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2020-11-20

鍛原多惠子


 ・身の毛
 ・鍛原多惠子
 ・文明の発達が国家というコミュニティを強化する

 灰皿は煙草の吸い殻だらけで、あちらこちらにお酒がこぼれているようなパーティーに、子どもを連れてきてしまったと思いたい人はいない。楽観的になる気持ちもわからなくはないが、それを合理的な思考と勘違いしてはいけない。(44ページ)

【『文明が不幸をもたらす 病んだ社会の起源』クリストファー・ライアン:鍛原多惠子〈かじはら・たえこ〉訳(河出書房新社、2020年)】

身の毛」に続いてこれだ。三度読んでも理解できず。四度目でやっと「しまった」を鉤括弧で括っていないことがわかった。続く文章も「なくはないが~ない」と打ち消しの三重奏で読みにくい。杜撰(ずさん)な校正が言葉の乱れを招き、やがては社会の混乱に至る。孔子が「名を正す」と言った理由もそこにある。

2020-11-19

身の毛


 ・身の毛
 ・鍛原多惠子
 ・文明の発達が国家というコミュニティを強化する

 この物語によれば、私たちの祖先は身の毛のよだつような浅ましい暮らしをしていた、身の毛のよだつような浅ましい生き方だった。(25ページ)

【『文明が不幸をもたらす 病んだ社会の起源』クリストファー・ライアン:鍛原多惠子〈かじはら・たえこ〉訳(河出書房新社、2020年)】

「身の毛【も】よだつような」というのが普通だろう。「も」以外の助詞を初めて見た。「身の毛がよだつ」(Weblio辞書ルーツでなるほど慣用句辞典)、「身の毛立つ」(goo国語辞書)との表現を今検索して知った。ついでながら、「よだつ」は「弥立つ」と書き、「いよだつ」の音変化(goo国語辞書)。いずれにしても、「身の毛【の】よだつような」という表現は見当たらない。不正確な言葉が読書のリズムを狂わせる。2400円の割には紙質が悪く、河出書房新社のフォントはやや太めで読みにくい。

2020-04-06

武漢ウイルス予言の書か?/『闇の眼』ディーン・R・クーンツ


・『ミッドナイト』ディーン・R・クーンツ

 ・武漢ウイルス予言の書か?

ビル・ゲイツと新型コロナウイルス

「僕はね、個人のほうが組織よりも責任を持って道徳的に行動するって信じているんだ」

【『闇の眼』ディーン・R・クーンツ:松本みどり訳(光文社文庫、1990年/原書、1981年)以下同】

「権力は腐敗する、絶対的権力は絶対に腐敗する」(ジョン・アクトン卿)。その権力を与えるのが組織だとすれば「組織は腐敗する、絶対的組織は絶対に腐敗する」と言い換えることができそうだ。組織は不祥事を隠蔽する(『ザ・レポート』スコット・Z・バーンズ監督・脚本・製作)。組織力が強大になればなるほどその傾向は顕著になる。大企業・省庁・マンモス教団・軍隊など。たぶん上層部の報酬と関連性があるのだろう。

「この病気には免疫ってものがありません。敗血症喉頭炎とかありふれた風邪とか――がんのように。運がよければ――それとも、不幸にしてか――一回撃退すると、何度でもかかります」

「ちょうどそのころ、イリヤ・ポパロボフというソ連の科学者が合衆国に亡命してきたんです。この10年間ソ連で一番重要で危険な細菌兵器のマイクロフィルムのファイルを持って。ロシア人はこれを“ゴーリキー400”と呼んでいます。開発されたところがゴーリキー市の近郊のRDNAの実験室だったものですから。これはその研究所で作られた400番めの人口微生物の生存種なのです。ゴーリキー400は完璧な兵器です。感染するのは人間だけ、他の生物はキャリアーにはなれません。梅毒と同じでゴーリキー400も人体の外では1分以上生存できません。ということは、炭疽熱や他の有毒なバクテリアのように物や場所を永久に汚染することはできないのです。保菌者が死ぬと、体内にいるゴーリキー400も体温が30度以下になるやすぐに消滅してしまいます。こういう兵器の利点はおわかりでしょう?」

 元々は「ゴーリキー400」と記されていたのだが後に「武漢-400」と書き換えられたらしい。

40年前のアメリカの小説『闇の眼』に出てきた史上最強の創造上の生物兵器は中国武漢の研究室で作られた。その兵器の名前は「武漢 - 400」 - In Deep
武漢ウイルスを予測した小説の変更は考えていたのと《逆》だという衝撃の事実を知る。そして現在流行しているウイルスの漏洩源が武漢疾病予防センターである可能性を中国の科学者が発表(その後行方不明に) - In Deep


 秘密の研究所で指揮を執っていたのが「タマグチ博士」だった。登場しないのだが、いかにも日本人を想わせる名前である。

 果たして本書は武漢ウイルス予言の書なのだろうか? 違うね。本書をシナリオに採用したということなのだろう。中国政府は突然、「アメリカがウイルスを持ち込んだ」と言い出した。いかにも中国らしい横紙破りだ。私自身、そう思っていた。だが偽りの中に真実が隠されている。昨年の10月18日に武漢で第7回世界軍人運動会(ミリタリーワールドゲームズ)が行われているのだ。このタイミングでウイルスを仕込んだとすればタイミングはぴったり合う。

