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2020-02-10

ことばを回復して行く過程のなかに失語の体験がある/『石原吉郎詩文集』石原吉郎


『「疑惑」は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私』河野義行
『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子
『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子
『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たち』ジュリアス・シーガル
『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』ヴィクトール・E・フランクル:霜山徳爾訳
『それでも人生にイエスと言う』ヴィクトール・E・フランクル
『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ
『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編

 ・究極のペシミスト・鹿野武一
 ・詩は、「書くまい」とする衝動なのだ
 ・ことばを回復して行く過程のなかに失語の体験がある
 ・「棒をのんだ話 Vot tak!(そんなことだと思った)」
 ・ナット・ターナーと鹿野武一の共通点
 ・言葉を紡ぐ力
 ・「もしもあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない」

『望郷と海』石原吉郎
『海を流れる河』石原吉郎
『シベリア抑留とは何だったのか 詩人・石原吉郎のみちのり』畑谷史代
『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』多田茂治
『シベリア抑留 日本人はどんな目に遭ったのか』長勢了治
『失語と断念 石原吉郎論』内村剛介

必読書リスト その二

 自覚された状態としての失語は、新しい日常のなかで、ながい時間をかけてことばを回復して行く過程で、はじめて体験としての失語というかたちではじまります。失語そのもののなかに、失語の体験がなく、ことばを回復して行く過程のなかに、はじめて失語の体験があるということは、非常に重要なことだと思います。「ああ、自分はあのとき、ほんとうにことばをうしなったのだ」という認識は、ことばが取りもどされなければ、ついに起こらないからです。

【『石原吉郎詩文集』石原吉郎〈いしはら・よしろう〉(講談社文芸文庫、2005年)】

 言葉を取り戻さなければ失語の体験を語ることができない。人は語り得ることを失った時、言葉を失うのだろう。凍てつく大地で強制労働をさせられ、目の前で同胞が虫けら同然に殺されてゆく。しかも祖国は手を差し伸べてはくれない。更に周囲は社会主義の洗脳で赤く染まってゆく。語るべき言葉を失い、沈黙の中で死んでいった人々もまた多かったことだろう。その壮絶を思え。日本政府は北朝鮮による拉致事件でも同じことを繰り返した。この国には命を捨てて守るほどの価値はないかもしれない。

詩は、「書くまい」とする衝動なのだ/『石原吉郎詩文集』石原吉郎


『「疑惑」は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私』河野義行
『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子
『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子
『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たち』ジュリアス・シーガル
『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』ヴィクトール・E・フランクル:霜山徳爾訳
『それでも人生にイエスと言う』ヴィクトール・E・フランクル
『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ
『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編

 ・究極のペシミスト・鹿野武一
 ・詩は、「書くまい」とする衝動なのだ
 ・ことばを回復して行く過程のなかに失語の体験がある
 ・「棒をのんだ話 Vot tak!(そんなことだと思った)」
 ・ナット・ターナーと鹿野武一の共通点
 ・言葉を紡ぐ力
 ・「もしもあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない」

『望郷と海』石原吉郎
『海を流れる河』石原吉郎
『シベリア抑留とは何だったのか 詩人・石原吉郎のみちのり』畑谷史代
『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』多田茂治
『シベリア抑留 日本人はどんな目に遭ったのか』長勢了治
『失語と断念 石原吉郎論』内村剛介

必読書リスト その二

 ただ私には、私なりの答えがある。詩は、「書くまい」とする衝動なのだと。このいいかたは唐突であるかもしれない。だが、この衝動が私を駆って、詩におもむかせたことは事実である。詩における言葉はいわば沈黙を語るためのことば、「沈黙するための」ことばであるといっていい。もっとも耐えがたいものを語ろうとする衝動が、このような不幸な機能を、ことばに課したと考えることができる。いわば失語の一歩手前でふみとどまろうとする意志が、詩の全体をささえるのである。(「詩の定義」)

【『石原吉郎詩文集』石原吉郎〈いしはら・よしろう〉(講談社文芸文庫、2005年)】

 これは決して「気取った文章」ではない。戦後、シベリアのラーゲリに抑留された石原にとって「言葉を語る」ことは、そのまま実存にかかわることもあった。言葉にした途端、事実は色褪せ、風化してゆく。時間の経過と共に自分の経験ですら解釈が変わってゆく。物語は単純化され、デフォルメされ、そして変質する。

 石原は「語るべき言葉」を持たなかった。シベリアで抑留された人々は、「国家から見捨てられた人々」であった。ロシアでも人間扱いをされなかった。すなわち「否定された存在」であった。

 消え入るような点と化した人間が、再び人間性を取り戻すためには、どうしても「言葉」が必要となる。石原吉郎は詩を選んだ、否、詩に飛び掛かったのだ。沈黙は行間に、文字と文字との間に横たわっている。怨嗟(えんさ)と絶望、憎悪と怒り、そしてシベリアを吹き渡る風のような悲しみ……。無量の思いは混濁(こんだく)しながらも透明感を湛(たた)えている。

 帰国後、鹿野武一(かの・ぶいち)を喪った時点で、石原は過去に釘づけとなった。シベリアに錨(いかり)を下ろした人生を生きる羽目となった。石原は亡霊と化した。彼を辛うじてこの世につなぎ止めていたのは、「言葉」だけであった。


