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2021-11-10

捨閉閣抛/『東大の先生! 文系の私に超わかりやすく数学を教えてください!』西成活裕


 本書は「時間のない大人のための本」ですので、数学を3つのカテゴリーに分け、それぞれの最終ゴール(ラスボス)を定め、そこに最短ルートでたどり着けるよう構成しました。

【『東大の先生! 文系の私に超わかりやすく数学を教えてください!』西成活裕〈にしなり・かつひろ〉(かんき出版、2019年)】

「ラスボス」という理解しにくい言葉を使っているので読むのをやめた。反対にゲーマーであれば読書意欲が高まるのかもしれない。

 読書のコツを教えて進ぜよう。読まずに済む本をいかに早く判断するかである。失敗する可能性もあるが、時間の無駄を恐れた方がよい。一般的には300ページを読むのに5時間を要する。日蓮が念仏批判で「捨閉閣抛」(しゃへいかくほう/捨てよ、閉じよ、閣〈さしお〉け、抛〈なげう〉て)と主張したように、即断即決で閉じるのが正しい。

 もちろん失敗することもあるだろう。だが打率でいえば、次々と別の本を読んでいった方がヒットが出やすいのだ。私の場合、読むスピードが落ちた時点で、うっちゃることにしている。相性や体調にも左右されるが、今の自分にしっくり来る本を読むのが一番健康的だ。

 私は年間で500冊ほど読み、きちんと読了するのは150冊強である。読むのは喫煙する時と、トイレ、風呂、寝床に限る。付箋を貼ったページをデジカメで保存しており、こちらの時間が馬鹿にならない。たぶん画像ファイルだけで35GBくらいになっている。一体いつ読み返すんだ? ってな話だ。

 子供の時分から人間に対しても同様で、直ぐ好き嫌いを判断する悪い癖がある。ただし判断を誤ったことは殆どない。私は嗅覚が優れているのだ。ネット上の書き込みを見ても何となくわかる。

2018-08-25

大数学者、野良犬と跳ぶ/『風蘭』岡潔


『春宵十話』岡潔

 ・大数学者、野良犬と跳ぶ

『紫の火花』岡潔
『春風夏雨』岡潔
『人間の建設』小林秀雄、岡潔
『天上の歌 岡潔の生涯』帯金充利

必読書リスト その四

 ちかごろアメリカにジャンポロジーという学問――跳躍学とでもいうのでしょうか――ができて、こういう本が出ている、といって見せてもらいました。これは、ある週刊誌の記者が東京からふたり来て、それを見せてくれたのです。それで、写真にとりたいからとんでくれ、とわたしにいうのです。
 なさけないことを頼まれるものだ、犬に頼んでくれないかなあ、と思ったのですが、東京からわざわざ見えたのだから、それじゃとぼうかな、と思って外に出ました。
 すると、近所のなじみののら犬がやってきて、いっしょにとんでくれたのです。

【『風蘭』岡潔(講談社現代新書、1964年/角川ソフィア文庫、2016年)以下同】

天上の歌 岡潔の生涯』(帯金充利著)の表紙にもなっている有名な写真がそれだ。

天上の歌―岡潔の生涯

 わたしはこの犬が飼われているという実感のわく家をほしがり、わたしのうちをこんなふうにたよっているのだから飼ってやらないか、といったのですが、犬を飼うといろいろとわたしにはよくわからない弊害がともなうらしく、家内と末娘が反対するのです。だから飼ってやるわけにもいきません。
 しかし、なんとかしてやりたいな、と思っていました。おおげさにいうとそれが負担になっていました。
 さてわたしがカメラに向かっていやいやとんだところ、その犬も来てとんだのです。それが、すこしおくれてとんだものですから、写真にはまさにとぼうとしているところがうつっています。それがひどくいいのです。
 やがてその週刊誌を見た人たちのあいだで評判になりました。つまりいちばんよくとぼうとしているのは犬である、ということになったのです。
 こうしてだいぶん有名になったおかげで、近所のうちの一軒で飼ってやろうということになりました。それで、わたしもおおげさいにいえばすっかり重荷をおろすことができ、やはりとんでよかったと思いました。

 岡潔はネクタイを嫌い、長靴を愛用した。いずれも身体(しんたい)に関わる影響を顧慮してのことである。文化勲章親授式(1960年、写真)の際もモーニング姿に長靴を履こうとして慌てた家族が説得したというエピソードがある。夏は長靴を冷蔵庫で冷やした。天才は常識に縛られることがない。常軌を逸するところに天才らしい振る舞いがある。

 それにしても、と思わざるを得ないのは週刊誌記者やカメラマンの不躾(ぶしつけ)なリクエストである。結果的にはチャーミングな写真となったわけだが、偉大な数学者に対する非礼に嫌悪感が湧いてくる。

 それでも岡は「とんでよかった」と言う。私は何にも増して岡の情緒がよく現れている出来事だと感じ入るのである。

風蘭 (角川ソフィア文庫)
岡 潔
KADOKAWA/角川学芸出版 (2016-02-25)
売り上げランキング: 131,141

2018-08-21

純粋直観と慈悲/『紫の火花』岡潔


『春宵十話』岡潔
『風蘭』岡潔

 ・純粋直観と慈悲
 ・如何とも名状し難い強い懐しさの情

『春風夏雨』岡潔
『人間の建設』小林秀雄、岡潔
『天上の歌 岡潔の生涯』帯金充利

 数学の研究は、主として純粋直観の働きによって出来るのです。ところで、私が数学の研究に没入している時は、自然に生きものは勿論殺さず、若草の芽も出来るだけ踏まないようにしています。だから純粋直観は、慈悲心に働くのです。
 私は本当によい数学者が出て来てほしいと思います。数より質が大事です。闇との戦いにはぜひ働いてほしいからです。(「新義務教育の是正について」)

【『紫の火花』岡潔(朝日新聞社、1964年/朝日文庫、2020年)】




 昨日ツイッターでこのようなやり取りがあった。今朝開いたページにドンピシャリの記述が出てきたので紹介しよう。間もなく読了。

 nipox25氏は論理的思考の陶冶(とうや)を指摘したのだろう。気が短い私なんぞはついつい罰のあり方を思うが、原因を探り罪の芽を除くことに想像が及ばない。何にも増して少年犯罪に対して「数学だ!」と断言するセンスが侮れない。

 本書は殆ど『風蘭』と重なる内容で幼児と10代の教育に主眼が置かれている。情緒に関しては5歳から「人の喜びを我が喜びとする」よう育てよと教える。天才数学者は老境に入り国家の行く末に深刻な危機感を抱いた。かつて奇行で知られた岡が仏教や脳科学を紐解きながら恐るべき情熱をもって教育を説く。

 30年前に「価値観の多様化」という言葉が蔓延(はびこ)った。それから10年くらい経つと「モラルハザード」という言葉が飛び交った。道徳とは社会における一定(最低)の基準であろう。その間にオバタリアンが登場し、援助交際をする少女が現れた。

 青少年はいつの時代も問題なのだが、昨今の場合は戦後生まれの親が最大の原因だろう。既に祖父母となっている。子や孫を猫可愛がりし、甘やかしてきたツケが回ってきているのだ。しかも子供は甘やかしただけでは心が満たされない。しっかりと自分が育つことで生まれる信頼関係が必要なのだ。まして他人は甘くない。甘やかされた者同士の衝突が「いじめ」という形に転化することも十分考えられる。

 戦後生まれは「学生運動の世代」でもある。勝手気ままに革命を叫んでいた彼らの影響が影を落としているのも確かだろう。

 幼児期の獣性を抑えるためにはダメなことをダメだと教える必要がある。いわゆる躾(しつけ)だ。ところが今どきは躾けられていない子供がそのまま親になってしまったから手のつけようがない。

