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2020-01-26

ガッテラー『世界史』(1785)~普遍史から世界史へ/『科学vs.キリスト教 世界史の転換』岡崎勝世


『科学と宗教との闘争』ホワイト
『思想の自由の歴史』J・B・ビュァリ
『聖書vs.世界史 キリスト教的歴史観とは何か』岡崎勝世
『世界史とヨーロッパ』岡崎勝世
・『4日間集中講座 世界史を動かした思想家たちの格闘 ソクラテスからニーチェまで』茂木誠

 ・世俗化とは現実への適応
 ・ガッテラー『世界史』(1785) 普遍史から世界史へ

キリスト教を知るための書籍
世界史の教科書

 ガッテラーは、次の『世界史』では、先に多大な労苦を重ねて練り上げた『普遍史的序説』の叙述様式を一変させた。それまでの「普遍史」というタイトルを棄てて「世界史」とし、構成も記述内容も、さらには、エジプト史で見たような涙ぐましいほどの努力をして死守した年号体系までも、変えてしまうのである。

【『科学vs.キリスト教 世界史の転換』岡崎勝世〈おかざき・かつよ〉(講談社現代新書、2013年)以下同】

 史料批判レオポルト・フォン・ランケ(1795-1886年)に始まるが、ヨハン・クリストフ・ガッテラー(1727-1799年)に曙光を見ることができよう。それは聖書に向けられた「疑いの眼差し」であった。

ガッテラーの苦渋」は宗教的感情と科学的理性のせめぎ合いを示しており、キリスト教普遍史を脱却したところに科学が成した革命の軌跡が見出せる。

 上記テキストの前にはこうある。

 近世に入ると、一方で普遍史は「科学革命」をはじめ様々な要因から危機を迎え、普遍史の背景となってきた聖書年代学自体が動揺し、「年代学論争」が発生した。さらに18世紀後半になると、歴史学に「コペルニクス的転回」をもたらしたヴォルテールらによって歴史学の「科学化」が推進され、進歩史観と、まだ荒削りであったにしても、新たな文化史的世界史とが提案された。しかもビュフォンによって、それは自然史と結びついた形で記述されるに至った。普遍史に対抗し得る内実を持った歴史観と世界史像が提出されるというかつてない新事態を受け、新旧二つの歴史観のせめぎ合いを正面から受け止めて新たな道を切り開いていったのが、ガッテラーであった。
 これには、彼が奉職したゲッティンゲン大学の性格も関与している。ハノーバー選帝侯ゲオルク・アウグスト(英王としてはジョージ2世)が1737年に創建したこの大学は、イギリスとの同君連合の関係が幸いして、他のドイツ大学と違い神学部の大学支配を排除した、ドイツで最も自由な大学であった。またそこから、啓蒙主義や自然諸科学はじめ、イギリスやヨーロッパで生まれた新潮流に対するドイツの窓口となっていたのである。

 こうして見ると大学が学問と知識を教会から解放した様子がよくわかる。

 本書は一度挫折している(今回はあと1/4で読了)。面白く読むためにはある程度の知識が必要で、素人が興味本位で手を出すと痛い目に遭う。「大体どうしてキリスト教の錯誤に付き合わないといけないんだ?」と100万回くらい思う羽目になる。人類は過ちを正すために長大な時間をかけてきた。フン、合理性なんぞは所詮絵に描いた餅だ。ヒトの脳を過信しないことが大切だ。我々の脳は物語に支配されて事実をありのままに見つめることができないのだから。

 日本にルネサンスと宗教改革があったのは確かだ(『情報社会のテロと祭祀 その悪の解析』倉前盛通)。しかし啓蒙思想が興ったようには見えない。明治維新における攘夷から開国への転換は飽くまでも外圧によるものだ。ただ、歴史的にキリスト教のような蒙(くら)さに覆われることがなかったのもまた確かである。

