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2020-02-10

ことばを回復して行く過程のなかに失語の体験がある/『石原吉郎詩文集』石原吉郎


『「疑惑」は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私』河野義行
『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子
『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子
『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たち』ジュリアス・シーガル
『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』ヴィクトール・E・フランクル:霜山徳爾訳
『それでも人生にイエスと言う』ヴィクトール・E・フランクル
『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ
『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編

 ・究極のペシミスト・鹿野武一
 ・詩は、「書くまい」とする衝動なのだ
 ・ことばを回復して行く過程のなかに失語の体験がある
 ・「棒をのんだ話 Vot tak!(そんなことだと思った)」
 ・ナット・ターナーと鹿野武一の共通点
 ・言葉を紡ぐ力
 ・「もしもあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない」

『望郷と海』石原吉郎
『海を流れる河』石原吉郎
『シベリア抑留とは何だったのか 詩人・石原吉郎のみちのり』畑谷史代
『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』多田茂治
『シベリア抑留 日本人はどんな目に遭ったのか』長勢了治
『失語と断念 石原吉郎論』内村剛介

必読書リスト その二

 自覚された状態としての失語は、新しい日常のなかで、ながい時間をかけてことばを回復して行く過程で、はじめて体験としての失語というかたちではじまります。失語そのもののなかに、失語の体験がなく、ことばを回復して行く過程のなかに、はじめて失語の体験があるということは、非常に重要なことだと思います。「ああ、自分はあのとき、ほんとうにことばをうしなったのだ」という認識は、ことばが取りもどされなければ、ついに起こらないからです。

【『石原吉郎詩文集』石原吉郎〈いしはら・よしろう〉(講談社文芸文庫、2005年)】

 言葉を取り戻さなければ失語の体験を語ることができない。人は語り得ることを失った時、言葉を失うのだろう。凍てつく大地で強制労働をさせられ、目の前で同胞が虫けら同然に殺されてゆく。しかも祖国は手を差し伸べてはくれない。更に周囲は社会主義の洗脳で赤く染まってゆく。語るべき言葉を失い、沈黙の中で死んでいった人々もまた多かったことだろう。その壮絶を思え。日本政府は北朝鮮による拉致事件でも同じことを繰り返した。この国には命を捨てて守るほどの価値はないかもしれない。

詩は、「書くまい」とする衝動なのだ/『石原吉郎詩文集』石原吉郎


『「疑惑」は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私』河野義行
『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子
『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子
『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たち』ジュリアス・シーガル
『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』ヴィクトール・E・フランクル:霜山徳爾訳
『それでも人生にイエスと言う』ヴィクトール・E・フランクル
『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ
『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編

 ・究極のペシミスト・鹿野武一
 ・詩は、「書くまい」とする衝動なのだ
 ・ことばを回復して行く過程のなかに失語の体験がある
 ・「棒をのんだ話 Vot tak!(そんなことだと思った)」
 ・ナット・ターナーと鹿野武一の共通点
 ・言葉を紡ぐ力
 ・「もしもあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない」

『望郷と海』石原吉郎
『海を流れる河』石原吉郎
『シベリア抑留とは何だったのか 詩人・石原吉郎のみちのり』畑谷史代
『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』多田茂治
『シベリア抑留 日本人はどんな目に遭ったのか』長勢了治
『失語と断念 石原吉郎論』内村剛介

必読書リスト その二

 ただ私には、私なりの答えがある。詩は、「書くまい」とする衝動なのだと。このいいかたは唐突であるかもしれない。だが、この衝動が私を駆って、詩におもむかせたことは事実である。詩における言葉はいわば沈黙を語るためのことば、「沈黙するための」ことばであるといっていい。もっとも耐えがたいものを語ろうとする衝動が、このような不幸な機能を、ことばに課したと考えることができる。いわば失語の一歩手前でふみとどまろうとする意志が、詩の全体をささえるのである。(「詩の定義」)