 昔の学校教育には学ぶ厳しさがあったという。岡と同級の秀才は皆夭折(ようせつ)したそうだ。学問も命懸けなのだ。

2018-08-15

数学は論理ではなく情緒である/『春宵十話』岡潔


『天上の歌 岡潔の生涯』帯金充利

 ・数学は論理ではなく情緒である

『風蘭』岡潔
『紫の火花』岡潔
『春風夏雨』岡潔
『人間の建設』小林秀雄、岡潔

必読書リスト その四

 人の中心は情緒である。情緒には民族の違いによっていろいろな色調のものがある。たとえば春の野にさまざまな色どりの草花があるようなものである。
 私は数学の研究をつとめとしている者であって、大学を出てから今日まで39年間、それのみにいそしんできた。今後もそうするだろう。数学とはどういうものかというと、自らの情緒を外に表現することによって作り出す学問芸術の一つであって、知性の文字版に、欧米人が数学と呼んでいる形式に表現するものである。
 私は、人には表現法が一つあればよいと思っている。それで、もし何事もなかったならば、私は私の日本的情緒を黙々とフランス語で論文に書き続ける以外、何もしなかったであろう。私は数学なんかをして人類にどういう利益があるのだと問う人に対しては、スミレはただスミレのように咲けばよいのであって、そのことが春の野にどのような影響があろうとなかろうと、スミレのあずかり知らないことだと答えて来た。(「はしがき」1963年1月30日)

【『春宵十話』岡潔(毎日新聞社、1963年光文社文庫、2006年/角川ソフィア文庫、2014年)】

 カテゴリーを「エッセイ」にしたが岡潔の口述を毎日新聞社の松村洋が筆記したものらしい。

 この噂を聞きつけた当時毎日新聞奈良支局にいた松村洋が、何度かにわたって岡にエッセイのようなものを書かないかとくどいたのである。
 ところが岡は、自分は世間とは没交渉しているので、またそれで研究時間がおかしくなるのも困るからと、何度も固辞した。そこを粘っているうちに、そこまでおっしゃるなら口述ならかまいませんということになって、陽の目をみたのが「春宵十話」の新聞連載だった。

947夜『春宵十話』岡潔|松岡正剛の千夜千冊

 昭和38年2月10日、岡先生の第一エッセイ集
 『春宵十話』(毎日新聞社)
が出版されました。定価380円。すでに公表された三つのエッセイ「春宵十話」「中谷宇吉郎さんを思う」「新春放談」に、新たに19篇のエッセイ(すべて口述筆記。口述は前年3月から9月にかけて行われました。記録者は松村記者)と一篇の講演記録を合わせて編集されました。「春宵十話」の採録にあたり、若干の加筆訂正が行われました。「はしがき」の日付は「一九六三・一・三○」。「あとがき」の日付は「一九六三年一月」で、執筆者は「毎日新聞大阪本社社会部松村洋」と明記されています。昭和38年を代表する話題作になり、この年、「第17回毎日出版文化賞」を受賞しました。

日々のつれづれ (岡潔先生を語る85)エッセイ集の刊行のはじまり

日々のつれづれ 岡先生の回想

 ダイヤモンドは磨かなければ光を発しない。松村記者の筆記・編集という行為が研磨作業となったのだ。いい仕事である。タイトルは「しゅんしょうじゅうわ」と読む。

 岡潔は「世界中の数学者が挑んでも、1問解くのに100年はかかる、といわれた3大難問を1人で解いた天才で、文化勲章受章者」(佐藤さん講演 | 高野山麓 橋本新聞)。更に「その強烈な異彩を放つ業績から、西欧の数学界ではそれがたった一人の数学者によるものとは当初信じられず、『岡潔』というのはニコラ・ブルバキのような数学者集団によるペンネームであろうと思われていたこともある」(Wikipedia)。つまり天才を二乗したような人物なのだ。

 私が生まれたのは1963年の7月である。『春宵十話』がある世界に生まれて本当によかったと思う。

 岡は戦後の日本に警鐘を鳴らし続けた。編まれた文章のどれもが「黙っておらるか」という気魄(きはく)に貫かれている。

春宵十話 (角川ソフィア文庫)
岡 潔
KADOKAWA/角川学芸出版 (2014-05-24)
売り上げランキング: 134,300

2018-04-19

天才数学者の墓碑銘/『放浪の天才数学者エルデシュ』ポール・ホフマン


 ・天才数学者の墓碑銘

『My Brain is Open 20世紀数学界の異才ポール・エルデシュ放浪記』ブルース・シェクター

 やっと、これ以上愚かにならずにすむ。
          ――ポール・エルデシュが自分のために残した墓碑銘

 ポール・エルデシュは、本当にまれにしか現れない、たいそう特別な天才のひとりだった。にもかかわらず、わたしのようなただの人間といっしょに数学を研究することを、意識的に選んでくれたとわたしは思う。そして、そうしてくれたかれに感謝してやまない。かれが朝の4時にわが家の玄関先をうるとき、わたしのベッドへやって来て、「きみの頭は営業中かね」と尋ねることがなくなって残念だ。問題や予想だけでなく、およそあらゆる話題に関しても刺激的な会話が失われてしまったことが残念だ。しかしなによりも、人間としてのポールがいなくなってしまった、そのことが寂しい。わたしは心からかれを愛していた。
          ――トム・トロッター

【『放浪の天才数学者エルデシュ』ポール・ホフマン:平石律子訳(草思社、2000年/草思社文庫、2011年)】

 天才は風変わりだ。常識に縛られた我々の瞳にはそう映る。日本人の多くはエルデシュの生き方に惹かれることだろう。放浪よりも漂泊が相応しい。多くの数学者と共同論文を発表した姿が、どこか松尾芭蕉や小林一茶と重なる。

 それにしてもエルデシュの墓碑銘は皮肉が効いていて含蓄深い。凡人は努力することで能力が少しずつ増してゆくと考えがちだが、天才たちの能力に対する自覚はスーパーカーのメンテンナンスを思わせる。彼らは自分の最大出力を見極めた上で、余計な情報や加齢によって衰えてゆくことに歯止めをかけるよう心掛けているのだろう。とすると人の能力が変わることはない。残念ながら。振れ幅があるのは23歳くらいまでか。

「なんだってSFはわしに風邪をひかせるとこにしたんだ。理解できん」(SFは至上〈スプリーム〉のファシスト、天上にいるナンバーワンのやつ……エルデシュのメガネを隠したり、ハンガリーのパスポートを盗んだり、もっと悪いことに、ありとあらゆる興味深い数学の問題の明解な証明をひとり占めしていて、エルデシュをいつも苦しめる神のことだ)。
「SFは、わしらが苦しむのを見て楽しむために、わしらを創りたもうた。早世すれば、それだけ早くかれの計画を阻むことになる」とエルデシュは言ったものだった。

 神をも恐れぬ火星人は口癖のように悪態をつく。あからさまにキリスト教を批判するよりも洒落っ気があって楽しい。たとえクリスチャンであってもニヤリとしてしまうことだろう。

文庫 放浪の天才数学者エルデシュ (草思社文庫)
ポール・ホフマン
草思社
売り上げランキング: 143,995

2015-05-03

オイラーは何の苦労もなく計算をし、やすやすと偉大な論文を書いた/『数学をつくった人びと I』E・T・ベル


「オイラーは、人が呼吸するように、ワシが空中に身を支えるように、はた目には何の苦労もなく計算をした」(アラゴのことば)とは、史上もっとも多産な数学者、当時《解析学の権化》と呼ばれたレオナルド・オイラーの比類ない数学的力量を語ることばとして、少しも誇張ではない。オイラーはまた、筆達者な作家が親友に手紙を書くのと同じくらいやすやすと、偉大な研究論文を書いた。その生涯の最後の17年間は、まったくの盲人であったけれども、彼の未曽有の生産能力は少しも衰えなかった。視覚の喪失は、オイラーの内部世界における認識力をかえって鋭くするだけであった。
 オイラーの仕事の量は、1936年の今日でさえも正確には知られていないが、彼の全集刊行のためには、大型四つ折り本が60冊ないし80冊いるだろうと推定されている。1909年スイス自然科学協会は、オイラーはスイスのみならず文明社会全体の遺産であるとして、全世界の個人や数学関係の団体からの経済的援助を得て、オイラーの四散した論文を集めて刊行しようと企てたことがあった。ところが、信頼性あるオイラーの原稿がペテルブルグ学士院(レニングラード)で大量に発見されたため、慎重に見積った経費の予想(1909年当時の金額で8万ドル)がみごとにひっくり返ってしまった。
 オイラーの数学的経歴は、ニュートンの死んだ年をもって始まる。オイラーのような天才にとって、これほど好都合な出発の年はなかったにちがいない。