「書く」行為に救われる/『往復書簡 いのちへの対話 露の身ながら』多田富雄、柳澤桂子

2018-06-06

「もしもあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない」/『石原吉郎詩文集』石原吉郎


『「疑惑」は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私』河野義行
『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子
『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子
『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たち』ジュリアス・シーガル
『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』ヴィクトール・E・フランクル:霜山徳爾訳
『それでも人生にイエスと言う』ヴィクトール・E・フランクル
『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ
『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編

 ・究極のペシミスト・鹿野武一
 ・詩は、「書くまい」とする衝動なのだ
 ・ことばを回復して行く過程のなかに失語の体験がある
 ・「棒をのんだ話 Vot tak!(そんなことだと思った)」
 ・ナット・ターナーと鹿野武一の共通点
 ・言葉を紡ぐ力
 ・「もしもあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない」

『望郷と海』石原吉郎
『海を流れる河』石原吉郎
『シベリア抑留とは何だったのか 詩人・石原吉郎のみちのり』畑谷史代
『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』多田茂治
『シベリア抑留 日本人はどんな目に遭ったのか』長勢了治
『失語と断念 石原吉郎論』内村剛介

必読書リスト その二

 鹿野の絶食さわぎは、これで一応おちついたが、収容所側は当然これを一種のレジスタンスとみて、執拗な追求を始めた。鹿野は毎晩のように取調室へ呼び出され、おそくなってバラックに帰って来た。取調べに当たったのは施(シェ)という中国人の上級保安中尉で、自分の功績しか念頭にない男であったため、鹿野の答弁は、はじめから訊問と行きちがった。根まけした施は、さいごに態度を変えて「人間的に話そう」と切り出した。このような場面でさいごに切り出される「人間的に」というロシア語は、囚人しか知らない特殊なニュアンスをもっている。それは「これ以上追求しないから、そのかわりわれわれに協力してくれ」という意味である。〈協力〉とはいうまでもなく、受刑者の動静にかんする情報の提供である。
 鹿野はこれにたいして「もしもあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない。」と答えている。取調べが終ったあとで、彼はこの言葉をロシヤ(ママ)文法の例題でも暗誦するように、無表情に私にくりかえした。
 その時の鹿野にとって、おそらくこの言葉は挑発でも、抗議でもなく、ただありのままの事実の承認であっただろう。だが、こうした立場でこのような発言をすることの不利は、鹿野自身よく知っていたはずである。私はまたしてもここで、ペシミストの明晰な目に出会うのである。私には、そのときの鹿野の表情がはっきり想像できる。そのときの彼の表情に、おそらく敵意や怒りの色はなかったのであろう。むしろこのような撞着した立場に立つことへの深い悲しみだけがあったはずである。真実というものは、つねにそのような表情でしか語られないのであり、そのような表情だけが信ずるに値するのである。まして、よろこばしい表情で語られる真実というものはない。
 施は当然激怒したが、それ以上どうするわけにも行かず、取調べは打切られた。爾後、鹿野は要注意人物として、執拗な監視のもとにおかれたが、彼自身は、ほとんど意に介する様子はなかった。
 私が知るかぎりのすべての過程を通じ、彼はついに〈告発〉の言葉を語らなかった。彼の一切の思考と行動の根源には、苛烈で圧倒的な沈黙があった。それは声となることによって、そののっぴきならない真実が一挙にうしなわれ、告発となって顕在化することによって、告発の主体そのものが崩壊してしまうような、根源的な沈黙である。強制収容所とは、そのような沈黙を圧倒的に人間に強いる場所である。そして彼は、一切の告発を峻拒したままの姿勢で立ちつづけることによって、さいごに一つ残された〈空席〉を告発したのだと私は考える。告発が告発であることの不毛性から究極的に脱出するのは、ただこの〈空席〉の告発にかかっている。

【『石原吉郎詩文集』石原吉郎〈いしはら・よしろう〉(講談社文芸文庫、2005年)】

「もしもあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない」――強靭な精神が発した言葉は強烈に私の魂を打った。極寒と飢えに苛(さいな)まれる最果ての地で、抑留された日本人は涙も凍りつき、感情を喪い、抵抗する意志を奪われた。そんな中にあって鹿野武一〈かの・ぶいち〉はただ独り闘った。彼はソビエト当局に反抗したわけではない。ただ必死に自分の人生を生きようと試み、そして生きた。

 本テキストの直前の文章は「ナット・ターナーと鹿野武一の共通点」で紹介している。竹山道雄を読んでから今まで見えなかったものが見えるようになった。

 私はシベリア抑留に関してそれほど読んできたわけではない。ただ抑留者であった石原吉郎、香月泰男〈かづき・やすお〉、内村剛介の三者三様の態度にすっきりしないものを感じていた。香月は「とにかく一切の指導者、命令する人間という者を信用しない。だから組織というものも右から左までひっくるめて一切信用しない」(『シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界』立花隆)と叫んだ。内村は石原の沈黙を批判した。内村が左翼であるかどうは知らないが、左翼的思考の持ち主であることは確かだろう。佐藤優が推(お)しているので読む必要はないと判断する(内村剛介著『科学の果ての宗教』)。

 多田茂治は「『戦利品』の一つとして、日本人捕虜のシベリヤ強制労働の道は開かれていた」(『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』)と書いているが、敗戦国の罪を論(あげつら)うことによってソ連の罪を相対化する愚を犯している。