2020-01-22

世俗化とは現実への適応/『科学vs.キリスト教 世界史の転換』岡崎勝世


『科学と宗教との闘争』ホワイト
『思想の自由の歴史』J・B・ビュァリ
『聖書vs.世界史 キリスト教的歴史観とは何か』岡崎勝世
『世界史とヨーロッパ』岡崎勝世
・『4日間集中講座 世界史を動かした思想家たちの格闘 ソクラテスからニーチェまで』茂木誠

 ・世俗化とは現実への適応
 ・ガッテラー『世界史』(1785)~普遍史から世界史へ

キリスト教を知るための書籍
世界史の教科書

 ヨーロッパの18世紀は、「啓蒙主義の世紀」とも言われる。啓蒙主義は名誉革命後イギリスのジョン・ロック、ヒューム等に始まり、とりわけ18世紀半ばのモンテスキュー『法の精神』(1748)、ビュフォン『博物誌(自然誌)』(1749刊行開始)、ヴォルテール『ルイ14世の世紀』(1751)、『百科全書』(1751刊行開始)、ルソー『人間不平等起源論』(1755)等々以後は、ヨーロッパ思想界を支配したからである。
 この「啓蒙主義」について筆者は、その中心的役割を「聖書において啓示され、教会によって保証され、神学において合理化され、説教壇から説かれてきた、人間と社会と自然を理解するための聖書にもとづく来世志向の枠組みときっぱり手を切ること」(見市雅俊訳『啓蒙主義』岩波書店、2004、104)に置くポーターの理論が、最も適切と考えている。「きっぱり」の度合いには、実際には国情や個人の状況によるグラデーションがある。しかし、例えば、「聖俗革命」を通じて、この時代に思考の枠組みが「神-自然-人間」から「自然-人間」へと転換した。啓蒙主義の特徴を「世俗化」に置くこともしばしば行われる。それは、「千年王国論」のように人間と社会と自然を「聖書にもとづく来世志向の枠組み」によって理解するのではなく、これら各々の領域の独自性を認め、その領域自体が持つ論理を追求し、その領域に見合う独自の言葉を通じて表現するようになったことを意味している。またアメリカの科学史家ハーバーがこの時代に「時間革命」の始点を置いているのは、そこで自然研究が「聖書の啓示」から独立し、しかも聖書的時間の支配が破られ、長大な「時間」のなかで自然の歴史が語られ始めたからであった。

【『科学vs.キリスト教 世界史の転換』岡崎勝世〈おかざき・かつよ〉(講談社現代新書、2013年)】

 世俗化という概念を知ったのは伊藤雅之を読んでからのこと。白いハンカチが少しずつ薄汚れて、しまいには雑巾となるようなイメージで捉えていた。聖俗に清濁を重ねてしまっていたのだ。実は違った。世俗化とは現実への適応なのだ。それは宗教側からすれば妥協を伴う苦い変化なのだが、一人ひとりの価値観を尊重する姿勢でもある。組織論でいえば軍隊こそ理想形であるが社会としては平等性(民主)に軍配が上がる。

 大雑把な西洋史の流れとしてはルネサンス(14-16世紀)~宗教改革(16世紀)~科学革命(17世紀)~啓蒙思想(18世紀)~フランス革命(18世紀)~産業革命(18世紀)と変遷する。魔女狩りをしながらも100年単位で長足の進歩を遂げてきたところにヨーロッパの凄みがある。

 啓蒙とは「蒙(もう)を啓(ひら)く」と読む。啓蒙主義(啓蒙思想)の「蒙(くら)さ」とは聖書絶対主義を意味する。すなわち科学革命を通してバイブルの絶対性に亀裂を入れた精神性であった。天体と地層の観測が聖書の記述とそぐわず、散々こねてきた屁理屈も通らなくなった。古文書は現実の前に敗れた。教会は知的な探究にブレーキをかけることができず妥協の道を選んだ。革命とは権威の失墜によって知性が花開く時代である。

「はじめに神は天と地を創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた」(創世記冒頭、本書より)。フム。現代の常識からすれば「その前に空間があるだろうよ」と批判することはたやすい。これは我々がビッグバン理論を知っているためだ。知は力であり視点を押し上げる。ところがキリスト教と遭遇した日本は神の思想に恐れをなすこともなく実際的な批判をし得た。私の疑問はそれほどの知性を持ちながらも、なにゆえリベラル・アーツや科学革命が起こらなかったのかという一点に尽きる。実用志向が神という視点の高さに追いつけなかったのだろうか?