【『石原吉郎詩文集』石原吉郎〈いしはら・よしろう〉(講談社文芸文庫、2005年)】

 これは決して「気取った文章」ではない。戦後、シベリアのラーゲリに抑留された石原にとって「言葉を語る」ことは、そのまま実存にかかわることもあった。言葉にした途端、事実は色褪せ、風化してゆく。時間の経過と共に自分の経験ですら解釈が変わってゆく。物語は単純化され、デフォルメされ、そして変質する。

 石原は「語るべき言葉」を持たなかった。シベリアで抑留された人々は、「国家から見捨てられた人々」であった。ロシアでも人間扱いをされなかった。すなわち「否定された存在」であった。

 消え入るような点と化した人間が、再び人間性を取り戻すためには、どうしても「言葉」が必要となる。石原吉郎は詩を選んだ、否、詩に飛び掛かったのだ。沈黙は行間に、文字と文字との間に横たわっている。怨嗟(えんさ)と絶望、憎悪と怒り、そしてシベリアを吹き渡る風のような悲しみ……。無量の思いは混濁(こんだく)しながらも透明感を湛(たた)えている。

 帰国後、鹿野武一(かの・ぶいち)を喪った時点で、石原は過去に釘づけとなった。シベリアに錨(いかり)を下ろした人生を生きる羽目となった。石原は亡霊と化した。彼を辛うじてこの世につなぎ止めていたのは、「言葉」だけであった。


「書く」行為に救われる/『往復書簡 いのちへの対話 露の身ながら』多田富雄、柳澤桂子

2019-08-19

常識を疑え/『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』多田茂治


『石原吉郎詩文集』石原吉郎
『望郷と海』石原吉郎
『シベリア抑留とは何だったのか 詩人・石原吉郎のみちのり』畑谷史代

 ・石原吉郎と寿福寺
  ・寿福寺再訪
 ・常識を疑え
 ・「戦利品」の一つとして、日本人捕虜のシベリヤ強制労働の道は開かれていた

『シベリア抑留 日本人はどんな目に遭ったのか』長勢了治
『シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界』立花隆

 しょくん、しょくんは、テンノウとかコウシツとかゆうものをもち出されると、畏れ多いと頭を下げる。
 しかし、考えろ、いったい、テンノウがなぜ尊いのか? と。
 そんなことを考えちゃいけない、と言うやつがいる、また考えたってわかるもんじゃないなどとも。けれども、ほんとに尊く畏れ多いものなら、それを考えれば考えるほど、尊さありがたさがしみじみ魂にしみこむものでなければならないはずだ。
 しょくん、ごまかされちゃいけない。よく考えろ。それを考えるな、などとゆうのは、何か後ぐらいところがあるんだ。手品の種が、ばれそうなんだ。(※菅季治が京大で学びながら、京都府立五中の嘱託教師をしていた頃、試験問題の裏に鉛筆で書いた文章。1943.11.20)

【『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』多田茂治〈ただ・しげはる〉(社会思想社、1994年/文元社、2004年)※社会思想社版は「シベリヤ」となっている】

 圧力や熱は物質を変化させる。シベリア抑留は人々の地金(じがね)を炙(あぶ)り出し、純化した。

 菅季治〈かん・すえはる〉が上記文章を書いたのは1943年(昭和18年)のことである。日本が開戦以来初めて大敗を喫したミッドウェー海戦の翌年にあたる。戦局が日増しに厳しくなる中で26歳の青年が放った疑問は軍部の焦りを見事に照射している。仮に管が共産主義にかぶれていたとしても決して安易な天皇批判になってはいない。彼が批判したのは「盲信」であった。

 石原吉郎・鹿野武一・菅季治は三者三様の戦後を歩んだ。否、瀬島龍三〈せじま・りゅうぞう〉も香月泰男〈かづき・やすお〉も内村剛介〈うちむら・ごうすけ〉もそれぞれの道を歩んだ。シベリア抑留は人間を変えた。二度と元に戻ることはなかった。

 菅季治はシベリアで何を見たのだろうか? それが何であったにせよ、彼はもっと悲痛なものを帰国した日本で見たに違いない。プリーモ・レーヴィと同じだ。真の地獄はありふれた平和な日常の中にこそあるのだ。人間は人間の邪悪に絶望する。信じられるものがなくなった時、人間は人間であることをやめる。

