2003-03-19

物静かな語り口から発せられる警鐘の乱打/『9.11 アメリカに報復する資格はない!』ノーム・チョムスキー


 ・物静かな語り口から発せられる警鐘の乱打

『武装解除 紛争屋が見た世界』伊勢崎賢治
『メディア・コントロール 正義なき民主主義と国際社会』ノーム・チョムスキー
『エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ』ジョン・パーキンス
『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン
『アメリカの国家犯罪全書』ウィリアム・ブルム
『アメリカ民主党の崩壊2001-2020』渡辺惣樹
『第三次世界大戦はもう始まっている』エマニュエル・トッド

 読んでから随分と時間が経ってしまったが、今、書かずして後悔することを恐れてキーボードに向かう。

 百数十ページの薄っぺらい文庫本である。だが、その内容の重さは純金にも匹敵するものだ。

 本書は、米国で起きた同時多発テロから1ヶ月後の2001年10月15日にセヴン・ストーリーズ・プレス社という小さな出版社から発行された。日本語版は11月30日に発刊。米国ではテロへの怒りによってもたらされた“国家主義”が大手を振って歩き回っていた頃である。そんな時期に、宣伝もせず、書評欄に取り上げられ ることもなかった本書が、大方の予想を覆して売れ行きを伸ばした。22ヶ国でペーパーバック版となり、その内、5ヶ国ではベストセラーになっている。

 収録されているのは9月19日から10月15日までに行われた各メディアによるチョムスキーへのインタビュー。著名な言語学者であるチョムスキーが淡々とインタビューに答える内容は、米国が世界で行ってきた事実を検証し、テロの根っこをさらけ出し、「目には目を!」と叫ぶ面々の頭に、バケツの水をぶっ掛ける様相を呈している。

 チョムスキーの良心は「エスカレートする暴力の悪循環という世界中でおなじみの力学」を阻止せんとの決意に満ちている。インタビュアーが問い掛ける内容は、マスメディアが世界に発信している情報を拠り所としており、我々が日常、常識と考えているものである。チョムスキーは実に簡潔な言葉で問題の的を射てみせる。彼の言葉によって見つけ出されるのは、己(おの)が思考回路の迷妄に尽きる。以下、引用――

問●アラブ人は、定義上、必然的に原理主義者ですが、西側の新たなる敵でしょうか?

チョムスキー●もちろん違う。まず第一に、ひとかけらでも理性を持った人ならアラブ人を「原理主義者」などとは定義しない。第二に、米国と西側は一般に宗教的な原理主義自体に何ら反対はしていない。事実、米国は世界における、最も過激な宗教的原理主義文化の一つなのだ。国ではなく、大衆文化が。イスラム世界では、タリバンを別にすれば、最も過激な原理主義国家はサウジアラビアである。この国は、建国以来、米国の顧客国家(クライアント)である。タリバンは事実上イスラム教のサウジ版から生まれている。
 よく「原理主義者」と呼ばれる過激なイスラム教徒は、1980年代米国のお気に入りだった。手に入る最高の人殺しだったから。当時、米国の主要な敵はカトリック教会だった。教会は、ラテンアメリカで「貧者の優遇権」(1980年代に中南米で盛んになった解放神学の主張)を採択することによって極悪非道の大罪を犯し、そのおかげでひどい目に遭っていた。西側は敵の選び方において極めて普遍的、世界的である。判定基準は、服従しているか否かであり、権力へ奉仕しているか否かであって、宗教の如何ではない。このことを証明する例はほかにも数多くある。

【『9.11 アメリカに報復する資格はない!』ノーム・チョムスキー:山崎淳訳(文春文庫、2002年)】

「9.11テロに対して、ブッシュ政権は何をすべきか?」との質問にはこう答える――

 もしこの質問について真剣に考えたいのなら、われわれは、世界の大半において米国が、十分な根拠をもって、『テロ国家の親玉』と見なされている事実を認めるべきである。例えば、1986年に米国は国際司法裁判所で『無法な力の使用』(国際テロ)の廉(かど)で有罪を宣告されたうえ、すべての国(すなわち米国)に国際法遵守を求める安全保障理事会の決議に拒否権を発動したことを想起すべきかもしれない。これは無数にある例のうちのたった一つである。

 では以下に本書で取り上げられているいくつかの事実を列挙してみよう――

(1)1980年代のニカラグアは米国による暴力的な攻撃を蒙った。何万という人々が死んだ。国は実質的に破壊され、回復することはもうないかもしれない。この国が受けた被害は、先日ニューヨークで起きた悲劇よりはるかにひどいものだった。彼らはワシントンで爆弾を破裂させることで応えなかった。国際司法裁判所に提訴し、判決は彼らに有利に出た。裁判所は米国に行動を中止し、相当な賠償金を支払うよう命じた。しかし、米国は、判決を侮りとともに斥(しりぞ)け、直ちに攻撃をエスカレートさせることで応じた。そこでニカラグアは安全保障理事会に訴えた。理事会は、すべての国家が国際法を遵守するという決議を検討した。米国一国がそれに拒否権を発動した。ニカラグアは国連総会に訴え、そこでも同様の決議を獲得したが、2年続けて、米国とイスラエルの2国(一度だけエルサルバドルも加わった)が反対した。

