現実とはつかの間、感覚的にのみ垣間見えるものかもしれない。たとえば火にかけた薬缶(やかん)に触れてパッと手を離すとき、のんびりと「熱い」などと認識していないはずだ。手を離す行為と感覚が現実の出来事にぴたりと合っていて、そこに「熱い」という判断の入る余地はない。
 それでも私たちは「熱いと感じて、思わず手を離した」と自分や他人に向けて言う。それは常に後から振り返った説明なのだ。「感じた」と言葉で言ってしまえるのは、リアルタイムではなく、認識された過去の出来事にすぎない。というのは、現実は「~してから~した」といった悠長な認識の流れで進んではいないからだ。「間髪を入れず」というように、髪の毛ほどの隙間もないのが現実だ。
 つまり私たちにとっての現実は、常に言葉にならない感覚の移ろいでしかない。わずかにその変化を掴むことで、現実の一端を知ることができる。

【『体の知性を取り戻す』尹雄大〈ユン・ウンデ〉(講談社現代新書、2014年)】

 入力しながら気になったのだが一般的には「手放す」と書くので「手を離す」は誤字かと思いきや、そうではなかった(「離す」と「放す」 - 違いがわかる事典)。

 尹雄大〈ユン・ウンデ〉はスポーツ選手のインタビュアーを生業(なりわい)としているが、格闘技や武術を嗜(たしな)んでいるので思考の足がしっかりと地についている。全体的には社会に対する違和感を体の緊張として捉え、哲学的に読み解こうとしている。

「頭の理解に基づく社会的な現実」や「認識された過去の出来事」といった表現に蒙(もう)を啓(ひら)かれる思いがする。脳は妄想装置である。その最たるものが政治や軍事におけるリアリズムであろう。民意や国際合意の捉え方次第でクルクル動く現実だ。認識が過去であるならば唯識は現在性を見失っていることになる。識とは受信機能である。しかも知覚は常に遅れを伴う(『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ)。

 悩みは過去であり、希望は未来である。どちらも現在性を見失った姿だ。人は過ぎ去った過去と未だ来ない未来を想像し苦楽を味わう。存在しないものを信じるという点では一神教の神とよく似ている。信ずる者は掬(すく)われる。足元を。

 おしなべて思考のトレースがわかりやすい言葉で書かれていて着眼点も鋭い。必読書に入れようと思ったのだが「あとがき」に余計な一言があったのでやめた。

2019-10-28

感じる力が高まる/『気分爽快!身体革命 だれもが身体のプロフェッショナルになれる!』伊藤昇、飛竜会編


『究極の身体(からだ)』高岡英夫
『フェルデンクライス身体訓練法 からだからこころをひらく』モーシェ・フェルデンクライス
『運動能力は筋肉ではなく骨が9割 THE内発動』川嶋佑
『ウィリアム・フォーサイス、武道家・日野晃に出会う』日野晃、押切伸一
『大野一雄 稽古の言葉』大野一雄著、大野一雄舞踏研究所編
『武学入門 武術は身体を脳化する』日野晃
『ことばが劈(ひら)かれるとき』竹内敏晴
『スーパーボディを読む ジョーダン、ウッズ、玉三郎の「胴体力」』伊藤昇

 ・感じる力が高まる

・『棗田式 胴体トレーニング』棗田三奈子
『月刊「秘伝」特別編集 天才・伊藤昇と伊藤式胴体トレーニング「胴体力」入門』月刊「秘伝」編集部編
『火の呼吸!』小山一夫、安田拡了構成
『ストレス、パニックを消す! 最強の呼吸法システマ・ブリージング』北川貴英
・『新正体法入門 一瞬でゆがみが取れる矯正の方程式』佐々木繁光監修、橋本馨
・『仙骨姿勢講座 仙骨の“コツ”はすべてに通ず』吉田始史

身体革命

 胴体の三つの動き(1.伸ばす・縮める 2.丸める・反る 3.捻る)のトレーニングを続けていると、身体の【“感じる力”】が高まります。感じる力とは、具体的には危険察知能力、瞬時の状況判断力、病気、異常の感知能力といえます。
 動物を見るとよくわかります。犬でも猫でも、人間がなにかしようと近づこう(ママ)とするだけで逃げだします。身体に合わないものは食べません。具合が悪ければ、何も食べずにジッと寝て、自分の力でなおします。動物はこの力がなければ生きてはゆけません。
 ところが、現代人は考える力や記憶する力にたよりすぎて、感じる力が著しく低下しています。これでは、自分の身体の異常や病気にも気がつかず、自分の体験したこと、本などで勉強して得た知識以外の出来事が起こると、まったく対応できなくなってしまいます。いわゆる“マニュアル人間”はこれにあてはまります。
 感じる力は、生きていくうえでもっとも大切な能力です。この力があれば、頭でいちいち考えなくても、食べ物、運動など、自分の身体が、必要なものは何かを感じることができます。