2014-10-02

ジェノサイドの恐ろしさ/『望郷と海』石原吉郎


 ・目次
 ・ジェノサイドの恐ろしさ

『海を流れる河』石原吉郎
『石原吉郎詩文集』石原吉郎
『シベリア抑留とは何だったのか 詩人・石原吉郎のみちのり』畑谷史代
『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』多田茂治
『失語と断念 石原吉郎論』内村剛介
『シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界』立花隆

 確認されない死のなかで
   ――強制収容所における一人の死

百万人の死は悲劇だが
百万人の死は統計だ。
アイヒマン

 ジェノサイド(大量殺戮)という言葉は、私にはついに理解できない言葉である。ただ、この言葉のおそろしさだけは実感できる。ジェノサイドのおそろしさは、一時に大量の人間が殺戮されることにあるのではない。そのなかに、【ひとりひとりの死】がないということが、私にはおそろしいのだ。人間が被害において自立できず、ただ集団であるにすぎないときは、その死においても自立することなく集団のままであるだろう。死においてただ数であるとき、それは絶望そのものである。人は死において、ひとりひとりその名を呼ばれなければならないものなのだ。

【『望郷と海』石原吉郎:岡真理解説(筑摩書房、1972年/ちくま学芸文庫、1997年/みすず書房、2012年)】

『望郷と海』が復刊された。みすず書房は最初から売れないものと決め込んだのだろう。3240円は高い。重複した内容が多いので『石原吉郎詩文集』の方がオススメできる。

 本書を「日本版 夜と霧」と評する向きもあるようだが的外れだ。石原吉郎は日本版プリーモ・レーヴィであり、本書は「日本版 アウシュヴィッツは終わらない」というべきだろう(『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ)。石原は長く生きたが、その末期(まつご)まで酷似している。

 強制収容所は労働を強制する場所だ。働けなくなればその場で殺されることも珍しくはない。石原自身何度も目の当たりにしてきた。彼らは単なる労働力であって人間と見なされることがない。石炭や石油と同じくエネルギーに例えることも可能だろう。

 石原が抱いた恐怖は存在に関わるものだ。まずシベリア抑留という国家から見捨てられた立場があり、次にいつ殺されるかわからない情況がある。つまり彼らは二重に否定された存在なのだ。

 人は尊厳を奪われるとただの動物と化す。石原は帰国後、失語症となり実際に言葉まで失った。

 血で書かれた言葉は石に彫(ほ)られた文字のように重い。その目方に耐えることのできる下半身の力が読み手に求められる。そんな本だ。

望郷と海 (始まりの本)
石原 吉郎
みすず書房
売り上げランキング: 182,218

2011-08-21

「戦利品」の一つとして、日本人捕虜のシベリヤ強制労働の道は開かれていた/『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』多田茂治


『石原吉郎詩文集』石原吉郎
『望郷と海』石原吉郎

 ・石原吉郎と寿福寺
 ・常識を疑え
 ・「戦利品」の一つとして、日本人捕虜のシベリヤ強制労働の道は開かれていた

『シベリア抑留 日本人はどんな目に遭ったのか』長勢了治
『シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界』立花隆

 すでにヤルタ会談(45年2月)で、ルーズベルト米大統領がスターリンに対して、対日参戦の代償として、「莫大な戦利品の取得」「南樺太・千島列島の割譲」「大連を自由港とし、ソ連の優先権を認める」などの密約をしていたし、「戦利品」の一つとして、日本人捕虜のシベリヤ強制労働の道は開かれていたが、日本政府にそうしたスターリンの横暴を許す姿勢がなかったとは言えない。
 45年5月には、同盟国だったナチス・ドイツが無条件降伏して、ますます窮地に追い込まれた日本政府は、不可侵条約を結んでいたソ連を仲介にして和平交渉を進めようと、7月20日、近衛文麿元首相を特使としてソ連に派遣する計画を立て、「和平交渉の要綱」なるものをつくったが、それには次のような条件が含まれていたという。
 一、国体護持は絶対にして、一歩も譲らざること。
 二、戦争責任者たる臣下の処分はこれを認む。
 三、海外にある軍隊は現地において復員し、内地に帰還せしむることに努むるも、やむを得ざれば、当分その若干を残留せしむることに同意す。
 四、賠償として、一部の労力を提供することに同意す。
 事態が急速に悪化して、この近衛特使派遣は実現しなかったが、日本政府みずから、「国体護持」(天皇制護持)を絶対的条件とする代りに、“臣下”の戦犯処分、シベリヤ抑留・労働酷使に道を開くような提案を用意していたのだ。