 我々は何が真実かわからない世界で生きている。多くの情報が真実を覆い隠し、目を逸(そ)らさせ、テレビ画面以外を見えなくする。

 最後に校正を。「機を見てせざるは勇気なり」(314ページ)は「義を見てせざるは勇無きなり」(『論語』)の誤植だろう。クーンツ作品を読んだのは『ミッドナイト』以来のことだが、そこそこ面白かった。

2020-03-23

縄文時代の介護/『病が語る日本史』酒井シヅ


『人類進化の700万年 書き換えられる「ヒトの起源」』三井誠

 ・縄文時代の介護

『人類と感染症の歴史 未知なる恐怖を超えて』加藤茂孝
『続・人類と感染症の歴史 新たな恐怖に備える』加藤茂孝
『感染症の世界史』石弘之

 ポリオの歴史は古い。紀元前3000年ごろの古代エジプト王朝の壁画に、右足が極端に細くて、短く、つま先立ちの王子が杖(つえ)をついて立つ姿が描かれている。同時に、この王子のミイラが残る。両者を調査した結果、王子はポリオを患っていたというのが定説になっている。
 縄文人の小児がポリオであったことが確かであれば、アジアの東の果ての日本でも、ポリオが発生していたことになる。興味深い問題を投げかけている。
 話は変わるが、ポリオの骨が一家族の中にあったことは、縄文社会では身体障害児が親の保護のもとで生活していたことを物語る。彼らの生活は障害者を養う余裕があったといえる。

【『病が語る日本史』酒井シヅ〈さかい・しづ〉(講談社、2002年/講談社学術文庫、2008年)以下同】

 最後の一言がずっしりと胸に堪(こた)える。現在でも大家族が織りなすインド社会では家族や親戚による介護が可能だが、核家族化が進んだ日本ではとっくに介護をアウトソーシングするようになった。1980年代から90年代にかけて共働きが増えたがバブルが弾けてからというもの生活が楽になる気配は一向にない。


 1948年(昭和23年)は5171万人(15歳以上人口):3484万人(労働力人口)で67%となっている。

・1964年 7122:4710=66%
・1981年 9017:5707=63%
・1990年 10089:6384=63%
・2019年 11092:6886=62%

 尚、15歳以上人口については2011年の11117万人で頭打ちとなっており、労働力人口は1990年以降6000万人台を推移している。労働力人口の人口比があまり変わっていないことに驚いた。高校・大学の進学率上昇と未婚率増加が共働き世帯と相殺しているのだろうか? にわかには信じ難い数字である。

 今後の人口構成に関しては人口減少と65歳以上の人口比が高まることがわかっている。


 人口ピラミッドは既にピラミッドの形を形成していない。


 ポリオを患った骨は北海道南西部の縄文後期の遺跡からも出土している。ここから出た入江9号がポリオを患っていた。鈴木隆雄氏によると、この人骨は20歳未満の男性であった。頭や胴体は正常に発育していたが、腕や足の骨が、まるで幼児の骨と間違えるほど華奢(きゃしゃ)であった。骨の発育不全をもたらす病を患っていたのだろう。
 鈴木氏は幼児期にポリオにかかって、手足が不自由になったのだと推測する。このからだでは狩猟に行っても、獲物を捕まえることはできなかっただろう。しかし、この骨は20歳ごろまで生きることができた。家族の愛情に恵まれた生活があったことを物語っている。

 人口減少社会を生きる我々は縄文人よりも豊かな生活を送ることができるだろうか? 消費税を10%に増税し国民に負担ばかりを強いてくる国家で弱者を守ることは可能だろうか? 学校で繰り広げられるいじめが大人社会を映したものであるとすれば、我々は弱者を踏みつけにすることで社会の安定を保っているのだろう。

 尚、酒井は入江9号を「男性」と書いているが、鈴木の論文には「正確な性の判定は困難である」(「北海道入江貝塚出土人骨にみられた異常四肢骨の古病理学的研究」鈴木隆雄、峰山巌、三橋公平)とある。また東京博物館の展示には「おそらく女性」と紹介されている(縄文がえりの勧め 心優しき縄文の村)。小さな誤りだが見逃せない。

飛田野裕子


 シャノンがうなずいた。左の前腕には、ペンテルのマジックで自分が書いた、X-メンのまた別のメンバー、ガンビットの刺青が入っている。

【『静寂の叫び』ジェフリー・ディーヴァー:飛田野裕子〈ひだの・ゆうこ〉訳(早川書房、1997年/ハヤカワ・ミステリ文庫、2000年)】

ぺんてる」は企業名で、「マジック」は商品名である。ぺんてると来れば普通はサインペン(水性)だ。マジックインキは油性なので滅茶苦茶な文章となっている。因みに私が読んでいるのはハードカバーだ。「ぺんてるのサインペン」あるいは「ぺんてるのフェルトペン」と書くのが正しい。