・『青い空』海老沢泰久
・キリスト教の「愛(アガペー)」と仏教の「空(くう)」
・「異民族は皆殺しにせよ」と神は命じた
・宗教には啓典宗教とそれ以外の宗教がある
・『イエス』ルドルフ・カール・ブルトマン
・『世界史の新常識』文藝春秋編
・『日本人のためのイスラム原論』小室直樹
・目指せ“明るい教祖ライフ”!/『完全教祖マニュアル』架神恭介、辰巳一世
・キリスト教を知るための書籍
・宗教とは何か?
・必読書リスト その五
キリスト教の「愛(アガペー)」は、真(まこと)に驚くべき教義である。それは、何千年ものイスラエルの宗教がのぼりつめた「苦難の僕(しもべ)」の教説から発生した。そして、全世界を包み込むほどのエクスタシーを発散し、資本主義とデモクラシーと近代法を生んだ。
仏教の「空(くう)」は、人類が到達した最深、最高の哲理であろう。それは、形式論理学、記号論理学をも超越している論理を駆使していることが、最近明らかにされてきた。「空」は、最近の社会科学、自然科学を比喩として用いるとき、初めて鮮明に理解されるであろう。
【『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹(徳間書店、2000年)】
ずっと奇人だと思い込んでいた。数年前にカッパ・ビジネスを3冊ほど読んで、ただの奇人ではないことがわかった。
小沢遼子足蹴り事件
1983年1月26日、ロッキード事件被告田中角栄への求刑公判の日、テレビ朝日の番組「こんにちは2時」の生放送に出演した。番組のテーマはもちろん角栄の裁判であり、小沢遼子ら反角栄側2人と小室による討論を行った。ところが冒頭、突然立ち上がってこぶしをふり上げ、「田中がこんなになったのは検察が悪いからだ。検事をぶっ殺してやりたい。検察官は死刑だ」とわめき出し、田中批判を繰り広げた小沢遼子を足蹴にして退場させられた。
ところが、翌日朝、同局は小室を「モーニングショー」に生出演させた。その際さらにパワーアップしてカメラの面前で「政治家は賄賂を取ってもよいし、汚職をしてもよい。それで国民が豊かになればよい。政治家の道義と小市民的な道義はちがう。政治家に小市民的な道義を求めることは間違いだ。政治家は人を殺したってよい。黒田清隆は自分の奥さんを殺したって何でもなかった」などと叫び、そのまま放送された。
これをもってテレビ出演はほとんどなくなり、以後、奇人と評された。
【Wikipedia】
谷沢永一〈たにざわ・えいいち〉も同じような主張をしているが、よくよく吟味をすれば一定の合理性はある。小沢事件に端を発する「政治とカネの問題」などは、確かに政治家を小市民に貶(おとし)めるような同調圧力が働いている。
清廉潔白で無能な政治家が一番困る。
小室は社会科学的アプローチで五大宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教、儒教)を読み解く。その合理性が曖昧さを退ける。「日本人のための宗教原論」というタイトルに偽りはない。
信者の瞳は崇拝感情によって曇っている。客観的な評価は困難であろう。小室は冷徹な眼でバッサバッサと斬り捨てる。
2000年を経てもなお人々の胸に鮮やかな影を落とす人物が存在する。その事実が重い。彼らは神仏などではなく人間であった。否、彼らこそが真の人間を示したのだ。
ヤスパースは「軸の時代」(枢軸時代)と名づけた。人類は精神的な存在へと飛翔した。
振る舞いとしての「愛」と、哲理としての「空」が一致するところに真の宗教性がある。イエスとブッダが直接出会うことがあったならば、決して争うような真似はしなかったはずだ。
文明や科学の発達は部分的な幸福を支えてはいるが、人生の苦悩を解決するものではない。量子力学が恋の悩みを軽くすることもなければ、ゲーデルの不完全性定理が職場の人間関係を改善してくれるわけでもない。
だとすれば、やはり宗教性が大切なのだ。特定の信仰を持つ必要はない。制度宗教、組織宗教に額づくよりも、自分の目と手で直接触れて学んでゆくことが正しい。
「誰が」説いたかよりも、「説かれた教え」が重要だ。これを依法不依人(えほうふえにん/法四依の一つ)という。
・神智学協会というコネクター/『仏教と西洋の出会い』フレデリック・ルノワール
・ウイルスとしての宗教/『解明される宗教 進化論的アプローチ』 ダニエル・C・デネット
・欽定訳聖書の歴史的意味/『現代版 魔女の鉄槌』苫米地英人
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