【『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』多田茂治〈ただ・しげはる〉(社会思想社、1994年/文元社、2004年)※社会思想社版は「シベリヤ」となっている】

 そして今、シベリア抑留者と全く同じように、福島の人々が見捨てられているのだ。守るべき国民の生命は脅かされ、国家の体面だけを優先している。


「岸壁の母」菊池章子
「国家と情報 Part2」上杉隆×宮崎哲弥
真の人間は地獄の中から誕生する/『シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界』立花隆
瀬島龍三はソ連のスパイ/『インテリジェンスのない国家は亡びる 国家中央情報局を設置せよ!』佐々淳行
「もしもあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない」/『石原吉郎詩文集』石原吉郎

2009-08-17

石原吉郎と寿福寺/『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』多田茂治


『石原吉郎詩文集』石原吉郎
『望郷と海』石原吉郎
『シベリア抑留とは何だったのか 詩人・石原吉郎のみちのり』畑谷史代

 ・石原吉郎と寿福寺
  ・寿福寺再訪
 ・常識を疑え
 ・「戦利品」の一つとして、日本人捕虜のシベリヤ強制労働の道は開かれていた

『シベリア抑留 日本人はどんな目に遭ったのか』長勢了治
『シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界』立花隆

 石原吉郎〈いしはら・よしろう〉、鹿野武一〈かの・ぶいち〉、菅季治〈かん・すえはる〉の三人はシベリアの同じ収容所で過ごした時期がある。終戦のどさくさに紛れてソ連は、60万人もの日本人を抑留し奴隷同然に扱った。日本政府はこれを黙認した。

 菅季治は二人に先んじて帰国していたが、徳田要請問題で政治家に利用された挙げ句、中央線の鉄路に身を投げた。シベリア抑留から解放されてわずか5ヶ月後のことだった。

“究極のペシミスト”鹿野武一は、勤務先の病院の宿直室で心臓麻痺を起こして死んだ。帰国してから一年半後のこと。石原吉郎は詩人として名を残し、62歳(1977年)まで生きたが晩年は狂気の中を彷徨(さまよ)った。

 不幸と悲劇は一度つかまえた人間を離すことがないのであろうか。シベリアでは目の前に悪が対峙していた。向こう側に存在する悪に自分が犯されないようにすることが彼等の戦いであった。ところが帰国した日本では、そこここに悪が蔓延していた。善と悪に対して鋭く研ぎ澄まされた彼等の感覚は、小さな悪の後ろに広がる巨大な闇を捉えていた。

 夏が終わりを告げそうな今日、石原が足を運んだ鎌倉の寿福寺へ行ってきた。石原と会うために――

 この頃、石原吉郎はよくひとりで鎌倉へ出かけて歩きまわっていた。特に好んだのは、昔の面影が色濃く残る北鎌倉で、なかでもよく訪れたのが、鎌倉五山の中でも最古を誇る寺で、苔むしたやぐら(洞窟)に、北条政子、源実朝の墓がある寿福寺だった。
 寿福寺との出会いを、石原は「生きることの重さ」(74年6月、朝日新聞)にこう書いている。

 少し前に、雨の北鎌倉を一日歩きまわったことがある。たまたま立ち寄った寺に、北条政子と源実朝の墓があった。いずれも洞窟の暗がりに凝然と立ちすくんでおり、その荒涼とした気配が気に入ってしばらくたたずんでいたのをおぼえている。
 たぶんその時私が立っていたのは他界への入口のような所であったろう。しばらく生きるために、私はそこを立ち去った