【『数学をつくった人びと I』E・T・ベル:田中勇〈たなか・いさむ〉、銀林浩〈ぎんばやし・こう〉訳(東京図書、1997年/ハヤカワ文庫、2003年)】

レオンハルト・オイラーの偉業
愛すべき数学者オイラー、生誕300周年
天才計算術師オイラー
フェルマーの最終定理(2) 盲目の数学者オイラー

 一般的な表記は「レオンハルト・オイラー」である。「レオナルド」というのは本書で初めて知った。「Leonhard」(ドイツ語)が英語だと「Leonard」(レオナルド、レナード)になるようだ(「さらに怪しい人名辞典」を参照した)。

 E・T・ベルの名に聞き覚えのある人もいることだろう。10歳のアンドリュー・ワイズがフェルマーの最終定理を知ることになった『最後の問題』の著者だ(フェルマーの最終定理)。

『フェルマーの最終定理 ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで』サイモン・シン

 我々凡人が天才の事蹟に胸躍らせるのは、彼らが真理の近くにいるためか。神の隣りに位置する彼らが神を超えるのも時間の問題だろう。もちろん彼らが神になるわけではなく、神の不在が証明されるという意味合いだ。

 天才の天才たる所以(ゆえん)は洗練されたシナプス結合にあると私は考える。これが脊髄とつながればスポーツの天才となる。才能といっても行き着くところは神経細胞のつながりに収まる。後天的な天才がいないところを見ると、幼少期に天才となる数少ないタイミングがあるのだろう。

数学をつくった人びと〈1〉 (ハヤカワ文庫NF―数理を愉しむシリーズ)数学をつくった人びと〈2〉 (ハヤカワ文庫NF―数理を愉しむシリーズ)数学をつくった人びと 3 (ハヤカワ文庫 NF285)

2015-04-03

火星人の一人/『My Brain is Open 20世紀数学界の異才ポール・エルデシュ放浪記』ブルース・シェクター


『放浪の天才数学者エルデシュ』ポール・ホフマン

 ・火星人の一人

 分厚い眼鏡をかけてしわくちゃのスーツをまとった小柄でひ弱そうな男。男は片方の手には家財一式を入れたスーツケースを、もう片方の手には論文を詰め込んだバッグを持って夜昼の見境なく訪問先の玄関をノックする。世界の数学者この非常識な訪問を50年以上もの間にわたって経験した。玄関先で「マイ・ブレイン・イズ・オープン!」と宣言するこの訪問者こそが、20世紀最大の数学者であり誰もが奇人と認めるポール・エルデシュである。
 家も仕事も持たず、身のまわりのことすらまともにはできないエルデシュを支えていたのは、寛大な数学者仲間と数学の魅力そのものだった。「誰が何と言おうと数(すう)は美しいんだ」――エルデシュはよくそう言った。

【『My Brain is Open 20世紀数学界の異才ポール・エルデシュ放浪記』ブルース・シェクター:グラベルロード訳(共立出版、2003年)】

ハンガリー火星人説」をご存じだろうか? ハンガリー人の桁外れの知性に驚嘆した人々が唱えた説だ。「1900年頃、確かに火星人の乗った宇宙船はブダペストに降り立った。そして出発するとき、重量オーバーのために、あまり才能の無い火星人たちをそこに置いてこなければならなかったんだ」とレオ・シラードは語った。火星人の嚆矢(こうし)とされたのは多分ジョン・フォン・ノイマンだろう。

週刊スモールトーク (第66話) 天才の世界II~歴史上の天才~
『異星人伝説 20世紀を創ったハンガリー人』天才たちの誕生の秘話。マルクス・ジョルジュ(著)


 ポール・エルデシュも火星人の一人である。そして火星人の多くがマンハッタン計画に参加した。

 エルデシュが発表した論文は1500篇にも及び、レオンハルト・オイラー(1707-1783年)に次ぐ数とされる。ただしエルデシュの論文の大半は共著であった。そこにこそ彼の人生の本領があった。論文が旅の記念碑にすら見えてくる。出会いと別れを繰り返しながらエルデシュは数学世界を大股で闊歩した。

 漂泊への憧れを抱いていた私にとってはエルデシュの人生こそ理想である。40代後半から身軽になることを目指し、着々と物を減らしている。ゆくゆくはバッグパックひとつで風のような日々を過ごしたい。そして野垂れ死にこそが人間に最も相応(ふさわ)しい死に様であると考えている。ベッドで死のうが、路上で死のうが大差はない。布団にくるまって死ぬよりも、歩きながら死にたい。

 単なる「わがまま」(我が儘)ではなく、「我の思うがまま」に生きて人と人とが結び合わされば、これにまさる幸せはないだろう。

 尚、読む順番は刊行年に準じただけで、どちらが先でも構わない。

My Brain is Open―20世紀数学界の異才ポール・エルデシュ放浪記
ブルース シェクター
共立出版
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2015-03-30

アルゴリズムとは/『史上最大の発明アルゴリズム 現代社会を造りあげた根本原理』デイヴィッド・バーリンスキ


『宇宙を復号(デコード)する 量子情報理論が解読する、宇宙という驚くべき暗号』チャールズ・サイフェ

 ・サインとシンボル
 ・アルゴリズムとは

『宇宙をプログラムする宇宙 いかにして「計算する宇宙」は複雑な世界を創ったか?』セス・ロイド
情報とアルゴリズム

 アルゴリズムは、ひとつの有効な手続き、すなわち、有限個の別個のステップで何かをおこなうすべである。

【『史上最大の発明アルゴリズム 現代社会を造りあげた根本原理』デイヴィッド・バーリンスキ:林大〈はやし・まさる〉訳(早川書房、2001年/ハヤカワ文庫、2012年)以下同】

 古代の人類を思い浮かべてみよう。狩り、農耕、石器(道具)の作り方などにアルゴリズムを見て取れる。学びとは「アルゴリズムの共有」を意味したと考えてもよさそうだ。デイヴィッド・バーリンスキは古代中国に始まる官僚を「複雑なアルゴリズムを実行してきた社会組織以外の何物でもない」と指摘する。戦争やスポーツにおける戦略もアルゴリズムである。経済が上手くゆかないのはアルゴリズムが見出されていないためか。

 今世紀になってはじめて、アルゴリズムという概念の全貌が意識されるようになった。この仕事は、60年以上前、4人の数理論理学者によっておこなわれた。その4人とは、繊細で謎めいたクルト・ゲーデル、教会どころか大聖堂にも劣らずがっしりとして堂々としているアロンゾ・チャーチ、モリス・ラフェル・コーエンと同じくニューヨーク市立大学に葬られているエミル・ポスト、そして、もちろん、20世紀の後半に不安に満ちた目をさまよわせているかのような、風変わりでまったく独創的なA・M・テューリングだ。

 アインシュタインの相対性理論とゲーデルの不完全性定理は世界の見方を完全に引っくり返した。哲学は過去の遺物と化した。キリスト教も色褪せた。二つの理論は現代における常識の最上位に位置する。絶対なるものは崩壊した。

 ドイツはユダヤ人を迫害することで知性を流出して第二次世界大戦に敗れた。その知性を受け入れたアメリカが勝利を収めたのは当然であった。日本も当時、原爆製造に着手していたがウランがなかった。ゼロ戦をつくるほどの技術力はあったものの、全体観に立つ指導者がいなかった。


 解読不可能と思われていたエニグマの息の根を止めたのがチューリングだった。大戦の中で科学は次々と大輪の花を咲かせた。これが歴史の真実である。戦争に勝利したアメリカはドイツから技術や人を盗み取って、戦後の発展を遂げた(『アメリカはなぜヒトラーを必要としたのか』菅原出)。

ゲーデルの哲学 (講談社現代新書)ノイマン・ゲーデル・チューリング (筑摩選書)

『ゲーデルの哲学 不完全性定理と神の存在論』高橋昌一郎
嘘つきのパラドックスとゲーデルの不完全性定理/『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ

2014-10-12

サインとシンボル/『史上最大の発明アルゴリズム 現代社会を造りあげた根本原理』デイヴィッド・バーリンスキ


『宇宙を復号(デコード)する 量子情報理論が解読する、宇宙という驚くべき暗号』チャールズ・サイフェ

 ・サインとシンボル
 ・アルゴリズムとは

『アルゴリズムが世界を支配する』クリストファー・スタイナー
『生命を進化させる究極のアルゴリズム』レスリー・ヴァリアント
『宇宙をプログラムする宇宙 いかにして「計算する宇宙」は複雑な世界を創ったか?』セス・ロイド