 沈黙の裏側には間違いなく国家不信があったことだろう。北朝鮮による拉致被害者の心情を推し量ることができる。また抑留者が全く語らぬ一つの事実がある。それはソ連当局による洗脳だ。抑留者であった瀬島龍三はソ連のスパイだったという説がある(『インテリジェンスのない国家は亡びる 国家中央情報局を設置せよ!』佐々淳行)。彼らは二重の意味で国家に不信を抱いたことだろう。祖国にも敵国にも。

 本当の哀しみは深い穴の底に溜まった水のようなもので決して言葉にし得ない。その水を他人が汲(く)み上げることはできない。「絶望という名の悟り」とでも名づける他ない境地である。

 鹿野武一〈かの・ぶいち〉は指導者でもなければ英雄でもなかった。彼は単独者であった。

2016-05-16

美しい言葉/『塔和子 いのちと愛の詩集』塔和子


 ・「浦島記」
 ・美しい言葉

 どんな所に置かれても光る言葉を
 首にかけて置きたい

 何時までたっても色あせない言葉を
 目の底にやきつけて置きたい
 長い長い時間の歴史の上で
 美しい風化を遂げた言葉の清潔さを
 耳に飾って置きたい(「墓」)

【『塔和子 いのちと愛の詩集』塔和子〈とう・かずこ〉(角川学芸出版、2007年)】

「何気に」とか「ムカつく」とか「――じゃね?」などという言葉を聞くと殺意を覚える。公私の区別がつかない愚かさと、美意識のかけらもない浅薄さが露呈する。汚い言葉は、粗雑な心、汚れた心から生まれる。

 低俗なテレビタレントの影響もあるのだろう。特に芸人を自認するお笑いタレントの言葉遣いが酷い。


 上京して直ぐに気づいたのは中年女性が口にする女言葉であった。「そうよ」「――だわ」という響きが耳に心地よかった。私が生まれた北海道では性差を強調するような言葉遣いはない。今きちんとした言葉で話すのはオカマだけのような気がする(笑)。彼女たちの会話には敬語や丁寧語がふんだんに盛り込まれている。

 世の乱れは言葉の乱れとなって水面に現れる。そして言葉の乱れは思想の乱れとなり、モラルを崩壊させる。

 ブッダが最初に説いたのは八正道であった。その中に正語(しょうご)がある。「妄語(嘘)を離れ、綺語(無駄話)を離れ、両舌(仲違いさせる言葉)を離れ、悪口(粗暴な言葉)を離れることである」(Wikipedia)。また四摂法(ししょうぼう)には愛語とある。慈愛に満ちた言葉・優しい言葉との意である。

 容姿を変えることは難しい。が、生き方を変えることは常に可能だ。醜い心を変えることは難しい。が、美しい言葉を心掛けることは誰もができる。

塔和子 いのちと愛の詩集

2015-04-16

女子高生の清冽な言葉/『適切な世界の適切ならざる私』文月悠光


(にらみつけた先は、けして暮れることのない夕空。“夜闇が口を開く間際”、そんな張り詰めた一瞬を焼きつけたまま、時間を止めているこの“世界”。
今こそ疾駆せよ!
夕日を踏みつけ、
夜をむかえに走ろう。
オレンジ色に染まりながら、爪を立てて生きてみたい。〈後略〉

【『適切な世界の適切ならざる私』文月悠光〈ふづき・ゆみ〉(思潮社、2009年)】

 行頭もママ。文月は17歳で現代詩手帖賞を、本書で18歳の時に中原中也賞を受賞した。いずれも最年少記録である。女子高生の小気味いい言葉が水鉄砲のように私を撃つ。そして意外な温度の低さに冷やりとさせられる。

 ただし中年オヤジからすれば、やはり「けして」などという言葉づかいに眉をひそめてしまうし、ペンネームも仰々しさが目立つ。

生きる意味は
どこに落ちているんだろう。
きれいに死ねる自信を
誰が持っているんだろう。
自分は風にのって流れていく木の葉か、
でなければ、あんたが今
くつの裏でかわいがった吸い殻ではないのか。
存在なんてものにこだわっていたら、
落ちていくよ。
『どこへ?』
橋の下さ。

 社会に染まってしまえば言葉は死ぬ。反骨精神を欠いた若者は生ける屍(しかばね)も同然だ。文月は札幌出身である。同郷の誼(よしみ)で応援せざるを得ない(笑)。

 尚、本書についてはブログ「詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)」に秀逸なレビューがあるのでそちらを参照せよ。

文月悠光『適切な世界の適切ならざる私』

適切な世界の適切ならざる私

2015-01-02

鏡餅は正月の花/『季語百話 花をひろう』高橋睦郎


 ・鏡餅は正月の花
 ・奇妙な中国礼賛

 花に飾りの意味があるとすれば、正月の花の代表は鏡餅ではあるまいか。玄関の間、または屋内の最も大切な場所に、裏白(うらじろ)、楪(ゆずりは)を敷き、葉付蜜柑(はつきみかん)を戴(いただ)いて鎮座まします。一説に鏡餅のモチは望月のモチともいう。そして色は雪白(ゆきしろ)。ということは、一つに月・雪・花を兼ねていることになる。これを花の中の花といわず、何といおう。