【『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』多田茂治〈ただ・しげはる〉(社会思想社、1994年/文元社、2004年)※社会思想社版は「シベリヤ」となっている】

 妻の夏休みが今日しかなかったので海水浴のついでに足を延ばした。



 地図を持って行かなかったため、鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)の左側から建長寺に辿り着き、そこの案内板を見て、長寿寺の手前の道を左に曲がった。入った瞬間、石原もここ(亀ヶ谷坂切通し)を歩いたことだろうと密かに確信した。影の濃い道だった。



 私の眼が石原の視線を探した。探し回った。そして、やっと目的の場所を見つけた。





 上が北条政子の墓で、下が源実朝の墓である。実際に足を運べばわかるが、写真からは窺い知ることのできない異様な雰囲気がある。確かに冥界といえる。夏の日差しの中で、そこだけぽっかりと別世界が口を開けていた。大の大人を恐れさせる何かがあった。暗がりや湿度では説明のつかない異質さが佇(たたず)んでいた。


【実朝の右隣の墓の内側から撮影】


 石原はここで何を見たのか。沈黙の中で闇を睨(にら)んでいたその時、潮風の向こうから電車の走る音が聴こえた。私は、〈走る留置所〉と呼ばれるストルイピンカを想った。そして、微(かす)かな潮の香りを嗅ぎながら、シベリアの地で望郷の思いを海に託した石原の心に触れたような気がした――

 海が見たい、と私は切実に思った。私には、わたるべき海があった。そして、その海の最初の渚と私を、3000キロにわたる草原(ステップ)と凍土(ツンドラ)がへだてていた。望郷の想いをその渚へ、私は限らざるをえなかった。空ともいえ、風ともいえるものは、そこで絶句するであろう。想念がたどりうるのは、かろうじてその際(きわ)までであった。海をわたるには、なによりも海を見なければならなかったのである。
 すべての距離は、それをこえる時間に換算される。しかし海と私をへだてる距離は、換算を禁じられた距離であった。それが禁じられたとき、海は水滴の集合から、石のような物質へと変貌した。海の変貌には、いうまでもなく私自身の変貌が対応している。

【「望郷と海」(『展望』1971年8月)/『石原吉郎詩文集』(講談社文芸文庫、2005年)】

 源実朝は和歌を嗜(たしな)んだ。詩人の石原も和歌を詠んだ。実朝は甥(おい)の手で殺された。石原は祖国から見捨てられた。

 岩穴の闇を正視する時、石原の心はシベリアに引き戻されたに違いない。そして、生きるためにそこを立ち去った瞬間、今度は闇を背負い込んでしまうのだ。そのまま別の闇に向かって彼は歩き続けた。

 石原の孤独にはブラックホールの如き重量があった。その重みに耐えられなくなった時、精神は狂気へと避難した。石原は独居の浴槽の中で心臓麻痺死した。酷寒のシベリアを生き延びた者に対する神の祝福と思えてならない。


寿福寺
寿福寺
・「岸壁の母」菊池章子

2009-07-30

究極のペシミスト・鹿野武一/『石原吉郎詩文集』〜「ペシミストの勇気について」


『「疑惑」は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私』河野義行
『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子
『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子
『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たち』ジュリアス・シーガル
『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』ヴィクトール・E・フランクル:霜山徳爾訳
『それでも人生にイエスと言う』ヴィクトール・E・フランクル
『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ
『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編

 ・究極のペシミスト・鹿野武一
 ・詩は、「書くまい」とする衝動なのだ
 ・ことばを回復して行く過程のなかに失語の体験がある
 ・「棒をのんだ話 Vot tak!(そんなことだと思った)」
 ・ナット・ターナーと鹿野武一の共通点
 ・言葉を紡ぐ力
 ・「もしもあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない」

『望郷と海』石原吉郎
『海を流れる河』石原吉郎
『シベリア抑留とは何だったのか 詩人・石原吉郎のみちのり』畑谷史代
『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』多田茂治
『シベリア抑留 日本人はどんな目に遭ったのか』長勢了治
『失語と断念 石原吉郎論』内村剛介

