・『聖書vs.世界史 キリスト教的歴史観とは何か』岡崎勝世
・インディアンは「真の人間」か?
・『4日間集中講座 世界史を動かした思想家たちの格闘 ソクラテスからニーチェまで』茂木誠
・『科学vs.キリスト教 世界史の転換』岡崎勝世
・『世界システム論講義 ヨーロッパと近代世界』川北稔
・キリスト教を知るための書籍
・世界史の教科書
他方、「発見」された「人間」について、さっそくヨーロッパで論議が巻き起こりました。それは、新大陸で「発見」されたアメリカのインディオたちが「真の人間」であるか否かといった議論です。これに一つの決着を与えたのが、ローマ教皇パウロ3世でした。かれは1537年の教書で次のように宣言したのです。
〈アメリカ・インディアンも私たちと同様、真の人間である。彼らはカトリックの教えを理解できるだけでなく、またそれを受け容れようと熱望している〉(筆者訳)
ローマ教皇が断言したようにインディオが「真の人間」、アダムの子孫であるとしても、なお残された問題をめぐって、16世紀ヨーロッパで、普遍史の根幹に関わる二つの論戦が引き起こされています。
一つは、インディオが「アダム」の子孫だとしても、【直接の祖先】はだれか、【「新大陸」への経路】はなにかという問題に関する論戦でした。(中略)
もう一つの論戦は、笑ってはすまされない問題を含んでいます。それは、1550年、スペインで行われた【「バリャドリードの論戦」】です。この論戦では、インディオが真の人間であるとしても、いかなる意味で真の人間なのかが公開論争で争われたのです。ヨーロッパ人と全く同様な真の人間と主張したのは、インディオ保護法制定のために闘った、有名なラス・カサスでした。これに反対したのが、セプルベダというアリストテレス学者で、かれはアリストテレスの先天的奴隷論に依拠しながら、かれらを先天的に劣った人間であると主張したのです。
【『世界史とヨーロッパ ヘロドトスからウォーラーステインまで』岡崎勝世〈おかざき・かつよ〉(講談社現代新書、2003年)】
先ほど読み終えたのだが画像ファイルを調べたところ再読であることを知った。完全に記憶から欠落している。3年前に読んでいた。岡田英弘と岡崎勝世に外れはない。どれを読んでも新しい発見がある。
“インディアンは「真の人間」か?”との問いそのものにヨーロッパの傲慢がある。つまり有色人種が人間かどうかを判断するのはヨーロッパ人なのだ。根はユダヤ教の選民思想にあるのだろう。その思い上がりに唯一抵抗したのが極東の日本であった。
日本は世界最大の軍事力を背景に鎖国をした(『戦国日本と大航海時代 秀吉・家康・政宗の外交戦略』平川新)。開国後もわずか数十年で産業革命の技術を自家薬籠中(じかやくろうちゅう)のものとした。速やかに文明国になるべく国軍を創設し、義務教育を施行し、憲法を制定した。日清戦争に打って出るとヨーロッパで黄禍論(おうかろん)が唱えられた。「黄色い猿は人間の真似をするな」というわけだ。
東亜百年戦争で武士は亡んだ。軍事力も奪われた。日本は今も尚国家として独立することを許されていない。“日本は「真の国家」か?”と問われれば、「否」と答える他ない。