【『気分爽快!身体革命 だれもが身体のプロフェッショナルになれる!』伊藤昇、飛竜会編(BABジャパン、2005年/ベストセラーズ、1993年『気分爽快!身体(からだ)革命 一日三分で痛みを消しさる』改題)】

 私は30代から酒を呑み始め、あっという間に体重が80kg近くなった。運動不足と深夜の飲食は不健康への近道だ。肥大するウエストのために毎年ズボンを買い替えた。腹が出てくれば当然ズボンは下がりがちとなる。私はしょっちゅうベルトを外してファスナーを下ろしてはシャツをたくし込んだ。女性の前でも平然と行ったため随分とひんしゅくを買った。ウエストが92cmに落ち着いてからはサスペンダーを愛用してきた。

 40代で無呼吸症候群が発覚し、その後アルコールを飲むと不整脈が起こるようになった。48歳で生まれて始めて肩凝りを経験したあたりから体への意識が芽生え始めた。五十肩はチューブトレーニングを行い1週間で治した。日常的には歩くことを心掛けた。50代でバドミントンをやったら立て続けに三度もふくらはぎの肉離れを起こした。で、昨年から自転車に乗り始めた。保有しているのはスピンバイク、懸垂マシン、腹筋ローラー、バイクの古チューブである。食べ物もかなり気をつかっている。

 身体のピークは60代と伊藤は言い切る。更に性格も体操で変えられるとまで語る。見上げた確信だ。ベストセラーズ版が絶版となり本書は「幻の」と噂されるまでに至った。とはいうものの内容がベーシック過ぎて素人にはピンと来ない。その意味では瞑想とよく似ている。本気で取り組まないと変化を実感することは難しい。

 体幹を極めると胴体力になる。骨盤を中心とした胴体のしなやかな動きが手足の筋力を最大限に活かすのだ。単調な筋トレは体を壊しやすい。動きを変えるためには全身のバランスを調える方が望ましい。

2019-10-08

「すべての身体表現の源は、胴体にあり」/『スーパーボディを読む ジョーダン、ウッズ、玉三郎の「胴体力」』伊藤昇


『究極の身体(からだ)』高岡英夫
『フェルデンクライス身体訓練法 からだからこころをひらく』モーシェ・フェルデンクライス
『運動能力は筋肉ではなく骨が9割 THE内発動』川嶋佑
『ウィリアム・フォーサイス、武道家・日野晃に出会う』日野晃、押切伸一
『大野一雄 稽古の言葉』大野一雄著、大野一雄舞踏研究所編
『武学入門 武術は身体を脳化する』日野晃
『ことばが劈(ひら)かれるとき』竹内敏晴

 ・「すべての身体表現の源は、胴体にあり」
 ・股関節で地面をとらえる

『気分爽快!身体革命 だれもが身体のプロフェッショナルになれる!』伊藤昇、飛龍会編
『棗田式 胴体トレーニング』棗田三奈子
『月刊「秘伝」特別編集 天才・伊藤昇と伊藤式胴体トレーニング「胴体力」入門』月刊「秘伝」編集部編
『火の呼吸!』小山一夫、安田拡了構成
『ストレス、パニックを消す! 最強の呼吸法システマ・ブリージング』北川貴英
・『新正体法入門 一瞬でゆがみが取れる矯正の方程式』佐々木繁光監修、橋本馨
・『仙骨姿勢講座 仙骨の“コツ”はすべてに通ず』吉田始史

身体革命

 胴体から出る力=胴体力は、しなやかで強い。
 そして、一度身につけてしまえば、なかなか衰えることがない。
 スポーツマンやダンサー、俳優だけでなく、自分の「身体能力」に限界を感じている人はすべて、胴体の動きを変えていけば、これまで以上の力を必ず発揮できる。
 ただ、胴体の動きは手や足に比べて、見えにくいのが難点だ。(中略)
「すべての身体表現の源は、胴体にあり」
 人間の、そしてあなたが持っている胴体の能力に驚き、自信を持っていただきたい。

【『スーパーボディを読む ジョーダン、ウッズ、玉三郎の「胴体力」』伊藤昇(マガジンハウス、1998年/改訂版、2011年)】

 体の動きは、伸ばす・縮める、丸める・反る、捻(ねじ)るの三つに集約される。これが伊藤式胴体トレーニングの要諦である。基本的な動きは簡単だ。正座をして頭の後ろで手を組み上半身を左右に動かす。両手を下ろして胸骨を前後に動かす。そして両手を振って左右後方に捻る。「エ?」と思うのが普通の反応だろう。「それがどうした?」と私も思った。

