・イギリスにおけるカトリック差別
・奴隷制とリンカーン大統領
・『奴隷とは』ジュリアス・レスター
・『砂糖の世界史』川北稔
・『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス
・『生活の世界歴史 9 北米大陸に生きる』猿谷要
・『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン
・『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
イギリスの政治的状況は、ちょうどこの時期に劇的に変化した。イギリスの「アンシャン・レジーム」ともいうべき制度であった審査法(1673年制定)が1828年に廃止され、翌年にはカトリック解放法が制定された。これによって国教徒以外でも公職に就くことや議員になることが可能になり、また、アイルランドのカトリック教徒にプロテスタントと同等の市民権が与えられることになった。
【『奴隷船の世界史』布留川正博〈ふるかわ・まさひろ〉(岩波新書、2019年)】
「この時期」とはジャマイカにおける奴隷叛乱が起こった時期を指す。Wikipediaには「バプテスト戦争」との表記あり。サム・シャープ(ジャマイカ国家的英雄サム・シャープ | African Symbol Jamaica アフリカンシンボルのジャマイカブログ)は平和的なストライキを行うつもりであったが、一部の奴隷が暴れ始めて遂には大暴動へと発展した。
この手の文章は正確かつ丹念に読む必要がある。「公職」と「市民権」とある。参政権については、「その当時選挙の参政権は財産によって決定づけられたので、この救済は、年間2ポンドの賃貸価値のある土地を所有するカトリック教徒に票を与えることとなった」(Wikipedia)。
宗教コミュニティは「禁忌(タブー)を共有する人々」である。市民革命は階級間の差別を解消すべく人権という概念を生み、やがては宗派間の差異をも超越するに至った。日本に人権概念が生まれなかったのは惻隠の情があったのもさることながら、ヨーロッパほどの過酷な差別がなかったためとも考えられよう。
一神教の絶対性は壮絶な争いを志向する。宗教的正義はドグマに基づいて敵を殺戮する。我々は八百万(やおよろず)の神でよい。争うことなく、クリスマスもハロウィンも祝い、正月は神社を参拝し、節分には豆を撒(ま)き、お彼岸には墓参りをするのが正しい。
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