【『季語百話 花をひろう』高橋睦郎〈たかはし・むつお〉(中公新書、2011年)以下同】

 上古は餅鏡(もちいかがみ)と呼んだらしい。鏡は銅製神鏡を擬したものと高橋は推測する。


 世界は瞳に映っている。そこに欠けた己(おのれ)の姿を浮かべるのが鏡である。ひょっとすると神仏に供(そな)える水にも鏡の役割があったのかもしれない。

 鏡は太陽を映すことから神体とされた。いにしえの人々がそこに神の視線を感じたことは決しておかしなことではない。視覚世界を構成するのは可視光線の反射であるからだ。光があるから世界は「見えるもの」として現前する。

 鏡餅に神を映し、自分を映し、改まった気持ちで元旦を迎える。改(あらた)が新(あらた)に通じる。





計篇/『新訂 孫子』金谷治訳注

 そんな鏡餅を「花」と見立てたところに興趣が香る。穏やかな気候に恵まれた日本は自然を生活に取り込み、共生してきた。その日本人が惜しげもなく自然を破壊していることに著者は警鐘を鳴らす。

 季語は私たちが日本人であること、いや人間であること、生物の一員であることの、最後の砦(とりで)であるかもしれない。

 都会だと四季の変化も乏しい。花は売り物だし、落ち葉はゴミとして扱われる。スーパーへ行けば季節外れの野菜や果物も売られている。そして風が匂わない。自然から学んできた智慧が失われれば、不自然な生き方しかできなくなる。

 高橋に倣(なら)えば季節の風習の最後の砦は正月とお盆だろう。クリマスなんぞは一過性のイベントにすぎない。一月睦月(むつき)の由来は親族一同が集って宴をする「睦(むつ)び月」とされる。仲睦(むつ)まじく楽しみ合う場所から社会は成り立つのだろう。

 そういう意味から申せばインターネットは修羅場に近い。仲のよい人々同士が集う場に棲み分けするのが望ましい。というわけで、本年も宜しくお願い申し上げます。

2014-10-02

ジェノサイドの恐ろしさ/『望郷と海』石原吉郎


 ・目次
 ・ジェノサイドの恐ろしさ

『海を流れる河』石原吉郎
『石原吉郎詩文集』石原吉郎
『シベリア抑留とは何だったのか 詩人・石原吉郎のみちのり』畑谷史代
『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』多田茂治
『失語と断念 石原吉郎論』内村剛介
『シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界』立花隆

 確認されない死のなかで
   ――強制収容所における一人の死

百万人の死は悲劇だが
百万人の死は統計だ。
アイヒマン

 ジェノサイド(大量殺戮)という言葉は、私にはついに理解できない言葉である。ただ、この言葉のおそろしさだけは実感できる。ジェノサイドのおそろしさは、一時に大量の人間が殺戮されることにあるのではない。そのなかに、【ひとりひとりの死】がないということが、私にはおそろしいのだ。人間が被害において自立できず、ただ集団であるにすぎないときは、その死においても自立することなく集団のままであるだろう。死においてただ数であるとき、それは絶望そのものである。人は死において、ひとりひとりその名を呼ばれなければならないものなのだ。

【『望郷と海』石原吉郎:岡真理解説(筑摩書房、1972年/ちくま学芸文庫、1997年/みすず書房、2012年)】

『望郷と海』が復刊された。みすず書房は最初から売れないものと決め込んだのだろう。3240円は高い。重複した内容が多いので『石原吉郎詩文集』の方がオススメできる。

 本書を「日本版 夜と霧」と評する向きもあるようだが的外れだ。石原吉郎は日本版プリーモ・レーヴィであり、本書は「日本版 アウシュヴィッツは終わらない」というべきだろう(『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ)。石原は長く生きたが、その末期(まつご)まで酷似している。

 強制収容所は労働を強制する場所だ。働けなくなればその場で殺されることも珍しくはない。石原自身何度も目の当たりにしてきた。彼らは単なる労働力であって人間と見なされることがない。石炭や石油と同じくエネルギーに例えることも可能だろう。

 石原が抱いた恐怖は存在に関わるものだ。まずシベリア抑留という国家から見捨てられた立場があり、次にいつ殺されるかわからない情況がある。つまり彼らは二重に否定された存在なのだ。

 人は尊厳を奪われるとただの動物と化す。石原は帰国後、失語症となり実際に言葉まで失った。

 血で書かれた言葉は石に彫(ほ)られた文字のように重い。その目方に耐えることのできる下半身の力が読み手に求められる。そんな本だ。

望郷と海 (始まりの本)
石原 吉郎
みすず書房
売り上げランキング: 182,218

2014-05-01

「浦島記」/『塔和子 いのちと愛の詩集』塔和子


 ・「浦島記」
 ・美しい言葉

「浦島記」と題した随筆から紹介しよう。

 私が島の療養所に入園したのは、昭和18年の6月、だから今日まで、およそ15年の島暮らしを続けている訳である。私達入園者の仲間がよく使う言葉の一つに、社会という言葉がある。それはもちろん私達の生活している島も社会の中の一角であることには間違いないのであるが、私達がその言葉を使うとき、私達はいつも活き活きと活動している島の向こうの世界と、消費面だけの生活を続けている療養所という異形の島を、厳然と、或いは、自嘲的に区別しているものである。この島に(ママ)療養を続けている誰でもがそうであるように、私は社会に憧憬と郷愁をもっている。その私が、一度だけその現実の対象である、社会の対岸の街の土を踏むことに望みをかけた美しくもかなしい願いが実現したことがある。
 それは5年程前の或る晴れた日、園内作業をしていたとき、同じ作業をしていた友達が作用の縫物をしながら、「いっぺん社会へ出てみたいな!」と言った。独言のようでもあったが、傍にいた私は大いに賛同した。それで日頃の悲願をその友に話したのである。ところが話はそれからとんとん拍子にその希望に対(むか)って進行し、遂に実現のはこびとなった。もちろんそれまでには、ややこしい手続や多少の嘘をまじえた理由を作らなければならなかったのであるが。