必読書リスト その二

 石原吉郎〈いしはら・よしろう、1915-1977〉の詩・散文・日記が収録されている。岡真理著『アラブ、祈りとしての文学』(みすず書房、2008年)で「望郷と海」が紹介されていて、そこから辿り着いた一冊。

 シベリア抑留版『夜と霧』(V・E・フランクル)、あるいは『溺れるものと救われるもの』(プリーモ・レーヴィ)といっていいだろう。極限状況からの生還者は、生還後の思索によって再び極限状況を生きることになる。彼等にとっての現実は、極限状況の中にしか存在しない。彼等は常に、迫り来る死を自覚しながら生にしがみついた過去へと否応なく引き戻される。山男にとっての現実は山頂にしか存在しない。それと同様に彼等は極限状況を志向する。

 人間は追い詰められると“卑小な存在”と化す――

 入ソ直後の混乱と、受刑直後のバム地帯でのもっとも困難な状況という、ほぼ2回の淘汰の時期を経て、まがりなりにも生きのびた私たちは、年齢と性格によって多少の差はあれ、人間としては完全に「均らされた」状態にあった。私たちはほとんどおなじようなかたちで周囲に反応し、ほとんど同じ発想で行動した。私たちの言動は、シニカルで粗暴な点でおそろしく似かよっていたが、それは徹底した人間不信のなかへとじこめられて来た当然の結果であり、ながいあいだ自己の内部へ抑圧して来た強制労働への憎悪がかろうじて芽を吹き出して行く過程でもあった。おなじような条件で淘汰を切りぬけてきた私たちは、ある時期には肉体的な条件さえもが、おどろくほど似かよっていたといえる。私たちが単独な存在として自我を取りもどし、あらためて周囲の人間を見なおすためには、なおながい忍耐の期間が必要だったのである。

【『石原吉郎詩文集』石原吉郎〈いしはら・よしろう〉(講談社文芸文庫、2005年/初出は「思想の科学」1970年4月)以下同】

 これほど恐ろしい表現は他にあるまい――“均(な)らされた状態”。権力者の手によって、シベリアに抑留された人々は均された。それに加えて、堕落という重力も日常以上に強く働いたに違いない。平均化、均質化、一般化された人々は個を失う。もはや彼等は人間ではない。ただの労働力だ。

 良識も自制心も道徳心も破壊される状況にあって、一人の男が異彩の光を放った。鹿野武一〈かの・ぶいち〉その人である――

 このような環境のなかで、鹿野武一だけは、その受けとめかたにおいても、行動においても、他の受刑者とははっきりちがっていた。抑留のすべての期間を通じ、すさまじい平均化の過程のなかで、最初からまったく孤絶したかたちで発想し、行動して来た彼は、他の日本人にとって、しばしば理解しがたい、異様な存在であったにちがいない。
 しかし、のちになって思いおこしてみると、こうした彼の姿勢はなにもそのとき始まったことでなく、初めて東京の兵舎で顔をあわせたときから、帰国直後の彼の死に到るまで、つねに一貫していたと私は考える。彼の姿勢を一言でいえば、明確なペシミストであったということである。