情報とアルゴリズム
必読書リスト その三

 デジタルコンピューターは機械であり、あらゆる物質的対象と同じく、熱力学の冷酷な法則がもたらす結果に縛られている。時間が尽きると、活力も尽きてしまう。緊張した2本の指の先でキーボードを叩くコンピュータープログラマーのように。私たちすべてと同じように。だが、アルゴリズムは違う。アルゴリズムは刺すような欲望と、その結果生じる満足の泡とを仲介する、抽象的な調整手段であり、さまざまな目的を達成するためての手続きを提供する。アルゴリズムは、サインとシンボルから構成され、思考と同じく時間を超えた世界に属する。

【『史上最大の発明アルゴリズム 現代社会を造りあげた根本原理』デイヴィッド・バーリンスキ:林大〈はやし・まさる〉訳(早川書房、2001年/ハヤカワ文庫、2012年)】

 アルゴリズムは算法と訳す。問題を解決する方法や手順を意味する。函数(関数、ファンクション)と混同しやすいので注意が必要。

アルゴリズムってなんでしょか

 つまり「アルゴリズムが優秀であれば、計算量を減らすことができる」(ニコニコ大百科)。巡回セールスマン問題を考えるとアルゴリズムの本質がわかりやすいだろう。そしてアルゴリズムの概念を定式化したのがチューリングマシンであった。「つまり、アルゴリズムの判定をする機械がチューリング機械である」(チューリング機械の解説)。

 上記テキストだけではわかりにくいと思うが、デイヴィッド・バーリンスキはコンピュータ以前からアルゴリズムが存在したことを指摘する。例として古代中国の官僚機構を示す。思わず膝を打った。なるほど、確かに計算手順だ。社会には必ずルールが存在する。それが効率や成果を目的としていることは明らかだ。社会や教育をアルゴリズムと捉えれば一気に抽象度が高まる。

 そしてアルゴリズムが「サインとシンボルから構成され」ているとの指摘に私は度肝を抜かれた。「サインとシンボル」といえばマンダラである。「ああ、あれはアルゴリズムだったのか」と思わず溜め息をついた。だとすれば宗教ってのは「生のアルゴリズム」なのか? そうかもしれない。

 もう一段思索を伸ばしてみよう。文字と言葉もまた「サインとシンボル」である。つまり言語とは「コミュニケーションのアルゴリズム」なのだろう。とすれば天才とは演算能力の高い人物を指すのだろう。y=f(x) の x の質が違うのだ。

 スポーツの場合だと作戦やセオリーがアルゴリズムとなる。アルゴリズムvs.アルゴリズムというわけだ。

 社会機能がアルゴリズムとすれば、政治家の本質はプログラマーでなくてはならない。社会の歪みは無駄な計算手順によって生まれる。日本の場合、第二次世界大戦に敗戦して以来、オペレーションシステムはアメリカ製でセキュリティソフト(日米安全保障)もアメリカ頼みだ。しかもGHQによって最初からバグを埋め込まれている。更に教育においてマシンへの愛着(愛国心)は否定的に扱われる有り様だ。

 求人:日本をプログラムし直す若者を募集します。希望者は次の衆院選に立候補されよ。

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2014-09-18

クルト・ゲーデルが考えたこと/『ゲーデルの哲学 不完全性定理と神の存在論』高橋昌一郎


『死生観を問いなおす』広井良典

 ・ゲーデルの生と死
 ・すべての数学的な真理を証明するシステムは永遠に存在しない
 ・すべての犯罪を立証する司法システムは永遠に存在しない
 ・アインシュタイン「私は、エレガントに逝く」
 ・クルト・ゲーデルが考えたこと

『理性の限界 不可能性・確定性・不完全性』高橋昌一郎

 ゲーデル自身の哲学的見解については、「ドウソン目録6」の中から興味深い哲学メモが発見された。このメモは、ゲーデルが、自分の哲学的信念を14条に箇条書きにしたもので、『私の哲学的見解』という題が付けられている。ワンの調査によると、このメモは、1960年頃に書かれたものである。

 1.世界は合理的である。
 2.人間の理性は、原則的に、(あるテクニックを介して)より高度に進歩する。
 3.すべての(芸術も含めた)問題に答を見出すために、形式的な方法がある。
 4.〔人間と〕異なり、より高度な理性的存在と、他の世界がある。
 5.人間世界は、人間が過去に生き、未来にも生きるであろう唯一の世界ではない。
 6.現在知られているよりも、比較にならない多くの知識が、ア・プリオリに存在する。
 7.ルネサンス以降の人類の知的発見は、完全に理性的なものである。
 8.人類の理性は、あらゆる方向へ発展する。
 9.正義は、真の科学によって構成されている。
 10.唯物論は、偽である。
 11.より高度な存在は、他者と、言語ではなく、アナロジーによって結びつく。
 12.概念は、客観的実在である。
 13.科学的(厳密な学としての)哲学と神学がある。これらの学問は、最も高度な抽象化概念を扱う。これらが、科学において、最も有益な研究である。
 14.既成宗教の大部分は、悪である。しかし、宗教そのものは、悪ではない。

【『ゲーデルの哲学 不完全性定理と神の存在論』高橋昌一郎〈たかはし・しょういちろう〉(講談社現代新書、1999年)】

 数学の限界を突き止めた頭脳は何を考えたのか? その答えの一端がここにある。不思議なことだが「数学は自己の無矛盾性を証明できない」ことを明らかにした男は死ぬまで神を信じていた。無神論者であったアインシュタインと神についての議論をしたのだろうか? 気になるところだ。


 メモからは理性への大いなる信頼が読み取れる。私が特に注目したのは11と12だ。11はコミュニケーションの真相に触れていそうだし、12は情報理論によって証明されつつある。

 類推(アナロジー)能力が「脳の余剰から生まれた」(『カミとヒトの解剖学』養老孟司)とすれば、動物と人間を分かつ英知の本質は類推にあるのだろう。言葉はシンボルである。「川」という言葉は川そのものではない。どこの川かわからないし、水量や幅もわからない。もしかすると三途の川かもしれないし、ひょっとすると「川」ではなく「革」か「皮」の可能性だってあり得る(言い間違いや誤変換)。

 にもかかわらず我々がコミュニケーションできるのは言葉というシンボルを手掛かりにして類推し合っているからだ。すなわち言葉そのものが類推の産物なのだ。であればこそ言葉は通じるのに意思の疎通が困難な場合があるのだろう。反対に言葉を介さぬコミュニケーションが成り立つこともある。団体で行う球技やシンクロナイズドスイミングなど。

 で、たぶん類推は視覚に負うところが大きい。「これ」と言われたら見る必要がある。通説だと言葉は名詞から始まったとされているが、多くの名詞は物の名前だ。とすると肝心なのは「何をどう見るか」というあたりに落ち着く。つまりコミュニケーションは「ものの見方」に左右されるのだろう。世界を、そして生と死をどう見つめているかが問われる。

ゲーデルの哲学 (講談社現代新書)

2014-04-13

無意味と有意味/『偶然とは何か 北欧神話で読む現代数学理論全6章』イーヴァル・エクランド


『本当にあった嘘のような話 「偶然の一致」のミステリーを探る』マーティン・プリマー、ブライアン・キング

 ・無意味と有意味

『たまたま 日常に潜む「偶然」を科学する』レナード・ムロディナウ

 真実は両者の中間にある。つまり、世界は完全な無意味ではないが、意味のわかる部分は限られている。このため、わたしたちはある方向には行動できるが、他の方向にはどうするべきかまったくわからないのである。
 簡単な例を使ってこれを考えてみよう。まず、目や耳、鼻や手を通して脳に送られてくる感覚情報は、つぎのようにビット(0または1)が連なった数列の形にあらわされているとする。