【『塔和子 いのちと愛の詩集』塔和子〈とう・かずこ〉(角川学芸出版、2007年)以下同】

「島の療養所」でピンときた人もいるだろう。塔和子はハンセン病患者であった。「13歳でハンセン病を発病、14歳で小さな島の療養所に隔離された苛酷な現実も、塔和子の豊かな命の泉を涸らすことはできなかった」と表紙見返しにある。言葉がやわらかい。だが、生を見据える眼差しには厳格さが光っている。

「いっぺん社会へ出てみたいな!」――印刷された文字が涙で歪んだ。彼女たちを島に隔離したのは「らい予防法」であった。

ハンセン病の歴史
日本のハンセン病問題

 ハンセン病は姿形を損なうことから人々に忌み嫌われ、永きにわたり強い伝染力があると誤解されてきた。

てっちゃん: ハンセン病に感謝した詩人

 彼らは「同じ人間」として扱われることがなかった。無知に基づく差別は今なお根強い。

「いっぺん社会へ出てみたいな!」という言葉に恨みは感じられない。むしろその明るさが彼女たちを島へ追いやった社会の残酷さを炙(あぶ)り出すのだ。

 一軒の呉服店の前に立ち止まった友達は「あんた此処で何か買うて行けへんかな」と言った。私はそのとき初めて自分が自由に品物を選んで買い物の出来ることに気付き、優越感に似た感動を覚えた。

 彼女の心の動き一つひとつを通して、我々がハンセン病の人々から何を奪ったかを知ることができる。

痛み

 世界の中の一人だったことと
 世界の中で一人だったこととのちがいは
 地球の重さほどのちがいだった

 投げ出したことと
 投げ出されたこととは
 生と死ほどのちがいだった

 捨てたことと
 捨てられたことは
 出会いと別れほどのちがいだった

 創ったことと
 創られたことは
 人間と人形ほどのちがいだった

 燃えることと
 燃えないことは
 夏と冬ほどのちがいだった

 見つめている
 誰にも見つめられていない太陽
 がらんどうを背景に

 私は一本の燃えることのない木を
 燃やそうとしている

 ハンセン病の人々は親の葬式も知らされなかった。それでも塔和子は、凍てついた生命の木を言葉の焔(ほのお)で燃やし続ける。

塔和子 いのちと愛の詩集

2012-08-13

俵万智~子を連れて西へ逃げる母を歌う



子を連れて西へ西へと逃げて行く…俵万智さんの歌と母の愛に感動

2012-04-14

言葉を紡ぐ力/『石原吉郎詩文集』石原吉郎


『「疑惑」は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私』河野義行
『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子
『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子
『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たち』ジュリアス・シーガル
『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』ヴィクトール・E・フランクル:霜山徳爾訳
『それでも人生にイエスと言う』ヴィクトール・E・フランクル
『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ
『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編

 ・究極のペシミスト・鹿野武一
 ・詩は、「書くまい」とする衝動なのだ
 ・ことばを回復して行く過程のなかに失語の体験がある
 ・「棒をのんだ話 Vot tak!(そんなことだと思った)」
 ・ナット・ターナーと鹿野武一の共通点
 ・言葉を紡ぐ力
 ・「もしもあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない」

『望郷と海』石原吉郎
『海を流れる河』石原吉郎
『シベリア抑留とは何だったのか 詩人・石原吉郎のみちのり』畑谷史代
『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』多田茂治
『シベリア抑留 日本人はどんな目に遭ったのか』長勢了治
『失語と断念 石原吉郎論』内村剛介

必読書リスト その二

 以前から読んでいるブログが中断を経て再開された。

詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

 名前は〈やち・しゅうそ〉と読む。息の長いブログである。読むたびに「言葉のマッサージ」を受けているような気分になる。あるいは「言葉のリハビリテーション」と言ってもよい。ヒラリヒラリと舞う言葉が、直情径行型の私に変化を及ぼす。

 ふと詩を読みたくなった。そうだ、石原吉郎に会いにゆこう。

 しずかな肩には
 声だけがならぶのでない
 声よりも近く
 敵がならぶのだ
 勇敢な男たちが目指す位置は
 その右でも おそらく
 そのひだりでもない
 無防備の空がついに撓(たわ)み
 正午の弓となる位置で
 君は呼吸し
 かつ挨拶せよ
 君の位置からの それが
 最もすぐれた姿勢である(「位置」)