 ここで石原吉郎が使う「ペシミスト」は、悲観論者ではなく厭世主義者の意味であろう。では、鹿野武一は具体的にどのように振る舞ったのか――

 バム地帯のような環境では、人は、ペシミストになる機会を最終的に奪われる。(人間が人間でありつづけるためには、周期的にペシミストになる機会が与えられていなければならない)。なぜなら誰かがペシミストになれば、その分だけ他の者が生きのびる機会が増すことになるからである。ここでは「生きる」という意志は、「他人よりもながく生きのこる」という発想しかとらない。バム地帯の強制労働のような条件のもとで、はっきりしたペシミストの立場をとるということは、おどろくほど勇気の要ることである。なまはんかなペシミズムは人間を崩壊させるだけである。ここでは誰でも、一日だけの希望に頼り、目をつぶってオプティミズムになるほかない。(収容所に特有の陰惨なユーモアは、このようなオプティミズムから生れる)。そのなかで鹿野は、終始明確なペシミストとして行動した、ほとんど例外的な存在だといっていい。
 後になって知ることのできた一つの例をあげてみる。たとえば、作業現場への行き帰り、囚人はかならず5列に隊伍を組まされ、その前後と左右を自動小銃を水平に構えた警備兵が行進する。行進中、もし一歩でも隊伍を離れる囚人があれば、逃亡とみなしてその場で射殺していい規則になっている。警備兵の目の前で逃亡をこころみるということは、ほとんど考えられないことであるが、実際には、しばしば行進中に囚人が射殺された。しかしそのほとんどは、行進中つまずくか足をすべらせて、列外へよろめいたために起っている。厳寒で氷のように固く凍てついた雪の上を行進するときは、とくに危険が大きい。なかでも、実戦の経験がすくないことにつよい劣等感をもっている17〜18歳の少年兵にうしろにまわられるくらい、囚人にとっていやなものはない。彼らはきっかけさえあれば、ほとんど犬を射つ程度の衝動で発砲する。
 犠牲者は当然のことながら、左と右の一列から出た。したがって整列のさい、囚人は争って中間の3列へ割りこみ、身近にいる者を外側の列へ押し出そうとする。私たちはそうすることによって、すこしでも弱い者を死に近い位置へ押しやるのである。ここでは加害者と被害者の位置が、みじかい時間のあいだにすさまじく入り乱れる。
 実際に見た者の話によると、鹿野は、どんなばあいにも進んで外側の列にならんだということである。明確なペシミストであることには勇気が要るというのは、このような態度を指している。それは、ほとんど不毛の行為であるが、彼のペシミズムの奥底には、おそらく加害と被害にたいする根源的な問い直しがあったのであろう。そしてそれは、状況のただなかにあっては、ほとんど人に伝ええない問いである。彼の行為が、周囲の囚人に奇異の感を与えたとしても、けっしてふしぎではない。彼は加害と被害という集団的発想からはっきりと自己を隔絶することによって、ペシミストとしての明晰さと精神的自立を獲得したのだと私は考える。

 鹿野武一は「世を厭(いと)い」、そして嘲笑したのだ。しかも彼は、行動をもってそれを示した。吠え立てる犬によって羊の群が同じ方向へ進む中で、鹿野武一は事もなげに反対方向を目指した。

 ここにあるのはペシミズムではない。ニヒリズムだ。私は、ニヒリズムが肯定的なユーモアを生ましめる瞬間を“ヒューマニズム”と呼びたい。石原が「ペシミズム」と表記したのは、鹿野に対する感傷が強すぎたためであろう。

 鹿野武一の生が凄まじいのは、彼は抑留された同胞に対して範を垂(た)れたわけでもなければ、何らかのメッセージを放ったわけでもないという一点に尽きる。鹿野は徹底して“個”に生きたのだ。“個”は“孤”の内側で完結している。

 それが証拠に、鹿野は誰に言うこともなく収容所内で絶食を始めた。鹿野は絶食しながら強制労働に従事した。まったく狂気の沙汰という他ない。しかし、シベリア抑留それ自体が狂気であった。すなわち、狂気が支配する世界で発揮される狂気は、正真正銘の正気となる。鹿野はたった一人で世界に向かって「異を唱えた」のだ。

 地獄の中にあって、これほどの孤高に辿り着いた人物がいた。人間がどこまで崇高になれるかを彼は示した。真の人間は、真に偉大である。

 鹿野武一は、シベリアから帰還してから1年後に急死した。まだ37歳という若さであった。



「鹿野武一」関連資料集
鹿野武一
文体とスタイル/『書く 言葉・文字・書』石川九楊
『香月泰男のおもちゃ箱』香月泰男、谷川俊太郎
「岸壁の母」菊池章子
真の人間は地獄の中から誕生する/『シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界』立花隆
香月泰男が見たもの/『シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界』立花隆
瀬島龍三はソ連のスパイ/『インテリジェンスのない国家は亡びる 国家中央情報局を設置せよ!』佐々淳行
ストア派の思想は個の中で完結/『怒りについて 他二篇』セネカ:兼利琢也訳