・「浦島記」
・美しい言葉
どんな所に置かれても光る言葉を
首にかけて置きたい
何時までたっても色あせない言葉を
目の底にやきつけて置きたい
長い長い時間の歴史の上で
美しい風化を遂げた言葉の清潔さを
耳に飾って置きたい(「墓」)
【『塔和子 いのちと愛の詩集』塔和子〈とう・かずこ〉(角川学芸出版、2007年)】
「何気に」とか「ムカつく」とか「――じゃね?」などという言葉を聞くと殺意を覚える。公私の区別がつかない愚かさと、美意識のかけらもない浅薄さが露呈する。汚い言葉は、粗雑な心、汚れた心から生まれる。
低俗なテレビタレントの影響もあるのだろう。特に芸人を自認するお笑いタレントの言葉遣いが酷い。
目上の人や年長者の前で自分のことを「俺」と言う若者も多い。俺に対するのはお前である。相手を「お前」呼ばわりしていることにも気づいていないのだろう。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2013年4月14日
上京して直ぐに気づいたのは中年女性が口にする女言葉であった。「そうよ」「――だわ」という響きが耳に心地よかった。私が生まれた北海道では性差を強調するような言葉遣いはない。今きちんとした言葉で話すのはオカマだけのような気がする(笑)。彼女たちの会話には敬語や丁寧語がふんだんに盛り込まれている。
世の乱れは言葉の乱れとなって水面に現れる。そして言葉の乱れは思想の乱れとなり、モラルを崩壊させる。
ブッダが最初に説いたのは八正道であった。その中に正語(しょうご)がある。「妄語(嘘)を離れ、綺語(無駄話)を離れ、両舌(仲違いさせる言葉)を離れ、悪口(粗暴な言葉)を離れることである」(Wikipedia)。また四摂法(ししょうぼう)には愛語とある。慈愛に満ちた言葉・優しい言葉との意である。
容姿を変えることは難しい。が、生き方を変えることは常に可能だ。醜い心を変えることは難しい。が、美しい言葉を心掛けることは誰もができる。
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