【詩集〈サンチョ・パンサの帰郷〉より/『石原吉郎詩文集』石原吉郎〈いしはら・よしろう〉(講談社文芸文庫、2005年)以下同】

 はっきり言ってしまえば意味はよくわからない。それでも構わないだろう。人間は外国語の歌にも感動することができる動物なのだから。

 空間の歪みと時間の頂点というコントラストが既成概念を揺さぶる。石原にとってシベリア抑留は歪んだ空間であったことだろう。しかし「歪んだ時間」ではなかったはずだ。なぜなら彼はシベリアで鹿野武一〈かの・ぶいち〉と出会ったからだ。

 石原自身は真面目で平凡な人物であったと思われる。その彼に「言葉を紡(つむ)ぐ力」を与えたのが鹿野であった。

 石原は言葉を失いかけた。否、失ったのかもしれない。

 人は大なり小なり国家に依存している。それは考えるまでもない事実である。国家のために命を賭して戦地へ赴き、挙げ句の果てに国家から見捨てられる。シベリアで抑留された人々はかような状態に置かれた。自分の生死をも不問に付された時、存在は透明化し抹消されたに等しい。

 人間は相手(=観測者)がいなければ言葉を発することすらできないのだ。

 さびしいと いま
 いったろう ひげだらけの
 その土塀にぴったり
 おしつけたその背の
 その すぐうしろで
 さびしいと いま
 いったろう
 そこだけが けものの
 腹のようにあたたかく
 手ばなしの影ばかりが
 せつなくおりかさなって
 いるあたりで
 背なかあわせの 奇妙な
 にくしみのあいだで
 たしかに さびしいと
 いったやつがいて
 たしかに それを
 聞いたやつがいあるのだ
 いった口と
 聞いた耳とのあいだで
 おもいもかけぬ
 蓋がもちあがり
 冗談のように あつい湯が
 ふきこぼれる
 あわててとびのくのは
 土塀や おれの勝手だが
 たしかに さびしいと
 いったやつがいて
 たしかに それを
 聞いたやつがいる以上
 あのしいの木も
 とちの木も
 日ぐれもみずうみも
 そっくりおれのものだ(「さびしいと いま」)

 慎ましい言葉の端々(はしばし)から、存在への憧憬(どうけい)が狂おしいまでに溢(あふ)れ出る。強制された孤独が完膚なきまでに自我を打ちのめす。変わらぬ自然の光景を「おれのものだ」と言わずにはいられない、その「さびしさ」を思う。

 憎むとは 待つことだ
 きりきりと音のするまで
 待ちつくすことだ
 いちにちの霧と
 いちにちの雨ののち
 おれはわらい出す
 たおれる壁のように
 億千のなかの
 ひとつの車輪をひき据えて
 おれはわらい出す
 たおれる馬のように
 ひとつの生涯のように
 ひとりの証人を待ちつくして
 憎むとは
 ついに怒りに到らぬことだ(「待つ」)

 腐敗でも発酵でもない。憎悪の純化だ。石原は憎しみを保ち続けることで、鹿野の死や時の経過と戦ったのだろう。忘却を拒む者の覚悟が屹立(きつりつ)している。

 世界がほろびる日に
 かぜをひくな
 ビールスに気をつけろ
 ベランダに
 ふとんを干しておけ
 ガスの元栓を忘れるな
 電気釜は
 八時に仕掛けておけ(「世界がほろびる日に」)

 ゲオルギウの言葉と一緒だ。

自分は今日リンゴの木を植える

 いつものように、そして今までどおりに生きる。淡々と平凡を貫ける人は偉大だ。

 生の意味を探し回ることは空虚だ。人生を改造するような真似も見苦しい。ただ生きる。川の水が流れるように。そんな生き方を私は望む。


私を変えた本

2012-01-06

うその中にうそを探すな  ほんとの中にうそを探せ


「うそとほんと」谷川俊太郎

 うそはほんとによく似てる
 ほんとはうそによく似てる
 うそとほんとは
 双生児

 うそはほんととよくまざる
 ほんとはうそとよくまざる
 うそとほんとは
 化合物

 うその中にうそを探すな
 ほんとの中にうそを探せ

 ほんとの中にほんとを探すな
 うその中にほんとを探せ

【『谷川俊太郎詩集』谷川俊太郎:ねじめ正一編・解説、中島みゆきエッセイ(ハルキ文庫、1998年)/初出は朝日新聞社、1964年『落首九十九』と思われる】

谷川俊太郎詩集 (ハルキ文庫)
谷川 俊太郎 中島 みゆき
角川春樹事務所
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真実を真実と知り、真実でないものを真実でないと見る
神秘時代のクリシュナムルティ/『大師のみ足のもとに/道の光』J・クリシュナムルティ、メイベル・コリンズ

2011-10-04

人は後ろ向きに未来へ入っていく


 湖に浮かべたボートをこぐように、
 人は後ろ向きに未来へ入っていく。
 目に映るのは過去の風景ばかり。
 明日の景色は誰も知らない。(ポール・ヴァレリー)

【『読売新聞朝刊一面コラム「編集手帳」 第11集』竹内政明(中公新書ラクレ、2007年)】

読売新聞朝刊一面コラム「編集手帳」〈第11集〉 (中公新書ラクレ)
竹内 政明
中央公論新社
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2011-08-22

古代ギリシャでは詩作が学問の原点だった


 古代ギリシャでは、人間にとって大切と思われた知識は、もとはすべて詩の中に盛り込まれ、詩人たちによって記憶された。さまざまな学問は、詩から次第に分化して、独立していったものである。
 詩作は、学問の原点だった。