00101000110110……

 こんな仮定は奇妙に思われるかもしれないけれど、わたしたちはこの方法を使ってコンピュータと情報のやりとりをしているのである。たとえば、何かの絵をコンピュータの中に取りこむときに、どんなことがおこなわれるかというと、まず、ちょうど新聞紙に印刷された写真のように、絵を小さな点に分解する。それから、各点における色に2進法で番号を付ける。そうしてコンピュータに0と1のビット列を読みこませて、ディスプレイ上に絵を再現するのだ。
 つぎにマックスウェルから小さな悪魔を借りてきて、0と1からなる感覚情報をわたしたちの脳の代わりに読んでもらおう。この悪魔が受けとる情報はもっぱら感覚毛色から届くものとし、感覚毛色からは刻一刻と新しいビットが送られ、すでにわかっている数列につけ加えるとする。何しろ彼は悪魔なので永遠に生きられる。ということは、この世の終わりには、0と1が無限につづく数列が彼のもとに届くわけで、そうしたらわたしたちはこの世界に意味があるかどうかを彼にたずねることにしよう。

【『偶然とは何か 北欧神話で読む現代数学理論全6章』イーヴァル・エクランド:南條郁子訳(創元社、2006年)】

 偶然に関する分野はなかなか奥が深い。大雑把にいうと統計学と複雑系科学に分かれるが、本書は北欧神話と数学でアプローチしている。

 偶然と必然はただ単に無意味と有意味につながるものではない。キリスト教世界では自由意志の問題と決定論に関わってくる。

 脳は時系列を因果関係として認識し、ここに意味が生まれる。ただし意味は解釈によって変わるわけだから、「我々が生きるのは現実世界ではなくして解釈世界である」という私の持論が成立する。そして五感情報がバイアス(歪み)を避けられないため解釈された世界は妄想の色を帯びる。ここに宗教発生のメカニズムがある。

宗教の原型は確証バイアス/『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』テンプル・グランディン、キャサリン・ジョンソン

 単なる偶然を必然の物語に変えるのが宗教の仕事だ。偶然とは思えないような出来事は必ず宗教色が滲み出る。

ユングは偶然の一致を「時間の創造行為」と呼んだ/『本当にあった嘘のような話 「偶然の一致」のミステリーを探る』マーティン・プリマー、ブライアン・キング

 私はどちらかというと複雑系科学に興味があるため、本書はあまりピンとこなかった。アプローチの仕方はユニークなのだが淡白な文章に馴染めなかった。上記テキストもよく読むとちょっとおかしい。ビット化されたデジタル情報は「世界が0と1で構成されている」ことを意味するのではなく、「殆どの情報を0と1に置き換えられる」ことを示しているだけのこと。

 置き換えとは翻訳であるから、本来であればここから言語の限界に進むべきだと思われる。ビット列で画像が表示できるわけだから、0と1は既に軽々と言語を超えた。

 現実生活の作法としては偶然や必然を思い詰めて考えるべきではない。意味の罠に捕われてしまうと自分で自分を裁く場面が増えるように思う。ブッダが示した因果は必然ではなく、現在性を時間の流れの中で捉え直したものだと思う。必然性というよりは関係性(縁起)に重きを置く。

 我々は不幸な出来事が起こると、「なぜ?」と問わずにはいられない。「なぜ私だけがこんな目に遭わないといけないのか?」と。私がアウシュヴィッツやルワンダ、インディアン、パレスチナに関する書籍を読んできたのもこのテーマを探るためだった。

 神谷美恵子〈かみや・みえこ〉はハンセン病患者と出会い「何故私たちでなくてあなたが?」と問うた(『人間をみつめて』)。

 悲劇には固有の顔がある。人間の残酷さには限りがない。やがて地球は人類の悲しみを支えることができなくなることだろう。

 希望を抱くことは悲哀からの逃避に過ぎない。ゆえに、ただ悲しみを手放すことが正しい生き方だ。

偶然とは何か―北欧神話で読む現代数学理論全6章

歴史が人を生むのか、人が歴史をつくるのか?/『歴史は「べき乗則」で動く 種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学』マーク・ブキャナン
偶然性/『宗教は必要か』バートランド・ラッセル
情報理論の父クロード・シャノン/『インフォメーション 情報技術の人類史』ジェイムズ・グリック
偶然か、必然か/『“それ”は在る ある御方と探求者の対話』ヘルメス・J・シャンブ

2014-03-10

古代イスラエル人の宗教が論理学を育てた/『数学嫌いな人のための数学 数学原論』小室直樹


『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹
『日本教の社会学』小室直樹、山本七平
『消費税は民意を問うべし 自主課税なき処にデモクラシーなし』小室直樹
『小室直樹の資本主義原論』小室直樹
『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は滅亡する』小室直樹
『悪の民主主義 民主主義原論』小室直樹
『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹

 ・古代イスラエル人の宗教が論理学を育てた

『日本人のための憲法原論』小室直樹

 近代数学はギリシャに始まった。ギリシャの優れた論理学と結びついたからである。ギリシャの論理学は、アリストテレス形式論理学に結実した。しかし、完璧(かんぺき)な形式論理学を人類精神として成果させたのは、古代イスラエル人の宗教であった。
 古代イスラエル人の宗教(のちのユダヤ教)は、「神は存在するのか、しないのか」の問いかけから始まる。それが、古代ギリシャ人の人類の遺(のこ)した「存在問題」に発展して、完璧(かんぺき)な論理学へと育っていったのであった。

【『数学嫌いな人のための数学 数学原論』小室直樹(東洋経済新報社、2001年)以下同】

 ぶっ飛んでる。数学本の書き出しがこれだ。「論理」というターム(学術用語)でいきなり数学と宗教を結びつける。知的な掘削作業が異なる世界の間にトンネルを掘る。ひとつ穴を開ければ地続きの大地が広がる。言われてみればあっさりと腑に落ちる。神の存在問題が真偽や証明に関わってくるためだ。

 小室の鋭い指摘は人類の知能が進化する様相を彷彿(ほうふつ)とさせる。

 日本人ははじめ何となく「論理」といってもピンと来(き)にくいが、実は論理こそ数学の【生命】(いのち)なのである。
「論理」という字は漢字であるが、この言葉は西洋からきた。英語で logic' ドイツ語で Logik' フランス語で logique という。その源は logos(ロゴス)である。
 キリスト教に身近い人ならば、「はじめにロゴスあり」(「第一ヨハネ書」)という言葉を思い出すであろう。すべてのはじめにはロゴスがあって、神はロゴスから天地を創造したもうた、というのである。「ロゴス」とは、もともと、神の言葉、神そのもの、神の子イエス、……などという意味である。それが「論理」という意味になっていくのであるが、「論理」とは【論争のための方法のこと】を指す。
 それでは、一体、誰(だれ)と論争をするのか。人と人との論争、と読者は思われるであろうが、究極的には「神と人との論争」なのである。

 キリスト教のロジックについては以下を参照せよ。

教条主義こそロジックの本質/『イエス』R・ブルトマン

 たぶん多種多様な人種や民族の存在が論理を必要としたのだろう。ヨーロッパの血塗られた歴史は魔女狩りを挟んで20世紀まで続いた。「ヨーロッパにおいて戦争がなかった年は、16世紀においては25年、17世紀においてはただの21年にすぎなかった」(『戦争と資本主義』ヴェルナー・ゾンバルト:金森誠也〈かなもり・しげなり〉訳:論創社、1996年/講談社学術文庫、2010年)。

 このように古代イスラエル人の宗教からユダヤ教に至るまでは、神と人間との論争を機軸(きじく)として進歩してきたゆえに、論争は極限まで進んでいった。
 ここに、イスラエルの宗教が機軸(きじく)となって論理学を限りなく育てて、論理学を数学に合体させ、無限の発展の可能性をはらんだ秘密がある。
 論理と数学との合体は、古代ギリシャにおいて実現される。これこそ実に、世界史における画期(かっき)的大事件であり、数学の無限の発達を保証するものであった。

 神と人間との関係は「契約」にとどまらず「論理」をも生んだ。そして古代イスラエルの宗教的価値観はキリスト教に受け継がれ、現代世界を席巻しているわけだ。この世界を変えるためには「新しい宗教的価値観」を示す必要がある。

 論証性の欠如(けつじょ)は、何も中国数学だけの特徴(とくちょう)ではない。後述するユークリッド幾何学(きかがく)以外の数学は、みな論証性が欠如(けつじょ)していたといっても過言ではない。このことに関する限り、ある意味では大変発達した古代の諸高度文明における数学も大同小異であった。つまり、論証性が欠如(けつじょ)しているほどであったから、一貫(いっかん)した体系的論理はあり得なかった。
 一貫(いっかん)した体系的論理を誕生させ、これと結びついたこと。これこそ、数学諸科学の王となり、これらを制御(せいぎょ)し、その下に発展させた理由である。