(2)1985年、レーガン政権はベイルートで爆弾テロを仕掛けた。イスラム教の聖職者を暗殺することが目的だったが、これに失敗。モスクの外に爆弾トラックを配備し、最大の死傷者が出るようタイミングを計ったため、礼拝を終えて一斉に帰る人々が殺された。死者80名。負傷者250名。(47p)

(3)イスラエルのレバノン侵攻を支持。これが自衛のためでなかったことをイスラエルは直ぐに認めている。レバノンとパレスチナの一般市民18000人が殺される。

(4)1990年代、米国はトルコに対し、南東部に住むクルド人への反乱鎮圧戦争に際し、兵器の80%を供給。何万人も殺し、200〜300万人を家から叩き出し、3500の町や村を破壊し(NATOの爆撃によるコソボの7倍)、想像できる限りの残虐行為を行った。トルコがテロ攻撃を始めた1984年に武器の流れが急に増え、テロがほぼ目標を達成した1999年にやっと元のレベルに戻った。1999年、トルコは米国兵器の主な受取人(イスラエルとエジプトを除く)の地位をコロンビアに譲った。コロンビアは南半球における1990年代の最悪の人権侵害国家であり、一貫したパターンにより、米国の兵器と訓練の主要受取人として群を抜いている。

(5)1998年、ケニアとタンザニアで起こった米大使館爆破事件に関して主犯をオサマ・ビンラディンと特定。スーダンとアフガニスタンを攻撃した。スーダンのアル−シーファ薬品工場を「化学兵器工場」であとして破壊。スーダンは、国連に爆撃の正統性を調査するよう求めたが、それすら米国政府は阻止した。それから1年後の報道によれば、「命を救う薬品(破壊された工場)の生産が途絶え、スーダンの死亡者の数が、静かに上昇を続けている……こうして、何万人もの人々――その多くは子供である――がマラリア、結核、その他の治療可能な病気に罹(かか)り、薬がないため死んだ。[アル−シーファは]人のために、手の届く金額の薬を、家畜のために、スーダンの現地で得られるすべての家畜用の薬を供給していた。スーダンの主要な薬品の90%を生産していた……スーダンに対する制裁措置のため、工場の破壊によって生じた深刻な穴を埋めるのに必要なだけの薬品を輸入することができない……1998年8月20日、米国政府が取った作戦行動はいまだにスーダンの人々から必要な医薬品を奪い続けている」(ジョナサン・ベルケ『ボストン・グローブ』1999年8月22日号)

 イドリス・エルタイエブ博士は、スーダンの一握りの薬学者の一人でアル−シーファの会長だ。「あの犯罪は」と博士は言う。
「ツイン・タワーのテロと等しいテロ行為である――ただ一つ違うのは、やったのは誰かわれわれが知っていることだ。私は[ニューヨークとワシントンで]人命が失われたことをとても悲しく感じる。しかし、数という点で言うなら、また、貧しい国に負わされた相対的なコストの大きさで言うなら、〔スーダンの爆撃の方が〕ひどい」

 ミサイル攻撃の直前に、スーダンは大使館を爆破した容疑者2名を拘束。米国政府に通報したが、米国はこの協力の申し出を拒否。スーダン側はこれに怒って容疑者を釈放。この中には、「オサマ・ビンラディンとそのアル−カイダ・テロリスト・ネットワークの主要メンバー200人以上に関する今日までの大量のデータベースが入っていた。また、「ファイルには、ビンラディンの幹部たち多くの者の写真や詳しい経歴や、地球上の多くの場所にあるアル−カイダの財政的関係機関の重要な情報が入っていた」。

 驚愕の事実が我々に教えてくれるのは、米国が国益という名の下(もと)に多くの罪無き人々を殺戮(さつりく)していることだ。マスメディアによってもたらされる情報は良識ある市民をつんぼ桟敷へ追いやろうとしている。

 事実を淡々と述べるチョムスキーの姿に骨太の知性を垣間見る。感情的な嫌米主義とは全く質を異にしている。もっと言えば、チョムスキーのメッセージを支えているのは純然たる愛国心かも知れない。

 チョムスキーによって、米国が真に自由の国であることを知る。米国によるイラク攻撃の戦端が開かれようとしている今、本書の価値が一層高まることは間違いない。



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