【『面白いほどよくわかるギリシャ神話 天地創造からヘラクレスまで、壮大な神話世界のすべて』吉田敦彦(日本文芸社、2005年)】

面白いほどよくわかるギリシャ神話―天地創造からヘラクレスまで、壮大な神話世界のすべて (学校で教えない教科書)

2011-07-27

人間なんていやしなかった


定年

 ある日
 会社がいった。
「あしたからこなくていいよ」

 人間は黙っていた。
 人間には人間のことばしかなかったから。

 会社の耳には
 会社のことばしか通じなかったから。

 人間はつぶやいた。
「そんなこといって!
 もう四十年も働いて来たんですよ」

 人間の耳は
 会社のことばをよく聞き分けてきたから。
 会社が次にいうことばを知っていたから。

「あきらめるしかないな」
 人間はボソボソつぶやいた。

 たしかに
 はいった時から
 相手は会社、だった。
 人間なんていやしなかった。

【『石垣りん詩集』石垣りん(ハルキ文庫、1998年)】

石垣りん詩集 (ハルキ文庫)

2011-07-06

サラダ記念日


「この味がいいね」と君が言ったから 七月六日はサラダ記念日

【『サラダ記念日』俵万智(河出書房新社、1987年/河出文庫、1989年)】

人生という名の番組、私という受信機/『脳のなかの幽霊』V・S・ラマチャンドラン

サラダ記念日 (河出文庫―BUNGEI Collection)

2009-07-30

究極のペシミスト・鹿野武一/『石原吉郎詩文集』〜「ペシミストの勇気について」


『「疑惑」は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私』河野義行
『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子
『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子
『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たち』ジュリアス・シーガル
『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』ヴィクトール・E・フランクル:霜山徳爾訳
『それでも人生にイエスと言う』ヴィクトール・E・フランクル
『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ
『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編

 ・究極のペシミスト・鹿野武一
 ・詩は、「書くまい」とする衝動なのだ
 ・ことばを回復して行く過程のなかに失語の体験がある
 ・「棒をのんだ話 Vot tak!(そんなことだと思った)」
 ・ナット・ターナーと鹿野武一の共通点
 ・言葉を紡ぐ力
 ・「もしもあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない」

『望郷と海』石原吉郎
『海を流れる河』石原吉郎
『シベリア抑留とは何だったのか 詩人・石原吉郎のみちのり』畑谷史代
『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』多田茂治
『シベリア抑留 日本人はどんな目に遭ったのか』長勢了治
『失語と断念 石原吉郎論』内村剛介

必読書リスト その二

 石原吉郎〈いしはら・よしろう、1915-1977〉の詩・散文・日記が収録されている。岡真理著『アラブ、祈りとしての文学』(みすず書房、2008年)で「望郷と海」が紹介されていて、そこから辿り着いた一冊。

 シベリア抑留版『夜と霧』(V・E・フランクル)、あるいは『溺れるものと救われるもの』(プリーモ・レーヴィ)といっていいだろう。極限状況からの生還者は、生還後の思索によって再び極限状況を生きることになる。彼等にとっての現実は、極限状況の中にしか存在しない。彼等は常に、迫り来る死を自覚しながら生にしがみついた過去へと否応なく引き戻される。山男にとっての現実は山頂にしか存在しない。それと同様に彼等は極限状況を志向する。

 人間は追い詰められると“卑小な存在”と化す――

 入ソ直後の混乱と、受刑直後のバム地帯でのもっとも困難な状況という、ほぼ2回の淘汰の時期を経て、まがりなりにも生きのびた私たちは、年齢と性格によって多少の差はあれ、人間としては完全に「均らされた」状態にあった。私たちはほとんどおなじようなかたちで周囲に反応し、ほとんど同じ発想で行動した。私たちの言動は、シニカルで粗暴な点でおそろしく似かよっていたが、それは徹底した人間不信のなかへとじこめられて来た当然の結果であり、ながいあいだ自己の内部へ抑圧して来た強制労働への憎悪がかろうじて芽を吹き出して行く過程でもあった。おなじような条件で淘汰を切りぬけてきた私たちは、ある時期には肉体的な条件さえもが、おどろくほど似かよっていたといえる。私たちが単独な存在として自我を取りもどし、あらためて周囲の人間を見なおすためには、なおながい忍耐の期間が必要だったのである。

【『石原吉郎詩文集』石原吉郎〈いしはら・よしろう〉(講談社文芸文庫、2005年/初出は「思想の科学」1970年4月)以下同】

 これほど恐ろしい表現は他にあるまい――“均(な)らされた状態”。権力者の手によって、シベリアに抑留された人々は均された。それに加えて、堕落という重力も日常以上に強く働いたに違いない。平均化、均質化、一般化された人々は個を失う。もはや彼等は人間ではない。ただの労働力だ。

 良識も自制心も道徳心も破壊される状況にあって、一人の男が異彩の光を放った。鹿野武一〈かの・ぶいち〉その人である――

 このような環境のなかで、鹿野武一だけは、その受けとめかたにおいても、行動においても、他の受刑者とははっきりちがっていた。抑留のすべての期間を通じ、すさまじい平均化の過程のなかで、最初からまったく孤絶したかたちで発想し、行動して来た彼は、他の日本人にとって、しばしば理解しがたい、異様な存在であったにちがいない。
 しかし、のちになって思いおこしてみると、こうした彼の姿勢はなにもそのとき始まったことでなく、初めて東京の兵舎で顔をあわせたときから、帰国直後の彼の死に到るまで、つねに一貫していたと私は考える。彼の姿勢を一言でいえば、明確なペシミストであったということである。