 中国に歴史はあった(『世界史の誕生 モンゴルの発展と伝統』岡田英弘)が論理はなかった。黄色人種しか存在しない東アジアで重んじられるのは「道理」であった。ここに「天」と「神」の根本的な思想的差異がある。天の定めは神が下した運命とは異なる。

 東洋と西洋の概念の違いを岡田英弘が明快に説いている。

 誤訳の例で言うと、先にも書いたが、「革命」という術語は、中国では本来、天が地上支配の命令を引っこめることなのだけれども、これを「レヴォリューション」の訳語に当てる。「レヴォリューション」は「ころがしてもとへ戻す」という意味で、「回転」ならいいが、「革命」とは訳せない。
 ローマの「アウグストゥス」(augustus)を「皇帝」と訳するのも誤訳で、「アウグストゥス」の実体は「元老院の筆頭議員」だった。中国には元老院はないから、「皇帝」は「アウグストゥス」の同義語ではない。
「フューダリズム」(feudalism)を「封建」と訳するのも、ひどい誤訳だ。秦の始皇帝以前の中国では、首都から武装移民が出ていって、新しい土地に都市を建設し、独自の政治生活を始めることが「封建」だった。のちには、皇帝が派遣した軍隊の司令官が、都市に駐屯して、その一帯を支配し、その地位を世襲することを「封建」と言うようになった。ところが日本人は、「封建」を「フューリダリズム」に当てはめてしまった。

【『歴史とはなにか』岡田英弘(文春新書、2001年)】

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2012-01-29

レオンハルト・オイラーの偉業


 スイスに生まれたオイラーは、ベルリンとサンクトペテルブルグで研究を行い、数学、物理学、工学のあらゆる領域に絶大な影響を及ぼした。オイラーの仕事は、内容の重要性もさることながら、分量もまた途方もなく多い。今日なお未完の『オイラー全集』は、1巻が600ページからなり、これまでに73巻が刊行されている。サンクトペテルブルグに戻ってから76歳で世を去るまでの17年間は、彼にとっては文字通り嵐のような年月だった。しかし、私的な悲劇に幾度となく見舞われながらも、彼の仕事の半分はこの時期に行われている。そのなかには、月の運動に関する775ページに及ぶ論考や、多大な影響力をもつことになる代数の教科書、3巻からなる積分論などがある。かれはこれらの仕事を、週に1篇のペースで数学の論文をサンクトペテルブルグのアカデミー紀要に投稿するかたわらやり遂げたのだ。しかし何より驚かされるのは、彼がこの時期、一行も本を読まず、一行も文章を書かなかったことだろう。1766年、サンクトペテルブルグに戻ってまもなく視力を半ば失ったオイラーは、1771年、白内障の手術に失敗してからはまったく目が見えなかったのだ。何千ページに及ぶ定理は、すべて記憶の中から引き出されて口述されたものなのである。

【『新ネットワーク思考 世界のしくみを読み解く』アルバート=ラズロ・バラバシ:青木薫訳(NHK出版、2002年)】

新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く



 エルデシュよりも多くの論文を著したのは史上ただひとり、18世紀スイスの万能の数学者、レオンハルト・オイラーだけである。オイラーは子供を13人作り、80巻に及ぶ数学論文を書いた。この多くが、夕食の用意ができたという最初の呼び声から次の催促の声がかかるまでの30分のあいだに書かれたという。

【『放浪の天才数学者エルデシュ』ポール・ホフマン:平石律子訳(草思社、2000年/草思社文庫、2011年)】

文庫 放浪の天才数学者エルデシュ (草思社文庫)

Wikipedia
天才計算術師オイラー
盲目の数学者オイラー
レオンハルト・オイラー生誕300年記念 数独チャレンジ 2007

Leonhard Euler

オイラーは何の苦労もなく計算をし、やすやすと偉大な論文を書いた/『数学をつくった人びと I』E・T・ベル

2011-07-22

ラマヌジャンの『ノート』


 ラマヌジャンの(※『ノート』の)結果には誤まっているものがままあった。また、彼が期待したほどの深みはないものもあったし、西欧の数学者によって50年、100年、いや200年も前に発見されていたことを知らずに再発見していたのにすぎないものもあった。しかし、その多く――ハーディのみたところ約3分の1、後の数学者の評価によれば3分の2――は、息詰まるほどの新奇性に満ちたものであった。ハーディは知った。ラマヌジャンから送られた厚い、数式だらけの手紙は、この10年にわたって『ノート』に蓄積されてきたもののごくごく一部、そう、氷山の一角にすぎなかったのだ、と。3000、いや、4000もの定理、系、例題が証明や解説のほとんどないままにページからページへ行進してゆく。まるで枝葉を切りとった人生訓のように、一行か二行の数式に数学的真実が秘められているのだ。

【『無限の天才 夭逝の数学者・ラマヌジャン』ロバート・カニーゲル:田中靖夫訳(工作舎、1994年)】

ラマヌジャンの『ノート』
シュリニヴァーサ・ラマヌジャン

無限の天才―夭逝の数学者・ラマヌジャン


2011-07-06

ガロア


ピュタゴラスは鍛冶屋で和音を発見した
ソフィー・ジェルマン
川の長さは直線距離×3.14
ピタゴラスの定理
ピタゴラスの証明は二重の意味で重要だった
図書室の一冊の雑誌をめぐる偶然の出会いが数学史を変えた
・ガロア

 数学に対するガロアの情熱は、まもなく教師たちの手に余るようになった。そこで彼は、当時の大数学者による最新の書物からじかに学びはじめた。ガロアはどんなに複雑な概念でもスポンジのように吸収し、17歳にして『ジェルゴンヌ数学年報』に処女論文を発表するまでになった。神童の前途は洋々として見えた。だが、カミソリのように研ぎ澄まされたその頭脳こそが、ガロアの行く手をさえぎる最大の障壁となったのである。彼の数学の知識をもってすれば、高等中学の試験ぐらいはわけなく合格できただろう。しかし彼の解法はときとしてあまりにも革新的で洗練されすぎていたため、試験官には理解できなかったのである。さらに悪いことに、ガロアは多くの計算を暗算ですませ、論証のプロセスをいちいち書こうとはしなかった。それが無能な試験官たちをいっそういらだたせることになった。
 しかもこの若き天才は、短気なうえに無分別ときていた。

【『フェルマーの最終定理 ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで』サイモン・シン:青木薫訳(新潮社、2000年/新潮文庫、2006年)】

エヴァリスト・ガロア
ガロアの生涯

フェルマーの最終定理 (新潮文庫)ガロア―天才数学者の生涯 (中公新書)ガロアの生涯―神々の愛でし人

2011-07-03

ゼロから無限が生まれた/『異端の数ゼロ 数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念』チャールズ・サイフェ


 ・ゼロをめぐる衝突は、哲学、科学、数学、宗教の土台を揺るがす争いだった
 ・数の概念
 ・太陽暦と幾何学を発明したエジプト人
 ・ピュタゴラスにとって音楽を奏でるのは数学的な行為だった
 ・ゼロから無限が生まれた
 ・パスカルの賭け

『宇宙を復号(デコード)する 量子情報理論が解読する、宇宙という驚くべき暗号』チャールズ・サイフェ

 数字のゼロはバビロニアで生まれ、インドで育った。ゼロは西洋で嫌悪され、東洋で大切に扱われた。そしてキリスト教がゼロを亡き者にし、仏教がゼロに魂を吹き込んだ。

 バビロニアの天文学とともにバビロニアの数ももたらされた。天文学上の目的でギリシア人は六十進法の数体系を採用し、1時間を60分に、また1分を60秒に分けた。紀元前500年頃、バビロニアの文献に空位を表すものとしてゼロが現れはじめた。当然、ゼロはギリシアの天文学界にも広まった。(中略)ギリシア人はゼロを好まず、使うのをできるだけ避けた。

【『異端の数ゼロ 数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念』チャールズ・サイフェ:林大〈はやし・まさる〉訳(早川書房、2003年/ハヤカワ文庫、2009年)以下同】

 バビロニアのゼロは空位を示すだけのものであった。計算に用いられることはなかった。ギリシア人はなぜゼロを嫌ったのか?