 実際にやってみると直ぐに気づくことだが驚くほど私の胴体は不安定だ。そこでゆっくりとストレッチを行う要領で取り組んだ。更に吉田始史〈よしだ・もとふみ〉が教える動き(『仙骨姿勢講座 仙骨の“コツ”はすべてに通ず』)を取り入れた。体の内側からはまだ声が聞こえてこないが、胴体力とはでんでん太鼓の原理なのだろう。


 持ち手が脚で玉付きの紐が腕と考えれば下半身と胴体のしなやかな動きが高らかな太鼓の音につながる。

 本書はスーパースターの胴体力を解説した内容で具体的な胴体力の手引書ではない。それでも伊藤の目のつけどころが身体(しんたい)への意識を確実に変える。

2019-10-01

筋肉は螺旋状に動く/『カラダのすべてが動き出す!“筋絡調整術” 筋肉を連動させて、全身を一気に動かす秘術』平直行


・『めざめよカラダ! “骨絡調整術" 骨を連動させて、体の深部を動かす秘術』平直行

 ・筋肉は螺旋状に動く

・『触れるだけでカラダの奥が動き出す! 皮絡調整術と無意識領域の運動』平直行
武の思想と知恵 平直行✕北川貴英
柳生心眼流の極意 平直行×菊野克紀

 筋肉は体に真直ぐには付いてはいない。手脚の筋肉は螺旋状になっている。
 だから真直ぐに伸ばすように思えても、実は筋肉は真直ぐではなく螺旋状に動き、その結果として手脚が真直ぐに伸びる。それなのに螺旋を無視して真直ぐに動かそうとしていたら、どうしても動かない部分が出てくる。(中略)
 可動域だけではない。体を捻ると人の体は大きな力が出る構造になっている。

【『カラダのすべてが動き出す!“筋絡調整術” 筋肉を連動させて、全身を一気に動かす秘術』平直行〈たいら・なおゆき〉(BABジャパン、2017年)】

 文章があまりよくない。タイトルも締まりを欠いており冗長だ。「サムライメソッドやわらぎ」というネーミングも不味い。たぶん独創性が完成に向かう途次なのだろう。「螺旋」のイメージは斬新だ。バドミントンのスマッシュで内旋(回内運動)の動きは身につけていたが、体全体を捻(ねじ)るまでには至っていなかった。更に手脚の骨が指先から関節を経るごとに5本~2本~1本となって体幹とつながっているとの指摘には目から鱗が落ちた。

 螺旋とは何か。
 螺旋とは渦(うず)のことである。
 小さなものでは原子核の周囲を運動する電子の回転(スピン)、または田螺(たにし)のような巻貝から、大きなものでは、最大直径16万光年にもおよぶ我々の属する銀河系のようなひとつの渦状星雲に至るまで、あらゆるものが渦を巻いている。
 それを捜し、集めるのがわたしの趣味なのだ。

【『上弦の月を喰べる獅子』夢枕獏(早川書房、1989年/ハヤカワ文庫、1995年)】

 生命の設計図であるDNAも螺旋を描く。宇宙の本質は回転と速度にあるのだろう。スポーツ競技の中でこれほど球技の占める割合が大きいのも「回転への憧憬」と考えてよさそうだ。

「柳生心眼流の素振り」に興味を抱いたのだが如何せんやり方がわからず。多分この動画がそうか。


 簡単にできそうにない。空手の三戦(さんちん)と似たような動きだ。身体(しんたい)の構造からいえば外旋よりも内旋に鍵がありそうだ。

 本書を読んでから思い出しては手脚の内旋運動を行うようにしている。ただ捻(ひね)るだけなのだが想像以上に筋力を使う。ストレートな動きの自重運動は見ようによっては不自然な動きであり、部分的な筋肉の肥大が全体のつながりを阻害するように思われる。武術の基本は体を目覚めさせるところにある。複雑な要素を取り込む必要がありそうだ。


古武術で蘇る【筋絡調整術DVD】~ 失伝メソッドで体を芯から軽くする~
BABジャパン (2017-08-28)
売り上げランキング: 59,796


上弦の月を喰べる獅子 上 (ハヤカワ文庫 JA ユ 1-5)
夢枕 獏
早川書房
売り上げランキング: 100,242

上弦の月を喰べる獅子 下 (ハヤカワ文庫 JA ユ 1-6)
夢枕 獏
早川書房
売り上げランキング: 102,460