 普遍史をプロテスタントの立場からニュートン的方法で書き換えたウィリアウム・ウィストン(1667-1752年)は天地創造から1696年までを5705年と計算していた。当時のヨーロッパはシナ文明の古さに苦慮したのが偲(しの)ばれよう。中世の人々にとって終末は遠い未来のことではなく間もなく訪れる瞬間であった。

 ニュートン物理学が普遍史を揺さぶり、18世紀末に登場した考古学が木っ端微塵にした。ニュートンは人類史の中で突出した天才であったが神から自由になることはなかった(ユニテリアン主義だった)。ところが科学の方はニュートン以降、呆気(あっけ)なく神を追い越してしまった。

 科学は普遍史の時間観を変えたわけだが、それでもやはり宗教と科学に共通する最大のテーマは時間である。なぜなら人間は時間的存在であるからだ。

2020-01-17

インディアンは「真の人間」か?/『世界史とヨーロッパ ヘロドトスからウォーラーステインまで』岡崎勝世


『聖書vs.世界史 キリスト教的歴史観とは何か』岡崎勝世

 ・インディアンは「真の人間」か?

・『4日間集中講座 世界史を動かした思想家たちの格闘 ソクラテスからニーチェまで』茂木誠
『科学vs.キリスト教 世界史の転換』岡崎勝世
『世界システム論講義 ヨーロッパと近代世界』川北稔

キリスト教を知るための書籍
世界史の教科書

 他方、「発見」された「人間」について、さっそくヨーロッパで論議が巻き起こりました。それは、新大陸で「発見」されたアメリカのインディオたちが「真の人間」であるか否かといった議論です。これに一つの決着を与えたのが、ローマ教皇パウロ3世でした。かれは1537年の教書で次のように宣言したのです。
〈アメリカ・インディアンも私たちと同様、真の人間である。彼らはカトリックの教えを理解できるだけでなく、またそれを受け容れようと熱望している〉(筆者訳)
 ローマ教皇が断言したようにインディオが「真の人間」、アダムの子孫であるとしても、なお残された問題をめぐって、16世紀ヨーロッパで、普遍史の根幹に関わる二つの論戦が引き起こされています。
 一つは、インディオが「アダム」の子孫だとしても、【直接の祖先】はだれか、【「新大陸」への経路】はなにかという問題に関する論戦でした。(中略)
 もう一つの論戦は、笑ってはすまされない問題を含んでいます。それは、1550年、スペインで行われた【「バリャドリードの論戦」】です。この論戦では、インディオが真の人間であるとしても、いかなる意味で真の人間なのかが公開論争で争われたのです。ヨーロッパ人と全く同様な真の人間と主張したのは、インディオ保護法制定のために闘った、有名なラス・カサスでした。これに反対したのが、セプルベダというアリストテレス学者で、かれはアリストテレスの先天的奴隷論に依拠しながら、かれらを先天的に劣った人間であると主張したのです。

【『世界史とヨーロッパ ヘロドトスからウォーラーステインまで』岡崎勝世〈おかざき・かつよ〉(講談社現代新書、2003年)】

 先ほど読み終えたのだが画像ファイルを調べたところ再読であることを知った。完全に記憶から欠落している。3年前に読んでいた。岡田英弘と岡崎勝世に外れはない。どれを読んでも新しい発見がある。