 無限と空虚には、ギリシアを恐れさせる力があった。無限は、あらゆる運動を不可能にする恐れがあったし、無は、小さな宇宙を1000個もの破片に砕け散らせる恐れがあった。ギリシア哲学は、ゼロを斥けることによって、自らの宇宙観に2000年にわたって生きつづける永続性を与えた。
 ピュタゴラスの教義は西洋哲学の中心となった。それは、宇宙全体が比と形に支配されているというものだった。惑星は、回転しながら音楽を奏でる天球の一部として動いているのだった。だが、天球のむこうには何があるのか。さらに大きな天球があり、そのまたむこうにはさらに大きな天球があるのか。いちばん外の天球は宇宙の果てなのか。アリストテレスやその後の哲学者たちは、無限の数の天球が入れ子状になっているはずはないと主張した。この哲学を採用した西洋世界に、無限を受け入れる余地はなかった。西洋人は無限を徹底的に排除した。というのも、無限はすでに西洋思想の根元を蝕みはじめていたからだ。それはゼノンのせいだった。同時代人から西洋世界でもっとも厄介な人物と見なされていた哲学者だ。

 ギリシアは無限を嫌ったのだ。気持はわかる。無限は想像することを拒み、人間をどこまでも卑小にする。ま、底なし沼みたいなものだ。ギリシアの理性は「万物のアルケー」から始まっているから無限とは相性が悪い。そこでゼノンがちょっかいを出した。

 ギリシア人はこの問題に悩んだが、その根源を探り当てた。それは無限だった。ゼノンのパラドクスの核心にあるのは無限である。ゼノンは連続的な運動を無限の数の小さなステップに分割したのだ。ステップが無限にあるから、ステップが小さくなっていっても、競争はいつまでもつづくのだとギリシア人は考えた。競争は有限の時間のうちには終わらない――そうギリシア人は考えた。古代人には無限を扱う道具がなかったが、現代の数学者は無限を扱うすべを身につけている。無限は注意深く処理しなければならないが、征服できる。ゼロの助けを借りれば。2400年分の数学で武装した私たちにとって、振り返って、ゼノンのアキレス腱を見つけるのはむずかしくはない。

 永遠の向こう側にある無限ではなく、0と1の間にある細分化された無限だ。アキレスは亀に追いつくことができない。

 ギリシア人はこのちょっとした数学上の芸当をやってみせることができなかった。ゼロを受け入れなかったため、極限の概念をもっていなかった。無限数列の項には極限も目的地もなかった。終点もなく小さくなっていくように思われた。その結果、ギリシア人は無限なるものを扱うことができなかった。無の概念について思索はしたが、数としてのゼロは斥けた。そして、無限なるものの概念を弄んだが、数の領域の近辺のどこにも無限――無限に小さい数と無限に大きい数――を受け入れようとしなかった。これはギリシア数学最大の失敗であり、ギリシア人が微積分を発見できなかったただ一つの理由だった。
 無限、ゼロ、極限の概念はすべて結びついて一束になっている。ギリシアの哲学者は、その束をほぐすことができなかった。そのため、ゼノンの難問を解くすべがなかった。だが、ゼノンのパラドクスはあまりにも強力だったので、ギリシア人は、ゼノンの無限を説明して片づけてしまおうと繰り返し試みた。しかし、妥当な概念で武装していなかったので、失敗する運命にあった。

 当時の数学は宗教と密接に結びついていた。それを踏まえると思想的影響の大きさが窺い知れよう。ゼノンはエレアの圧政者ネアルコスを打ち倒そうと武器を密輸していた。これが発覚し逮捕、拷問。ネアルコスに共謀者の名前を告げるふりをして耳に噛み付いた。ゼノンは撲殺されるまで口を開かなかった。

 5世紀頃、インドの数学者は数体系を変えた。ギリシア式からバビロニア式に切り換えたのだ。新しいインドの数体系とバビロニア式との重要な違いの一つは、インドの数が60ではなく10を底としていたことだ。私たちの数字は、インド人が用いた記号が発展したものだ。だから本来、アラビア数字ではなくインド数字と呼ばれるべきである。

 アラビア経由でヨーロッパに伝わったため、アラビア数字という名称がついた。

 インド人にとっては、負の数は文句なしに意味をなした。負の数がはじめて姿を表したのは、インド(および中国)だ。7世紀のインドの数学者、ブラフマグプタは、数を割る規則を述べ、そこに負の数も含めた。「正の数を正の数で割っても、負の数を負の数で割っても、正である。正の数を負の数で割ると、負である。負の数を正の数で割ると、負である」と書いた。これらは今日認められている規則だ。二つの数の符号が同じなら、一方をもう一方で割ると、答えは正である。

 負の数は理解しやすい。借金がそうだ。返すことでゼロになるわけだから、マイナスの概念は腑に落ちる。ブラフマグプタはゼロに魂を吹き込んだ。

 ブラフマグプタは、0÷0は0だと考えた(後で見るように、これは間違っている)。そして、1÷0は……何だと考えたのか、実はわからない。何しろ、ブラフマグプタの言っていることは大した意味がないから。要するに、ブラフマグプタは、手を振って、問題が消え去ってくれるよう願っていたのだ。
 ブラフマグプタの誤りは、それほど長続きはしなかった。やがてインド人は、1÷0が無限大であることに気づいた。「ゼロを分母とする分数は、無限量と名づけられる」と、12世紀のインドの数学者、バスカラは書いている。バスカラは1÷0に数を加えると、どうなるかを語っている。「多くを足しても引いても、何の変化もない。無限にして不変の神のなかでは何の変化も起こらない」
 神は見いだされた。無限大のなかに。そしてゼロのなかに。

 よき問いはよき答えそのものだ。偉大なる問いが人類の知性を開拓してきた。ゼロは無限に変貌した。100という数字の00は、99.999……を示している。おわかりだろうか? 小数点以下の999……が無限に続いているのだ。ゼロは無であると同時に無限となった。それはそのまま「空」(くう)の概念をも意味した。

数字のゼロが持つ意味/『人間ブッダ』田上太秀

 アリストテレスはまだ教会をしっかり支配していて、どんなに優れた思想家も、無限に大きなもの、無限に小さなもの、無を斥けた。13世紀に十字軍が終わっても、聖トマス・アクイナスは、神が無限なるものをつくるなどというのは、学のある馬をつくるようなもので、そんなことはありえないと言い放った。しかし、だからといって、神が全能でないわけではなかった。神が全能でないという考えは、キリスト教神学で御法度だった。

 西洋で無限が認められるのは神だけであった。キリスト教は啓典宗教なのでテキスト絶対主義である。断固たる教条主義であり、神以外の権威を認めない。ゼロを否定したせいで、西洋の学問は大幅に後(おく)れを取る。元々十字軍(1096年)以前は中東の方が先進的であった。

 教会はさらに数百年アリストテレスにしがみつきつづけるのだが、アリストテレスの没落と、無と無限の台頭は明らかにはじまっていた。ゼロが西洋世界に到来するのに好都合な時代だった。12世紀半ば、アルフワリズミの Al-jabr の最初の翻訳がスペイン、イングランド、ヨーロッパのその他の地域に入ってきていた。ゼロは迫ってきていたのであり、教会がアリストテレス哲学の足かせを断ち切るとすぐに登場した。

 つまり端的にいってしまえば、教会とアリストテレスが西洋世界を作り上げたわけだ。数学世界ではゼロが風穴を開けたわけだが、今も尚両者の呪縛は随所に見られる。2000年に及ぶ緊縛プレイだ。

 ゼロは無限だ。だから資産がゼロでも嘆くな。



ゼロ

2011-05-21

パスカルの賭け/『異端の数ゼロ 数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念』チャールズ・サイフェ


『天才の栄光と挫折 数学者列伝』藤原正彦

 ・ゼロをめぐる衝突は、哲学、科学、数学、宗教の土台を揺るがす争いだった
 ・数の概念
 ・太陽暦と幾何学を発明したエジプト人
 ・ピュタゴラスにとって音楽を奏でるのは数学的な行為だった
 ・ゼロから無限が生まれた
 ・パスカルの賭け