 ここで石原吉郎が使う「ペシミスト」は、悲観論者ではなく厭世主義者の意味であろう。では、鹿野武一は具体的にどのように振る舞ったのか――

 バム地帯のような環境では、人は、ペシミストになる機会を最終的に奪われる。(人間が人間でありつづけるためには、周期的にペシミストになる機会が与えられていなければならない)。なぜなら誰かがペシミストになれば、その分だけ他の者が生きのびる機会が増すことになるからである。ここでは「生きる」という意志は、「他人よりもながく生きのこる」という発想しかとらない。バム地帯の強制労働のような条件のもとで、はっきりしたペシミストの立場をとるということは、おどろくほど勇気の要ることである。なまはんかなペシミズムは人間を崩壊させるだけである。ここでは誰でも、一日だけの希望に頼り、目をつぶってオプティミズムになるほかない。(収容所に特有の陰惨なユーモアは、このようなオプティミズムから生れる)。そのなかで鹿野は、終始明確なペシミストとして行動した、ほとんど例外的な存在だといっていい。
 後になって知ることのできた一つの例をあげてみる。たとえば、作業現場への行き帰り、囚人はかならず5列に隊伍を組まされ、その前後と左右を自動小銃を水平に構えた警備兵が行進する。行進中、もし一歩でも隊伍を離れる囚人があれば、逃亡とみなしてその場で射殺していい規則になっている。警備兵の目の前で逃亡をこころみるということは、ほとんど考えられないことであるが、実際には、しばしば行進中に囚人が射殺された。しかしそのほとんどは、行進中つまずくか足をすべらせて、列外へよろめいたために起っている。厳寒で氷のように固く凍てついた雪の上を行進するときは、とくに危険が大きい。なかでも、実戦の経験がすくないことにつよい劣等感をもっている17〜18歳の少年兵にうしろにまわられるくらい、囚人にとっていやなものはない。彼らはきっかけさえあれば、ほとんど犬を射つ程度の衝動で発砲する。
 犠牲者は当然のことながら、左と右の一列から出た。したがって整列のさい、囚人は争って中間の3列へ割りこみ、身近にいる者を外側の列へ押し出そうとする。私たちはそうすることによって、すこしでも弱い者を死に近い位置へ押しやるのである。ここでは加害者と被害者の位置が、みじかい時間のあいだにすさまじく入り乱れる。
 実際に見た者の話によると、鹿野は、どんなばあいにも進んで外側の列にならんだということである。明確なペシミストであることには勇気が要るというのは、このような態度を指している。それは、ほとんど不毛の行為であるが、彼のペシミズムの奥底には、おそらく加害と被害にたいする根源的な問い直しがあったのであろう。そしてそれは、状況のただなかにあっては、ほとんど人に伝ええない問いである。彼の行為が、周囲の囚人に奇異の感を与えたとしても、けっしてふしぎではない。彼は加害と被害という集団的発想からはっきりと自己を隔絶することによって、ペシミストとしての明晰さと精神的自立を獲得したのだと私は考える。

 鹿野武一は「世を厭(いと)い」、そして嘲笑したのだ。しかも彼は、行動をもってそれを示した。吠え立てる犬によって羊の群が同じ方向へ進む中で、鹿野武一は事もなげに反対方向を目指した。

 ここにあるのはペシミズムではない。ニヒリズムだ。私は、ニヒリズムが肯定的なユーモアを生ましめる瞬間を“ヒューマニズム”と呼びたい。石原が「ペシミズム」と表記したのは、鹿野に対する感傷が強すぎたためであろう。

 鹿野武一の生が凄まじいのは、彼は抑留された同胞に対して範を垂(た)れたわけでもなければ、何らかのメッセージを放ったわけでもないという一点に尽きる。鹿野は徹底して“個”に生きたのだ。“個”は“孤”の内側で完結している。

 それが証拠に、鹿野は誰に言うこともなく収容所内で絶食を始めた。鹿野は絶食しながら強制労働に従事した。まったく狂気の沙汰という他ない。しかし、シベリア抑留それ自体が狂気であった。すなわち、狂気が支配する世界で発揮される狂気は、正真正銘の正気となる。鹿野はたった一人で世界に向かって「異を唱えた」のだ。

 地獄の中にあって、これほどの孤高に辿り着いた人物がいた。人間がどこまで崇高になれるかを彼は示した。真の人間は、真に偉大である。

 鹿野武一は、シベリアから帰還してから1年後に急死した。まだ37歳という若さであった。



「鹿野武一」関連資料集
鹿野武一
文体とスタイル/『書く 言葉・文字・書』石川九楊
『香月泰男のおもちゃ箱』香月泰男、谷川俊太郎
「岸壁の母」菊池章子
真の人間は地獄の中から誕生する/『シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界』立花隆
香月泰男が見たもの/『シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界』立花隆
瀬島龍三はソ連のスパイ/『インテリジェンスのない国家は亡びる 国家中央情報局を設置せよ!』佐々淳行
ストア派の思想は個の中で完結/『怒りについて 他二篇』セネカ:兼利琢也訳