“インディアンは「真の人間」か?”との問いそのものにヨーロッパの傲慢がある。つまり有色人種が人間かどうかを判断するのはヨーロッパ人なのだ。根はユダヤ教の選民思想にあるのだろう。その思い上がりに唯一抵抗したのが極東の日本であった。

 日本は世界最大の軍事力を背景に鎖国をした(『戦国日本と大航海時代 秀吉・家康・政宗の外交戦略』平川新)。開国後もわずか数十年で産業革命の技術を自家薬籠中(じかやくろうちゅう)のものとした。速やかに文明国になるべく国軍を創設し、義務教育を施行し、憲法を制定した。日清戦争に打って出るとヨーロッパで黄禍論(おうかろん)が唱えられた。「黄色い猿は人間の真似をするな」というわけだ。

 東亜百年戦争で武士は亡んだ。軍事力も奪われた。日本は今も尚国家として独立することを許されていない。“日本は「真の国家」か?”と問われれば、「否」と答える他ない。

2014-08-19

化け物とは理性を欠いた動物/『聖書vs.世界史 キリスト教的歴史観とは何か』岡崎勝世


『魔女狩り』森島恒雄

 ・コロンブスによる「人間」の発見
 ・キリスト紀元の誕生は525年
 ・「レメクはふたりの妻をめとった」
 ・化け物とは理性を欠いた動物

『「私たちの世界」がキリスト教になったとき コンスタンティヌスという男』ポール・ヴェーヌ
『世界史とヨーロッパ』岡崎勝世
『科学vs.キリスト教 世界史の転換』岡崎勝世
『世界システム論講義 ヨーロッパと近代世界』川北稔

キリスト教を知るための書籍
世界史の教科書
必読書リスト その四

 コロンブス以後、16世紀半ばまで、ヨーロッパ人の間で一番問題となったのはインディアンがキリスト教を理解する能力を持っているのか否か、ヨーロッパ人と同じ理性を持った存在であるのか否かという問題であった。
 ここで、先にも紹介した、アウグスティヌスの怪物的存在についての議論を想い起こそう。そこでは、彼は人間を「理性的で死すべき動物」と定義し、怪物の姿をしていようと何であろうと、この定義にあてはまれば、それはアダムとエヴァの子孫であると断言していた。このことは、逆に言えば、人間の姿をしていても、それが「理性的」でないとしたら、それはアダムとエヴァの子孫ではないということになる。

【『聖書vs.世界史 キリスト教的歴史観とは何か』岡崎勝世〈おかざき・かつよ〉(講談社現代新書、1996年)以下同】

 すなわち彼らが認識する理性とは、「神を理解できる能力」を意味する。東アジアの道理とは異なるので注意が必要だ。アウグスティヌス(354-430年)については、ま、アリストテレスに次ぐ思想的巨人と考えてよかろう。で、奴の議論は植民地主義の理念そのものである。大航海時代の1000年も前からこういう人物がいたのだから堪(たま)ったものではない。

 普遍史的な世界では、ヨーロッパ以外の地は、妖怪的な人間、つまりは劣った人間たちの住む世界であり、ヨーロッパ人と同一の人間が住む場所ではなかった。こうした伝統的世界観への執着が、この議論の、もう一つの心理的背景となっていると考えるのである。

 聖書に基づく史観を普遍史というのだが、これに対するキリスト教の反省はなされたのだろうか? ひょっとすると我々ジャップはいまだにイエローモンキーと見られている可能性がある。

 ダグラス・マッカーサーが「科学、美術、宗教、文化などの発展の上からみて、アングロ・サクソン民族が45歳の壮年に達しているとすれば、ドイツ人もそれとほぼ同年齢である。しかし、日本人はまだ生徒の時代で、まだ12歳の少年である」(日本人は「12歳」発言)と述べたことは広く知られるが、彼にとって民主主義の成熟度は日本をキリスト教化することに他ならなかった。あいつは偉大なる宣教師のつもりだったのかもしれない。

 学問的にキリスト教を検証し、普遍史の誤謬を衝くメッセージをアジアから放つべきだろう。