『ゲーデルの哲学 不完全性定理と神の存在論』高橋昌一郎

必読書リスト その三

 amazonレビュー、恐るべし。

パスカルの賭け:Wikipedia

 第10章のパスカルの賭けに、非常に有名な批判が載っていないので書いておく。
「神が存在しても、信じていた神とは違う神(例えば、キリストの神を信じていたら、いたのはイスラムの神だった)、がいた場合、無限の幸福は得られず、おそらく無限の苦しみにあう」。

 なお、パスカルの賭けは、「無限の幸福は無限の価値がある」ということを前提にしているが、将来のことについてはその時間的遠さに基づいて幸福を割り引く(双曲割引など)という考えを導入することで、無限の幸福の価値が現時点では有限になり、この問題は解消される。

神の存在証明、または非存在証明 2007-11-26 By θ

 せっかくなんで、チャールズ・サイフェのテキストも紹介しておこう。

 パスカルの賭けは、このゲームと似ている。ただし、使われる封筒の取り合わせは異なる。キリスト教徒と無神論者だ(実際には、キリスト教徒の場合しか分析していないが、無神論者の場合は論理的な延長にすぎない)。議論の便宜上、差し当たって、神が存在する見込みは五分五分だと想像しよう(神が存在するとしたら、それはキリスト教の神だとパスカルが考えたのは言うまでもない)。ここでキリスト教徒の封筒を選ぶのは、信心深いキリスト教徒であることに相当する。この道を選んだ場合、可能性は二つある。信心深いキリスト教徒なら、神がいない場合、死んだら無のなかへと消え去るだけだ。だが、神がいる場合は、天国にいき、永遠に幸せに生きる。無限大である。したがって、キリスト教徒であることで得るものの期待値は、

 無のなかへ消え去る見込みが1/2……1/2×0=0
 天国に行く見込みが1/2×∞=∞
 期待値=∞

 何しろ、無限大の半分はやはり無限大だ。したがって、キリスト教徒であることの価値は無限大である。では、無神論者だったらどうなるだろう。その考えが正しければ――神などいないのなら――正しいことによって得るものは何もない。何しろ、神などいないのなら、天国もない。一方、その考えが間違っていて、神がいる場合は、地獄にいき永遠にそこで過ごすことになる。マイナス無限大だ。したがって、無神論者であることで得るものの期待値は、

 無のなかへ消え去る見込みが1/2……1/2×0=0
 地獄にいく見込みが1/2×-∞=-∞
 期待値=-∞

 マイナス無限大である。これ以上小さい価値はない。賢明な人なら無神論ではなくキリスト教を選ぶのは明らかだ。
 しかし、私たちはここである仮定をおいている。それは、神が存在する見込みは五分五分だというものだ。もし1/1000の見込みしかなかったら、どうなるだろう。キリスト教徒であることの価値は、

 無のなかへ消え去る見込みが999/1000……999/1000×0=0
 天国にいく見込みが1/1000×∞=∞
 期待値=∞

 やはり同じ、無限大だ。そして、無神論者であることの価値はやはりマイナス無限大である。やはりキリスト教であるほうがずっといい。確率が1/1000でも1/10000でも、結果は同じだ。例外はゼロである。
 パスカルの賭けと呼ばれるようになったこの賭けは、神が存在する見込みがないのなら無意味だ。その場合、キリスト教徒であることで得るものの期待値は0×∞だが、これはばかばかしい。誰も、神が存在する見込みはゼロだとは言わない。どんな見方をするにせよ、ゼロと無限の魔法のおかげで神を信じるほうが常にいい。賭けに勝つために数学を捨てても、どちらに賭けるべきかをパスカルが知っていたのは間違いない。

【『異端の数ゼロ 数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念』チャールズ・サイフェ:林大〈はやし・まさる〉訳(早川書房、2003年/ハヤカワ文庫、2009年)】


臨死体験/『生命の大陸 生と死の文学的考察』小林勝

2008-11-30

アイルランドが生んだ天才数学者ウィリアム・ハミルトンの悲恋/『天才の栄光と挫折 数学者列伝』藤原正彦


『妻として母としての幸せ』藤原てい

 ・アイルランドが生んだ天才数学者ウィリアム・ハミルトンの悲恋

『祖国とは国語』藤原正彦
『国家の品格』藤原正彦
『日本人の矜持 九人との対話』藤原正彦
『日本人の誇り』藤原正彦

必読書リスト その三

 9人の天才数学者をスケッチした紀行風の評伝。明晰な文章が数学者らしい。また、いつもながら藤原正彦のユーモラスな頑固ぶりに、両親(新田次郎、藤原てい)の面影が偲(しの)ばれる。歴史に名を残した天才達の有為転変をすくい取り、成功に至るまでの苦心惨憺と、人生の不遇や悲哀まで描かれている。いずれも小説になりそうなほど劇的な生きざまである。不思議なまでに振幅が激しい点で共通している。

 ハミルトンの神童ぶりが凄い。わずか5歳にして英語、ラテン語、ギリシア語、ヘブライ語を読解し、10歳までに10ヶ国語(イタリア語、フランス語、ドイツ語、アラビア語、サンスクリット語、ペルシア語)をマスター。10歳でユークリッドの『原論』を、12歳でニュートンの『プリンキピア』を読んだという(Wikipedia)。

 そんなハミルトンだったが、初恋は相思相愛であったものの途中で引き裂かれてしまった。彼女の父親が、資産のある中年牧師と強引に婚約させてしまったのだ。父親は、無一文の学生(ハミルトンは当時19歳)と娘を一緒にさせるつもりはなかった。

 その後、ハミルトンは別の女性と結婚。しかし、彼は初恋の人キャサリンに対する思慕を終生捨てることはなかった。苦心の末に刊行した『四元数講義』は難解過ぎて、誰からも理解されなかった。

 その中にあって彼の心を慰めたのは、初恋の人キャサリンの思い出だったかも知れない。彼は終生キャサリンへの愛を抱き続けたのだった。彼女が不幸な結婚生活を送りながら、ハミルトンをいまだに慕っていることを、友人である彼女の兄から聞いていただけに、なおさら想いが募ったのだろう。
 45歳の時には、キャサリンを見初めた、今ではすっかり朽ち果てた家を訪れ、黄昏の光の中、彼女が26年前に立っていた、その床に接吻をしたのである。

【『天才の栄光と挫折 数学者列伝』藤原正彦(新潮選書、2002年/文春文庫、2008年)以下同】

 そして3年後、キャサリンからのメッセージが届けられた。彼女は既に死の床に就いていた。ハミルトンは彼女の下へ走った。そこで二人は生まれて初めて静かに唇を合わせた。キャサリンは2週間後に黄泉路へ旅立った。死神が二人の再会を手引きした格好となった。

 締め括りの文章はこうだ――

 遥か届かぬ人への一途の想い、私は妙に胸が塞ぐままに天文台を辞し、待たせてあったタクシーで四元数発見のブルーム橋へ向かった。天文台から3キロほどの、田園を貫く運河にかかる小さな石橋であった。タクシーを止めると、歴史的発見の現場にたどり着いた興奮のためか、私は走り出した。橋のたもとの土手を下り、橋の直下に回ると、幅5メートルほどの小さな運河に面した壁に、碑文が埋め込まれてあった。
「ここにて、1843年10月16日、ウィリアム・ハミルトンは、天才の閃きにより、四元数の基本式を発見し、それをこの橋に刻んだ。i2乗=j2乗=k2乗=ijk=1」
 ハミルトン自身の刻んだ式は見つからなかったが、壁にそっと手を触れると、彼の人生における最大の歓喜が、指を通して電気のように私の胸まで伝わった。
 ハミルトンの散歩道だった運河沿いの一本道を、私は歩き始めた。歩きながら、この一本道は、ハミルトンの歓喜とともに、涙をも滲(にじ)ませた一本道であると思った。栄光と悲劇の一本道は、ハミルトンが通り、アイルランドが通った一本道であった。私は行きつ戻りつしながら、次第に足の重くなるのをしきりに感じていた。
 どのくらいたったろうか、どこかから「大丈夫ですか」という声が聞こえた。振り返ると橋の上で、タクシー運転手が私を見下ろしていた。黙ってうなずく私の表情に何かを察したのか、「いやごゆっくりどうぞ」と慌てて言うと、橋の向こうに消えた。

 絶品としか言いようがない。